ノート:国立国会図書館/過去ログ1
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一般的な書誌のルール
う~ん、参考文献の部分を改訂されてしまいました(T_T)。
確かに直された方が一般的ではあります。ただねぇ、順序まで逆にされてしまうのはいかがなものでしょうか……? 最新のシンポジウムの本が最初で、羽仁五郎さんの『図書館の論理』がおしまいに来てしまうというのは、ちょっと困るんです。というのも、羽仁五郎さんがこの本で述べているのは、根本的な図書館のあり方、きっちりとした基本原理なんです。図書館のあり方として、最低限これだけは譲れないというポイントがこの本の中に含まれているんです。ですから、この本を最初に持ってきたかったのよ。
一般的に書誌を最新のものから並べていくと、初発のものは最後の方に来てしまいます。でも、これはちょっと困る。何故かというと、初発の起爆力というのが殺がれてしまうんですね。ですから、わたくしは敢えて一般的な書誌の形式に則らないで百科事典の記事を書いています。そして順番も表記も意味を考えながら書いています。
以下の例を見て下さい。
書誌の例1
- アン・ライスの著作
- 八木啓代の著作
- レニ・リーフェンシュタールの作品一覧
- レニ・リーフェンシュタールの参考文献
- ナオミ・ウルフの著作一覧
特に、ナオミ・ウルフの著作一覧をご覧になればお分かりだと思いますが、この順に読めば、ウルフの関心が女性一般から母親へと移っていくありさまがよくおわかりかと思います。
書誌の例2
- 与謝野晶子の自著と関連文献
こちらは順不同に見えますが、実はそうではなくて、自著の場合は定本からはじまり、関連文献はもっとも基本になるものからはじまるように工夫してみました。厳密に比較対照して順位を付けたわけではありませんが、基本文献から並べていくことに意義を感じたので、敢えて発行年を書きませんでした。インターネットから接続しているわけですから、調べようと思えば容易に検索できるわけですからね。
書誌について提案
というわけで、一般的な書誌の表記というのは、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』向けにそろそろ見直す方向で再検討するのも一つの考え方だと思います。記事を書くとき、それぞれがその記事向けに表記を工夫し、いろいろな表記があって構わないのではないか、出版社名、書名、著者名が最低限書かれていれば用は足りる、と思うのです。というよりインターネット上で検索ができるならば、ほとんどの場合は書名、著者名だけで見つかると思います。
確かにページからエディタにコピー・ペーストする場合、一般的な書誌に統一しておく方が便利でしょうけれども……。けれど、それ以上の意義は感じません。
いかがお考えでしょうか? じっくりご一考の上、お返事をいただければ幸いです。
- Opponent 04:03 2003年11月27日 (UTC)
220.108.255.134からの回答
Opponentさん、議論をありがとうございます。まずは御礼申し上げます。
かつて国立国会図書館に勤務していた者なので、以前の職場がどのように記述されているか、興味深く読んでおります。さて、書誌についてですが、とり急ぎ2点、わたくしの考えを申し上げます。
一つは、文献を挙げる順序ですが、これは原則として著者名のアイウエオ順、つまり50音の順で挙げるべきである、と思います。「初発の起爆力」というOpponentさんの評価(あるいは与謝野晶子の例での「もっとも基本になるもの」といった評価)は評価として認めますが、書誌の世界ではそうした個人の評価を徹底的に排除する、というのが大原則であり、一般的な書誌をつくるときには、「初発の起爆力」といったような文献の内容的評価は決しておこなってはならない行為と考えられています。それをおこなってしまえば、文献の評価をめぐって、書誌の領域に無用の論争を持ち込むことになってしまいます(「Wikipedia:中立的な観点」という考え方からも問題になるのでは、とも思われます)。「書誌の例1」でナオミ・ウルフなどの例が挙げられていますが、これらは一人の個人の書誌であって、個人の場合と「国立国会図書館」のような項目の場合とは、異なります。また、ある個人や団体が与謝野晶子についての入門書などをつくり、「もっとも基本になるもの」という評価をおこないながら文献表を作成することと、〈百科事典〉の文献欄を作成することとも、やはり別の考え方や方法論にのっとるべきものだと思われます。
