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ノート:否認主義

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ノートでの記載なく独自研究、中立性のテンプレートが導入されていましたので一旦除去しました。再度導入のさいは、具体的にどの箇所に独自研究や中立性の問題を見出しているのか、ノートに記載されるよう、当記事の発展のためにもお願いいたします。--121.112.179.28 2007年10月4日 (木) 07:53 (UTC)[返信]


12月29日の修正は不要。虐殺があったこと自体は、実証史学の先行研究が実証し、通説となっているため。現時点で「論争中」なのは規模。一方で「否認主義」は、(とくに南京虐殺の場合は)規模に関する一説への反証を、事件そのものの存否・「歴史的な事象の存在そのものを否認する」ことに繋げる、非実証的・非科学的な、政治的動機に基づく言説を指す。よって28日の修正は適当、29日の修正は項目に対する誤解を生む。(また、29日の修正理由、「日本語が読めないか、わかってないようなので」なる理由は、いかがなものか。)--220.211.65.246 2008年1月4日 (金) 10:21 (UTC)[返信]

(被害者の人数など)虐殺の規模についてはまだ結論は出ていないと思いましたが、あなたが信奉する通説はどこに書いてあり果たして何人ぐらいなんですか。例えばナチの場合はどこそこの強制収容所で何人殺されたかなどはかなり解明されているわけですが、南京の場合はどれが本当か今のところわからないんですよ。--shikine 2008年1月4日 (金) 16:04 (UTC)[返信]
気に食わぬというのなら「規模」という点を補足しておきましたが、「実証史学」というからには規模ぐらいはまず(ナチ犯罪のように)物証を含めてほとんどが解明済でないと学問的には眉唾でなかろうかと思われる。「南京大虐殺」の項目には「なお、この問題は事実存否や規模などを巡って現在でも議論が続けられている」とあり、「南京大虐殺論争」でも規模だけでなく範囲や動機などさまざまな説が提示されているわけですから、「論争中」というのは入れるべきだと思いますね。--shikine 2008年1月4日 (金) 16:21 (UTC)[返信]

220.211.65.246ですが。
あなたが仰る「規模についてはまだ結論は出ていない」を、私は、「現時点で「論争中」なのは規模」と、ちゃんと上述しておりますが…?規模に結論が出ていないことは、「否認主義」とは無関係ですよ。そういう話は、南京事件の記事でおやりになってください。あちらが凍結されているからと、こちらでやることではありませんので。「否認主義」の語意を考えて記述をお書きになってます?あなたのイデオロギーを鼓吹する場ではありませんので、「否認主義」に無関係な内容は不要です。なにより、「(とくに南京虐殺の場合は)規模に関する一説への反証を、事件そのものの存否・「歴史的な事象の存在そのものを否認する」ことに繋げる、非実証的・非科学的な、政治的動機に基づく言説を指す。」と、上述したとおりです。それから、すみません、実証史学の研究者の方ですか?そうであるならば、「ほとんどが解明済でないと学問的には眉唾でなかろうかと思われる」などということが有り得るわけがないのは、お分かりだと思いますが。歴史学の研究をなんだと思ってらっしゃいます?通史の手すさびでも歴史小説でもありませんので。
それから、なによりも、歴史学は史料によって叙述される科学で、「物証」は不要です。
ちょっと、あなたの言っていることは、学部一年生レベルだとしても、あまりにお粗末すぎると思います。--210.250.122.224 2008年1月4日 (金) 23:26 (UTC)[返信]

「否認主義」の前提は「歴史的な事象の存在」が必要で、それについていまだ論争中である以上、批判している側を「非実証的・非科学的な、政治的動機に基づく言説」と断定することもできず、ナチの犯罪と同列に語ることはできませんね。あと、歴史学が「史料」(記述的証拠)のみによるというあなたの主張はトンデモ説だと思いますが、それは遺跡などの発掘作業をしている研究者あたりに聞いてみたらいかがでしょうか。--shikine 2008年1月5日 (土) 02:04 (UTC)[返信]

