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ノート:吉野敬介

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経歴について

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はるひです。この項目、この節を見て、とても驚きました。本文中に執筆者の個人的な見解として「以下の内容は、本人の「著書」や「授業での発言」を元にした記述であることに注意されたい。 」という記述が書かれていたからです。「授業中の発言」そのものは、検証可能な形で記録され公表されたものではない限り、Wikipedia:検証可能性を満たしません。たとえ別の著書等で、本人が「○○と発言した」と記していても、授業中の発言が本当にその著書にあったとおりのないようだったかどうかの検証ができません。

このようなメッセージは、この記事が正確なものではないといっているのと同じで、正確で質の高い百科事典を目指すウィキペディアの精神と相反するものです。また、「注意されたい」と書いても、読み手は注意しようがないのではないでしょうか?(不正確なんだな、検証できないんだな、と思って、内容を無視するくらいでしょう)

検証可能性を満たさないことを本文中に記したうえで、正確さが確保できない内容を書くのは、いかがなものでしょうか?

一部検証が可能であるならば、検証可能な内容のみを、できれば出典つきで記載すべきであり、検証不可能なものも含めて記載する理由はありません。

私の除去をまるごと差し戻された方がいらっしゃいましたが、検証可能な部分をお示しにならず、かつ、「(検証不可能な)授業中の発言をもとにしている」というメッセージとともにお戻しになられた理由をお聞かせいただけないでしょうか。--はるひ 2008年2月21日 (木) 13:14 (UTC)[返信]

このノートに適合するべく、本人が著書で公開している内容ですべて出典を明記した記述をしたもの(客観的な矛盾点なので独自研究ではない)を、鳥愚裸婦というユーザーが削除しましたが、削除するのであれば、もう少し理由を教えてください。--126.1.151.212 2012年12月6日 (木) 21:23 (UTC)[返信]
【追記】 著書に書いてある内容が真実かどうかは分かりませんが(そのため2次資料・3次資料が必要)、ある内容を著書に書いたこと自体は著書の該当ページさえ示せば十分であり、ここのノートで過去になされた提案に完全に合致しています。何を根拠に削除しているのか不明です。--126.1.151.212 2012年12月7日 (金) 10:35 (UTC)[返信]

【注意喚起】

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本文2008-02-21T12:50の版のうち、ウィキペディアの方針、Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性Wikipedia:存命人物の伝記に抵触する可能性のある記述をいったんコメントアウトしました。以下、2008-02-21T13:38に本文コメントアウト冒頭に書いた注意喚起を再掲します。

「授業での発言」を元にした記述はウィキペディアでは受け入れられない「独自研究」であり「信頼できる情報源で検証できない情報」です。またこれは存命人物の項目ですので、特に出典の確かでない情報は加筆すべきではありません。いったんコメントアウトしますので、

  1. 出典を明記できない情報は戻さないでください。
  2. 「著書」にて検証可能な情報については「出典」(=どの著書の何ページか)を明記した上で加筆してください。

存命人物項目において、いったん除去された「信頼できる情報源で検証できない情報」を再加筆 した場合は投稿ブロックの対象となる可能性があります。--miya 2008年2月21日 (木) 13:47 (UTC)[返信]

本来削除されるべき人物では?

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経歴を削除した方がおられますが、よくやって下さったと思いました。というのも吉野氏側に都合のよい嘘の記述が多く高校生に対する暴行事件の記述も被害者の人権を踏みにじり自己を正当化さらに美化した内容になっていたからです。予備校講師としての特筆すべき実績は皆無で、実際はかなり悪質なマスコミ便乗型の人物に過ぎず他の予備校講師と並べるのはかなり無理があります。--221.248.82.240 2008年3月28日 (金) 11:49 (UTC)[返信]

「虚偽の修正や削除」⇒ 「吉野氏関係者または工作員によると思われる都合の良い部分のみの記載の復活」 の流れで今までもそうでしたが、ほとんどいろいろな方の労力が無になっていたというのが現状です。実際本当のことを書くと、諸事情で社会通念上かなり問題があるのではなかろうか?また経歴も実際は定員割れレベルの国学院夜間部だったことをはじめ嘘だらけで、吉野氏に都合の悪い記事は削除され、美化した物のみが残っているのも不自然極まりないのだが・・・ こういった吉野氏側の都合のよい記載を放置することはWikipediaの趣旨から逸脱し社会経験未熟な若者への悪影響も懸念され、またWikipedia自体も悪質なサイトとのそしりを免れることはないのではなかろうか?Wikipediaの信頼性を傷つけないためにもすべからく削除が望まれるし今後振り回される方がおられぬよう願っている。--221.248.82.240 2008年5月29日 (木) 07:56 (UTC)[返信]

その通りだと思います。著書の自伝の内容もかなり疑わしいものが多いです。「代ゼミ講師の採用試験の筆記試験で史上最高得点」という話など、吉野が最初の受験者なのだから最高もヘチマも無いのに。「本屋で立ち読みした本に書かれていた部分が試験に出た」というのも本人の発言以外に根拠が無いですし。長田百合子や島田紳助と同じくマスコミ便乗型の人物です。自分がかつて不良をやっていたことを売りにするような人物には嫌悪感を覚えます。他人に迷惑をかけてきた事は恥ずべきものであり、自身の知名度を上げるためのネタにするなど愚の骨頂です。--Sekiseiinko 2009年6月17日 (水) 18:34 (UTC)[返信]

夕刊フジ論説委員?

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夕刊フジ論説委員で活躍したという客観的な記述がありませんので記載するべきではありません。(芸能事務所等によるプロフィールは吉野氏と利害の一致した機関であり吉野氏自身明らかにしたものをそのまま拝借したにすぎず客観性、中立性を著しく欠くので理由になりません)仮に短い期間あったとしても代ゼミ専任講師であった為本業で記載するほどの物ではなく体験程度の物であるからです。前から同じような議論がありましたが・・--Seventm 2008年7月24日 (木) 09:57 (UTC)[返信]

独自研究

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著書の記述の矛盾点や表現の変更点について大量に書かれているようですが、矛盾を矛盾として指摘した出典(信頼できる情報源)はあるのでしょうか。著書を独自に比較して矛盾していると認定し、それをウィキペディアに記載することは、独自研究の一つである「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に抵触します。改善が見られなければ除去させていただこうと思います。--Muyo会話2013年5月13日 (月) 17:18 (UTC)[返信]

