ノート:吉丸慶雪
「意見が分かれている」ではなく真っ向から否定されてますよね?木村・高橋師範だけでなく、亡くなった佐川師範も合気がわかったという発言に激怒されていたそうです。--Hakugei 2010年11月4日 (木) 09:58 (UTC)
佐川道場では十元か九元でないと師範代理にはなれなかったと思いますが、この方は八元。つまり、佐川派の師範ではなく、山本派ですよね。佐藤金兵衛氏から大東流の免状を受けたということは、山本派の師範であるはず。なのになぜ、佐川派の師範であるかのような発言ばかりするのでしょうか?--Hakugei 2010年11月6日 (土) 00:52 (UTC)
一度佐川門から離門して東中野で道場を開設されたのに、何故、その後まもなく閉鎖されたのでしょうか?丁度この頃、堀辺氏に合気を教わったと発言していますし、それなら堀辺氏の弟子なのでしょうね。--Hakugei 2010年11月7日 (日) 02:44 (UTC)
まずMiyaさん、お手数かけてスミマセンでした。
Hakugeiさん、「真っ向から否定」は、どなたがしているのですか? またそれは他でもなく、「意見が分かれている」という状況じゃないでしょうか。
>佐川師範も合気がわかったという発言に激怒されていた
これのソースはありますか。会議に必要な情報なので、出来ればご提示頂きたいと思います。
>佐川派の師範であるかのような発言をする
記事にはそのような内容は組み込まれていません。記事作りのための会議に、あまり必要性の感じられない内容です。--殿岡 2010年11月7日 (日) 14:15 (UTC)
>「真っ向から否定」は、どなたがしているのですか? 木村・高橋両師範が自書でされてますし、木村師範は吉丸氏に手紙で抗議されてますよね。これが意見が分かれているという状況でしょうか?それとも木村師範や他師範が自身の意見との相違を容認しているなら分かれているとも言えますが、その様子は全くありませんね。
>佐川師範も合気がわかったという発言に激怒されていた 木村師範がそう語っていますね。錬体会のHPにも書いているのにとぼけるんですか?それに吉丸氏と錬体会が自分で佐川氏の合気が解ったと言ってるだけで、佐川師範は全く認めていない。その証拠に師範代理は許されていませんよね?
>佐川派の師範であるかのような発言をする 必要かどうかの判断はあなたがすることではありません。miyaさんが言ってるように「第三者が客観的に見て、どちらがウィキペディアの方針ーWikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性などーに沿っているか、判断の助けになればよいのです。」ということのほうが大事なのです。 それともその事実になにか不都合なことでもあるのですか!?山本派ならば、免状を発行してくれた師範に対して敬意を払うべきではないのですか?なぜ自分の師範をないがしろにして、他所の師範の看板を掲げるのですか?--Hakugei 2010年11月8日 (月) 12:48 (UTC)
保護を解除し、真実を自ら書き換えるのであれば、自分もこれ以上の議論?をするつもりはありません。それとここでは誤魔化しや話題逸らし、自演行為は通用しませんよ。--Hakugei 2010年11月8日 (月) 12:58 (UTC)
Hakugeiさん、木村氏高橋氏の唱える合気の理論が、正しいと証明されない以上、それは「弟子の間でも意見が分かれている」という状況を、超えるものではないのです。
>木村氏がそう語っている。錬体会のHPにも書いてある
これは言質をとるため、あえて質問しました。錬体会のHPに転載されている、木村氏の手紙の事ですね。
それならば「木村氏の発言」になります。吉丸氏と意見が分かれている、という状況を、超えるものではありません。
「木村氏の言葉イコール佐川氏の言葉であり、木村氏の言う事は絶対に正しい」
これが証明されれば、意見が分かれているという事にはならず、吉丸氏(を含め木村氏の批判する方たち皆)一方的に間違っている、という事になります。
しかし木村氏は、少なくとも一度「創作」をやっておいでです。吉丸氏が「すぐ申し込めば割引」という文言の入ったビラを作った、という記述についてです。ビラの現物が、HPに載せられました。
http://homepage2.nifty.com/aiki-rentai/AIKIDOUJYOU-TIRASI21.jpg
この一事実からも、「木村氏が絶対に正しい」とするのは、不用意な事と思われます。「意見が分かれている」に留めておくのが、無難でしょう。
>必要かどうかの判断はあなたがすることではありません
いや、「佐川派の師範であるかのような発言」自体が、Wikipediaの記事に見当たらないのですが・・・
そういう意味で、師範発言うんぬんはここ(ノート)で検討する必要がないのでは、と申し上げたのです。--殿岡 2010年11月9日 (火) 09:18 (UTC)
