ノート:地球温暖化に対する懐疑論/過去ログ1
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AFP記事と原論文との相違について
[編集]・この論文に関する記述についてですが、客観的にみてこのAFPの記事は論文の内容と違うことが書いてある、と言えます(AFPのは記事内でもCO2説に関する記述が矛盾しています)。個人的には珍しいケースと思いますしこのAFP記事は出典として落第(嘘であることが確認できるため)と思いますが、その個人的判断は排してAFP記事の内容も残してあります。ただどう書いても、「AFP記事が原論文と違う内容を書いている」ことはわかる記述になるはずです。原論文(無料)のabstractとconclusionを読むだけでわかりますので、ご確認下さい。--s-kei 2009年1月17日 (土) 23:57 (UTC)
各懐疑論に対する反論の記述について
[編集]反論の部分が断定的または偏っているものが散見されます。矢印の意味は何でしょうか。 反論も個人や組織の主張や見解に過ぎませんので、そう読めるように書くべきではないでしょうか。「→」で始まる文章はQ&Aのようなイメージつまり「→」のついた部分があたかも「正解」であるような印象を与えると思います。さらに語尾が「~と主張している」「~と指摘もある」などで終わらず、断定的な項目が多いことは、問題有りと考えます。政府系機関の見解も同様です。参考までに二カ所を修正しました。(--Damnfool 2009年9月22日 (火) 07:06 (UTC)
英語版wikipediaのglobal warmingc controversyの冒頭にもろ出ています:”The controversy is significantly more pronounced in the popular media than in the scientific literature.[1] ” 投稿記録からみて、あまり科学の専門的知識をお持ちであるという確証はえられませんでした。科学の文献が中立・偏向の基準とするべきでしょう。もし、「科学の一次資料や英語版wikipediaも全て弾圧・世界的陰謀・利権詐欺やらのために偏っているのだ」、というご意見をお持ちなら、それはしかるべき別の所で主張なさってください。--125.14.236.168 2009年9月22日 (火) 14:01 (UTC)
>中立・変更の基準はreliable peer reviewed article:あなたがノート等でarticleを示すべき
ということですが、私は何かの基準を変更したいのではなく、Wikipediaの基準に合わせましょうと書いたつもりっです。すなわち、出典の内容が確定した事実であるかのような表現を使わないようにしましょうと申しております。なぜなら、「地球温暖化に対する懐疑論」は、懐疑論を論破する場所ではないからです。
つまり何かが事実かどうかを問うてるのではありません。
以下、質問します。
1.「冒頭にもろ出ています」とご呈示の英語版の一文は、どの部分に対して仰っているのでしょうか。出典になっている論文のabstractは読んでみましたが、私が修正した部分とは無関係のように思います。
2.以下の部分をリバートされましたが、
>または信頼性に乏しいとする者もいる
>または信頼性に乏しいと考えられているものである
「考えられている」では科学的な百科事典としては不完全であり「誰が」が抜けています。政府のQ&Aサイトの内容は確定した事実であるという暗黙の了解でもあるのでしょうか、それとも「彼の書いたことは常識だ」といったような主観が入っているのでしょうか。
3.「Climate change: A guide for the perplexed」、「ココが知りたい温暖化(国立環境研究所のQ&A)」は、それぞれ一個人の主張と一組織の主張と見受けられますが、間違っていますか。
再編集しますので、リバートする前に上記の3点、お答え下さい。(--Damnfool 2009年10月6日 (火) 14:39 (UTC)
- 「ココが知りたい温暖化(国立環境研究所のQ&A)」を本文に載せたがるDamfool君は引用の表記方法をご存じない素人のようですね。本文中に書かなくても、引用表記はされていますので、発言者はわかります。そもそも、「一組織の主張」ではなくて、学術論文にもとづいた見解を、君のような素人にわかりやすく説明しているのが「ココが知りたい温暖化(国立環境研究所のQ&A)」。必要とあれば、そのページに記されいるreferenceを引用、表記すれば良い。さらに、例えば医学の記述でも、素人の疑問と専門家の見解とを同列に並べて「あれもあるこれもある」と書くのは不適切なように、そもそも、懐疑論の見解自体ウィキペディアに掲載されること自体がおかしい。素人がああいったこういったなんて医学の項目に書いてはいけないはず。ウィキペディアの地球科学はかなり寛大だな。--ClimaScience 2009年10月7日 (水) 12:59 (UTC)
- 懐疑論に対する反論を断定的に書かないことは、Wikipediaで合意されている基本的な方針です。Damnfoolさんが指摘したのは、まさにそのことであり、その編集を支持します。おそらく専門家でいらっしゃるClimaScienceさんが、権威のある専門家だけによる文章にしたいとお考えならば、それは諦めてください。私たちのような中途半端者がどんどん書き込みをいたします。削除ではなく、叱咤激励の編集を賜りますようにお願いします。--Nife 2009年11月24日 (火) 16:25 (UTC)
- 微妙におかしな主張をされていますね。
- 最初に「下記のような議論がある」と断った上での紹介ならば、懐疑論も反論も断定的な語尾で良いでしょう。一文ごとに「~という主張がある」と付けていては冗長になります。
- 中途半端な人が書いても専門家が書いても、百科事典として出典の信頼性が劣るものが優先されてはいけませんよ。--s-kei 2009年11月26日 (木) 19:30 (UTC)
- 微妙におかしな主張をされていますね。
- 懐疑論に対する反論を断定的に書かないことは、Wikipediaで合意されている基本的な方針です。Damnfoolさんが指摘したのは、まさにそのことであり、その編集を支持します。おそらく専門家でいらっしゃるClimaScienceさんが、権威のある専門家だけによる文章にしたいとお考えならば、それは諦めてください。私たちのような中途半端者がどんどん書き込みをいたします。削除ではなく、叱咤激励の編集を賜りますようにお願いします。--Nife 2009年11月24日 (火) 16:25 (UTC)
- 「ココが知りたい温暖化(国立環境研究所のQ&A)」を本文に載せたがるDamfool君は引用の表記方法をご存じない素人のようですね。本文中に書かなくても、引用表記はされていますので、発言者はわかります。そもそも、「一組織の主張」ではなくて、学術論文にもとづいた見解を、君のような素人にわかりやすく説明しているのが「ココが知りたい温暖化(国立環境研究所のQ&A)」。必要とあれば、そのページに記されいるreferenceを引用、表記すれば良い。さらに、例えば医学の記述でも、素人の疑問と専門家の見解とを同列に並べて「あれもあるこれもある」と書くのは不適切なように、そもそも、懐疑論の見解自体ウィキペディアに掲載されること自体がおかしい。素人がああいったこういったなんて医学の項目に書いてはいけないはず。ウィキペディアの地球科学はかなり寛大だな。--ClimaScience 2009年10月7日 (水) 12:59 (UTC)
この節でreliable peer reviewed articleの重要性が合意されたように見えるに関わらず、最近あげられた出典は槌田・仏蘭西人の本のようなnon-peer-reviewedの資料です。文系では書籍も立派な出典になりますが、科学ではこれらは出典ではありません。さらにはtakedanet.comは問題外です。編集方針を守っ田投稿をお願いします。(編集方針を理解できない方はご遠慮ください。)--チューブ大学 2009年11月30日 (月) 02:18 (UTC)
- 確かに本文に取り上げられているような懐疑論の大部分は、peer reviewされていない主張や陰謀論などに基づいていたりして、百科事典で「信頼性のある出典」として引用するには適さないと思われるものが多いです[1][2][3]。その点ではご主張に同意します。--s-kei 2009年11月30日 (月) 15:00 (UTC)
- その一方、「peer reivewedではない主張が流布されたり、書籍で売れたりした」ということ自体は、それなりに記述の価値があるかと思われます。それがこの「懐疑論」の項目に記述されている理由でもあります。ただしこの項目も長くなりすぎた感がありますので、全体にスリムにした方が良いでしょうね。マイナーなものまで網羅する必然性も無いでしょうし。--s-kei 2009年11月30日 (月) 15:00 (UTC)
- どの議論がマイナーでどの議論がメジャーであるかを判断することは、独自研究になってしまいます。各論をほどよく記述していくのが作法でしょう。また、懐疑論とそれに対する反論のバランスですが、文章の量として五分五分が限界であり、懐疑論の数倍の量の反論を書き連ねてあるところは懐疑論を解説する文章を増やすか反論を簡潔にまとめる必要があると思います。S-keiさんが列挙した反論の3個目の日経のインタビュー記事はエコファシズムの典型といえるでしょう。--Nife 2009年11月30日 (月) 19:47 (UTC)
- 「peer reviewedな信頼性のある情報であるかどうか」ということは百科事典として考慮されて然るべきですし、信頼性の劣る情報を同列に扱う必然性もありません。また「エコファシズム」などという言葉で人を蔑むのも、おやめ下さい。--s-kei 2009年11月30日 (月) 22:54 (UTC)
- コメントs-kei氏は「学術」と「比較文化論」ないしは「科学史論」をとり違えておられるようなので、その見解は違うと存じます。つまり比較文化論である「懐疑論」では「正しいか正しくないか」ではなく、見解間の相違を比較することが目的ですから、特定の学術の見地から見て不正確や曖昧というのも「比較文化論」としては比較した結果に当たり、百科事典として記述すべき事柄と存じます。言い換えると比較することが目的ですから、それを切ってしまっては比較の検収手段を読者から奪うことになるのでそのような編集は中立な観点方針違反です。--あら金 2009年12月2日 (水) 03:30 (UTC)
- ああ、これは私がNifeさんの書き込みを一部勘違いしていたようです。いくつかの論点がごっちゃになりましたので、ちょっと細かく分けます。
- (別の節でも書きましたが)信頼性も特筆性も不明な事柄まで百科事典で取り上げる必然性は無い、というのが「マイナーなものまで」という私の発言の趣旨です。その点はご同意頂けるかと思います。
- しかし内容の信頼性もしくは特筆性が示されるならば、記載&比較に値する可能性があります。そこまでは私も否定しておりません(実際、これまでも両方取り上げて来ております)。
- あと細かい事ですが、反論などは他へのリンク一発で済む場合もありますので、文章量のバランスは目安程度でいいかと。
- 少し長くなりましたが、こんな感じで如何でしょうか。--s-kei 2009年12月2日 (水) 11:15 (UTC)
陰謀の節の潤沢な予算配分について
[編集]武田邦彦氏の論説について、賛否両論があることを記載することはかまいませんが、否定論だけに基づいて誤りと断定するのは、Wikipediaの原則Wikipedia:中立的な観点に違反する編集です。「 陰謀の節の潤沢な予算配分」は、懐疑論を構成する重要な論点なので、削除するのではなく、他の論と同様に反論を記載してください。--Nife 2009年11月24日 (火) 15:48 (UTC) 誤植修正--Nife 2009年11月24日 (火) 16:28 (UTC)
Nifeの投稿記録を見てください。限度を超えています。ブロック依頼等お願いします。--以上の署名のないコメントは、210.196.9.104(会話/Whois)さんが 2009年11月25日 (水) 02:41 (UTC) に投稿したものです。
→武田邦彦のノートページにNifeの荒し行為をまとめました。--以上の署名のないコメントは、211.5.11.135(会話/Whois)さんが 2009年11月25日 (水) 11:24 (UTC) に投稿したものです。
出典のある記述をむやみに削除する編集のほうが、荒し行為と考えられますね。署名のない記述もマナーに反しています。--Nife 2009年11月25日 (水) 22:00 (UTC)
上述のノートページで「予算配分」の件が意味不明と指摘されたに関わらず答えもせず投稿を続けるNifeはブロックが適当。無料公開の文が重複することになり、しかもなぜそれが陰謀論に関係するのか全く意味不明。--以上の署名のないコメントは、211.5.13.227(会話/Whois)さんが 2009年11月26日 (木) 02:29 (UTC) に投稿したものです。
多額の研究費が投入されること自体が陰謀であるということを記述した項目です。潤沢な研究費が投入されているから、無料で文書を配布できるんじゃないでしょうか。--Nife 2009年11月26日 (木) 13:35 (UTC)
- ニュートリノも宇宙開発もクローンもみな陰謀か。恥を知れ。間違いを含むと知った版に差し戻した悪質な荒らしの記録をお前は残した。ど素人が恥を知れ、恥を。--以上の署名のないコメントは、211.5.9.2(会話/Whois)さんが 2009年11月27日 (金) 02:48 (UTC) に投稿したものです。
- 憶測を書かれませんように。--s-kei 2009年11月26日 (木) 19:30 (UTC)
- 同じく憶測である「上記のように、懐疑論の多くが商業出版の形を取っているのに対し、それらを論駁する文書は無料で公開されているものが多い。」との記述を「反論および学術的評価」の項目から削除してよいのならば、[陰謀]の項目から「懐疑論を批判する文書は無料で公開されているものも多い。」を削除することに同意します。--Nife 2009年11月27日 (金) 22:57 (UTC)
