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ノート:喫煙/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

喫煙を巡る事情、について

 広告やテレビなどからの煙草追放に関しては、一.イギリスでは「チャーチルシャーロック・ホームズの写真からも煙草をカットせよというのか」という批判があること、二.日本のテレビの喫煙シーンカットは、実質的に時代考証に忠実な昔のドラマが作れないようになること、三、深夜番組でも、「英国恋物語エマ」のような19世紀英国を舞台にしたアニメで歩きながら喫煙している人間が一人も描かれないなど明らかに不自然な描写がなされていること、その他否定的な面にも触れるべきだと思います。中立を心がけるなら。ちなみに個人的には健康増進法について「せこいことやってないで禁煙法提案してみろ」と思っています。(SHAKU) 210.141.163.123 2006年1月27日 (金) 04:44(UTC) 履歴より作成--H.L.LEE 2006年2月3日 (金) 15:38 (UTC)

公共施設での喫煙を禁止する法律

駅構内での喫煙が鉄道営業法第34条第1項により禁止されているという事実なども書くべきではないでしょうか。 法律は人間の感情で制定されるものではないので、公平性は欠いていないと思われます。以上の署名の無いコメントは、61.210.50.94(会話履歴)氏が[2006年6月5日 (月) 12:13 (UTC)]に投稿したものです

どういう物なのか解りませんでしたので引用してみました。
  • 第34条 制止ヲ肯セスシテ左ノ所為ヲ為シタル者ハ10円以下ノ科料ニ処ス
1.停車場其ノ他鉄道地内吸煙禁止ノ場所及吸煙禁止ノ車内ニ於テ吸煙シタルトキ
そもそも現行法とは言え、明治33年制定の物でWikipediaに置いても現状との乖離があると指摘されている法律です.現状ではこの法規に触れる様な場面でも取り沙汰されない事も有り、将来的に見直しが必要とされています。法律で禁止とありますが、公共施設での喫煙を禁止する法律とは読めないのですが?駅員から喫煙禁止の場所で煙草を喫煙しており、警告を受けて辞めない人には罰金を処すると言う風に少なくとも私は読めます

別件ですが、ノートで議論をする場である以上IPユーザでも署名は残された方が宜しいかと存じます. 履歴から拝見した所IPは61.210.50.94で 2006年6月5日 (月) 12:13に投稿された様ですが。--BlackRussian 2006年6月7日 (水) 02:05 (UTC)

非喫煙者の立場で書きすぎ

喫煙のメリットなども書け以上の署名の無いコメントは、IP:59.128.16.171(会話/履歴/whois)氏が[2006年2月3日 (金) 14:54 (UTC)]に投稿したものです

メリットが無いから書けません。 申し訳ない。以上の署名の無いコメントは、へなぎさわ(会話履歴)氏が[2006年7月2日 (日) 12:34 (UTC)]に投稿したものです

へなぎさわさんにはメリットが無いので書くことが出来ないと言うことですが、他の有志の方々が手を入れて頂いているので以前ほどではないかと存じます--BlackRussian 2006年7月4日 (火) 06:09 (UTC)

残念ながら喫煙によるメリットはいくら探しても見当たらない。特に健康面では百害あって一利なし。222.1.86.19 2006年7月15日 (土) 17:51 (UTC)

中立的な観点とは言いづらい内容ですね。

全体的に読んで、喫煙のデメリットしか書かれていないように見受けられます。 Wikipediaが百科事典として中立的な観点を求めている以上はデメリットだけでなくメリットも書くべきだと思います。 荒らし行為は看過できませんが、あまりに嫌煙家の立場に偏った記述には違和感を覚える方が他にもいらっしゃると思います。以上の署名の無いコメントは、IP:219.117.15.61(会話/履歴/whois)氏が[2006年2月11日 (土) 12:03 (UTC)]に投稿したものです

