ノート:向坂逸郎
社会主義協会の項のノートを参照して下さい。(匿名希望1 04.9.1)--以上の署名のないコメントは、218.45.168.104(会話/Whois)さんが 2004年9月1日 (水) 13:50 (UTC) に投稿したものです。
向坂先生は社会主義協会の代表であったし社会党員であったわけですから、向坂先生についての記述が社会党内部の記述で終始するのは当然かと思います。しかし、党内情勢は全世界の状況の反映の結果ですから、党内の記述だけではなぜそうなったかがはっきりしないわけです。重要なのは世界経済の発展の結果としてのソ連の崩壊に象徴される世界共産主義運動の没落であろうと思うのです。しかし、百科事典のなかの一個人の記述ということを考えると広げすぎと思いますし、出典を調べるとか作業が面倒になります。すぐに書けて簡潔にまとめられるということでは総評労働運動と日本共産党との関連ですので、これらを加筆しました。 原文は運動経験者であるわたしから見てもだいたい妥当と思われますので、原文の主張を擁護しつつなぜそうなったかが理解できるように(つまりひかえめに)書いたつもりですが、いかがでしょうか。運動を離れて十数年になりますが、後になってわかるということもあるようです。(元地本常任 05.12.16)--以上の署名のないコメントは、198.81.3.171(会話/Whois)さんが 2005年12月15日 (木) 18:08 (UTC) に投稿したものです。
久しぶりに覗いてみると過度に単純化された評価が付け加えられていたので驚きました。一日考えて、削除しました。 ・資本側に無理・無茶な要求を突きつけた 三池闘争敗北の結果、会社・資本のサボで炭塵爆発-CO中毒が起きました。この事自体は会社側も否定していません。これをみても三池労組の要求は全体としては無理・無茶とはいえません。 ・一部の労組が別の労働者組織の構成員を攻撃するようになった 具体的な指摘を望みます。三池について言うなら、60年の三池闘争以前は組合は一つだった筈です。 ・坂を転げ落ちるように労働争議は労働側の不利となって行き 単純化しすぎです。七十年代前半のように一定の盛り上がりの時期もありました。 ・向坂は労働者組織を潰した張本人とも言える 国鉄分割民営化の頃は向坂逸郎に反対の方針を持つ労働者組織=労組がすでに多数派でした。向坂逸郎に反対の労働者組織は今も多数残っています。また労働運動衰退の原因は複合的です。向坂逸郎やその流れを汲む者に一定の責任があることは否定しませんが、張本人というのは過大評価です。(匿名希望1 07.3.23)--以上の署名のないコメントは、211.13.137.229(会話/Whois)さんが 2007年3月23日 (金) 11:34 (UTC) に投稿したものです。
戦中の姿勢について
[編集]「軍国主義に何ら積極的に抵抗することなく、事態を傍観していた」とする書き込みがありましたが、当時の情勢では誰であっても積極的な抵抗は不可能でした。しかし、「事態を傍観していた」というのは、正しくありません。本文で書いたように、向坂は戦中軍国主義に媚びる言動を一切しませんでした。これは、林健太郎のような保守系の人間も認めています。事態を傍観せず消極的ではあれ抵抗していた証左です。 匿名希望1 07.8.28
- 上に、「当時の情勢では誰であっても積極的な抵抗は不可能」との記述がありますが、それは言い訳に過ぎません。ドイツなどはナチスが政権を握って、第二次世界大戦を戦っている最中でも、高級将校グループによるヒトラー暗殺未遂が起きたり、医学生を中心としたグループが反ナチス抵抗運動を行って、ギロチンで処刑されたりしています。いじめ問題を例に考えれば、向坂の沈黙行動が消極的加担であることが良く分かります。学校でも職場でもいいのですが、ある組織内でいじめが発生したとします。「そのような情勢下では、誰も空気に逆らえず、積極的抵抗は不可能であった。」という理屈で、いじめが行われているのを見ても見てみぬ振りをし、何ら積極的に助けようとしなければ、それは積極的加担ではないにせよ、消極的加担をしていることになります。「いじめに加担するような言動をしなかったし、いじめ加害者に媚びる言動は無かったのだから、いじめに抵抗していた。」などというまやかしの理屈は通用しません。--DieWeisseRose 2007年8月29日 (水) 07:53 (UTC)--以上の署名の無いコメントは、白い薔薇(会話・投稿記録)さんによるものです。
