ノート:南北戦争
- お互いにあらゆる国力を投入していたことから世界で最初の総力戦(Total War)だった、とする説もある
- 少なくとも南部ではそういう状態に近かったかも知れない。でも北部では違いますね。青壮年男子のうち戦争に行ったものはほんの一部に過ぎなかったんだから。 --Ypacaraí 2006年6月14日 (水) 23:00 (UTC)
南北戦争の呼称
[編集]英語版記事に専らそのことに集中したものがあります。w:Naming the American Civil War
これはw:Origins of the American Civil War(南北戦争の原因)に匹敵する意味を持つ記事だと思います。
この記事の中で戦闘名が南北で異なるものを取り上げている項があります。Naming the battles and armies
結構な数があるだけでなく、Wiki(英語)の記事が北の呼称だけを採用しているのではないというのも興味深いです。
--218.110.164.9 2008年1月13日 (日) 17:12 (UTC)ゴンベイ
「~ コートハウス(Courthouse)」は地名であって建物ではない
[編集]南北戦争史においてしばしば「~ コートハウス(Courthouse)」という固有名詞が登場する。英語版記事となっている戦いの名前に挙げられているものに次のようなものがある。
- w:Battle of Hanover Court House
- w:Battle of Spotsylvania Court House
- w:Battle of Culpeper Court House
- w:Battle of Appomattox Courthouse
大方が英語版に依存する日本語版記事でコートハウス(Courthouse)は次のような訳出例がある。
- 東部戦線 (南北戦争)
- アポマットクス庁舎
- スポットシルバニア郡庁舎
- アポマトックス郡庁舎
- 南北戦争における戦い一覧
- スポットシルバニア裁判所の戦い
- アポマトックス裁判所の戦い
- フォード劇場
- アポマトックス郡庁舎(アポマトックス・コートハウス)
w:Courthouseによれば、文字通りでは(地方)裁判所の建物を意味し、アメリカにおいては郡庁舎(日本においては通例「郡役所」、律令制時代は「郡衙」)であることもしばしばであるとあり、上記の日本語版記事での訳語例は正しいかのように思える。しかし、個々の木造建物が戦略・戦術上の要衝として争奪の焦点になり戦いの名称(戦場の名称)にまでなるというのは考え難いことである。
東部戦線 (南北戦争)の原英語記事w:Eastern Theater of the American Civil WarではCourthouseの単語に内部リンクが張られており、Courthouse定義の検証が可能である。
- w:Appomattox Courthouse:鉄道駅のあるAppomattoxの東にある村と明記している。また、リー将軍が降伏したのは村の中のマクリーン邸とも明記している(郡庁舎ではない)。そして注目すべき記述がある。
Many rural counties in the Southern States had county seats whose names were formed by adding court house to the name of the county.(南部諸州の田園地帯にある多くの郡では、郡名にコートハウスを加えたものを郡庁所在地名としている。) The court house town contains the courthouse building as well as a number of other buildings. In this case, one of those other buildings is the McLean house, a former tavern.
- この記事からリンクしているAppomattox Courthouseを国定史跡として管理している連邦内務省国立公園局(NPS)サイトのAppomattox County Historyによれば、もともとクローバー・ヒルと呼ばれていた地域の一集落がw:Appomattox Countyの郡庁所在地(w:county seat)とされてからAppomattox Courthouseという町名に変更されたと、Wiki記事と同様の記述をしている。(当時のCourthouseは1892年に焼失、郡庁所在地は「Appomattox駅」に移され、その後「Appomattox」として自治体になった。)
- w:Battle of Spotsylvania Court House:この記事ではCourthouse定義についてことさらな言及はないが、添付された地図では「Spotsylvania Court House」と具体の建物である「Courthouse」が区別されて示されており、この戦いが「Spotsylvania Court House」という集落を巡るもので「~ Courthouse」を地名として用いていることが読み取れる。
他の関係記事でも同様の誤解をしている。建物として郡庁舎が記述される場合は語の前に「County」をつけた「County Courthouse」とするのが通例であり、従って、南北戦争関係の日本語版記事で「~ Courthouse」を「裁判所」や「(郡)庁舎」のように建物として訳出しているのは誤りで、地名として扱うべきものと考える。
