ノート:十二国記/削除
私が「キャスト」の項目を書き込んだ時、すべての声優の名前にリンクを張っていたのですが、重複する声優のリンクを解除した人がいますね。私はすべての名前にリンクを張っていた方が便利だと思ったのですが、それでは「くどい」ということなんでしょうか。解答をお願いします。こう書くと不満を持っているみたいですが、そうではなく、私もウィキペディアの執筆に参加する身として今後の参考にしたいので、リンクを解除した人でなくてもいいのでどなたか解答をお願いします。FOUより。
- 私が経験上感じている約束事としては、「同一記事においては同じ単語に対しては複数回のリンクを貼らない」と理解しています。確かに、リンク先に行くためには単語毎にリンクを施したほうが楽だとは思いますが。0null0 14:32 2003年9月26日 (UTC)
私もほとんど0null0さんと同意見です。が、さらに少し付け加えて。
北朝鮮は私がリンクをいじったのですが、ここに最初に出てくる日本のリンクと後のほうの日本のリンクは実はリンク先が異なります。こうした方がいいと考えたからなのですが、このやり方をしようとするとすべての単語にリンクがつけてあると見分けるのがかなり面倒になってしまいます。ですので私は最初にその単語が出たときにリンクを設定し、別のリンク先を設定したいとき以外はつけません。
ただ、その記事中に一覧がある場合は2度目でもリンクをつけたほうがいいかなと思い例外にしていますが。tanuki_Z 15:04 2003年9月26日 (UTC)
- OnullOさん、そしてTanuki Zさん、回答ありがとうございます。まだ執筆に参加して1ヶ月も経っていないので、そういった約束事があるとは知りませんでした。大いに参考になりました。今後の執筆に生かしたいと思います。また、今後もよろしくお願いします。FOUより。
- 私もそれぐらいの経歴です、手探り状態でいろいろと買い込みはしております。あたらしい記事については先達が目を光らせていますから、何かあれば適宜修正されるので、それの編集の経緯をみていけば今後の参考になると思います。それとOnullOじゃなくて0null0です^^;)0null0 15:32 2003年9月26日 (UTC)
削除依頼
[編集]Wikipedia:著作権侵害かもしれない記事#2004年9月にて掲載されていたものです。2004年9月15日 (水) 11:39(UTC)の編集よりアニメ版に携わったスタッフの一覧が掲載されていますが、アニメ版公式サイトのスタッフ&キャストを掲載したページから半分以上転載されている可能性があります。全くのコピペのみではないようですが順番や掲載されている人が同一です。その後の編集で除去されていますが、要約欄にはその旨明確な記載がありません。念のため掲載された版以降の特定版削除が必要であると考えます。Tekune 2005年2月16日 (水) 18:54 (UTC)
参考
[編集]- (これは別途議論としましょう - sphl 2005年3月7日 (月) 10:40 (UTC))
- (コメント)他に公式サイトとよく似たスタッフの一覧が書かれた記事(すでに編集により除去、改変されているものも含む)が多数あります。
--Kropsoq 2005年2月17日 (木) 03:22 (UTC)
議論
[編集]- (コメント)文章の場合ですと、自分で理解し、解釈をして自力で文章を立ち上げるか否かは著作権を尊重する上で非常に重要なことですが、データ系列の場合はどうなのでしょうか。例えば、私は肥前国の執筆で、令制郡や荘園の一覧を市販の文献を利用して作成していますので、あるいはこれも著作権侵害に相当するのではと不安になってきました。こうしたデータ系列の利用のガイドラインはどうなっているのでしょうか。--ウミユスリカ 2005年2月17日 (木) 00:50 (UTC)
- (存続)人名の羅列などには著作権はないと判断するのが現在の日本語版Wikipediaの主流の解釈です。そうでないと、ノーベル文学賞も削除対象となってしまい、そうなると既に百科事典と名乗るのもおこがましいただの断片的な情報の集積場になってしまいます。詳細はWikipedia:削除依頼 2004年10月の、赤塚賞、手塚賞の項をごらんください。(10月24日ごろまであります)ただしそれ以前には全く逆の判断がされたこともあります。ノート:日本百名山一覧がそうですが、私はこの削除を支持しません。また、スタッフ名が削除されたのは単に不要な情報だからでしょう。Modeha 2005年2月17日 (木) 09:55 (UTC)
