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ノート:古川俊平

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出典の候補

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ひとまず出典の候補を挙げました。

  1. 長崎大学薬学部 長崎薬学史の研究 第二章近代薬学の導入期 2.化学者としての上野彦馬
  2. 長崎県文化振興課 旅する長崎学(たびなが) 【第53回】 拝啓、彦馬先生。ピンホールカメラ撮影に挑戦します!
  3. 長崎観光お客様ネット事業実施委員会 長崎市観光・宿泊ガイド『あっ! とながさき』 幕末を生きた人々 上野彦馬(1838~1904)

特に一番目と二番目はページ末に出典が記載されており、書籍にてより深く内容を探るためには有益かと思いました。そこまでしなくても、これらの記事で充分に適切な記事内容へと仕上げることはできるかもしれません。--Isamit会話2012年3月17日 (土) 15:26 (UTC)[返信]

出典を含むいくつかの文献

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本項目「古川俊平」について興味深く読ませていただきました。日本の写真史を知る上で貴重な記事になると思います。

さて、少々疑問に思うところがいくつかありましたので、割と早く片付きやすそうな部分に「要検証」をつけさせていただきました。

該当部分について(取りあえず、文献[5]は該当ページを示しておきました)おそらく福岡藩士アメリカ留学生の写真だと思いますが、そうであれば1857年はおかしいし、実際、文献[5]にもそうは書いていない。(撮影が慶応三年六月十七日とあるから1867年。また古川俊平34歳の時との記述も。つじつまは合う)

この文章全体の時系列が少しばかりおかしい気がしています。おそらく複数の文献に当たったのでしょうが、どれかの記述が間違ったあるいは不確実なものかもしれません。

資料が少ないでしょうし、情報も間接的にしか得られないでしょうから苦労はすると思いますが、もう一度時間をかけて文献の検証を行い、良い記事にしていただけたらと思います。

すでに参照済かもしれませんし、役に立つかわかりませんが、次の文献などもいくらかヒントになると思います。

栗園 「本邦写真家列伝(其六)古川俊平氏」写真新報 154 (1911),p1-6  おそらく現在ある多くの文献はこの記事を元にしている。また次号に晩年の古川俊平本人の写真。

伊東尾四郎 「藤野良泰と古川俊平」筑紫史談 27(1922),p42-44  黒田長溥から器材を譲り受けた際のいきさつ他 没年月日。

--133.44.1.221 2012年4月1日 (日) 13:56 (UTC)[返信]