ノート:回復領
英語版からの翻訳による日本語版記事の立て方について
[編集]以下は、正規の分割提案ではなく、記事分割の可能性について、ご意見をうかがいたく議論を提起するものです。
英語版からの翻訳により、現時点でおよそ2/3にあたる内容を訳出しました。既に、5万バイト超になっており、英語版のバイト数も超えています。残る部分は、"History of the "Recovered Territories" before 1945" のセクションですが、これは、このままこの記事に取り込むよりも、独立した記事にして、例えば回復領の歴史なりポーランドに帰属する旧ドイツ領の歴史、あるいは他の適切な記事名を与えた方がよいのではないかと思います。
既に分量が大きいということも理由のひとつですが、基本的にこの部分の内容は「回復領」という概念が成立する以前の歴史記述であり、ポーランドの視点からという限定はつくものの、別途翻訳が着手された旧ドイツ東部領土と内容が重複する可能性が大きく、近い将来に何らかの調整が必要になることも予想され、そうなった際に、独立した記事になっていた方が扱いやすいのではないか、と考えたのが、分割を提案する大きな理由です。
いったん、この記事全体を訳出してから正規の分割提案をするということも考えたのですが、まだ時間がかかりそうなので、先に議論をして頂ければと思います。よろしくお願いいたします。--山田晴通 2010年3月25日 (木) 09:55 (UTC)
- 山田晴通さん、こんにちは。翻訳お疲れ様でした。Bletillaさんの旧ドイツ東部領土の方も完了し、ようやく見比べることができました。関連性は高いものの、意外と重複する部分は少なかったですね。
- さて、今記事の未訳節「1945年以前の回復領の歴史」につきましては、おっしゃる通り「回復領」という概念が成立する前のことですので、これらの地域をまとめて取り扱うのは難しいと思います。実際、英語版も地域を6分割して、個々に記述していますし。
- この部分につきましては、翻訳・加筆の後、ゆくゆくは、「回復領の歴史」としての一括分割ではなく、個々の地域記事(ポメラニア、グダニスク、ラウエンブルク・ビュートフ(en:Lauenburg and Bütow Land)、ルブツ(en:Lubusz Land)、ブランデンブルク州、ポーゼン・ヴェスト=プロイセン州(en:Posen-West Prussia)、シレジア、プロイセン (地名)(en:Prussia (region))、東プロイセン、など)へと分割・統合し、「詳細は○○○を参照」と誘導する形が宜しいかと思います。--Ashtray 2010年4月11日 (日) 06:44 (UTC)
この記事について
[編集]英語版からの翻訳が基礎になっていますが、かなり強いドイツ民族中心主義プロパガンダのトーンを感じます。この点、どうなのでしょうか?中立性に問題はありませんか?全般的に、読者がポーランド側の道徳性を問題視するように誘導的な記述が行われていますが、回復領が成立した背景としてドイツが国家の政策としてポーランドを侵略し数百万のポーランド人に対する積極的な大虐殺を行ったという事実がそっくり抜け落ちています。(この点によって、太平洋戦争末期にソ連が満州や北方領土を侵略した事件と本件とは本質的な部分からして異なることがわかります)。このままでは無垢のドイツ人が一方的に迫害されたように印象付けをしようという英語版の作者(たち)の意図があまりに強く、歴史の記述としては不自然と言わざるを得ません。検証可能性自体はたしかに満たされていますが、肝心の引用元はきちんと査読を経ていない上、学会で検証も受けていない、一方的な主張が多いように思いますが、いかがですか?結論として、Wikipediaによくありがちな一方的なドイツ民族主義プロパガンダ・レトリックのように見えますが。翻訳された山田晴通氏は、英語版の翻訳だけをされて、この点をそのままほうっておかれるおつもりでしょうか?116.83.20.4 2011年1月22日 (土) 13:06 (UTC)
- 翻訳依頼にて、かつてこの記事を依頼した者として一言申し上げます。
- 四の五の言ってないで、独=波史の文献をかき集め、加筆・修正してください。
- Wikipediaは、誰かが書いたから誰かのモノ、ではないのです。--Ashtray 2011年1月22日 (土) 15:03 (UTC)
- 山田晴通=利用者:山田晴通です。IPさんのコメントは、山田個人へのご質問のようですが、個人に向けた質問であれば利用者‐会話:山田晴通をご利用いただき、このような質問の書き込みをしたことをお知らせ頂ければ幸いです。今回はたまたま時間をおかずにご質問に気づきましたが、個別の記事のノートなどに書かれただけですと、見落としてしまう可能性が大きいので、お返事しそびれることもあると思います。あるいは、質問自体を利用者‐会話:山田晴通に書き込んでいただくということでも結構です。
- さて、記事の中立性について、私自身は、英語版からの翻訳の時点で大きな問題があるとは考えていませんでしたし、現段階で見直してみても特段の偏りがあるとは思っていません。もちろん、自分の見方が完全に中立的であるという主張をするつもりはありませんし、適切な加筆を通じて記事が改善されるのは良いことであると思います。
- ただし、コメントで言及されていることに関して、いくつか疑問も感じましたので、参考までに書き留めておきます。これはIPさんに回答を求めているということではありません(もちろん、コメントしていただいても結構ですが)。
- ポーランド語版の記述全体を理解しているわけではありませんし、山田の拙いポーランド語の理解の範囲でのことですが、ポーランド語版の記述でも、この表現がポーランド人民共和国のプロパガンダに動員されていたことは明記されているように思います。ポーランド語版も「かなり強いドイツ民族中心主義プロパガンダのトーン」があるのでしょうか?