  • あなたが、本文の記述を独自研究と考える根拠はなんですか?あなたは、本文の記述があたかも「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に抵触すると評価しているようですが、そのページで独自研究であるとされているのは、「事実Aがある。事実Bがある。したがって、Cである」というものです。それに対して、ここで本文に書かれていることは、「事実Aがある(著作にはAとある)。事実Bがある(別の著作にはBとある)」という事実の羅列であり、上記の独自研究とは別です。説得力のある根拠が示されなければ、あなたが独自に入れた「独自研究」のタグを除去させていただきます。--126.1.151.212 2013年5月14日 (火) 03:17 (UTC)[返信]
出典のある事柄を羅列しただけであっても、現実に「違っている」と指摘・批判している出典がない以上、ウィキペディアにおいて「氏は著書により違う主張をしている」という新しい意見を主張していることになります。すなわちこれが独自研究です。存命人物であることを考慮し、厳しく考えるべきでしょう。--Muyo会話2013年5月14日 (火) 03:33 (UTC)[返信]
Muyoさん
あなたは管理人であり、なぜこれが独自研究でないのか(一応私も独自研究にならないよう注意しています)
をきちんと説明すれば分かる人だと思うので、今からこれが独自研究でないことを論理的に証明していきます。
もし仮に本文の内容が、「彼は著書でXXXと書いている。別の著書では○○○と書いている。よって、彼は嘘をついている」
という文章であったら、これは独自研究です。
なぜなら、「嘘をついている」という部分に編集者の評価(=独自研究)が入っているからです
(もし氏が記憶違いをしているのであれば嘘をついていないことになりますし、嘘をついているかどうかは客観的には分からないからです)。
Wikipediaで禁止されている「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」というのはまさにこのことを言います。
(「嘘をついている」、という特定の観点を推進しているわけですから)。
しかし、客観的に「A」という事実があって、それと両立し得ない「B」という事実があれば、
それは独自研究の入る余地はなく客観的に矛盾です。
(たとえば、すべての大学に受かったという事実Aと、すべての大学に受かったわけではないという事実B)
氏が著書でAということを書いて、別の本ではBということを書いているのであれば、
これによって、著書によって違う内容(矛盾する内容)を書いていることが客観的に確定します。
すなわち、「氏は著書により違う主張をしている」というのは、著作から機械的・自動的に導かれる客観的事実であり、
特定の観点を推進する余地がない以上、独自研究になりません。
もし、あなたの言うようにこれが意見の主張であるというのなら、Wikipediaの編集の大部分が意見の主張になり、
Wikipediaは出典の内容を引用する以外に何もできなくなります。
例を挙げれば、「Xは2010年○○大会で優勝した」という出典付き情報と、
「Xは2011年○○大会で優勝した」という出典付き情報があったとします。
この事実を元に、Wikipediaで「Xは○○大会の2年連続優勝者である」と編集で書いたら独自研究になりますか?
そんなわけないですよね。2つの事実から機械的・自動的に導かれる客観的事実を文にしただけですから。
しかし、あなたの見解は、これすら「新しい意見を主張している」と評価して独自研究に分類していることになります。
あと、最後の方に書かれていますが、存命人物であればなぜ厳しく考える必要があるのでしょうか。
私も、Wikipediaの編集方法には反しないよう気をつけているため、
もしWikipediaの編集方針に存命人物に対する特別な点があるのであれば教えてください。
最初にも述べましたが、私も独自研究にならないように、自分の評価をいれないよう気をつけているつもりです。
あなたの意見ももちろん尊重し、今後の編集でさらに気をつけていくつもりです。
先ほどは少しケンカ腰になってしまいました。失礼しました。
納得のいかないところがあれば、できれば具体的にどの箇所か教えてください。逐一説明させていただきます。
--126.1.151.212 2013年5月14日 (火) 14:21 (UTC)[返信]
丁寧なご説明ありがとうございます。存命人物についてはWikipedia:存命人物の伝記という方針があり、冒頭部にあるように、「基本方針を厳守する」「否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべき」といったことが定められています。特に存命人物に対する否定的な記述を行う場合、通常なら許容されるようなことであっても許容されないことになる場合はありうるでしょう。126.1.151.212さんが例として挙げられているような「Xは○○大会の2年連続優勝者である」は否定的な情報ではなく、一方で「氏は著書により違う主張をしている」というのは否定的な情報なので同列にはならないと思います。--Muyo会話2013年5月14日 (火) 17:25 (UTC)[返信]
コメント (現行版のみを見て)「論者によっては」とあるので、その論者による資料を出すべきだなと思いました。
本人の著書で矛盾があるのなら(よく検証して)正しいものを探すか、最大公約数的な解釈でひとつの結論を載せるだけでよいです。
例えば勉強時間ですが、ここで読者に知らせたいのは「寝る間も惜しんで猛勉強していた」ですので、こまかい数字はどうでもいいです。それこそそう言う指摘をする論者を探してきてください。論者の言葉を使えば(それが何の意味があるのか別に検討が必要ですが)記載は可能です。
それでも本文でその矛盾を説明しなければならないという御主張であれば、「20時間と22時間の記載がある」などとしてrefを使って脚注に追い出してしまうのがスマートかなとも思いました。
IP様、アカウント取っていただきますと、周りがとっても助かります。よろしく。--Triglav会話2013年5月15日 (水) 10:47 (UTC)[返信]

Muyuさん
存命人物の伝記という方針を示していただいてありがとうございます。すべて読んだので、それに基づき説明いたします。

結局、ここでの本文の記述が独自研究ではないことが上記で証明された以上、独自研究か否かは問題ではなく、Muyuさんが問題視されているのは、本文の記述から存命人物に対して否定的な印象を受けるためそれはよくないのではないか、ということですよね。

しかし、「著書により違う主張をする」「矛盾している」という表現自体は決して否定的情報ではなく、事実をありのままに記述した価値中立的な表現です(仮に否定的情報であるとしても、真実性が担保されていればWikipediaの方針には反していません。それは後に述べます)。もし本文を読んで否定的な印象を持つのであれば、それは単に読者が、吉野氏の言動をイメージして否定的な印象を抱いているだけです。以下、その点を説明します。

まず、前回の例を用いると、「優勝した」というのが否定的情報ではないとするなら、これが優勝ではなく1回戦負けだったらどうですか?「Xは2010年○○大会で1回戦負けだった」という出典付情報と、「Xは2011年○○大会で1回戦負けだった」という出典付情報があったとして、それをWikipediaで「Xは、2年連続○○大会に出場したが、ともに1回戦負けだった」と書いたら否定的情報で削除の対象ですか?
それはおかしいですよね。「1回戦負けだった」というのは事実をありのままに述べただけで、表現自体は価値中立的だからです。「2大会連続初戦敗退」という情報は普通にWikipediaで見受けられます。
同様に、「違う主張をしている」「矛盾している」という情報自体は事実(独自研究でないことは前回説明済)をありのままに述べているだけで、価値中立的なのです。

