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ノート:吉本隆明/過去ログ1

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意見表明では?

 吉本信者は、吉本の偉さ、凄さを、丸山や埴輪、小林、江藤などとの違いをことさらに述べ立てるが、外部者から見れば、五十歩百歩、どんぐりの背比べでしかないようなことで、実際には争っているといっていい。(実際には、ヘーゲルがどうしようが、漱石がどうしようが、それへの理解が深かろうが、浅かろうが、大した問題ではない)

 そういった日本軍国主義、マルクス主義的(マルクス的)左翼思想にかぶれやすい人たちを熱狂的信者にしたが、これは、吉本の思想の語り方が、宗教的色彩を帯び、かつ詩情をこめているからである。実際には、思想的に一貫性があるとはとても言いがたく、難解な言葉で、煙に巻いているだけだともいえる。山本哲士を中心とする、吉本継承派も、吉本の思想は、一切引き継いでいないが、難解な言葉を弄して、学生相手にいい加減な商売をやる体質だけは引き継いだ、と言える。--->

それならそれとして、匿名の百科事典の場で意見表明されても誰も説得できません。
あまりに辞書百科事典的記述から離れすぎていると思いますので、ご自分の立場を明記したサイトでやるべきでは?--ミウ 2006年5月19日 (金) 15:47 (UTC)

  • 「(江戸時代の気質みたいなものは、本当には吉本は分からないはずである。)」という文がありましたが、「江戸時代の気質みたいなもの」とは一体何か不明であること、それは「父親が東京生まれであればわかる」という理屈には何ら根拠がないこと、また、父親は天草出身と書くだけで三代続いた江戸っ子でないことは明らかであり推測まじりの文をあえて付け加えるまでもないこと。よって削除しました。 --忠太 2006年5月20日 (土) 01:24 (UTC)

思うところと、Wikipediaで求められること

吉本思想がどうであったかではなく,その思想で映し出された現在の世界がどうであったか,または,吉本思想に触れて自分も自身の手で世界への認識を少しでも深めたい,広めたいという意欲を抱けたかということが重要で,別に吉本思想でなくても,誰それの思想であっても同じであり,そのような我々の欲求にこたえてくれるものであれば,固有名詞は問題ではないと思います。

この投稿には制約があるのですか吉本隆明に論理的に批判するのが趣旨なのか。たまたま、定年まじかの人間が懐かしい名前を思い出し生存しているのか確認したかったのでインターネットで検索したらここにあたった。ふと、何か書いてみたくなった。論争する気はなし。吉本隆明の著作を読みながら私自身が哲学的に正邪をとうより、あなたはどうして生きていかれるのか、吉本隆明に聞くというより私自身、どうすればよいのか自問自答しながらサラリーマンとして勤めて30有余年たち、定年近くなりふと吉本隆明の言葉に触れたいと思った。触れたから言って今の十分の琴線に触れるとは思わないが、ひとつの興味があります。--219.123.117.236 2008年6月6日 (金) 11:48 (UTC)

私の家には吉本隆明氏の著書が100冊近くありますが、その思想について論じることは本当に難しい。 なぜなら、マルクス、親鸞、ユング、漱石、聖書、フーコー…と、彼の思想を的確に評価するにはそれらにもキチンと当たって、さらに、それに対する反論にも当たって、客観的に論じる必要があるが、はっきり言って吉本氏の文体も難解で、普通の生活を送っている人には不可能です。 そうすると、「信者」か「アンチ」かと云う風に分かれがちです。 本文については少し違和感がありますが、私自身は初期の思想に深く触れていなく、また多くの出典とされている「全集」を持っていないので、少しづつ、気が向いたら編集してみます。(吉本氏の思想理解の助けには、「身体の比較社会学Ⅰ/Ⅱ」勁草書房 大澤真幸 著が参考になりました。) --山本山815 2008年12月15日 (月) 06:43 (UTC)

一次資料が多すぎるのでは?

こんにちは。早速の加筆、ありがとうございます。本項目もそうなのですが、人物伝は日本語版Wikipediaで弱い分野なので、きちんとした文献に裏付けられた執筆は大いに望まれています。ことに本項目は、「吉本がああ言った、こう言われた」式のエピソードを軽い気持ちで書き加えていく編集者が多いために、散漫な文章になっているところが多々あります。本来ならば、吉本自身が書いたり書かれたりした一次資料ではなく、そうした論争なりやり取りを総括的な記述した中立信頼できる二次資料を用いてまとまりよく書かれなければならないのですがそうなってないのが現状です。Wikipedia:存命人物の伝記などにも留意しつつ、より良い百科事典の執筆をお願いします。--おーた 2008年12月15日 (月) 12:34 (UTC)
おーたさんこんにちは。残念ながらご期待に添えるかは怪しい気がします。 というのも上の話で言えば私は「信者」に当たると考えられるからです。残念ながら目を通しているのは一次資料に偏っています。 私の本文の編集はご覧の通りです。 ただ本文は、偏りがあるように思います。 実は引用されている『全集』の内容は、私の持っている文献の半分近くを占めているのですが、出会ったことのない本文記載が多々ありました。(もしくは言葉が同じでも、ニュアンスが相当違う。) 余裕が出来れば「出典」の『全集』にあたり、確認したいと思っています。 ただこれまでの編集者は、「本当に吉本隆明の著書に目を通したのだろうか?」と正直疑問に思ってしまいました。 そして、『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』『ハイ・イメージ論』といった中心的な思想の内容に全く触れず、吉本氏への批判が中心になっています。 批判は必要です。たとえ「信者」だったとしても、称賛内容ばかりでは気持ち悪くて読むに堪えません。 しかし、このページは「吉本隆明」氏のページであるはずです。 まず氏の思想を紹介し、そしてそれについての批判の記述に移るというのが順序なのではないでしょうか?(中立的な観点は、そうすることで得られると考えます。) 「文句ばっかり言ってないで、お前がやれ!」 そうです。私もそう思っています。 しかし、長いスパンでボチボチやって行くことはお許し下さい。(文章が長いですね、努力します。)--山本山815 2008年12月15日 (月) 19:49 (UTC)
こんにちは。「本当に吉本隆明の著書に目を通したのだろうか?」と正直疑問に思ってしまいましたとのご意見は、コミュニティとして重く受け止めるべき指摘だと思います。いい加減な引用が結構あることは私自身、ある記事の出典を精査してみて痛感してた点でもあります。本記事の出典に一つ一つ当たりながら、正していくという作業をやっておられる山本山815さんの作業には、敬意を表します。
ただですね、申し訳ないんだけど山本さんの本文の書き方は細かすぎるのです。というか、一次資料の引用が多すぎると思います。そうした吉本発言の引用に対して批判者の発言の一次資料引用が付けられ、それに対する吉本の反論が付けられて、、、といった具合に不要な追加編集を誘引し、不要に記事が膨らんで可読性が著しく損なわれるといったことも、Wikipediaでは良くある話ですし、過去に私がこの記事を閲覧したときもそうなっていました。今回の山本山815さんのこの56行目の編集を例にとると、ここで引用されている吉本の発言は、吉本一流の強弁の典型例だと私は思います。(私は信者じゃないので、、、イデオロギー的対立者でもありませんけどね。こうした吉本の強弁が魅力的だったのだろうということも理解できますし。しかし、強弁は強弁なのです。)だから、本文で「批判には強弁で対抗した」と書いて、脚注でその強弁の例として山本さんが示された発言を引用しておけばよろしいのではないでしょうか。山本山815さんはまず氏の思想を紹介し、そしてそれについての批判の記述に移るというのが順序なのではないでしょうか?とおっしゃいますが、それは二次資料でやってほしいですし、一次資料に頼る場合でもできるだけ編集者の言葉で要約してください。人物伝での百科事典編集者の仕事は人物の発言集を作ることではなくて、人物の言動とその影響と評価を「要約」することです。
なお、小熊英二『民主と愛国』第14章の吉本隆明論は是非ご一読ください。信者/アンチ信者の両極端に分かれやすい吉本隆明評価について、これだけ醒めた視線で書いているのは現時点で貴重だと思います。
それから山本山815さんに相談です。私は機会があれば田川建三と吉本との論争を追ってみようと思っていました。田川建三側は『思想の危険について 吉本隆明のたどった軌跡』を見ておけばよいのですが、吉本側の著作としたら何を見ておけばよいのでしょうか?単行本でも全集でもOKです。図書館で探してみますので。よろしくお願いします。--おーた 2008年12月20日 (土) 04:25 (UTC)