  • 私の目から見ますと、「デメリット」として直接記述されているのではなく、喫煙をめぐる事情や条例制定などの社会事象を端的に記述しているのですから、中立性は損なわれていないと考えます(。もしメリット面が少ないとお考えであれば、喫煙のメリットという節をお立てになり記述されるとよろしいと思いますよ。--いぬだ・わん 2006年2月11日 (土) 14:04 (UTC)
  • 私が最も違和感を感じたのは写真の「灰皿の上で副流煙を発生する紙巻タバコ」と言うタイトルです。少なくとも「灰皿の上で煙を立てるタバコ」で良いのではないでしょうか?それとトップ項目に発ガン性物質が云々と書かれていますが、それこそ「デメリット」と言う節を立ててそこに記述されるべき内容ではないでしょうか?私はそれがトップ項目に持って来ているのを見て「嫌煙家からの立場で書かれている」と感じました。まぁメリット側の節を立てるにしても、非喫煙である私には思い浮かびませんし、そもそも「リラックス効果がある」くらいのメリットしか無いような気もしますが…。以上の署名の無いコメントは、IP:219.117.15.61(会話/履歴/whois)氏が[2006年2月12日 (日) 04:46 (UTC)]に投稿したものです
  • 少なくとも今年の1月初旬までは、「喫煙は嗜好品であるタバコをつけて発生したを吸入したり、噛んだりして楽しむ行為をさす。喫煙することにより吸収されるニコチンには精神鎮静作用の他に大脳の覚醒作用があり、脳を活性化させ、思考能力を高める働きがあるが強度の依存性もあり、ひとたびニコチン依存症となると、それを断ち切るための禁煙には一般的に非常な困難が伴う。」とあった訳ですから、現在の状態よりは中立的であったと思います。以上の署名の無いコメントは、IP:219.117.15.61(会話/履歴/whois)氏が[2006年2月12日 (日) 04:56 (UTC)]に投稿したものです
  • 「精神鎮静作用の他に大脳の覚醒作用があり、脳を活性化させ、思考能力を高める働き」は、喫煙常用者のニコチン離脱症状を和らげるという意味ですから、喫煙しない健康人にあてはまるものではありません(いったんニコチン依存に陥れば、ニコチンがないと非喫煙者並に脳が機能しないこともわかっています)。実際、副流煙への曝露や初めての喫煙では、特異体質や自律神経失調症でない限り、不愉快な自律神経症状が現れるだけです。JTは、煙草に自律神経の働きを抑える成分を添加しているようです。--East 106 2006年2月12日 (日)
  • 精神鎮静作用などに関してはEast 106さんのご説明で納得いたしました。ただ、この項が飽くまで喫煙と言う行為に対する記述とするならば、先にも申し上げたとおり、発ガン性物質云々の部分は新たに「デメリット」などと節を立ててそちらに書くべきでは?と思います。それと写真はタイトル同様、喫煙よりも受動喫煙の項目向きではないでしょうか?以上の署名の無いコメントは、IP:219.117.15.61(会話/履歴/whois)氏が[2006年2月12日 (日) 08:42 (UTC)]に投稿したものです
  • East 106です。 発ガン性物質は病気との関連事項ですから、その記述を「健康」の節に入れるのは妥当と思います。写真は、受動喫煙の項でも喫煙の項でもどちらでもかまわないと思います。写真のタイトルは、「灰皿の上で煙を立てるタバコ」という誰でも書ける文よりも、副流煙の意味も理解できる「灰皿の上で副流煙を発生する紙巻タバコ」のほうが好ましく思います。また、「デメリット」の節は、現存する「害」の節でいいのではないでしょうか。以上が私の感じたことです。--East 106 2006年2月14日 (火)
  • 百科事典としての有用性を考えるならタバコ(喫煙習慣)自体の解説を優先させるべきで、それによって生じる利害はその一項目に過ぎず、由来などより先んじて記述さるのはおかしいです。このままではあまりに啓蒙的すぎ、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかに反すると考えられます。そこで、9 由来 をトップに入れ、トップの文章は 2 タバコと健康 に置き、10-13と2-8の順序を入れ替えた方が良いと思います。Calvero 2006年2月21日 (火) 15:08 (UTC)
  • 全体的に「たばこは体にも悪いし、社会にも迷惑ですから止めましょう」的な記述が多いですね。確かにデメリットばかりの喫煙ですが、そういったことは「たばこと健康」あたりに全てまとめて記述して、他の場所には一切書かないほうが良いのではないでしょうか?このままだと、喫煙の記事というより禁煙推奨の記事となり、中立性のかけらもなくなってしまうと思います。--tomorrow0622 2006年10月13日 (金) 19:48 (UTC)
  • 現在、喫煙のリダイレクトとなっている禁煙に分離した方が良いかも…と小生は愚考する次第であります。喫煙者と非喫煙者の対話・共存(住み分け)すら妨害する憎煙者と、それの主観(およびその主観に汚染された否定用データ)に基く記述は要らないと思う(爆言)。--夜飛 2006年10月14日 (土) 05:08 (UTC)
  • 分離案賛成です、現状ではうかつに触ることも出来ない感覚なので(書くとうっかり憎煙者を刺激しかねませんから)禁煙の項目で頑張っていただくのが記事の中立性にも望ましいかと--BlackRussian 2006年10月15日 (日) 06:55 (UTC)

喫煙に関する疾病

バージャー病というのがあります。喫煙により血行不良が発生し、また血栓が発生するため、末梢部が潰瘍化あるいは壊死するという疾病です。 禁煙すれば予後良好だそうです。その他、歯槽膿漏の悪化がありますね。他にもあった気がします。以上の署名の無いコメントは、219.110.159.148(会話履歴)氏が[2006年2月13日 (月) 15:46 (UTC)]に投稿したものです

  • バージャー病はたしかにそうですね。追加しました。他にも追加しようとしましたが、限りなくありそうでやめました。歯槽膿漏の悪化については私自身よく知りませんので、追加していません。--East 106 2006年2月14日 (火)

シンガポール

「事実上路上喫煙も不能。公園などに灰皿があり、ここで吸っているらしい。」と記述されていますが、オーチャード通り等の路上には灰皿が多数設置してあり、事実上もへったくれもなく路上で喫煙できます。確かに厳しい制度があり、公共施設等の禁煙の徹底、煙草の税率が高いためか10本入りで売ってたりもしていますが、日本で喧伝されているようなイメージだけを頼りに書くのはどうかと思います。シンガポールは喫煙を嫌う人の金科玉条のようなものですが、この風聞は中立性というよりも事実を欠いています。シンガポールは喫煙に厳しくすることで分煙を徹底している国です。--Baf 2006年2月27日 (月) 15:12 (UTC)

大幅文のならび等編集

些か喫煙の害を強調したい人が全体のバランスを無視して、喫煙の害や規制の項だけを上に持ってきて居ますね。ただ、このような文章では読む側にとっては「中立的では無い視点に基く記事」と見なされそうです。折角、各々のデータ等は喫煙者にとっても一読に値する内容だけに勿体無いです。