「遺跡などの発掘作業をしている」のは、歴史学の研究者ではなく、考古学と美術史学の研究者です。小学生ですか?勘弁してください。あまりに馬鹿馬鹿しいので、該当箇所を元の通りに削除してもよろしいでしょうか?もしくは、ご自分で削除していただけますか?--210.250.122.224 2008年1月5日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

あまりにも見苦しい罵倒やこじつけはおやめなさい。考古学の成果は科学的なデータとして歴史学へと当然反映されている。--shikine 2008年1月5日 (土) 02:26 (UTC)[返信]


くだらないので書くまでもないと思っていましたが、あまりにレベルが低いので書きます。
>「歴史的な事象の存在」が必要で、それについていまだ論争中である以上…云々
まさしく、それこそが、否認主義者との「論争」でしょうね。
>考古学の成果は科学的なデータとして歴史学へと当然反映されている…云々
他の同時代の研究者の研究は、参考文献で、史料ではありません。
歴史について口を挟む能力も、知識もおありではないようですので、今後は自重なさるのがよろしいかと思います。こちらも、相手にするだけで馬鹿らしいので。変更履歴に、「(日本語が読めないか、わかってないようなので戻す)」などと平気で書く方がどのような方か、成る程よく理解できました。--210.250.122.224 2008年1月5日 (土) 03:54 (UTC)[返信]

あなたのコメントの大部分は単なる口汚い個人攻撃なので「他の同時代の研究者の研究は、参考文献で、史料ではありません」という部分にのみコメントします。あなたが今まで「歴史学」と主張してきた概念は「文献学」に近いものであり、歴史学全般からすると極めて視野狭窄な見方ではないでしょうか。しかし、あなたが絶対視する「史料」で議論・解明中のようなので、「物証の存在」を省略しても当方の記述には影響はありませんし、具体的な事件に関する議論をここでするつもりはありません(他の項目で保護解除なりノートでコメントなりしてやってください)。
繰り返し書きますが(すでにほとんどが解明されているナチの犯罪とは異なり)「南京大虐殺に関してはいまだ議論・解明中である」という点を指摘したまでで、当方は何も「南京大虐殺」を否定する記述をしたいわけではないんですよ。--shikine 2008年1月5日 (土) 05:17 (UTC)[返信]

史料とは画像史料からオーラルヒストリーを含みますし、私は一言も、史料が文献史料に限られるなどとは言っておりませんし、そんなことは考えてもおりません。そんなことが、一体どこに書いてあります?私が「歴史学は史料によって叙述される科学で、「物証」は不要です。」と申し上げたのは、史料のメディアについてではなく、歴史学は科学であって裁判ではないので、史料によってのみ叙述され、「物証」によって云々されるものではない、という、当たり前に当然な、歴史学の基本についての意味ですよ。その程度のことすら、いちいち説明しないと読解もできず、くだらないことを長々と、よくなさりますね。
>「南京大虐殺に関してはいまだ議論・解明中である」という点を指摘したまでで
それは「南京大虐殺」のページでお書きになればよろしいんじゃないですか?「否認主義」の項目では不要であり、誤解の原因になるという、12月28日の方も仰っていることを、また再述しなければなりませんか?他の項目でやれ云々は、私があなたに既に申し上げたことですよ。
これは「違い」の問題ではなく、レベルの高低の問題のようですね。あまりにくだらない。ご自分で削除なさることをお奨めします。--210.250.122.224 2008年1月5日 (土) 13:30 (UTC)[返信]

あなたはただひたすら「不要である」と当方に対するレッテルぱりや中傷を交えて主張しているだけで、削除する上で求められる説明義務や真面目な態度を果たしているとは言えません(そういうヒトは通常「荒らし」とみなされるわけですが)。ここは乱暴なものの言い方を改め、どうか落ち着いて当方の提示した編集理由について考えていただく思っております。--shikine 2008年1月5日 (土) 14:22 (UTC)[返信]

>日本語が読めないか、わかってないようなので戻す
が、「乱暴なものの言い方」・「レッテルぱりや中傷」・「荒らし」ではなく、「削除する上で求められる説明義務や真面目な態度を果たしている」とお考えになっている方とは、日本語での言い合いは不毛なだけであると思われます。日本語がお分かりになり、あなたの「理由」が適当ではないことについての理由をお聞きになりたければ、削除の理由について説明をした、私の一番上の220.211.65.246 2008年1月4日 (金) 10:21 (UTC)の書き込みをご覧になってください。先ほどから再三再四申し上げている通り、私はこれ以上、なにも申し上げることもございませんので、いつまでも粘着なさらず、ご自分で削除なさってください。--210.250.122.224 2008年1月5日 (土) 14:34 (UTC)[返信]

