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ノート:吉良長氏

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「従三位下左衛門尉」とありますが、出典はどこでしょうか? 「従三位」は公卿、「左衛門尉」は諸大夫より下の五位六位の「侍品」で、俄には信じられないのですが。--Ktmchi 2008年6月6日 (金) 16:23 (UTC)[返信]

「官途は従五位下上総介、のちに従三位下左衛門尉となる」とありましたが、源氏三代を除く鎌倉時代の武士で、公卿にまで登った人は居ないと思います。北条得宗家でも四位です。ましてや足利氏の庶流ではあり得ません。「従三位下左衛門尉」は「従五位下左衛門尉」の間違いかと。次ぎに同じ従五位下でも「左衛門尉」より「上総介」の方が格上で「のちに上総介」ならまだ解りますが、一旦「上総介」となれば、そのあと散位であっても「上総前司」と呼ばれますので、わざわざ「左衛門尉」など、本来六位相当の官職を欲しがる訳はないと思いますが如何でしょうか。ただし実際の官職の経歴は知りませんので「従三位下左衛門尉」だけ削除しておきます。--Ktmchi 2008年6月12日 (木) 16:06 (UTC)[返信]