- ほら、明らかにおかしい投稿者でしょう。同一の文の重複は無条件で不適当なのでこのような交渉の文言が本来出てくるはずがない。何も知らない分野での記事私物化が目的です。
1996の本なんて資料として価値ないんだけど。そんなことも知らないど素人が編集合戦するな。リソースのムダ。潤沢・陰謀論に関しては懐疑論信じるバカな読者が勝手に本文最後の節から武田邦彦読めばいいんだよ。既にリンクされてるからいらないの。--以上の署名のないコメントは、211.5.26.109(会話/Whois)さんが 2009年11月27日 (金) 10:55 (UTC) に投稿したものです。
- (前段)ノーベル賞物理学学者の1996年の本だからこそ、懐疑論の基本的な3項目がきちんと整理されています。(後段)この理屈でいうと、Wikipediaの全ての記事内容は出典のなかに明記されていることなので、Wikipediaの全ての記事は無駄ということになり、リンク集のみが残ることになってしまいます。しかし、Wikipediaはリンク集ではありません。--Nife 2009年11月27日 (金) 22:57 (UTC)
正しい議論に関しては各項目で記述する。余談・誤解などに関してはリンクだけでよい。今回は後者の「誤解」のカテゴリーなので、リンクだけでよい。百科事典として成立させるために、知識のない人は編集しないように。
- Wikipediaにおいては「正しい議論」と「余談・誤解」を区別することができません。正当な出典があるかぎり、どちらも記事として成立しています。貴方にとっての「正しい議論」は私にとって「正しいかどうか懐疑的な議論」であり、貴方にとっての「余談・誤解」は私にとって「正しい議論」です。何度も申し上げますが、Wikipedia:中立的な観点をよく読んでからWikipediaの編集に参加してください。--Nife 2009年11月28日 (土) 15:10 (UTC)
- こっちにもフォローしますが。出典があるだけでは、百科事典に記載するに値するとは言えません。信頼性のある出典でない場合は、広く流布しているなどの特筆性を証明する資料の提示が無ければ、本来は記載に値しません。そうしないと極端な話、”誰かが適当に想像で書いただけの事柄”でも記載できてしまいますので。--s-kei 2009年12月1日 (火) 23:39 (UTC)
とりあえずこの件、IP userの方はせめて署名を付けていただけませんか、マナー違反ですので。できればアカウント取っていただけますと、話しやすくて助かります。 あと「バカ」とかそういう乱暴な言葉遣いはやめて頂けませんか。これではいつまで経っても保護解除できないでしょうし、むしろ保護継続が目的だと疑われても仕方ない行為かと思います。--s-kei 2009年11月28日 (土) 15:31 (UTC)
編集保護の解除に向けて
[編集]編集保護という大変に残念な状況に至りました。保護を依頼して賛成された諸兄と管理者には感謝いたします。その都度異なるIPアドレスから執拗に原稿を削除される方がいらっしゃる限り、膠着状況を脱し得ないと思われます。今回の編集保護で貴重な編集機会を奪われた真っ当な編集者諸兄には、深くお詫びをいたします。原稿を執拗に削除されたIPユーザーに重ねてお願いします。Wikipedia:中立的な観点をよく読んでいただいてから、このあとも削除を続けるおつもりかどうかを態度表明してください。--Nife 2009年11月26日 (木) 16:51 (UTC)
- えーと、今度から全保護でなく、せいぜい「合戦参加者のブロック」のみに留めてください>関係者の方々。この程度で全保護にしてしまうと、「わざと合戦にして編集を妨害する荒らし」が可能になってしまいますので。合戦に参加してない人まで、ブロックされる謂われはありません。--s-kei 2009年11月26日 (木) 19:30 (UTC)
- 保護を行ったMiya.Mです。s-keiさんには、利用者‐会話:S-keiにご返事いたしました。Miya.M 2009年11月27日 (金) 16:16 (UTC)
- 少なくともNife氏が追加した文献については3回以上rev合戦されているようですが、まぁ今のところブロックの必要までは無さそうという点は同意します。しかしそれでも半保護で済むように思えますし、どのみちいきなり一ヶ月は長いと思います。次からはご配慮を強く希望します。--s-kei 2009年11月28日 (土) 16:00 (UTC)
Nife氏は懐疑論にも様々なレベルがあるのを理解していますか。多少の飛躍があるもの~かなりの飛躍~論外なもの(初歩的な誤り・あからさまな矛盾・捏造などの不正があるものなど)。先日の資源学会の公開討論でも、槌田や武田は懐疑派として招待されておりません。懐疑派の中でも論外なものに入るからです。懐疑派の中でも槌田や武田の誤りを指摘する人もいます。何でも認めて「○○がこういった」「それにはこう指摘されている」を列挙していったら記事が肥大化するだけです(本だけなら出版ペースも遅いですが、武田氏のウェブまでふくめたら文字通り終わりません)。また同じ理由で「槌田が言ったから科学界はファシズム」と言うのも不適当であり、特に人を批判する際は、もっと信頼の置ける出典が必要になります。なんでも併記したら「テレビゲームで自閉症になる」「相対論は間違っている」など他の科学者から総スカンをくうような本が多数存在するためそれらまで含めなければならなくなりかねません(またこれらの人はしばしば『自分はホントのこといってるから他の科学者から迫害されている』と主張しています)。--Panksepppp 2009年12月2日 (水) 11:42 (UTC)
- ちゃんと出典を明記できるなら、「テレビゲームで自閉症になるという説がある。」「相対論は間違っていると主張する者がいる。」ということを書いておくことは、Wikipediaにとって必要なことです。Wikipedia:中立的な観点をよく読んでくださいと重ねてお願いします。--Nife 2009年12月2日 (水) 12:25 (UTC)
- 今ひとつ対話が噛み合っていないように見えます。Wikipedia:信頼できる情報源 についての指摘なので、Nife さんはそれを踏まえて回答したほうがいいです。--Su-no-G 2009年12月2日 (水) 12:34 (UTC)
- たとえば、槌田敦には「CO2を削減すれば温暖化は防げるのか」日本物理学会誌、第62巻第2号(2007年),pp.115-117 があり、決してトンデモ学者ではありません。さらに、明日香壽川らの「地球温暖化懐疑論批判」(本文の参照102番)の冒頭5ページで「懐疑的あるいは否定的な言説」として引用されている論者の筆頭かつ最多の7論文が挙げられている学者なので、本稿ではCO2温暖化説の否定論者(懐疑論者ではないですけどね。)として取り上げる必要のある学者の一人です。また、武田もこれに次ぐ6論文が挙げられている学者です。誤りを指摘するのは構いませんが、削除には反対です。--Nife 2009年12月2日 (水) 13:55 (UTC)
- その二人に関してはご指摘にもあるように、特筆性はあるでしょう(ですので、私も掲載継続で編集したわけですが)。ただその一方で明日香らも指摘している通り、温暖化を否定するなどの彼らの主張はreliable peer reviewed なものではありません(例えばgoogle scholarで検索すると見当が付きますが、彼らはそのような主張を当該分野の主要学術誌で認められているわけではありません)。百科事典としてはそのような主張を、「特筆性」だけを理由に無制限に掲載するわけにも行かないでしょう。記事として冗長になりすぎない範囲で掲載するのが妥当でしょうし、掲載に当たって取捨選択も必要でしょう。--s-kei 2009年12月2日 (水) 16:11 (UTC)
- なお蛇足ですが、「トンデモ学者」という言葉には主観が入るので使われない方が良いかと。個々の関係者については「当該分野の主要学術誌で認められた論文が無い」などの事実を書いておけば、あとは読者が判断されるでしょう。--s-kei 2009年12月2日 (水) 16:11 (UTC)
- 日本物理学会誌が論理矛盾している原稿を掲載するでしょうか。それなりの説得性が認められているといえます。そして、当該分野の主要学術誌が掲載するときはCO2温暖化説が否定されたときであり、懐疑論を議論している場合ではないでしょう。そのときには本稿そのものが成り立たなくなります。(記事を再構成すれば、科学者はなぜ間違えるのかという科学史的な価値は高まると思います。)--Nife 2009年12月2日 (水) 21:21 (UTC)
- 学会誌にもピンからキリまであります。日本物理学会誌に掲載された日本語かつ気候問題を普段扱わない雑誌の査読の無い記事(=世界の当該分野の専門家のチェックを受けにくい記事)の事を言われているのであれば、「reliable peer reviewed」とは言えませんよ。ご確認下さい。--s-kei 2009年12月2日 (水) 23:05 (UTC)
- 日本物理学会誌をピンとするのかキリとしているのか判読できませんでしたが、その論文の価値については、見解の相違としか言えません。だからこそ、両論併記が必要なのです。--Nife 2009年12月3日 (木) 00:09 (UTC)
- 日本物理学会誌は、日本物理学会が発行する雑誌の1つではありますが、査読が保証される論文誌ではなく、厳密さを求めない「機関誌」です[4]。あなたが「説得性」などの曖昧な言葉で抗弁しても、当該誌はpeer reviewedではありませんので百科事典の出典としての信頼性を欠いてます。ここはあなたのように、論拠の信頼性すら確かめずに主張を行う場ではありませんよ。--s-kei 2009年12月3日 (木) 10:10 (UTC)
- 日本物理学会誌は論文誌ではなく機関誌ですから、Nife さんが過大に評価しすぎです。投稿を受けた場合は余程のことがない限りは載るものです。意外でしょうけれど、日本の学会機関誌はそんなものかと思っていただくよりありません。--Su-no-G 2009年12月3日 (木) 10:33 (UTC)
- S-keiさんが日本物理学会の投稿規程をリンクしてくださっているので、冒頭の文章をよく読んでください。「その採否は会誌編集委員会で決定する」と明記されています。日本で最初に設立された伝統のある学会の雑誌に載せられた原稿の価値をS-keiさんやSu-no-Gさんのように低く見ることには抵抗があります。日本物理学会の編集委員会を見下すのもたいがいにしていただきたいと思います。複数の方々による判断を軽視するのであれば、どんな学会誌に載った論文も引用可能かどうかの吟味をしなくてはならなくなります。wikipediaのような場でそのような判断をされるおつもりですか。日本物理学会誌に掲載された文章に反論があるならば、
どなたでも学会員2名の推薦があれば学会員になることができますので、同じ誌上で反論記事を書かれることをお勧めします。論理的に誤謬のない反論であれば掲載されることと思います。もっとも、たとえば「地球温暖化懐疑論批判」の議論18で、私たちはこのように考えている、しかし槌田は別の考えである。で説明が終わっていて、これを反論だといわれるなら笑止です。さすがに「私と考えが違うから槌田は間違っている」とは書いてありませんけれども、そんな反論では、反論する方々が正しいことの証明にもなっていません。こんな中途半端な反論では日本物理学会誌にさえも掲載できないでしょう。もっとも、この場はそこまでの独自研究を評価する場ではありません。権威ある複数の人々(たとえば、日本物理学会の編集委員会)が論理的に矛盾がないと認めた文章にけちをつけるのではなく、地球温暖化の懐疑論にはどのようなものがあり、どのように反論されているのかを公平に判りやすく解説することが私たち執筆者の役目です。--Nife 2009年12月5日 (土) 15:39 (UTC)【一部訂正】--Nife 2009年12月5日 (土) 22:26 (UTC)
- 同じ日本物理学会の雑誌で査読が保証されているのはJPSJで、こちらならば"qualified referee"によってチェックされ[5]、百科事典で出典にできるだけの信頼性が保証されます。しかしながら「日本物理学会誌」は単なる機関誌で、査読が保証されていないことには変わりありません[6]。従ってあなたの想像のように「権威ある複数の人々が認めた」かどうかも、保証されていません。長文の執筆ご苦労さまですが、想像だけで出典の信頼性を誤魔化そうとするのはお止め下さい。---s-kei 2009年12月5日 (土) 21:06 (UTC)
- 何回も書きますがs-keiさんの出典には「その採否は会誌編集委員会で決定する」以上のことは書かれていません。「日本物理学会誌の記事は信用できない」ということの情報の出典の明示を依頼します。わたしたちにできることは、日本物理学会誌にこのように記事が掲載されているという事実を記載するのみです。--Nife 2009年12月5日 (土) 22:26 (UTC)
- 重ねて言いますが、日本物理学会誌の投稿規定には査読をするとは書かれていません。勝手に査読だとこじつけられませんように。--s-kei 2009年12月5日 (土) 22:41 (UTC)
- さらにもう一つ。「同じ誌上で反論記事を」書くべきだとおっしゃるならば、まず懐疑論の記事を書かれた方(槌田氏、もしくは貴方?)が、ScienceなりNatureなりPNASなりの論文に数多掲載されている温暖化肯定のデータを、同じ場で否定して見せるべきです。しかしgoogle scholarで検索しても分かります通り、そもそも槌田氏にはそういった当該分野の主要国際論文誌への掲載業績自体がありません。そのような信頼性の基準を満たさない情報だけを絶対視して"この査読のない機関誌にも反論を投稿してから記事を書け"などと要求する人が、「公平」を口にするとは。屁理屈にもほどがあります。--s-kei 2009年12月5日 (土) 22:41 (UTC)
- また、私は「日本物理学会誌の当該記事は査読が保証されていない=百科事典の出典としての信頼性を欠く」と指摘しています。勝手に文章を書き換えて、私が"日本物理学会の記事すべての信用を疑っている"かのように見せかけるのはお止め下さい。--s-kei 2009年12月5日 (土) 22:56 (UTC)
