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ノート:受難曲

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2007年4月21日付編集について

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2007年4月21日付編集において、バロック時代における受難曲作者から、ブクステフーデを削除しました。ブクステフーデはイエスの受難を主題とする作品を作曲していますが、福音書によるものではなく、本項の定義には当てはまりません。

バロック時代の福音書に基づく受難曲としては、トマス・ゼレ(1599-1663)、ヨハン・セバスティアーニ(1622-1683)、ヨハン・タイレ(1646-1724)、ヨハン・ヴァレンティン・メーダー(1649-1719)、ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)等によるものを挙げるべきだと思いますが、現時点の本項の記載内容を考えると、テレマンはともかく、バッハやシュッツより一般的な知名度に劣るこれらの作曲家に言及するのも適当ではないと考え、単にブクステフーデを削除するにとどめました。

ただし、本項のタイトルを受難曲ではなく、受難カンタータとするのであれば、ブクステフーデの『我らがイエスの四肢』BuxWV75を受難カンタータとして取り上げるのは妥当だと思います。これは、カール・ハインリヒ・グラウンの『イエスの死』(1755)等、キリストの受難を主題とする自由詩のみによるオラトリオを受難オラトリオと呼ぶのと同じことです。英語版ウィキペディアでも、受難カンタータの定義として、福音書に基づく歌詞の使用を要件とはしていません。

しかしながら、この場合、シュッツ等の受難曲を本項で取り上げるのは相当困難になるのではないかと思います。少なくともバロック時代のカンタータは、アリアとレチタティーヴォの交替を基本としており、シュッツの受難曲にはアリアは全くみられないからです。

なお、とくに編集していませんが、多くの場合、独唱・合唱・オーケストラの大規模な編成を伴う教会カンタータであるとすることで、バロック時代以前の受難曲の発展の歴史が過小評価されているように感じます。私は近代・現代の音楽の動向に詳しくないのですが、大規模な編成を伴うカンタータ形式の受難曲が多いことは実証されているのでしょうか。--Gombert 2007年4月21日 (土) 19:13 (UTC) 一部追記--Gombert 2007年4月21日 (土) 23:47 (UTC)[返信]

2008年3月16日付の編集において、上記を踏まえ、受難曲の定義を「新約聖書の福音書に基づくイエスの受難を描いた音楽」とし、それ以上の限定を加えないことを前提に、全体を通して改稿しました。 この結果、受難曲の歴史を中世にまで遡って記載することとし、それと相反する記述は削除しました。また、受難曲に隣接するジャンルについては、受難曲との関係を記載するにとどめ、それ以上の記述は削除しました。 改稿にあたって、従前の記述を一部取り込むことができなかったは、以上の理由によるものですので、ご了解ください。--Gombert 2008年3月16日 (日) 06:25 (UTC)[返信]