ノート:十日市町停留場
短絡線について
[編集]歴史の1971年の項目に「短絡線を撤去」とあるが、実際にはポイントのみの撤去で線路自体は残っていたと思うのですが。--以上の署名のないコメントは、Hungry angry(会話・投稿記録)さんが 2010年4月6日 (火) 14:08 (UTC) に投稿したものです(Lightslateblueによる付記)。
「広電が走る街 今昔」ISBN 978-4-533-05986-5 長船友則著 JTBパブリッシング によれば、「十日市町」の項に、2分岐交差点になっていたが、平成15年7号線(横川~広電本社前)の復活で32年ぶりに横川方面への軌道も復活した」とありますが、復活したというのは、一度作られてなくなったものが、再度作られたという解釈がよいのではないでしょうか。--Psjk2106 2012年2月3日 (金) 08:48 (UTC)
ソースがないのですが、レールが残ったまま横川←→紙屋町へのポイントのみが撤去されていたと記憶しております。もしレールが残っていたという記述をしたいのでしたら何らかの文献を提示されてからの方がよろしいかと思います。--Lightslateblue 2012年2月6日 (月) 23:08 (UTC)
ですから、上にその文献を提示しているではありませんか。先の書籍には、「横川方面行の軌道が撤去されたが、2003年4月20日に軌道が復活した」とあります。軌道というのが、どこまで定義されるのかは不明ですが、恐らくこの筆者は「路面電車が走る線路全般」を指していたのではないかと思われます。あとLightslateblueさんは、ご自身の主張の中で「レールが残っていたという記述がしたいのでしたら・・・」と仰っていましたが、結局あなたは、どのような主張をなさりたいのでしょうか。おそらく、次の①~④の中のどれかだと思われるので、あげておきます。
- ①線路も、ポイント装置も残っていた。
- ②線路は残っていたが、ポイント装置はなくなっていた。
- ③ポイント装置は残っていたが、線路はなくなっていた。
- ④線路も、ポイント装置もなくなっていた。
- ⑤①~④のどれでもない。(この場合、具体的な状態をお書きください)
ご回答、お待ちしております。--Psjk2106 2012年2月7日 (火) 08:55 (UTC)
私が指摘しているのは「レールは残した」と言う点であり、(2)であります。「私の記憶の中の話であり、私の記憶の話ではWikipediaの大前提であるWikipedia:検証可能性を満たすことは出来ません。また、提示された文献を所有しておりません。よってその文献に「紙屋町方面と横川方面へのポイントを撤去したがレールは残っていた。」というような記述があるのか確認をしておりません。文献にそのような記述があるのでしたらWikipedia:出典を明記するを参考に本文に記述されたらよろしいかと思います。」と言う意味合いでのコメントです。Hungry angryさんのコメントへのお返事だったのでポイントのことを指摘されているのかと思いましたが、思い違いでしたでしょうか、思い違いでしたらお詫びいたしますし、言葉が足りない部分が有りましたこともお詫びいたします。--Lightslateblue 2012年2月7日 (火) 10:41 (UTC)