「批判に強弁で対抗した」件について

吉本は、「転向論」の中で、日本の知識人(インテリゲンチャ)の典型は、①高度な近代的要素と、封建的な要素が矛盾したまま複雑に抱合した日本の社会が、「知識」を身に付けるにつけ、理に合わぬつまらないものに見えてきて一度離れるが、ある時離れたはずのその日本社会に妥当性を見出し、無残に屈伏する。②はじめから近代的にモデリングして、現実社会を必要としていない、と批判しています。(「転向論」『マチウ書試論・転向論』p.300~304 ISBN 4-06-196101-2)吉本は、これらを1958年に、「世界認識」が出来ないために起こる、知識人の「転向」としてそれを批判する文章を発表しました。
この「転向論」は、いわば彼自身の原点であり今でも生きている本質です。 ですから、私は「批判に強弁で対抗した」という文章は受け入れることは出来ません。 この反論は、外国知識さえあれば日本社会の実態を無視出来、日本社会の実態と格闘することなく自前の思想がなくてもやって行ける(と思われる)彼らに、本質的になされたものだからです。
あと、編集合戦になる懸念ですが、それを避けるために「思想」と「評価と批判」は分けた方が良いのではないかと思っています。 もし、「思想」の方が的確に書けるようになるならそうしたいと思っています。 「要約」についてはおーたさんの指摘通りで、ぼつぼつ直していきたいとは思っています。
田川建三氏との論争については御免なさい、紹介できるほど詳細に知りません。 というのも私の入り口が『マス・イメージ論』であり、過去の文章は遡る形で「主著」に触れたので、おーたさんほど論争については逆に詳しくないのです。(マス・イメージ論以降になされた論争は分かりますが) あと時間が出来れば、小熊英二氏の『民主と愛国』は読んでみたいと思っています。 少し誤解があるのではないかと思うのですが、吉本自身は、文学が中心的フィールドです。 実はなかなか社会学的な方法論ではその中に入って行けない印象を受けています。(私も社会学を学んだので) ですから、小熊氏がどのように論じているかは興味深くもありますが、「外側(論理=西洋的思考)から論じてもダメよ」とは思っています。しかし、読まないと始まらないので読んでみます。
なにやら、私の文章は硬質で「強弁な対抗」のようにも自分でも感じられますが、せっかく「吉本隆明」を扱っている本文な訳ですから、「せめて主著ぐらい読んでから書けばいいのに」と思ってしまい編集に参加したため、こんな感じになっていることをお許し下さい。 偏りがあれば、私自身も(ボツボツですが)編集し直して行きたいとは思っています。--山本山815 2008年12月20日 (土) 06:55 (UTC)
追伸 おーたさんへ。
たまたまノート:上野千鶴子を見まして、氏の文献に当たる真摯な態度に出会い嬉しく思われました。伝聞(もしくは孫引きなど)で記載される文章の多い中、中立で正確な記載を目指す姿は素晴らしいことだと素直に思っております。 田川建一氏の件ですが、 「ただクサすという目的で講演集のなかから、都合のいい文句を取り出してきてつなぎあわせ、勝手に頭の中でこしらえたわたしの「変質」を立証したなどと称して本を一冊作っている。」「かつて『マルコ福音書』(上)の優れた先駆的な仕事をした聖学者田川建一はどこへいったんだ。」「悲しいことだよ。」(『状況へ』p.305 ISBN 4-7966-0873-7)という記述を発見しました。 吉本によれば、『「反核」異論』が気に食わないために書かれていると言っています。 ただ、これでは明確な反論といえないので、どうやら『いま、吉本隆明25時』ISBN 4-8966-7224-0 という講演の中で、批判に反論しているらしいので(私は学生時代に読んだのですが、当該部分の記憶がなく、今手元にありません。)、もしおーたさんが図書館で見つけられれば、吉本側の反論として参考になるのではないでしょうか?(ちなみに両氏は「現代思想」1978年11月号で、イエスについて和やかに?対談しています。『吉本隆明 全対談集12』所蔵)--山本山815 2008年12月20日 (土) 22:55 (UTC)
まず「批判に強弁で対抗した」の件、山本山さんの見解は分かるのですが、そういう大層な話じゃなくて、もっと単純な間違いの指摘に対しても吉本は絶対負けを認めないというような話です。が、まあ、もうちょっと具体例をあげないと話が泥沼に陥りますので、今は置いておきます。何かの拍子に具体例が出てきたら書きます。しかし、該当部分は発言引用ではなくて「要約」にしてくださいね。
ノート:上野千鶴子は、、、疲れました。あそこまで堂々と誤引用を行われると、Wikipediaのシステムに悲観的になってしまいます。ご本人は大真面目なだけに始末に困りました。
さて、田川建三との論戦の話です。参考資料の提示、ありがとうございました。助かります。田川建三の『思想の危険について 吉本隆明のたどった軌跡』は81年から86年までの初出論文をまとめたものですから、吉本の『マスイメージ論』以降は期間的に入っていますので、十分に山本山さんの守備範囲内です。その田川建三ですが70年代に書いた『イエスという男』では吉本のマタイ書の解釈について、決して悪く言ってません。田川はテキスト批評の専門家なだけに小うるさいことは言ってますが、田川としてはかなり好意的に褒めています。ご紹介の1978年の対談も、私は読んでいますが確かにこの時点で田川は吉本を評価していたんです。『思想の危険について』も、吉本の著作を丁寧に読み解きながら吉本の論理がどこで狂い始めたのかを指摘しているという体裁であって、決して吉本への人格攻撃などはやっていません。ところが、最近では田川の吉本への評価は地に堕ちておりこんなことになっています。(田川先生というのは、この手の批判が激烈なことで有名です。ある意味、吉本と似た者同士。)『思想の危険について』に対して吉本隆明が例の調子で反論したんだろうなとは思いましたが、ちょっとそこを確かめておこうと思った次第です。で、「信者」の山本山さんにこういうのも何ですが、吉本のこの手の反論はやはり度を越していると思いますけどね。その過剰さが、人気を博したことも分かるし、それなりの役割を果たしたことも分かるんですが、そこは百科事典編集者としては覚めた目で見ておいたほうが良かろうかと思います。--おーた 2008年12月21日 (日) 15:46 (UTC)