ではなぜ文章から否定的な印象を感じるのかというと、「違う主張をしている」「矛盾している」という吉野氏の行動自体に何か後ろめたいことでもあるのではないかとMuyuさんが否定的な印象を抱いているからです。文自体は価値中立的である以上、人によっては、吉野氏は豪快な人だと肯定的な印象を抱く人もいるでしょう。キン肉マンの記事にも、「多くの矛盾点がある」とか書かれていますが、これについて肯定的な印象を抱くか否定的な文章を抱くかは読み手の問題であって、記事自体の問題点ではないのです。
ほかにも例を挙げると、「A大臣は、汚職が判明したため解任された」という文があったとして、この文自体は価値中立的です。しかし、おそらく多くの読者がそこに否定的なイメージを抱くのは、文自体が否定的だからではなく、読者が自己の経験や知識と照らし合わせてA大臣の行動自体に否定的なイメージを持つからです。先ほどの例でも、「1回戦負け」という表現が否定的なのではなく、読者が自分の経験に照らして1回戦負けだったという事実に否定的なイメージを持ってしまうというだけのことです。

このように、「違う主張をしている」「矛盾している」という事実の指摘自体が問題なのではないことが分かったと思います。

ただ、もちろん客観的な事実であればどのような表現にしてもよいわけではないことは私も分かっています。上記の例で、「Xは○○大会の2年連続1回戦敗退者である」と書かれていたら、それはちょっとおかしいという気になります。1回戦敗退者という表現自体が一般的ではないですしね。そのため、これは情報自体を削除すべきというのではなく、同じ情報を別の表現に変えるべきだ(「2年連続1回戦で敗退した」というふうに)という問題です。
ほかにも、例えば「AはBを見下している」という文があったとすると、「見下す」という表現は、行為者の主観的な行為を表す言葉なので、その使用には慎重にならなければならないでしょう。また、「Aは○○と豪語する」というのも、「豪語する」というのに、情景の描写が含まれているので、豪語しているのが客観的に明らかでない限り「述べている」という価値中立的な表現にすべき場合が多いでしょう。

私も、記事を読んだ人が吉野氏の言動を想像して否定的な印象を持つのではないかという想像はついていたため、表現自体は価値中立的であるように気を付けています。しかし、もし一般的な表現ではなく、不自然な言い回しがあれば指摘していただけたらと思います。文全体の削除ではなく、表現を自然に中立的に変更することで対処していく問題です。

また、Wikipediaの方針「Wikipedia:存命人物の伝記」で書かれているのは、情報源がはっきりしない否定的な情報は書くべきではないということですよね。百歩譲って仮に「矛盾している」というのが否定的な情報であるとしても、この記事では矛盾点の存在を出典付で示しているため、情報の正確性は担保されており、方針には反していません。そして何より、彼自身が矛盾した内容を自らの意思で積極的に世の中に著作で公表しているのですから、それを隠す理由もありません。
なお、吉野氏は、自らの経歴を引き合いに出して自己啓発本を書いたり、テレビ出演をしています。そのため、経歴に関しては彼の活動の本質であり、記載に値するものです。

以上より、本記事は方針を満たしています。ただ、細かい表現については改善の余地があるかもしれません。そのため、訂正すべき点があれば指摘してください。

Triglavさん
ご指摘ありがとうございます。こちらも、要は表現の問題ですよね。独自研究か否かというのは問題ではなくなったと捉えています。
まず、「1日22時間」と「20時間近い日もあった」というのは両立しません。ではなぜ勉強時間の矛盾の描写が必要かというと、彼の著書では必ずといって良いほど勉強時間が出てくるからです(著書ではないですが経歴を紹介しているHPでも勉強時間の描写はでてきます http://www.pressnet.co.jp/2012_01/120121_05.shtml )。上記のように、彼は経歴を元に自己啓発や教育論を語っていますが、その経歴として勉強時間の描写を彼自身が積極的に活用しているということです。そのため、彼が著作活動を通じて活用している勉強時間に齟齬があったらやはり触れる必要はあるでしょう。
その点について、脚注に含めてコンパクトな表現にするというのは良い案だと思います。上記の通り、表現を変えること自体、私は特に反対しているというわけではないです。

取り急ぎ、時間がないので今日はここで失礼します。返信は1~3日に1回になると思います。
よく分からないのですが、アカウントはどのようなメリットがありますか?
--126.1.151.212 2013年5月15日 (水) 13:34 (UTC)[返信]

呼びかけよう名前を すばらしい名前を♪(ビューティフル・ネーム)--Triglav会話2013年5月15日 (木) 14:09 (UTC)[返信]

「著作物」節改訂

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それでは「著作物」節内を抜本的に書き換えたいと思います。何かご要望はありますか? 少なくとも「窃盗」関連は(本人のためではなく、読者のために)落とす予定です。--Triglav会話2013年5月17日 (金) 23:17 (UTC)[返信]