脊髄反射的な反論は議論を混乱させるだけであるのと、林健太郎の本を確認するのに手間取ったのとで、少し間がたちました。抵抗については、ここで議論しても意味があるとは思えません。ウィキペディア編集上重要なことは、向坂逸郎が戦中軍国主義に媚びる言動をしなかったのを確認することです。林健太郎の本から引用しておきます。 「向坂氏は私(林健太郎-引用者)が最初にマルクス主義に接した時に尊敬し、まもなく『社会民主主義者』として反発を感じた人であったが、戦時中の態度は『講座派』の多くの人よりも立派であったことを私は知っていた。 実は私はこの戦時中、向坂氏とちょっとした関係を持った。多くのマルクス主義者が生活の必要上多かれ少なかれ節をまげて何らかの職についていた中で、向坂氏は一切そのような仕事をしなかった。そして庭を畑にして芋をつくっていた・・(後略)」(『昭和史と私』 文藝春秋 平成四年 p200) この本は、林健太郎が自民党国会議員などを経た後、つまり向坂逸郎の敵の立場となった後に書かれた本であるだけに、その記述は信頼がおけます。 匿名希望1 07.9.5--以上の署名の無いコメントは、匿名希望1(会話・投稿記録)さんによるものです。2007年8月27日 (月) 22:09 (UTC)
- 繰り返しになりますが、「媚びる言動をしなかった」というだけでは、何ら評価に値するものでもありません。それは単に「何もしなかった」、「傍観していた」、「見て見ぬ振りをしていた」という傍観者ないし消極的加担者の態度でしかありません。日本国内にいた転向者よりは立派だと言った所で、ドイツなどに存在した真の抵抗者に比べて、その行動が何の意味も持たないことは明白です。要するに、「何もしなかった」わけであり、それを特段何か重要なことであると見なすことが誤りなのです。--DieWeisseRose 2007年9月7日 (金) 08:17 (UTC)--以上の署名の無いコメントは、白い薔薇(会話・投稿記録)さんによるものです。
戦中の向坂の態度を高く評価するのは、私個人の見解ではなく、向坂逸郎の伝記を書いた小島恒久はじめ先に引いた林健太郎など、多くのすでに公表された評価があるのです。「『媚びる言動をしなかった』というだけでは、何ら評価に値するものでもありません」というのは白い薔薇さん個人の意見ではありませんか?いうまでもなくウィキペディアは個人意見を押しつける場ではありません。あなたの意見は、すでに公表された見解ですか?しかし、ここはとりあえず両論併記にして、少し様子をみることにしましょう。 匿名希望1 07.9.5--以上の署名の無いコメントは、匿名希望1(会話・投稿記録)さんによるものです。2007年9月5日 (水) 09:20 (UTC)
- 小島恒久や林健太郎の評価だって「個人の意見」なのではないのですか?向坂が戦時中、何ら軍国主義に抵抗せず、20歳の若者が学半ばにして、特攻や玉砕で戦死させられていくなか、自分はぬくぬくと安全な銃後で気ままに農業をして過ごしていたことは万死に値します。--DieWeisseRose 2007年9月7日 (金) 08:17 (UTC)--以上の署名の無いコメントは、白い薔薇(会話・投稿記録)さんによるものです。
「独自研究は載せない」には、「『独自研究(original research)』とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。」とあります。私は、小島恒久『向坂逸郎 その人と思想』、林健太郎『昭和史と私』という「信頼できる媒体」を二点示しました。白い薔薇さんのご意見は「独自研究」ではありませんか?「信頼できる媒体」を示しましたか?私はとりあえず白い薔薇さんの意見も並記し、出典を示すよう求めましたが、これ以上独自研究掲載に固執するのであれば、何か措置を考えなければなりません。 匿名希望1 07.9.6--以上の署名の無いコメントは、匿名希望1(会話・投稿記録)さんによるものです。2007年9月6日 (木) 03:54 (UTC)