「また、60年安保闘争体験以降の吉本は、「私生活」に価値を置くようになったため、共同的に何かをしようとするものたちはすべて「ファシスト」として切りすてた。」←要出典 ☆吉本は、終始一貫「大衆の現像」に価値を置き続けているし、「ファシスト」と呼んだのは、芸術や学問を手仕事で個人で研鑽すべきところを(というか個人でしか出来ない)、思想も考えもバラバラであるのに、連名で「反戦」や「反核」や「反原発」と言った大衆や知識人に破滅や危機感を煽った声明を発表することが「反動的な退化」であり(『状況へ』p.106)、彼らのことを「ファシスト」「スターリニスト」と言っているだけです。 どだい、「大衆の現像」を言っている吉本が、生活のほとんどを共同的に何かをしている民衆の存在がありながら、彼らを「ファシスト」というわけがないし、出典を探すことが出来ません。非常に怪しい文章ですので、取り消しておきます。議論があればノートでお願いします。

「芸術や学問を手仕事で個人で研鑽すべきところを(というか個人でしか出来ない)、思想も考えもバラバラであるのに、連名で「反戦」や「反核」や「反原発」と言った大衆や知識人に破滅や危機感を煽った声明を発表することが「反動的な退化」であり(『状況へ』p.106)、彼らのことを「ファシスト」「スターリニスト」と言っているだけ」という文章は残念ながら理解できかねます。というのは、「芸術や学問という個人で研鑽す」る、ことと、思想や考えがばらばらであっても「社会運動」として、声明を連名で発表する、というのはぜんぜん別の事柄だからです。
別に芸術家や学者が、署名をしてもいいのではないでしょうか。「大衆」が署名してもいいように。かっては、「知識人」が特権的な意識から、そういう声明を発表するのはダメだというところに、吉本氏の批判の眼目があったということは理解できます。しかし、もはや、蟹工船が60万部売れ、そして争議を起こしているフリーター労組を、そしてそれを署名して支援している大学教員を、「反動的な退化」や「ファシスト」「スターリニスト」というレッテルをはることが有効なのでしょうか?この100年に一度の金融危機の時代に?冷戦が崩壊して20年たっているわけですから、このような吉本の批判はむしろある一定の時代の歴史的なものとしてとらえ、超歴史的・普遍的なものと見るのは控えたほうがいいと思われます。したがって、「また、60年安保闘争体験以降の吉本は、「私生活」に価値を置くようになったため、社会的・共同的に何かをしようとするものたちを「ファシスト」「スターリニスト」として切りすてることも多かった。」と表現を変えて、残しておきます。つじ 2008年12月21日 (日) 15:46 (UTC)(以上の投稿は2009年1月16日 (金) 02:13に 118.11.92.235によって行われたものです。なぜ、過去の日付が投稿者によって記されているのかは不明。--おーた 2009年1月17日 (土) 03:55 (UTC))
(つじさん、もしくは118.11.92.235さんへ)
こんにちは。ご意見と、本文記事編集ありがとうございます。信頼できる文献に基づいた編集は本記事ではことにそうですが、Wikipediaでは強く求められているところですので、大変にありがたく思います。花田清輝との論争を論評した『真昼の決闘』については私も手に入れた上で書こうと思っていたところでしたから、同じ文献に着目していた方がいらっしゃると分かって嬉しかったです。これからもよろしくお願いします。ただ、継続してWikipediaの編集に関わるのであれば、是非アカウントを取っていただけるとありがたいです。それから署名は文章の末尾に--~~~~をつけていただければ、自動的に入りますのでよろしく。細かい編集ルールは手引きを見ていただきながら、分からないことは聞いていただければと思います。
(山本山さんへ)
紹介していただいた『情況へ』と『いま、吉本隆明25時』をチェックしてみました。(細かい話ですが吉本隆明なら「状況」ではなくて「情況」ですね、やはり。「信者」さんに言うのもなんですけど。)結論なんですが、これは「論争」と呼べるようなものではありませんね。『情況へ』には山本山さんが報告されたように、ごく短い言及があるきりですし、『25時』にしても講演イベントとの最後に、話そうと思ったけど時間が無いので話せなかった話題として、当時吉本隆明を批判する本を書いた宮内豊、土井淑平、田川建三の三名への「全面否定」をするつもりだったと言って、それに付随してごく簡単に言及されている程度なんです(pp.378-385)。それも要約すれば「こいつらは本が読めてない」という程度ですから、単なる罵倒でしょう。この三者への「全面否定」が別の場所で行われたのかどうかは不明ですが、現時点では「田川建三との論争」については本文記事を改めておいたほうが良いと判断しました。
ある時期から、吉本は批判者と話が噛み合うような論争が出来なくなってしまったのではないかという印象が私にはあります。これは、田川建三が『思想の危険について 吉本隆明がたどった軌跡』であげている例なんですが(1987年版pp.91-93)、吉本は『共同幻想論』などで「共同性と個は逆立する」ということを繰り返します。そしてある批判者が「吉本は共同性と個が対立するとしている」と書いていることについて、俺は逆立と書いて共同的な観念と個的な観念が次元を異にすると強調しているのに何故それが分からないのかと言って例の罵倒を行います。田川は、この「逆立」という吉本用語の概念を評価しますし、「逆立」が「対立」ではないことも繰り返し認めますています。にも関わらず吉本の他の文章には共同性と個が「対立」しているとしか思えない文章が頻出しているのだから「逆立」を「対立」として読んでしまう読者が居てもそれは吉本の責任じゃないだろうかと田川は指摘するのですが、私はこれは当たっていると思いました。吉本の文章にはロジックが曖昧だったり、矛盾しているところが多々ありますからね。ところが吉本からすると「どうしてこいつらは俺の文章を誤読するんだ」ってことになる。それで、罵倒としか思えない激烈な文章で「反論」するんだけど、こういう構図で始まった論争が噛み合うとは思えませんし、実際ある時期からの吉本は他人と実のある論争が出来なくなったのだと思います。(もちろん、これは私の「独自研究」なので本文には書きません。)
話しついでに、「学者から間違いを指摘されて吉本が強弁した」に属する最も下らないを見つけたので報告しておきます。
http://blogs.dion.ne.jp/hanemone/archives/7846928.html
  • 吉本が「サルが海を見て、ウッと言ったから海という言葉が生まれたのか?」と書いた事に対して、後の東京大学の学長である蓮實重彦(映画評論家でもあります)が「言語発生学を見れば、そんなことはあり得ないことはすぐにわかる」と噛み付き、カチンときた吉本が応酬して生産性が全くない議論というかバトルが始まってしまった
吉本がどのように応酬したのか、
生産性が全く無いバトルであろうことは間違いないと思うのですが、是非文献で確かめておきたいと思いました。どなたかご存知でしょうか?--おーた 2009年1月17日 (土) 05:27 (UTC)
「情況へ」はその通りです。訂正ありがとうございます。今多忙で、キチンとした対応が出来ず申し訳ありません。蓮實重彦氏との話は、吉本の「自己表出」「指示表出」という根本的な話ですので、「言語発生学を見れば、そんなことはあり得ない」のであれば、『言語にとって美とはなにか』の論は、完全に間違っていて、吉本の全ての思想が否定される代物となってしまいます。
ところで、構造主義の起点になったのは、ソシュールの言語学(記号表現(言分け)が内容(「概念」)を決める。「概念」が先にあってそれに「名付け(言分け)」が行われたのではない。)ですが、ソシュールは晩年、アナグラム(文章の中に、その人が意識しない、言葉や意味が隠されている)研究に没頭しました。
A.蓮實氏は、ソシュールの言語学(構造主義、記号表現(言分け)が内容(「概念」)を決める)の話をしていて、B.「ウッと言ったから海という言葉が生まれた」という話(「自己表出」)は、「その人の表現」に繋がる概念で、吉本氏は、フロイトやユングの無意識や、ソシュールのアナグラムの話をしているというのが、当時この論争を読んだ私の当時の感想だったのですが、間違っているでしょうか?
実は、吉本隆明氏に惹かれる人は、この無意識の欲望などを扱う「表現論」に惹かれ、否定的な人は(頑張って「知識を積み上げた人」に多いのですが)、ドメスティックな文化(身体的)から抜け出したい「知的」「論理的」な人が多いと思っています。なので、マルクス主義的(「論理的」)な人をはじめとして、(自分の一番弱い部分(身体的)を指摘されるから)「感情的」に吉本氏を否定して来たということです。(「論理的」なら、聞くことは出来るのですが…)
「逆立」と「対立」の話は、「違うんだよなぁ」という感想です。つじさんも誤解があるようですが、吉本が批判しているのは、【「名声」を呼び掛けて(呼び掛けられて)、署名している「知識人」】のことです。『「反核」異論』の頃は、まだ「左翼言説」に力があり、メンバーを見れば、あっさりと「党派性」を見てとれることができました。「なぜ、アメリカの反核を唱えるのに、ソ連の反核を唱えないのか?」と言った吉本の主張からも分かるように、その「党派性」の「欺瞞」に反したものでした。「反戦署名」についても、「党派性」から抜け出すことは難しく、それより「キチンとそれぞれが文章等で発表すればよい」というのが吉本の主張です。
例えば、映画監督が集まって「表現の自由を守れ」と連名で新聞広告を出したとしたら、何か薄っぺらいモノを感じないでしょうか?そんな広告より、優れた監督の優れた1本の映画の方が、どんなに深く人々に影響を与えるか知れません。どだい、黒澤明、大島渚、今村昌平、山田洋二、伊丹十三、岩井俊二、大林宣彦…などが集まって何かやろうとしたって、1日で揉めるか、大いなる妥協がなされてオシマイでしょう。私なら、それぞれの作品を見たいところです。一般大衆と、表現の媒体を持っている人達は全く違うのです。
「大衆の原像を繰り込め」という話も、大衆に向けられたものではありません。大衆(私達)は、毎日「大衆の原像」を繰りこんでいるので、そんなことを言われても(言っても)仕方がありません(もう既に繰り込んでいる)。「大衆の原像を繰り込め」というのは、「知識人」に向けられた言葉なのです。--山本山815 2009年1月20日 (火) 00:09 (UTC)

