ノート:固定観念
いくら感染力が低いとは言え「らい病は感染する」というのは事実ですので、例として不適切です。「らい病は遺伝する」という誤った信念はたしかに存在しましたが。またユダヤ人に関して「実際には当然平等に扱われるべきである」との「べき論」を付加するのは望ましいとは思えません。ついでにもひとつ、ステレオタイプと固定観念を同義として扱うのは少し乱暴に過ぎやしないでしょうか。ステレオタイプは第一次大戦後にジャーナリスト、リップマンが提唱したもので、比較的新しい概念です。Diogenesis 2004年11月28日 (日) 16:02 (UTC)
固定概念?
[編集]似たような言葉に固定概念がありますが、これは固定観念や既成概念の誤用なのでしょうか?分かる方がいらっしゃったら追加をお願いいたします。--210.229.28.208 2006年3月26日 (日) 20:10 (UTC)
- 学校などで習った覚えもありませんし、おそらく誤用だろうと理解しています。googleでは固定概念の方が多くヒットしますが、それでも誤用だと思います。
- 固定観念は「観念の固定化したもの」であり、観念は時と場所や状況によって変わるものなのでそれが固定化してしまった良くないものという筋の通った意味になります。しかし概念はそもそも初めから固定的なものでありたとえそれが指す言葉が変わっても(例えばそれまで固定観念と呼ばれていた概念が固定概念と呼ばれるようになっても)その概念自体が変化する訳ではないため、それが固定化するしないという話にはなりえず、したがって固定概念という熟語があるとすれば「概念の固定化したもの」という意味ではあり得ません。無理矢理こじつけても「固定的な存在であるところの概念」ぐらいしか言えそうにありません。これでは「照明用蛍光灯」とか「振動型スピーカー」とか「防風・防水用住居」とか言っているようなもので、あまり意味がありません。なら概念だけで充分だということになります。このように固定観念という熟語が存在するのは非常に自然であり固定概念という言葉が存在するのは非常に不自然なので、やはり誤用だと思います。
- というかgooの国語辞典サービスで調べたら三省堂「大辞林」で固定観念が1件ヒットしたのに対して固定概念は0件でした。ほらやっぱ誤用じゃん。
- 思うに、概念という単語は日常でもそこそこ使うのに対して観念という単語が哲学など一部の分野以外ではほぼ使われないためにほぼ知られなくなり、その上で固定観念という熟語を覚えるに当たって勘違いをしたり、一度覚えて忘れ思い出すときに間違って類推してそのまま覚えたり、概念という単語を本来の概念と観念の両方を含む意味だと勘違いしてそのまま他者の固定概念という言葉を受け入れたり他者の固定観念という言葉を「固定概念の誤りだろう」と類推したりしてしまう人が多いのではないでしょうか。
- 参考:「はてな」でのやり取り 質問者は誤用だと思っているようですが、そういう言葉があると思っているらしい回答者の発言が参考になりました。Bit 2006年3月26日 (日) 22:33 (UTC)
ありがとうございます。googleでも多数ヒットすることや、Amazonにおいて調べてみても本のタイトルに「固定概念」を使っているものが2冊ある一方、「固定観念」をタイトルに使っているものが無いということなどの理由で気になってしまい、調べていました。--133.11.94.115 2006年3月27日 (月) 12:41 (UTC)
ステレオタイプと固定観念は分離すべきでは?
