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ノート:千住

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コメント

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「彼は発ったのは、南千住なのか北千住なのかは不明」とあるのを読んで、新鮮な感動を受けました。このようなことは全く疑問に思いませんでした。百歩譲って、私が類似の疑問を持つなら「千住に立ち寄ったかどうかは不明」という程度です(原典を読んでいないので発言できる立場ではないかもしれませんが、千住で船をおりたことや、この時代には大橋がすでに架橋済であることは知っています)。千住を通ったのは自明だからです。「発った」ということばが通過点も含めた意味なのか、または起点のみを意味するのか、この場合ならば船からおりて徒歩旅行を始める地点のことなのかも、私にとってはやや困惑します。もしかして、北千住を通らなかった説(彼の云う千住はすべて南千住のことだという説)でもあるのでしょうか。冒頭に掲げたのと同様の疑問を投げかけている研究者や郷土資料があれば紹介していただければ幸いと存じます。222.146.161.182 2006年3月4日 (土) 03:47 (UTC)[返信]

芭蕉は南千住の天王神社あたりから出発したのでは?記憶が正しければ神社はそのように主張していたと思います。また、南千住から出発していなければ、芭蕉は江戸から出発した事にはなりませんよね?江戸は南千住までですから。--以上の署名のないコメントは、218.218.57.241会話)さんが 2007年4月24日 (火) 16:02 UTC に投稿したものです。

千住と北千住

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歴史などについて大枠に記述する「千住」と、現在の足立区内の「千住地区」を示す「北千住」は記述を分けるべきではないでしょうか?この項とは別に「南千住」という項があるのに、「北千住」がないのはおかしいと考えます。--Dahshino 2010年8月23日 (月) 08:32 (UTC)[返信]