まず、読者のためになぜ窃盗関連を削除するのか根拠を教えてほしいです。本文にもあるように、吉野氏は、お店の人の生活に関わるから窃盗をめったにしなかったと述べて、それを自己啓発・教育論の内容と絡めています。
基本的に、ある人物についてある事柄を書くか否かは、その人の活動分野に関連するはずです。
例えば、芸能人ですら、不倫をしたことが判明して本人も認めたとしても、よほどのこと(芸能活動に影響を及ぼすなど)がない限り、その人の項目にはいれるべきではないですが、その人物が夫婦愛を訴えて講演活動などをしている人なら、文中に入れても問題はないでしょう。
また、あるスポーツ選手の欄に支持政党を書く必要がないのは明らかですが、これが政治評論家なら書いても別に問題ないでしょう。
私が吉野氏の矛盾項目として書いた一覧は、どれも本人の自己啓発・教育論と関わりのあること(自身の経歴や価値観を述べて、それを元に述べる)です。競馬が趣味というのも、本人が誰かが損をするようなことをして金儲けしないとして自己啓発本で主張しているためです。
このように、一応すべて特筆すべきものとして必要なものばかり書いているつもりなので(それをいちいち説明してもいいですが、すごく時間も文字数も必要になる)、削除するというのであればやはり根拠を示して頂きたく思います。
また、もちろん記事がよくなるのであれば、抜本的に書き換えた後であっても、私は加筆修正に参加するつもりです(脚注にとばすというのは、良い案だと思いますが、実際にそのようにして良くなるかどうかは今のところ分かりません)。--126.1.151.212 2013年5月18日 (土) 12:57 (UTC)[返信]
私が著作物節を読んで感じたことは
  • 著書には間違いもあるだろうから出来るだけ最新のものを採用したい。
  • ある分野における成功者が武勇伝のように犯罪行為を触れまわるのは、読者に誤ったメッセージを送る可能性がある。これを恐れた(おそらく編集部が行った)著書の改訂は正しい判断だと考えた。
  • 著作物節の指摘が特筆性である「名物講師」の説明になっていない。
以上の点から記事から取り除いたほうがよいと考えました。「めったにしなかった」とする「していた」という事実を強調したいのなら、その続きがほしいところですね。
逆に窃盗の件を掲載するのであれば、それら悪行からどうして方向転換できたのかを読者は知りたいのですから、そのあたりを肉厚にする必要があると感じます。ここをうまく結び付けないと、この記事の存在意義(特筆性)である「名物講師」を説明する材料になりません。
掲載・不掲載のどちらを採用するかはIP様にお任せします。確実にいえるのは「著書が途中からトーンダウンしている。どうしたのかなぁ?」を伝えるのは、ウィキペディアの仕事ではないので、別途、研究サイトを立ち上げてそちらに回してください。
ところでIP様。アカウントを取ってくれる気になりましたか?--Triglav会話2013年5月19日 (日) 13:20 (UTC)[返信]
まず、アカウントのメリットについて聞いた質問に対して、「呼びかけよう名前を すばらしい名前を♪(ビューティフル・ネーム)」とありましたが、あれは何ですか?最初署名がなかったため、何かの冷やかしかと思いましたが。ふざけているのであれば、アカウントを取ってまで協力するつもりはありません。
内容について、まず箇条書きの1点目ですが、"吉野氏が窃盗の記述を削除した理由は、改訂前のあれだけ具体性に富んだ窃盗の記述が実は間違いであり存在しなかったからである"、と言っているのですか?もちろんどのように感じるかはTriglavさんの自由ですが、あれを間違いだといっても誰も納得しないのではないでしょうか。
次に、箇条書きの2点目ですが、記事が読者にどのような誤ったメッセージを送る可能性があるというのですか?武勇伝のように犯罪行為を触れまわっているのは吉野氏であり、記事がそのようになっているわけではありませんし、カギ括弧でどこが引用かははっきり分かるため、誤ったメッセージを記事自体が伝えることはありません。記事内容が客観的でさえあれば、それに対して読者がどのように受け取るかは勝手であり、編集者がいちいちそこまで関知する必要はありません。
あと、「これを恐れた(おそらく編集部が行った)著書の改訂は正しい判断だと考えた。」とありますが、少なくとも著作権がある以上、人の著作に対して編集部に内容をあそこまで改変する権利はありません。意に沿わない改訂を強いれば、著者に出版社を変えられてしまうのがオチです。窃盗を「めったにしなかった」というのを初めて書いたのが2009年4月の著作であり、窃盗の記述を消した改訂版を出したのが2009年9月というのを見る限り、2009年4月の著書で新たな主張(窃盗はめったにしなかった)を始めたために9月の著書で整合性を合わせるために窃盗の記述をとりあえず削除した、というのが自然だと思います。
ただ、どのような経緯があって窃盗に関する記述を削除したのかは本人でなければ分からないので、この点を記事に書くわけにもいきません(書いたら独自研究になる)し、ここでもこれ以上深入りするつもりはありません。そのため、Triglavさんがそのように思っているのならそれでいいでしょうし、私がTriglavさんと違う見解を持っているのであれば、それは私の勝手です。以上から分かるように、結局、読者がどのように受け取るかはその人の勝手であり、また、本人でなければ改変の事情は分からないのであるからこそ、記事としては客観的に過去についての記述がどのように変わったかを書けばいいのであり、背景にどんなことがあったかまで考えて記事の掲載・不掲載を考えるのはおかしいということです。
箇条書きの3点目ですが、上で何度も言っているように、吉野氏はただの名物講師というのではなく、多数の自己啓発本・教育論を出版しており、講演活動もバラエティ番組への出演もしています。そのため、文化人としての面を持っているため、名物講師としての特徴だけに記事内容を限定する理由がありません(一応明白になるよに、本文にも執筆活動や講演活動をしている点を追加しておきました)。
あと、「「めったにしなかった」とする「していた」という事実を強調したいのなら、その続きがほしいところですね。」というのは、前段の方の意味が分かりません。吉野氏が一方では窃盗を「めったにしなかった」と言っているのに他の著作では多くの窃盗の話をしているため、過去の事実を変化させた点として挙げたにすぎません。また、この文は、「続きがほしいですね」という主張に対する根拠が何も書かれていないので、存在意義が分かりません。
最後に、「逆に窃盗の件を掲載するのであれば、それら悪行からどうして方向転換できたのかを読者は知りたいのですから、そのあたりを肉厚にする必要があると感じます。ここをうまく結び付けないと、この記事の存在意義(特筆性)である「名物講師」を説明する材料になりません。」という箇所について述べます。
まず、「方向転換」というのは過去の事実を変えているという意味ですか?もちろん、読者はなぜ吉野氏が過去の事実を変えたのかは知りたいかもしれませんが、それは本人しか分からないのですし本人がそれについて何も説明していない以上、書きようがありません。仮に私が「そのあたりを肉厚にする」ことをすれば、それは独自研究になります。上にも書いたとおり、記事としては、過去の事実を変化させた部分を挙げればそれでよく、あとは読者がどのように感じるのかは勝手で、編集者が介入することではありません。後段の、名物講師を説明云々も、上記のとおり、吉野氏の活動領域は予備校講師という枠を超えているので、前提が成り立っていません。
「「著書が途中からトーンダウンしている。どうしたのかなぁ?」を伝えるのは、ウィキペディアの仕事ではない」という点だけは賛成です。ですからそれに沿うように、私は彼が自己啓発・教育論の材料にしている自己の経歴について、改変されている点を淡々と挙げているだけで、私自身の彼の著書に対する評価や独自研究は含まれていません。また、トーンダウンしているかどうかは、記事を読んだ読者が感じることであって、私が関知するところではありません。Triglavさんは吉野氏が変化させている過去の事実の変遷を見てトーンダウンしたと感じているようですが、大胆に書き換えたなあと思う人もいるでしょう。
以上より、いずれも窃盗の記述を削除する根拠になっていないどころか、Triglavさんの方が独自研究を推進しているような理由付けになっています。正直なところ、記事の書換えを任せて、記事が良くなるとは思えないのですが。

--126.1.151.212 2013年5月20日 (月) 14:44 (UTC)[返信]

IP様は、何が書きたいのだろうか? TVでも紹介された名物講師についてだろうか? それとも若気の至りを自慢げに語るオヤジについてだろうか? もし後者というのならウィキペディアには要りませんよ。若気の至りをどうしても載せたいというのなら、なぜ過去の過ちから名物講師に転換できたかをなんとしてでも結び付けてる必要があります。いま本文中にある転機となったきっかけの情報は「20歳の9月に失恋を機に」しかありません。
窃盗については当事者がどう非難されても構いません、当然のことです。問題なのは、読者が窃盗などの犯罪行為を正当化してしまうことです。改変を行った編集者(別に著者自身でもいい)に賛同します。
「方向転換」とは成功者へと転換したという意味です。著書を書き換えたという意味ではありません。
私は「独自研究」が何であるかについては触れません。「改変されている点を淡々と挙げて」いるところを百科事典的に整理することで解決したいと思います。まずは「論者によっては」に{{誰}}を貼りたいと思います。
IP様にお願いなのですが、著書で、これは読んでくれってのを1冊紹介してもらえませんか?
残念です。アカウント取っていただくことはできませんか? 吉野先生に研究熱心だから「吉研」さんとかいかがでしょう。数字で呼ぶのも悪いので、とりあえず取るまでこう呼ばせてもらうことにしますね。--Triglav会話2013年5月21日 (火) 15:50 (UTC)[返信]