そこで小生は僭越ながら、この文章のならびを弄る事としました。また概要部分から記事内リンクを置いて、各々に案内する方向をとってみました。本来ならノートでの議論を元に作業を進めるべきなのでしょうが、現状が余りにも「アレ」なんで、小生自身は憎まれたり叩かれたりされるであろう事を承知で、まず大胆に編集、然る後にノートで議論…としてみたく思います。安易にリバートする前に、是非一筆お願いします。夜飛 2006年3月10日 (金) 10:12 (UTC)

ノートの一番上の文を書いた者ですが、前よりはるかに中立性が向上したと思います。現在の記述であれば、特に中立性の議論は必要ないのではないかと考えます。--202.231.152.98 2006年3月14日 (火) 11:32 (UTC)

他項目に比べて偏見と思われる点

冒頭の「注意」をはじめ、 他項目に比べこの項目では偏見と思われる点が多いようだ。90年代は「自由と安らぎの香り... American Blue 某」などと、観るものによっては芸術的で洗練された傑作ともとれる、立派なCMが多数放映されていたが、喫煙問題というのはここ数年で急激に激化したものであるし、昨今の構造改革での環境激変に伴う、社会不安や不況にかこつけて巧みに便乗する輩と同様に本文での偏見はこれに便乗したものであるにしろ、度が過ぎる観がありますが、そう思うのは私だけでしょうか?

例として冒頭から、 「日本では満20歳未満の者の喫煙は未成年者喫煙禁止法で禁止されています。」 (喫煙は)あなたの健康を損なう恐れがありますので、吸いすぎに注意しましょう。喫煙マナーを守りましょう。 (日本たばこの煙草パッケージに記載された商品説明より) 健康への悪影響に関しては、後述のタバコと健康を参照のこと。」 

このような法関連やパッケージに記載された説明は本文に書かれている上、禁煙活動家の宣伝じゃないのだから、冒頭に書くべきことではなく、参考までに本文中で少々書かれるべき程度のものであるような...。 投稿者は抹消、適切な箇所に訂正等すべきと思う。 --メリケン・ステーツ {(首脳でないが)会談|beiträge} 2006年3月31日 (金) 03:33 (UTC)

  • リンクなどの項目も偏りがちな気がします。喫煙の項目にしては害を強調する物が多いような?

--222.230.125.49 2006年4月3日 (月) 06:08 (UTC)

今の状態に整形した者です。それ以前は…そりゃもう凄い有様でした。現行の状態に整形するにあたり、中立性への配慮と同時に、アグレッシブ過ぎな嫌煙活動家が、変に文章をリバートしたがらないよう、やや嫌煙活動(→嫌煙権の項を参照されたし)に傾倒した部分を含む物とはなりましたが、全体のバランス性を考慮した上での措置です。まあ、ある意味では嫌煙活動を勘違いしている人たちを過剰に刺激しないための免罪符置き場としての冒頭但し書きですが(爆言)。もし、あれを外すと成ると「前みたいな悲惨な有様」を覚悟しなければ成らないと考えてます。まして常時巡回して、前みたいな有様にされないよう監視するのは「真っ平ごめん」ですし。リンク項目の偏りに関しては同意です。あれは極めて偏っていて、間違った嫌煙活動家の弾薬庫化してますし、(精神的に)健全な中立性は無いと思います。ただ、小生は整形ですっかり脱力して、JTの大人煙草講座へのリンクを貼っただけで、イヤになりました。いずれにせよ、現在は喫煙のリダイレクトになっている禁煙との分離も良いかも知れません…間違った嫌煙活動家が締め出せれば…の話ですけどね。夜飛 2006年4月4日 (火) 13:30 (UTC)

メリケン・ステーツさん、そう想うのはアンタだけじゃあないよ。儂も禿同だ。当たりめえだよ。 それとヤトビさんよぉ、何が「刺激しないための免罪符置き場」、「イヤになりました。」か! 勝手な独断でこの項目だけ冒頭にあんなもんNG! 喫煙者への挑戦状か!? イヤなら、嫌煙活動家へのしょおもない配慮だか気遣いだかクソだか知らんが、最初っから書くなって! これの他はどの項目に、こういう対峙する注釈が冒頭にあるというのか?具体的に例示してみれ。--博士の異常な熱愛 2006年4月9日 (日) 19:25 (UTC)

なるほど、確かに凄い様相ですね。保護が掛かるのもやむを得ないと思えました。WIKIPEDIAの特性上どんな人でも編集できる良さがある反面、こうした問題からやむを得ないのかも知れません・・・弾薬庫というのは不覚にも笑ってしまいましたが。リンクの件は了解です。--222.230.125.49 2006年4月7日 (金) 00:37 (UTC)

うん。そうなんだよ。 だから、あれ書いた上の奴にいま一蹴してやったよ。 これも愛情だよ。愛情。なるほろ。とん風:よろぴこ--博士の異常な熱愛 2006年4月9日 (日) 19:25 (UTC)