- (コメント)Kropsoqさん、ご指摘および調査ありがとうございます。それらも削除する必要があるかもしれません。
- ウミユスリカさんへ。その一覧が、誰が作ってもそうなる(例えば令制郡や荘園の一覧対象となるものを五十音順に抜けなく並べる等)というレベルであれば転載等には当たらないとは思います。逆に、市販の文献と全く同じ(たとえばwebでコピペを行ったかのように並びや誤字脱字すらも同じ、リストに掲載する際の取捨選択も同じ等)となると、創作性が認められるがために怪しくなると思います。
- Modehaさんへ。まず、外部サイト下部には
- >(C)小野不由美・講談社/NHK・NEP21・総合ビジョン
- >Copyright 2003-2005 NHK (Japan Broadcasting
- >Corporation),Allrights reserved. 無断転載・転用を禁じます。
- と書かれており、そのサイトの文章はNHK等が著作権を主張していて無断転載・転用を禁じている性質の物です(ただし、(C)の有無に関わらず外部サイトからの転載が認められる場合は削除依頼にて審議を行う必要があることでしょう)。
- 次に、私が指摘した版の「スタッフ」の見出しをご覧ください。3分の2以上が全く同一の並び、同一の内容の箇条書き、スタッフの一人の抜けもなく同じとなっており、必要な情報を記述したらそうなった、同じ順番になった等という範囲を超えております。これは転載を行ったと見るのが一番筋が通ります。他者の著作権を侵害しているのです。wikipediaでは著作権侵害は行ってはならないわけですから、(削除すべしと判断がなされればですが)削除する必要があります。単に人名の羅列であるだけではない理由があります。
- 記事「ノーベル文学賞」が引き写しを行ったかどうかは現段階では私は判断できませんが、ある1つの版もしくはある特定ユーザーが短期的に執筆した版にて、既存の記事を塗りつぶすほどに人名が書かれ、他のサイトとリストの並び等に類似性が認められるという事が起きた場合には削除依頼に出す必要もあるかもしれません。
- 手塚賞、赤塚賞に関しては、調べた最終的な結果が序列を含めて同様になるという判断がなされて削除しないことになっているようです。本削除依頼とは違います(ただし個人的には類似性があるようにも思えてしまいます。改めて削除依頼に出すかどうかはここでは決めかねますが)。
- 最後に、「人名の羅列などには著作権はないと判断するのが現在の日本語版Wikipediaの主流の解釈です。」と仰られていますがそれは違います。一覧(羅列)に限定せず、wikipediaに書かれている文章に他サイト等にみられるような特徴、創作性等が見られれば(いわゆる転載、引き写しなどが行われた可能性が高いならば)それは著作権侵害を行った可能性が高いという事であり、削除する必要がある、ということです。解釈を改めてもらえますでしょうか。Tekune 2005年2月17日 (木) 14:42 (UTC)
- (コメント)では、「主流の解釈」という部分は撤回いたします。ただし、存続については撤回いたしません。3分の2以上が同じ並びとおっしゃいますが、では、一人芝居のキャスト名の一覧は、二人芝居のキャスト名の一覧は、それを考えるともう何もできなくなります。コピーアンドペーストであることは恐らく間違いはないでしょうし、そのサイトに版権表示があるのも確かでしょうが、それに著作権が及ぶかについてはまた別の問題です。現状では、一人芝居ではキャスト名すら書くことができなくなるかもしれないという可能性を帯びた削除には賛同できません。Modeha 2005年2月17日 (木) 15:10 (UTC)
- (コメント)「キャスト名すら書くことができなくなるかもしれないという可能性を帯びた」ことは、何ら理由になりません。著作権は、複写する側の都合は考えてくれません。要は、「誰がやっても同じ結果になる」なら、そこには創造性は認められないのであり、著作権が生じない、と言うだけのことです。ノーベル文学賞の受賞者名を年代順に並べたものは「誰がやっても同じ結果に」なり、創造性は認められません。一方、キャストの配列は、誰がやっても同じ結果になるには、五十音順とか、年齢順とか、台詞数順とか、そういう客観的な配列基準が必要になるでしょう。そうでない配列法であるならば、その配列に創造性が認められないとは言い切れなくなり、著作権が生じるかもしれません。もし、著作権のあるものを複写したら、著作権侵害になります。--っ [Café] [Album] 2005年2月18日 (金) 00:48 (UTC)