- 私のコメントが信用されないことについては私の不徳の致すところとしてあきらめますが、Wikipedia:信頼できる情報源#査読された科学出版物を参照し、学会のコンセンサスをチェックする が求めている「査読」(peer review) は、機関誌たる「日本物理学会誌」では行われていないことは分かって下さい。その点に嘘はありません。査読のある論文誌でも、編集部が査読を行うことはありません。--Su-no-G 2009年12月7日 (月) 10:12 (UTC)
- S-keiさんが日本物理学会の投稿規程をリンクしてくださっているので、冒頭の文章をよく読んでください。「その採否は会誌編集委員会で決定する」と明記されています。日本で最初に設立された伝統のある学会の雑誌に載せられた原稿の価値をS-keiさんやSu-no-Gさんのように低く見ることには抵抗があります。日本物理学会の編集委員会を見下すのもたいがいにしていただきたいと思います。複数の方々による判断を軽視するのであれば、どんな学会誌に載った論文も引用可能かどうかの吟味をしなくてはならなくなります。wikipediaのような場でそのような判断をされるおつもりですか。日本物理学会誌に掲載された文章に反論があるならば、
私はいたずらに冗長な原稿にすることを主張しているのではなく、懐疑論とその反論、場合によっては反論の反論(今後、書き足させていただきますね)を等しく簡潔にわかりやすく紹介することが百科事典として求められていることだと主張しています。そのときの文章量は5分5分(懐疑論+反論の反論vs.反論)が原則であり、一方はリンクを読んでねというのは片方に加担することになると指摘しているのです。--Nife 2009年12月2日 (水) 21:21 (UTC)
- 5分5分が原則、や加担、というのはあなたの独自基準と存じます。--s-kei 2009年12月2日 (水) 23:05 (UTC)
- どのように編集合戦を治めるのかを相談しているのですから、目安を示すのは当然だとおもいます。誰もが編集することのできるWikipediaでは一方に加担する文章は存続できません。--Nife 2009年12月3日 (木) 00:03 (UTC)
- 信頼性で劣る情報でも、特筆性を理由に取り上げる事は可能です。しかしその際は、信頼性が劣ることも分かるように書くのが適切でしょう。上記であなたは査読すら受けない情報を絶対視されているようですが、それを他の査読を受けた情報と同等の信頼性に見せかけたいならば、どこか他のサイトでやって下さい。--s-kei 2009年12月3日 (木) 10:21 (UTC)
「明日香論文で槌田の○論文が取り上げられている(引用数)」、などを見ても議論の能力がない人との疑問さえ出てきますね。それはimportanceではなくvocalの度合いでしょう。きりがないようなら、自分でも素人と認めてるようですし、ホントに投稿ブロック等も考慮に入れたほうが良い(もう入ってるのか)。特に「削除ではなく修正しろ」と人にさせようとする点が不適当--Panksepppp 2009年12月3日 (木) 02:46 (UTC)
- 前の段にも書いたとおり、日本物理学会を侮ってはいけません。論理的に矛盾がある原稿を編集委員会が見逃すはずはありません。科学の発展のためには学説に対する反論を大切にすることがいかに大切であるかを日本物理学会はよく理解しているからこそ、掲載するという判断がされているわけです。端的に言わせていただければ、気象学であれ、海洋物理学であれ、物理学の一分野であり日本物理学会の範疇でしょう。狭い専門領域の学会仲間で「うん、うん、そうだよね」と確認することが査読であるなら、科学は天動説の教会にも勝つことはできなかったでしょう。日本物理学会は、大所から「こんな考え方もあるんだよ」という論文を掲載させたわけです。私たちは、日本物理学会の学会誌にこのように記載されていると客観的に書けばよいのです。--Nife 2009年12月5日 (土) 15:39 (UTC)
- 侮るも何も、どこの学会であろうと査読が保証されていない限り、どんな人がどれだけ内容をチェックしたのかが不明です。「見逃すはずはない」というのはあなたの想像に過ぎません。加えて貴方は上の方で「科学者は何故間違うのか」と人がミスをする可能性に言及していますが、なぜ自分が支持する記事だけ、採否に関してミスが無かったはずと断言できるのですか。ここは貴方の妄想や屁理屈を垂れ流すための場所ではありませんよ。--s-kei 2009年12月5日 (土) 21:06 (UTC)
- 日本物理学会誌に掲載された内容には間違いがないなんてことは一言も言っていません。むしろ、たとえ査読があったとしても間違う可能性があるからこそ、本稿地球温暖化に対する懐疑論が成立するわけです。槌田の著書「CO2温暖化説は間違っている」(第2刷加筆)のp.136には、2005年4月に日本物理学会に投稿してから、気象専門家の閲読者による判定結果の通知、その後の編集委員会とのやりとりがあり、2007年2月号に掲載されたという経緯が記載されています。日本物理学会誌は投稿原稿が何でも掲載されるなんていうものではありません。--Nife 2009年12月5日 (土) 23:51 (UTC)
- 「どの程度の専門家による、どの程度までのチェックが行われたのか」が本人の主張以外で確認できないのでは信頼性は劣りますし、"信頼性を保証するに足る査読が為された"と断言することも出来ません。またそもそも槌田氏には当該分野の主要国際論文誌への掲載業績自体が見あたりませんので、いずれにせよその主張内容は信頼性で劣ります。信頼性の劣る情報を、他の信頼性が明示された情報と同列に扱う必要はありません。--s-kei 2009年12月6日 (日) 00:37 (UTC)
- 槌田の著書の当該箇所を転載したと思われるものをネットの某所で見つけたので書きます。それによると、気象学者によって『気象学者を査読者として、私の論文を採用しないと通知してきた』のち、『編集委員会とかけあって』掲載が決まったそうです。要するに、査読に通っていないまま掲載されたということです(そうでないなら、『再査読の後受理された』と書くはず)から、内容の信頼性ははっきり劣ります。ついでに、その後、阿部修治による反論がただちに掲載され、槌田の再反論は掲載されていないそうです。Hoyt 2009年12月6日 (日) 07:57 (UTC)
- 後出しになって申し訳ありませんが、槌田の論文[7]を確認しました。そのP.3 には『この現象を理解するには,人間が排出したCO2 を含め,余分のCO2 はすべて海水などに吸収されたと考えればよい』として、海水の吸収量がプラスであるとしていますが、P.6 では『温度が高くなってこの海域や周辺海域の海水がCO2 を放出したと考えれば,この現象は理解できる』として、海水の吸収量がマイナス(放出量がプラス)としています。これって論理的な矛盾ですよね。というわけで、Nifeさんの主張『論理的に矛盾がある原稿を編集委員会が見逃すはずはありません』というのは間違いです。Hoyt 2009年12月7日 (月) 00:02 (UTC)
- 後出しでも一向に構いません。お互いに勉強しながらここに参加しているのですから。しかし、Hoytさんがいくら矛盾だと思ってもそれは独自研究だからWikipediaに書くことができません。とは言うものの、Hoytさんの誤解を少しだけ解くために、Nifeの独自研究も書いておきましょう。まず、気象庁の解説「海洋の温室効果ガスの知識」をみてください。人間が排出する二酸化炭素は年間64億トン。海洋が吸収する二酸化炭素は年間700+222=922億トン。海洋が放出する二酸化炭素は706+200=906億トンだそうです。槌田は、「人間が排出する二酸化炭素の量は、海洋からの出入りの1割にも満たないので、あらかた海洋に吸収されてしまう。大気中の二酸化炭素濃度の増加は、海洋から排出される二酸化炭素の量で決まる。」といっているんだと思います。気候のシミュレーションは、大きな要素から順番に計算に取り入れるべきです。海洋が吸排気する二酸化炭素の量に比べたら、人間による排出なんて誤差の範囲だと言っていると解釈してもよいでしょう。だから、まったく矛盾ではないのです。更に独自研究を重ねれば、気象庁のその記事には「海洋は、大気中に存在する量の約50倍もの炭素を蓄えており、巨大な炭素の貯蔵庫です。」と書いてありますが、約50倍というところが大間違いです。大気中に20%ある酸素は元々海水中の二酸化炭素を藻類などの植物が光合成により分解して取り出したものです。大気中に約0.04%しかない二酸化炭素と比べても500倍の量になり、酸素を作りすぎたからといって海水の二酸化炭素濃度が減ったということもないのです。深層海洋には途方もない莫大な二酸化炭素が眠っているのです。他の惑星の大気中の二酸化炭素量を比べた記事を見てください。地球が水の惑星であるがゆえに、膨大な量の二酸化炭素が海洋に閉じ込められているのが地球の姿です。逆に言うと海洋は、巨大な二酸化炭素の受け皿であり、その容量(キャパシティ)はほぼ無限大(740mより深い海の圧力中では二酸化炭素は固体もしくは液体であっていくらでも存在できる。さらに二酸化炭素は地殻に石灰石のような鉱物の状態でも存在している。)です。たったの50倍という気象庁の記事は少なすぎるのです。このような独自研究を本編記事に書くことができなくてとても残念です。--Nife 2009年12月7日 (月) 15:29 (UTC)
- 個々の主張については、槌田敦の項目へどうぞ。ここで当該分野の主要国際論文誌への掲載業績自体が見あたらない方の主張にいちいち付き合っていると、キリがありません。議論の引き延ばしはお止め下さい。--s-kei 2009年12月7日 (月) 16:28 (UTC)
地球温暖化に対する懐疑論の保護解除後に、「日本物理学会誌にこう記載されている」という事実を同誌を出典として私が書きます。「同誌が機関紙である。」というのは出典のある情報ですから、これも書き加えておきます。ただし、「同誌の内容に信用がおけない。」という出典のある情報は現時点では示されていませんから、無暗に削除することはお控えください。--Nife 2009年12月5日 (土) 23:51 (UTC)
- というわけで、客観的な情報としては、「物理学会誌に載った論文は気象学者による査読によって拒否された後、再査読を経ずに掲載された」「阿部修治による反論が物理学会誌に掲載された後、槌田の再反論は掲載されていない」というところでしょうか。Hoyt 2009年12月6日 (日) 07:57 (UTC)
- 「再査読を経ずに」は憶測ですので記載できませんが、「阿部修治による反論が物理学会誌に掲載された後、槌田の再反論は掲載されていない」という部分は、進行中の事態ではありますけれども現時点の状況として正しいことが出典により確認できますから記載しましょう。--Nife 2009年12月6日 (日) 21:29 (UTC)
- 加えて、「(JPSJのように)最終的な採否に際してqualified refereeによる査読が保証されていない、しかも厳密さが求められない」情報です[8]。--s-kei 2009年12月6日 (日) 23:35 (UTC)
- 上に書きましたが、文字通りの論理的矛盾が見つかってしまったのですが、どうしましょうか。Hoyt 2009年12月7日 (月) 00:02 (UTC)
- 槌田敦の項がやや寂しいようですから、そちらに書いてあげると読者の参考になるかも知れませんね。--s-kei 2009年12月7日 (月) 09:47 (UTC)
そろそろクギを刺しておきますが、これまでの議論においてNife氏は
- 出典の信頼性に関する指摘を受けても誤りを認めず、”おまえが反論を投稿しろ”などの屁理屈や、指摘事項から観点をずらした主張を繰り返し、議論を長引かせておられます。これはWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに相当する、不適切な編集態度です。
- このような公共性の高い場において、当該分野における国際的な主要学術誌にて業績が認められている人の解説を「ファシズム」と侮辱しておられます。これは荒らし行為(Wikipedia:荒らし#めだちたい荒らし)です。
こうした行為はいずれも、Wikipediaの方針に反しています。ここは百科事典であり、ディベートごっこのための場所ではありません。以後お控え下さるよう、お願いいたします。--s-kei 2009年12月7日 (月) 16:23 (UTC)
- 断っておきますが、ファシズムといって侮辱したのではなく、エコファシズムだと申し上げたので、当人が善意の人であることが私の主旨です。読み間違いをしないようにお願いします。また、議論を長引かせるつもりはなく、双方の主張が読者によくわかるようにすることが私たちの役目だと申し上げていることが、自分たちの主張と相容れないからといって排除するのは、それこそWikipedia:荒らしだと申し上げます。Wikipediaは専門家だけが記述する場所でないことを認識してください。じっくりと議論することを妨げないでください。--Nife 2009年12月10日 (木) 14:57 (UTC)
- S-keiさんは当初は「エコファシズム」としっかり返していますしエコファシズムを読んでも良い意味で使われる表現ではないですから、お控えくださいということです。「自分たちの主張と相容れないからといって排除する」ことへの異論や「Wikipediaは専門家だけが記述する場所でない」と言えば聞こえが良いです。が、「wikipedianの権利」とのご主張と同じく「誤解・不理解を書き連ねて良い自由」ではないことを認識してください。またNifeさんは議論と思っているのかも知れませんが、議論になっていないNifeさんの誤解・不理解の数々に「じっくりと」付き合わせることを、聞こえの良い表現で正当化しないでください。wikipediaのノートはNifeさんへの大学教育を代行する場ではありません。--ClimaScience 2009年12月11日 (金) 01:53 (UTC)
- 何より、素人が書き込むなとはs-keiさんも私も言っていません。s-keiさんは「中途半端な人が書いても専門家が書いても、百科事典として出典の信頼性が劣るものが優先されてはいけません」と、小生も「素人の疑問と専門家の見解とを同列」に扱うことがいけないと言っています。それを、「専門家だけが記述する」といったかのように歪曲されないでください。あなたはこの現状を「排除され妨げられている」と思っているのかも知れませんが、誰が書こうが「誤解・不理解を書き連ねて良い」のではないということです。--ClimaScience 2009年12月11日 (金) 01:53 (UTC)