まあ、個人的には利用者‐会話:Tietawさんが私の意見に賛同してくれるようなので、ありがたくないこともないけど、上記も下記もなかなか威勢の良い方(ともすれば蛮勇か(^_^)?)のようにお見受けしますが、もう少々お手柔らかにご発言いただいてもバチは当たらないと思います。 しかし、利用者:Yatobiさんのおっしゃることも荒らし防止策としては、あながち的外れではないですし、この項目は中立的な観点を犠牲にしてでもそうしないと、ますます醜いものに劣化するとは何とも異常事態ともいうべきことですね。 ちなみに、私としては非常に興味深く考えることですが、もしも現在が1995や2000年ならば、ここまで嫌煙色に染まっていたろうかと思う次第です。要するに何が言いたいのかというと、嫌煙思想がほんの数年間でここまで極端に、世論というか大衆心理が社会構造激変と相まって(bad timingで)露骨に変化してしまうことを目の当たりにして、ある種、人間の思想を短期で誘導してしまう恐怖というものを覚える今日この頃です。 これまた個人的な憶測で恐縮ですが、記事に喫煙へのマイナス投稿している者の中には、真の嫌煙家でなく、ほんの3~4年前まではタバコなんか意識もしてなかった者、下手すれば愛煙家を超してchain smokerまでもが近年の諸般の活動に無意識に感化され、それに便乗して面白半分で荒らしまがいのことをしているケースが少なくないような気がするのですが...。 それと、下記利用者‐会話:Tietawさんの「ウィキペディアは憂さ晴らしを...」で、オノン川とあるが、どこからこの川が出てきたのでしょうかね?次はヨルダン川?はたまたライン川(^_^)? 度々私見で失礼しました。 では。 メリケン・ステーツ {(首脳でないが)会談|beiträge} 2006年4月15日 (土) 02:02 (UTC)

ウィキペディアは憂さ晴らしをしたり、特定の偏向思想を書く場所ではない

どうせ、マナーが悪いとか気に入らんでも、人様に面と向かって注意できない臆病者や小心者(要するに弱虫やらの香具師)が、憂さ晴らしにこういうところや、ここに限らず掲示板とかNet全般のあらゆるとこにグチをこぼしてんだろ! ここはそうじゃないからいい加減やめな! 2ちゃんで好きなように書いて! オノン川にでも沈んできて下さいませ。バ○な各位よ。--博士の異常な熱愛 2006年4月9日 (日) 21:33 (UTC)

その言葉、済まんが全て貴殿に返す。2ちゃんねるに帰れとまでは言わんが、こんな所で喫煙者ネガティブキャンペーンのために、「粗野で口汚い喫煙者」を装っての書き込みはご勘弁願いたい。冒頭文の注釈に関しては、各種テンプレートに見られる、記事内容に関する但し書きの発想を延長してみたに過ぎない。小生としてはかつての喫煙に関する記事なのか、ネガティブな嫌煙キャンペーン記事なのか判らなくなるような事態を避け、現行の、喫煙行為自体を主に据えた形態の記事が、少しでも長く存続する事を願ったまでの事。貴殿のその発言は、間違った嫌煙活動家に「何だ、やっぱり喫煙者はキチガイだな」という口実を与えこそすれ、マナーある喫煙を楽しむ喫煙者・愛煙家にとっては、不快ですらあろうと思われる。続きは小生のノートに書き込まれたし。夜飛 2006年4月10日 (月) 11:10 (UTC)

『リラクゼーションの一種』でしょうか?

『古くは過度のストレスを被り易い職種を中心に、リラクゼーションの一種として用いられてきた歴史もある』という本文の記述は、喫煙がリラクゼーションになる、と誤解を与えかねません。

ニコチン依存に陥った人が、喫煙で不快な禁断症状(=離脱症状)を緩和できることは確かです。 しかし、一般の健康な人にとって、喫煙がリラクゼーションになるという疫学研究は存在しないと思いますので、書かれた方は事実の確認を御願いします。

『禁断症状緩和の方法として喫煙が続けられてきた』との記述のほうが科学的に客観性があると思います。--利用者:East 1062006年4月14日 (金)

