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ノート:国鉄EF64形電気機関車

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写真を上げたtaisyoです。この写真ですが、写りはそう悪くはないはずです。しかし、重大な欠陥があります。それは「EF64 1000番台独特の側面が全く分からない」です。しかも、広島には常駐してないので撮り直しも当面は出来そうにないです。運良く更新などで広島に来ていたら撮り直したいと思いますが、よく見る地域の方に上げて欲しいと思います。

EF64-1001の塗装

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以前にどこか(雑誌だったかな?)で、「EF64-1001の塗装は既に廃車となった12系お座敷列車『くつろぎ』指定機としてのものである。」というような記述がありましたが、これは公式なものなのでしょうか。公式であるならば、このことについて記述するべきだと思います。--プリンスドラゴン 2006年11月25日 (土) 03:48 (UTC)[返信]

記述すべきだとお感じであれば、ご自身で調べて裏を取り、追記することをお勧めします。なお、塗色変更の理由は既に本文中に記載されています、もうお気づきかもしれませんが。また、1987年3月31日に旧高崎機関区で行われた国鉄廃止関連イベントでは、同機関区で保存されていた多くの機関車(大半は現在碓氷鉄道文化むらで展示されているもの)が構内で展示されましたが、EF64 1001号機についても塗色変更された姿で展示されました。Alt_winmaerik 2006年11月25日 (土) 11:53 (UTC)[返信]

廃車一覧の扱いについて

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掲題の内容は、従来より製作異動の都度本文を更新する形式で編集されてきましたが、速報の意味合いが濃く十分な検証を経ずに記述される懸念が大きいこと、かつ、小規模の更新を頻繁に重ねる状態は好ましくないと思料されることから、個別の廃車情報は本項に移しました。

今後、個別機号の異動情報は本文編集のための「素材」として位置づけ、ある程度の情報が集積した時点で記述内容の検証を行い、本文記事への反映を「形式全体の動向」の形式で行う方針としたく、ご理解のほどよろしくお願い申しあげます。

WP:SEWP:NOT もあわせてご一読をお願い申しあげます。--出々 吾壱 2008年5月14日 (水) 15:02 (UTC) 誤字訂正・脚注の可視化 --出々 吾壱 2008年5月16日 (金) 13:56 (UTC)[返信]

2013年4月現在の状況

廃車[1]

  • 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14・15・16・17・18・19・20・21・22・23・24・25・26・27・28・29・30・31・32・33・34・35・36・40・41・42[2]43・44・45・46・47・48・49・50・52・53・54・55・56・57・58・62・63・64・65[3]・66・68・69・70・71・73・74・75・76・78・79・1029

運用離脱車[4]

  • 51・59・60・61・72・77・1007・1048
  1. ^ 大宮車両所に留置されていた19、65、篠ノ井駅付近、篠ノ井派出に保管されていた3・5・8・13・14・16・17・19・20・21・22・23・24・25・40・44・45・52・54・55・58・64・69、愛知機関区留置の4・6・7・10・11・12・15・27・28・29・30・31・33・43・47・53・56・57・63・68・70・71・73・78・79は解体済。1 岡山電車区にて現地解体、9 下関車両所にて解体。
  2. ^ 2007年3月にJR東日本の長野支社が保有していたお座敷客車「浪漫」引退に伴い、42も廃車となり、同月に長野総合車両センターにて「浪漫」と共に解体。41も2008年秋長野総合車両センターにて解体。
  3. ^ 中央西線で貨物列車牽引中に主回路機器から出火、消火の際に撒かれた消火剤により、修繕が困難な状況となったため廃車になった。同機は大宮車両所へ回送され、長期間留置された後、解体となった。
  4. ^ 運用離脱車は車籍こそ残っているものの、再度運用に就く見込みの無いもの。

JR貨物所属車両の両数の記載について、現在、ノート:JR貨物の車両形式にて意見が出ており、Wikipedia:コメント依頼の対象にもなっています。もし、よろしければそちらにコメントしていただければ幸いです。--110.233.244.83 2017年10月22日 (日) 05:26 (UTC)[返信]