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ノート:命題

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2004年の議論

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ふむ~? 「命題」というのは、文自体(ある形式の文)のことではなく、文が表現しているものであって、真であるか偽であるかどちらかであることが期待されるものである、とゆうこと? とするともしかして「狼煙とか手旗信号で表現」というのは、単純にON/OFFの表現の例でしょうか(ということはビットと同じ)。てっきり狼煙や手旗信号で文を表現している例だと思ったのですが^^; 単純に赤か白の狼煙が上がったとしても、それが何を意味するかの約束(文脈)がないと意味が伝わらないから、結局文が必要なよーな気もしてくる…(混乱 --HarpyHumming 01:50 2004年3月28日 (UTC)

HarpyHummingさん。今回の記事の編集から汲み取って頂けますでしょうか。編集前の記述は、平叙文か否かという話が、普通言語か代替言語という話へズレていってます。そもそも狼煙や手旗信号をの話題は、命題についての文脈では無意味です。ちなみに普通言語も約束や文脈に依るという点で、狼煙や手旗信号と何ら変わりはありませんよ。Enharmonion 13:14 2004年3月28日 (UTC)

「ワシントン・・」の例文の方が優れてますね。前の例文は「私」がよくないですから。Enharmonion 13:19 2004年3月28日 (UTC)

命題とは

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いろいろ間違っていたのでなおしました。 本文にも書きましたが、命題そのものに真偽が決まっているわけではありません。 (私も高校の頃は「真偽が定まるものを命題という」とならったので、よくある間違いなのかも知れません)。 たとえば「犬が時速50キロで走っている」という命題の真偽は、「犬」がどの犬なのかを決めてはじめて決まります。 「犬が時速50キロで走っている」という命題そのものには真偽が割り当てられていません。

なお、「真偽を判定できるくらい文章が明瞭なときに「命題」という」でも間違いです。 真偽が決まるからといって真偽が判定できるわけではないからです。 たとえば「アンドロメダ星雲には宇宙人がいる」という命題は真偽が明瞭に決まりますが、真偽を判定する事は(いまのところ)できません。 原理的に真偽が判定できない文章(ゲーデル・センテンス)も存在します。

そこでとりあえず「命題(めいだい)とは、意味の解釈に不明瞭なところがない文章の事」としてみたのですが、これで本当によいのかあまり自信がありません。どなたか詳しい方、修正をお願いします。


ええと、「富士山は美しい」(価値命題)とか「明日の天気は晴れである」(ref.多値論理学)というのも命題ですね。本項では、まず「判断を言語であらわしたもの(広辞苑)」という最も基本的かつ一般的な解説から始めて各分野での「命題」に触れていくのがいいんじゃないかと思います。そのうち書きたいと思います。 ところで、命題の相互間に上下関係が成り立たないというのはカントもびっくりのあまりにぶっとんだ説なので「という説もある」としたのですが…またもどされてしまいました。どうしたらよいものか。。 ちなみに出典元の小谷野氏の説ですが、定言命令(∈至上命令)「汝~せよ」は即ち「汝~為すべし」という定言命題を与える事になりますから、仮に命題に上下がなければ「至上命令」も成り立ちません。 --Hal* 2007年8月1日 (水) 14:57 (UTC)[返信]

このページ全体を考え直す必要があると思います。まず、「命題(めいだい)とは、意味に不明瞭なところがない文章の事」とありますが、文の意味が明瞭かどうかは個人に依存してしまいます。Aさんにとっては命題だけれど、Bさんにとっては違う、などということがあることを許す定義でよいのでしょうか?Kateri 2009年3月25日 (水) 01:27 (UTC)[返信]

