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ノート:地方病 (日本住血吸虫症)/過去ログ2

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Jaime Galvez-Tan氏の読み仮名について

2012年11月16日(金)06:53(UCT)の編集により、フィリピンのJaime Galvez-Tan氏の読み仮名について、「ジェイム・z・ガルベズ-タン」から、コメントアウトによって提示された2つのPDFリンクを根拠とする、別の読み仮名へ変更編集されました。一応念のために申し上げておきますと、これまで読み仮名を「ジェイム・z・ガルベズ-タン」と記述していた根拠は、脚注にも示したとおり『林正高、2000年2月10日発行、『寄生虫との百年戦争-日本住血吸虫症・撲滅への道-』、毎日新聞社 ISBN 4-620-31422-6』、7ページで、感謝状の日本語訳および肩書が、フィリピン共和国厚生大臣ジェイム・z・ガルベズータンと表記されていることに倣ったものであることを申し添えておきます。人名を含め外来語の日本語表記は難しいものですね。とりあえず情報として書き記しておきます。--さかおり会話2012年11月16日 (金) 10:39 (UTC)

当該編集をした者です。ノートで質問もせず、浅慮で動いてお手数をかけ、すみませんでした。
最初は単純に私の編集のその箇所を差し戻して、コメントだけ後の編集者の参考のために残そうかと思いましたが、考えている内によく分からなくなってきました。地方病の記事の本筋からは外れた些細な問題ですし、以下に述べる通り、差し戻しで実際上の問題は無い事は確かなので、深入りする必要はありません。ですので、特に二週間ほど異論が無ければ、差し戻し致します。
ガルベズータン氏の名前については、日本語でウェブ検索をしても、ガルベス(ガルヴェス)・タンでもガルベズータンでも、ジェイム/ジェーム/ハイメをどう組み合わせても、ほとんどヒットしません。よって現状では読み方により閲覧者に不便が生ずるとは思えません。(このブログ記事 一件くらいですが、機械翻訳です。) なお、よく読まずに「同一人物である証拠は無い」とコメントに書きましたが、同一人物の確認ができました。保健省kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/7428/1/4-Hosono.pdf p14の「ハイメ・ガルヴェス・タン」氏は、引用されている資料 の肩書「President of the Health Futures Foundation Inc.」から、また www.ferris.ac.jp/departments/research-speciality/pdf/glocal6.pdf p39の「ハイメ・Z・ガルベス・タン」氏は、「the Director of the National Institute of Health」である事からです。(ページはpdfとしてのページですが、前者は印刷物としてのページはまた別です。)
またフィリピン政府の呼称は、日本の外務省でも「大臣」と「長官」とが混在しているようで、特に統一はないようです。たとえばデル・ロサリオ氏を「外務長官」と呼ぶ例「外務大臣」と呼ぶ例もあります。また、日本の外務省では「保健省」の例のみ見付けましたが、jicaのページで「厚生省」と混在しているページを見つけました。(「フィリピン厚生省は2005年に」および「保健省から」として)
一方で、該当箇所で、ガルベズータン氏の名前がアルファベットで括弧に入り、「出典」節への脚注(フィリピン保健省ページへのリンク)が付けられている為に、林2000引用が、どの点に対してなのかが分かりにくくなっています。一旦「脚注」節にて説明する方が明確かも知れません。(内容的には通常はそこまでの必要が無い点ですので、それを人様に示唆するのはおかしいようには思いますが...)また、保健省リンクは出典ではないですよね? 仮にガルベズータン氏のウィキペディア記事があった時の、そこへの内部リンクと譬えられるものだと思います。もしそうならば、「脚注」節での紹介とする方が良さそうに思います。(なお、フィリピン保健省の他の大臣en:Secretary of Health (Philippines)では、英語版に記事がある方もあるようですが、英語版でもタガログ語版でもガルベズータン氏は、今のところありません。)
結局、元の文か、それに近いものとし、読み方、肩書の異称を脚注として加える事は可能ですが、前述の通り、それほど価値は無いので、コメントで十分かも知れません。異称への言及は、必要ならば私が行います。
ところで、この場を借りまして。地方病の記事は拝読致しまして嬉しい感じ(? 自分の事ながら、正確な描写ではないかも)がしました。それは、この記事は優れたものですが、その事よりも、さかおりさんのお人柄が滲み出ているように思ったからです。(当方の勝手な印象を述べるのもおこがましいですが、御容赦下さい。)まだこの記事には頻繁に手を入れられているようですが、ここまでの御尽力にお礼を申し上げます。--Ahora(会話/履歴2012年11月22日 (木) 13:23 (UTC)
Ahoraさん、はじめまして。この度はガルベズータン氏について有益な情報をお調べ下さいましてありがとうございます。仰せのように異称については、「脚注」を用いて簡単な言及があっても良いかと思います。仮名表記に関してはAhoraさんが編集くださった現状の内容を差し戻さずとも、当ノートページでご提示下さいました外部リンク等を、「脚注」を使用して説明した方が良いかもしれません。確かに、そこまでする必要があるかとの意見もあるでしょうが、日本語表記の読み仮名が複数あるのですから、脚注にて説明があった方が好ましいと私は思います。また、フィリピン保健省リンクについてはご指摘のように出典ではなく、脚注に記載する方が適切ではないかとのご指摘は、全くその通りでありまして、その件に関しましても異称の脚注化と合わせて編集をお願い出来ませんでしょうか?どうぞよろしくお願い致します。--さかおり会話2012年11月22日 (木) 16:07 (UTC)
Ahoraさん、こちらの編集を確認いたしました。内容的にはこれで問題ないと思います。少々面倒な編集にもかかわらず一発で決められ(^^;)素晴らしいです。ありがとうございました。--さかおり会話2012年11月24日 (土) 03:03 (UTC)
こちらこそ、先にご確認を頂き恐縮です。また機会がございましたら、よろしくお願いします。--Ahora(会話/履歴2012年11月26日 (月) 02:06 (UTC)