すみませんが、「リラクゼーション」という言葉にのみ反応しないで、その引用した一節全体からの意味をご理解ください。歴史的経緯からして、薬として・リラクゼーションのためとして普及したのは明白かと思われます。
医学ではアセチルコリン受容体に作用して、同様の働きをするとされてますね。他方では同じ作用メカニズムで嘔吐感なんかの不快感を呼ぶようですが。憎煙家(敢えてこの表現を用います)は喫煙によって「ニコチン受容体が形成され(云々)」とも強弁するものもおりますが、アセチルコリンの受容体にニコチンにも反応してしまうニコチン受容形とムスカリンに反応してしまうムスカリン受容形が元々あって、ニコチン摂取により前者が反応する事で、アセチルコリン様の働きをしてしまう…というのが実態であり、逆に初めての喫煙で被る各種不快感も、喫煙を繰り返す事で受容体が鈍化して反応が減るのであり、憎煙家のいう「ニコチン受容体が形成される」という説は、単にニコチン耐性がついて神経や脳活動への影響のみが出易くなっている…という状態を指しての比喩だったものが、いつのまにか本当にそういう受容体が喫煙後に形成されると思い込んでる憎煙家が憎煙活動の一環で憎煙サイトを乱立して、そういう説が巷に流布されるに至っているようです。
ただ過剰摂取によってアセチルコリン受容体の感受性自体が下がり過ぎ、アセチルコリンの正常な活動が阻害された結果、依存状態に陥っている人も居たりして、その辺りはEast 106220.105.38.201さんの言う所の、ニコチン依存禁断症状の緩和のためにニコチン摂取…が必要なようですけど。この辺りは過ぎたるは及ばざるが如しかと…
いずれにせよ、件の一節は歴史的事実を(「薬として」を省くなど、やや弱めて)記述してあるに過ぎません。よって「科学的な客観性(云々)」以前であるため、変更の必要性は感じませんでした。悪しからずご了承ください。
余談では在りますが、チェ・ゲバラに至っては、マラリアを媒介する避けに葉巻を吸ってたみたいですね。夜飛 2006年4月15日 (土) 02:46 (UTC)
この『リラクゼーションの一種』でしょうか?の書き込みは、220.105.38.201氏の投稿による偽造署名であると確認しました(→[1])。ログインし忘れ…かもしれませんが、悪意ある悪戯の可能性も考えられるため、小生の書き込みを一部訂正するとともに、ここに書き記します。夜飛 2006年4月16日 (日) 01:12 (UTC)
ニコチンの作用は、アセチルコリン受容体に対するものだけではありませんし、喫煙はニコチン摂取と等しいわけでもありません。再度書きますが、喫煙が『リラクゼーションのためとして普及した』という根拠はありますか? --利用者:East 1062006年4月16日
リラクゼーションという言葉自体は一種の流行語でもあるため、明確に関連付けての資料というのも難しいかと思いますが、カトリーヌ・ド・メディチ(メディシス)とニコチンまたはジャン・ニコ関係を調べると、色々関係する話が引っ張れると思います。二次資料ではありますが、外部リンク辺り等は細に入って歴史的経緯に記述があるので興味深いかと(East 106さんにとっては「喫煙賛美記事だ」という事で、不快かもしれませんが)。リラクゼーションを「ストレスの回避」ないし「くつろぎや癒しの方法」と定義するなら、件の記述は歴史的事実に基づくといえると思いますが、如何なものでしょう?夜飛 2006年4月17日 (月) 03:59 (UTC)
しばらく放ってしまいましたが、了解しました。ストレス回避になると「信じられてきた」という表現にしました。『リラクゼーションの一種』と『禁断症状回避の手段』とではあまりにも読み手の印象が異なりすぎますので、とりあえず現状に即して書きました。East 106
禁断症状の回避と、リラクゼーションの一種を混同しない方がいいと思いますが…読み手の思惑というか、East 106さんの思惑というか、「信じられてきた」という言葉のニュアンスからいって、「鰯の頭も信心から」的な合理的理由によらない精神論のみで語られたと誤解されない部分を含み、妥当性の問題も見出されたため、差し戻しと編集を行いました。それが健康に悪いのは別の問題です。当時としては実質的にリラックスするために喫煙されたのは事実ですし、またその求められる効果が得られたために100年という短期間で世界中に広まったともいえましょう。--夜飛 2006年10月15日 (日) 14:53 (UTC)
夜飛氏へ。事実に基づいて再修正しました。薬理効果は、急性の影響と離脱時の影響があります。離脱時の影響を無視するのは、偏っていると批判されても仕方がないのではないでしょうか。現在の研究では、喫煙はニコチン禁断症状緩和になるというのは良く知られたことですが、健康人のリラクゼーションになるという研究はありますか?ないと思いますよ。修正されるなら、根拠を持って修正してください。East 1062006年10月16日
追加します。夜飛氏の言われるリラクゼーションこそ、ニコチン依存の禁断症状の緩和にほかなりません。事実、タバコの煙のもうもうとしている部屋のほうが、非喫煙者がリラックスできるとお思いですか?依存形成こそ、100年という短期間で世界中に広まった要因です。繰り返しますが、本当に禁断症状でなくリラクゼーションになるとどうしても主張されたいなら、そのような医学的出典が必要かと思います。ないと思いますが。East 1062006年10月16日
いえいえ、問題は現代医学上における云々ではなく、史実に基いているかどうか…なんですが。小生としては医学部外者なんで、之々云々の研究者の何時々の論文で云々なんぞとまでは申せませんが、メディチ家に煙草が献上された時代から近代において、当時の医学書には「煙草の薬効」といったような項目が(そりゃまあ、現代医学の上ではツッコミどころもあるでしょうけど)真面目に掲載されていたという話を読んだ覚えも…はて、中公新書の「薬の話」とかいう本だったと思うけど(失念・折を見て書架を探しますが)。ともあれ記述自体は「当時の話」なので誤解なきよう。--夜飛 2006年10月15日 (日) 15:25 (UTC)
追加分に関して:非喫煙者のお話に関しては、全く別の話と言えましょう。喫煙者にとっても、喫煙室の染み付いたヤニの匂いが不快だなんて話まであるくらいだし。いずれにしても理論が飛躍し過ぎです。喫煙に関しては一定の慣れによる耐性の獲得(ニコチンの薬理効果辺りを見れば、素人である小生でも想像付きます)が必要なだけに、非喫煙者を異常なまでの紫煙渦巻く喫煙室に放り込むなんて残酷なお話とは別問題です。喫煙耐性と喫煙依存がイコールだということでもないでしょう?--夜飛 2006年10月15日 (日) 15:25 (UTC)
当時の医学書に「煙草の薬効」として書かれているなら、「リラクゼーションとして信じられていた」でいいのではないでしょうか? なお、耐性形成は依存の一側面です(ICD-10かDSMでの用語の定義を一度ごらんになってください)。East 1062006年10月16日
うーん、どうもおかしな違和感があると思ったら…East 106さん、日本語としての依存と医学用語の依存症をごちゃまぜにしてませんか?しかも耐性の獲得が依存症の段階に組み入れられているからって、耐性獲得と依存症までごちゃ混ぜてるっぽい…かと。ところで「ICD-10DSM」は、具体的にどの辺りのことなんでしょう(どのみち、小生にゃ英語は読めませんが)。ともあれ、単語としての意味に注視してばかりで、文章として記述した場合にどういう意味を持って相手に伝わるかの面で、East 106さんの記述は百科辞典の記事ではなく、むしろ論文を記述するという意識なのではないのでしょうか。でなければ、「リラクゼーションとして用いられてきた」という記述に、これほどまでに自身の考えを盛り込もうとされる姿勢の説明がつきません。
小生としては、喫煙という行為の説明がしたいのであって、喫煙の影響や是非を論じたいのではありません。喫煙に害があるということを記述されたいのであれば結構、それはタバコと健康という節でおおいに記述されるべきだと思います。ただ、喫煙という行為の説明である冒頭部分で喫煙の非を並べ立てることが説明として有効か?と考えております。またEast 106さんの記述の姿勢は、喫煙の害を問題視する余り、肯定的に扱われた史実すらも歪めようとしているように思われ、また十分に理解ないしイメージしきれていない用語を列記する事で、無用に混乱した記述になっているように思われます。
と、それとは別件なのですが、上に挙げた「薬の話(中公新書・山崎幹夫著)」はどうもハズレでした。件の記述は別の本のようです…引き続き、折を見て探して見ます。ただ、久しぶりに紐解いた同書中に、麻薬などの項目(麻酔薬としてですが)もあったのですが、そこの記述中においても依存や耐性のニュアンスが、East 106さんのイメージされているであろうところとは、かなり違っている印象を受けました。
ともあれ小生が一度コメントアウトした「しかし喫煙がリラクゼーションに(以下略)」という一文は、余りにバランスが悪くEast 106さん節が炸裂(失礼)しているように思われます。別の場所(節)に移動されるなり、前後の説明と調和を計る方向で簡潔に記述されるよう、ご再考願います。--夜飛 2006年10月16日 (月) 11:26 (UTC)