ビラの内容が違うだけで「意見が分かれている」という見解になるという理屈が全く理解できません。他の弟子の方は全く認めていないという事実には何も変わりがないじゃないですか!?ビラが違うからといって、木村師範が吉丸氏の理論を認めていない事実には、なんら変わりは無いでしょう。それとも他の師範に吉丸氏の理論を相違を認め、容認している方がいるのですか?それに錬体会の出したチラシというのも1回だけなのですか?違う文面で数回出したことがあるのではないですか?これについてこれ以上は推定になるから言いませんが、論点のすり替えは困りますね。少なくともお互いの相違を認めつつ容認している状態でなければ、「意見が分かれている」という状態とは言い難いですね。
古来から日本の武道では自らの流派の証明のために、正式な弟子には免状を授与し、正統な教えを守ってきました。つまり、免状の無い人間がその流派の事を語っても、まるで信用されないのです。というより言う資格がないのです。そういう観点から師範うんぬんの話は大変重要な要素です。検討する必要は十分あります。--Hakugei 2010年11月9日 (火) 10:22 (UTC)
もっとはっきり言えば、佐川師範の師範代理免状の無い人に、佐川師範伝来の大東流を教授しているなどと言う資格は無いし、同列に扱う事すらあり得ないことです。そんなことが出来るのであれば、世の中に宮本武蔵や伊東一刀斎の弟子が溢れかえるでしょうね。従って木村師範や他の師範が完全に否定されている限り、「意見が別れている」という表現は適切ではありません。--Hakugei 2010年11月9日 (火) 16:10 (UTC)
Hakugeiさん、「互いの相違を認めつつ容認している状態」とは、具体的にはどのような状態でしょうか? 少し意味がわかりにくいので、会議の混乱を避けるためにも、ご説明いただけると有難いです。--殿岡 2010年11月9日 (火) 17:14 (UTC)
大東流や合気に対して、技法や指導法などに多少の違いはあっても、力量や根本的な技法はお互いに認め合っている状態です。つまり、①「弛緩力」自体が佐川道場の師範に否定されている②指導法や力量に大きな違いがあり、それがお互いに受け入れられていない③師範資格の無い人間が、その流派を勝手に名乗っている、という状態では「互いの相違を認めつつ容認している状態」とは言えないでしょうね。
これら3点が全て整っているというのなら、自分も「互いの相違を認めつつ容認している状態」であると認め、「意見が分かれている」という表現が合っている思いますが、それができないのならば、直ちに修正するのがウィキペディアの閲覧者に対する誠意でしょうね。--Hakugei 2010年11月10日 (水) 09:31 (UTC)
Hakugeiさん、「力量や根本的な技法はお互いに認め合っている状態」とは、具体的にはどのような状態でしょうか?
なお①は「意見が分かれている」を超えるものではなく、②の前半部は根拠がなく、③は今Wikipediaに書かれていないので、もう一度会議の流れを読み直して、お願いします。--殿岡 2010年11月10日 (水) 09:42 (UTC)
それで仮に木村師範がビラと違う事を言ったとして、吉丸氏を否定している事実にはなんら変わりが無いということに対する反論がないということは、認めたと解釈してよろしいのでしょうか?対話で解決すると言いながら、都合の悪い話題になると話を逸らそうとするのは相変わらずですね。 それから自分は3つの箇条書きで既に具体的に示しました。それで解らないという前に、もう一度読み返してください。これ以上対話になりようがない場合はmiyaさんの判断を仰ぐことになります。ここの管理はCUの方が行っています。他の掲示板のように自演や話題を逸らして誤魔化したり、理解不能な返答をこれ以上続けるようなら対話する気が無いとみなし、あとはCUの方の判断に任せる次第です。--Hakugei 2010年11月10日 (水) 11:47 (UTC)
それから今のような返答ばかりしていると、無期限停止の「顔の無い人」であることが、ベテランCUにばれますよ。--Hakugei 2010年11月10日 (水) 11:55 (UTC)
Hakugeiさん、まずは「認め合っている状態」というのをハッキリさせたく、質問させて頂いた次第です。けして「都合の悪い話だから答えたくなかった」というわけではありません。
質問したものの、「認め合っている状態」というのが、どうもハッキリしませんでした。
「正しいという根拠のない、なおかつ創作までやった事のある(可能性のある)方が、一方を一方的に批判している」
これは「意見が分かれている」という状態に他ならないと思うのですが。
否定していれば「意見が分かれている」とは違う、という論理が、よく分かりません。(説明されていません)
互いに異なる意見を主張しているのを、意見が分かれていると、言うのでは・・?