ただし、決して著者名のアイウエオ順に固執しているのではなく、個人的な文献の内容への評価によって左右されることのない別の原則(たとえば発行年月順)であれば、問題はないとも思います。また、一人の作家の項目などで著作目録をつくる場合は、発表年月順にするのが妥当な方法だと思います。
もう一つ、「出版社名、書名、著者名が最低限書かれていれば用は足りる」という考え方は、残念ながら日本の人文系・社会科学系の学界においてすら、多数派の考え方になっています。しかしながら、そうした考え方は、「だれもが容易に必要な文献にアクセスできる(たどりつける)」ことをひとつの目標とする書誌や図書館学の立場から見た場合、打破し克服すべき考え方なのです。たしかに、コンピュータで検索機能を利用すれば、「わかればいい」という程度の文献の挙げ方でも、めざす文献にたどりつくことは可能です。著者・書名・発行者・発行年の順でデータが並んでいようといまいと、著者名のアイウエオ順に文献が並んでいようといまいと、検索は可能である、というのも、現状ではたしかにその通りです。けれども、書誌学や図書館情報学が積み重ねてきた書誌の原則は、高度情報化社会においても、「だれもが容易に必要な文献にアクセスできる」環境を提供し得るシステムだと思われます。「一般的な書誌に統一しておく方が便利でしょうけれども……。けれど、それ以上の意義は感じません」というご意見は、書誌学や図書館情報学にしばしば投げかけられる意見のひとつです。たしかに、Opponentさんや、さらにわたくし自身にとっても、「それ以上の意義は感じ」ないのが日常的には事実です。けれども、書誌をつくるにあたっては、自分だけが書誌の利用者ではなく、だれもが自分と同じように書誌を利用するのではない、という、ある種の「おそれ」を持つ必要があります。Opponentさんやわたくしではないだれかは、われわれとはまったく異なった目的や必要から書誌を利用する可能性があり、そういったひとたちにとっても、利用しやすい「便利」な書誌にしておかなければならないのです。そのためには、これまで長年の試行錯誤を経て構築されてきた一般的な約束事にしたがって書誌をつくるべきである、と思います。「それ以上の意義」を感じる利用者をつねに想定しつつ書誌をつくる必要がある、と思います。また、コンピュータ・リテラシーの問題を考慮すれば、「書誌の例2」で「インターネットから接続しているわけですから、調べようと思えば容易に検索できるわけ」とOpponentさんは述べておられますが、わたくしは反対に、「検索できるわけ」はない、と想定して書誌をつくるべきだ、と考えています。文献をさまざまな角度から検索できるだけのコンピュータ・リテラシーをだれもが備えているわけではない、と想定しながら、ウィキペディアの文献欄ではある程度完成された書誌をつくるべきではないでしょうか、と思います(ウィキペディアの人文系の項目を見ると、一般的な書誌のルールに沿って文献欄で本を挙げているものも多数みられます。その欄を執筆・編集した方々が、以上のような意識で作業をされているかは判りませんが)。以上、説明不足のところもあるかと存じますが、とり急ぎご返答申し上げます。220.108.255.134 (11月27日)—以上のコメントは、220.108.255.134(会話/投稿記録/Whois IPv4 ・ IPv6)さんが[2003年11月27日 (木) 05:39 (UTC)]に投稿したものです。
とりあえずのご挨拶
活字中毒を自認しておりますゆえ、身も骨もあり、しかも明晰なご返答を読ませていただき、感動しております。「説明不足」だなんてとんでもない、短時間に手際よくまとめられ、たいへん分かり易く、かつ論理も意味も明瞭だと思いました。さて、拝読させていただきましたこのご返答についての応答を書かねばならないところですが、少し検討させていただきたいと思いますので、いましばらく(二、三日)お待ち下さいませ。重ねて感謝の意を申し上げておきます。
- Opponent 08:02 2003年11月27日 (UTC)
回答の補足と提案
お返事ありがとうございます。御礼申し上げます。少し補足させていただきます。
Opponentさんが「羽仁五郎さんがこの本で述べているのは、根本的な図書館のあり方、きっちりとした基本原理なんです。図書館のあり方として、最低限これだけは譲れないというポイントがこの本の中に含まれているんです」という本への評価は、本を読む側である「読者」としての評価、さらに言えば、文献を読みつつ、なにごとか仕事をする側の評価です。こうした評価にもとづいて、たとえば事典類の文献欄に載せる文献を選択する、ということには、なんら問題もありませんし、多くの事典類ではそうした評価をおこないながら文献欄がつくられています。