east106さんは「近年主張されだした依存症から来る離脱症状を和らげることを錯覚している」と主張されていてyatobiさんは「歴史的に喫煙による緊張緩和の効果を求めて利用されてきた」と主張されています。実際の話、離脱症状の緩和と言われ出したのも極近年からですし、普及した背景には効能が信じられていたし実感できたからではないでしょうか?(例えそれが錯覚だったとしても、です)両方のバランスの良い併記が望ましいですが、難しいようであれば禁煙の項目でEast106さんに頑張って学術的記載に励んでいただき、喫煙の項目ではyatobiさんベースにしていくのがベターかと思うのですが、いかがでしょうか?--BlackRussian 2006年10月16日 (月) 04:08 (UTC)

そうですね、分離できたらどんなにすっきりまとめられる事か…タバコと健康やその他の害に関する節をこちらにより簡潔にして残した上で、禁煙の項ではこれらをより詳しく記述し、禁煙の項では喫煙という習慣は極めて簡潔にまとめたもののみを記述し…という相互参照の形が形成できれば、素晴らしいことと思います。--夜飛 2006年10月16日 (月) 11:26 (UTC)
「リラクゼーションになると信じられて用いられてきた」の表現のどこに問題がありますか?(この歴史事実のどこが「私個人の意見」なのですか?)「リラクゼーションとして用いられてきた」という表現は喫煙がリラクゼーションになるという誤解を招くので、好ましくないのは確かですが。
そして喫煙とストレスの関連について、なぜ「喫煙でリラックスできる」と錯覚されやすいのかについては、改めて追加する必要がありそうです。現にここでYatobi氏も誤解されてますから。これについては、疫学研究から脳波研究まで、世界で幅広くなされています。
なお、「喫煙の影響」などの喫煙に関連することは「喫煙」の項で、「禁煙の影響」など禁煙に関連することは「禁煙」の項に書くのが原則ということを改めて確認させていただきます。私は「喫煙」の項で禁煙について執筆したことはないと思います。--East 106 2006年10月16日 (月) 15:03 (UTC)
なんだか、編集強行って感じですね。「私は「喫煙」の項で禁煙について執筆したことはないと思います」という認識にも、若干の驚きすらおぼえるほどです。East 106さんの意識としては、喫煙は依存症と同義であり、また喫煙者の感じているストレスは全て喫煙中断によって発生するものであり、喫煙者は喫煙の依存によってストレスを感じているのだから、喫煙への依存が抜ければストレスは感じないということなんでしょうか。小生としては喫煙は喫煙中断によるストレスによってのみ誘発されるものでもなく、趣味としての喫煙もあるという認識なんですがね。「誤解を招く」とのことですが、リラクゼーションという概念の認識に関しても、East 106さんはリラクゼーション以外の概念(より医学的な意味での癒しとか)が混入しているように思われます。脱線:小生としては絶対的な健康は存在しない(ある一面において存在したら、それは別の意味で不健康である)と考えております(→幸福)。
これとは別件なのですが、冒頭文および概要の減量化、お疲れ様です。ただ、「一般」というと余りに定義が曖昧過ぎます。近年では喫煙者がややマイノリティにもなっているし、また生産者が一般とされる所謂大衆の想像する範疇から漏れ落ちる可能性が含まれるため、大衆以外を含んで列記した旧表記である「 医療関係者のみならず、喫煙を好む者・好まざる者・タバコ産業関係者にも共通した認識 」ないしこれに類する表現の方が適切かと思われます。記述の方向性に関しては、喫煙行為に対してネガティブに扱いたい(らしい)East 106さんのカラーが出過ぎているようにも思われますが、これは分割の議論に譲ることにしておきます。--夜飛 2006年10月17日 (火) 08:34 (UTC)
ここで話しているのは記事の一節の適否であって、「リラクゼーションになると信じられて用いられてきた」の表現のどこに問題がありますか?ということです。Yatobiさんによれば、当時、実際にそう信じられていたのでしょうから。異論がおありでなければ、この話題は終わりにしたいと思います。--East 106 2006年10月17日 (火) 11:43 (UTC)
いや、どうもね…その前提となるリラクゼーションという語の、East 106さんと小生のもつ認識が既に別物だったということなんですが。小生は件の「信じられて」以外にも、その下の一文を同時にコメントアウトした訳ですが、この2つは根が同じ問題だと認識しております。というよりも、小生としてもここまで根本的な問題があるとは思っておりませんでした。East 106さんの持つイメージときたら、何でも混ぜこぜですし。正直な話として、そこまで物事を突き詰めずに自分好みの記述に強行編集されるEast 106さんの姿勢には、もはや言うべき言葉も見つかりません。小生の意見は上に述べた通りです。それを読むかどうかはEast 106さんの問題です。読まずに終わりにしたいなら、どうぞ結構、そうして下さい。記事を選ぶのには他の方もいらっしゃる以上、こちらもいずれ好きなようにしますので。--夜飛 2006年10月17日 (火) 12:48 (UTC)