- 地球温暖化の理論により、総ての人類に二酸化炭素排出削減という労苦を強いるのですから、総ての疑問に誠実に対応する責任があると思います。それを、学会の主流の考え方ではないとか、新しい考えで認められていないとか、疑問の本筋に真っ向から対応する姿勢を示せないのが二酸化炭素による地球温暖化理論だということが、どんどんと露呈していることに気がつかないのでしょうか。もし論理的に可笑しな疑問であれば、論理的に論破すればよいのです。でも、自分の考え方と違うからあなたは間違っているという論法が多すぎるんです。そもそも、現在主流である地球温暖化理論と真っ向から違う疑問や考え方なのですから、主流派の学説と異なって当たり前であって、懐疑論が主流派の考え方と違うということをいくら主張されても、懐疑論はびくともしません。そして、Wikipediaにあっては、私たちのような中途半端な者がどんどん書き込みますから、これを排除することは不可能です。その前提に立って双方がどのように折り合いを付けるのかを提案されたほうがよいでしょう。ここは学閥で支配できる学会とは違うのです。そして、優先もなにも、懐疑論は地球温暖化の本編記事から遥かかなた、現実には地球温暖化に関する論争を挟んで2つも遠くの地球温暖化に対する懐疑論という記事に押し込められています。この状況でどんなに書き込んでも決して「優先」にはならないことを理解してください。初めから同列では決してないのです。しかも、ここを追い出したりしたら、本編の地球温暖化の記事に反論が山のように書き込まれる事態を招きかねません。現時点で世間の常識となっている地球温暖化理論は、この地球温暖化に対する懐疑論にいくら書き込まれても、揺るがないとお考えになるくらいの信念を人為説論者には持っていただきたいものです。それとも足元から理論が崩されていくのがそんなに怖いのでしょうか。もし、私が二酸化炭素による温暖化理論を信じていたら、すべての懐疑論をここに記述させておいて、その総てを論破することを計画しますけどね。「敵のために書く」とはそういうことです。いずれにしても、書くことを止めさせることを意図した言動は全く効果がありませんから、作戦を練り直したほうがよいと思います。つまり、双方がいかに合意点を見出すかということに普請してください。そのパワーバランスによって中立が保たれるのです。--Nife 2009年12月21日 (月) 15:44 (UTC)
- あなたが懐疑論を信じられているのはもう知っていますので、いちいちご自身の見解を繰り返される必要はありません。せっかくの長文ですが、あなたがWikipedia:検証可能性を満たさないような、信頼性の劣る情報源ばかりを挙げられていることには変わり有りません。--s-kei 2009年12月21日 (月) 22:18 (UTC)
- 信頼性の無い情報はいくらでもつくれますから、この記事でとりあげるにしても限度があります。下方で分割の目安も提示していますが、それで何がご不満なのか、よく分かりませんね。--s-kei 2009年12月21日 (月) 22:18 (UTC)
- 1ヶ月経過しましたので、この件は合意成立と見なします。#ローカルルールにまとめました。--s-kei 2010年2月9日 (火) 16:47 (UTC)
編集方針
[編集]特定の出典の「信頼性の無さ」の検証にえらく時間がかかりましたが、まぁこれも参考にしつつ、編集方針を考えてみましょうか。
- 信頼性が検証できない(Wikipedia:検証可能性を満たさない)情報源の扱い:
- 信頼性のより高い情報源の記述が優先される。(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価を参照)
- 特筆性を理由に、信頼性のある情報源と対比する価値はあるかも知れない。しかし、文章量を同量にする必然性は無い。(信頼性の異なる情報を同等に見せかけることは、「中立」ではない。仮に同量にするとなれば、Wikipediaの他の記事も、それぞれ半分を信頼性の無い内容で埋め尽くせることになってしまう)
- 全てを取り上げる必然性がない。(幾らでも偽造できるので、いちいち載せていたらキリがない)
- 「査読が保証されていない」旨を注記するなど、極力、信頼性の差が分かるように記述する。信頼性の検証可否を誤認させるような書き方は、避ける。
- 信頼性の判断基準:
- 査読があるかどうか。(Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性を評価するを参照)
- その分野の専門家かどうか。(専門分野が違えば教授でも有名人でも文章の上手な人でも、知識的には「素人」の可能性がある)
- その分野の主要論文誌への掲載業績の多い専門家かどうか。
- その分野の専門誌かどうか。(その分野により詳しい人にチェックされているかどうか)
- その分野の世界的かつ主要な学術誌かどうか。(より多くの、より知識のある専門家にチェックされているかどうか)
- 公的機関の見解かどうか。
- その分野で権威のある公的機関の見解かどうか。
- 英文の論文か、それとも日本語か。(世界の専門家にチェックされやすいかどうか)
- 最終的な掲載に際して専門家による査読を受けたことが何らかの形で明示されていないならば、出典としての扱いは「査読を受けていない出典」に準ずる。(「査読を受けた出典」と言いながら、「実は査読を受けた際は全て拒否されていて、しつこく再提出した末に専門家による査読を受けずに掲載された」などという屁理屈はダメ)
こんな感じですかね。--s-kei 2009年12月7日 (月) 16:23 (UTC) 一部追記:--s-kei 2009年12月7日 (月) 18:17 (UTC)
- Wikipedia:信頼できる情報源#査読された科学出版物を参照し、学会のコンセンサスをチェックするを尊重しますが、「ウィキペディアは正確さと同時に有用であることも目指していますので、それぞれの考えを持つグループの学説や実験に基づく考察を、公刊された情報源を参照した上で、説明するよう努めます。」のように但し書きされていることにも留意をお願いします。査読のある学術論文に掲載されている地球温暖化について調べたい読者は地球温暖化の記事を読んで十分に満足することができるでしょう。しかし、本稿地球温暖化に対する懐疑論を読みにくる読者は、懐疑論で指摘されていることと、それに対する反論等々の状況がまとめて書かれていることを期待しています。現状で査読のある論文が少ないことを大前提に記述をしていくことが必要だと考えます。実際のところ「懐疑論」にも査読がありませんが、「懐疑論への反論」にも査読がありません。査読のある論文からの記事を引用することはできても、その記事は懐疑論への反論として書かれていないものですから、これを反論とするためには情報の合成をしなければなりません。ですから「懐疑論」(槌田の日本物理学会誌)も「懐疑論への反論」(安部の反論、明日香らの地球温暖化懐疑論批判)も出典記事が査読されていないレベルで同等になってしまいます。しかし、そのいずれも本稿に記載されるべき内容なので、5分5分の記述が必要だと申し上げているのです。「もしも不確実性や論争があるとしたら、読者がそれに気付くように書いてください。」ということに対応して、本稿の冒頭で査読論文の集大成であるIPCCが引用され温暖化の本論の記事への誘導がされていることにも留意すべきであり、懐疑論が学会の多数派でないという事実がわかるようにしてあります。本稿は、Wikipedia:中立的な観点#争いのある主題についての長い記事にある「もしもより具体的な点についての具体的な議論があるのなら、それについて説明する専用の記事があるのもいいでしょう。」に相当します。--Nife 2009年12月7日 (月) 17:28 (UTC)
- わたしは懐疑論との比較記事の存在まで否定していませんし、既に述べています。わざわざ原則論を繰り返して、私がそれをわかっていないかのように見せかけるのはお止め下さい。姑息な。--s-kei 2009年12月7日 (月) 18:17 (UTC)
- 貴方が屁理屈をこねても、温暖化を否定する槌田氏の懐疑論はWikipedia:検証可能性を満たしていません。そのような情報はいくらでもねつ造が可能ですので、「記載すべき」とは限りません。--s-kei 2009年12月7日 (月) 18:17 (UTC)(*1)
- 両方の意見が査読を受けていなければ、その意見を述べた人(や機関;追記しました)の信頼性を比較することになります(Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性を評価する)。懐疑論への反論はその分野で世界的に認められた業績の多い人やそういった方が多く所属する公式機関による「権威づけられた専門家による公表物」です。たとえ懐疑論との比較専用記事であろうが、査読すら保証されない出典と「同等」に扱えという貴方の主張は、百科事典としての方針に反しています。--s-kei 2009年12月7日 (月) 18:17 (UTC)
- 「査読されてなければ信頼度が同等」というのでは査読が何かまったくわかっていないとしか思えません。査読を通過した論文の信頼性はそもそも当該分野の専門家が認めたというところから来ているわけですから、査読の信頼性を認めるなら、専門家が書いた文章の信頼性も(査読を通過したものと同じではないにしろ)認めないと意味がありません。まるっきり専門家から支持されていないものと五分五分の記述をする必要はまったくありません[9]。どっちが信頼性が劣るのかはっきり書くべきです。Hoyt 2009年12月8日 (火) 00:01 (UTC)(*3)
- Nife氏が身を以て注記強化の必要性を示されていますので、記事冒頭に貼る注意書きも作りましょうか。
こんなとこですかね。--s-kei 2009年12月8日 (火) 12:42 (UTC)
- このテンプレートを付けるのは良いことですね。賛成いたします。しかし、懐疑論の中身とその反論を読みやすく並列に記述することをローカルルールにすることが必要です。s-keiさんの提案内容は、信頼性の判断基準の提案ですが、その基準を適用したところで、どの専門家が信用できてどの研究者が信用できないのかをWikipedianが決めることは情報の合成であって独自研究になります。英語で書かれた論文を尊重することは科学の世界では当然なのでしょうが、Wikipedia日本語版では当然ではありません。専門家の研究を鵜呑みにしたければ地球温暖化の記事を読めばいいのであって、本稿を専門家の研究成果を一方的に鵜呑みにする態度で記述しても良い記事にはなりません。もちろん同様に、懐疑論を述べる研究者の内容を鵜呑みにする態度もいけません。読者に様々な観点からの知識を紹介するためにwikipedianにはいろいろな観点をもった人が参加しています。その誰もが記事を編集する権利をもっています。両者5分5分の記述になっていなければいずれ編集合戦が再発してしまうでしょう。このノートではwikipedianの権利を侵害することなく編集合戦を治めるローカルルール作りが求められます。wikipedianの誰かが情報を書き加えたときに、その情報を抹殺する態度のIPユーザーがいたことが今回の編集合戦の始まりでした。例えばピエール=ジル・ド・ジェンヌの件にしても、1990年代にノーベル物理学賞受賞者が懐疑論を述べたという情報は記述する価値があり、1990年代の懐疑論という節を起こせば納まりが良かったのかもしれません。このことは改めて検討しましょう。ここではs-keiさんのテンプレートを前提に、排除の論理ではなく、組み入れる論理でローカルルールを決めていただきたいと思います。--Nife 2009年12月8日 (火) 21:19 (UTC)
- 「専門家の研究」も「懐疑論を述べる研究者の内容」も鵜呑みにする態度ではなく「両者5分5分の記述」であるべきと言えば聞こえが良いです。が、例えばピエールの発言に対して、経緯や内容を理解しないまま懐疑論として今とりあげるというのは、単なる不理解と誤解です。また槌田敦関連でも、ここで取り上げたい方には、科学について数々の不理解があるようです。差し戻しをしてきたIPユーザーさんも、不理解や誤解についてノートで説明すれば良かったのでしょうが、当然すぎて、いちいち説明するのが面倒なのでしょう。丁寧な説明をされるs-keiさん、Hoytさんには頭が下がります。「wikipedianの権利」と言うのも聞こえ良いですが「wikipediaに誤解を書き連ねて良い自由」ではないですから、慎重になって頂ければ幸いです。--ClimaScience 2009年12月9日 (水) 04:37 (UTC)
- 私が上記に示した判断基準はWikipedia:信頼できる情報源#査読された科学出版物を参照し、学会のコンセンサスをチェックするに沿ったものです。「尊重する」と言いながら、それを否定するような屁理屈を書くのはおやめ下さい。また既にClimaScienceさんがフォローされてますが、Nifeさんは検証可能性を満たさない情報を次々に持ち出して、議論を無用に長引かせています。以後お控え下さい。--s-kei 2009年12月9日 (水) 15:28 (UTC)
- 検証可能性を満たさない情報は掲載を保証できません。その程度の情報はいくらでも偽造可能ですので、無制限に掲載される危険があるからです。また重ねて書きますが、信頼性の異なる情報同士を「5分5分」に扱う必然性もありません。長文の屁理屈で誤魔化そうとするのはおやめ下さい。--s-kei 2009年12月9日 (水) 15:28 (UTC)(*1)(*3)
- ピエールの話((1)主な温室効果は水によるものであり、炭酸ガスにあるのは水が及ぼすものを補正する程度のわずかなものでしかない、 (2)海洋への炭酸ガスの吸収と放出サイクルの時間の長さが不明である、 (3)未来の気候を予言するために用いられるモデルは、現在の気候さえも正しく説明できていない、 と「炭酸ガスによる地球温暖化」を痛烈に批判している。)が発端との事ですので、それについて。(1)の温室効果の寄与の割合で水蒸気が大きいのは懐疑論ではなくて当たり前の話です。ただ、どう変化するかについては、水蒸気量の変化がトリガーなのではなく、温室効果ガスの変化によって引き起こされる、と言う単純な話。(2)はかつては未成熟であった海洋大気結合モデルの話のようですが、どの程度の理解で不明だとしているか分からないので痛烈な批判になっていないです。昔話ですが、気候学者達もその不十分さを認識しており、それらをモデルに組み込んでいった経緯があります(松井孝典で検索するとよい)。(3)もどの程度の気候をモデルが再現しているかという精度問題で「正しく説明出来ていない」と批判しているのか不明ですので、痛烈な批判になっていないです。このようなピエールの話を懐疑論だと思い、ここで取り上げようとする読み手の基礎理解がなっていないことを示してもいます。仮に取り上げるなら、単純な誤解について説明する必要がありますし、特に(2)は現状の科学理解の段階からは立ち遅れた話であることも示す必要があります。--ClimaScience 2009年12月9日 (水) 04:18 (UTC)