- 「回復領が成立した背景としてドイツが国家の政策としてポーランドを侵略し数百万のポーランド人に対する積極的な大虐殺を行ったという事実が」あったとするのは、独自研究ではないでしょうか?また、「この点によって、太平洋戦争末期にソ連が満州や北方領土を侵略した事件と本件とは本質的な部分からして異なることがわかります」とありますが、ポーランド民族が、歴史上、一時的とはいえこれらの領域を支配する国家をもった時期がそれ以前にあったのに対し、ソ連の中心であったロシア民族が、「満州」(中国東北地方)にせよ、北方領土にせよ、歴史上一度も領有した実績がないことこそが「本件とは本質的な部分からして異なること」である、と考えるのが妥当ではなのではないでしょうか。
- なお、上の点について、ナチ政権下の「ドイツが国家の政策としてポーランドを侵略し数百万のポーランド人に対する積極的な大虐殺を行ったという事実」という指摘は、そう考えることもできると思います。第二次世界大戦の死者数についてはいろいろ議論がありますが、例えばこちらの資料を見る限り、ポーランドは民間人だけで600万人近くの死者が出ています。ところで、それを上回る民間人の死者を出している東洋の国は、一体どこの国に侵略された結果、これだけの死者が出たのでしょう? それは「国家の政策...積極的な大虐殺を行った」結果なのでしょうか? 気になるところです。
- 「検証可能性自体はたしかに満たされていますが、肝心の引用元はきちんと査読を経ていない上、学会で検証も受けていない、一方的な主張が多いように思いますが、いかがですか?」とありますが、具体的に、どの引用元が「学会で検証も受けていない、一方的な主張」にあたるとお考えなのでしょうか? この記事には引用は2つしかありません。ひとつはCurp の著作からの引用で、もうひとつはポーランド人民共和国の公文書の引用です。おそらく仰りたかったのは、「引用元」ではなく「典拠」なのかもしれませんが、そうだとしても具体的にどれが「学会で検証も受けていない、一方的な主張」にあたるとお考えなのかは気になります。著作として出版されている学術書は、学会論文とは異なり「査読を経ていない」わけですが、そうだからといって単純に「学会で検証も受けていない」と断じることは難しいと思います。また、十数点示されている典拠のうち、いくつくらいがそれに該当するとお考えで「多いように思います」と仰っているのかも気になるところです。
- いずれにせよ、とりあえず現状に関して「英語版の翻訳だけをされて、この点をそのままほうっておかれるおつもりでしょうか?」という問いには、「改善すべき点に気づけば何かするかもしれませんが積極的に大幅な加筆をする予定は当面ありません」とお答えしておきます。Ashtrayさんがおっしゃるように、貴殿が積極的に適切な加筆・修正をされ、記事の改善に貢献されることを期待しております。--山田晴通 2011年1月23日 (日) 17:19 (UTC)
Ashtray様、116.83.20.4 です。「四の五の言ってないで」?いきなりずいぶんと喧嘩腰の態度ですな。やはりそういう人間がそういう意図で翻訳依頼した記事ですね、なるほど納得です。モチベーションが高まりました。219.97.30.91 2011年2月3日 (木) 08:14 (UTC)
- うーん、「そういう人間がそういう意図で」と申されますが、どうゆう人間に見えたのでしょうか・・・、気になる所ではありますが。
- さて、「意図」といわれても、当時はたまたま戦後東欧史に興味を持ち、たまたま読んだ論文に「回復領」の簡単な記述があり、もっと詳しく知りたいと思ったからです。別にそれ以上の意図はなかったと思いますよ。
- (そもそも、高校英語で赤点とるレベルの私に、英語版の膨大な記事内容が事前に解るわけありません。解るなら自分で訳しています。)
- Wikipediaの方針を守り、出典付きで加筆・訂正してくださるならば、IP:116.83.20.4様を含め、どなたでも歓迎いたします。--Ashtray 2011年2月3日 (木) 12:24 (UTC)