わたくしがここで問題提起しておきたいことは、文献がいくつか挙げられているなかで、「根本的な図書館のあり方、きっちりとした基本原理……ポイントがこの本の中に含まれているんです」という評価に即して、文献掲示の枠組みをつくること、つくりなおすことに問題がある、ということです。Opponentさんの以上のような評価にもとづいて文献が挙げられる、また、それが書誌の一般的な約束事にしたがって配列される、ということであれば、なんら問題はありません。しかし、いくつかの文献が挙げられているなかで、個人の評価にもとづいて順列その他を組み立てる、というのであれば、それは署名のある書籍や論文のなかで示される文献一覧ではあっても、無署名である『ウィキペディア(Wikipedia)』での文献表にはふさわしくないのではないか、と思います。
ひとつの解決の方法としての提案ですが、現時点(11月27日)での「国立国会図書館」の参考文献欄では、国立国会図書館側からの情報提供等として刊行されている文献と、国立国会図書館を利用する、あるいは国立国会図書館を含む図書館一般について考察するに資する図書館論の文献とを分けて一覧を作成し、それらを発行年月順に並べて、それぞれの本についての歴史的評価として、たとえば『図書館の論理:羽仁五郎の発言』については「根本的な図書館のあり方を提示し、以後の図書館運動に大きな影響を与えた」といった評言を付す、といった構成にしてみてはいかがでしょうか。ある程度評価の定まった本について、この程度のコメントをつけることは、Wikipedia:中立的な観点からも許容されるのではないかと思われます。また、この方法は、ほかの項目での参考文献欄にも応用可能ではないかと思います。
以上、とりあえず先に述べましたご回答への補足と提案です。
220.108.255.134 (11月27日)—以上のコメントは、220.108.255.134(会話/投稿記録/Whois IPv4 ・ IPv6)さんが[2003年11月27日 (木) 08:31 (UTC)]に投稿したものです。
ご提案に賛成です
ためしに与謝野晶子の関連文献一覧を作ってみました。アイウエオ順ではなく発行年月順です。なるほどこれだけ集まると、評価なんてのは無理ですね。というより個人で全部読むのは研究者でもなければ無理。評価してはいけないということも感じ取れました。また、NDL-OPACで文献をチェックしてみて書誌的事項の重要性が身に沁みました。ごくわずかの違いで全く出てこないこともありますし、国立国会図書館に納本されていない本も結構たくさんあることにも気付きました。さて、文献の内容で分けて一覧をを作り、さらに評言を付けるというのは明快ですね。順番など考えるよりも、文献の内容を明示すれば済む話でした。このご提案には100パーセント同意いたしますし、また、先に書かれた文章にも同意します。ただし、他の方々からご意見が出てくることも考えられますので、しばらく様子を見てから実行しようと思います。Opponent 11:46 2003年11月28日 (UTC)
- ある本について、確立された評価があればそれを記すのは中立性の観点から問題はないだろうと僕は思いました。
- また、関連文献(執筆に際し参考にした/言及した本ではなく、単に記事の主題に関係がある本)リストは、学術書などでもAnnotated Bibliographyのようなスタイルをとる場合があるわけですし、リストに短いコメントが入るのも、よいのではないかと僕は思いました。専門研究者向けの百科事典の場合には関連文献の紹介・解説にわざわざ独立したセクションを割いている場合もあったかと思います。Tomos 18:06 2003年11月28日 (UTC)
ご提案を採用しました
10日ほど、ようすを見ておりましたが、他の意見はどなたもお出しになりませんでしたので、ご提案を採用して本文を変更いたしました。
関西館について
ついでに国立国会図書館関西館も少し改訂しておきました。本館へは以前、何度か行ったことがありますので想像ではなく実態も知っておりますので書くことができましたが、関西館へは行ったことがありませんので実態はわからず書けません、受け売りよりも実態の方を知りたいと思います。
関西館は奈良駅から近いようです。奈良在住の方がいらっしゃいましたら、ぜひとも実態を調査していただけるとありがたいと思います。どなたか、よろしくお願いします。