言い争うことはウィキペディアのエチケット違反なので、有効な反論が提示されない限りこのぐらいで。「日本語が読めない」は言い過ぎであることを認めますが、当該人物が「水島総‎」に著作権侵害の資料を貼り付けているあたりで当方の指摘は当たらずとも遠からずと考えております。--shikine 2008年1月5日 (土) 15:36 (UTC)[返信]
  • 歴史修正主義にからんで、こちらに来た都合で発見したのですが、妙な口論になっていますね。歴史学における実証主義的立場(実証史学)は学術的に広く受け入れられた手法で、歴史学の科学的根拠として重要な要素として受け入れられていると思います。また史料批判が実証史学において研究の焦点であり、そこで統一され「疑いようのない」結論を得ることは、じつは「科学」の本質(カール・ポパーの言うところの反証可能性)の否定であり科学的でない、ということがあります。「否認主義」という術語そのものは、学術的に定義された用語ではなく、単に通説の根拠としている史料に存在する「反証可能性」につけこんで、排中律を利用して通説を否定する、という程度の意味の慣用表現ではないのでしょうか?GooのWeb辞書[1]では否認主義に関する記載がありませんでした。--125.205.189.66 2008年1月5日 (土) 15:48 (UTC)[返信]
  • 一点を除いて、まったくあなたの仰るとおりだと思います。あなたの仰る「「反証可能性」につけこんで、排中律を利用して通説を否定する」を、私は、「規模に関する一説への反証を、事件そのものの存否・「歴史的な事象の存在そのものを否認する」ことに繋げる」と書いたつもりです。問題なのは、そこで「事実関係については現在論争中」などという付記を項目の解説本文の中に紛れ込ませることが、否認主義者の言い分を、さも客観的な言い分であるかのように誤読させる可能性がないか、ということです。正確に記述するなら、記述の最後に、「否認主義者たちは、事実関係については依然論争中であると主張している。」とするのが、最も客観的ではないでしょうか?
    一点だけ、あなたの仰ったことに賛成できないのは、「「疑いようのない」結論を得ることは、じつは「科学」の本質の否定であり科学的でない」の部分です。ヘイドン・ホワイト以来、あるいはそれ以前から、歴史学にとって、歴史が物語的な叙述であることは、自覚的に反省しつくされ、もはや暗黙の前提になっているはずです。現在歴史学に携わる方たちのうちで、史料または歴史学から「「疑いようのない」結論を得」ることができると考えている研究者の方など、皆無なのではないでしょうか。--210.250.122.224 2008年1月5日 (土) 16:15 (UTC)[返信]
  • 「否認主義者たちは、~主張している」という表現は危ういですね。まず、そもそも「否認主義者たち」というものの実在が曖昧です。世の中には肯定か否定かしか存在せず、肯定主義者でなければ否認主義者である、とするのは誤った二分法の可能性があります。またヘイドン・ホワイト(言語論的転回)を持ち出すことで確証の根拠とするのも危ういです(権威論証)。もっとも「史料または歴史学から「「疑いようのない」結論を得」ることができると考えている研究者の方」など、皆無だと思います。真っ当な学者は史料研究にのみ過激な論争を展開し、歴史観には立ち入らない傾向にあると思います。--125.205.189.66 2008年1月5日 (土) 16:57 (UTC)[返信]
  • ちょっと驚いてしまったのですが、なにかを完全に誤解してらっしゃいませんか?あなたが引用していらっしゃるウィキペディアの「歴史修正主義」にも書かれているとおり、「科学でありえる要素において重要なのは現時点で事実が完全に分かるか否かではなく、仮説の精度を高める方法が確立されているかどうかで」です。(本題ではないのですが、だからこそ、あなたがポパー云々をわざわざ上で持ち出したのは奇妙です。ウィキペディアの「歴史修正主義」でポパーが引用されている文脈は、「歴史学は(自然科学的な方法をとれないから)科学ではない」という主張を批判するための文脈であることは読解なされていますか?ウィキペディアの「歴史修正主義」は、歴史学はポパーが示したとおりに、方法において科学であるといっているのですよ。それはさておき、)いま問題になっているのも、「事実」がどうこうではなく、「方法」ですよ。そして、「否認主義」が、「排中律を利用して通説を否定する」という、「方法」の次元で問題のあるものであることも、あなたご自身が、すぐ上で書いて認めていらっしゃるとおりです。初めからそのように言っている私が、いったいどこで、「世の中には肯定か否定かしか存在せず、肯定主義者でなければ否認主義者である」などという、「事実」どうこうに関わる次元の話をしたのですか?だから私は、わざわざ史料の話をしたんですが。話の推移を誤解していらっしゃいます?(ホワイトで言語論的転回のウィキペディアの記述を引用することも含め、ソースをウィキペディアからもってくるのは如何なものでしょうか、さらに、ホワイトの何が具体的に危ういと仰っているのか、ということと、「史料研究にのみ過激な論争を展開し、歴史観には立ち入らない」という独断と偏見についても、さておきます)--210.250.122.224 2008年1月5日 (土) 17:20 (UTC)[返信]
