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ノート:古典派経済学

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三階級論について

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大和屋敷さんの修正(2018年4月3日 (火) 10:43の版)により、古典派経済学は「経済の構成単位を三分類(三大階級)にモデル化することで数理的に把握することを特徴とする」、という記述が追加されました。その根拠は何でしょうか。数理的に把握、というのは何を意味しているのでしょうか。スミスやリカードの著書には数式は出てこないので、意味が分かりません。

「三大階級」の注として追加された「この分類についてはケネーは経済の構成単位を農民・地主・商工業者と把握し、マルサスやリカードらは資本家・労働者・地主とした。マルクスはこれをブルジョアとプロレタリアートの二大階級ととらえ、ケインズは労働者・企業家・金利取得者の3階級で把握しそれぞれの学理を構成している」という記述も意味が分かりません。ケネーやケインズは古典派ではありませんし、マルクスの『資本論』は資本家・労働者・地主という三階級が登場する点ではリカードやマルサスと同じです。--Kazhik会話2018年4月3日 (火) 10:34 (UTC)[返信]

  • 出典補筆しました。正確性にもとると判断された箇所の記載は修正してください。本来は「三大階級」という独立記事を執筆すればよいのですが顔が汚れて元気がでない・・・--大和屋敷会話) 2018年4月3日 (火) 14:24 (UTC)なお「数理」は計数化して把握することであり文字で記述されていることを排除するものではありません。より適切な表現があれば置き換えてください。--大和屋敷会話2018年4月3日 (火) 14:38 (UTC)[返信]
私の質問が分かりにくかったでしょうか。出典が明記されても疑問は解消しません。(1) 古典派経済学は「経済の構成単位を三分類(三大階級)にモデル化することで数理的に把握することを特徴とする」、という記述に注があり、そこにケネーやケインズも三大階級論だと書かれていたら、ケネーやケインズも古典派に分類されるという意味にしか受け取れません。マルクスは二大階級論だと書かれていたら、マルクスは古典派ではないという意味になります。そういう意図ではないのであれば、紛らわしいだけなので削除してほしいです。繰り返しになりますがマルクスの『資本論』は三大階級論です。マルクスの経済学について語る場合、普通は『共産党宣言』ではなく『資本論』を参照します。(2) 「数理的に把握」と書かれていたら普通は数理経済学をイメージすると思います。古典派経済学と数理経済学の関連を示したいのでなければ、その表現は使うべきではありません。--Kazhik会話2018年4月3日 (火) 21:45 (UTC)[返信]
  • それは文脈の取り違えではないでしょうか。親記述「(古典派経済学は)経済の構成単位を三分類(三大階級[2])にモデル化することで数理的に把握することを特徴とする。」とありその脚注として「(三大階級という)この分類についてはケネーは経済の構成単位を農民・地主・商工業者と把握し、マルサスやリカードらは資本家・労働者・地主とした。マルクスはこれをブルジョアとプロレタリアートの二大階級ととらえ、ケインズは労働者・企業家・金利取得者の3階級で把握しそれぞれの学理を構成している。」と執筆してあると考えます。マルクスについてはご指摘につき参照先を再検討致します。数理は「計数」ではどうでしょうか。数理経済学に直結するのはさすがに読者個々人の語に対する印象論の部類であり語の響き方の問題だと考えますがご指摘にはナルホドと感じるところもあります。--大和屋敷会話2018年4月4日 (水) 05:28 (UTC)[返信]
依然として私の指摘が理解されていないように感じます。(1) 古典派経済学の特徴は三大階級論だ、という文に付ける脚注は、そのことの説明になっていなければなりません。なぜ古典派ではないケネーやケインズに言及する必要があるのでしょうか。(2) マルクスについての私の指摘に対応して、問題の箇所は「マルサスやリカードらは資本家・労働者・地主とした。マルクスはこれを賃金労働者、資本家、土地所有者の三大階級ととらえ」と修正されました。「労働者」と「賃金労働者」、「地主」と「土地所有者」は違う概念なのでしょうか。結局のところマルクスは古典派だと言いたいのですか、それとも古典派ではないと言いたいのですか。(3) 「数理的に把握」が「計数的に把握」になっても意味が分からないことに変わりはありません。なぜそれが古典派経済学の特徴と言えるのでしょうか。(4) いずれにせよ、これまでのやりとりからは、追加された記述はすべて大和屋敷さん自身の私的な見解だと判断できます。私的な見解を書くのがWikipediaの方針に反することはご存知ですよね。削除して元に戻すべきだと思います。--Kazhik会話2018年4月4日 (水) 15:44 (UTC)[返信]
  • んー。とりあえず大和屋敷が編集責任者でもなんでもありませんので適宜修正頂ければ宜しいのではないでしょうか。大和屋敷は従前の記事が微妙だとおもったので修正しただけですので。--大和屋敷会話) 2018年4月4日 (水) 16:24 (UTC)この版[1]の状態ですと「三大階級」による把握が古典派経済学の顕著な特徴(「三階級論を理論的基調」)であるように読めてしまうのでそれを当方としては修正したかったというのが本丸です。単純差戻の場合は別の編集(ないし削除)を行う可能性をあらかじめご案内しておきます。--大和屋敷会話2018年4月4日 (水) 16:27 (UTC)[返信]
問題の箇所を削除しました。なお、ノートで議論が進行中なのに本文を修正するのは編集合戦を誘発する行為です。異議が出た時点で編集を中止してほしかったところです。--Kazhik会話2018年4月4日 (水) 22:20 (UTC)[返信]