ページ全体にわたって多少曖昧な言葉遣いがなされていることは確かで、そのため誤解があるようですが「明瞭である」というのは「適切な枠組みの中で文が表す内容が一つに定まる」ということであって、個人に依存する文章はその意味での「明瞭」ではありません。で、本文や上のHal*氏の説明では命題函数(あるいは述語)と命題が混同されているので、余計に誤解に拍車をかけているかもしれません。しかしいずれにしても構文論 (syntax) と意味論あるいは解釈 (semantics) は分けて考えるのが通例だと思います。--2009年3月25日 (水) 03:29 (UTC)

「命題(題をつける意)」と「至上命題」の扱いについて

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見出しに掲げた内容について、直近の編集で意見の対立があるようなのでトピックを立てました。参考:現時点の最新版2010-11-28T10:21:43の版

私の意見としては、まず「命題(題をつける意)」について、この記事では定義文にもあるように proposition という意味での命題の概念を解説したものですので「題をつける」意味合いでの解説は不要。現時点の最新版にあるようにotherusesでの誘導が適切と考えます。

次に「至上命題」について、これについても本記事で扱う概念との関係性が不明の為、解説は不要と考えます。仮に、「この上ない命題(proposition)」という意味の言葉であれば、単に「至上」と「命題」をつなげた複合語の解説となる為、「ウィキペディアは辞書ではありません」の方針に照らして解説不要。「課せられた問題」という意味であれば、本記事で扱う命題の概念との関係性が見出せません。従って「命題」から「問題」への誘導も不要でしょう。また、至上命令と混同した誤用であれば、その概念はむしろ「命令」に紐づくものであって本記事での解説は不要に思います。--hal* 2010年11月29日 (月) 09:07 (UTC)誤字訂正--hal* 2010年11月29日 (月) 15:20 (UTC)[返信]

現在のotherusesによる誘導先を見ていますか?「命題(題を付けること)」と「命題(課せられた課題)」に誘導されているなら、私もotherusesでいいと思います。しかし、現在の誘導先は、どちらも「命題」との関係が見た目上全く不明な記事です。もっとも、「命題(題を付けること)」と「命題(課せられた課題)」には、単独の記事にするだけの特筆性はないように感じます。したがって、「命題って何だろう?」と思って知識が乏しい状態でウィキペディアで「命題」と入力した人のためにも、この記事の中で「命題(題を付けること)」と「命題(課せられた課題)」について、1つの節くらいで触れておくのがベストだと考えます。ウィキペディアを使う人の身になって考えましょう。現在の状態で、分かりやすいですか?ただ、あんまり本質的な議論じゃないことは確かですね。早めに合意を形成できたらと思います。--カレル・シュタミッツ 2010年11月29日 (月) 11:49 (UTC)修正--カレル・シュタミッツ 2010年11月29日 (月) 12:55 (UTC)[返信]
当然ですが、誘導先は見ています。もちろんウィキペディアを使う人の身になって考えていますが、「命題」って何だろう?と辞書代わりにウィキペディアを使う人のことは考えていません。また、現在の状態では分かり難いので上記の通りの意見を述べました。ところで、「命題」に「課せられた問題」という意味はあるのですか?辞書で見つからなかったもので・・・。--hal* 2010年11月29日 (月) 15:20 (UTC)[返信]
「命題って何だろう?」的な利用者が、そう特別な存在だとは思えません。むしろ、知識の乏しい人にこそ分かりやすく誤解のないようにするべきではないでしょうか。いいですか?この記事に、他の用法が1節取って説明されていても誰も誤解しないし、分かりにくくもならないんですよ。それに対し現在の版は、知識の乏しい人には分かりにくく、最悪誤解さえ招きかねない。優劣は明らかだと思います。実際、私が編集する前は「題を付ける」という意味が載っていなかったために、某掲示板のウィキペディアについてのスレッドでは、「題を付ける」の意味で「命題」という言葉を使っていた人が、この記事を示した上で、言葉を知らない人だとして馬鹿にされていました。私の版では、そのような誤解を事前に防ぐことができます。
「課せられた問題」という用法は、辞書に載っていたりいなかったり、さらに誤用だと明示する辞書及び研究論稿もあります。そういったことも、私が調べて記事に載せたんです(私より前に載せていた人もいましたが、文献に基づいていないようで削除されました)。誤用かどうかの論争は、国語辞典を見ても分からないことであり、とても意味がありました。それらがotheruses化で、この記事からのみならず、ウィキペディア全体から消えてしまいました。--カレル・シュタミッツ 2010年11月29日 (月) 16:36 (UTC)[返信]
ご返信有り難うございます。すみません、私勘違いをしておりました。過去の版も見ていたのですが、「課せられた問題(課題?)」という意味は「至上命題」の意味として辞書に載っているのかと思っていました。ではなく、「命題」の意味としていくつかの辞書に載っているのですね。有り難うございます。さて、お話頂いた事例ですが…、確かにかわいそうですね(笑)。しかしその原因は、Wikipediaが辞書と勘違いされて使用されたが故の事となりますね。仮に本記事を「ウィキペディアは辞書ではない」の方針から外れて辞書の体で編集したところで、他の殆どの記事では基本方針に則って編集されるでしょう。そうするとWikipediaを辞書と勘違いした人の問題は他の記事でも同様に起こり得る。そうしてその時、例外的に辞書として書かれたこの記事はそうした誤解に一役買うことになってしまいます。従ってやはり賛同できません。--hal* 2010年11月30日 (火) 07:02 (UTC)[返信]