まず、私は自分の意思でIPを使って署名しているんですから、呼ぶときはIPで呼んでください。
まさか、自分の意思でIPを使っている者に対して、あなたが勝手に名付けたあだ名で呼ぶことよりも、IPで呼ぶことの方が失礼だと思っているんですか?誰がどう見てもあだ名の方が失礼でしょう。
あなたはそれを分かってて、「数字で呼ぶのも悪いので、とりあえず取るまでこう呼ばせてもらうことにしますね」と言っているんでしょう。たいへん慇懃無礼で挑発的な書き方ですね。
こちらは真摯にアカウントのメリットを聞いたにも関わらず、あなたは管理者のくせに意味不明のことを書いたり、今回のように挑発したり、ただふざけてるだけじゃないですか。
まったくまともに対応した自分が馬鹿馬鹿しい。困った管理者ですね。仕方がありませんがそういうことなら、以下こちらもそちらのレベルに合わせてましょう。

内容に関して、まず前回のあなたの書き込みの1段落目ですが、何度も述べているにも関わらず、前提がそもそも理解できていないようですね。
吉野氏は講師としての活動にとどまっておらず、自己啓発・教育評論をやっている文化人・評論家です。その活動に関連のある事項を書くのは当然でしょう。なるほど、もし仮に吉野氏が古文講師の活動だけにとどまっているというのであれば、あなたの言っていることも正しいでしょう。しかし、実際はそうではありません。困った管理者なのは知ってますが、何度も同じことを言わせないでくださいね。
ということで、別に私は若気の至りやら過去の過ちやら方向転換やらに興味はありません。あくまで彼の評論活動で何度も引き合いに出されている過去の事実が矛盾している点を挙げているだけで、その中にたまたま過去の窃盗に関する記述の矛盾があっただけです。あなたのレベルでも記事を読めばそれくらい分かるでしょう。

二段落目ですが、これも前回書いています。ちゃんと読んでくださいね。
記事では引用部分であることが明確に分かるようにしてあるので、記事自体が誤ったメッセージを送ることはありえません。
百歩譲って仮にその危険があるとしても、Wikipediaの編集者には、引用部分の内容が正しいか否かを判断して掲載不掲載を判断する権利はありません。つまり、「吉野氏が『XXXX』と述べた」という記事で、XXXXの部分に対するあなたの感想によって掲載不掲載を決めるのはおかしいと言っているのです。
具体例を示すと、「Aは『慰安婦の強制連行はなかった』と述べた」という記事があったとします。あなたの主張は、『慰安婦の強制連行はなかった』という部分は慰安婦に対する誤ったメッセージを送る可能性があるから削除しろ、と言っているのと同じですよね。分かりますか?Wikipediaの編集者にそのような権利があるとでも思っているのですか?大丈夫ですか?

結局、あなたの主張は、吉野氏の記事は名物講師という枠に収めるべきだという現実の吉野氏を無視した独自の前提と、引用部分の内容にすらWikipedia編集者はケチをつけられるというWikipediaの編集方針を無視した独自の前提に立って、私の主張に難癖をつけているだけですね。窃盗部分を削除する何の理由にもなっていません。0点。もう少し論理的に書きましょう。そんなことだからYourpediaにも「かなりの馬鹿」と書かれるんですよ。(「かなりの馬鹿」というのは引用ですよ!!)

また、最初に述べた挑発行為や、議論のはぐらかしを狙ったような無関係な事柄(ビューティフルネームやら著書を1冊あげろとか)を書いたりするのはやめてもらえませんか?関係あるのならどのような意図があるのかを書いてください。なるほど、単に言い返せないから議論をはぐらかしているだけなんですね。それはそれは失礼しました。--126.1.151.212 2013年5月23日 (木) 03:44 (UTC)[返信]

そうですか、残念です。不特定多数の通りすがりよりも特徴ある人物として名前で呼び合うのが素敵と思ったのですが(過去にご自身でニックネームを付けられたIPの方はいらっしゃいましたよ)、ご不快になられたのならお詫びします。ですが「IP様」とか数字で呼ぶのは、やはり味気ないので、ちょうど2人で会話してますから、以降「貴方様」で行きたいと思います。それと私のレベルに合わせてくださって、ありがとうございます。とても助かります。その調子で内容のほうも、どんどん調整していきましょう。
  • それでは「窃盗」の件ですが、貴方様のお考えは、古いほうの文献を参考にして「窃盗はあった」ということでよろしいですね。
  • 次に「大学入試」は、新しいほうの文献から「ほとんどの大学に合格(不合格の大学もあった)」でよろしいですね。
  • 「受験勉強」は、著者のあやふやな記憶によって書かれている可能性が強いので、細かい日付と数字は出さないほうがよいと思いますが、貴方様は、どのようなお考えの下でいかれますか?
  • 「その他」のところについても、このような感じで主とする著書を選択していきたいと思います。
いくつかの著書を突き合わせると矛盾が生じるのであれば、貴方様が信じたいほうを載せましょう。貴方様が信じられないものは載せるべきではないですね。この記事で書かなければならないのは、現在に至るまでの生い立ちであって、書籍の矛盾ではないのですから。最初から間違ってるとわかっているものをわざわざ載せる必要はないんですよ。正しいものを書きましょう。
どうしても矛盾を突きたいのであれば、先にお伝えしたとおり「論者」とやらを探してきて、その人の言葉を使って一節にまとめてしまいましょう。ただ、現時点で私はそのような人物は存在しないと見込んでいるので、現状のままで書くのであれば、refを使って本文から追い出すのも一つの方法であると既に紹介しました。ref上で「ただしxx年の文献はこうである」とか書いて「矛盾」と説明せずとも読者自身の考えで結論を出させるというものです。
あとそれから文献としてのユアペディアは、ウィキペディアの採用基準を満たしませんのでご注意を。別に馬鹿であることを否定したいわけではありません(笑)。--Triglav会話2013年5月24日 (金) 11:57 (UTC)[返信]

>それでは「窃盗」の件ですが、貴方様のお考えは、古いほうの文献を参考にして「窃盗はあった」ということでよろしいですね。
>次に「大学入試」は、新しいほうの文献から「ほとんどの大学に合格(不合格の大学もあった)」でよろしいですね。

全然ダメです。どこをどう読んだらそういうふうな結論になるんですか?
私は、吉野氏の書いている両立しない事実のうちどちらが正しいか分からない、分からないから両方を掲げろと言っているんです。

>「受験勉強」は、著者のあやふやな記憶によって書かれている可能性が強いので、細かい日付と数字は出さないほうがよいと思いますが、貴方様は、どのようなお考えの下でいかれますか?