本館についても
本館の食堂は貧弱で近くの参議院議員会館の食堂(いちばんおいしいのは衆議院第二議員会館だというのがもっぱらの評判)を使えれば安くておいしいのに、と常々思っていました。最近、本館の食堂はどうなんでしょうか。こちらもご存知の方があればよろしく。食堂のことだけに限りませんが。
- Opponent 14:43 2003年12月10日 (UTC)
「真理がわれらを自由にする」
「真理がわれらを自由にする」についての説明はともかく、羽仁五郎の思想や図書館の自由に関する宣言は別の記事で論じたほうがよいのではないでしょうか? 羽仁五郎、図書館の自由に関する宣言で立項するのが無理ならば、日本図書館協会とか、図書館運動で立項するとか。そうすれば下で話しているような問題も自ずと回避できそうな気がします。
とりあえず沿革から括りだして理念というセクションをつくってみましたが、むしろ収まりが悪くなってるかもしれません。いや、どうしてもここで書かなければいけない、なにか図書館学的な理由とかそういうものがあるならば別に良いのですが…ちょっといままでの記述ではこの流れがちょっと余談にそれているように見えましたもので、一言。Safkan 2004年12月2日 (木) 07:02 (UTC)
- あー。上ではこう書きましたが、少し調べて加筆修正してみたら(僕の感覚では)ずいぶんおさまりよくなった気がしたので取り下げます。Safkan 2004年12月17日 (金) 14:35 (UTC)
複写について
『また利用者自身がコピー機でコピーを取ることはできないため、混雑時にはコピーの申し込みをしてから製品を受け取るまでにもまた数十分の時間がかかり、多くの利用者が非常に長く待たされることから不満の種となっている。』
とありますが、セルフコピー不可と待ち時間の因果関係は少しおかしいと思います。セルフコピーを導入すれば、待ち時間はより長くなってしまうと思うのですが。コピー機にずっと並んで待つ方が利用者のストレスも増大すると思われますし、トラブルの元になりそうな気がします。関西館の待ち時間が少ないのはあくまで利用者が非常に少ないことに起因すると考えます。--202.221.41.1 2005年10月29日 (土) 06:46 (UTC)
- 確かに。「~できないため」との表現がよくありませんでした。それでは修正案を挙げておきます。
- 修正案1: 『~コピーを取ることはできない。混雑時には~』
- 修正案2: 『~コピーを取ることはできず、混雑時には~』
- 意味は同じですが、なるべく短い文章で区切るなら修正案1、全体の文章を短くするなら修正案2、でしょうか……。
- Opponent 2005年10月29日 (土) 12:01 (UTC)
- ついでに後段をすっきりさせる案も挙げておきます。
- 『多くの利用者が非常に長く待たされることから不満の種となっている』
- を
- 『待ち時間の長さは利用者への大きな負担となっている』
- に。
いかがでしょう?
-Opponent 2005年10月29日 (土) 12:24 (UTC)
- ついでに後段をすっきりさせる案も挙げておきます。
早急なご返事、ありがとうございます。 どちらの案もよいと思います。 もし、複写の混雑の原因を挙げるとすれば、むしろ館外貸出を行っていないことが原因と言えるかもしれませんね。 「館外貸出を行っていないため、複写の申込が非常に多く、また、利用者自身がコピー機でコピーを…」なんて続けるのもいいかもしれません。そうするのであれば、修正案1になるでしょうね。具体的にはお任せします。 --202.221.41.1 2005年11月2日 (水) 02:35 (UTC)
- えー、応答いただいたにもかかわらず、今の段階で記事の変更はされていません。わたくしは回答した立場です。ですから編集による修正は、わたくしとわたくしの提案に賛同して下さった質問者202.221.41.1さま以外の方がなさるのがベターだと思います。お手数ですが、どなたか編集をしていただけませんか。具体的な内容は編集なさる方にお任せします。もちろん反対の意見や異論の提起も歓迎いたします。
- Opponent 2005年11月6日 (日) 14:29 (UTC)- Thanx to johncapistrano. - Opponent 2005年11月7日 (月) 07:15 (UTC)
記述が見違えてよくなったと思います。さらにご提案なのですが、