本記事における重複リンクについて

ここ数日の間にIP利用者様により、リダイレクト回避重複リンクの除去、この2つに関連した編集が徹底的に行われております。リダイレクト回避に関しては大きな問題はないと考えますが、重複リンクの除去に関しては些か問題があると個人的に感じております。重複リンクに関しては過去さまざまな議論がありました(参照、Category:井戸端の話題/リンクの付け方Wikipedia‐ノート:内容に関連するリンクだけを作成#重複リンクのガイドライン)が、いずれにしても同一記事内での重複リンクは明確に禁止されてはおりません。ただし、当然ですが闇雲に重複リンクを作るべきだと言っているわけではありません。小さな記事内で過度に重複リンクを付けたり、記述内容を理解する上で重要ではない些細な内部リンクを過度に付けるべきではありませんが、固有名詞や専門用語などがセクションを飛び越えて複数回登場し、かつ200kB超の本ケースの場合、重複リンクだからと機械的に除去してしまうのは、読者にとって可読性を著しく損なう結果になってしまうと思います。せっかく編集いただいたのに申し訳ありませんが、重要と思われる重複リンクは近日中に戻させて頂きたいと考えております。IP利用者様には何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。--さかおり会話2013年9月5日 (木) 02:58 (UTC)

小櫃川下流域について補足

これまで本記事では、日本国内の過去の日本住血吸虫症流行地として、甲府盆地、利根川流域、浮島沼、片山地区、筑後川流域、以上の5地区を挙げておりましたが、本日、千葉県小櫃川下流域が付け加えられました。当該記述の出典に示された通り、小櫃川下流域在住の主に高齢者複数名の方々が日本住血吸虫の抗体陽性者であることは事実でありますが、これまで本記事では小櫃川下流域を過去の流行地に含めなかった理由を、本記事をこれまで主に執筆してきました私から補足説明させていただきます。小櫃川流域でミヤイリガイの生息が確認され流域住民の抗体抗原反応検査が行われたのは確か70年代後半から80年代にかけてだったと、以前資料を渉猟した際に記憶しており、その結果、抗体陽性者が確認されたことも存じてはおりました。ただし、当時の陽性反応者のほとんどが感染の自覚症状すらなく、また当時の調査で採取されたミヤイリガイに感染貝は皆無で、もちろん日本住血吸虫本体も確認されず、主に高齢者であった陽性者は感染から数十年が経過していたものであることが推察されました。このことから当地区では大きな健康被害等はなく、所謂「有病地」と呼ばれた他の流行地ような差し迫った認識は地域全体の住民間で意識していなかったようです。このような経緯から小櫃川流域を過去の流行地としては記載してこなかったのですが、改めて考えますと、抗体陽性者が確認されている以上、日本住血吸虫の生活環が小櫃川下流域に存在していたことは間違いのない事実であり、大きな被害は無かったにせよ「流行地」であったことに変わりありません。更に付け加えるなら本地域は他の流行地とは水系(河川法上の水系の意味でなく、自然地理的な意味としての水系)が完全に隔絶した、独立したエンデミックエリアであり、単独の流行地として記述するほうが適切であると認識を改めました。なお、1-6の番号(この番号自体に意味はありません)を付けた国内流行地の記述順は(最大の有病地である甲府盆地は冒頭に記載しましたが)、都道府県コード順に並べ直しました。また記事冒頭の日本地図にも小櫃川流域を追加記載いたしました。以上、簡単ですが補足説明させていただきました。--さかおり会話2014年12月28日 (日) 14:27 (UTC)