- (特定版削除)最初に悩んだ張本人です。私もコピぺの疑いを持ちました。まず2つの意味で削除に賛成します。1つはキャスト名のリスト。順序立てられて、物語の中心人物を強調したいという主催がわの意図が混じっていると思います。注目を集めたい人物を順序立てることは想像の産物ではないかと思います。2つめ、著作権違反とは関係有りませんが、書いた方が転載を嫌がっているのにそれを、違反にならないからと言って認めても良いのか?という問題があると思います。書いた者に対しそれを尊重するのも一つのマナーではないかと思います。著作権違反でなかったとしても元のデータを書いた人が転載されたと知ったら苛立つでしょう。そこまで感情を踏みにじってまで私たちが編集すべきかも考え物です。Miketsukunibito 2005年2月18日 (金) 10:03 (UTC)
- (コメント)恐らく私の意志とは反し、この記事は削除されると思いますが、その前に主張しておきたいのは、日本語版Wikipediaでは何かが新しい理由で削除されると、似たようなものが次々と削除依頼され、いつのまにか「Wikipediaでは○○は使用できない」とかいう主張が現われることが非常に多かったためです。具体的にはたとえば、エピソードリストのようなものはどうしましょう。アニメ関連記事ではエピソードリストがあるものが多くあります。(もちろん、それが必要か必要でないかは別の話です)アニメでなくてもエピソードリストのあるものはたくさんあります。シャーロック・ホームズにも、アルセーヌ・リュパンにも、エピソードリストはあります。一応私の執筆した記事も挙げておきましょう。グリム童話のエピソードリストは、執筆者本人(私ですが)が岩波版を参考にしたとはっきり明言しており、エピソードのタイトルも恐らく9割がた一致します。星座の星座の五十音順の一覧はどうしましょう。私の見る限り、配列は理科年表のものと全く同じです。(そりゃ、五十音順なんだから当たり前ですが)それどころか、和名、略譜、ラテン語名がこの順で並べられているところまで同じです。Wikipedia日本語版の表では漢字表記がないところが違うといえば違いますが。今までがそうであったように、いつの間にか「では日本語版ではリストは一切禁止」とかいう主張が現れないという確信がない限り、とても削除には賛成できませんし、また、今後、うかつに執筆もできません。Modeha 2005年2月18日 (金) 10:24 (UTC)
- (コメント)ここまでの内容を拝見するに、問題の要点はリストの並び方に著作権が存在するかもしれないということでしょうか?。仮に著作権が発生するとして、その場合は特定版削除の後、五十音順にでも並び替えて再掲載すれば良いと言う事でしょうか?。多くのアニメ作品におけるWEBのスタッフリストはオープニングクレジットを、キャストリストはエンディングクレジットのそれをそのまま掲載したものが多いのですが、これらのクレジットにおける人名の並び順は、先行した映画やドラマの慣習を真似ており、業界の慣行として概ねどの番組でも似た並びと成っています。スタッフなら企画、デザイン、作画、美術、音響、製作、監督の順であり、キャストなら主役、脇役、端役、大物の順です。多少の異動があるので誰が並べても同じ結果に成るとは限りませんが、たいへん良く似た並びになるのは事実です。Hydy 2005年2月19日 (土) 22:26 (UTC)
- (削除)確かにリストの並び順は似たような物になるため、一般的な並び順なら場合スタッフの一覧に著作権が発生するか疑問があります。しかし、
- 1の順序では著作権が発生するほどの独自性があるのかは微妙ですし、2の名前の表記はそれにより著作権が発生するとは思えませんが、1と2の組み合わせとなれば誰がやっても必ず同じになるとは言えなく、一覧に独自性があり著作権が発生するのではないかと考えます。そして、問題の編集では一覧の並び順や名前の表記の仕方がよく似ているため転載と見られます。
- 以上のことから、2004年9月15日 (水) 11:39(UTC)の版の編集は他者が著作権を有する可能性がある物からの転載と見られ、また、その差し戻しが明確にされていないため、2004年9月15日 (水) 11:39(UTC)の版以降の版全ての削除に賛成します。--Kropsoq 2005年2月20日 (日) 22:02 (UTC)
- (コメント)類似判例としては松本清張映画化リスト事件というものがあります。この判決で、リンク先の末尾にある表は「編集著作物」ではなく、個々の記述も「言語の著作物」ではないとの判断が出ています。
