ノート:古代ギリシアの奴隷制
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出典の問題
[編集]本記事は「周藤 (1997-b)、p.58.」のような形で出典が提示されていますが、肝心の参考文献情報が記載されていない状態になっています。詳細は初版立項者の方の会話ページ及びブロック依頼を参照いただきたいのですが、このような出典の付けられ方がされている部分は恐らくWikipediaの別記事を見て書いたものであり、実際に参照していないと思われます。ブロック依頼にも書きましたが、具体的例として以下を挙げておきます。
- 「クセノポン『ギリシア史1』京都大学学術出版会、1998年、21p。」を出典とした記述
- 「スパルタの奴隷は世帯を持つことが許されたが、その身分は国有奴隷であることに変わりはない。」(本記事)
- 「ヘイロタイは家族を持つことは許された国有奴隷である。」(ヘイロタイ)
- 「ドリア人に征服されたスパルタ先住民の子孫で、耕作する畑地からの収穫物の一部をその所有者たる市民に納めたが、家庭を持つことは許されていた国有『農奴』。「自由民と奴隷の中間身分」とも説明され、戦争・売買などにより国外から買い入れられることがある『奴隷』とは異なる。」(クセノポン『ギリシア史1』p. 21 訳注8)
- ヘイロタイの記事の説明は出典の文章を読み間違えています。そして同じ読み間違い(国有奴隷である⇔国有「農奴」、「奴隷」とは異なる)を本記事もしており、全く同じ書式で同じ書籍の同じページが出典に付されています(本記事ではさらに文脈上説明がおかしくなっていますが)。同一人物が書いたのではない限り偶然そうなることはまずありえず、これはコピーペーストではないもののWikipediaを見てWikipediaの記事を書いたものに間違いないと思われます。その他の出典付きの記述も概ね同じやり方で書かれていると推定されます。このことから、本記事内の出典を一度全削除したうえで出典の問題Templateを張ることを提案します。一週間ほど様子を見て異論がなければ実施いたしますが、当面は正確性Templateを追加しておきます。--TEN(会話) 2020年6月12日 (金) 13:23 (UTC)
- 実施しました。--TEN(会話) 2020年6月29日 (月) 16:39 (UTC)