  • 小櫃川の件について加筆した者です。適切かつ分かりやすい補足説明感謝いたします。
ところで話は変わりますが、だいぶ前に冒頭の曖昧さ回避の部分を(こちらの項目に「日本住血吸虫症」「日本住血吸虫病」がリダイレクトされていることもあり)「日本住血吸虫症及び甲府盆地における同症撲滅の経緯について」としましたが、やはりこれ以前のように「甲府盆地における日本住血吸虫症撲滅の経緯について」の方がよろしかったでしょうか?こういうことは編集する前に一度ノートで伺うべきだったかもしれませんが……--無限龍会話2014年12月28日 (日) 16:56 (UTC)
  • 無限龍さん、コメントありがとうございます。冒頭部曖昧さ回避の件ですが、とりあえず編集してくださった現状のままで問題ないと思います。もっとも本記事は(話せば長くなりますが)、甲府盆地での日本住血吸虫症について執筆し始めたものでありますが、紆余曲折あって「甲府盆地での対策の経緯を中心」にしつつも「日本国内での本疾患対策の経緯」を包括するような内容になり、様々なサイト等で「日本住血吸虫」を説明したwikipediaページであると認識されているようです。リダイレクトを含めとりあえず無限龍さんが編集くださいました趣旨の内容でよろしいかと思います。今後なにかございましたらノート等でご相談できれば嬉しく思います。今後ともよろしくお願いいたします。--さかおり会話2014年12月29日 (月) 01:54 (UTC)


主観的記述の排除について

現在の版では、「長い間その原因が明らかにならず住民を苦しめた」その他の記述が主観的にすぎるので、整理にあたっての合意を得たいと思いますが、いかがでしょうか。--砂手紙会話2015年10月20日 (火) 10:13 (UTC)

砂手紙さんによる「整理」を拝見しましたが、これでは整理ではなく単なる記事破壊です。--Claw of Slime (talk) 2015年10月20日 (火) 10:49 (UTC)
どの部分がどのように破壊していると思われましたか。--砂手紙会話2015年10月20日 (火) 12:06 (UTC)

たとえばヒトラーがユダヤ人を苦しめたも主観ですか?山梨の人が日本住血吸虫症で苦しんだというのは、地方病の関する文献のほぼすべてに書いてあることです。--ぱたごん会話2015年10月20日 (火) 12:37 (UTC)

「ヒトラーがユダヤ人を苦しめた」という記述はウィキペディアにありますか。「ヒトラー」の記述に倣うなら、「○年にその原因、○年にその治療法が確立されるまで○○地方の住民は被害を受けた」という記述になるのではないでしょうか。 --砂手紙会話2015年10月20日 (火) 13:13 (UTC)

主観的記述の排除について(具体例)

具体例と排除理由をもう少し明白に語ります(以下のものははじめの数節に限定しています)。基本的には「物語」ではなく「事典の記述」の視点が欲しい、という判断があります。物語は物語として、ウィキペディア以外のところで記述すればいいのではないでしょうか。


・長い間その原因が明らかにならず住民を苦しめた→(除去)※「長い間」の期間基準が曖昧(主観的)。「苦しめた」の判断基準が不明(主観的)

・要するなど、罹患者や地域住民をはじめ研究者や郷土医たちによる地方病との闘いの歴史は山梨県の近代医療の歴史でもある。→要した。※羅漢者云々の歴史と山梨県の近代医療の歴史を関連づけて主観的に語る意味を感じない

・この疾患がいつから山梨県で「地方病」(日本国内の他の流行地でも日本住血吸虫症とは呼ばず、独自の呼び名で呼ばれていた。広島県片山地方では「片山病」、筑後川下流域の福岡県久留米市周辺では「マンプクリン」、筑後川対岸の佐賀県では単に「奇病」と呼ばれていた。ただし、病原が解明された後に、福岡、佐賀の2県では、住血吸虫の英名 Schistosoma を略した「ジストマ」と呼ばれるようになった。小林 (1998) pp.9-19、pp.31-32、p.144)と呼ばれるようになったのかを明確に記したものはない。しかし→この疾患は ※地方病の地方の名称を列挙する意味が不明

・さらに、籠輿(かご)に乗って主君である勝頼の下へ出向いているのは、この時すでに昌盛が歩くことすらできなくなっていたからであると考えられ、これらの記述内容は典型的な地方病の疾患症状に当てはまる(小林 (1998) pp.6-8)。→(除去) ※この記述はこの項目の説明には不要