- 「前記認定の事実に照らせば、(中略)小説のテレビドラマ化に関する事項に関し、題名、放送年月日、番組名、放送局名、制作会社名、監督名、脚本作成者名、主な出演者名、視聴率を、それぞれ項目として選択し、その順序に従って配列して、右の該当事実を整理・編集することは、従来の事実情報資料においても採られていたものであって、原告リストがこの点において何らかの独自性、新規性を有するとは認めることができず、また、題名、監督名、脚本作成者名、主な出演者名等の各事項における個々の事実情報の選択・配列の点においても、原告リストが著作物として保護すべき創作性を有するものとは認められない。」(上記判決文より)
- コピペで作成された可能性はあるようですが、この判決の趣旨を当てはめられるならば今回のスタッフ一覧も著作物性は無いと認められるかもしれません。個別の場合にはどうなるかわかりませんが。なお、判決文では、採用した証拠から判断して小説の映画化に特化した判断とはなっておらず、スタッフリスト一般を考慮しているようです。sphl 2005年2月21日 (月) 10:34 (UTC)
- (存続)業界の慣習に関して記述した私の文章は少々迂遠に過ぎたかも知れません。長くなりますが詳細に書いてみます。業界の慣習は暗黙知ですので人により解釈が微妙に異なります。つまり誰がやっても同じ並びに成る「一般的な並び順」という物は実際には存在していないか、あるいは人により異なって当然のものです。それでもこの暗黙知は業界人の行動を強力に規定する存在となっていて、これに反する行為は厳しく処断されます。もし監督が自分の作品のスタッフリストを50音で並べるといっても実現はしないでしょうし、あるアニメ監督は新人の頃にスタッフリストを「適当に」作ったら監督から激しく怒られたと述懐していましたが、それくらい厳しいものです。このような規範にそってほぼ自動的に作られるリストになんらかの創造性・独自性が含まれると考えるのは難しいのではないでしょうか。またアニメ製作プロジェクトの人員や役務の構成は作品によって微妙に異なっていて(それゆえ資料的価値がある)、スタッフリストに差違を生む主たる原因となっています。構成の差によるリストの違いは事実として異なる物を記述したのであって、やはり創造性とは異なる観点から生まれる物でしょう。製作プロダクションとテレビ局でリストが異なる件は、主に双方の利害が異なっているために生じていると考えられます。何を強調し、何を強調しないかはリスト作成者の創造性というよりは会社の都合によって決まるものです。現状のアニメのほとんどは芸術では無く商品ですから。この事は同じプロジェクトから作成されるスタッフリストに製作側と発注側で差違を生む事でしょう。これらの差違が創造性から生まれると考えるのはやはり難しいと考えます。リスト製作者の大部分は自分が創ったというよりは業務で作らされたと考えているのではないでしょうか。著作権の適用範囲の判断は私にはできかねます。それでも名前のブランクの有無や相違を論じた件については疑問を感じざるをえません。スタッフリストの目的は人名を一覧にすることであり、人名にとってブランクの有無はその意味に影響を与えるとは考えにくいことです。姓名をブランクで区切る時、人は全角と半角で名前の意味が異なると考えるものでしょうか。仮に表現が異なれば著作権が発生するとして、それならwikipediaの文章はUNICODEで、あるサイトの文章はS-JISだから、全く同じ日本語文章でも表現が異なるため、それぞれに別に著作権が発生するのだと考えることもできるかもしれません。それは極端に過ぎると思うのです。松下対ジャストの裁判のように絵と字くらいの差違がないと意味に影響を与える事は難しいでしょう。意味に影響を与えない表現の差違が著作物を別にするとは思えません。リストに含まれるブランクの有無や相違がリストの違いを生まないのであれば、作成されたリストは同じ物であり、作成者によって異なる事はありません。つまり誰がやっても同じ意味となるリストが作成されるので、個々の創造性は否定されるでしょう。そうなれば問題のリストがサイトからの転載(っていうかコピペ)であっても著作物の転載と考えるのは難しいと思います。Hydy 2005年2月23日 (水) 08:33 (UTC)(ログインし忘れにより署名を書き換えました)
- (コメント)申し訳ありませんが、Hydy氏は削除依頼時点での投稿歴が非常に少ないので、削除・存続の表明を行うことができません。もちろん、意見を述べるのは自由ですし、削除の基準になるような重要な情報を提供していただくことは歓迎されています。Modeha 2005年2月23日 (水) 08:40 (UTC)
