ノート:南蛮
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料理名の「南蛮」
[編集]料理名の「南蛮」は、だいぶ昔NHKの番組で、本来は油を使った料理を指したという説を聞いたことがあるのですが、その辺りの詳しい情報をご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか。--ウミユスリカ 2005年10月19日 (水) 23:04 (UTC)
「南蛮」って差別用語ではないでしょうか?もともとは少なくともそうでしょう。イギリスのGolliwog[1]のような言葉かな。--Timtak 2007年11月8日 (木) 11:38 (UTC)
紅毛の分割
[編集]「紅毛」という節がありますが、古代中国から現代日本に至る「南蛮」という語の用法をまとめたこの記事の中で、「紅毛」という別の語について述べるのは、明らかに異質です。紅毛に分割することを提案します。--DLAD 2009年6月23日 (火) 19:42 (UTC)
- 分割しました。--DLAD 2009年7月1日 (水) 15:07 (UTC)
狄・夷・戎の改名
[編集]現在、四夷の記事が狄・夷・戎・南蛮と不揃いなので、北狄・東夷・西戎と改名することを提案します。
少数派の南蛮に合わせる理由としては、
- 「南蛮」は他の3つを合わせて比較しても日本語で最も使われる語であること
- 意味がよりわかりやすくなること
- 外国語版が1つ(夷のfr:Yi (peuple ancien))を除き全て「南蛮」型であること
- 日本語では「えびす」の訓としても使われる「夷」と「戎」を曖昧さ回避にできること
を挙げます。--DLAD 2009年6月23日 (火) 20:11 (UTC)
- 夷・戎は改名し、曖昧さ回避にしました。狄は移動依頼中です(移動後はリダイレクトのまま残すことになると思います)--DLAD 2009年7月1日 (水) 15:07 (UTC)
- あ、もう改名されちゃいましたか。実はちょっと引っ掛かりがあって資料をいろいろ探していた段階なんです。狄に関してはちょっと待っていただけませんでしょうか。--ウミユスリカ 2009年7月1日 (水) 16:25 (UTC)
- わかりました。移動依頼は待ってもらいます。--DLAD 2009年7月4日 (土) 14:56 (UTC)
- その後どうなったでしょうか。急ぎはしませんが、1ヶ月間議論が何もないと改名提案が終了になるようなので、ひとこと書かさせていただきます。--DLAD 2009年8月3日 (月) 17:48 (UTC)
- 遅くなって申し訳ありません。この点に関していろいろ調べてみたのですが、戦国以降の領域国家時代の用法と春秋以前の都市国家時代の用法でかなり差があるようなのですよね。端的に言うと、都市国家時代の商(殷)、西周、春秋の時期には「四夷=北狄・東夷・西戎・南蛮」という概念はまだ成熟していないというか、未成立というか、そういう状態であり、狄・夷・戎・蛮という個々の語は、特定の民族というかエスニック・グループを指す語であったようです。これらが次第に都市国家文明の諸国に征服されるなり、自ら都市国家文明を取り入れて同化するなりして、戦国時代の領域国家においてはほぼ中華の領域国家の諸国の都市文明化された民となってしまっていたようです。ところが、本来の狄・夷・戎・蛮というエスニック・グループが消失したこの時代になって、むしろ中華の領域国家のなわばりの外に居住する諸民族を抽象的かつ差別的に表現する語として「四夷=北狄・東夷・西戎・南蛮」という概念が出てくる。これが普及していくのが戦国時代から漢代にかけてです。
- 具体例を挙げると、「狄」とは春秋時代になって史籍に登場し、陝西省の渭河流域より東北方、山西省の南部にかけて遊牧していた赤狄(東山皋落氏・ショウ咎如・潞氏・甲氏・留吁・エキ辰)、白狄(鮮虞・肥・鼓)、長狄(瞍瞞)の「三種十部」を指していたようです。これが後に鮮虞が都市文明に同化して中山国を建国したり、秦、趙、燕の民に同化して独自のエスニック・グループとしては消失し、漢代から匈奴や東胡など、漢の支配に服さぬ北方遊牧民を抽象的に指す語として定着していったようです。