ホランダー『古典派経済学』と虚偽出典

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出典とされているサミュエル・ホランダー、千賀重義、渡会勝義、服部正治訳『古典派経済学―スミス、リカードウ、ミル、マルクス』多賀出版、1991年6月 なんですが、原書は、Samuel Hollander, Classical Economics, Oxford: Blackwell, 1987, x + 485 です。原書には Smith, Ricardo, Mill, Marx との副題はありません。和訳本の第2頁 (頁番号はふっておらず、第3頁の一つ前の頁) に「副題は訳者がつけたものである。」とあります。その意図についてはわかりません。原書の 15 Classical Features in Marxian Economics (pp. 359-397) でマルクスの経済学の検証が為されています。和訳本では、第15章 マルクスの経済学の古典派的特徴 (452~500頁) が該当します。章題の通り、マルクス経済学の古典派的側面に言及されています。しかしながら、ホランダーがマルクスを古典派経済学に分類しているわけではありません。本記事の本文の「マルクスも古典派経済学者に分類されることがある」も、脚注の「スミス、リカードウ、J.S.ミルとともにマルクスを古典派の主要人物としている」も、同書に依拠していません。本記事において出典に頁番号がふられていないことからも、和訳本の副題だけを見て独自研究をしてしまったものと推察されます。当該箇所は虚偽出典による虚偽情報の掲載かつ独自研究の掲載となりますので、除去の対象となります。他の信頼できる情報源を使って裏打ちできるのならよいのですが、結構厳しそうですから、やはり除去するのがいいでしょう。ホランダーのマルクスへの関心は高いようでして、Samuel Hollander, The Economics of Karl Marx: Analysis and Application (Historical Perspectives on Modern Economics), Cambridge University Press, 2008, 552. というのも書いています。いずれにしても通説ではありませんので、本記事のリード部分でホランダーに言及するのは不適切です。ミクロ経済学さん、大和屋敷さん 、Kazhikさん、どうでしょうか?Takabeg会話2018年6月3日 (日) 12:14 (UTC)[返信]

労働価値説を採用している点でマルクスは古典派と同じですので、私自身、マルクスは古典派の枠内におさまっていると考えています。マルクスを古典派に含める説も探せば見つかると思います。しかしすぐには探し出せないので、現時点では該当箇所の削除に賛成するしかありません。なお、ホランダーが追加されたのは2014年10月18日 (土) 04:55時点における版で、追加したのは利用者:見えざる手さんです。その後の投稿記録がないので、本人に事情を確認するのは難しそうです。--Kazhik会話2018年6月4日 (月) 10:35 (UTC)[返信]
シュムペーターの『経済学史』に「純粋にマルクスの業績の科学的および経済学的側面のみを考察する本書の叙述において、彼をリカード派に算えることは〔…〕マルクスの本来の意欲に沿うものである、けだし彼自身がリカードの承継者と感じていたからである」という記述がありましたので、ホランダーの代わりにシュムペーターを出典としました。--Kazhik会話2018年7月16日 (月) 21:49 (UTC)[返信]