現在の版を支持します。まず、ウィキペディアは辞書ではないということを指摘します。リンク先には「用語の複数の異なる定義や語法を解説するような百科事典の記事はまれです」とあります。そのため、Yhiroyuki さんは辞書であるウィクショナリーにその役割を担わせたのでしょう。本項を曖昧さ回避にするのもひとつの手でしょうけれども、特別:リンク元/命題がざっと見てほぼ(あるいは完全に)全てが本項の主題に関することであることから、それも適切でないと思います。なお、至上命題が本項へのリダイレクトになっていましたが、ウィクショナリーへのソフトリダイレクトにしました。冒頭の Otheruses も(やや変則的ですが){{Otheruses|[[論理学]]、[[哲学]]の用語|その他の用法|wikt:命題}} の方が良いように思います。--白駒 2010年11月29日 (月) 20:29 (UTC)[返信]

白駒さんの案に賛同します。Otherusesもこの方がスマートですね。--hal* 2010年11月30日 (火) 07:02 (UTC)[返信]
命題という言葉一般についての解説だと誤解されないため、定義文を「[[論理学]]あるいは[[哲学]]において'''命題'''(めいだい)とは……」のようにする、という手もあるかも。とアイデアだけ。--cpro 2010年11月30日 (火) 07:21 (UTC)[返信]
アイデアを頂きました。また、公式などと同様に Template:See Wiktionary を用いました。これらに限らず、一般名詞でもある数学用語の扱いって難しいです。数学屋さんだと、一般名詞だということに気付かないことさえあるです。 --白駒 2010年12月5日 (日) 15:40 (UTC)[返信]

2021年1月18日 (月) 11:36版における加筆について

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  • 日本語として適切に記述されておらず百科事典の記述として不適切ですので一旦リバートしてあります。問題は「立言」「定立」という語それ自体ではなく、投稿された文字列が日本語の文法構造として正しく記述されておらず、意味が通じないということです。①「或る肯定的判断並びにそれに準じる命題を、立言若しくはそれに準じる方法で具現化すること。」(何について説明しているのか不明)②「そして、それによる肯定的判断」(指示語が何をさしているのか不明)③「両者を定立と呼ぶ」(両者が何と何をさしているのか不明)④「独自の分割に基づく修辞を有している人物」(意味不明の文字列)⑤「論理学では意味の研究は盛んではない。少なくとも、論理の研究以上に優先されているという状況は存在しない。」(根拠不明の主張。すくなくとも主張を裏付ける、直接的にそう記述された、信頼できる検証可能な引用元が必要。)の5点について改善して頂くようお願いいたします。--大和屋敷会話2021年1月20日 (水) 02:54 (UTC)[返信]