あやふやな記憶によって書かれている可能性が強い、というのはあなたの推測ですよね。
常識ですが、推測を編集に反映することはしてはいけません。著作をそのまま引用するのが、いちばん客観的です。

>「その他」のところについても、このような感じで主とする著書を選択していきたいと思います。

「主とする著書」を選択する基準は何ですか?あなたが正しいと思った方が「主とする著書」ですか?
そんな主観を入れることが正しいとでも思っているのですか?
もちろん、本人が記憶違いだったなどと説明しているものがあれば正しい方を選択することは可能です。
しかし、そのような事実はありません。よって、著作で触れられている両立しない過去の事実を全部挙げるのがいちばん公平です。

結局あなたがやろうとしているのは、著作に存在する矛盾に対してあなたが正しいと思った方を選択して辻褄を合わせるということですね。
そのような選択が許されるとでも思っているのですか?

さらに、

>いくつかの著書を突き合わせると矛盾が生じるのであれば、貴方様が信じたいほうを載せましょう。貴方様が信じられないものは載せるべきではないですね。

なんで、私が信じたい方を載せるという主観による取捨選択を認めるんですか。なぜ不適切な行為をけしかけるんですか。
あまりに基本的な事柄なので言うのも馬鹿馬鹿しいですが、Wikipediaに主観を反映させてはいけません。
よって、

>読者自身の考えで結論を出させる

というのが編集者の主観による取捨選択を排除しているため、正しい編集方法です。といっても、これはまさに私が何度も主張し、かつ、現在の記事で徹底している事柄です。今頃になってこんなことを提案するなんて、今まで私の主張の何を読んできたんですか。

ということで、読者自身の考えで結論を出させるというのは、すでに現在の記事で達成されているため、あなたはもう余計なことをしなくていいです。

なお、その際、脚注に追い出すのは良い方法だといいましたが、それはあくまで本文の記述表現をコンパクトにするという限りにおいてです。脚注に追い出すに際し、どちらを本文に残すかについて編集者の主観が入るのであればダメですね。ということで、本文に両方残すしかありません。

分かりましたか?主観は排除してください。ですが、あなたの主張を見る限りどう見てもあなたには主観の排除ができそうもないので編集しない方が無難です。

>この記事で書かなければならないのは、現在に至るまでの生い立ちであって、書籍の矛盾ではないのですから

ここでの主張で最初の方で述べたとおり、矛盾というのは私の独自研究ではなく機械的に導かれる客観的な事実であって私の主観は入っておらず、しかも彼が評論活動の基礎としている重要な内容に関する矛盾なので記事で書いても問題有りません。

もちろんあなたが彼の生い立ちの部分を現在の本文より詳しく書くのは自由です。しかし、そもそもその生い立ちは吉野氏の自称であり、生い立ちを書こうとしても矛盾のある記述が再三にわたり登場します。そうすると、結局やはり両立しない過去の事実を生い立ち部分に複数書かざるを得ません。その結果として、生い立ち部分に矛盾を書くか、それとも、今のように矛盾部分を切り離して書くかの違いだけで、どちらにしたって同じ結果になりますね。

ほかに何か言いたいことはありますか。もう少し私の主張をきちんと読んでください。--126.1.151.212 2013年5月25日 (土) 18:12 (UTC)[返信]

まぁ、そう毛嫌いしないでください。基本的に私は貴方様による編集を(ほかの誰よりも)歓迎しているのですから。ここは気の持ち方を変えて、貴方様の書き方が周りから支持されるにはどうしたらよいかを考えたほうが貴方様にとっても有意義でしょう。そこで、貴方様の考え方で欠けている2箇所を至急埋めていただきたく思います。
  • 貴方様は「文化人・評論家」とおっしゃりましたが、この記事の冒頭は、どう調子よく解釈しても(本業以外は)変わった経歴によってバラエティ番組に出ることが出来たとしか読めません(5月17日時点)。学校や各地での講演とか、バラエティではなく教養番組出演、ワイドショーのコメンテーターなど。書籍では超絶な発行部数とか、何か賞をもらったとか。塾講師以外の本格的な活動がどの程度あるのかを具体的に(特に数量で)示すべきです。
  • 「論者」である荒川英輔氏の言葉は出していただけないのですか? 彼がどのように否定しているのかを軸にして書き上げればスマートに仕上がると思います。
「分からないから両方を掲げろ」ってそんな不確実なものそもそも採用しなければいいじゃないですか? でもそこはどうしても載せたいから今こうやって拗れているのでしょうけれど。この節が無くても記事は成立しますが、掲載に一所懸命な貴方様のその熱意には感心いたします。
「窃盗」と「大学入試」については、どちらの文献を本文中に残すかを確認したかったものですので、(貴方様の意見を確認することはできませんでしたが)私の判断で矛盾するもう片方のほうは予定どおりrefに逃がしたいと思います。
とにかく、「著作物」節の百科事典としてあまり好ましくない構成は、いただけないので、そのほとんどを経歴かそれに類する節に移してしまおうと思っています。なるべく情報をそぎ落とさないように努力はしてみます。
貴方様には、とりあえず最初の2点だけご対応願います。--Triglav会話2013年5月27日 (月) 09:39 (UTC)[返信]

>貴方様は「文化人・評論家」とおっしゃりましたが、この記事の冒頭は、どう調子よく解釈しても(本業以外は)変わった経歴によってバラエティ番組に出ることが出来たとしか読めません(5月17日時点)。

著作一覧を見れば本業とは無関係の教育論や自己啓発活動をしているのは読者に十分伝わります。問題有りません。

>学校や各地での講演とか、バラエティではなく教養番組出演、ワイドショーのコメンテーターなど。書籍では超絶な発行部数とか、何か賞をもらったとか。塾講師以外の本格的な活動がどの程度あるのかを具体的に(特に数量で)示すべきです。

講師以外の活動は、上記の通り大量の著作一覧で分かります。少なくとも吉野氏を知らない人でも、著作のタイトルを見れば十分分かるでしょう。数値とかは必要なんですか?まあ確かにあればそれに越したことはないですが、例えば、評論活動をしている漫画家・小林よしのり氏の記事でも、別に具体的な数量は出されていませんよ。

学校の講演は、「○○大学・■■大学・・(中略)・・・××高校で講演した」と書こうかと思いましたが、いかにも不細工な記事になるので書いていません。いちいち講演活動をした大学名や高校名が書かれている文化人や評論家なんていないでしょう。まあ客観的な真実であなたが書きたいのなら書いてもいいです。

>「論者」である荒川英輔氏の言葉は出していただけないのですか? 彼がどのように否定しているのかを軸にして書き上げればスマートに仕上がると思います。

なぜ吉野氏の記事なのに荒木氏のの言葉を軸にする必要があるのですか?まあ軸にする必要は無いにしても、確かに荒木氏の著書からの引用部分はあってもいいというのは分かります。しかし、私は手元に荒木氏の著書がないため、引用できません、(一応、荒木氏が吉野氏の著作内容に対して、現実的ではないという感じで否定的見解を展開していたのは知っていますが)。ですから、あなたが調べて載せればどうですか?