学問的には「ただのヨタ話」と、Wikipediaの百科事典の定義など

まず、「サルが海を見て」云々の話は、私なりに調べてみると吉本の『言語にとって美とはなにか』(1965)が発端ですね。でも吉本の原文は「サル」じゃなくて「狩猟人」ですよね。どこでどう歪んだんでしょう?それはともかく、これに対して蓮実重彦が言及している箇所としては『表層批評宣言』筑摩書房(1979)のpp.9-10があるんですが、「言語発生学を見ればありえない」とは書いていません。「差異の概念を導入することなく、音声の記号化に言及しているという意味でまさか、と言語学者は絶句するだろう」ぐらいです。これまた歪んだ情報でありました。精度の低い情報を持ち出して出典を問うたこと、申し訳ない。
ただ、蓮実も吉本を貶している訳じゃないんですね。「吉本的な語彙の強引な展開ぶりに苛立つことは、ほとんど意味をもっておらず」と続けていて、吉本の無茶な言語論をとがめたところで意味は無いとしています。実際、蓮実が吉本の強引な論説の面白さを認めていることは昔から知られた話ですし、1978年にミシェル・フーコーが来日した際に吉本の主要著作のレジュメを作ってフーコーに事前に渡し、対談の通訳を務めたというのも蓮実です。1980年7月号の『海』では二人は対談し、議論は噛み合っていませんが、バトルというほどのことはやってません。じゃ、どこから吉本は蓮実を罵倒するようになったのかというのは、相変わらず謎なまんまなので、分かる方がいらっしゃれば文献の明示をお願いします。『試行』誌上の「情況への発言」を追っていけばある程度分かるのかなとは思っているのですけれども。山本山さんがお尋ねのソシュールをめぐる解釈のお話も、蓮実と吉本の発言や文章の実物を見ないかぎり、何とも言えませんのでよろしくお願いします。
その他の山本山さんの発言に関しても、何を仰っているのか正確に理解している自信が私にはありませんし、吉本隆明の項目を編集する上での必要性がわかりませんので、スルーさせていただくことをご了解ください。ただ、遠い祖先の誰かが青い海を見て「う」と発話したところに語源を求めるのは、
学問的には「ただのヨタ話」であることは間違いありません。どこかの学術誌に出したら、確実に査読で落とされる程度の思いつき論考です。もちろん、吉本的には知的エリートがどう判断しようがそんなの関係ないわけですし、蓮実重彦にしたってそんなところで吉本の価値を判断しちゃいけないと言うわけです。ただ、百科事典編集者の一人として山本山さんにお願いしたいんですが、。
百科事典というのは学術的な枠組みに準拠して編集されていることは理解していただきたい。吉本が知識人や知識人が頼っている学問に対してどのような主張をしようが、我々編集者は既存の学術的な枠組みの中で作業するしか無いのです。ですから、私としては吉本が学術的に見れば無茶で強引な論議をしてきた思想家だということは、適当な文献を使いながら書くべきだろうと思います。そして、その強引な論議がそれでも多くの「信者」を獲得してきたこと、学術的に強引でも蓮実重彦のように一定の評価も与えられてきたことなどは書いて宜しいのではないでしょうか。私としては、学術的な指摘に対しては吉本が罵倒で返すというパターンについても書いておきたいのですが、これは適切な二次文献が出てきてからにします。--おーた 2009年1月25日 (日) 04:16 (UTC)
おーたさん、お久しぶりです。 
おーたさんの真摯に文献に当たって記述を深めようとする姿勢に、敬意を称しています。 私自身は、時間の制約から文献に当たることが出来ていないので作業が止まっていますが、その点はお許しください。
ただ、大きな違和感を感じた指摘があったので触れておきたいと思います。 それは、「百科事典というのは学術的な枠組みに準拠して編集されていることは理解していただきたい。」という箇所です。 私の理解の範囲では、Wikipediaの目的は、「検証可能性」があり(Wikipedia:検証可能性)、「中立的な観点」を踏まえる(「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」)(Wikipedia:中立的な観点)という「ルール=基本方針」によって書かれた、「様々なトピックに関して豊かな知識を得る事のできる”百科事典”を作ること」(Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと)だと思っています。 Wikipediaは、決して記述が「学術的な枠組みに準拠して編集される」ことを推奨していないのです。 「中立的な観点」は、「客観的な観点」ではないのです。
わたしは、おーたさんの「吉本隆明」のページを編集する動機が、「私としては、学術的な指摘に対しては吉本が罵倒で返すというパターンについても書いておきたい」というのであれば、「やめといた方がいいぜ」と思っています。 その記載は、明らかに「中立的な観点」から逸脱していますし、 おーたさんが、「中立的な観点」を目指し、「上野千鶴子」の編集を行った時からは、明らかに冷静さを欠いているように思われてなりません。 全ての論争には「中身」があるのです。 それをすっ飛ばして、「パターンだ」と言い張るには、根拠が必要です。(「Aだからパターンだ」とBが言っている<出典>…など)
あと、「ただ、遠い祖先の誰かが青い海を見て「う」と発話したところに語源を求めるのは、学問的には「ただのヨタ話」であることは間違いありません。」となぜ言い切れるのでしょうか? おーたさんは、「言語にとって美とはなにか」を読み、ソシュールを読み、広く言語学に当たりそう結論づけたのでしょうか? それとも、論理的にそう指摘している学者の方がいるのでしょうか? 少し説明が必要です。 もし、根拠がなければ、筆が滑りすぎではないでしょうか?
このページは、「吉本隆明」について書かれたページです。 吉本が学術的に間違った発言をしていたとしても、それがWikipediaの記述で「査読で落とされる」ことは決してありません。 (もちろん、そう言っている論者の主張を、中立的に記載することは推奨されます。) さらに、「吉本隆明」をWikipediaで記述するときは、「吉本が知識人や知識人が頼っている学問に対してどのような主張」をしているかは、決して無視をすることが出来ない重要な事柄で、中心的な主題です。 