ウィキペディアのルールには論及している訳ですが、あなたの個人的な理解を前提にした主観的かつ恣意的かつ急性な対応ではありませんか。ノートでお返事しました。私の返答を無視した急性な対応を繰り返されたことは遺憾です。--Textural会話2021年1月21日 (木) 16:38 (UTC)[返信]

  • 私のノートに回答頂いているようですが[1]、記事の編集方針の検討についてはこちらに投稿頂き、私個人に対する連絡のみ私のノートに投稿頂きますようお願いします。さてまず上記の指摘について「あなたの文章の切り方が「日本語の文法構造として正しく記述されて」いることを無視している為に生じた問題」との御主張ですが、Texturalさんの投稿された記述のまま、その順序にに従い、文あるいは句(節)毎に指摘をおこなったものであり、反論となっていません。上記で指摘したよう投稿のさいには日本語の文法構造に従い、適切に記述した記事を投稿して頂くようお願いします。第2、リンク先[2]で述べていることと内容が一致しているとの御主張ですが、客観的に観察するかぎり全く一致していないようです(リンク先引用「てい‐りつ【定立】ある肯定的判断・命題を立てること。また立てられた肯定的判断・命題。ヘーゲル弁証法では、三段階発展の最初の段階をさす。措定。正。テーゼ。」)Texturalさんの記述(或る肯定的判断並びにそれに準じる命題を、立言若しくはそれに準じる方法で具現化すること。そして、それによる肯定的判断並びにそれに準じる命題の、両者を定立と呼ぶ。独自の分割に基づく修辞を有している人物としては、カントヘーゲルがよく知られている)。どうでしょう?一致していませんね?なお信頼できる引用元から引用される場合は引用のガイドラインに従い適切に引用するようにします。第3「カントもヘーゲルも独自の分割に基づく修辞として、定立を使用しています」とのことですが、その事実を「あなたが」御主張なさるのではなく信頼できる情報源から適切に引用してください(投稿のさいには日本語の文法構造に従い、適切に記述してください。なお「独自の分割に基く修辞」の意味も不分明です。引用元にそう明確に記述してある場合を除いて、一般に通用する日本語で記述するようお願いします。)。第4、ラッセル『私の哲学の発展』を引用元として執筆したいとの御意向のようですので、検証可能性を満たす形式で適切に引用してください。最後に、おそらくこれは私の個人的な性情によりTexturalさんに御不快な念を与えている点についてお詫び申し上げるのですが、私はきわめて「形式的」なこと「のみ」をコメントさせて頂いているつもりです。参加者にはwikipedia編集方針に従い適切に編集に参加することは歓迎されます。以上の点改めてご検討頂きますようお願いします。--大和屋敷会話2021年1月21日 (木) 19:38 (UTC)[返信]

出典が無いことと日本語として意味不明だいうことは共に言いがかりで、ルールについては自分には甘く他人に対して硬性過ぎます。言い換えを一切認めないのでは編集は無理です。あなたの個人的な言葉使いについての不満だと思います。あなたのノートに記載するべき内容であるとの考えです。--Textural会話2021年1月22日 (金) 05:08 (UTC)[返信]

  • コメント依頼の提出は不完全な編集状態(日本語の不備・出典のない記述の投稿)への差し戻し理由になりません。宜しくお願いいたします。--大和屋敷会話2021年1月23日 (土) 21:13 (UTC)[返信]
  • 新規加筆部分(2021年1月23日 (土) 09:41版)[3]について。JSミルの箇所は記事「命題」と直接関係のない記述ですので削除しました。引用するさいには記事主題(「命題」)と関係がある箇所を引用頂くか、記事主題と関係していることが読者に十分理解できる内容で投稿頂くようお願いします。また、旧版([4])以前に存在していた「厳密な意味での命題の存在は~つねに十分に明らかにされているわけではなかった」については脚注HP先に該当する記述が確認できませんでしたので削除しました。--大和屋敷会話2021年1月23日 (土) 21:43 (UTC)[返信]

