ノート:十津川大水害
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記事名について
[編集]1889年(明治22年)8月の水害を指して「熊野川水害」という名称を使用しているのは、ネットで検索する限りウィキペディアのこの記事のみ。最も多くヒットするのは新十津川町への移住に絡んでの「十津川水害」であり、また国土交通省のサイトでは一覧等において「十津川大水害」としており、また本文中には「十津川の大水災」あるいは「熊野川大水害」と呼ばれるとされています(PDFファイル参照)。国土交通省サイトでの表記に習い「十津川大水害」への改名を提案します。--8-hachiro 2011年9月6日 (火) 05:46 (UTC)
- 起稿者です。ご指摘ありがとうございます。ご提案に異存はございません。お示しくださった国交省の資料には気づきませんでしたが、台風の状況など、記述を充実させられそうです。本題から外れて恐縮ですが、和歌山県内の被害のうち、紀の川下流域など新宮川水系(十津川・熊野川水系)流域以外の分はどれほどなのか、和歌山県の河川(PDF)p.4 や 国土交通省近畿地方整備局 紀の川流域委員会水害と治水事業の沿革(PDF) を見ても判然とせずひっかっているところです。また、今気づきましたが、たとえば死者数では、175人は奈良県分、1247人は和歌山県分、と統計が出されたのかもしれないが、現状の記述はこの辺があいまいになっている、と思います。私が改名作業すべきでしたら、のちほどいたします。--四葉亭四迷 2011年9月6日 (火) 08:29 (UTC)
- 改名のほうは四葉亭様でしていただけるのでしたらお任せします。さて、四葉亭様お示しの国交省のサイトは「水害と治水事業の沿革」こちらですね。URLに誤記があるようです。1889年の水害は和歌山県下に甚大な被害をもたらしたようですね。「和歌山県下で死者 1,247 人、家屋の流失 3,675 戸」というのはどの資料でも一致しているところですが、紀の川下流部の和歌山市などでも大きな被害が出ているようですし、当時田辺市元町で記録した一日の降水量は現在でも和歌山県の観測史上最大だという記載(平成21年2月作成資料による)などから考えても、この項目にあたる熊野川流域での被害は和歌山県下の被害の一部と考えられます。私が上で示しました国土交通省のサイトの資料においては「上流の十津川村で大規模な土砂災害が発生し、死者 168 人、流失・全壊戸数は 426 戸に達した。また、下流の新宮町では死者 7 人、流失・全壊戸数は 591 戸という甚大な被害を記録している。(新宮市史、十津川村史より)」となっています。奈良県十津川村の被害は和歌山県下の数字には含みませんし、ネットで検索する範囲で熊野川の和歌山県下での被害として明確な数字が拾えたのは新宮町の値だけでした。
- 先日からの台風12号による大雨での紀伊半島での大きな被害は、土砂崩れにより川が堰き止められ天然のダムが何箇所にもできてしまったことなど、この明治の大水害を思わせます。これを書いている今現在も十津川村はすべての道路が寸断され陸の孤島となっている状態ですが、早急な復旧を祈ります。--8-hachiro 2011年9月6日 (火) 12:56 (UTC)
- 追記
- 今気づきましたが私の示したサイトで十津川大水害の被害として記録されている「死者 175 人 流失・全壊 1,017 戸、半壊 524 戸」は奈良県の十津川地域(現在の十津川村)と最下流である和歌山県の新宮町(現・新宮市)の数値を足した、熊野川での被害として記録に残る総数と考えてよさそうです。四葉亭様のいう奈良県の被害数ではないと思われます。--8-hachiro 2011年9月6日 (火) 13:20 (UTC)
- 一定の修正・加筆をしましたが、点検漏れなどあるかもしれません。淀川の堤防決壊(PDF)など2県以外の被害や、9月11-12日の集中豪雨が被害の範囲を広げたことについては、言及・整理できていません。記事名と内容の乖離が大きくなってしまい心苦しく存じます。新宮川水系(十津川・熊野川水系)に記述をしぼるべきだったのかしれません。編集作業でも改名作業でも、労力を割ける方があればどしどしすすめていただければ、というのが私の願いです。私が直すべきでしたらその努力をしますし、拙稿の改変はどなたでも大歓迎です。今般の台風12号の被害との類似点が多いようで考えさせられているところです。--四葉亭四迷 2011年9月7日 (水) 10:03 (UTC)
- すでに記事内で当時の台風による和歌山県全域の被害に言及されており熊野川流域に収まらなくなっているため、どんな記事名がふさわしいのか難しいところですが、歴史として残っている状況から考えて壊滅状態となった奈良県十津川地域での被害が甚大であり、私の当初の提案どおり「十津川大水害」に改名させていただこうと思います。起稿者であり主執筆者である四葉亭様にも合意をいただいたと解釈し私のほうで改名作業を行います。今後において私なりに記事に追記などができるのであればまた協力させていただきます。--8-hachiro 2011年9月9日 (金) 02:42 (UTC)