何度も言っていますが、吉野氏の著作の矛盾は機械的に導かれる客観的事実ですから、荒木氏の主張を紹介しようがしまいが、残りの記事を書き換える理由にはなっていません。

>「分からないから両方を掲げろ」ってそんな不確実なものそもそも採用しなければいいじゃないですか?

Wikipediaが禁止しているのは不確実な情報を載せることです。「吉野氏が著作で○○と書いたこと」自体は何ら不確実ではありません。

>私の判断で矛盾するもう片方のほうは予定どおりrefに逃がしたいと思います。

だから、前にも述べたとおり、片方を脚注に逃すことは、どちらを本文に残すかに関してあなたの恣意が入るでしょう。一体何を根拠に選択するのですか?

>とにかく、「著作物」節の百科事典としてあまり好ましくない構成は、いただけないので、そのほとんどを経歴かそれに類する節に移してしまおうと思っています。

だから、現在の記事が「いただけない」という根拠を示してください。確かに、著作物欄が長くてアンバランスになっていることは否定しません。しかし、それは吉野氏の著作物に存在するアンバランスなほどの矛盾の多さに起因しているものです。Wikipediaの方針である客観性を徹底すればこのようになります。

また、ここは議論をする場所です。「とにかく」という言葉を最後に使って自分の希望を伝えるということは、ここでの議論を放棄しているんですか?「とにかく」という論理を認めると、「結局議論に負けたけど、”とにかく”書き換えたい」という主張を今後認めることになってしまいます。まあ実際、あなたの主張はすべて説得力がないので、それを認めたのかもしれませんが。

以上です。基本的にあなたは、「根拠はないけどとにかく書き換えたい・書き換えるべきだ」と言ってるだけですね。--126.1.151.212 2013年5月28日 (火) 15:11 (UTC)[返信]

(追記)とりあえず、あなたの要望も容れて、講演をした場所を書きました。これで満足でしょう。--126.1.151.212 2013年5月29日 (水) 09:56 (UTC)[返信]

講演活動に関する情報提供ありがとうございます。これで私が考えていた書き方を進めることができそうです。と思いまして、ページの過去の履歴を順番に調べてみたのですが、なんと既にその書き方がコメントアウトされて残されていたではないですか。これは助かります。作文の手間が省けました。著名司会者の実装例もありますので、これも参考にして仕上げてみたいと思います。
さて、残りは一点。貴方様の書き方でどうしても必要になる部分について、もう一度お聞きしますよ。荒木(荒川?)氏の内容は開示できるんですか?できないんですか? --Triglav会話2013年5月30日 (木) 12:54 (UTC)[返信]

今その人の原文そのものを知らないので開示はできません。

そして、あなたはこちらの質問に対して一切まともに答えず、議論も放棄しているため、根拠なしの主観が含まれる書換はこちらとしても容赦なく取り消します。いいですよね。--126.1.151.212 2013年5月30日 (木) 14:54 (UTC)[返信]

では御紹介します。
『受験テクニック本は一見方法論を書いているように見せて、実は「1日15時間勉強した」とか、とうてい常人ではこなすことのできないような量の教材をこなすというような、単なる根性論を述べていることがよくあります。たとえば、代ゼミの吉野先生の「だからお前は落ちるんだ。やれ!」(KKベストセラーズ)などです。それはそれで見習うべき点もありますが、普通は実行不可能です。参考にするべきではありません。』(荒川英輔「再受験生が教える医学部最短攻略法2006年版」P16より)
貴方様も根拠のない書き方(内容ではなく、その情報の並べ方)に対しては消されたり修正されたりする覚悟を持たなければならないのですが、私は容赦のない対応はしません。まずは上記の件、自主的に御対応いただけると助かります。--Triglav会話2013年6月1日 (土) 11:33 (UTC)[返信]

Wikipediaでは情報の並べ方に方針やガイドラインとかあるんですか?無いのなら、Wikipadiaは誰でも記事の編集に参加できるものである以上、各編集者が記事が読みやすくなるよう情報を並べるのは構わないでしょう。私も、記事が読みやすくなるように、色々と節に分けたりしているだけです。ですので、記事がより読みやすくなるのであれば、誰が編集してもどうぞという感じです(まああなたが編集して読みやすくなるとは到底思えないのですが)。

しかし、あなたがここでとにかく書き換えたいと主張しているあなたの編集方針(自分が正しいと思った方を本文に載せる)というのは、中立的な観点というWikipediaの編集方針に反します。だから、根拠を要求しているのです。管理者なら、Wikipediaの方針やガイドラインを読んでください。

あと、上記の件というのは何ですか?荒川氏の主張を載せろということですか?
だから、前にも聞いたとおり、なんで荒川氏の主張を載せる必要があるんですか?あなたは記事がスマートになるとか言っていますが、その根拠は何ですか?あなたの感想はもううんざりですから(こんな主張が通用するなら、どんな記事だって“記事がスマートになる”と主張すれば書き換えることができる)、きちんと論理的に説明してください。
このような質問にまったく答えず議論も放棄しているくせに、自分の感想だけは述べて、“その感想にとにかく従え”というのはいくらなんでも無理でしょう(笑)--126.1.151.212 2013年6月2日 (日) 12:50 (UTC)[返信]

他の方から示された独自研究に関する文章を否定なさったのですから、私も極力、方針類に触れないようにしてきたのですが、ここで貴方様の側からウィキペディアの方針に言及されるとは意外です。貴方様のご意見から、荒川氏の著書は(矛盾に関する問題に対して)必要なしと受け取りましたので、近日中に適切な内容に書き換えたいと思います。
繰り返しになりますが、支持されない状態で貴方様のスタイルを維持しようとするには無理があるというものです。ここは貴方様専用のページではないのですから。どうしたら御自身のお考えも組み込まれた形で、万人の納得の行く内容に仕上げられるかを調整して行きましょう。どうかこれからも御協力いただきたく。--Triglav会話2013年6月3日 (月) 00:01 (UTC)[返信]