- (コメント)この場合、有益な判断材料を含むようですね。確かに編集著作物では項目の取捨選択のほかに配列も創作性の判断にいれますが、これは直ちに「順番が他と異なれば創作的である」ということではありません。項目がABCDの四つあった場合、並べ方で4!=24通りの独創性が機械的に生まれるわけではないわけです。問題は、「選んだ項目の順番が創作的であるか」という吟味でしょう。出演者のうち主役から共演者、脇役、端役まで順に並べるなどはHydyさんが挙げておられる「暗黙知」(業界の常識とでもいいましょうか)なのでしょうね。であれば上記の判例からいっても、その配列順に創作性が無い可能性が高いと考えられますね。あと、区切りのスペースなどは外部Webからのコピペを同定するにはたいへん有効ですが、「目下のコピペ元が著作物として保護されうるか」という議論では考慮しなくても良いのではないかと考えます。もちろん一般論としては、安易なコピペは危険なので奨励されない、ということは依然としてあります。sphl 2005年2月24日 (木) 10:52 (UTC)
- (コメント)もし事実の選択や並び方に著作権があるとするなら、その影響はアニメや漫画の記事に留まらず、極めて広範で、Wikipediaの理念に根本的な変更をせまることになる問題です。議論を慎重にかつ徹底して行わなければなりません。
- リストの並べ方に著作権があるとすれば、リスト項目の多くは著作権違反の疑いが生じます。例をあげれば、ある人物や出来事に関する年表は年代順という明確な並べ方があっても取り上げる事項の取捨選択は著者が行います。この選択に創作性を認めるのであれば、年表に著作権が発生し、それを引用する著作はすべからく原著の著作権を犯すこととなります。このようなリストをWikipediaの記事に含めた方は多いのではないでしょうか。発生した全ての事項を客観的な配列基準で並べれば創作性は認められないでしょうが、発生した全ての事項を知る事は当時者であっても不可能なことですし、それを全て記載するのもいかがなものでしょうか。元素や化学物質に関する記事はどうでしょうか。それらの性状に関する記載内容とその順番は、良く知られた物質であればおおむね似通った既述になると考えられますが、事実であっても何を取り上げ、どう並べるかで著作権が発生する事になれば、それらの記事もやはり著作権違反となりましょう。このような学術記事はja.wikipediaのかなりの部分を占めるのではないでしょうか。これらの記事が軒並み著作権違反の可能性を持つことになるのであれば、これはja.wikipediaにとって十分に一大事といえるはずです。
- ここで考慮いただきたい点は、選択の創造性をリストに限る合理的な理由は見当たらないことです。つまり事実の選択に創造性を広く認める場合、リストだけでは無く平文の段落構成などにも同様の認定が可能になるはずです。記事を書く方は一般に多くの資料に当って記事の正確性を高めようとするはずです。良きウィキペディアンであれば当然です。研究が進んである程度まで知見が固定化した分野であれば論理の組み立て方には一定のセオリーというか慣習というか、要するに広く認められたやり方が出来あがるはずです。これは先行する文献が多い分野であれば起こりうる事であり、したがって文献の多い学術分野、歴史分野では、資料にある程度の共通性が発生するはずです。それゆえに多くの資料を参照して定説を記述しようとすれば、書かれた文章が似てくる事は十分に起こり得る事です。段落構成に著作権が生じれば、当然このような記事は著作権を違反したということになるでしょう。
- このような問題を避けようとすれば、互換機開発に使われるクリーンルームのような仕組みが必要となります。記事を書く人は書こうとする記事に関する事前の準備なしに、周囲との情報の接触を断った場所で完全な事実のみを与えられ、それを元に自分一人で文章を考えなければなりません。そうでなければ先行する知見を参考にしたと判断され、創造性が否定されるからです。このような製作態勢をWikipediaが取る事は可能でしょうか?。仮に可能としても、犯罪防止のために必要な処置として少なくとも記事作成者の身元を明らかにするように求められるでしょう。IPでの記事作成は禁止されますし、記事作成に参加したい人は自分の身元を住民票等で公的に証明しなければなりません。別に大げさに言っているつもりはありません。このような変更はプリペイド携帯で実際に起きたことですので、Wikipediaで起きないとは断言できません。これは「自由参加によるフリーな」Wikipediaという理念を否定する事になります。この問題に関して起こり得る最悪のシナリオは以上の通りです。Hydy 2005年2月26日 (土) 15:26 (UTC)