・この『甲陽軍鑑』のくだりが地方病を記録した最古の文献であると考えられている(山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.5-6 NHK甲府放送局、末利光 「地方病の庶民史」 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.178-180 佐賀県保健環境部 「佐賀県の日本住血吸虫病 -安全宣言への歩み」1991年)。→(除去) ※誰がいつ、どの文献で「考えられ」たかを明記。例:山梨地方病撲滅協力会の○○氏

甲斐国(現:山梨県)の人々は、腹水が溜まり太鼓腹になったら最後、回復せず確実に死ぬことを、幼い頃から見たり聞いたりしていた。また、→(除去) ※この項目の説明には不要。伝聞情報の使い回し

・寄生虫の存在すら知り得ない当時の人々にとって、この奇病の原因はもちろん、なぜ特定の地域にばかり発症者が多発するのか、全てが謎であった。→寄生虫の存在すら知り得ない当時の人々にとって、この奇病の原因、およびなぜ特定の地域にばかり発症者が多発するのか謎であった。 ※「もちろん」「全てが」の記述が筆者の主観が入り込みすぎている

先祖代々住み慣れた家や田畑を捨て新たに開拓から始めるのは辛いが、このままでは村は全滅してしまう、と苦渋の決断をした。→(除去) ※小説や物語ではないのだから、「苦渋の決断」というのは不要な説明。「先祖」をリンクづける意味も不明です

明治維新からまだ間もないこの頃は、居住地を捨てるなどということが許されない封建制度から抜け出せない時代であり、一村移転などという住民運動が認められるわけはなかった。それに対し身近な人々が次々に奇病に苦しみ死んでいく凄惨な状況に村人の離村への決意は固く、離村陳情書を毎年根気強く提出し続けた。明治新政府に村人の願いが通じ、村の移転が聞き入れられたのは30数年も経過した明治末年のことであった(泉 (1979) pp.88-91)。→明治維新からまだ間もないこの頃は、居住地を捨てるなどということが許されない封建制度から抜け出せない時代であった。それに対し村民は離村陳情書を毎年提出し続けた。村の移転が聞き入れられたのは明治末年のことであった(泉 (1979) pp.88-91)。 ※「身近な」「凄惨な」「決意は固く」「根気強く」という表現は百科事典の記述としては不要です

・「原因は皆目判らず。水だろうか、土だろうか、それとも身体に原因があるのだろうか。嗚呼悲しきかな、困苦見るを忍びず。」と書かれたこの嘆願書は、村人の壮絶な叫びであった(小林照幸 「住血吸虫研究史における人間ドラマ 取材雑感から」 『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』 宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005)、pp.223-224)。→(除去) ※「壮絶な叫び」というのは物語にしすぎています

・明らかに何らかの栄養障害があるものと思われ(山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.8)、これほど深刻な発育不良が特定の地区に集団発生していることは、日本各地を調査してきた石井軍医にとっても驚くべきことであった。→(除去) ※「深刻な」「驚くべき」という表現は百科事典の記述としては不要です

(以下略)--砂手紙会話2015年10月20日 (火) 13:13 (UTC)