  • ワタクシが述べている事を批判的な印象を与えるloaded languageを利用しながら展開されているだけのようなので、失礼します。--125.205.189.66 2008年1月5日 (土) 17:37 (UTC)ああ、あなたが焦点とされている論点が少し見えました。通説を否認すれば「否認主義」になるかどうか、の論点ですね。ワタクシは、通説を否認すれば「否認主義」に該当するとは考えていません。実際、通説を否認すれば「否認主義」なのですか?学術においては通説を否定するものとして少数説が存在しますが、少数説は「否認主義」なのですか?(失礼します、といいながら再投稿して、失礼しております)--125.205.189.66 2008年1月5日 (土) 17:53 (UTC)[返信]
  • 日本語がお読みになれますか?「規模に関する一説への反証を、事件そのものの存否・「歴史的な事象の存在そのものを否認する」ことに繋げ」たり、「排中律」を利用するなど史料と実証に基づかない「方法」に関する次元で問題があるのが否認主義だと、同じことを延々と、何度いえばいいのでしょうか?そもそも、論説文の読解力と国語力に問題がおありなのでは?項目についての事実関係以前の問題だと思います。--210.250.122.224 2008年1月5日 (土) 18:04 (UTC)[返信]
  • 「規模に関する一説への反証を、事件そのものの存否・『歴史的な事象の存在そのものを否認する』ことに繋げたり、排中律を利用するなど史料と実証に基づかない「方法」に関する次元で問題があるのが否認主義」だという主張ですね?そのとおりですね。日本語がお読みになれるかどうか、は、日本語の定義(⇒詭弁#連続性の虚偽(Continuum fallacy)あるいは砂山のパラドックス)によります。では。--125.205.189.66 2008年1月5日 (土) 18:12 (UTC)[返信]
  • 冒頭からそのように書き続けていますけれど?「では」ではありませんよ。ご自身の誤読は納得なさったんですか?皮肉を詭弁だと思い込み続けるのも国語力に問題がおありだからでしょうか、という疑問はさておきますね。--210.250.122.224 2008年1月5日 (土) 18:23 (UTC)[返信]
  • なぜ「さておく」んですか(笑。国語力の定義がない以上、すべての日本人は国語を理解する事はできないと思うのですが(笑。いずれにせよご苦労様です。--125.205.189.66 2008年1月5日 (土) 18:26 (UTC)[返信]
  • あなたのように、皮肉を皮肉と解せずに、皮肉にマジレスされても、逆にこちらの馬鹿らしさが募るだけだからですよ。ついでに、というより、むしろ一番重要なことですが、ウィキペディアの「歴史修正主義」が、「歴史学はポパーの言う科学でない」と言っているのではなく、「ポパーの言うように歴史学は科学である」と言っていることは、ちゃんとご理解なさいましたか?まったく読解力の問題ですね。とりあえず、暫らく様子をみて、どなたもご異論ないようでしたら、ここまでのやりとりに則って、該当箇所は削除しますね。--210.250.122.224 2008年1月5日 (土) 18:44 (UTC)[返信]
  • おお、そうですね。少なくとも「否認主義」の記事において「事件の規模など事実関係については現在論争中」と書くこと、そのものが「否認主義(を肯定する積極的な議論)として論争されている」という予断(loaded language)を与えかねない微妙な叙述と考えます。30万人が正確かどうかは実証史学や史料研究の対象として十分な的確性を持つものであり、(微妙ですが)ホロコーストにおける「史料の的確性の継続的な研究」はホロコースト否認を追認するのではなく、ホロコースト弾劾においても重要な研究ではないでしょうか。--125.205.189.66 2008年1月5日 (土) 18:56 (UTC)言葉を選んだつもりですが、該当箇所について編集を試みてみました。--125.205.189.66 2008年1月5日 (土) 19:05 (UTC)[返信]