- また利用者自身がコピー機でコピーを取ることはできず、
をいっそのこと、待ち時間の長さに関する記述のところからその段落の最初に移し、
- 複写(コピー)は、資料保全のため利用者自身がコピー機でコピーを取ることを認めず、複写カウンターに申し込んで行う方式である。複写の条件は著作権法第31条の定める著作権者の許諾を得ない複写の範囲に限られており、資料の全頁を複写することはできない。また混雑時にはコピーの申し込みをしてから製品を受け取るまでにもまた数十分の時間がかかり、待ち時間の長さが利用者への大きな負担となっている。
にしてみてはどうかと思うのですが、いかがでしょうか?Safkan 2005年11月12日 (土) 03:42 (UTC)
- 特に動きがないようなので適当に編集します。Safkan 2005年11月19日 (土) 11:49 (UTC)
「概要」
他の加筆事項を編集したついでに(僕の主観では)不要と思われた「概要」を取ってみたところ、加筆点ごと差し戻されてしまったので、ありえる対応について考えてみます。この場合の対応は、4つありえると思います。
- 現在のままに留める。これは国立国会図書館を定義する上で不可欠な部分である「日本唯一の法定納本図書館」などが定義から切り出されてしまい(これが第一文に含まないのは、一文が長くなりすぎるのを避けるためであって定義の一部ではないからではない。)、本来意図されていた文脈が崩れてしまうので私としてはとうてい承服できません。
- 冒頭定義を現状のように1文にまとめ、「概要」のそれだけで項目に関する全体的な概要がわかる内容を十分に伝えるセクションとして再構成する。冒頭部分にまとまった内容があったほうが調べもののための記事としては適切と考えている私としては全く不本意ですが、他の方がそのほうが良いとおっしゃるのなら致し方ありません。
- 旧来の冒頭を削って短くし、「概要」を廃止する。しかしこれはそれまでの「定義」を大幅に「概要」に移し「定義」を現在のようにごく短いものとしてよしとされたKugaさんのご満足は得られないかもしれないと危惧します。
- 旧来の版に差し戻す。これはわざわざ差し戻しをされたKugaさんのお考えに背くと思うし、悪くすれば編集合戦を招きかねません。
どうしたものでしょうか。当事者たる僕自身は当然、3か4にしたいんですけど…。Safkan 2005年12月12日 (月) 14:21 (UTC)
一応「3」の線で削れるだけ削るとこんな感じかなと。
- 国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん)は、国会議員の調査研究のための図書館であり、また納本制度に基づき、原則として国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する国立図書館である。英語名はNational Diet Library。
日本の立法府である国会に属する機関であり、国会の立法行為を補佐することを第一の目的とするが、同時に日本で唯一の国立図書館として行政・司法の各部門および国民に対するサービスをも行っている。
どんなものでしょうか。Safkan 2005年12月12日 (月) 16:06 (UTC)
(コメント)Safkanさんご提案の1は私も反対。私は何も物を知らない人間ですので、入り口が簡単なのは有難いですが、いくらなんでも冒頭部に「国立国会図書館は、・・・図書館である。」だけってのは、(書き手にはそんな意図がないかもしれないけど)馬鹿にされているような、不親切さを感じてしまいます。・・・とおもっていたら、あなんさんが戻してくださいましたが。Yukichin 2005年12月12日 (月) 18:16 (UTC)一部修正Yukichin 2005年12月12日 (月) 21:13 (UTC)
- 私自身も、長めの記事は冒頭部分(目次上)で、「全部読まなくてもさわりだけはつかめる」ような概論的解説を置く方が読者にとって親切でいいと思います。読者は忙しかったり分量にげんなりして全部読まれるとは限らないのも事実なので。基本的には4案支持ですが、上の例文に所在地、関西館の存在など少し肉付けしたレベルでもいいですね。
- ただ、画像の位置については目次脇のスペースや文章の折り返しを考えると、画像は目次の横がベストポジションかも、とも思います。--Charon 2005年12月13日 (火) 12:53 (UTC)