山田様、116.83.20.4 です。翻訳をされた山田様の御見解では「さて、記事の中立性について、私自身は、英語版からの翻訳の時点で大きな問題があるとは考えていませんでしたし、現段階で見直してみても特段の偏りがあるとは思っていません。」とのことですが、お返事の数日後に英語版の元記事に「The neutrality of this article is disputed. Please see the discussion on the talk page. Please do not remove this message until the dispute is resolved. (January 2011)」のタグがついたのはお気づきになりましたか?あちらのノートでの激論を読んでも、元記事のウィキペディアンたちは「現段階で見直してみても特段の偏りがあるとは思っていません。」とは考えていないようですね。(また、出典に関しては同じ文章であっても、その解釈や引用の仕方でいかようにでも自己に都合の良いレトリック - 今回は反ポーランド主義 - に利用できることもあります)。私が前のメッセージで書いたことはほんのさわりにすぎませんので、Ashtray氏が私に「四の五の言ってないで・・・」と命じておられるとおり、英語版の進展などを見ながらおいおい加筆訂正させていただきます。219.97.30.91 2011年2月3日 (木) 08:14 (UTC)
- 「タグがついたのはお気づきになりましたか?」という問いには「いいえ」とお答えします。
- 言うまでもないことですが、言及されているタグが付されたのは、英語版の Recovered Territories(23:35, 29 January 2011)の版からです。小生が日本語版の初版を訳出した( 18:31, 17 February 2010)の時点はもちろん、上のコメントを書き込んだ(2011年1月23日 (日) 17:19 (UTC))の時点では、このタグは存在していませんでした。
- また、自分が初版を訳出した記事であっても、その原語版を常時ウォッチするようなことはしていません。訳出した者には、そのような義務はありませんし、そんなことが物理的にできないことは、利用者:山田晴通をご覧いただければわかると思います。
- 上のコメントで「私自身は、英語版からの翻訳の時点で大きな問題があるとは考えていませんでしたし、現段階で見直してみても特段の偏りがあるとは思っていません。」としている後段で「特段の偏りがあるとは思っていません」としているのは、(きちんと文脈を汲み取っていただきたいところですが)訳出元の英語版の記事のその後の編集への言及ではなく、日本語版の記事の現状への言及です。
- 英語版は小生が訳出したあとにも英語版は相当量の加筆がなされていますが、小生が訳出した版の前後は、月に数回程度の編集があるだけで、「ノートでの激論」は生じておりませんでした。おそらく今の(今年に入ってからの、あるいは、昨年10月ころからの)ような状態にある記事であれば訳出をしなかったと思います。
- いずれにせよ、適切な典拠に基づく建設的な加筆の行われることを期待しております。--山田晴通 2011年2月4日 (金) 01:20 (UTC)
IP氏による除去編集について
[編集]本日こちらの記事をせっせと編集(除去)なさっていたIP:116.83.11.126(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)さんは、以前に上でコメントされていたIP:116.83.20.4(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)、IP:219.97.30.91(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)さんと同じ方でしょうか?。うーん、ポーランド好きにとっては、あまり気持ちの良くない記述が多いでしょうねぇ、テーマがテーマだけに。気持ちは解ります。とはいえ、出典がある記述まで削ってはいけません。一律リバートするのは非生産的ですので止めておきますが、のちのち編集内容を精査の上、おそらく大部分は復活させることになると思います。悪しからず。--Ashtray (talk) 2012年8月26日 (日) 15:11 (UTC)
- その後、どなたも特に作業をされていないようなので、とりあえず、典拠がありながら合意形成なく除去、ないし、コメントアウトされた記述を復帰し、関連して壊れていた典拠の表示などを少し手直ししました。--山田晴通(会話) 2014年4月6日 (日) 08:01 (UTC)