落ち着いてください。双方、相応の知識はあると思われますが、互いに敬意を持って、相手の理解が不十分であれば説明を試み、また、自身の知識や理解について過信せず、対話をお願いします。--Ks aka 98 2008年1月5日 (土) 19:12 (UTC)[返信]

  • 落着いていますよ。再三説明もしています。
    「予断を与えかねない」、その日本語が出てきませんでした、的確な表現ですね。削除が適当なことについて納得していただいてよかったです。新しい編集も適当じゃないんですかね。12月28日の方が修正なさったままでも十分だとは思いますが。しかし29日の方の編集のコメントは驚きですね。寝ますね。固定アカウントでもないので、また書き込むときはIPが変わるかもしれませんが。アカウントを取ろうかな。それほどでもないんですね。馬鹿らしい経験は嫌なので、今後は書き込むことはないと思いますが。おやすみなさい。--210.250.122.224 2008年1月5日 (土) 19:25 (UTC)[返信]
  • ご苦労様です。ある事実関係が、既存の文法体系や意味体系によって叙述しきれない可能性はあり、特定のか細い叙述以外においては正確性に問題が生じるという恐ろしい不自由さを前提にした上で、記述の可能性を探るのが百科事典の基本的立場だと思います。出典のない記述で申し訳ない。検証可能性のある信頼できる出典による記載を希望しつつ無責任なる大衆もまた寝ます。--125.205.189.66 2008年1月5日 (土) 20:01 (UTC)[返信]

ポパーの話はどうでもいいのですが、「否認主義」というレッテルが「歴史に関する学説がさらされるべき検証テスト」をスルーし疑義をはさむ側を糾弾し黙らせるための言い訳のように見えたので、その点は十分に注意すべき点であると思われました。あと、「学術的用語ではない」という点も補足すべきかもしれません。--shikine 2008年1月6日 (日) 02:47 (UTC)[返信]

定義からはっきりとさせるべき

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まず否認主義の定義は何か?これを出典つきではっきりさせなければ、その後の文章(否認主義の言説そのものは世界各地で見られるなどと)を展開されても、すべて編集者の感想文になっているだけに思われます。定義からしっかりとした出典を求めます。少なくとも日本では単なる誹謗中傷のレッテル貼りな言葉にしか思えませんがね。--PSIA 2009年5月23日 (土) 21:39 (UTC)[返信]

タグ

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出典が一冊もあげられていませんので、未検証、出典の明記、独自研究の疑いがあるので、タグをつけました。原則としては、記事全般にわたって出典の明記を要請します。「否認」という概念は、たとえば精神分析などではありますが、「否認主義」なんて聞いたことありません。「ある」と主張される方は、信頼できる出典を明記のうえ、ご説明をこのノートでお願いします。

上の節でいろいろ議論されていますが、出典がなければ、どれだけ議論しても、独自研究です。

英語版の翻訳なのかもしれませんが、だとすれば、元記事に出典があるのであれば、それを転載するなりする仕方もあります。しかし、元記事にも、信頼できる出典のない場合は、独自研究ということになりますので削除などの手続きに移行させていただきます。--西方 2012年2月23日 (木) 05:12 (UTC)[返信]