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ノート:嘉山孝正

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「批判など」の節について

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2011年6月24日付けで新たに設けられた「批判など」の節について意見があります。本節は『週刊新潮』に掲載された無署名かつ無検証の伝聞記事がベースになっていますが、これに対するがんセンターのホームページ内の文書では、「事実に基づかない記載ばかり」であるとして、客観的な証左に基づく事実関係が逐一説明されています(たとえば、「人徳がない」発言が事実無根であると確認されたことなど)[1]Wikipedia:検証可能性によれば、「広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです」とあります。本記事中で述べられているのは、「ある医師によれば~」といった伝聞調のものばかりで、それを裏付ける客観的、具体的な事実はまったくといって良いほど述べられていません(唯一述べられている事実は、がん対策推進協議会の選挙結果のみです)。見解や主張も意見も議論もなく、もっぱら伝聞と憶測で構成されています。

このように指摘すると、問題は真実かどうかなのではなく、『週刊新潮』が報じているという事実」はあるのだから、「報じているという事実」は記載できるはずだというご意見が出てくるかもしれません。しかしながら、存命人物自身が明示的に否定し、「冤罪的であり……大変遺憾である」としている内容(Wikipedia:名誉棄損)を「百科事典」にいちいち記していく必要があるのでしょうか 。一般に週刊誌というものは、もちろん社会正義に根ざした真摯な署名記事や投稿記事もある一方で、政治的、経済的な思惑がからんだ誹謗中傷の道具として使われるのもまた事実でありましょう。したがって、複数のメディアで報じられるようになった客観的な事実であればまだしも、伝聞ベースの段階で作られた記事の内容を逐一記していくことは、名誉棄損の問題はもとより、以下のWikipediaの理念に反するものでもあると考えます(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかより「スキャンダルやゴシップのまとめサイト〔ではない〕:存命中の人物に関する記事は特に高い基準が求められています。さもないと名誉毀損となったり、主題のプライバシーを侵害したりしかねないからです。他人の評判を傷つけるだけのために記事を書いてはいけません」(挿入は引用者)。

したがって、当該記述は、ひとまずコメントアウトします。ご意見があれば、お願いします。--Cheirourg 2011年6月25日 (土) 15:50 (UTC)[返信]

