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ノート:唯一神教

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質問ですが、「唯一神教」にはユダヤ教を起源とする宗教(キリスト教、イスラム教など)以外にあるのでしょうか? 簡単に探してみましたが、他に見付からないので、唯一神教(狭い意味での一神教)は、非常にまれな例なのではと思いはじめています。信者の数としては多いのですが、宗教の数としてはユダヤ教系の非常に狭い地域、少ない人々を起源とするひとつの宗教の流れしかないことになります。特に反論がなかったらこのことを本文に書こうと思います。
--Setu 07:45 2003年6月14日 (UTC)

世界には数え切れないほどの宗教があるが、唯一神教はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つだけである。その3つともが唯一神から受けた啓示、あるいは唯一神との契約を土台とする宗教であり、その啓示を受けた最初の人物をアブラハムとしている。また、唯一神は絶対的な存在で、人間はその大権に服するべきこと、歴史の中で働かれる神であることなども一致している。
--Setu 08:57 2003年6月14日 (UTC)
人類にとっては多神教のほうが自然であり、あらゆる民族は本来多神教である。これに対し、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教は、中近東だけに発生した特異な宗教。
--Setu 09:02 2003年6月14日 (UTC)

こんにちは。Setuさんの考え方をあれこれ断片的ながら知っているからかも知れませんが、Setuさんの引用したような記述だと一神教は人間の本性とどこか合わない部分がある、宗教の中でも変わり種だ、というネガティブな感じを受けます。

そういう説が(一神教に対する批判も含め)宗教学者などによって唱えられているのを紹介することや、一般に流布していることなどを指摘するのはよいことだと思いますが、(他にも寛容性の問題や日本人論との関係でもいろいろ書くことがあるでしょうし)特に誰のものでもない/Setuさん自身の記述としてであれば、もう少し中立的な印象を与えるように表現を工夫したらよりよいような気がします。

例えば、http://www1.u-netsurf.ne.jp/~kagurayu/myth/isshinkyo.htmにあるように、ごく限られたルーツに遡ることができる一神教は、にもかかわらず数多くの多神教よりもずっと世界的な普及を達成した、というような言い方で一神教をひきたてるようなこともできるわけですし。

また、英語版の記事を読むと、ユダヤ教の原始形態は、ヤハウェをユダヤ民族の氏神(?)的なものと位置づけていたこと、キリスト教の一部の派は自分達の信仰が三神教だと考えているということ、なども指摘されています。ゾロアスター教は準一神教みたいな扱いを受けることも多いみたいな印象があります。

ただ、そういう部分を枝葉として切り捨てるとすれば、基本的に一神教はアブラハムの宗教に限られているというのが一般的な理解かと思います。

釈迦に説法という気もしますが。。Tomos 09:36 2003年6月14日 (UTC)