- 小島恒久『向坂逸郎 その人と思想』、林健太郎『昭和史と私』という出典は信頼できる媒体なのですか?それも、小島恒久や林健太郎の個人的意見であり独自研究なのではありませんか?これ以上、偏向した内容を記載することに固執するならば、断固とした措置を講じます。--DieWeisseRose 2007年9月7日 (金) 08:17 (UTC)--以上の署名の無いコメントは、白い薔薇(会話・投稿記録)さんによるものです。
「独自研究は載せない」を再読してください。ぜひ「断固とした措置を講じ」てください。第三者の判断を仰ぐのも悪いことではないでしょう。--匿名希望1 2007年9月7日 (金) 08:23 (UTC)
保護依頼提出後
[編集]白い薔薇さんによって執拗に独自研究が書き込まれるため、保護依頼を出しました。第三者の見解をきくことにしましょう。--匿名希望1 2007年9月7日 (金) 08:50 (UTC)
- 独自研究なのは、匿名希望1氏の方ではありませんか?--DieWeisseRose 2007年9月7日 (金) 14:03 (UTC)
とぼけているのか、本当にわからないのか、わかりませんが、白い薔薇さんから独自研究について質問があるので答えておきましょう。ここでいう独自研究とは、一般的な意味での独自研究ではなく、ウィキペディア内の用語である独自研究です。これについては、「独自研究は載せない」を読めば一目瞭然ですが、念のため該当部分を引用しておきましょう。
- 「「独自研究(original research)」とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです。 Wikipedia:独自研究は載せない (NOR)は、ウィキペディアの内容に関する三大方針の1つです。」(太字引用者)
小島恒久、林健太郎の見解が独自研究かどうかは、「独自研究は載せない」の次の一節が明確に答えています。
- 「ウィキペディアでは、情報それ自体が正確であると認められるかどうかに拘わらず、他の信頼できる情報源によって発表された事柄のみを発信します。独自の調査を避けるためには、そしてウィキペディアの記事の質を向上させるためには、あらゆる一次資料、さらには既存の情報やデータの一般化、分析、総合、解釈、評価もすべて、評判の良い第三者による(つまり自費出版ではない)発行物として発表され、ウィキペディア以外のウェブサイトや公共図書館を通じて閲覧者が閲覧できることが必要です。」
林健太郎『昭和史と私』は、文藝春秋という大出版社から発行され、まもなく文庫にもなり、公共図書館で簡単に閲覧できます。小島恒久『向坂逸郎 その人と思想』は出版社の規模から言えばだいぶ落ちますが、現在までの唯一の向坂逸郎のまとまった伝記であり、webcatを使えばいくつかの大学図書館(公共図書館)に所蔵されていることがわかります。小島恒久、林健太郎の見解はいずれも、ウィキペディアでいうところの独自研究ではないことは明確です。従って、小島恒久、林健太郎の見解を引用しそれに依拠している私の書き込みも、ウィキペディアでいう独自研究ではありません。「信頼できる媒体」の定義についても、上述の引用が答えているでしょう。
翻って、白い薔薇さんのご意見は、私が何度も出典を求めているにもかかわらず出典を示せません。ウィキペディアでいう独自研究と判断するゆえんです。しかも、私はウィキペディアの公式方針である「独自研究は載せない」を引用しつつ独自研究を解説しているのに対し、白い薔薇さんはそれをしていません。
しかし、私は白い薔薇さんの意見を頭から排除しようとしたのではありません。私は向坂逸郎を全面的に崇拝する者ではなく、彼の思想と人生に対して複数の見解があってもいいと思っています。だから私の見解と並記し、少し様子をみようとしたのです。しかし、白い薔薇さんは並列を示す「~という意見もある」という部分と「要出典」提示の削除を繰り返し、ご自分の意見を断定形で書き込むことを繰り返したのです。ここに至って、私は保護依頼を出さざるを得ませんでした。
最後に、「独自研究は載せない」からもう一度引用しておきます。
- 「あなたの投稿内容が独自研究ではないと証明する唯一の方法は、あなたの主張と同じ主張をしている、あるいはあなたと同じ視点に立っている信頼の出来る公表済みの資料を示すことです。」
私もそれなりに忙しいので、この件はこれでひとまず終わりにします。あとは第三者の意見を待つことにしましょう。--匿名希望1 2007年9月8日 (土) 01:33 (UTC)
事実と意見を分けて考えれば?