基本的にはリンクをお示しいただいた「平成23年6月9日発売の週刊誌の記事に対する見解について」をもとに嘉山氏からの反論を加筆すればよいことです。
>本節は『週刊新潮』に掲載された無署名かつ無検証の伝聞記事がベースになっていますが
無署名ですが「無検証の伝聞記事」かどうかは分かりません。情報源を秘匿することは取材者の倫理として当然です。
>「ある医師によれば~」といった伝聞調のものばかりで
伝聞ではなくこれは取材対象者の発した意見にあたります。意見については
「ある人やグループがある意見を表明したということは事実であり(つまり、その人がその意見を表明したのは真である)、そのことが検証可能である(つまり、そうした人や団体が意見を表明したことを示す適切な情報源を参照できる)ならば、そのことはウィキペディアに含めることができます。」(WP:RS#意見
>「人徳がない」発言が事実無根であると確認されたこと
上掲リンク先には「がん対策推進協議会において、そのような発言はなく事実無根である。また、この発言をしたとされる委員の方からは直接ご連絡があり、ご本人もこのような発言をしていないということを改めて確認したところである。」とありますが、嘉山氏がそう主張しているだけであり客観的に確認が取れたとは言えません。当日の議事録があればかなりの確度で確認できるかもしれませんが、議事録というものはあとになって都合の悪い部分を削除できる性質のものであり議事録が公表されればただちに確認できるとも言いきれません。しかしひとつの意見としてであれば上述の通りウィキペディアに含めることができます。
>存命人物自身が明示的に否定し、「冤罪的であり……大変遺憾である」としている内容
「特に著名な公的人物の場合、第三者による情報源から情報を得ることができるので、ウィキペディアの伝記はそれらの情報源の内容を記事化するだけです。 もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要(relevant)なもので、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」 (WP:BLP#公人・著名人
>一般に週刊誌というものは、もちろん社会正義に根ざした真摯な署名記事や投稿記事もある一方で、政治的、経済的な思惑がからんだ誹謗中傷の道具として使われるのもまた事実でありましょう。
それは貴殿の個人的見解にすぎません。私の個人的見解を示すならば、週刊誌にかぎらず、あらゆる書籍、雑誌、新聞、その他のメディア報道について、もちろん社会正義に根ざした真摯な記事もある一方で、政治的、経済的な思惑がからんだ誹謗中傷の道具として使われうる可能性があり事実としてもそうであった歴史があると思っています。週刊誌であるからただちに問題だということにはならず、他メディアであるから問題でないということにもなりません。
>存命中の人物に関する記事は特に高い基準が求められています。さもないと名誉毀損となったり、主題のプライバシーを侵害したりしかねないからです。他人の評判を傷つけるだけのために記事を書いてはいけません。
この記述は週刊誌に取り上げられるほど有名で、言うまでもなく本人の業績にとって重要なもので、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されています。この特別に高い基準を満たしている以上、否定的で当の本人が嫌がるものだったとしても、記事に含めるにふさわしい事柄です。本人の反論も記載しており、他人の評判を傷つけるための記事ではありません。
>スキャンダルやゴシップのまとめサイト〔ではない〕
スキャンダルやゴシップというのは誰と誰が密会しただの不倫しただのといったいわゆる惚れた腫れたレベルのお話のことであり、今回の明らかに公的な地位・業務に関わる報道をスキャンダルやゴシップのように認識しておられるのであればまったく心外なことです。議論をミスリードしているとも受け取られかねません。(下に追記)
いずれにせよ国立がん研究センターからの文書の形で本人から反論が示されたのですから、それに基づいて記事を加筆するというのがもっとも中立的な態度であると考えられます。「ウィキペディアの中立性についての方針は、論争での全ての観点を公正に考慮することで、記事には特定の立場が正しいと明記したり、暗示したりするべきではない、というものです」(WP:NPOV#中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版))ので、記事中に出典に基づいた反論を書き加えることは非常に望ましく有意義なことであると思います。逆に全面的に削除することは、特定の立場が正しいと暗示してしまうことになるでしょう。--Ryota7906 2011年6月25日 (土) 19:42 (UTC)[返信]
上記中「スキャンダルやゴシップのまとめサイト〔ではない〕」の部分について解釈の不十分な点がありましたので本題とはあまり関係ありませんがいちおう追記しておきます。WP:BLP#公人・著名人
:「ある政治家が浮気をしたといわれています。本人は否定しますが、『ニューヨーク・タイムズ』はこれを記事にして出版し、スキャンダルが明るみに出ました。」これに関する記述は、ニューヨークタイムズを情報源としたうえで記事に含めてもかまいません。
とあり、スキャンダルであっても記事に含めることはできます。よって「スキャンダルやゴシップのまとめサイト〔ではない〕」の項は「もっぱらスキャンダルやゴシップばかりを集めた記事になってはいけない」と解すべきであり、「スキャンダルやゴシップの類を一切含めてはならない」という意味にはならないはずです。なお以上は一般論であり、今回の嘉山氏の件はスキャンダルやゴシップの次元ではありませんのでいずれにせよこの条項が適用されることはありません。--Ryota7906 2011年7月1日 (金) 12:50 (UTC)[返信]
Ryota7906さん、レスポンスならびにご教示ありがとうございます。しかし、残念ながら、作文がまずいためでしょう、わたしの主張するところが正確に伝わっていないようです(「伝聞記事」の意味、週刊誌の位置づけ、「ゴシップ」の意味)。また、方針の解釈に相違があるようです(存命人物の記事における「特に高い基準」についてなど)。ただし、わたしも一方的に自分の正しさを主張するつもりはありません。あくまで建設的な議論がしたいので、もう少し丁寧に書いてみたいと思います。ただ、なかなか時間が取れないため、お返事は来週になります。申し訳ありません。その間に、ほかの方のご意見も聞けるとよいかもしれませんね。よろしくお願いします。--Cheirourg 2011年6月30日 (木) 15:47 (UTC)[返信]
すみません。遅くなりました。時間がないのでポイントだけ記します。