「その他の山本山さんの発言に関しても、何を仰っているのか正確に理解している自信が私にはありませんし、吉本隆明の項目を編集する上での必要性がわかりませんので、スルーさせていただくことをご了解ください。」という記述にも違和感を感じます。 私には、そのスルーした部分(例えば「知識人の党派性」「大衆の原像を繰り込め」など)に、このページの記述にとって(否定的だろうが肯定的だろうか)一番重要な要素が隠されているような気がしてなりません。 今一度、吉本が「何を主張」し、それに対して反論する人が「何に反論」して来たかを精査して下さい。 そこから、吉本と彼らとの「差異」が立ち現れるはずです。 そして、この「差異」こそが(否定的であろうが肯定的であろうが)、吉本にとっての中心的な課題なのです。 このことは決してこのページを編集するときに「スルー」することは出来ない、重要な事項のはずです。
実は、私は、大澤真幸の「身体の比較社会学Ⅰ/Ⅱ」を読んで、ずっと吉本が主張してきた事が何であるかが明快に分かる事が出来ました。(フーコーの「言葉と物」についても良く理解できました。) 実は吉本は、様々な「段階」を、「重層的」に述べているのです。 残念ながら文献を示して、それをキッチリと記述するには、私には時間が全く無いのですが、吉本を批判する人は、その「全てに対して否定」するのではなく、いつも「部分的な否定」に留まっています。 吉本は実は、「全ての段階を対象化」(非知)しているのです。 それを理解して読むと、相手が「何を守って主張しているか?」が、手に取るように分かるようになってしまいます。 いつも人は、自らの根本を隠して主張しているのです。 そして、運命的に(私もあなたもその他の人も)獲得してしまった「その根本」は、多くの人は残念ながら最後まで対象化されず残ったままです。 そして、吉本は、その事を(自身も含めて)「肯定的」に見ているのです。 吉本は、その個人に最後まで対象化されない根本が存在することを「(実際は存在しているのに)なかった事にする人」に対して否定的なのです。 私は、いつも吉本に対して「部分的な否定」にしか出会えません。 はっきり言って、それは個人的にはつまらないことなのです。 --山本山815 2009年1月25日 (日) 08:22 (UTC)
小熊氏に対する間接的な吉本の返答を新たに知りましたので、書き加えました。 あと、「また、60年安保闘争体験以降の吉本は、「私生活」に価値を置くようになったため」という記述は、私も同じニュアンスの記述をどこかで見た記憶はあるのですが、発見できなかったので、[要出典]を貼らさせてもらいました。私も頑張って「出典」を見つけたいと思っています。
おーたさんが指摘された、「学問的には「ただのヨタ話」」の件ですが、蓮實重彦との対談でも、蓮實が「言語は差異でしかないと信じて安心しているような人たちは、ここまで来ていないではないかということを(『表層批評宣言』で)いったつもり」と、逆に吉本の「自己表出」について評価しています。(『難しい話題』吉本隆明対談集(青土社)p.35) また、
『千の高原/ミル・プラトー』(ジル・ドゥルーズ/ガタリ著)の翻訳家である小沢秋広氏によれば、「『言語にとって美とはなにか』は、(中略)言語の発生に関する考察自体として現在も十分に有効な観点が提示されている。」(『文藝別冊「総特集 吉本隆明」』「吉本隆明の中核へ 言語発生の場から」(河出書房新書) p.113~130 ISBN 4-309-97673-5)と、吉本の言語論を高く評価しています。 やはりおーたさんの評価は、中立的とは言えない気がします。
ただ誤解して欲しくないのですが、
私は、真摯に「原典」に向かう おーたさんに、心から敬意を表しています。 おーたさんがいなければ、何年振りかで吉本隆明を真剣に読み直そうとは思わなかったでしょう。--山本山815 2009年1月27日 (火) 10:48 (UTC)
山本山さん、最終目標として、Wikipedeiaだけの検索で終わらせず、吉本を知らない人に、本を手にとらせるというのがあるのではないでしょうか?で、希望として、註は吉本の著作集のページ数だけでなく、論考の名前も明示しておいてくれると助かります。価値評価より、どのアーカイブが今の視点から重要かを指し示すほうが、大事だと思います。あと、「私には、そのスルーした部分(例えば「知識人の党派性」「大衆の原像を繰り込め」など)に、このページの記述にとって(否定的だろうが肯定的だろうか)一番重要な要素が隠されているような気がしてなりません」なるほどと思いました。しかし「大衆」という概念はやっかいです。吉本が「大衆」をどうとらえているかが一番分かりやすい文献明示、そしてそれがたとえば、日本のGDPが豊かになるにつれどう変わっていったか、悪くすると、大衆迎合、ポピュリズムではないか、とおもわれないように、その吉本の「大衆」コンセプトの核心、変わらない部分はどこか、どの文献に当たればいいのか、またそれと対概念とされる「知識人」とは何か?とか、これも指し示していただけると助かります。単純のようですが、単純な概念こそ一番難しい。私の考えでは今時、大学の先生は、確かにアッパーミドルですが、単にそれだけで、小学校の先生、中学校の先生、高校の先生、と、この管理社会において変わらない。では「知識人」とは?--118.11.92.235 2009年1月28日 (水) 15:39 (UTC)
書き込みありがとうございます。なにやら、好意的に解釈されているようでありがたいのですが、私自身は「本を手に取らせる」とまでは思っていません。 私自身、良く知らない項目をたびたびWikipediaで調べる機会があるのですが、その時は「ザッと短期間に読む間に、その項目のあらましが中立的に、大掴みで理解できる」事を望んでいます。 ところが、一番初めにこのページをザッと読んだ後、どーも「吉本隆明」のあらましを掴めないな、偏っているな、と思ってしまったので、編集を始めてしまいました。 誤解があったらあれなのですが、決して吉本隆明を擁護したいわけではありません。 私達はそんな暇ではないので、Wikipediaで調べてオシマイの時も多々あります。 なので、偏った記述に留めておく置くことは、利用者にとって著しい不利益になるのでは?と思っているだけです。 出来ればWikipediaのページを読むだけで、大体その項目のことが分かり、他人が聞いても間違っていないというのが理想です。
ところで、論考の名前や定義の件ですが、ボツボツ調べますので、気長にお待ち下さい。--山本山815 2009年1月31日 (土) 04:35 (UTC)