不要ではありません。必要な形容です。--ぱたごん会話2015年10月20日 (火) 13:19 (UTC)
「主観的」というのは「自分にとって意味が分からないもの」という意味じゃないんですよ。あなたのレベルに記事を劣化させる前に、分からなかったら普通の人は質問をするんですよ、普通の人は。この記事を通じて読めば分かることも分からず、文脈も踏まえず、重箱つつきに終始する以外何も出来ないまともな読解力がないことはよく分かったので、ウィキペディアに手を出さなくていいです。出てってください。あなた、いらない。--ikedat76会話2015年10月20日 (火) 14:45 (UTC)
基本的には、極めて悪質な難癖として無視するのが妥当です。1点だけ(下線部)同意できるところがありますが、それ以外が酷すぎます。
  • 「長い間」→数値以外は主観的とでもいうのでしょうか。少なくとも100年、おそらくは数百年以上の期間について「長い間」と表現することは、せいぜい100年程度しか生きられない人間なら「客観的」な「事実」であり、これを「主観的」とは言いません。
  • 「苦しめた」→日本語では疾病などについてそう表現します。
  • 「要するなど」→言い回しに多少違和感があるのは確かですし、山梨県の近代医療史の中での位置づけが明らかではありません。
  • 他の地方での名称→記事主題となるものの別称は例外なく必要であり、これを不要だと主張する側の思考に致命的な問題があります。
  • 昌盛の病態→疾病史上の古い症例について、具体的な病状について言及し典型的な症状だと述べることを不要とは言えません。
  • 地方病の最古記録→あっても良いが、必須ではない。問題ないので削除は論外。
  • 甲斐国の人々は云々→次の文への接続も不自然ではなく、不要ではない。(問題があるとすれば出典が付いていないこと)
  • 「もちろん」「全てが」→特に情報や表現に問題があるとは思えず、逆に文章に流れをつけ読みやすくする効果が期待できる。というか、「主観」の意味が分かっていないのか。
  • 苦渋の決断→49世帯もの集落の離村を決めることが「苦渋の決断」ではないのなら何なのか。それは単なる客観的な事実ですし、仮に「そうでない」のならそこに特筆性が生じるレベル。先祖へのリンクは確かに不要。
  • 「身近な」「凄惨な」「決意は固く」「根気強く」→百科事典を何だと思っているのか。日本語が理解できているのか疑問。
  • 「壮絶な叫び」→単体で見ると大袈裟な表現ですが、この文脈上では自然です。
  • 「深刻な」「驚くべき」→百科事典(以下略)。
最後はうんざりして雑になりましたが、こんなところでしょう。どこぞの荒らしか、新手の荒らしか、それはまぁどちらでもいいとして、なるべく早めに片付けられると良いのですが。--Hisagi会話2015年10月22日 (木) 12:29 (UTC)
Hisagiさんにとって百科事典は何なのでしょうか。ぼくにとって百科事典は小説・物語ではありません。 --砂手紙会話2015年10月22日 (木) 12:47 (UTC)
さぁ、なんでしょうね。簡単に定義できるほど――少なくとも、日本語の記事を読める程度に達していないのに主観だ、小説だ、物語だと雑な言葉狩りを楽しめるほど、つまらないものではないのは確かです。--Hisagi会話2015年10月22日 (木) 13:13 (UTC)
そういう言い方では角が立つばかりで(という言い方も角が立つようならすみません)、合意形成が取れそうな範囲内での修正はいかがでしょうか。過剰な項目リンクの整理と、原典の記述の確認にもとづく記述の明記(「…と○○には記されている」という記述)ですね。ところで「日本語の記事を読める程度に達していない」というのは、誰に対する、どのような記述による判断でしょうか。--砂手紙会話2015年10月25日 (日) 12:06 (UTC)
合意形成って、あなたが一人で頑張ってるだけで手を入れる必要は無いというのがあらかたの意見です。ここまでの各位の意見を読み、今後は記事破壊とまで言われるようなことはお控えください。--ぱたごん会話2015年10月25日 (日) 12:13 (UTC)
この記事が名作であることは論を待ちませんが、一文たりとも触るなというのも奇妙とは思いますね。たとえば「壮絶な叫びであった」は確かに感情的に傾いた表現ですね。文脈の中では自然ではあるが、もう少し落ち着いた表現は可能だと、それは思いますが。--Keisotyo会話2015年10月25日 (日) 12:17 (UTC)
もちろんどんな素晴らしい記事にも修正や改善の余地はありますが、それは普通の(あるいは優れた)利用者が行う場合です。砂手紙さんがこの記事の改善に貢献できる見込みは皆無であって、百害あって一利なしです。この場からいなくなるほかに、この記事の改善に貢献できることがないのですから、この場では「一文たりとも触るな」が妥当でしょう。--Hisagi会話2015年10月25日 (日) 12:48 (UTC)
なるほど、それはまあそうでしょうか。--Keisotyo会話2015年10月25日 (日) 12:55 (UTC)

(段落あげ)小林照幸『死の貝』をパラ読みしてたので記述が遅くなりました。すみません。この本の中では「この陳情書には、住民の悲痛な叫びが凝縮されている」とありますね(P21)。その他、主観的な記述に関しては「「○○」と××は記している(出典明記)」という記述にあらためるのはいかがでしょうか。なお、「この記事の改善に貢献できる見込みは皆無であって、百害あって一利なしです」などという過剰な(感情的な)表現は控えていただけるとありがたいのですが、どうでしょうか。ぼく自身の過去の他の記事の編集履歴は、たやすく見られると思いますが、少なくとも「他の記事の改善」には、少しは貢献しているんじゃないかと自分では思ってます。--砂手紙会話2015年10月30日 (金) 13:38 (UTC)