[編集]議論を興味深く読みました。私は、次のような記述が百科事典にふさわしいと思います。
- 向坂は戦時中、細々と農業で自給自足的に暮らした(事実として記述)
- 評伝を書いた弟子の小島恒久や、長年の論敵であった林健太郎は、向坂の戦時中の態度を評価(意見として記述)
- 誰かは、向坂の戦時中の態度を批判(意見として記述)
- もし、2.と3.のどちらの意見が優勢かを示す資料があるのならば、その資料の所在と内容の概要(事実として記述)
向坂の戦時中の行動という「事実」については論点になっていないので、1.は現在のママ記述すればよいと思います。
向坂の態度を評価したり批判したりというのは、どちらも「意見」になります。意見が存在するということ自体は、「独自研究」とはいえないでしょう(執筆があったという時点で意見の存在自体は証明できる)。なので、2.と3.について、「独自研究」と主張するのは誤りです。ただし、百科事典に意見を記述するときは、重要なものに限るべきです。
2.については、誰の意見であるのかはっきりしているし、小島や林について調べれば、その重要性についても読者が判断できます。なので、現在のママ記述すればよいと思います。
3.については、誰の意見なのかも、その重要性についても判断できません。最悪、この部分を記述した人がひとりで思いこんでいる意見なのかもしれません。なので、この部分については、誰の意見でそれがなぜ重要なのかを追記した上で記述すべきです。もしそうした記述ができないならば、この意見は削除すべきだと考えます。
私は、「まずは『事実と意見』を分離する。意見について書くときは、重要なものだけにする」という方針がwikipediaなどの百科事典には必要だと考えていました。また、「独自の研究」については、「事実」についての記述を考えるときに必要な方針だと思っていました。今回の論争を拝見して、こうした考えの重要性をますます強く感じています。
なお、今回の件については当事者間の話し合い続行を優先すべきであると考えるので、保護には反対です。j8takagi 2007年9月8日 (土) 10:32 (UTC)
仕事でアクセスができませんでした。J8takagiさん以外のコメントがありませんが、私はJ8takagiさんの意見に賛成です。結論は出たと思われます。保護依頼の項には、ノートでの最終コメントから一週間コメントがなければ保護依頼は失効とありますので、保護依頼期間は終了しました。--匿名希望1 2007年9月17日 (月) 07:06 (UTC)
IPユーザー220.157.206.38の編集に関して
[編集]220.157.206.38(whois)が、「偽署名」と見なしている「DieWeisseRose」は偽署名ではありません。勝手に「偽署名」と見なして、次々とテンプレートで署名を修正するのはおやめください。--DieWeisseRose 2007年9月7日 (金) 08:17 (UTC)
- あなたのアカウントは白い薔薇のはずです。DieWeisseRoseなるアカウントは作成されていません。--121.1.238.196 2007年9月7日 (金) 09:13 (UTC)
- アカウントと署名は別ですよ?ガイドラインをよく読んでからにしてください。--DieWeisseRose 2007年9月7日 (金) 14:01 (UTC)
5年前に投稿してからずっと考えてたんですが、やっぱり労農派の党建設論を紹介すべきだろうと思いましてね。 三池労組は58年だったかに到達闘争をやるんですが、そのまえに資本論学習会は中断してるんです。「三池闘争でなぜ資本論学習会やらなかったんですか」と聞いたら、「そんなことしたら三池労組からたたき出されていたよ」といわれたことがあります。客観的な記録は一切あるはずもないんですがね。 向坂先生の自宅での研究会も、社青同その他の資本論学習についても総括できるだけの体験をもってるということを信用してもらうしかありませんね。 協会の「資本論」理解の深度についても同様です。 こういう記述で腹の立つ方もおられるでしょうし、そこまですることもないんではと迷ったんですよ。削除される恐れも大いにあるんですが、まあ御自由にというところですね。責任は果たしたということで、あとはみなさんしだいです。--藤堂 2009年2月28日 (土) 15:30 (UTC)