- いちいち相手してるとキリが無いので、同様の主張ごとにまとめておいて、公的機関によるQ&Aなどでまとめてバッサリ斬って捨てれば良いかと。--s-kei 2009年12月9日 (水) 15:28 (UTC)
まず、編集方針の前提の合意ができていないことがs-keiさんの提案された編集方針に合意できない原因だと思っています。この懐疑論の記事の目的を、これまでの検討を踏まえて整理すると、
- 懐疑論を宣伝することではない。
- 懐疑論を否定することではない。
- どのような懐疑論があるかを知識として広く紹介し、それについての反論や再反論の論争がどのようになっているかを紹介すること。
- そのために信頼性の劣る情報源も使用するが、そのことが読者にはっきりと判るようにすること。
となると思います。まず、この目的についてご意見をください。私(Nife)は、この目的からいって、
- 「全てを取り上げる必然性がない。」に反対です。たとえ1文であっても、全てを取り上げる方向性を求めます。もちろん、全ての懐疑論を同じ文章量で紹介することを求めていません。
- 文章量を多く記載する価値のある懐疑論には、自然に反論や再反論が次々と公表され、それを平等に紹介するだけで多くの文章量が必要になります。恣意的に文章のサイズを限定する必要はありません。もちろん、簡潔に読みやすく編集することは大切なことですが、情報が減ることには賛成できません。
- 取り上げた懐疑論の個別の論点毎について、中立性の観点から、反論を5分5分の分量で書くことが必要です。
のようにs-keiさんの編集方針に合意できない部分が残ります。--Nife 2009年12月18日 (金) 23:42 (UTC)
- 既に論破された主張を、言葉を変えるだけで繰り返すのはおやめ下さい。
- 信頼性を欠く情報はいくらでも偽造できるため、全てを記載することは保証できない(*1)。
- 特筆性を記述するだけならば全てを取り上げる必然性はなく、量が多すぎれば読者に信頼性に関する誤解を与える(*2)。
- 信頼性の異なる情報同士を「5分5分」にとり上げることは、逆に中立性を欠く(*3)。
- いずれもこれまでの過程で論破されています(対応箇所に印を付けておきました)。--s-kei 2009年12月19日 (土) 00:42 (UTC)
- 納得のいかないことに合意できないと申し上げています。「貴殿の主張と異なる」ことと「論破されたということ」とは異なります。--Nife 2009年12月19日 (土) 02:20 (UTC)≪1文字誤植削除≫--Nife 2009年12月19日 (土) 05:59 (UTC)
- いずれにせよ、あなたが有効な反論を示さないままに繰り返している事に変わりがありません。言葉遊びはおやめ下さい。--s-kei 2009年12月19日 (土) 05:00 (UTC)
- 「納得がいかない」という合理的理由なしに合意をヤダヤダすれば、いつまでも合意せずにすみますし、合意に至りません。それは無意味です。貴殿が納得いかないということと「論破されたということ」とは異なります。--ClimaScience 2009年12月19日 (土) 06:52 (UTC)
- 言葉遊びの訳がありません。真剣にお話しているのですから、止める訳にはいきません。(1)「いくらでも偽造できる」という言い方をされているのですが、本当にそうでしょうか。懐疑論の記事がそれで溢れ返って収拾がつかなくなると勝手に予測されるのは結構ですが、そのようになってから対処しても遅くない話です。執拗に予防線を張られることが合意を妨げています。(2)懐疑論が沢山あることは事実です。同じ論旨はまとめて記述することが可能ですが、違う論旨の懐疑論については網羅的に紹介するべきです。(3)世間では、現在の気象学会に信頼性があると信じられていないから、こんなに沢山の懐疑論が続出しているんですけどね。それでも、信頼性の序列を決めたい仰るので、情報源の質を判るように明示することには同意し、その方法を検討しているところです。私自身は懐疑論者に組する分類になると思いますが、Wikipediaでは「敵のために書く」ということも心がけております。懐疑論派も肯定論派も合意に参加できるように、まず、この地球温暖化に対する懐疑論という記事の目的から検討してください。--Nife 2009年12月19日 (土) 05:59 (UTC)
- 「溢れ返って収拾がつかなくなる」「ようになってから対処しても遅くない」と言われますが、もとより書かなければすむ話です。「網羅的に紹介」することで百科事典ではありません(項目は網羅的ですが)。「世間では、現在の気象学会に信頼性があると信じられていない」に関して信頼出来る出典をお示し下さい。このような真偽不明な情報は載せるもんじゃありません。--ClimaScience 2009年12月19日 (土) 06:52 (UTC)
- 重ねて言いますが、信頼性が無い情報はいくらでも偽造できます。言葉遊びで誤魔化そうとされませんように。--s-kei 2009年12月20日 (日) 16:28 (UTC)(*1)
- 特筆性を理由に網羅的に紹介したければ、ある程度は記事を分割しても良いと考えます。ただし信頼性が劣ることには変わりないでしょうから、それにも限度はあるでしょう。--s-kei 2009年12月20日 (日) 16:28 (UTC)(*6)
- 「60KB」とサイズを明示することの是非ですが、あなたがこのノート等で実際に冗長な内容を書かれてきたこと自体が、必要性を示しています。--s-kei 2009年12月20日 (日) 16:28 (UTC)(*6)
- ノートではルールにより、他人の発言に手を加えないだけでなく、自分の過去の発言にも手を加えることができません。そのためこのような冗長な論議になることはWikipediaではよくあることであり、異常なことではありません。本編記事では沢山の編集者がよってたかって記事に手をいれますから、全く状況は異なります。その編集の積み重ねにより読みやすい百科辞典が出来上がると信じられているのです。サイズ制限は編集者の編集権を制限することであり、Wikipediaのやり方ではないと思います。--Nife 2009年12月21日 (月) 16:07 (UTC)
- 主張を有効な再反論なしに繰り返すなど、意図的に冗長にするような真似をされていることには変わり有りません。--s-kei 2009年12月21日 (月) 22:18 (UTC)
まず、記事の目的についての検討をお願いします。
- 懐疑論を宣伝することではない。
- 懐疑論を否定することではない。
- どのような懐疑論があるかを知識として広く紹介し、それについての反論や再反論の論争がどのようになっているかを紹介すること。
- そのために信頼性の劣る情報源も使用するが、そのことが読者にはっきりと判るようにすること。
修正案も含めて、ご意見をお願いします。記事の内容と情報源の扱いについては、この合意後の検討にしてください。なお、記事冒頭の注意書き案については、同意しています。--Nife 2009年12月20日 (日) 14:52 (UTC)
- 百科事典である以上、「信頼性の差を明示する」ことは求められますし、”より信頼性の高い出典によって否定されている事実”を記述することも有り得ます。脈絡無く懐疑論を次々持ち出して議論を長引かせている方が「宣伝が目的ではない」などと言っても、まるで説得力がありません。今更原則論などを持ち出して、議論を振り出しに戻そうとするのはおやめ下さい。--s-kei 2009年12月20日 (日) 16:07 (UTC)
- 止めろといわれて止めたら「懐疑論」が泣きます。ここで提示した記事の目的に合意されるかされないかをお答えください。私は、懐疑論が論理的に否定されるなら、それは結構なことだと考えていますよ。2項目目について、「懐疑論を、感情的にもしくは非論理的に、否定することではない。」にしてもよいです。--Nife 2009年12月20日 (日) 18:29 (UTC)
- 「懐疑論が泣きます」と感情に訴える論を自分でやってどうする?--ClimaScience 2009年12月21日 (月) 15:16 (UTC)
- 勝手に泣いててください。「掲載できる条件」を規定してしまうと、それに沿うように作られた懐疑論の記述を無制限に許してしまいます(特に3つ目などが危険ですね)。また遺憾ながら、これまでの貴方の言動はそれを狙っていると思われます。ここは百科事典であって、懐疑論の方が好き放題書くためのサイトではありません。--s-kei 2009年12月20日 (日) 18:52 (UTC)
- これで争点が明らかになりました。3項目ですね。確かに私は特筆性のある情報を含んだ懐疑論は総て記載する方向性を支持しています。S-keiさんは学会で認められていない懐疑論は総て書かないとはいっていないようですが、その基準が私には理解できません。S-keiさんが書くことを認めた懐疑論だけを書くつもりですか。--Nife 2009年12月20日 (日) 21:23 (UTC)
- いくらでも偽造できるからには量で制限するしかありません(*1)し、方針もすぐ上(*6)に書いています。有効な再反論なしに、書き方を変えただけで繰り返されませんように。--s-kei 2009年12月20日 (日) 23:07 (UTC)
- 記事の内容は以前から私だけが決めている訳ではありませんし、そのような主張もしておりません。一方、貴方の主張をまとめますと”俺が認めた情報は信頼性が無くても全部書かせろ”ということになりますが、ずうずうしいにもほどがあります。--s-kei 2009年12月20日 (日) 23:07 (UTC)
- 「俺が」と書いたことがあるならどこにあるか指摘してください。誰もが書くべきと考えている情報を持ち寄り、その情報を損なうことなく編集しましょうと申し上げているだけです。私の主張は「情報を減らすな」という一点に尽きます。それを利己主義みたいに曲解されて書かれるのはとても心外です。--Nife 2009年12月21日 (月) 15:55 (UTC)
- 「誰もが」というのは当てはまりません。言ってる端から”他の人も俺の考えと同じはず”と決めつけられませんように。--s-kei 2009年12月21日 (月) 22:18 (UTC)
- 一つの記事に無制限に詰め込むわけにもいかないので、現在のサイズを目安に要約・分割(*6)しようと言っているのですが。--s-kei 2009年12月21日 (月) 22:18 (UTC)
- 日本語は主語と述語が離れるので、誤読される書き方をしてしまいました。この記述は「それぞれの人が書くべきと考えている情報を誰もが持ち寄り、その情報を損なうことなく編集しましょう」です。それでは文章が溢れかえるという主張と真っ向から対立している訳です。--Nife 2009年12月26日 (土) 23:30 (UTC)
- 言い方を変えただけで繰り返すのはおやめ下さい。記事や文章が冗長ならば、情報を減らすこともあり得るでしょう。あなたは一度掲載された懐疑論を削除させないことを目的とされているようですが、その言質となるような条件は設定できません。--s-kei 2010年1月2日 (土) 00:10 (UTC)
- なお、こちらがつけた記号をそのまま使って誘導するような真似はおやめ下さい(修正させていただきました)。--s-kei 2009年12月20日 (日) 23:07 (UTC)
- 他人のコメントに手を付けるのはルール違反なんですよ。一応、指摘をしておきます。--Nife 2009年12月21日 (月) 15:55 (UTC)
- こちらが意図した箇所が識別しにくくなりますので、ご理解お願いします。--s-kei 2009年12月21日 (月) 22:18 (UTC)
- *数字というマークは特許だったんですね。知りませんでした。--Nife 2009年12月26日 (土) 23:30 (UTC)
- 他参加者を混乱させるような真似をしておいて、開き直られませんように。--s-kei 2010年1月2日 (土) 00:10 (UTC)
- 1ヶ月経過しましたので、この件は合意成立と見なします。#ローカルルールにまとめました。--s-kei 2010年2月9日 (火) 16:47 (UTC)
出典の書き方に関するローカルルールの提案
[編集]地球温暖化に対する懐疑論においては、さまざまなレベルの出典が必要です。しかし、糞味噌一緒では読者に誤解を与えるという強い懸念が表明されてきたと思います。そこで、<ref>
タグを使用するときに group= を使うことを提案します。
- 査読のある学術論文からの出典の場合は、
<ref group="論文">
- 公的機関の発表が出典の場合は、
<ref group="公的機関">
- 雑誌記事からの出典の場合は、
<ref group="雑誌記事">
- 商業出版物が出典の場合は、
<ref group="書物">
- 著名な人物のホームページやブログなどが出典の場合は、
<ref group="私的">
これについては、「情報源として受け入れられるかもしれません。」のレベルですけども、可能性としては許容されています。
このように分けることにより、読者はその情報源がどの程度信憑性があるかを自分で判断できるようになり、<references goup="雑誌記事">
のほうに「この区分の出典記事は、学術論文としてきちんと査読を受けていないものがあるので注意して参照してください。」と注釈を一括してつけておくことによって、本文記事中の個別の記述毎に「この報告は査読のある雑誌記事ではない。」などと書く必要がなくなります。また、参考文献リストもその段階によりきちんと整理することができます。--Nife 2009年12月10日 (木) 14:57 (UTC)