ただ4はどうやら不評も多いようで、ありえない選択肢かなと思えてきました。冒頭を短くし、画像を目次の横へ、というのは必須として、あとは「概要」にあたるセクションを置くべきかどうか、といったところでしょうか。また、ここでこの項目の問題性が明らかにされたのをいい機会として、しっかりと手を入れなおしていければ、よりよい項目をつくっていくために望ましいと思います。ご意見のある方は是非編集や批判に参加してもらえないでしょうか。Safkan 2005年12月13日 (火) 13:04 (UTC)
- 冒頭部については、分量的には2段落(現在の半分)程度に押さえるのが良いと思いますが、内容的には、上から順に読んでいくことを考えると、全く予備知識のない人が「沿革」の節を読んで理解するのに必要な基本的な情報は、それ以前に触れてあるべきだと思います。この記事に関しては、確かに長いかもしれませんが、分かりやすいので好きなんですけど。「沿革」の前に「概説」を入れるとすると、冒頭部と概説部の棲み分けが難しいですね。
- 目次の右側の空きスペースに画像を入れると、環境によっては、目次と画像が重なったり、あるいは、重ならない場合には目次欄が画像によって圧縮されてわずかな文字数で改行され、目次が異様に縦長になったりということが起きます。ですから、非推奨として欲しいです。稀に、自分の環境を基準にぴったりになるように画像サイズを指定される方も見かけますが…。--oxhop 2005年12月13日 (火) 13:43 (UTC)
画像の位置ですが、おっしゃることはその通りと思いますが、ケースバイケースじゃないでしょうか。むしろ目次の横幅が広くなりすぎないよう、見出しの文字数を絞ることも検討課題だと思いました。Safkan 2005年12月17日 (土) 12:40 (UTC)
- 目次と画像の干渉は、目次の字数と画像のサイズ(幅)に気をつければ大丈夫なんじゃないかと思います。私はデスクトップの17インチ画面なので切実さがまったくないだけかもしれませんが。
- ところで「概要」の件ですが、Kuga氏の実際の編集を見ると、利用者‐会話:Kugaで指摘しておいたように、概要や冒頭のわかりやすさについての自分の発言とは裏腹に、概要として成立していないものも見受けられます。会話ページで挙げた以外には、ワインでは成分の列挙だけの文章を「概要」としてまとめているし、ジハードでは日本語の訳語とアラビア語における原義、つまり語釈だけの部分が「概要」とされています。要するにKuga氏はちゃんとわかっててやっているわけではなく、適当に冒頭の定義部分と最初の節分けの間にある文章を「概要」とくくっただけのようです。批判のうち具体的な論拠がある部分は受け止めるにしても、理論と実践の著しい乖離ゆえあまり真に受けるのは危険かと。--Charon 2005年12月26日 (月) 12:33 (UTC)
- ご指摘の件ですが、文意が壊れるのを承知で「わざと」やったのだというようにご本人もお認めではないかと思いますが。また、私としては、当否は別として、ご意見として真摯に受け止めるべきところは受け止めるべきと申しましたが、Kugaさんが今回行われた行為についてのご意見はきちんと申し述べたかと記憶しております。私の記憶違いでしたでしょうか。
- 指摘点の整理及び項目の改善はまだ時間がかかりそうなんですが、とりあえずご指摘を参考に、冒頭を短くして写真の位置をずらしてみました。Safkan 2006年1月12日 (木) 13:29 (UTC)
- うーんフォローしてるようで全然フォローになってないような気が(笑 ただ、どんな意図があったとしても、Kuga氏がトンチンカンな「概要」をつけて記事を劣化させていたことに変わりないので、見かねた所は差し戻ししています。一連のやりとりも含め、あんまり愉快な体験ではないのでこれっきりにしたいと思います。
- とは言ってもKuga氏の批判のうち、「秀逸な記事とされている記事群には記述が整理されていない、それにふさわしくない記事もある」という点はもっともだとも思うので(だからこそかなり前に「秀逸な記事の再選考」というものができたのですが)、記事群の見直しは大いに必要ですね。
- まずは現在ほとんど使われていない「再選考」を再開して整理したいところですが、これは関わる人が大勢いないと何もできない(前に行った時、票が規定に届かず放置したままいつの間にか自然失効になっていたのは遺憾です)ので十分な周知と呼びかけが必要ですね。実行にあたっては、見直すべき記事をリストアップして順次選考にかけ、井戸端や告知などで触れ回るのはいかがでしょうか。--Charon 2006年2月13日 (月) 14:54 (UTC)