[編集]ステレオタイプや固定観念の例と意味について加筆してきましたが、私は、ステレオタイプと固定観念が同じ項目になっているのが気になります。ソフトウェア開発の世界には、UMLという表記法がありまして、その中で用いられる'sterotype'とは、むしろ被表現物への理解を助ける為に存在しています。古鳥羽護 2006年5月19日 (金) 19:14 (UTC)
- ソフトウェア用語は、曖昧さ回避で別記事にして良いと思う。外来語言い換え提案内に興味深い提案がある。ステレオタイプの言い換え語として紋切り型とある。また、下記のような陳述もある。
文脈によっては,「類型」「固定観念」「画一的」で言い換えるのが分かりやすい場合もある。
- 上記のことから、該当の記事を分離する必然性は今のところ感じられない。--Seihonda 2006年5月26日 (金) 14:31 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。ソフトウェア用語としてのステレオタイプについてまとまった記事が書けたら、「ステレオタイプ(曖昧さ回避)」「ステレオタイプ(ソフトウェア)」を作って分けてみようと思います。ソフトウェア用語としては、外来語の言い換えだと「類型」が最も適訳なんですけどね。 --古鳥羽護 2006年5月26日 (金) 15:46 (UTC)
- 「ステレオタイプ」と「固定観念」は別の概念であり、どこがどう違うのか、よく考えて戴きたく思います。先入観という記事が、辞書的だというので削除に出されていたので、ある程度の定義と説明を記しましたが、先入観と偏見はどう違うのか、という点が問題になります。先入観は、経験の前に抱いている観念で、この「経験の前」が重要です。偏見は、経験の後先は関係なく、経験してみても、偏った見解や意見が残ることがあります。
- 「固定観念」と「ステレオタイプ」は、どこが違うかと言うと、固定観念は、経験を通じても、また追加知識を得ても、容易に変化しにくい観念のありようを言います。そのような「変化しにくい、是正しにくい観念」のことです。他方、ステレオタイプとは、「紋切り型」のことで、スタンプで紙の上に印を押すと、「同じ印」が幾らでも簡単に出来るように、大勢の人の認識や観念のなかで、スタンプを押したように、同じような単純な類型的な考えや、ものの見方、意見があるとき、こういう観念、意見、ものの見方のありようを、ステレオタイプと言います。ステレオタイプなものの見方について、それは「違う」とか「もっと複雑な構造がある」と指摘されて、考えが変わったり、ものの見方が複雑なものに変化する場合、この「ステレオタイプだった見方」は、ステレオタイプであることを脱します。しかし、人によっては、そういう指摘を受けても、認識の変更を迫られる経験に出会っても、ステレオタイプな見方・考え方が変化しない人もいます。後者の場合は、そういうものの見方は、ステレオタイプであって、かつ「固定観念」になっていると言います。
- しかし、固定観念は必ずしも、ステレオタイプとは限りません。独特な、非常に複雑なものの見方や解釈をしている人がいます。ある意味、ユニークで独創的なのですが、明らかに客観的に判断すると、誤謬であり、偏見であるような考えや観念などを持っている人がいるのです。そして、色々な人が、その考えはおかしいとか指摘し、おかしさに普通は気づくような経験や知識を得ても、なお、その考えやものの見方に固執して、考えを変えない場合、こういう考え、観念を、「固定観念」と言います。この場合の固定観念はステレオタイプのまるで反対の観念です。紋切り型どころか、そんな考えを持っている人は、探しても見つからないと言うような観念です。
- 受け入れるのは楽で簡単だが、認識を深め、考えを訂正するのは、手間や時間がかかるような観念やものの見方は、ステレオタイプな考えに多いと言えます(簡単に受けいれられるので、大勢の人に同じような考えが流布するのです)。ステレオタイプな考えは、訂正に手間がかかるので、訂正が面倒になるので、固定し易く、ここからステレオタイプな考えや観念は、しばしば固定観念になりやすいのです。しかし、ものごとを深く考える人や、反省思考傾向の人は、ステレオタイプな考えを持っても、それを訂正することが多いので、そういう人の場合、「ステレオタイプな観念=固定観念」とはなりません。また、上に述べた、独特な複雑な観念であって、似たようなものは稀であるが、その観念を持つ人が、容易にこの観念を訂正しない場合、この「ユニークな観念=固定観念」となります。
- 観念が誤謬であるとき、あるいは一面的で偏っている場合、訂正が起こり易いか起こりにくいか、起こりにくい観念を「固定観念」と言うのであり、他方、訂正の起こり易さとは別に、大勢の人が、同じような観念を持っている場合、そしてそれが、単純で底が浅い場合などに、こういう観念を「ステレオタイプ」というのです。ステレオタイプは、観念の単純さ・複雑さや、個性的かそうでないか、というような位相で決まり、他方、「固定観念」は、その観念の訂正の容易さ、認識の変化の可能性の位相で決まります。両者が交差する部分もあるのですが、交差しない部分もあるのです。