- 査読についてだとか、情報の信頼性だとかを分かっていないwikipedian、読者がいるのであれば、分類して簡略な注記をしたところで分からないままになるのは同様、もしくはかえって読者の混乱を招きますので、これはやめておいた方が良いでしょう。「(査読のある)論文」と一括りにされておられますが、査読のある論文を名乗っていてもその中で信頼性は分かれます。中にはISIにも登録されておらず、査読のある国際誌を名乗り何でもかんでも懐疑的な文章を載せている商業誌もあります。槌田の文献を「論文6つ」とカウントしたり、物理学会誌絡みの話でも査読の事を理解していなかったり、さらにはこのような分類を提案されているのは、Nifeさんの一連の認識不足です。そのような認識不足を記述をすれば、読者の混乱を招くのでおやめください。--ClimaScience 2009年12月11日 (金) 01:48 (UTC)(*4)
- Nifeさんの案では、査読の有無などの信頼性の差がわかりづらいです。せっかくのご提案ですが、これは賛成できません。--s-kei 2009年12月13日 (日) 16:27 (UTC)
- それぞれの主張について、信頼性に関する情報をわかりやすく付記せねばなりません。下記のように、注記を適宜付加する必要があると思います。
信頼性に関する注記付加ルール:
「当該事項に関して最も信頼性が高いと思われる情報」(判断基準は別記のとおり)に反する主張には、下記のように注記を付けること。
例:
- ~だから温暖化人為説は陰謀のはずである[1]。[要検証 ](査読無)(裏付少)
- →(反論等を追記)
また記事冒頭に下記のような説明も付けましょう。
この記事においては、信頼性に関して下記のような注記を付けています(→詳しいルールについてはノートページをご参照下さい)。
こんな感じですかね。面倒ならとりあえず[要検証 ]を付けておけば良い、ということで。--s-kei 2009年12月13日 (日) 16:40 (UTC)
- S-keiさんの案にほぼ賛成です。S-keiさんが2009年12月7日 (月) 18:17の版で示された信頼性の基準にもとづき、さらにNifeさんの提案を改善したものと伺えます。ただ「気候関係の学術雑誌の査読付き論文」であったとしても、その顛末を書かないと、読者の混乱を招く事があります。今wikipediaで編集が進められているクライメートゲート事件のノート中でのClimate Researchの件は、結果として「本雑誌は適切な修正を求めるべき」だったと編集者が認めた論文に関するものです。しかし、その顛末を書かなかった場合、あるいは編集者がその顛末を知らなかった場合に、それが査読付き論文で信頼出来るかのような闇雲な編集がなされ、結果としてwikipedia利用者の混乱を招くことを危惧致します。もちろんこのような事象は例外的なものですが、より慎重で、深く広い知識にもとづいた編集が進められていくことを願います。
- また、論文や査読など信頼性を考えない、あるいは知識を持ち合わせないでwikipediaを参照する人がいるのですから、そんな基本事項で記事に誤解が生じないようにする記述があった方が誤解を生じなくて良いでしょう。また「文章量で5分5分」が中立という、理解に苦しむ提案もあります。折よくこのノートで物理学会誌に関する誤解が長文で書き連ねられていますが、例えばこのような長文で埋められては、wikipediaの公益を損なうだけです。文章量ではなく、どれだけ正確・簡潔に内容を示すかが重要です。--ClimaScience 2009年12月14日 (月) 14:05 (UTC)
- はい、専門家の間でも意見の割れるような事項や訂正があった事柄については、そのまま顛末を書けば良いでしょう。また文章量ではなく、内容の正確さ等重要な点も同意します。信頼性の差を簡潔に分かりやすく示すことが肝要で、「5分5分」なんて制限は逆に誤解を助長するでしょう(私は最初から一貫して反対しています、念のため)。--s-kei 2009年12月14日 (月) 15:08 (UTC)
- 反対 簡潔な「要検証」「査読無」「裏付少」の三段階のマークを付けることには賛成できません。そもそも「地球温暖化」が現時点で学術的に広く認められた内容ですから、「懐疑論」はすべからく「その内容に反している内容」になり、「懐疑論」に一方的に「要検証」をつけるルールは中立性を欠いています。また、「学術的に広く認められた内容」であるかとか、「学術的裏付けが少ない組織・人物等」であるかをWikipedianが判定するのは独自研究です。「査読無」についても、査読があることの出典を探すことは容易ですが、「査読がない」ことの出典を探すことは当該ノートでの検討ぐらい大変なことであり、実際には出典のない独自研究とせざるを得ません。Wikipedianができないことをルールにしてはいけません。お互いにもう少し提案を練りましょう。--Nife 2009年12月15日 (火) 17:34 (UTC)
- 別に懐疑論に一方的に要検証をつけろと言っているんではなくて、信頼性の低い情報にはそうとわかるように書くということを言っているだけなんですから、なにも問題はありません。また、信頼性のところに書いてあるように、「編集者は複数の情報源を評価し、もっとも信頼できて権威があるのはどれかを決めなければなりません。」ということですので、Wikipedian が情報源の信頼性を判定するのは義務です。独自研究なんかではありません。中立性のところに書いてありますが、「われわれに課せられた任務は、その疑似科学が科学的な見方とあたかも平等に張り合うような説であるがごとく紹介するという何かインチキな「フェア」の概念に基づいて論争をフェアに描写することではありません。」ということですので、まさにそこに書いてあるように、疑似科学や広く認められていないトピックについての記事の中では、どの主張が主流派の科学者に支持されていて、どの主張が否定的に受け止められているかはっきりわかるように編集する必要があります。査読については、雑誌の方針にはっきり「査読をしている」って書いてなければしていないものとみなすのが普通です。まあ「無」という表現が問題なら「査読不明」とでもすればいいんじゃないでしょうか。同じことなので。Hoyt 2009年12月15日 (火) 21:38 (UTC)(*5)
- 「三段階」ではなく、いわば8段階ですよ。良く読みましょう。
- 「「懐疑論」に一方的に「要検証」をつけるルール」とはどなたが言われたのでしょうか?懐疑論ってそれほど信頼性に劣るとおもわれているのでしょうか。それに該当するものであれば、結果的にそうなる可能性もありますが、それはHoytさんも挙げられている信頼性、中立性を鑑みればそうなるものも多いでしょう。もちろん信頼性の高い懐疑論であれば、それらが付される事もありません。そもそも、本来は掲載出来ない有象無象を多く掬い上げている項目ですから、それなりの知識を持ちあわせた方が信頼性を判断して、読者に誤解が広まることを防ぐ必要があります。逆に、Nifeさんに限らずそのような誤解を信頼性があるかのように宣伝記述をされたいのであれば、wikipedia上ではなく、別の場所でなさってください。
- 「「査読がない」ことの出典を探すことは当該ノートでの検討ぐらい大変なことであり」は、よくご存じでなかったNifeさんが誤解を押し通した編集をされようとしていて、他の方がその誤解解消の説明に大変だっただけで、そもそも、分かっていれば起こりえないやりとりです。査読があるかどうかを調べることが「大変」という意味が分かりません。科学の信頼性を判断出来ない人が編集に携わろうとすると、確かにこのような面倒が生じるでしょうけど。そして、その辺に転がっているヨタ情報を、信頼性の判断もできないまま掲載する所ではありませんから、当然ながら、苦労して情報の信頼性を高めるべきでしょう。さらに、物理学会誌の規定に基づくのが「出典のない独自研究」とは誤解・不理解もたいがいにされてくださいませ。--ClimaScience 2009年12月16日 (水) 13:23 (UTC)
- ClimaScienceさんにあらかた言われてしまいましたが、「出典として同程度の信頼性があるけど意見が割れている」ような事柄ならば、注釈は不要のはずです。しかしWikipedia:検証可能性を満たさないケースまで注釈を拒否されるのは、読者に信頼性の差を意図的に見せないということになります。Nifeさんの意図に強い疑念を覚えます。--s-kei 2009年12月16日 (水) 14:18 (UTC)
意見ではなく事実を記載するという原則にどちらが則っているかをもう一度考えてください。例えば、槌田の日本物理学会誌の記事を出典とすることについて、s-keiさんはどのマークをお付けになるつもりですか?「査読無」は「査読不明」という意見もありました。「要検証」というのは意見です。まして「裏付少」は意見を超えた独自研究による評価になります。現時点での客観的事実は「雑誌記事」です。--Nife 2009年12月18日 (金) 22:39 (UTC)
- 槌田の記事を「雑誌記事」に分類するのは勝手ですが、それだけでは信頼性が劣ることを明示できません。査読のある定期刊行の論文誌も、やはり「雑誌」に分類できますので。屁理屈で抵抗するのはおやめ下さい。--s-kei 2009年12月20日 (日) 15:49 (UTC)
- Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価にもある通り、百科事典に記載するに当たっては「編集者は複数の情報源を評価し、もっとも信頼できて権威があるのはどれかを決めなければなりません」。[要検証 ]はその評価結果を事実として示すのみです。それともズバリ「注意:この出典は査読が保証されていない[1]ため、百科事典の出典としての信頼性が劣っている。」と併記する方が良いでしょうか。--s-kei 2009年12月20日 (日) 15:49 (UTC)(*5)
- 「査読無」は「査読不明」でも良いでしょう。同じ事ですけど。--s-kei 2009年12月20日 (日) 15:49 (UTC)
- 「裏付少」は学術的裏付けの確認結果ですので、この貼り付けも信頼性の評価作業に含まれます。それとも、「→この主張は当該分野の主要学術誌では確認できない。またこの主張を行っている△△教授についても、当該分野の主要学術誌で業績が見あたらない。」と、一つ一つに文章で併記することをご希望でしょうか。--s-kei 2009年12月20日 (日) 16:07 (UTC)(*5)
この件については、簡単に合意とはならないので最終的にはWikipedia:投票に委ねるしかないのではないかと思います。そのために、私(Nife)の提案について投票実施前にご意見を頂戴したいと思います。頂いたご意見で修正した後に投票のための案を再提示します。投票の対案はs-keiさんやその他の方々からご提案をお願いします。
【第1次案】
地球温暖化に対する懐疑論においては、情報の信頼性が劣る出典も使用する必要があります。しかし、これらを一緒に扱うことは読者に誤解を与えるという強い懸念が表明されているので、<ref>
タグを使用するときに group= を使うことを提案します。
- 査読のある学術論文からの出典の場合は、
<ref group="論文">
- 公的機関の発表が出典の場合は、
<ref group="公的機関">
- 雑誌記事からの出典の場合は、
<ref group="雑誌記事">
- 商業出版物が出典の場合は、
<ref group="書籍">
- 著名な人物のホームページやブログなどが出典の場合は、
<ref group="私的">
これについては、「情報源として受け入れられるかもしれません。」のレベルですけども、可能性としては許容されています。
このように分けることにより、読者はその情報源がどの程度信憑性があるかを自分で判断できます。また、<references group="雑誌記事">
のほうに「ここに記された文献は、学術論文としての査読を受けていないものです。」などと注釈を一括してつけておくことによって、本文記事中の個別の記述毎に「この報告は査読のある論文ではない。」などと書く必要がなくなります。また、参考文献リストもその段階によりきちんと整理することができます。
実施例(記述してある文章は、groupの使用実施例のための例文であり、文章の内容は投票とは無関係です。)
槌田敦は、大気中のCO2濃度変化が人為的CO2発生量と相関していないことの例として、第1に1980年までの人為的CO2発生量は年あたり1.4億トンであったが、1980年以降は0.7億トン、1990年以降はさらに減少しているのに対して、大気中CO2濃度の増加量は、1980年1.3ppm、1990年1.55ppm、2000年1.8ppmと急上昇していること、第2に・・・を指摘している[雑誌記事 1]。
槌田敦は、キーリングが作成した気温変化とCO2濃度変化の関係[論文 1]を整理して、気温(および海面水温)の変化は、例外はあるが、大気中のCO2濃度の変化がよりも1年ほど先行していて、気温(海面水温)変化が原因で、CO2濃度変化は結果であると結論づけた[雑誌記事 1]。これに対して、安部脩治は、その相関で、0.5度の気候変化に対応するCO2濃度変化がわずか1ppmであるために、過去45年間で増加した64ppmを気温上昇で説明するためには、気温が32度上昇していなければならないと反論している[雑誌記事 2]。また、明日香嘉川らは、もし、槌田らの主張通りなら水温が低下した1~2年後にCO2濃度が下がるはずなのに、全期間に渡ってCO2濃度が増加していることを指摘して、水温の上昇・下降に関係なくCO2が増加していることが読み取れると反論している[公的機関 1]。明日香らの批判に対して、近藤邦明らは、x:世界平均気温偏差(℃)とy:大気中CO2濃度の変化率(ppm/年)の散布図を描き、「y=2.39x +1.47」という回帰式を得た。また、この式から気温偏差がマイナス0.6℃程度のとき、大気中のCO2濃度の増加がゼロになることが分り、現在の気温は大気と陸海の間でCO2の移動が実質的にない温度よりも0.6℃程度高温であり、その結果として大気中CO2濃度が毎年上昇していると結論した[書籍 1][私的 1]。
参照文献(論文)
[編集]ここに記された文献は、専門学会の査読を受けた論文です。
- ^ C.D.Keeling:in D.H.Peterson(ed.): Geophysical Monograph 55(1989),p.210,Fig.63.