気に入らないとルール違反にしてリバーとしているようにしか見えません。リバートを留保するべきだと思います。既に述べたことですが、あなたの編集の多くは、出典とは相違しています。その相違の一部は仕方が無いことであり、他の編集者についての寛容さが必要なのです。あなたの行動はルールを離れた独裁です。これもウィキペディアのルールですよね。--Textural会話2021年1月24日 (日) 06:57 (UTC)[返信]

  • 表現上の論点は改善されたと思います。ミルは記事の主題「命題」に直接関係のない記述に終わっているのが気になりますがどうしても入れたいですか?すくなくとも「命題」という語と絡むところまで解説して頂かないと、単に「論理学」の存立価値を否定したとしか読めず、それが「命題」にどう関わるかが読者に不明であり「そんなこと読者で勝手に調べろ」に読める。これは不実な記述であり「無いほうが良い記述」となります(誤解頂きたくないのですが「書くな」ということではなく「読者に通じるように、もっと記述してください」ということです)。あとは出典の付加ですが、これは気が向けば(あるいは加筆に都合のよい文言のある書籍が見つかれば)加筆してゆく方針で良いでしょう。むろんWP:VERIFY#方針に明記されてあるとおり「出典のない記述は除去されても文句は言え」ないとの警句にはご留意下さい。--大和屋敷会話2021年1月24日 (日) 08:35 (UTC)[返信]

混乱をまねくから削除?

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「混乱をまねくから」なる、良く分からない理由で「命題」の語義の1つ「数学で、真偽の判断の対象となる文章または式。定理または問題のこと」を削除する編集がおこなわれましたが、信頼できる引用元に明確に記述されている語義を「混乱をまねく(?)」などという良く分からない理由で削除してはいけません。あなたが混乱しているだけではないのですか?どうか宜しくお願いしますよ。--大和屋敷会話2022年10月1日 (土) 10:39 (UTC)[返信]

