ノート:名取 (軽巡洋艦)
改装後に酸素魚雷を装備したかについて
[編集]記事の中で、気になる文章を見つけましたので質問させていただきます。記事内の中で、『前部魚雷発射管を廃止して兵員室を増設し後部魚雷発射管2基を四連装発射管に換装したとする説があるが、同艦沈没後に提出された戦闘詳報に「前部水雷砲台」「前部水雷砲台甲板」の記述がある事、浸水範囲を示した図にウェルデッキが残され増設分の兵員室も描かれていない事から、前部魚雷発射管は最後まで残され、従って後部発射管の換装も行われなかった可能性が高いと考えられる。』…という記述があります。ですが、この推測に疑問があります。戦闘詳報には確かに「前部水雷砲台」「前部水雷砲台甲板」の他に「前部予備魚雷室」という記述も見受けられます。しかし、6ページ目の浸水範囲を示した図を見ると、「後部魚雷発射管室」と書かれている部分はありますが、「前部魚雷発射管室」という記述はありません。換装が行われず前部に魚雷発射管があるならば、「前部魚雷発射管室」もあるのではないか?と気になりました。加えて、酸素魚雷発射を装備した説の出典がどこかは記事内に書かれていませんが、参考文献にある『帝国海軍 真実の艦艇史2』88ページ目では、「舞鎮日誌 昭和18年12月」の「名取 水雷兵装換装工事指示」や「巡洋艦水雷兵装装備指示」という点から推測して書かれています。本当に「後部発射管の換装も行われなかった可能性が高い」と記述していいのでしょうか?編集すべきかどうか悩み、ここに書かせていただきました。--toppa(会話) 2015年7月5日 (日) 11:53 (UTC)
というか、1次資料を基にした考察は独自研究であって、削除すべきものでは?--183.76.59.92 2015年7月13日 (月) 05:42 (UTC)
- 遅まきながらIPさん、教えていただきありがとうございます。どうやら、該当部分は削除されたようです。--toppa(会話) 2015年11月16日 (月) 15:42 (UTC)