見せて貰いました。まあ、この記事からは手を引いて貰った方がいいかと。--Keisotyo会話2015年10月30日 (金) 13:50 (UTC)
(編集が競合しましたがそのまま投稿します)「百害あって一利なし」という発言に根拠がないのと同様、「少しは貢献しているんじゃないかと自分では思ってます」という発言にも全く根拠はありません。もちろん善意に基づく編集は極力尊重されるべきですが、可哀相に努力が認められそうもない場合は、ひとまず戦術的撤退も肝心かもしれません。近い将来、ヒーローという名の第三者があなたの意志を受け継いでくれるはずですから。もちろん「編集を強行しない」「妥協するのを厭わない」と約束していただけるのであれば、ノートページでコメントを残すのは自由です。そしてそのコメントを「拾ったり」「否定したり」「無視したり」する自由はすべてのユーザにあるということも忘れないでください。--Damena会話) 2015年10月30日 (金) 13:59 (UTC)。(追記)コメント依頼に提出ですか……。手続きとしては間違っていませんが、私の真意が伝わっていないようで残念です。--Damena会話2015年10月30日 (金) 14:24 (UTC)

「合意形成が難儀」なんて大嘘もいいところですね。砂遊びさんの「主観」とやら称する主観は誰からも賛同されず、あなたひとりがゴネているだけでしょ。いくら善意と称したとしても、編集結果に対する他からの評価が覆るわけではなく、あなたに手を出させる限り記事破壊にしかならず「百害あって一利なし」どころか「千害あって百毒あり」と見なされている以上、さっさと手を引いてください。あまりにもしつこいようだと、投稿ブロック依頼を念頭においた利用者に対するコメント依頼を出します。--ikedat76会話2015年10月30日 (金) 19:46 (UTC)

コメント依頼を見て参りましたが、「主観的記述の排除について合意形成が難儀」という依頼文とは異なり、記事の質や構成を省みることなく杓子定規に記事に手を入れようとする個人が、それを避けたい他の方々と対立しているようにしか見えません。「百科事典的ではない表現」や「主観的」を理由とした修正は言葉狩りではなく、記事の質の向上のためにあります。現状のものより質の向上が望めるならば出典、構成に配慮しつつ果断に修正されるべきですが、残念ながら今回の提案内容では現状より質の向上が望めず、単に一面的な言葉狩りが適応されただけになってしまいます。自らが「百科事典的」と信じる表現から外れるものに修正を求め、そうでなければ物語や小説と切り捨てることは、必要以上を求める提案者の「主観」によって却って記事を損ねるものです。編集履歴を拝見しましたが、百科事典的な表現にならしていく作業は構成全体を見通せる判断力が求められますので、この提案は一端取りやめ、実際に記事全体の質の向上に関わる編集にいくつか携わってから再考してみるといいかもしれません。その時は、今より一歩引いた目線で記事の改善を考えられるものと思われます。--Sikemoku会話) 2015年10月31日 (土) 05:29 (UTC)文意が分かりにくかったので修正--Sikemoku会話2015年10月31日 (土) 12:19 (UTC)
コメント コメント依頼から。コメントをされたみなさんによって、言うべきことは既にあらかた示されていると思いますが、「私もそう思う」ということを表明するために。
「主観的」というのは、我々ウィキペディアンの主観で語るな、ということであって、出典とした文献が主観的な記述を行っている場合に、出典を示しながらそうした言及をしちゃダメよ、ということではありません。川端康成の作品に対して国語の教科書まで「みずみずしい印象」と表現しているならば、「絞って水が出るわけでもないのにみずみずしいというのは主観的だ」と論難するのはウィキペディアでは失当ということになります。(自らそういう川端批評・文学史論を出版するとかブログに書くのは自由です)
たとえば「壮絶な叫びであった[出典]」を「『○○』は「壮絶な叫び」と表現している[出典]」と書き改めることは、そこだけみれば、それほどメチャクチャな指摘とまでは言えないだろうと思います。ただ、これは客観性と読みやすさを天秤に書けることになりますが、客観性を過剰に求めて、いちいち「『○○』によれば・・・」とやって、そのたびに表現の人称・レベルが上ったり下がったりすると、ひどく読みにくいものになっていきます。そこらへんはセンスが発揮されますね。
これはまさに私の主観・感想ですが、この記事では確かに、こんなふうにときどきちょっぴり筆がなめらかな表現はあるかもしれませんが、これだけの大作・名作を仕上げた執筆者さんへに対する敬意とか、執筆者さんの個性の尊重として、これぐらいの表現の幅・自由さはあってよかろうばい、執筆者の表現を尊重しましょうよと思います。それが著しく記事の信頼性を損ねているとか、明らかにおかしいとかいうのでなければ。
この記事が「秀逸な記事」と支持される大きな理由だろうと思いますが、これだけ長大で、登場人物がたくさんいて、長い年月にわたる、広い範囲をもつテーマでありながら、頭から順に読んでいっても、きわめてスムーズで、一本の物語のようになっています。私の腕前では、話があっちへいったり、こっちへ戻ったり、専門用語の説明でもたもたしたり、突然関係ない話が出てきたりと、ここまでうまくまとめられない。こうやって全体が流れるような一つのストーリーになっているがゆえに、「もちろん」とか「驚くべき」というような言葉がでてきても、ピタッとハマっていておかしくないし、百科事典の記事として何も損なっていないのです。腕がいいから物語のように読めるように仕上がっているのであって、物語そのものとは違うのです。私のように腕が悪いと「もちろん、驚くべき」と書いても、「何がもちろんなのか全然わからない」という感想をもたれてしまうでしょう。こういうのを凡て廃して「-である。-である。-である。」とやるのは辞書であって、これまた百科事典とはいささか異なるものです。
全く別の観点からいうと、これだけ多くの出典が示されていて、なおかつ高い評価があるのに、それらの出典を検証することなく「この言葉はおかしい」というのは、どうでしょう。少なくとも示された出典を確認して、「その文献にはそんな表現はなかった」「何ページのどこどこはまったく違う趣旨で書かれている」「出典での『朱塗り』を「真っ赤な」と言い換えるのはいかがなものか」(これらは例えですよ)とかいうような指摘をするなら、話はだいぶ違ったでしょう。「悲痛な叫び」の場合、提案者さんはあとになって出典の1つを「パラ読み」して、「出典にそう書いてありました」と言っています。それを最初にやるべきでした。そうやって個別的な検証を行わずに、表面だけ機械的に眺めて何かを行うと、ときどきとんでもないエラーを犯すことがあります。
砂手紙さんの最近の編集にその好例があるのであげておきます。これ。「おこる」という表現の送り仮名は、文部科学省が「本則として『起こる』と書け」としています[1]。もしこれに従って表面的な判断で機械的にやると、この砂手紙さんの編集は間違いということになります。しかし、これは映画の題名(固有名詞)なので、この映画に関しては「起る」が正しい。だから砂手紙さんの編集は妥当なのです。--柒月例祭会話