 

おーたです。こんなこと言うまでもない筈なんだけど、百科事典というのは、もともと科学や学問を一般人に開かれたものにするために書かれた書物です。啓蒙時代の百科全書派の話はご存知ですよね。だから既存の学問体系に準拠して書くべきだというのは、当たり前の話なんです。なるべく検証可能性のある文献を引用するというのも、学問の方法論の一部だということは言うまでもないですよね。Wikipediaは専門家に委託して執筆してもらうというシステムではなく、
不特定多者が記述に関わりますから「検証可能性のある文献」を強調しますけど、それさえあれば出鱈目を書いて良いと言う話じゃありません。だから、学問的にはナンセンスなことについてはナンセンスなんだということを書くのは当然ですよ。もちろん、学問的にナンセンスなことを書いた人でも、思想的に強い影響を持った人はいくらでも居ますし、吉本隆明だってその一人です。そういう人たちが何を言って、どういう影響力を及ぼしたのかを書くことにはまったく反対はしません。だから、どうぞそれは書いてください。
「海を見て「うっ」と言って「海」になった」が何故「ヨタ話」なのかご理解していただけないようですが、そもそもそういう検証不能なことを断言して、学問として受け付けられる訳が無いではありませんか。それから、こうした言語の起源を巡る検証不可能な素人論議は言語学者たちをイラつかせてきたという事実があります。たとえば、言語学の入門書である田中克彦『言語学とは何か』(岩波新書303、1993年)の導入部では、
  • 「一八六六年のこと、パリに創設された言語学協会は、言語の起源と普遍言語の創造の問題はとりあげないと決めている」
という話を紹介しています。こうした素人論議に引っ掻き回されやすく、実りの無い「言語起源論」について言語学は徹底的に避けてきたました。1920年から30年にソビエトの言語学がこれをとりあげて、無茶な図式化をやって失敗して以来、ますます言語起源論はいかがわしいものとして避けられてきたとしています。ソシュールに至っては、「歴史を考慮することは言語の研究の邪魔になる」とまで言ったそうです。スノッブな蓮実先生は「差異」がどうしたこうした書いていますが、そういうのを持ち出す以前の問題として、あれは学問的には「ヨタ話」なんです。もちろん、そんなことをあげつらっても仕方が無いと蓮実重彦は吉本を評価しました。(吉本はそんな蓮実を馬鹿扱いしますけど。)そのことは書いてよろしいでしょう。、
でも、学問的に見てヨタ話はヨタ話です。それは動きません。
で、私もぼちぼちWikibreakを取ろうかと思っていますので、この件については特に何かを書こうという気はありません。田川建三との「論争」について修正しておくくらいでしょうか。ただ、老婆心で山本山さんに書いておきたいのは、山本山さんが吉本の著作を読み込んで、そこで理解したことで書いていくのはもうお止めになったほうが良いということです。百科事典編集者として、もう少し記述対象について醒めた視点で見て、二次資料を中心にして書いたほうが良いと思います。たとえば、
http://anond.hatelabo.jp/20090103034023
にあるような証言を山本山さんは冷静に受け取れないのではないでしょうか。もちろん、これは匿名での証言ですから(フーコー・吉本対談に立ち会った編集者ですから、調査すれば特定は可能でしょうけれども)、これは使えませんし、どこまで信頼できるかという問題は残ります。ただ、翻訳を通して吉本の言葉のオーラが落とされてしまうと、吉本が書くことは「理解不能」だとフーコーをして言わしめたというのは落ち着いて考えてみて良い視点だと思います。--おーた 2009年2月1日 (日) 13:18 (UTC)
おーたさんへ、返答ありがとうございます。 きちんと、第三者の評価の「出典」を挙げましたのに、その事に触れられず残念に思っております。 おーたさんの上の記述は、「Wikipedia:中立的な観点」を誤解されているのではないかと思っています。 このページは、「言語論」のページではありません。 さらに、「ただ、遠い祖先の誰かが青い海を見て「う」と発話したところに語源を求めるのは、学問的には「ただのヨタ話」であることは間違いありません。」の根拠が示されていません。 それが学術的に本当だとしても、「出典」がなければWikipediaでは記述することは出来ません。 Wikipediaは事実であっても検証が出来なければ、記載は出来ません(「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)。 「言語にとって美とはなにか」もしくは、「それを批評した文献」を読まれましたでしょうか? おーたさんの記述は明らかに「独自研究」ではないでしょうか? 私自身は、醒めた視点で書いていますが、どこかに「中立性」を欠く記述がありましたでしょうか? 
たった今、小熊の「民主と愛国」の第14章を読み終わったところですが、なにも1次文献だけを参考にし続けるつもりはありません。 ただ、残念ながら、この「民主と愛国」も含めて、吉本の「主著」についての正確な理解を踏まえた上で書かれた2次文献に、あまり触れてたことがないので、書いていないだけです。 さらに、「民主と愛国」を読んで分かったのですが、私が編集する前に書かれた内容は、ほぼこの本からの引用であることを知りました。 先の編集者は、引用先を吉本の全集からとしていますが、正確には「民主と愛国」からの引用とすべきでしょう。 この編集のやり方は、偏りがないでしょうか? そして、おーたさんが、血眼になって吉本を批判する「出典」を探している姿を知り、残念に思っています。