参照文献(公的機関)
[編集]ここに記された文献は、公的な機関もしくは大学による出版物や配信記事です。
- ^ 明日香壽川、河宮未知生、高橋潔、吉村純、江守正多、伊勢武史、増田耕一、野沢徹、川村賢二、山本政一郎「地球温暖化懐疑論批判」東京大学サステイタビリティ学連携研究機構(2009)
参照文献(雑誌記事)
[編集]ここに記された文献は、学術論文としての査読を受けていないものです。
- ^ a b 槌田敦「CO2を削減すれば温暖化は防げるのか」日本物理学会誌、第62巻第2号(2007年),pp.115-117
- ^ 安部脩治「CO2増加は自然現象だろうか」日本物理学会誌、第62巻第7号(2007年),p.563
参照文献(書籍)
[編集]ここに記された文献は、学術論文としての査読を受けていない書籍です。
- ^ 槌田敦「地球生態系で暮らそう」ほたる出版(2009)
参照文献(私的)
[編集]ここに記された文献は、自費出版やホームページ・ブログなど私的に記述された文章です。内容の信憑性には全く保障がありませんが、その特筆性から記載されています。
- ^ 近藤邦明・槌田敦「CO2濃度の増加は自然現象」日本気象学会誌投稿中。
以上、ご検討の上、ご意見をおねがいします。--Nife 2009年12月20日 (日) 17:34 (UTC)【数文字訂正】--Nife 2009年12月20日 (日) 17:49 (UTC)
- 上に印(*4)をつけておきましたが、貴方の提案では出典の信頼性の差が確認しにくい(同じ「査読を受けた」でも信頼性の差がありえる等。あと注釈のリストを見るまでわからない)欠点が指摘されています。しかし貴方は有効な再反論無しに、同じ主張を繰り返しています。そのような真似をしながら”簡単に合意できないから投票”とは、白々しい。[[議論の引き延ばしはお止め下さい。--s-kei 2009年12月20日 (日) 18:19 (UTC)
- 私もS-keiさんの案では、独自研究の評価を付けることになると欠点を指摘しています。どちらの案も一長一短なんでしょうね。きっと。繰り返しますが、止めろといわれて止めたら「懐疑論」が泣きます。建設的な提案をお願いします。--Nife 2009年12月20日 (日) 18:40 (UTC)
- 貴方の「独自研究」との批判に対しては既に私やHoytさんが再反論してあります(*5)が、あなたはしていません。誤魔化さないで下さい。--s-kei 2009年12月20日 (日) 19:00 (UTC)
- 駄目押し。Nifeさんの案ではそれぞれのグループに属する文献の数が増えると、「信憑性に全く保証がありませんが」などの注釈が画面外に押し出されたりして、さらに信頼性の差がわかりづらくなります。それが狙いでしたか?--s-kei 2009年12月20日 (日) 19:03 (UTC)
- 槌田の物理学会誌の出典にどの記号を付けるおつもりですかとお尋ねしましたが、お返事がありません。編集者により評価が異なるのでは、客観的とは云えず、主観的な独自研究になると申し上げています。ご自分の提案を修正されるつもりがないのなら、とりあえず投票で多くのWikipedianの意見を聞いてみるというのは、悪い考えではないと思います。--Nife 2009年12月20日 (日) 21:13 (UTC)
- 槌田の当該記事については、ここまでの指摘で既に自明でしょう。また改めて書いて欲しいのですか?
- 当該記事では査読が保証されていない上、厳密さも求められていません。[要検証 ](査読不明)に該当します。
- 温暖化を否定する槌田氏の主張は、当該分野での世界的な主要学術誌に、そのような主張を載せた業績が見当たりません。(裏付少)に該当します。
- いずれもここまでに指摘され、あなたはそれを覆すだけの信頼性を示す情報を示されていません。白々しく繰り返した上、投票で議論を引き延ばそうとはずうずうしい。--s-kei 2009年12月20日 (日) 23:58 (UTC)
- 情報源の質の表記について、「槌田の報告[雑誌記事 1]」という表記と「槌田の報告[要検証 ](査読不明)(裏付少)」という表記のいずれがよいものか、私は前者が客観的であると主張し、S-Keiさんは後者のほうが報告の価値が少ないことがよく判ると主張しています。どちらも引かない膠着状況で、他のWikipedianのみなさんの意見も聞いてみたいと要請することがずうずうしいことであるなら、強引に決着をつけようとするS-Keiさんもしかりということになってしまいます。ただし、この件は、そもそも報告内容と全く関係のない外形的な話ですので、私には大きなこだわりはありませんでしたが、ここまで論戦を拡大してしまった以上、なんらかの結審を図ることは必要だと思い、投票を提案したわけです。議論を引き伸ばす意図どころか、早期解決のための提案だったのに罵倒されて、とても心外です。--Nife 2009年12月21日 (月) 16:48 (UTC)
- 重ねて書きますが、貴方の提案では読者が参照文献番号をクリックして飛んだ先では信頼性に関する注釈が画面外となる、信頼性の異なる出典も同じグループに入れてしまえるなどの欠点が指摘されています。これらの欠点に対し、あなたは有効な再反論を行わないままに投票にしようとされています。議論の引き延ばしを意図したものと疑われます。--s-kei 2009年12月21日 (月) 22:18 (UTC)(*8)
- 槌田の記事をそんなに取り上げたいのならば、槌田敦の項目でお願いします。--s-kei 2009年12月20日 (日) 23:58 (UTC)
- これも繰り返しと仰るのでしょうが、いくら批判しても事実は変わりません。文部科学省の予算を使って無料配布された出版物のなかで、東京大学を中心とした著名な研究者たちの集まりであるサステイナビリティ学連携研究機構が拾い上げた主な懐疑論者たちの筆頭(最多の7文献)にいる研究者が槌田です。このことは事実であり、記載する価値があります。そのため資料を集めて執筆の準備をしています。--Nife 2009年12月21日 (月) 17:24 (UTC)
- Nifeさんは槌田の説を宣伝したいようです。明日香ら、阿部のコメントを適当にしか引用していないので不適切。質が劣ることもさりながら、5分5分の文章量と言っておきながら槌田10:他4と自分の言ったことも守れていない。--ClimaScience 2009年12月21日 (月) 15:18 (UTC)
- 「文章の内容は投票とは無関係です」と申し上げているのに、そこをいいますかね。本編記事であれば、他の編集者の方々が明日香や阿部の反論をもっと論理的に補強してくださると思います。残念ながらここはノートなので、お互いに手が出せません。Wikipediaの原稿はひとりで完成させるものではありません。--Nife 2009年12月21日 (月) 16:48 (UTC)
Nifeさんの過去の編集を見ますと各項目で「宣伝」との指摘を何度も受けているようです。おやめ下さい。--ClimaScience 2009年12月21日 (月) 15:21 (UTC)
- そうですか。各項目でよい記事になったと喜んでいただいていますよ。ClimaScienceさんももっと沢山寄稿して、Wikipediaの専門家にもなってくださいね。私もまだまだ半端者ですので修練を積ませていただきます。--Nife 2009年12月21日 (月) 16:48 (UTC)
- いずれにせよ、例として不適切なのは確かと思います。ただでさえサイズが問題になっている場所でこんな冗長な文章を書かれるなら、やはり本文にもサイズ制限が必要ですね。--s-kei 2009年12月21日 (月) 22:18 (UTC)
合意に至る手順として、投票で他のWikipedianの意見も聞きましょうというのが、議論の妨害とは思えません。むしろ、合意を促進するために提案しているのですけどね。それとも、このまま議論を膠着させて、両方のマークを載せることで落ち着かせますか。--Nife 2009年12月26日 (土) 23:34 (UTC)
- 重ねて書きますが、貴方の提案では読者が参照文献番号をクリックして飛んだ先では信頼性に関する注釈が画面外となる、信頼性の異なる出典も同じグループに入れてしまえるなどの欠点が指摘され(*8)、あなたは何ら有効な反論ができていません。白々しく繰り返すのはおやめ下さい。--s-kei 2010年1月2日 (土) 00:10 (UTC)
- 重ねて書きますが、「地球温暖化に対する懐疑論」の現状では総ての懐疑論は学会では異端です。そのなかで、総ての懐疑論にいちいち「槌田の報告[要検証 ](査読不明)(裏付少)」とつけて意味があるのかを問うていますが、あなたは何ら有効な反論ができていません。一長一短なんです。この議論には
34人しか参加していません。お互いに譲らない状況になっていると思われませんか?--Nife 2010年1月6日 (水) 22:30 (UTC)【1文字訂正。ごめんなさい】--Nife 2010年1月6日 (水) 22:56 (UTC)
- 懐疑論は異端でも、反論の多くはWikipedia:検証可能性を満たしており、両者は百科事典の出典として信頼性が大きく異なります。あなたは出典の信頼性の差をわかりにくくする提案ばかりされており、その指摘に対してもはぐらかしておられます。読者に信頼性の差を誤解させる悪意を持って、この議論を長引かせていると疑われます。そのような行為はおやめ下さい。--s-kei 2010年1月8日 (金) 14:12 (UTC)
- また、人の文章の形だけ真似て屁理屈を書くのもおやめ下さい。ここは百科事典であって、人を小馬鹿にするための場所ではありません。--s-kei 2010年1月8日 (金) 14:25 (UTC)
- 1ヶ月経過しましたので、この件は合意成立と見なします。#ローカルルールにまとめました。--s-kei 2010年2月9日 (火) 16:47 (UTC)
記事のサイズ制限について
[編集]- あとは全体の文章量ですね。既に書いたように信頼性のない情報はいくらでも偽造できてしまいますので、そのままでは野放図に増えてしまう恐れがあります。このため、記載量を制限する必要があります。現在の長さ程度ということで「編集時のサイズで50KBまで」に制限しましょうか。--s-kei 2009年12月14日 (月) 15:08 (UTC)
- 編集時のサイズは現時点で70KBほどのようですが、それでは多いと言うことでしょうか?この70KBになったノートページも編集する際に重たいですが。--ClimaScience 2009年12月15日 (火) 13:51 (UTC)
- いや、今のサイズで56KBですよ。一部の冗長な記述を簡潔にすれば、たぶん50KBで現在の項目は殆ど入るかと…ああでも、注記を追加するので少し余裕も欲しいですね。では60KBぐらいにしときましょうか。--s-kei 2009年12月15日 (火) 15:22 (UTC)
- そろそろ、ノートページも肥大化してきたので、今回行われたやりとりに関して総括し、過去ログ化するのはいかがでしょう?簡潔に言うならば、「信頼性および経緯を踏まえた科学的に中立な記述であるべき」でしょうか。やりとりの分量は多いけれども誤解と誤解を解くためのやりとりが大半ですので、整理したいものです。信頼性に関するもの以外の特記事項として、物理学会誌関連のことを書いておくのは、同じような誤解をする人を今後出さないためには重要です。--ClimaScience 2009年12月15日 (火) 13:51 (UTC)
- 賛成します。お願いして良いですか?こちらも合いの手ぐらいは入れますので。--s-kei 2009年12月15日 (火) 15:22 (UTC)
- 反対 議論途中のノートを編集するのは、ルール違反です。間もなく編集保護解除の時に向けて合意が完了してから、過去ログ化してください。--Nife 2009年12月15日 (火) 17:34 (UTC)
- 「槌田の論文」の件は上述のようにNifeさんの不理解であって合意を必要とする議論ではないですから、要点を残して過去ログ化して良いのではないですか?(同じような誤解をする人が出てこないように晒しておく意義はありますが。)
- ピエールに関しても、本文中に既に掲載されています。時系列で扱うか否かの議論を残すことは意義があるでしょうが、時系列を把握していないNifeさんの掲載議論は既に議論の余地のない過去の話です。これらについては、他で設定されている刻限(保護解除)に過去ログ化の契機を委ねる必要もないでしょう。また、Nifeさんが提起された不理解の多い信頼性区分は、既にそれの改良版が提起されていますので過去ログ化して良いのではないでしょうか?その区分の優位性が現段階で示されていないため議論になっておらず、ただ過去ログ化反対と唱えるだけで、過去ログ化出来ないとなると、全て過去ログ化できなくなります。
- 全て残したり逆に過去ログにすることが不適切なのは自明であり、要点を残しますので、その点はNifeさまにおかれましてもご心配なされませんよう。--ClimaScience 2009年12月16日 (水) 13:26 (UTC)
- 反対 記事のサイズをローカルルールで限ることには反対です。大きなサイズの記事は他にもたくさんありますし、その都度記事の分割を提案して合意すればよいので、あらかじめ文章量を決めておく必要はありません。書籍の紙面のように物理的に限られた従来の百科事典とwikipediaのような電子百科事典は異なります。--Nife 2009年12月15日 (火) 17:34 (UTC)
- 今でも編集時に十分重たいのですがいいのかな?文章の推敲はしておいた方が良いです。徒に膨らませない方向であることは大事です。読者の不理解が広まらないように、しっかりと編集できるのなら、それはそれで良いと思います。--ClimaScience 2009年12月16日 (水) 13:26 (UTC)
- 電子媒体であろうと、Wikipedia:検証可能性を満たさない情報を無制限に掲載する訳にはいきません。ここは百科事典であって、便所の扉ではありません。また、そのような情報の大量記載は読者に信頼性を誤認させる危険性を高めますが、Nifeさんの狙いはそれのようですね。量を「5分5分に」などと主張していた方が、読者に誤解を与える危険性を認識していないとは言わせませんよ。--s-kei 2009年12月16日 (水) 14:18 (UTC)(*2)
- 「大量記載」することがよいと書いていません。サイズを制限することに反対と申し上げています。情報を捻じ曲げてから批判するのはやめてください。--Nife 2009年12月16日 (水) 22:08 (UTC)
- サイズ制限に反対=大量記載を可能にしたい、ですが。言葉遊びで誤魔化さないで下さい。--s-kei 2009年12月16日 (水) 22:21 (UTC)(*2)