- --Maris stella 2006年6月5日 (月) 00:26 (UTC)
訂正の草稿
[編集]固定観念(こていかんねん)は、固着観念(こちゃくかんねん)とも云い、心理学の用語で、人が何かの考え・観念を持つとき、明らかに過ちであるか、おかしい場合に、他の人が説明や説得を行っても、あるいは状況が変わって、おかしさが明らかになっても、その考えを訂正することのないような観念を指す。
精神病における妄想のようなものも固定観念であり、また盲信・迷信なども固定観念となっている場合がある。
日常的な表現で、何かの「思い込み」を人が持っているとき、これを「固定観念に捕らわれている」と表現することがあるが、厳密には言葉の誤用である。例えば、「鳥は飛ぶものである」という考えは、多くの人が持つ思いこみであるが、固定観念ではない。鳥であっても飛ぶことのない例、たとえば、ペンギンやダチョウを示されると、一般に人は、思い込みから脱して、「飛ばない鳥もいる」という考えになる。
ペンギンやダチョウの例を出して説明してもなお、「鳥は飛ばない」という観念や自己の主張をどうしても変えない場合には、固定観念となっていると云える。
人は未知なことや、よく知らないことについて、実証的な根拠に乏しい「思い込み・先入観」を持っていることが多い。何らかの理由で、思い込みに拘泥し、どのような例を出されても、説明を受けても、思い込みを変えない場合には、この思い込みは固定観念になっている。
固定観念と混同されるものに、「ステレオタイプな考え・観念」がある。また盲信や迷信・俗信を固定観念と呼ぶこともあるが、迷信や俗信は、ある程度広く共有されている世界観などに基づいて、ある考えなどが信じられているもので、固定観念の定義に合う場合もあるが、別の概念である。
また先入観を固定観念と呼ぶ例もあるが、多くの人にとって先入観は一旦持つと改めにくいものであるため、固定観念の様相を帯びるが、これも厳密には固定観念とは概念的に別のものである。
固定観念が、このように概念的に似ているが、実質的には別のものであると考えるべき事態に対し用いられるのは、日常語における慣用的な用例が存在するためであるが、その背景を考えると、「固定観念」の本来の意味を考えないで、日常的用例における「思い込み」に依拠しているということがある。固定観念という概念や言葉自体が、紋切り型(ステレオタイプ)な理解をされている。
以下に列挙されている色々な例は、「思い込み」、「ステレオタイプな考え」、「迷信・俗信」、「偏見」、「先入観」などであり、またそれらの組み合わせである。
例えば、
- 「奇術」は、「思い込み・先入観」を元に成り立つ。固定観念ではない(種明かしされると、納得する)。
- 「ハンセン病」は、無知・先入観と、いま一つ、呪術的な思考が背景にある(迷信的要素)。
- 「ドイツ人の優越性」は、偏見あるいは俗信である。
- 「性犯罪の被害者の落ち度」は、無知・偏見・先入観・ステレオタイプな考えである。(実証がしにくく、また確認しにくい)
- 「食事を箸で」は、文化的先入観・ステレオタイプ。
- 「魔女」は、迷信または思い込み。
- 「現代音楽はでたらめ」は、先入観・偏見・ステレオタイプ・タブロイド思考。
- 「アメリカは大雑把」は、文化的偏見・ステレオタイプ・思い込み。
などなど。
いずれにしても、「固定観念」というのは、頑迷にある考えに拘り、説得や説明にも、考えを変えないようなものを云うので、少なくとも「個人の心理における信念・確信」の問題で、社会的・文化的な広がりを持つ場合は、話が違う。また「個人の心理のありよう」なので、上の「アメリカは大雑把」とか「現代音楽はでたらめ」は、そう考える人もいれば、そう考えない人もいるので、どこが固定観念か、明確でない。
(以下訂正が必要。続く)
- とりあえず、「工事中」のテンプレートを貼りました。ステレオタイプはステレオタイプで、別項目を設ける必要がありそうですね。ただ、私、しばらく入院する事になりましたので、我と思わん人は、ご協力をお願いします。--古鳥羽護 2006年9月12日 (火) 12:36 (UTC)
全面的改稿しました
[編集]節を変えますが、古鳥羽護 さん、すでに全面的な改稿を行っています。まったく新しい起草で記事を書いていますので、「工事中」のテンプレートは外しました。ステレオタイプは記事を新しく造る必要がありますが、そう色々とすぐに着手できません。現在、リダイレクトなので、自己リダイレクトとなっていますが、ステレオタイプもまとまった記事を投稿しますので、しばらく待って戴きたく思います。中途半端なことを書きましても、系統的な記事を書いた場合は、全面的に書き換えます。(また、「思い込み」も記事を書かねばと思っていて、着手していません。哲学概念の「ドクサ(臆断)」の記事を造り、ここへのリダイレクトにするのがよいのではと考えています)。--Maris stella 2006年9月12日 (火) 23:54 (UTC)