アメリカ連合国の基礎情報 過去の国Template内での記述「アポマトックス・コートハウスの戦いで降伏」のように無理に訳出せずに音をあてるにとどめ地名の記述とわかるようにするか、戦いが行われた地域の郡名を象徴する場所として省略する(英語版記事でも多数の例)べきであると考える。 --ゴンベイ 2008年1月19日 (土) 22:33 (UTC)
- アメリカ独立戦争のギルフォード郡庁舎の戦い(英:w:Battle of Guilford Court House)という記事や、カウペンスの戦いでの「ギルフォード郡庁舎の戦い」、モンマスの戦いのBattlebox内「モンマス郡庁舎」、プリンストンの戦いでの「サマーセット郡庁舎」という記述も同様です。--ゴンベイ 2008年1月20日 (日) 04:30 (UTC)
- 記事名「ギルフォード郡庁舎の戦い」は「ギルフォード・コートハウスの戦い」へのWikipedia:改名提案を行いました。--ゴンベイ 2008年1月20日 (日) 05:05 (UTC)
- (反対)ギルフォード郡庁舎の戦いの場合、下図のように実際にCourthouseを背にして大陸軍が布陣を敷いており、地名となったのは後の話である。現在の地名がそうだからといって一律に改名する必要はない。--龍伯 2008年1月20日 (日) 05:48 (UTC)
- w:Guilford County, North Carolinaによれば、ギルフォード郡がおかれたのは、この戦いを遡ること10年前の1771年であり、郡庁所在地の地名を「郡名+コートハウス」とする当時の慣習を否定して「地名となったのは後の話である」と断定することこそ根拠がありません。Guilford Courthouseを国定史跡として管理している連邦内務省国立公園局(NPS)サイトのLocating the Siteでは「ギルフォード・コートハウス」を地名として扱っています。(ちなみに、龍伯さんがお示しになった地図のオリジナルは、Locating the Site-2に掲載されています。)建物として郡庁舎が記述される場合は語の前に「County」をつけた「County Courthouse」とする英語の用例も無視なさらないでいただきたい。--ゴンベイ 2008年1月20日 (日) 07:24 (UTC)
- なお、英語など他言語版記事からの翻訳で日本語の専門書や学術書を参考文献として突き合わせた検証を経ないものは、用語法に関しては常に「独自研究」となる恐れ無しとは言えないと考えます。--ゴンベイ 2008年1月20日 (日) 07:24 (UTC)
- 地名であるとするのは認めましょう。ただし、この地名は郡庁所在地につけられたのであり、当然郡庁舎があったはずです。「ギルフォード郡庁舎の戦い」の本文には次の記述があり、
- Cornwallis found the Americans in position on rising ground about one and a half miles (2.5 km) from the court house.
- 定冠詞付のthe court house は建物と判断が可能です。「County Courthouse」とする英語の用例はあくまで用例でであって、the court houseと書けばCoutyが無くとも郡庁舎と判断するのが無理の無いところと思います(アメリカ英語ではcourthouse一語で郡庁舎になっているようです)。この時代に地方の郡にまで裁判所が独立して備わっていたとは思えませんので、裁判所を兼ねた郡庁舎と考えるのが自然です。この戦いは郡庁舎に向かう斜面で行われたものです。一律に地名だとすることがそんなに重要なことでしょうか?日本語の専門書や学術書にこうでなければならないという記述があるのでしょうか?--龍伯 2008年1月20日 (日) 08:42 (UTC)
北部が勝てない?
[編集]以下の節は独自研究(もっと言えば珍説・奇節の類)では? 削除すべきかとも思いましたが、万一何かの根拠があったら困るので一応編集してないですが・・・ 「北部は当初、南部に勝てるはずがないと見込んでいた。接近戦となると武器に優れ、強靭な肉体を持つ黒人奴隷と戦うことを想定すると、勝てる見込みはないとしていたのである。そこで北部はしきりに奴隷解放を謳い上げ、黒人の戦争の不参加を促すことに成功した。」 --61.87.26.79 2009年9月17日 (木) 04:49 (UTC)
- これはちょっとおかしいでしょう。南北戦争に関しては色々と書籍を読んでますがこんな説は聞いたことがありませんし、そもそも奴隷を武装させようと言う案は明らかに現実的ではありません(だから終戦間際に提案されたわけですし)。書かれた方は何か根拠があるなら定時をお願いします。--狩魔 2010年4月19日 (月) 21:36 (UTC)
連邦?
[編集]開戦: 同年12月にはサウスカロライナ州が早くも連邦からの脱退を宣言。------
「連邦」という言葉はここで突然出てきますね。「アメリカ合衆国」と置き換えても良いのでしょうか?--Tsukitakemochi(会話) 2014年2月2日 (日) 01:38 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「南北戦争」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月27日 (水) 20:59 (UTC)