  • ここで行うべき議論を大和屋敷さんの利用者ページに書いてしまい申し訳ありません。以下転載します。
今の「命題」の記事の本文は、もっぱら伝統的論理学数理論理学で言う真または偽の値が割り当てられる主張について説明しており、そこでは真と偽は対等です。一方、数学では定義を言い換えただけのような簡単に示せる事実を命題と呼ぶ習慣があり、その意味での命題は(一定の公理の下で)全て真です。そこで数学特有の用法については Template:Otheruseslist を使って「定理」の記事に誘導するようにしています。ところが『デジタル大辞泉』での「3 数学で、真偽の判断の対象となる文章または式。定理または問題。」という 語釈は両方の意味にまたがっており、論理学での用法に限って説明している当該記事で引用するのは不適切です。また、定理と問題を並べるような書きぶりからして『デジタル大辞泉』の著者は数学に明るくない可能性が高く、信頼できる情報源とは言えません。このような分野では国語辞典ではなく教科書か百科事典によるべきです。 --Ororon会話2022年10月2日 (日) 15:11 (UTC)[返信]
  • やはりあなたが混乱してるんですね。定義は命題として記述された文・言明であり、真であると前提された命題が定義、真であることが証明された命題が定理です。真であることが立証されたものは定理であり立証されていない命題は(数学上の)問題ですので定理と問題を並べて書くのが正しいのです。また【数学では定義を言い換えただけのような簡単に示せる事実を命題と呼ぶ習慣】などありません。あなたの混乱を記事に持ち込まないようお願いします。--大和屋敷会話2022年10月2日 (日) 21:35 (UTC)[返信]
  • なお、記事に関する話題は記事のノートページに投稿をお願いします(他の編集者の方に「編集検討」の経緯が隠れてしまいますので)。こちら(利用者ページ)には大和屋敷に対する連絡「のみ」お願いいたします。--大和屋敷会話2022年10月2日 (日) 21:45 (UTC)[返信]
  • 数学で「命題」がどのような使われ方をするのかは例えばこちらを見ていただきたいと思います。基本的な事実が命題1, 命題2, ... と列挙されていて、その一部だけが定理と呼ばれています。この意味での命題は定理、補題、例などと明確な区別はなく、重要性や非自明性に応じて主観的に格付けしているに過ぎません。従って、演習問題や未解決問題とはどうしても区別しなければならないのです。西洋でも同様の用法があることはen:Theorem#Terminologyの通りです。あと少々本筋からは外れますが、数学上の問題の中には「○○を分類せよ」「○○のできるだけ簡単な必要十分条件を求めよ」のような、ある主張の真偽を決める以外の問題もあります。 --Ororon会話2022年10月3日 (月) 12:34 (UTC)[返信]
  • 「定理から演繹された宣言文」も「演習問題」も「未解決問題」も真偽が判断できる体裁で記述されているかぎり命題ですよ。あとご紹介いただいたリンク先がどのような性格のものかニワカには判断しかねますが、「陳述・宣言・statement」の主旨で「命題」という語を利用しているようですね。べつに異例な用法のように思いませんが、これが「(命題とはまた)数学で、真偽の判断の対象となる文章または式。定理または問題のこと」という解説と抵触し、読者に無用の混乱を与える根拠になるようには見えませんが。んん?--大和屋敷会話) 2022年10月3日 (月) 14:30 (UTC)ああ、定理から演繹した宣言としての「命題」がないのか。なるほどなあ。--大和屋敷会話2022年10月3日 (月) 14:45 (UTC)[返信]
    それは論理学で言うところの命題であり、数学の慣用では主張などと呼ばれます。困ったことに、論理学で言うところの「命題」が数学の文献で全く使われないわけではなく、時には普通の数学上の問題を数理論理学の手法を援用して扱う場合もあり、どちらの命題を指しているかは文脈で判断しなければなりません。いずれにしても全く異なる意味であることは間違いありません。 --Ororon会話2022年10月3日 (月) 14:59 (UTC)[返信]
  • 「定理から演繹できる証明された【前提(pro-position)】」くらいのニュアンスで命題を利用している感じですね。デジタル大辞泉の説明(「数学で、真偽の判断の対象となる文章または式。定理または問題のこと」)のうちで、「定理または問題のこと」の部分がどうも上手く書けていないようなことは理解しました。ここだけ外してしまうというのはどうでしょうか?--大和屋敷会話2022年10月3日 (月) 15:05 (UTC)[返信]
    「数学で、」というのが割とまずいのです。既に証明された定理を謙譲して命題と呼ぶ用法の方がずっと多く、そのようなものは真偽の判断の対象ではないkらです。--Ororon会話2022年10月3日 (月) 15:11 (UTC)[返信]