- (コメント)そろそろどこかに移動したほうがいいかも。それはそうと、上で書いたのはあくまで「編集著作物」の話です。「著作権法第十二条 編集物(データベースに該当するものを除く。以下同じ。)でその素材の選択又は配列によつて創作性を有するものは、著作物として保護する。 2 前項の規定は、同項の編集物の部分を構成する著作物の著作者の権利に影響を及ぼさない。」ということで、すでに著作物である素材を編集した場合の、編集の仕方によっては創作性があるという話です。著作物ではない「事実の伝達」を自分で選択し、創作的に配列したものは自分の著作物に他なりません。但し、年表でも単純に事実を並べただけ(「2005年2月某日:Wikipedia日本語板が10000記事を達成」など)でなく、長めに説明してあれば、その説明文の「表現」によっては創作性を認められる事もあるでしょう。sphl 2005年2月26日 (土) 16:24 (UTC)
- (コメント)話が少々主題から分散してきたようで、私には口を挟みづらかったのですが、最初に私が指摘した版のスタッフ一覧が
- sphlさんの示した「松本清張映画化リスト事件」の判例と同等であると見なされるのか(編集著作物とは見なされず問題なしとなるのか)
- 同じくsphlさんの示した著作権法第十二条の保護の対象になる(=削除対象になる)のかならない(=削除しなくてもいい)のかどうか
- 以上を踏まえて今回の引き写しをNHK側(著作権所有者側)が許容もしくは黙認するかどうか
- に問題が絞られてくると思いました。特に最後の点です。
- そのため、今回の「引き写しが行われた」件に対してNHK側(公式サイトは一応NHKのHPなので)に問い合わせを行い、向こうが削除を求めてくるかどうかを伺ってみるという方法を検討しているのですが、いかがでしょうか。私個人としては例え法律違反にあたらなくとも削除するように言ってきた場合は削除したほうがいいと思うのですが、それはさておき、そろそろここで議論していても埒が明かないような気もします。Tekune 2005年3月5日 (土) 14:06 (UTC)
- (コメント)NHKがどう返答しようと、適法な行為である以上、削除の必要はありません。また、版権表示を入れるのは製作者の勝手です。見たところ、公式ページというところは単に機械的に全ページに著作権表示を入れているようです。もし、そのような削除が横行しますと、なんでもかんでも自分のものだと主張する者が現れた場合、それこそ全記事が削除の対象となってしまい、現実的ではありません。Modeha 2005年3月5日 (土) 15:07 (UTC)
- (コメント)少しでも無駄をなくすため節を分けました。問い合わせたら、十中八九削除を求められると思います。あと、Modehaさんの言い分も理解できる部分もありますが、返答を無視した場合のリスクを考えると、削除依頼返答であれば従うしかないでしょう。提訴されれば負けです。仮に東京地裁で裁判が行われた場合、ジンボさんであれ日本語版の参加者であれ出廷できない可能性が高いでしょうから、反論無しということになって自動的に原告の主張が通ります。我々がこれまで安全サイドでやらざるを得ないとしてきているのは、そもそもそういう理由ではありませんか? 本当にどこか行かないと34KB超... sphl 2005年3月7日 (月) 10:40 (UTC)
- (コメント)たとえば著作権の切れた写真を集めた写真集を作って売る出版社があったとして、そこに掲載写真の転載を求めたら拒否される可能性は高いと思います。世の中にはありもしない権利をひとまず主張だけしておくということはよく行われますので。もちろんNHKがそんなことをするという意味ではありませんが。けれどそれはWikipediaの方針には合いませんし、もうそこまで行くと何も1文字も書けないしどんな写真も使えないという不条理なことになります。今私が書いているこの文章だって、誰かがけちをつけて著作権法違反だと言い出さないとは限りません。日本語版では財団理事長をいちいち裁判に引っ張り出すわけにはいかないから慎重に行こうという人が初期にいて、そのままずっと来ていますが、もう財団理事長はアメリカだけではなくフランスでもドイツでもオランダでもスウェーデンでも同様に裁判に引っ張り出される可能性を背負った上で理事長を引き受けてくださっているわけですから、日本語版だけがそんな卑屈なことばかり言っていないでもっと財団理事長の勇気を信じるべきだと思います。理事長がでは財団を閉めると言い出す(言い出さないとは思いますが)前に、全世界のウィキペディアンたちが駆けつけて救助をしてくれることを私は確信します。そして、オランダで裁判が始まったときに、財団に協力するのもまた日本のウィキペディアンの義務でしょう。Modeha 2005年3月7日 (月) 11:38 (UTC)
