ノート:千種忠顕
表示
経歴に「正応3年(1290年)には、東宮権大進として胤仁親王(後伏見天皇)に仕えていた(『伏見天皇宸記』)」とあります。 しかし、父親の六条有忠は1281年生まれです。[1] 参考に公卿補任の元応2年の頁のURLを貼ります(国会図書館のデジタルコレクションです)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991099/548
この548頁の他、540・543・545・550・553ページも確認していただけますと、一貫して有忠が1281年生まれとされていることが分かります。 流石に父親が9歳の時では、生まれていないはずです。
さらに言えば兄・六条有光も公卿補任によると1310年生まれです。
伏見天皇宸記に記載がある以上、経歴にある一文を削除しなくても良いと思います。 ただし訂正したり、加筆しても良いのではないかと考え、ここへ書きました。
編集をされる皆様、ご一考いただけると幸いです。
--吉野の忍者(会話) 2021年3月13日 (土) 15:06 (UTC)
- ^ 公卿補任