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ノート:古史古伝

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古史・異録の分類について

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『日本超古代秘史資料』が著された1976年は市浦村版『東日流外三郡誌』が出た直後であり、和田喜八郎自身、『東日流外三郡誌』以外の「古文書」を所蔵しているなどと主張していなかった頃です。当時の実情に合わせ、本文を訂正しました。また、「和田家文書」は曖昧さ回避のためのページであり、今のところリンクするためにわざわざ文を記す意味はありません。--原田実 2010年5月5日 (水) 21:21 (UTC)[返信]

「古史」と「異録」の違いについて、「異録」というのは地方志や霊言など、「古伝」にも「古史」に含めがたい文献を扱うために吾郷清彦が作ったジャンルです。現時点では、吾郷の判断に異論がある人も多いでしょうが、ここで論じられているのは「吾郷清彦による分類」なわけですから、一応は吾郷の判断に従うべきでしょう。--原田実 2010年5月21日 (金) 00:58 (UTC)[返信]

日野智貴様。吾郷分類では「古史」「古伝」ともそれぞれ4書のみ。重ねて言いますが、吾郷分類で「異録」とされたものは「古史」に含まれることはありません。また、それは文献の成立年代とは関係ありません(文献自体の主張する年代にしろ実際の年代にしろ)。

吾郷分類について解説している文章に独自の分類基準を紛れ込ませるのは謹んでください。あるいは、それが独自の分類基準でないというのであれば吾郷の著書・論文の中から「異録四書」が「古史」(「古史古伝」ではなく)に含まれると明記した個所を出典として提示して下さい。

また、吾郷分類で「異録」に含まれているものであえて日野様が「古史」と呼びたいものがあるなら、それはこの項目を修正するのではなく、その文献に言及した項目で、ここでいう「古史」は吾郷分類と異なる一般名詞だとでもいった注記をつけるべきでしょう。--原田実 2010年5月21日 (金) 08:35 (UTC)[返信]

「但馬故事記」は、それ自体が主張する成立年代は平安時代です(実際の成立年代は違うでしょうが吾郷氏はテキストが主張する年代をそのまま受け入れるという立場でした)。ですから「異録四書」が「古史」扱いされないのは別に成立年代がどうこうという問題ではありません。そもそも「異録四書」が「古史」に含まれるはずだという考え方は日野智貴様の脳裏にあるだけで最初から存在しないのです。だから、吾郷氏が反対したというのも誤り。最初から存在しない議題に賛成も反対もありません。--原田実 2010年5月23日 (日) 06:38 (UTC)[返信]

追記。これが「吾郷は「異録」という分類を行ったが、これらはむしろ「古史」に含まれるべきであろう」という書き方なら、私もここまで文句はいいません(実際、すでにうんざりしています)。貴方が「「古史」に含まれることがある」「吾郷は反対していた」などと明らかに事実に反することを書いて自分の思い込みを正当化しようとしているからくりかえし注意しているのです。--原田実 2010年5月23日 (日) 07:03 (UTC)[返信]

「これが「吾郷は「異録」という分類を行ったが、これらはむしろ「古史」に含まれるべきであろう」という書き方なら、私もここまで文句はいいません」と言いますが、私の編集のほうが客観的です。
『続・東方の史料批判』で古史と分類されているのと、神代文字が使われていなければ「古史」です。--日野智貴 2010年5月24日 (月) 00:51 (UTC)[返信]

日野智貴様。改訂された本文、拝見しました。これなら私も問題ないと思います。では、とりあえずこの案件は解決ということですね。お疲れ様でした。--原田実 2010年5月24日 (月) 02:41 (UTC)[返信]

解決されたのでセクションを立てました。短時間の連続編集については編集合戦と疑われる行為でもあり、利用者に対して申し訳ありませんでした。(なお、これは編集合戦ではありません)--日野智貴 2010年5月28日 (金) 03:57 (UTC)[返信]


学界で相手にされず、一般にあまり知られていない文献について「吾郷清彦が学会や一般と違う名称を使用する」ことをあげつらうことに意味があるのか疑問ですし、「前述の通り」もまったく意味をなしていません。とりあえず本日の加筆分についてはまるまる削除いたします。それから「短時間の連続編集」が「編集合戦」かどうかは本人らが判断すべき問題ではありませんよ。--原田実 2010年5月28日 (金) 05:44 (UTC)[返信]

ところで28日付加筆分で、余計な感想とかこの項目内で意味をなさない記述を省いての事実関係の指摘と言えば、現在では『東日流外三郡誌』以外の「和田家文書」もある、ということだけですよね。ならば、そのことだけ書けばいいのではないでしょうか。--原田実 2010年5月29日 (土) 02:38 (UTC)[返信]


「特定の文書は真書であるとする立場」について

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たとえば『富士宮下文書』に対して渡辺長義氏が、『竹内文書』に対して山本根菜氏が、和田家文書(『東日流外三郡誌』等)に対して古田武彦氏が、ヲシデ文献に対して池田満氏が示している態度のことでしょうね。私としては、この項目で彼らの存在に具体的に言及する必要があるかどうか、疑わしいとは思いますが。--原田実 2010年7月4日 (日) 01:34 (UTC)[返信]

追記します。個々の古史古伝について、信者がいるのは自明のことだから、わざわざ「特定の文書は真書であるとする立場」云々について一文をさいて言及する必要はないように思われる次第です。--原田実 2010年7月4日 (日) 01:40 (UTC)[返信]

大伴文書・安倍文書について

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114.48.164.235 様、この2つの文書の実在が確認されているとのことですが、それに関する典拠の提示をよろしくお願いします。--原田実 2010年8月28日 (土) 00:26 (UTC)[返信]

私は素人ですが、インターネット上では安部清明関連でよく出ています。(114.48.164.235 に代わって)--112.70.33.212 2010年12月11日 (土) 07:31 (UTC)[返信]

「大伴文書」「安部文書」について調べておきました。すでに本文にupしています。なお、「アベ文書」の「アベ」は「安倍」ではなく「安部」ですね。その文献を持っていたのは、安倍仲麻呂の末裔にして山岡鉄舟の高弟だと自称した昭和期のフィクサー・安部正人という人物でした。--原田実 2010年12月24日 (金) 07:39 (UTC)[返信]

記事中の「三浦一郎」と「鈴木貞一」について

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記事の中に出て来る三浦一郎鈴木貞一ですが、さすがにリンク先の上智大学名誉教授(西洋史)とか陸軍中将・元企画院総裁とかが古史古伝にかかわってるわけではないと思うのですがね。同姓同名の可能性が高そうな名前でもあり、資料をお持ちの方の加筆を期待します。--弁五郎会話2023年4月9日 (日) 12:39 (UTC)[返信]