当該記事、導入部記述に関して

導入部記述全体を読まなければ、必要なこと(疫学、病原体.....)がどこに書かれているのか判らず冗長で可読性を低下させています。導入部記述の分割(節分け)を提案します。併せて、現状の画像配置は閲覧環境によっては記事が分断されます。再配置をご検討ください--Apple2000会話2015年10月28日 (水) 06:39 (UTC)

コメント 一応この記事の主執筆者のさかおりです。そもそもこの記事は「特定地域での風土病撲滅の歴史」を主題にしたものでありまして、「疾患病理そのもの」を主題にしたものではありません。従いまして導入部では「撲滅の歴史」を主眼点として記述をし、同時に疫学については住血吸虫症を、病原体については日本住血吸虫をそれぞれ参照してくださるよう誘導させていただいております。また、閲覧環境による画像配置云々につきましては、ご指摘の通りなのですが、すべての閲覧環境での表示確認は困難であり(ちなみに私の閲覧環境「DELLとlenovo」では記事分断等の不具合はありません)、再配置によって改善する閲覧環境が、従来不具合の無かった閲覧環境では不具合を起こす可能性もあり、何か良いお知恵があればと感じております。--さかおり会話2015年10月28日 (水) 08:09 (UTC)
検索エンジンから 日本住血吸虫症 を検索すると、Wikipediaの地方病 (日本住血吸虫症)日本住血吸虫 が検索結果上位に住血吸虫症は結果下位に出現、「日本住血吸虫」記事の冒頭部文中リンクの日本住血吸虫からは、地方病 (日本住血吸虫症)にリンクされて来ます。これは「日本住血吸虫」記事の冒頭部のリンク先を住血吸虫症に誘導すれば、一部の問題は解決させることが出来る可能性があります。しかし、当該記事中の「住血吸虫症」への誘導は平文中で行われており、通常使用する
の様に、目立たせるためのテンプレート {{see| }} {{Main| }} {{see also| }} が使用されていないためどこに誘導先リンクが有るのかが判り難くなります。また、さかおりさんは当該記事の主執筆者であるため内容を十分に把握しておられますが、検索エンジンから「日本住血吸虫症」を調べるためにWikipediaを訪れた利用者は克服・撲滅に至る歴史と宣言され戸惑う事でしょう。克服・撲滅に至る歴史を主に記述している記事であったとしても感染症としての日本住血吸虫症の最低限の説明文は必要と考えます。従って、不慣れな利用者の可読性向上に配慮された記事となる IP 利用者 115.65.89.21 の意図する編集を支持します。また、画像の再配置に関しては、サンドボックスなどを利用して別途提案させて戴きます。--Apple2000会話2015年10月28日 (水) 09:00 (UTC)
でしたら導入セクションで {{see| }} {{Main| }} {{see also| }}等を有効に利用して誘導先リンクを目立たせればよろしいのではありませんか?導入セクションを細分化するのでしたら、文脈も含め大幅な校正が必要となりますが、IP 利用者 115.65.89.21さんの行われた編集は、現状の文脈を無視し単純に分割しただけです。他利用者様のご意見も伺えればと考えます。--さかおり会話2015年10月28日 (水) 09:19 (UTC)
補足。私も当初 {{Main| }} を利用して記載を行っておりましたが、こちらの差分で {{Main| }} を利用しない記述に編集されております。これは元に戻したほうがよさそうです。--さかおり会話2015年10月28日 (水) 09:38 (UTC)