読んでますよ。当時は“「鰯の頭も信心から」的な合理的理由によらない精神論のみで語られた”というものです。そのとおりではないですか?妥当ですよ。(合理的な根拠となる)研究は既に広く(疫学から脳波研究まで)なされていると書きましたが、無視しておられるようですね。
それを踏まえて、“「リラクゼーションになると信じられて用いられてきた」の表現のどこに問題がありますか?”と書いたわけです。
なお、「自らの誤りを修正されたこと」を、「強行編集だ」などと言いがかりをつけないで下さい。事実を元により正確に編集されるのが嫌なら、Wikipediaに書かないほうがいいのではありませんか。
喫煙を美化した、もしくは嫌悪したイメージ・表現のみで記事を作ろうという姿勢ならいただけません。客観的な表現が第一ではないでしょうか。
当時、合理的理由によらずに主観的に信じられていたから、「信じられていた」と書くのに、何の不合理がありましょう?・・・Yatobiさんはただこの一点に答えられていないだけです。--East 106 2006年10月17日 (火) 13:44 (UTC)
「言いがかり」ですか、いやはや。記述が、真に中立的であればそれでいいんですが。ただEast 106さんの記述はだいぶ偏向が掛かっているようにお見受けするので、折に触れノートでの対話という形で、その偏向への指摘なり、あるいは小生自身の記述における問題点を把握できる(きちんとした合理的な)理論がえられぬものかと思っていたのですが…如何せんEast 106さんは何でも混ぜこぜ、系統立って説明もせず(出来ず?)にご自身の編集のみを是とするし。編集強行は言い掛かりではありませんよ、East 106さんが現にノートで議論中の事柄に関連する部分を概要中で書き換えているじゃありませんか。しかも今見たら矢鱈削って後ろの方に移動ですか?子供が思い通りに動かない玩具を投げ壊すみたいな真似はお止めなさい。--夜飛 2006年10月17日 (火) 14:41 (UTC)
さらなる言いがかりですね。偏向がかかっているなら、どうぞ具体的にご指摘ください。ちなみに私個人の意見は編集文にはほとんど反映されていません。一般的なことばかりです。ここでYatobiさん自身の誤りを指摘されたからといって、八つ当たりはみっともないですよ。
本題を繰り返しますが、当時、合理的理由によらずに主観的に信じられていたから、「信じられていた」と書くのに、何の不合理がありましょう?・・・Yatobiさんはただこの一点に答えずに逃げているだけです。不合理があるのかないのか、理由をつけて明言してください。--East 106 2006年10月17日 (火) 15:36 (UTC)
流石に「子供の駄々こね」扱いは言葉が過ぎたと反省し、せめて「癇癪持ちのちゃぶだい返し」位に言い換えようかとおもって見てみれば…もはや家屋半壊状態。と、ちゃぶだいはこの際、余所に置いておくとして…「主観的に信じられていたから」ですか?おしいですね、小生は当時としては医学書にも論じられたほどだと申しましたが。ともあれ小生はWikipediaの方針に配慮し、ノートでの対話が一定の成果を挙げない内は喫煙の項を編集するつもりもありませんでしたが、どうもEast 106さんはそういう姿勢に無い様だし、おまけに言い掛かりだのとおっしゃるし、自身の編集のみを是として他人の意見は読まない(文字を読んでも理解してなければ「読む」とはいえず、「見る」に過ぎません)しで、小生としても些か冷静さを欠いて「つい茶化して見たくなる」という悪癖がでかかっているため、Wikipediaのガイドライン(冷静に)を参考に一旦ここでブレイク入れ、「コメント依頼を提出してみる」をしてみようと思います。このため第三者のご意見を賜るためにも、暫くは静観致しますのであしからず。--夜飛 2006年10月18日 (水) 10:33 (UTC)
何やらノートが噴火してますね・・・起爆剤は私だったらと思うと冷や汗です。今現在(2006年10月18日 (水) 00:15)の版をみていて、序盤から何故デメリットで埋め尽くされているんだろう?と思いました。明らかに「喫煙」ではなく「喫煙をする事に対する被害の啓蒙」と(少なくとも私個人は)感じましたがいかがでしょう?調べ物をするときに序文に喫煙そのもの(種類、行為、歴史背景等)に付いてではなく、悪影響まみれというのは正直逸脱しているとしか思えません。自動車を調べたら交通事故の悲惨なことを書き連ねてある様なイメージです(極端ですが)。禁煙の項目で書かれているのなら理解も出来るのですが・・・まず、East106さんは中立的な観点の「敵のために書く」という言葉をよく鑑みていただきたいかと。一度喫煙被害以外の歴史的、文化的側面から煙草に関して調べてみていただき冷静に編集してみてはどうでしょう?(因みに私は現在の状況では編集に手を付けられないなと感じております。)--BlackRussian 2006年10月18日 (水) 17:32 (UTC)
あ、いえ…最後の点火をやらかしたのは多分小生なので、余り気にされない方が良いかも。ともあれ再点火しないよう暫く静観します。--夜飛 2006年10月19日 (木) 12:25 (UTC)
了解です・・・他の方を触ってノートが凄いことになったことがありまして。前述の補足になりますが、現在私が編集をしない方針なのは、恣意的に改変され、私自らが感情的になって編集合戦を引き起こしかねないと言う危惧からです、念のため。--BlackRussian 2006年10月20日 (金) 05:38 (UTC)