私自身も、フーコーの話[1]は以前聞いたことがありますし、吉本に対する批判は、数多く見たり聞いたりしてきました。 もし、信頼のおける「出典」があれば、進んで載せるべきだと思っています。(しかし社交辞令でもフーコーから「往復書簡をしたい」と声を掛け、編集者が敢えて真に受け、編集者から吉本に長文の手紙を頼み、それに吉本がキチンと応じているのに、(吉本の文章は)「頭悪い」「意味不明で、返事不能」っていうのは、人として余りにも失礼じゃないですか? そして匿名のしかも「とのことだった」と伝聞の話を記述しているのは、この編集者は卑怯極まりないと思うのは私だけでしょうか? もし、この話が本当だとすれば、吉本を批判したい人は山の様にいるはずですから、必ずどこかの書籍に載っているはずです。 で、「出典」があれば、キチンと記述すべきでしょう。)
そして、私は、吉本の著書については、数年前に熱心に追いかけるのをやめています。 ですので、別に吉本自身がどうクサされようが、批判されようが、知ったことではありません。 ただ、余りにも彼の著書に対する読みの浅さが多いので、せめて基本の話くらいは書く意義があると思い、記述しています。(田川さんの著書は、今目の前にありますが、まだ読んでいません。 なので、この批判は田川さんの著書については当てはまりません。 もちろん、時間を作って読むつもりだからこそ、手に入れました。)
「民主と愛国」14章については、(こう書くと益々怒らせることになりそうですが…)結論はすごく分かるのですが、間の吉本の引用がほとんど小熊氏の考えに引き寄せられて解釈されていますので、とても冷静に書かれた記述とは思われませんでした。 そして、小熊氏は「吉本の思想内容」については興味がないようです。できれば、その事についての記述を読みたかった気がしています(別にクソミソでもかまいません)。 ただ、まだ全章全てを読んでいないので、細かい感想は言わない事にします。
実は、時間を作って、「共同幻想論」から読み直しています。 私自身は、吉本がこの本を書いた時から、今に通じる考えを提示していることに、改めて驚いています。 そして、小熊、田川氏の本も手に入れ、読み進めようと思っています。 だからと云う訳ではありませんが、
おーたさん、せめて吉本の主著くらいに当たる事は出来ませんか?
吉本自身は、伝聞で反論したり、読みもせず噂を立てたりすることを否定して来ました。 なので、もし、学術的に指摘されるのであれば、吉本の著書を読んでみてはいかがでしょうか?(もちろん、Wikipediaでは、そんなことは強制していませんが…。 もちろん学術的には強制されます。) 率直な感想は、おーたさんの記述は、残念至極です。 次第におーたさんへの印象が悪くなっていることに、悲しく思っています。 --山本山815 2009年2月1日 (日) 16:33 (UTC)
時間が無いので、簡単に。もちろん吉本の著作を読んだ上で、書いています。おーたは吉本の著作を読まないで、いろいろ書いているという印象操作のごとき山本山さんの文章を読んで大変に残念です。--おーた 2009年2月1日 (日) 22:16 (UTC)
ここで言う「吉本の著書」とは「主著」であり、「学術的な枠組みに準拠して」「ヨタ話」かどうかの話ですから、『言語にとって美とはなにか』や『ハイ・イメージ論』『母型論』などで触れられている、「吉本の芸術言語論」についての「著書」です。 おーたさんは、「著書」の部分や箇所や行を読んで、「学術的」に読んだと主張されていないでしょうか? もちろん私は「「学術的」に、全文/1冊読む」ことを求めています。 「学術的」と言うなら、「吉本の芸術言語論」をキチンと説明した上で、「これはヨタ話である」と証明されてはいかがでしょうか? (もちろん、「学術的」にとって必要とされる文献研究ですが、そんな「学術的」文献研究などWikipediaの記述には必要とされません「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」Wikipedia:中立的な観点)。 おーたさんが「百科事典というのは学術的な枠組みに準拠して編集されていることは理解していただきたい」と、おっしゃっているからそう書いただけです。) 私は、何回もおーたさんの文献に向かう真摯な態度にいつも敬意を示して来ました(1)(2)(3)。 それを、「おーたは吉本の著作を読まないで、いろいろ書いているという印象操作のごとき」と書くとは、はっきり言って失礼ではないでしょうか?--山本山815 2009年2月2日 (月) 00:17 (UTC) --追記山本山815 2009年2月2日 (月) 03:50 (UTC)
もちろんご存じでしょうが、Wikipediaでは「存命中の伝記」の記述について、「誰かが底意ある議題や偏っている観点を押しているように見えるなら/誰かが底意がある偏った記述を加えようとしているように見えるなら、信頼できる第三者によって公表された情報源を要求し、項目本人の著名性に関連が深いものであることを証明するよう求めてください。」(Wikipedia:存命人物の伝記)としています。 信頼される「出典」を示すことなく『生産性が全く無いバトルであろうことは間違いない』 『学問的には「ただのヨタ話」であることは間違いありません。どこかの学術誌に出したら、確実に査読で落とされる程度の思いつき論考です。』 『学問的にはナンセンスなことについてはナンセンスなんだということを書くのは当然ですよ。』 『でも、学問的に見てヨタ話はヨタ話です。それは動きません。』 などと記述され続けると、「底意がある偏った記述を加えようとしている」と思われても仕方がありません。 また、「出典」があっても、「項目本人の著名性に関連が深いものであることを証明」する必要があります(Wikipedia:存命人物の伝記)。 もちろん、批判を書くなとは、私は1回も書いていません。 どうかおーたさんが、冷静な態度に戻られることを願っております。--山本山815 2009年2月2日 (月) 03:50 (UTC)