  • 単純に言うと、つい最近まで、唯一神教っていうのは、沢山あるんだと思っていました。まあ、『絶対神以外の神を認めない』って言うのは他にもありそうな気がするでしょう? 『一神教と多神教』と言うくらいだから、一神教(唯一神教)は沢山あるって印象を与えますよね。
でも、他に例を思い付かないので、ボクが知らないだけで世界各地に沢山あるのかと思っていました。で、ここの記事を見ても、『その他』とあるので、「その他かあ」と思って探したらないんですね。どうも。そのうち「他にない」って情報を見たので『へぇー』と思っただけです。まあ、書く内容としては、
『唯一神教』はユダヤ教を起源に持つ宗教(アブラハムの宗教)にのみ見られる特徴である。
って、一行でしょうか? これは単なる事実の記述だと思います。たぶん、ボクの様な勘違いをしている人も多いと思います。そこから、何を引き出すかは又別の話です。
『ゾロアスター教』は、天使に相当するのも『神』と呼ばれているようですから、多神教であり、中心に二つの神(善と悪)がいるって感じですよね。ユダヤ教よりは神道に近い気もします。善と悪については神道とは違うと思いますが。どちらにせよ、ゾロアスター教も中東に生まれた宗教でユダヤ教に大いに影響を与えた宗教らしいですが。
個人的な意見としては、絶対神に相当する神は、『存在』という私やあなたも全部を含めた全存在、というひとつの神しかいないと思います。その意味ではひとつ(二つではない)だと思います。ただ、その神がどういう神かということについては、いわゆる唯一神教とはボクは違いますが。まあ、スピノザの神に近いかも知れないですが、不確定性も含んでいるので…以下略)
また、サブシステムとも言える全体との同期が取れた多神もいても不思議じゃないと思います。また、『部分は全体、全体は部分(ホログラミック?)』ですから、多神の存在もあり得るかと…以下略)
また、別の情報ですが、イスラム教とヒンドゥ教は仲が悪いような印象がありますが、これはインド独立までは全く仲良くやっていたそうです。独立の時に『イスラムは別の国として独立する』と言ったのをガンジーがなかなか受け入れなくて、10年近くもめてるうちに喧嘩になったようです。
また、ユダヤ教とイスラム教も犬猿の仲かと思ったら、最近(イスラエル建国?)までイスラム教はユダヤ教をそれなりに受け入れて弾圧はなかったって話を聞いて、また『知らなかった』って感じです。
そういう意味では、最近の中東のもめ事は、『唯一神教』特有の問題なのかも知れないと感じているのは、おっしゃる通りですが、個人的にはシーザスもモーゼも好きな人達です。特にどれが良い悪いという考えはあまり持っていないです。近所にイスラム教の人達は沢山いて、まあ良い人が多いです。仲良しのイスラム教徒のお爺さんもいます。西洋人の友達もいるのでキリスト教徒って事だし、イスラエルから来てる若い旅行者も可愛いし、シーク教徒の友達とはお昼を良く一緒します。(何をいってるんでしょ? 爆笑) まあ、こういう感じ自体がボクは多神教的って事でしょうか?
--Setu 20:35 2003年6月14日 (UTC)

あなたの投稿には、肯定的要素がまったくないのではないでしょうか?

一神教を、「砂漠の宗教」と定義し、背景に中東の厳しい自然を見出すこと自体、仮説に過ぎませんし、非常に一面的なものの見方だと思います。

「唯一神教は他の々を排除する」「極端な排他性」「絶対的な価値観を有することからくる傲慢さ」
繰り返しますが、まったく一面的で主観的な観点からしか書かれていないと思います。

私も、別の視点について、これから投稿していきたいとも思っていますが、おそらく折衷的なものになっていくでしょう。--Sheynhertz-Unbayg 2004年12月24日 (金) 12:34 (UTC)[返信]

私の通う大学の教授によると…

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私は、某プロテスタント系の大学に通っているのですが、そこの神学の先生に尋ねたところ、

ユダヤ教は、己の信じる民族の守護神を絶対(それ以外を信じてはいけない)とするが、それ以外にも神(他民族を利益とする神)が存在する事を否定しない。キリスト教は、世界には、唯一神(と御子)しか存在しないとする。但し、多神教の信仰をキリスト教の信仰と関連付けて取り込む事を否定しない(例、クリスマス)。イスラムは、アラーが絶対である。原初からある信仰を可能な限り保存し、異教の考えを取り込む事はしない。

…だそうです。しかし、これらには諸説があり、「これが絶対!」というものはないのだそうです(例えば、キリスト教にも、一神教というより、汎神論を採る立場の一派が存在したりするので)。


様々な解釈ができて面白い、のも宗教の一面かもしれません。

マルティン・ブーバーなどは、聖書、どちらが大切と聞かれて、を重視するそうです。預言者的ですね。

現世では善悪の判断はできない、という内容のことも言っていたようです。--Sheynhertz-Unbayg 2005年1月8日 (土) 15:33 (UTC)[返信]