- 実際問題として、Nifeさんが書かれたノートの内容を見るだけでも、文章量が膨大な割には極端に質の薄い情報、誤解に基づく情報を散りばめておられます。その編集レベルでwikipedia本文の編集をなされると、サイズは増えてもカスカスの質の低い文章になることが懸念されます。飛行機の操縦桿をお子様に握らせらると先行きが怖いということです。おそらくS-keiさんもその点を心配しておられるのではないでしょうか?Nifeさんが学術への理解が確かで、かつ理路整然と編集しておられた方であったなら、同じ提案であってもその様な懸念はないのですが。--ClimaScience 2009年12月17日 (木) 11:07 (UTC)
S-keiさんから「一つの記事に無制限に詰め込むわけにもいかないので、現在のサイズを目安に要約・分割(*6)しよう」(12月21日 (月) 22:18 (UTC))という「制限」でないご提案がありました。
- サイズを決めて「制限する」というローカルルールができてしまうと、新たな記述を増やすためには、必ずどこかを削らなくてはなりません。いわば、「書くな」というルールですから承認できないと申し上げてきました。
- 読みやすく編集しやすいサイズを目安として要約・分割しましょうというのは、ローカルルールにするまでもなく、Wikipediaでは極普通に行われていることですし、皆でやってきたことです。
「制限」という管理的なルールの創設でなければ、これには、全く異存がありません。この違いが判っていただけますでしょうか。--Nife 2009年12月26日 (土) 23:44 (UTC)
- 「制限」という表現が嫌なら別にそれでも構いませんが、下記の点はあらためて釘を刺しておきます。
- すべての懐疑論を網羅する必要性は無い(IPCCの報告書の内容を全部載せる必要性が無い理由と同様)。
- 無制限に記事を分割して(粗製濫造して)良いわけではない。
- 冗長性を理由に、掲載内容が取捨選択される可能性もある。(ただしその場合でも、今回の発端になったように無言で全部消すのは無しでお願いします>IPユーザの方。要約して詰め込むなり、どれを残すか相談して決めるなり。)
- --s-kei 2010年1月2日 (土) 00:10 (UTC)
百科辞典なのですから、出典の明らかな情報は網羅的に記載すべきです。記事の内容により要約して詰め込む必要性は十分にあります。そして、今回の発端になった「無言で全部消すのはなし」ということには全く同意いたします。まず、「制限」という表現でなくてよいと合意できたことは成果です。--Nife 2010年1月6日 (水) 22:15 (UTC)
- 重ねて言いますが(*9)、信頼性の劣る情報を無制限に載せたいならば、他の所でやって下さい。--s-kei 2010年1月8日 (金) 14:12 (UTC)
- 1ヶ月経過しましたので、この件は合意成立と見なします。#ローカルルールにまとめました。--s-kei 2010年2月9日 (火) 16:47 (UTC)
編集合戦の発端について
[編集]地球温暖化に対する懐疑論の編集合戦が起きた発端は、ノーベル賞物理学者のピエール=ジル・ド・ジェンヌが二酸化炭素による地球温暖化論を批判したという事実を記載するかどうかということでした。まず、IPユーザーがなんの議論もしないで記事の一部分の削除を繰り返したことが大きな問題です。こうした場合、記載する価値があるかどうかをノートで合意してから進めるというのが基本的なルールになると思います。--Nife 2009年12月15日 (火) 17:34 (UTC)
- 反対 論文、査読、科学の進歩を把握出来ない方が記載価値の判断決定に関わるとややこしいことになりますので、その点で賛成しかねます。確かにリバートが繰り返されたことは編集上問題でしょう。が、そもそも掲載価値自体低かったものです。ほかにも、槌田の「論文」とやらを巡ってとんでもない初歩的な勘違いを元に編集しようとする程度の方が、その合意形成に関わるのでは、wikipediaの信頼性・中立性を著しく失します。掲載価値のある内容についてもそのような不理解を元に記事化に反対される事が想定されますので、賛成しかねます。--ClimaScience 2009年12月16日 (水) 13:27 (UTC)
- ClimaScienceさんには以前に申し上げましたが、非専門家の記事編集を排除することはできません。--Nife 2009年12月18日 (金) 22:47 (UTC)
- たとえば内容が冗長ならば、削除もできるでしょう。”俺が書く事は信頼性がなくても価値があるから全部載せろ”と主張されたいなら、個人サイトや匿名掲示板などでどうぞ。ここは信頼性を重視する百科事典ですので。--s-kei 2009年12月19日 (土) 00:42 (UTC)
- たとえば内容が冗長なら、簡潔に要約すればいいんですよ。いずれバランスがとれるでしょう。黙って削除することが繰り返されるから編集合戦になるのです。--Nife 2009年12月19日 (土) 08:33 (UTC)
- 要約されていても、数が増えすぎれば同じことです。百科事典であるからにはもっとも信頼できる情報を決める必要があります。信頼性の劣る情報を無制限に載せたいならば、他の所でやって下さい。--s-kei 2009年12月20日 (日) 16:07 (UTC)(*9)
- 殆ど、理由が説明される事なしに、Nifeさんの編集が削除されたことに対して、憤っておられたということでしょうか?IPユーザーの方も、重複の為削除など、それなりの説明はしていたはずですが?しっかりした説明があれば納得出来るということですか?実例に則した話をした方が早いように思いますが、現在槌田の文章が「査読つき」でないことはご理解できたのでしょうか?ピエールの内容に関しても、他の同様の論点に統合されるのが簡潔であるということはご理解なされたのでしょうか?--ClimaScience 2009年12月19日 (土) 15:21 (UTC)
- 槌田の物理学会誌の出典については「雑誌記事」というカテゴリに入れましょうと申し上げました。ピエールの点については、「ノーベル物理学者の」という情報を欠落させてはいけません。--Nife 2009年12月19日 (土) 23:16 (UTC)
- なるべく厳密に信頼性表記をするのであれば、タグには拘らず、槌田の「論文」は専門外の雑誌であること、さらに査読がないこと、編集時に紛糾した経緯があること、さらに即座に反論が掲載されたこと、その後掲載されていないこと、同種の主張を支持する論文がないこと、また、槌田自身は気候の専門外であることを書くことになるでしょうか。さらに、エネルギー資源学会で伊藤公紀がこれを批判している事を挙げることになるでしょうか。
- 槌田への反論については、事実に基づいて記述していただければよいと思います。--Nife 2009年12月20日 (日) 14:05 (UTC)
- ピエールについては、該当部分の前後含めた文言はどのようなものでしたか?引用いただけますか?--ClimaScience 2009年12月20日 (日) 13:49 (UTC)
- ピエールについては、新書のpp.214-217に渡る記述ですから引用は差し控えます。図書館でご確認ください。保護解除後に適切と思われる内容を記述しますので、皆さんで編集をお願いします。--Nife 2009年12月20日 (日) 14:05 (UTC)
編集する内容の具体的提案
[編集]保護中で編集出来ませんが、気になった点を挙げておきます--ClimaScience 2009年12月14日 (月) 14:33 (UTC)
書誌情報に関して
[編集]引用、書誌情報が充実していないことが気になります。 ・例えば、矢沢潔の著作が出典として複数あるが一つに出来ないか? ・「ウィキペディア英語版 『Paul_Reiter』 」など書式統一。 ・「ココが知りたい温暖化(平均気温の求め方や観測点の分布に関するQ&A)、国立環境研究所] 」など書式統一 →(改善案)「タイトル」(ココが知りたい温暖化、国立環境研究所) ・「地球温暖化の予測は「正しい」か?、P.163 」などの書誌情報の充実と整理。 ・STEFAN RAHMSTORF→Stefan Rahmstorfにするなど、統一を。 ・「地球温暖化問題懐疑論へのコメント ver.3.0」は、「地球温暖化懐疑論批判」へ。 ・猫田白重はこの項目で出典たり得るのか? ・エネルギー資源学会の討論が「懐疑的」に分類されていますが、おかしくないですか? ・「肯定的」に田中優の著作が挙げられていますが、何に対する肯定なのでしょうか?IPCCでは「人類が滅亡する」とは書かれておらず、IPCCの科学的理解に対しては「懐疑的」であるのではないか? 以上--ClimaScience 2009年12月14日 (月) 14:33 (UTC)
- 情報の整理を行うことに賛成します。同一文献の出典は、
<ref name="○○○">
の機能を使って整理することができます。--Nife 2009年12月15日 (火) 18:08 (UTC)
- 情報の整理を行うことに賛成します。同一文献の出典は、
ピエール=ジル・ド・ジェンヌ の記事について
[編集]1996年という古い時代の発言であることから、本稿に掲載することを拒絶する発言が「編集内容の要約」に記載されています。しかし、懐疑論者に共通する基本的な3論点が提示されていて、特筆性があります。現状は3論点がバラバラに記述されていますが、1990年代の懐疑論として節を立てて、まとめて記述するほうがよいと考えています。--Nife 2009年12月15日 (火) 17:34 (UTC) 【記述位置の訂正】--Nife 2009年12月15日 (火) 18:08 (UTC)
- まとめて記述することは意味を持ちませんのでやめましょう。同じ内容の重複は不要です。重複した説明をウダウダ書く必要はありません。ところで他分野の「ノーベル賞」の著作にやたらと拘泥されておられますが、お門違いのなんとなく権威を重視されるのですか?--ClimaScience 2009年12月17日 (木) 11:02 (UTC)
- そりゃそうです。気象学だって物理学の一分野じゃないですか。とくにピエールの指摘は、コンピュータの予測を簡単に信用することができないということが本旨ですから、現代の物理学全般に対する指摘であり、地球温暖化を最もわかりやすい例として解説しています。そして、コンピュータのもっともらしい予測が「現代における重大な災厄のひとつ」だと述べています。--Nife 2009年12月19日 (土) 23:45 (UTC)
- なるほどね。「気象学だって物理学の一分野」と言われる通り、学問の世界はもっと細分化されていますのでピエールは気象の分野をよく理解していないでしょう。言いたいのは、モデルを信じちゃいけないよということですか?ところで、「厄災」という宗教じみた表現は、原文ではなんと書いてあるのですか?--ClimaScience 2009年12月20日 (日) 13:40 (UTC)
- 私はWikipediaのルールにより日本語訳の新書を定本としています。何方か、原著での記述をご確認できるのであれば、情報提供をお願いします。私も興味があります。確かに、東京大学名誉教授が訳したベストセラーであっても、原文にない内容を訳者が勝手に書き込んでいるひどい翻訳書があったことは否定しませんから。--Nife 2009年12月20日 (日) 14:27 (UTC)
- なるほどね。「気象学だって物理学の一分野」と言われる通り、学問の世界はもっと細分化されていますのでピエールは気象の分野をよく理解していないでしょう。言いたいのは、モデルを信じちゃいけないよということですか?ところで、「厄災」という宗教じみた表現は、原文ではなんと書いてあるのですか?--ClimaScience 2009年12月20日 (日) 13:40 (UTC)
- そりゃそうです。気象学だって物理学の一分野じゃないですか。とくにピエールの指摘は、コンピュータの予測を簡単に信用することができないということが本旨ですから、現代の物理学全般に対する指摘であり、地球温暖化を最もわかりやすい例として解説しています。そして、コンピュータのもっともらしい予測が「現代における重大な災厄のひとつ」だと述べています。--Nife 2009年12月19日 (土) 23:45 (UTC)
時系列編集の提起?
[編集]「懐疑論者に共通する基本的な3論点」は、確かに現在も残る典型的な不理解が如実に表れていますので、時系列で過去のやりとりとして掲載する価値はあるかも知れません。ピエール自体は既に掲載されていますので、今さら掲載を求めるのはお門違いですが、Nifeさんの意図はピエールに限らず、時系列で取り扱いたいということで良いですか? だとすれば「1990年代」という区切りではなく、最近では5年区切り(IPCC各報告書の年を区切りとする)がわかりよいでしょう。例えば、かつてのホッケースティックは第3次報告書後として入る形です。ところで、時系列を扱いたいと言うのであれば「温暖化の発見とは何か?」程度は読まれているのですよね?--ClimaScience 2009年12月16日 (水) 13:41 (UTC)
- 5年区切りの時系列は判りやすくてよい記事になると思います。「温暖化の発見とは何か?」を読んでいることが必須と仰るなら読みますのでリンクなり書誌なりを教えてください。--Nife 2009年12月16日 (水) 16:40 (UTC)
- 補足ですが全てを時系列にするとややこしくなるので適宜編集するのが良いでしょう。書誌も何も本文読もう。--ClimaScience 2009年12月17日 (木) 10:58 (UTC)
過去ログ化で残る論点
[編集]残る議論点は時系列での編集についてと、文章の全体量だと思いますが、いかがでしょうか?それ以外は必要な要点を残して過去ログへ移行していいと考えています。議論にもなっていない項目を、過去ログ化に反対だから反対というのは理由になりません。--ClimaScience 2009年12月17日 (木) 11:04 (UTC)
遅くなりました。私は暗黙のルールが存在するのか確認するため質問しましたが、唯一ご返答いただいたClimaScience殿のコメントは残念ながら論理的な回答ではありませんでした。しかし私の申し上げたかった事は幸いにも、その後他の方によっておおむね代弁して頂いた形になっております。ClimaScience殿におかれましては、他人を頭から否定したり罵倒したりする子供じみた横柄な態度が散見されます。できましたらこれを改められ、今後はWikipediaの基本方針を守って頂ければ幸いです。(--Damnfool 2009年12月18日 (金) 12:35 (UTC)
- 「編集の方針」も「出典の書き方」も合意に至っておりません。--Nife 2009年12月18日 (金) 22:53 (UTC)
- 過去ログ化して頂いて良いでしょう。--s-kei 2010年2月9日 (火) 16:47 (UTC)