- また、戎に関してはもっと登場が早く、西周の康王の頃から記録に現れ、山西省、陝西省の山岳民族の玁狁、犬戎を指す語であったのが、彼らの都市文明への同化後は甘粛省東部の山間民族を指す語に転化し、さらに北方や西方の中華都市文明を受容していない諸民族を総称して「戎狄」と呼ぶようになっていきました。
- これらよりさらに古くから記録があるのが夷です。彼らは商(殷)の甲骨文で既に商と近い文化を持ちながら、時に敵対する東方民族の「人方」として登場します。商が周に滅ぼされると、商や人方と文化の異質性が高かったため、呼称が夷に変化したようです。周は夷の集団を「東夷」「南夷」「淮夷」と分類していました。彼らが中華の都市文明に同化した後は、これまたより東方の民族を抽象的に総称する語として用いられるようになり、朝鮮半島や日本列島の民を指すのに用いられるように転化していきました。
- こうしてみると、「四夷」だの北狄・西戎・東夷・南蛮だのといったタイトルは、中華外縁の諸民族を抽象的に指す語に転化した戦国時代以降の用法を解説する記事に用いるべきであり、それとは別に春秋時代以前の中華文明都市国家諸国と深いかかわりを持った諸民族を解説する記事として、別個に狄・戎・夷・蛮の記事があるべきだと思うのです。もちろんそれぞれの記事からは、転化した用法とのかかわりを示して北狄・西戎・東夷・南蛮の記事への誘導をつける必要があります。また、「蛮」に関しては、華北の人々が、同じ中華の民となった揚子江以南の漢人を、しばしば蛮子と呼んで蔑視していたことにも留意する必要があります。たとえば、金朝統治下の華北の人々が、南宋の人々をこう呼んでいたそうです。こういう事例をみてみると、「狄・戎・夷・蛮」は単純に「四夷」の概念にカテゴライズしておしまいという単純なものではないというのが歴然としていると思うのですね。--ウミユスリカ 2009年8月4日 (火) 15:41 (UTC)
- ご調査ご苦労様です。具体的な記事の編集については、どのようにお考えでしょうか。
- 「狄」なら基本的には、前半が特定の民族集団「狄」後半が四夷思想下での「北狄」ということになるとおもいます。十分な記事の発展が見込めるなら、狄と北狄に分割すべきということになるでしょう。
- ですが、「狄」の民族集団としての重要性は、他にも無数に存在し今後も記事が作られないだろう民族集団と違いがなく、「北狄に名が残った」ということ以外に重要性がないのであれば、「北狄」の中で説明するのが適切と思います。--DLAD 2009年8月12日 (水) 15:19 (UTC)
まず、狄・戎・夷・蛮ともに、分割によって北狄・西戎・東夷・南蛮と記事を並列的に存在させることが望ましいとは考えます。とはいえ、発展性の問題があることは否めません。
- 狄に関しては、都市国家時代の本来の狄の記事は、晋の公室との通婚であるとか、晋の家臣に組み込まれた家系であるとか、中山国の前身となった鮮虞であるとか、まだ詳細に記述発展できる余地があると考えています。
- 戎に関しては微妙ですね。都市国家時代に戎の構成要素として登場する玁狁に関しても、非都市国家文明系の異文化種族の固有名詞であるという解釈と、周を盟主とした都市国家ネットワーク内の周自体の分裂抗争に起因する内戦で、片方に仇をなした陣営を貶めて呼んだと解釈できる場面とがあり、いろいろ調べてみても実態がよくわからないのです。とりあえずは発展性が未知数ということで分割記述を先延ばししておいたほうがいいのではないかな、とも思います。
- 夷に関しては、商(殷)との国際関係が重要であった人方の後裔であり、都市国家時代には東夷のほかに南夷などという表現が存在しますから、記事分割の発展性はそこそこ望めるのではないかと思います。
- 蛮に関しては、都市国家時代の中国文明の軸足が華北にあったためか、都市国家時代の民族性の実態がいろいろ調べてもよくわかりませんでした。しかし、南方人に対する呼称としては、非漢人であることが明らかな南蛮以外に、江南、福建の南方漢人に対する蔑称としての蛮子(マンジ)といった表現があり、蛮を曖昧さ回避にして、簡略な説明を付して南蛮や蛮子、蛮人などに飛ばせるような形にするのが望ましいのではないかと思います。--ウミユスリカ 2009年8月12日 (水) 15:46 (UTC)