まず、「無署名かつ無検証の伝聞記事」について。ジャーナリズムに不可欠なのは「裏取り」です。周知のように、とりわけこのような名誉棄損の可能性を大いにはらんだ内容である場合、信頼できる媒体であれば、「裏取り」ができなければ「記事」として掲載されることはありえません。わたしが「無検証の伝聞記事」と呼んだのは、この意味においてです。今回の出典となっている記事では、匿名の批判が掲載されていますが、上に述べたとおり、その客観的な事実関係についてはまったくといっていいほど「明らかに」されていません。しかも、当事者から事実無根であるとの逐次的な批判を許している点からして、そもそも、事実関係についての裏取りがなされていないのではないでしょうか(密室での出来事を記事にしているのではないのだから、裏取りは可能ですし、それができていれば記事として書けるはずです)。そのような疑念を抱かせる以上、少なくとも今回の雑誌記事については「信頼できる情報源」には該当しません。
つぎに、誹謗中傷の道具としての週刊誌の位置づけについて。Ryota7906さんは、「週刊誌に限らない」とされていますが、わたしは絶対的な判断をしているのではなくて、相対的な判断をしているのです(誤解を招いてしまい申し訳ありません)。つまり、週刊誌の方が誹謗中傷の道具して使われる可能性が圧倒的に高いために、その情報源としての信頼性は十二分に検討されなければならないということです。そして、上記のような点からして、本情報源は、存命人物の記事における「特に高い基準」を満たしていないと判断されるわけです。両論併記であればこの基準を満たさなくてもよいという理路はありません。
最後に、「スキャンダルやゴシップのまとめサイト〔ではない〕」について。ゴシップ(gossip)の本義は、「噂話や悪口のたぐい」ということです。つまりは、「裏付け」「裏取り」がないということです。つまり、今回の雑誌記事もゴシップの次元なのです。Ryota7906さんの引用されている政治家の浮気話はおっしゃるとおり、私生活のことですから本題とはずれますが、論理構成は同じです。つまり、「浮気をしたといわれている」という噂話を脱して、(タブロイド紙ではない)『ニューヨークタイムズ』が「明るみに出」した=裏取りができたから記事にした、よって、Wikipediaの記事に含めてよいと解すことができます。とりあえず、以上です。--Cheirourg 2011年7月10日 (日) 14:43 (UTC)[返信]
>ジャーナリズムに不可欠なのは「裏取り」です。周知のように、とりわけこのような名誉棄損の可能性を大いにはらんだ内容である場合、信頼できる媒体であれば、「裏取り」ができなければ「記事」として掲載されることはありえません。
おっしゃるとおりです。週刊新潮記者もジャーナリストである以上は記事掲載に必要なだけの裏取りをしたうえで掲載したものと推認されます。「事実無根だ」と主張することは誰でもできますので、一方の当事者が事実無根であるとの逐次的な批判をしていることは、事実関係についての裏取りができていない論拠にはまったくなりません(ただし一方の当事者が事実無根であると主張していることを記事中に含めることはもちろん可能ですし、中立的な観点からもそのほうが望ましいでしょう)。
>その客観的な事実関係についてはまったくといっていいほど「明らかに」されていません。
問題になっている記述(現在コメントアウトされている部分)から引用しますと
  • また2010年11月にがん対策推進協議会の運営に不満を持った患者代表委員が垣添忠生会長(当時)の解任動議を提出した際、嘉山は「この協議会は私が出た公の協議会の中で最低。トップが代わればやり方はいくらでもある」と垣添を公然と批判したにもかかわらず自身は解任動議への投票を棄権。結局動議は否決されたが、他の委員から「言行不一致で信用できない」と批判された。
  • 2011年5月のがん対策推進協議会会長選挙では、投票直前に「あなたには人徳がない」と他の委員から言われたことなどもあり、対立候補の門田守人・大阪大学副学長に大差で敗れた。
この部分は客観的な事実をそのまま述べているだけです。
  • 国立がん研究センターのある医師によると「三顧の礼で迎え入れた医師を非正規雇用のまま放置したため、その医師は数カ月でセンターを去った」と言い、
  • 嘉山の理事長就任直後にセンターを離れた別の医師も「破壊も必要だが嘉山の方針には再建策が見つからない。理事長と院長の兼務は国立病院では通常ありえないこと。もっと部下を信頼すべきなのにイエスマンばかりで優秀な職員がいなくなる。独善的で『築地の金正日』と揶揄する職員もいる」と批判。
この部分はそれぞれ匿名の医師による発言ですが、発言したこと自体は客観的事実であるとみなせます。発言内容をあたかも事実のように取り扱うことは許されませんが、それが発言であることを明確に記述するのであれば問題にはなりません。
>週刊誌の方が誹謗中傷の道具して使われる可能性が圧倒的に高いために、その情報源としての信頼性は十二分に検討されなければならない
絶対的判断にせよ相対的判断にせよ、単にご自身の印象を述べているだけで根拠に欠けます。週刊誌記事はウィキペディア内でも広く出典として採用されています。「週刊誌が誹謗中傷の道具して使われる可能性が圧倒的に高」く、情報源として適切でないとは一般にみなされておりません。
>上記のような点からして、本情報源は、存命人物の記事における「特に高い基準」を満たしていないと判断されるわけです。
よってそのご判断は残念ながら、ウィキペディアのどの方針・ガイドラインにも基づかず、ウィキペディアの慣行も無視した単なる個人的な解釈ということになります。
>両論併記であればこの基準を満たさなくてもよいという理路はありません。
単純な両論併記で十分とは言いませんし状況に応じて比重の置きかたは変わってくるとは思いますが、WP:NPOV#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?に基本的な考え方が記されています。立場を異にする者が異なる主張をしているときは、できるだけ幅広い観点の提示が求められます。
 
WP:V#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」もよくお読みください。ウィキペディア編集者には、記事の中身が真実かどうかを直接検証することはできません。記事が「噂話や悪口のたぐい」(そもそも「批判」は「噂話や悪口」ではありませんが「裏付けが不十分なもの」の意に解しておきます)を脱して十分な裏付け、裏取りが行えているかどうかについても編集者に検証・判断する権限はなく(それをすることは独自研究にあたります)、その種の査読に相当する機能は外部に委ねなければなりません。ウィキペディアの記事を作成する編集者に義務付けられているのは、一般的な検証可能性を満たすために信頼できる情報源とみなされている文献にあたり、出典を明記することであり、そこにとどまります。--Ryota7906 2011年7月10日 (日) 20:59 (UTC)[返信]

それではコメントアウトを外し、他の出典に基づいて加筆することにいたします。--Ryota7906 2011年7月30日 (土) 20:18 (UTC)[返信]