  • ん~。さすがにそれはwikipediaの編集方針的には「そう記述してある信頼できる情報源(たとえば数学者による公表済みのエッセイとかでも可)」が必要な感じですね。「すでに証明された定理を謙譲して命題と呼ぶ」というのは「定理」の定義が推移的(定理も命題の形で記述されているのですから命題に違いありません)であるのが理由でしょう。「数学で、」というのが割とまずいという点については了解できかねます。--大和屋敷会話) 2022年10月3日 (月) 22:03 (UTC)なお、付言ですが、わたくしが引用する文「数学で、真偽の判断の対象となる文章または式。定理または問題のこと」について「小学館デジタル大辞泉」という権威ある媒体に掲載された文字列だから引用しているだけのことで、わたくし自身この内容に疑義があるだの「(この記事の)著者は数学に明るくない可能性が高」いなどと言う気もその資格もまったくありません。なにしろ相手は権威ある百科事典でこちらは只の無名のwikipedianにすぎませんので、その内容を批判するためには、別の権威ある信頼できる情報源による必要があります。わたくしたちのステイタスで可能なことは、せいぜい他のwikipedia編集者との編集検討の中で『記事を引用するか引用しないか』判断するだけのことです。引用しない自由はありますので(むろんその場合でも、別の、あらたな第三者のwikipedianが反対して再掲載する可能性はあります)。--大和屋敷会話2022年10月3日 (月) 22:03 (UTC)[返信]
    阪大の松本佳彦准教授によるこちらの講義資料がよくまとまっています。
    「定理」「命題」「補題」「系」はすべて「成立することが数学的に証明された事実」を指す.それらのうち最も重要なものが「定理」と呼ばれる.
    注意 論理について特に考える場合には,「命題」という言葉は別の意味,すなわち「真偽が定まっている主張」という意味で用いられることもある(詳しくは第 4 回以降で扱う).どちらであるかは文脈で判断する.
    --Ororon会話2022年10月4日 (火) 14:35 (UTC)[返信]
  • Ororonさんの引用される講義資料では、命題は定理や補題などと同じく「すでに成立することが数学的に証明された」事実を指す語であって、筆者が何を定理と呼ぶか命題と呼ぶかは推移的(筆者の主観)によるという主旨で紹介されていることが確認できました。一方で日本の学校教育(高等学校)などでは命題を「一般に、正しいか、正しくないかがはっきり定まる文や式」と定義しており(たとえば数研出版「数学Ⅰ」)、これは一般的な百科事典と同等の定義であって、ここから拝察するに松本淳教授の解説はむしろ大学数学を学ぶ上でのノウハウ的な側面を先輩研究者がフレッシュマンにアドバイスする体裁で記述されてあるのではないだろうか。いずれにせよ松本淳教授ともなれば権威においてwikipedia上は問題はないですが、あきらかに一般に流通する百科事典あるいは高校教科書と抵触しているので、せいぜい両論併記すべきというのが落としどころになるのではないか。松本淳教授のペーパーを探してこられたのはwikipedia的に貢献だと思いますが、類似の事例ないし教科書的なものを探して頂ければ両論併記する上で助かります。なお、英和辞書においてはpropositionを「命題」「定理」と邦訳しているものは確認済みで(研究社 新英和中辞典[5])、この場合、日本語として「命題」≠「定理」(定理は命題の形式で記述された文や式であってすでに成立することが数学的に証明されたもの)でありながら、英語proposisionを邦訳するさいに「命題」と訳したり「定理」と訳したりするケースが想定できます。また英語の話者がproposisionを日本語の「命題」の意味で利用しているか「定理」の意味で利用しているか、英語の用法では区別がつかないことを暗示しているとも言えます。--大和屋敷会話) 2022年10月4日 (火) 22:29 (UTC)いずれにせよ、もう少し幅広く文献が必要そうです--大和屋敷会話2022年10月4日 (火) 22:29 (UTC)[返信]
    高校の数学の教科書が「命題」をもっぱら論理学上の意味で使うのは、数学的帰納法を決して帰納法と呼ばないのと同じことだと思いますので、「帰納」の記事のように本文の中で明文で注意喚起するのが一番良いと思います。このあたりの業界用語は学校では誰も教えてくれないのに学部1年の5月にはみんな知っているという性格のものなので、出典を求められると割と困るのではありますが。なお英語の en:Proposition も日本語の「命題」と用法は同じです。格下の theorem を proposition と呼ぶ西洋語の悪習を日本語もそのまま取り入れてしまったというわけです。(数学的帰納法を帰納法と呼ぶのもそうです。)『新英和中辞典』の編者はその事情を知っていたのでしょう。--Ororon会話2022年10月5日 (水) 16:11 (UTC)[返信]