2015年10月28日 (水) 09:00 (UTC)のApple2000さんのコメントを踏まえてなのですが、記事冒頭のOtherusesないしOtheruseslistで対応できないでしょうか。↓こんな風に。

ちなみに、ボールドのマークアップは意識的に外してあります(過剰な感じがします)。--ikedat76会話2015年10月28日 (水) 12:06 (UTC)

ikedat76さん、ありがとうございます。言われてみれば確かに本文中で {{Main| }}等を利用するよりも、ご提案の方法がスマートですね。個人的にはOtheruseslistよりもOtheruses対応のほうが簡潔で好ましいと思います。一週間ほど待って異論がなければ、現状のOtherusesの内容を修正する方向で如何でしょうか?--さかおり会話2015年10月28日 (水) 12:26 (UTC)
Otheruseslistの方がいいかなあ…と書くのを忘れていました。どうしてもlistじゃないと嫌だということではありませんがいったんお任せします。--ikedat76会話2015年10月28日 (水) 12:29 (UTC)

編集が競合しましたが、そのまま投稿します。

個人的にはOtherusesテンプレートは「お節介」にも感じさせることも少なからずありますが、読者のアクセスビリティに関して同様の指摘が今後も続く可能性があるため、ikedat76さんのご提案はスマートな対応と思います。一点コメントするとすれば、「住血吸虫科の寄生虫の一種」より「病原微生物」(あるいは住血吸虫が病原微生物であることは内部リンクを貼れば自明なので誘導自体が不要かもしれません)、「住血吸虫科に属する寄生虫に感染することにより引き起こされる病気」より「住血吸虫の感染による疾患一般」とした方がより学術的でしょう。--Damena会話2015年10月28日 (水) 12:49 (UTC)
上記まとめると
あるいは
のようになります。--Damena会話2015年10月28日 (水) 12:49 (UTC)
いっそのこと、記事の内容要旨を表した記事名を「日本住血吸虫撲滅の記録」とでもしてはいかがでしょうか?——以上の署名の無いコメントは、180.200.227.165ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2015年10月28日 (水) 13:03‎ (UTC) に投稿したものです(Damena会話)による付記)。
記事名は長期間にわたる議論の末、現在の形に落ち着いています(過去の議論)。お手数ですがこちらに目を通してから、あらためて改名の妥当性をご検討ください。--Damena会話2015年10月28日 (水) 13:07 (UTC)

(インデント戻します)Damenaさん、ありがとうございます。Otherusesが簡潔と上記で発言しましたが、読者のアクセスビリティの観点からikedat76さんの仰る誘導先を一行ずつ分けたOtheruseslistが認知性が高く、より有用な表記に思えてきました。そこで、下記の文面を提示します。

Otheruseslistを利用した、このような文面を提案いたします。よろしくお願いします。--さかおり会話) 2015年10月28日 (水) 14:25 (UTC)リンクミス、一部修正。--さかおり会話2015年10月28日 (水) 14:33 (UTC)

良いと思います。--Damena会話2015年10月28日 (水) 20:25 (UTC)
横からですが、「広義」=「広い意味」ですので、「広義の意味の」の部分は「広い意味の」もしくは単に「広義の」とするほうが良いのではないでしょうか。現状の記事の冒頭でもそうなっていて違和感があるのですが、議論中のようですので独断で直してよいものか悩むため、ここでのコメントにとどめます。--Sumaru会話2015年10月29日 (木) 03:57 (UTC)
返信 Sumaruさん、まったくご指摘の通りで、単に「広義の」とするほうが良いですね。Otheruseslist化と同時に直します。ありがとうございます。--さかおり会話2015年10月29日 (木) 04:31 (UTC)

報告 ここでの議論に基づいて冒頭のOtheruses文面の変更およびOtheruseslist化を行いました。議論にご参加下さいました皆様ありがとうございました。--さかおり会話2015年11月5日 (木) 05:55 (UTC)