ちょっとお邪魔します。上でおーたさんがリンクしているはてなダイアリーの件ですが、これはおそらく安原顯の『「編集者」の仕事』 ISBN 978-4838710737 という著作に書かれているものだと思います。私はこの本は読んだことはないのですが、この本についての書評でこのエピソードについて紹介しているものを読んだ記憶があります。ですからはてなに書き込みした人物はおそらく編集者でも何でもなくて、この本の内容の一部を転載したのだと思います。もしこの本を図書館などで閲覧できるようでしたら確認してみて下さい。ただしかなりあやふやな記憶を頼りに書いていますのでもしかすると間違っているかも知れませんが、その際はどうぞご容赦下さい。
私自身は信者でもアンチでもありませんのでこの項目の編集には関わるつもりはないのですが、たまたま見てちょっと気になってしまったのでお知らせしておきます。--sergei 2009年2月9日 (月) 15:24 (UTC)

全面改訂

自分でやったほうが早いと思い、全面改訂しました。その理由は読んでいただければ分かると思います。私としてはよりよい方向に向かったと信じています。--118.11.92.235 2009年2月3日 (火) 19:49 (UTC)
118.11.92.235さんへ。普通に吉本隆明を読めば、118.11.92.235さんの様な記述になると思われます。
ただ、小熊氏が『民主と愛国』14章で書いた、1.吉本の兵役逃れ 2.吉本の安保での逃走 については、その記述と反論は残しておかないと、無用な編集合戦を引き起こすと思われました。
あと、Wikipediaでは、「その資料を引き写すのではなく、あなたが十分その内容を理解し、咀嚼し、百科事典にふさわしいあなた自身の表現で執筆することが求められます。」(Wikipedia:引用のガイドライン/草案)とあります。記述が硬い部分もみられるので、合わせて訂正して下さると幸いです。 あと、「Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす(やり方→Help:ページの編集)」ともありますので、参考にして下さればと思っています。(もちろん、私も出来ていないのですが…)
小熊の考え方と記述の偏りは、『民主と愛国』から徐々に分かってきましたので、後に書く予定です。(編集にとっても重要なため) 118.11.92.235さんの記述の方向性と内容の確かさは、個人的には全面的に賛同したいところです。--山本山815 2009年2月4日 (水) 03:34 (UTC)--追記山本山815 2009年2月4日 (水) 03:56 (UTC)
反動的な編集を避けるため、大言壮語(Wikipedia:大言壮語をしない)と取られかねない記述を直しました。 また、詳しすぎる記述(主に吉本本人の記述から離れるもの)は読みにくいため、脚注にしました。 問題ないと思うのですが、中立性から離れていれば、報告下さい。 --山本山815 2009年2月4日 (水) 07:55 (UTC)
山本山さんの指摘を踏まえ、さらに改定してみました。どうでしょうか。--118.11.92.235 2009年2月7日 (土) 16:53 (UTC)
指摘した内容が再構成されていれば、問題ないように思います。 あと、これは好みなのですが、脚注のスクロールはない方が良いと思うのですがどうでしょうか?(確かに長くなっていますが、脚注にはリンクで飛び、また最後の方にあるため、スクロールである必要はないように思われます。) 合意できれば、スクロールはなしにしたいのですが、いかがでしょうか?--山本山815 2009年2月7日 (土) 17:22 (UTC)
スクロールなしでいいんじゃないでしょうか。--118.11.92.235 2009年2月7日 (土) 17:27 (UTC)