ここの議論の主題と関係ないことには、基本的にコメントしません。 ところで、「当時の医学書に書かれていた」ということなので、当時は医学界が主観的に「リラクゼーションの一種だと信じた」わけです。こう表現するのがなぜ変ですか?と繰り返し言っているのですが、一向に回答をいただけないようですね。主題と無関係なことばかり書かれていて。  いまいちど、検証可能性の原則をかみ締めていただければと思います。「リラクゼーションの一種」だと検証できないどころか、研究結果その反対ばかりです。喫煙は、禁断というストレスを一時的に解放してくれるだけです。(これは単なる種々の研究結果でそうなっているだけあり、私個人の意見ではありません)--East 106 2006年10月20日 (金) 13:55 (UTC)

私がEast106さんに投げかけた件に関してコメントを是非ともいただきたい所存です。East106さんがWIKIPEDIAで編集をされている際の基本的な部分を再確認するためにも非常に重要だからです。無視されるのは哀しいですし此処の項目では答えないとのことでしたら、別途項目を作成いたしますが如何でしょうか?--BlackRussian 2006年10月21日 (土) 10:24 (UTC)

コメントを是非ともいただきたいということですが、その前に、Blackrussianさんは本項目の議論に関係あることを、ひとことでも書かれましたか?--East 106 2006年10月24日 (火) 14:19 (UTC)

此処まで議論が拗れてしまっている上、現在の問題はこの項目に限らなくなっております。紛糾した議論を仲裁するためにコメントを頂きたかったのですが、いただけないようであればやむを得ません。--BlackRussian 2006年10月25日 (水) 00:43 (UTC)

申し訳ありませんが、ここは「リラクゼーションの一種でしょうか?」の項目ですから、それに関する発言をお願いします。私は本項目では、関係ないコメントに深入りもするつもりはありません。 本題については、「当時の医学書に書かれていた」ということなので、当時は医学界が主観的に「リラクゼーションの一種だと信じた」わけです。こう表現するのがなぜ変ですか?と繰り返し言っているのですが、一向に回答をいただけないようですね。主題と無関係なことばかり書かれていて。異論がないようなら、ここの項目に関しては終了したいと思います。--East 106 2006年10月30日 (月) 14:13 (UTC)

「信じられていた」では何か無根拠に信じられていたという印象を受けるために抵抗感があるならば、「考えられていた」というのはどうでしょうか? --Calvero 2006年10月30日 (月) 14:27 (UTC)
そうですね、その表現なら妥当だと思います。もっとも、リラクゼーションの一語を削りたいか記述の方向性を変えてしまいたがる人は一人しかいませんし、その人がその表現で納得できるか…ですかね、問題は。--夜飛 2006年10月30日 (月) 15:02 (UTC)

「考えられていた」でいいと思います。その表現で誤解を招くことはないでしょうから。--East 106 2006年11月5日 (日) 13:26 (UTC)

読みにくいので推敲希望

http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E5%96%AB%E7%85%99&oldid=5682131

> また、喫煙の害を軽減するための禁煙活動や、喫煙者から非喫煙者が迷惑を被らないようにする嫌煙(ただし本来はステレオタイプによる喫煙者の人格攻撃などの否定的な活動は含まれない。分煙とも)活動も行なわれている。

読みにくいので推敲希望--59.133.209.70 2006年5月12日 (金) 00:52 (UTC)

具体的にどの様に推敲するかを提案された上で、ノートへの記述が宜しいかと。
見出しも無かったので此方で追加しましたが、これでは丸投げです--BlackRussian 2006年6月25日 (日) 09:51 (UTC)
該当部分を書いた後、放っておいた張本人です。流石に上記の丸投げには、些か思うところ在って放っておいたのですが、追記ついでに改修しました。っていうか、単にダラダラと増量して、余計に解り難くなったかも(爆言)。夜飛 2006年6月25日 (日) 13:08 (UTC)
改修お疲れ様です、触ってしまって不味かったかも知れませんがご容赦下さい(汗--BlackRussian 2006年6月30日 (金) 08:23 (UTC)

なんか日本中心のような気がする。

なにか全ての説明の前提に日本の事情があるようなきがする。どこまで日本の事情ばっか書いてんだか...ここは日本語のコミュニティーであって、日本のコミュニティーではありません。文章があまりに日本人のリーダー向けにかいてありました。で、まことに残念ながら、自分にはうまく編集する自信がないのでだれか出来る人はやってくれませんか?--Chris P. J.(talk/history) 2006年7月9日 (日) 04:03 (UTC)