- (コメント)ジンボさんが我々を見捨てるとは思いませんが、お呼びするならもう少し高尚な危機が振りかかった時に取っておきましょう。それと、上にも書いてありますが、日本語版の参加者(身元が特定できれば、ですが)も被告人になる可能性はありますから、対応できないことにはかわりありません。なお、以後はWikipedia‐ノート:著作権でお願いします。sphl 2005年3月15日 (火) 11:05 (UTC)
- (削除)スタッフリストは基本的に不要であり、不要なもののためにリスクを犯す必要はない。問題の版以降を削除。―غاز(Ghaz) 2005年5月30日 (月) 05:07 (UTC)
- (対処) 2004年9月15日 (水) 11:39 . . 小川潤以降の版を削除しました。--Suisui 2005年6月1日 (水) 10:59 (UTC)
- (確認)特定版削除確認。竹麦魚(ほうぼう) 2005年6月3日 (金) 07:46 (UTC)
(*)代替項目のGFDL違反
[編集]単に問題の記述を除去しただけの文を使っており、GFDL違反です。Tietew☎ 2005年2月17日 (木) 12:57 (UTC)
- (存続)そもそもこれが削除されるなら、削除依頼中の項目の代替記事は一切成立しなくなります。削除が行われた場合に履歴が破損するのは明らかであり、それはWikipedia:著作権にも明記してありますので、何の問題もありません。詳細はノート:フォークランド諸島をごらんください。Modeha 2005年2月17日 (木) 14:22 (UTC)
- (削除、コメント)上の削除依頼では2004年9月15日 (水) 11:39 の版版以降の版全てを問題としているが、代替項目は2004年9月15日 (水) 11:39 の版以降に加筆された内容を含んでいることから、問題となっている著作権侵害の虞のある版を継承していると見られるため。(以下コメント)これが削除対象ではないのならそもそも見た目上は著作権侵害と見られるリストが取り除かれている「十二国記」も問題のリストが書かれていた間の特定版削除で良くなるのでは?--Kropsoq 2005年2月17日 (木) 21:23 (UTC)一部修正--Kropsoq 2005年2月18日 (金) 22:43 (UTC)
- (コメント)記事本体または代替記事のいずれかが削除されるのは当然なので、存続が決まった場合にこの記事が削除されることに反対するものではありません。Modeha 2005年2月18日 (金) 10:24 (UTC)
- (コメント)特定版削除の場合、問題のある版の1つ手前に戻って編集を続けるのが筋でしょうね。特定版削除となれば代替項目の記事と履歴統合するべきです。--Goki 2005年2月24日 (木) 01:51 (UTC)
- (削除)削除議論中の物の履歴を引き継いで居るため。--อนันต์ (あなん) 2005年2月26日 (土) 09:30 (UTC)
- (保留)削除依頼にかけられている記事の処理によります。元記事が存続となった場合、コピペによる記事名移動と同じですから履歴統合でOK。元記事の特定版が削除となった場合には統合すべき履歴がありませんから、削除。代替記事は全版削除の場合は一から書き起こし、特定版削除の場合には問題の無い版を一旦コピペして(要約欄には元となった版へのリンクを書く)仮記事の編集をすべきです。sphl 2005年3月21日 (月) 06:01 (UTC)
- (削除)既に問題の可能性ありとして議論されている版を元にして代替記事を作成する行為は看過できません。―غاز(Ghaz) 2005年5月30日 (月) 05:07 (UTC)
- (削除)問題無い時点の版から作り直すのであれば、履歴の継承も出来ると思いますが、問題後の版では出来ませんね。--Miketsukunibito 2005年5月30日 (月) 05:26 (UTC)
- (対処)削除しました--Suisui 2005年6月1日 (水) 10:59 (UTC)