「認め合っている状態」というのがハッキリ定義出来なければ、「意見が分かれている」と表現するのが、とりあえず不用意じゃないものと、思われます。--殿岡 2010年11月10日 (水) 23:42 (UTC)
「それなら佐川道場の師範や故佐川師範には完全に否定されている」と表記すべきでしょうね。そのほうが適切ですね。--Hakugei 2010年11月11日 (木) 09:19 (UTC)
それは辞書に不適切な表現かと思われます。また「否定している側が正しい」という根拠が無いので(佐川氏の発言は現師範の創作である可能性もあります)、矢張り「意見が分かれている」という状況を、超えるものではありません。--殿岡 2010年11月11日 (木) 09:34 (UTC)
つまり、木村・高橋両師範や佐川師範が完全に否定しているという事実に頬かむりし通すつもりなんですね。師範代理免状がないのが佐川 師範が認めていない明らかな証拠なのに、まるで佐川道場の人が認めているかのような、「意見が分かれている」という表現を押し通すと いうなら、もはや対話は不成立ですね。決裂したものとしてmiyaさんに報告させていただきます。この件に関しては終了です。これ以上閲 覧者騙される事の無いよう、心から願うばかりです。--Hakugei 2010年11月12日 (金) 10:20 (UTC)
Hakugeiさん、「佐川氏が認めていない」という事ですが、佐川氏はもう亡くなられているので、「今の」吉丸氏の理論を、認めたり認めなかったり、師範代理免状を発行したりするのは、出来ないと思いますよ。
木村氏、高橋氏については、木村氏は吉丸氏へ抗議の手紙を送ったり、高橋氏は吉丸氏と裁判中らしいです。それらの現状からも、どちらが正しいとかを決めつけるのは、不用意かと思われます。
「意見が分かれている」と表現するのに、留めたほうが良いと思います。
「まるで佐川道場の人が認めているような――― 」は、本来「意見が分かれている」という表現には、日本語の定義からして、必ずその意味が含まれるという事は、ないと思います。
「互いに認め合っている」
「意見が分かれている」
この二つは、まるで違う意味だと思います。Hakugeiさんのこれまでのご主張にも、この二つが同じだと出来る、理にかなった説明が、きちんとされていないと思います。
この二つが同じだと(定義)出来る、日本語の専門書なりを、まずはお互い探してみませんか。--殿岡 2010年11月12日 (金) 09:07 (UTC)
YAHOO辞書で調べてみました。(長いので省略はあるものの、大異はありません)
<意見>
1 ある問題に対する主張・考え。心に思うところ。
2 自分の思うところを述べて、人の過ちをいさめること。異見。
<分かれる>
1 一つが二つ以上になる。
2 差異を生じる。
一応「YAHOO辞書では」という譲歩をしますが、「意見が分かれる」という日本語に、「認め合う」という意味は、含まれないようです。--殿岡 2010年11月12日 (金) 09:19 (UTC)
2010年11月20日 (土) 00:46 海獺 (トーク | 投稿記録) 殿岡 (トーク | 投稿記録) を無期限ブロックしました。ブロックの詳細(アカウント作成のブロック) (sockpuppet: 利用者:らむちゃんのブロック逃れの疑い)
事実
[編集]佐川道場の段位は [佐川道場の段位制度] 初伝(初段) 目録(二段) 中伝(三段) 助士:上伝(準四段) 助教授:奥伝(四段) 代理教授:準免許(準五段) 教授:免許(五段) 正教授:奥免許(六段) 教範:皆伝(七段) 正教範:総伝(八段) 師範:極伝(九段) 正師範:允可(十段)
吉丸氏は奥伝四段 第八元だから師範ではない。佐川師範の生前に師範は許されていない。おそらく離門後に東中野で佐川師範の名前を出して道場を開設してすぐ閉鎖したのも、佐川師範からのクレームが入ったのであろう。弛緩力という佐川師範とかけ離れた理論と、合気を堀辺氏に習ったという発言に、佐川師範は激怒していたらしい。 佐川師範に道場の許可を貰えなかったために、佐藤金兵衛師範に入門し山本派の免状を頂き道場を開設、現在に至る。--Hakugei 2010年11月22日 (月) 09:28 (UTC)
- ええとですね。それを、道場に関係しない第三者が知るためにはどうしたらいいですか? 書籍や雑誌記事があるようでしたら、その書名/誌名、著者名、出版社、雑誌ならば巻号(何年何月号)などを教えてもらえますでしょうか。--Ks aka 98 2010年11月26日 (金) 09:22 (UTC)