全体的に意味不明
私は他の人から今の記事が独自研究であると指摘されたので、記事が独自研究ではない=Wikiの方針を守っていることを証明したんですよ。だから、私がWikiの方針に言及するのはむしろ自然で、意外だと思う意味が分からない。

>支持されない状態で貴方様のスタイルを維持しようとする

日本語がまるで意味不明。「支持する」の主語は何ですか?目的語は何ですか?「支持される」の「れる」は受け身ですか?尊敬ですか?あなたは慇懃無礼な書き方をするんで受身か尊敬か分かりません。--126.1.151.212 2013年6月4日 (火) 04:34 (UTC)[返信]

出典を一旦取り除き、代わりに{{誰}}を付け足しました。外した資料は、今後「教え方」といった内容が記載されたときに再度、使用したいと思います。
さすが国語の先生に詳しい方らしい厳しいご指摘ですね。今後ともよろしく御指導ください。私の呼びかけの不快な面についてはお詫びいたします。
それではちょっと気分を入れ替えまして、提案内容を少し変えて、皆様のご意見を伺ってみたいと思います。次節をご覧ください。--Triglav会話2013年6月5日 (水) 15:31 (UTC)[返信]

結局自分の主張の根拠を何も言わず、質問にも何も答えず、次の提案ということですか。だから、お詫びしますとか言っておきながら、質問に答えずまた次の提案にするという愚弄行為をしているから、慇懃無礼なんですね。--126.1.151.212 2013年6月5日 (水) 16:39 (UTC) Ĭ== 「著作物」節をノートページへ移設提案 == #独自研究節のご指摘にある「矛盾を矛盾として指摘した出典」について、「著作物」節の冒頭に唯一示されていた出典が著書の中身についての矛盾を突く内容ではなかったため、それ以降の出典のない状態での矛盾を指摘した内容が、百科事典として相応しいとは言えなくなっています。[返信]
ですが、この人物のそれぞれの著書を照らし合わせると多くの矛盾が生じるということがウィキペディア外の各所で指摘され、それはIP利用者の方が編集される当該節の内容のとおりなのかと思われます。このまま対策なしに著書の内容を無差別に記載すると、このウィキペディア上でも不整合が生じてしまうのは避けられないでしょう。
そこで著書の矛盾を突く部分をこのノートページに移してみたいと思いますがいかがでしょうか? 著書の矛盾点は、このノートページで本格的に細部まで突き詰めて整理したほうが良いと思います。このノートページでみんなでよく吟味して、記述できるものと、そうでないものに分け、確度の高いものだけを掲載していきましょう。皆様のご意見をお伺いします。--Triglav会話2013年6月5日 (水) 15:31 (UTC)[返信]

>出典のない状態での矛盾を指摘した内容が、百科事典として相応しいとは言えなくなっています。
今の記事の状態を簡潔に示すと、「吉野氏は著書で『Aだった』と述べている」「吉野氏は著書で『Aではなかった』と述べている」という引用があって、この2つを並べてそれぞれの出典を記載しているので、出典は完璧にあります。大嘘をつかないでください。大嘘に基づいた提案をしないでください。
>このまま対策なしに著書の内容を無差別に記載すると、このウィキペディア上でも不整合が生じてしまうのは避けられないでしょう。
不整合が生じているのは吉野氏の著作の内容であって、Wikipediaの吉野氏の記事は完全に整合が取れていますし、現行どおりで何ら不整合が生じる心配はありません。大嘘をつかないでください。
>そこで著書の矛盾を突く部分をこのノートページに移してみたいと思いますがいかがでしょうか
以上より、↑「そこで」の前提が大嘘に基づいているので、この提案は無効です。そもそも、矛盾する著作のうちどちらが正しいのかについては本人にしか分からないので、このような提案をして勝手に事実を認定することは、Wikipedia:中立的な観点に反します。

大嘘と編集方針違反に基づいた提案なので、この節終了--126.1.151.212 2013年6月5日 (水) 16:37 (UTC)[返信]
  • (コメント依頼みてきました)

客観的にみると、このページ丸ごと(節じゃなくて、項目全体)削除が最善だと思います。 要するに、吉野氏の著作というのは互いに矛盾していて、事実に関して信頼できる情報源ではなく、あいまいな記憶にもとづく自伝的フィクションと捉えるべきものなわけですよね。こういう出典を並べて得られる情報というのは、吉野氏は正確な事実にもとづかない自己啓発本を多数出版している予備校講師であるということで、そもそも何が本当で、一体そもそも特筆性があるのか、この項目は百科事典にふさわしくないだろうという感想をいだきました。5年前の削除提案は二人の存続意見で存続となったようですが、この不整合ぶりをしっかり調べてある状態をみるとやっぱり削除が良いんじゃないかと思います。少なくともどれかを選んで主とし、どれかを脚注にというのは無理な内容に読めます。--T6n8会話2013年6月19日 (水) 12:34 (UTC)[返信]

上記の個人攻撃の記述を予告した上でCO処置しました。--おっふ会話2020年11月4日 (水) 13:02 (UTC)[返信]

コメントアウト

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本文中の著作物の節についてですが、独自研究が過ぎるためコメントアウトしました。外す際には信頼できる情報源に基づいた、検証可能な出典つけることを(WP:NOR)をお願いします。--333223wid会話2020年4月10日 (金) 18:35 (UTC)[返信]

・了解しました!吉野の著書に関する記述は国会図書館などを活用すれば誰でも検証可能な客観的事実ですよ。吉野の著書での主張内容もその真偽はともかく、吉野が著書でそのように主張したことは、国会図書館などを活用すれば誰でも検証可能な客観的事実を項目ごとに並べただけで、執筆者の評価は入っていないため、独自研究には当たりませんね。すでに上の方で論争は終わっています。もう少し、独自研究の意味を理解してから編集に参加されることをお勧めします。--ろづき会話2020年4月12日 (日) 16:34 (UTC)[返信]

セクション名の変更

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  • この版でセクション名を「著作物」から「著作物における問題点・矛盾点」へ変更しましたが、現状の内容から経歴の詐称疑惑に関する名前が適切かと思われます。そもそも、このセクション自体が不適切だとも考えられますが、上記における会話(#独自研究#コメントアウト)より、その点は言及しないこととします。しかし、あくまで経歴の詐称疑惑であり、「経歴を詐称した」と断言することは不適切なため、名称としては「経歴の問題点・矛盾点」に留めたいと思います。また。このセクション以外の空白(半角と全角の不統一)や句読点、文末表現なども不適切な箇所があるため、修正させて頂きます。なお、2020年11月4日0時0分以降に予定しております。-- おっふ会話) 2020年9月29日 (火) 16:40 (UTC) --おっふ会話) 2020年10月4日 (日) 09:28 (UTC) 発言を修正しました。--おっふ会話2021年3月19日 (金) 17:10 (UTC)[返信]