高橋 賢氏の「大東流合気の真実」や木村 達雄氏の「合気習得の道」・錬体会HP・合気ニュース(巻号は不明)などをご覧になってください。それ以外の関係者の情報は何とも証明しようがない。自分が見たり聞いたりした事としかいえません。--Hakugei 2010年11月26日 (金) 10:22 (UTC)
他にも直木賞作家の津本陽氏が佐川師範をモデルにした「孤塁の名人」もあります。佐川師範は過去には朝日新聞にも取り上げられていたようですが、いつ頃なのかは不明です。--Hakugei 2010年11月28日 (日) 07:41 (UTC)
合気ニュースは以前と変わってしまってるようですね。合気道・大東流関連から離れてしまってるような・・・。ご注意ください。--Hakugei 2010年12月11日 (土) 07:00 (UTC)
本書は、換骨拳第四十世宗家堀辺一夢先生の換骨拳総本部における御講話 御教示を基として、換骨拳についての概略を述べたものである。
特に第三章には、体術の根本問題である「体の崩し」についての御講話をそのまま記載したが、これは今から体術をはじめようとする人にも、 また長年の体術修行者にとっても、将来の指針を定めるのに非常に参考となるものと考える。 また筆者は、大東流を長年修行しながら遂に合気の術を会得することができなかったのであるが、堀辺一夢宗家に換骨拳の「借力の術理」を 御教授頂くことによって、一夜にしてそれを体得することができたのである。 その合気の術の秘話、即ち換骨拳「借力の術理」は、宗家のお許しを頂き本書においてその秘伝を公開させて頂いたが、この宗家のご決断によって 今まで神秘に包まれ一部の者に独占されていた合気の術が、何人にも修得可能な「技術」としてここに明らかにされたわけである。 なお、換骨拳の修行を志す人のために、巻末に換骨拳活殺講習要項を添えた。 昭和五十三年三月 吉丸貞雄 --Hakugei(会話) 2012年7月6日 (金) 01:10 (UTC)
技
[編集]動画も配信しているが、佐川師範の技とはあまりにかけ離れている。おそらく写真だけしか見てないからだろうが、投げられ役が倒れる位置は似ているが、明らかに自分から尻もちを着いている。投げの軌道もまるで違う。高速カメラでないとぶれる佐川師範の技と比べても、投げるスピードは遅すぎる。少なくとも佐川師範の技とは全く違う。吉丸氏が佐川師範に師範免状を受けているわけではなく、吉丸氏以外は直接指導を受けていないし、その門弟は佐川師範の技を見たことも無いのだから技比べる事なんて出来ないのだが、執拗に佐川師範に固執し、佐川師範の技を受け継いでいるなどの言動が多いのは不可解である--Hakugei 2010年11月22日 (月) 20:29 (UTC)
正確な出典明記のお願い
[編集]誠に申し訳ありませんが、正確な出典明記のない部分、および引用ルール違反と思われる個所を除去しました。当該ページは「存命人物の伝記」です。個人の名誉や評価に関する記述については細心の注意と正確な出典明記が厳しく求められます。編集に際しては「Wikipedia:存命人物の伝記」「Wikipedia:引用のガイドライン」「Wikipedia:出典を明記する」の関連ページを熟読されるようお願いします。なお出典明記に当たっては、単に書名を上げるだけでなく、是非ともページ番号および当該記述の客観的な根拠となる部分の引用(ルールに則った)を併せてお願いいたします。--Musounoken 2011年9月18日 (日) 11:58 (UTC)
ページ番号の記載は必須ではないはずです。出典さえ確かなら除去の対象にはなりません。Musounokenさんのお願いは、ガイドラインと 違っていると思われます。ただ、出典の『換骨拳入門―大東流合気術の源流』を記載し忘れたのはこちらの不備であることは認めます。--Hakugei 2011年9月23日 (金) 00:23 (UTC)
記述の公平性・中立性に特に問題がなければページ番号の記載は必須ではないでしょう。しかし出典明記のガイドラインにはこうあります。
> 2.必要があれば(----頁より引用)とページ数も記す。
記述の公平性・中立性に疑問がある場合、また出典情報に曖昧な点がある場合は詳しい検証が求められます。「出典さえ確かなら」と仰るのであれば、まず先にHakugeiさんからそれを証明して頂かなくてはなりません。更に存命人物に関する記述では、その要求は一層厳しくなります。公式の方針として「存命中の人物に関する否定的な情報で出典の無い、あるいは貧弱なソース(情報源)しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです」と明記されています。以上の点をよくご理解いただき編集作業に当たられるよう御願いいたします。--Musounoken 2011年9月23日 (金) 04:06 (UTC)