ノート:医学史
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記事の方針について
[編集]現在、この記事は「医学史」という学問の方法論、つまり歴史観などを問題にする方針で書かれていますが、この方針はあまり発展性がないように思えます。歴史観の違いよりも医学技術の紆余曲折のほうが情報としての価値はずっと高いでしょう。冒頭の概要を「この項目では、医学の歴史、すなわち医学史について解説する。」というような形にして、具体的な歴史上の事柄について解説していくべきではないでしょうか。
また、概要の節についても現状は独自研究です。歴史観の議論については少し触れたのち別項目で解説するくらいで丁度よいと思われます。--チャボ 2009年1月6日 (火) 15:10 (UTC)
英語版よりGeneral overview of the history of medicineの節を翻訳加筆しました。以下参考までに翻訳の際のメモを追記します。
- エジプト医学
- 重訳になるため、ヘロドトス『歴史』・『オデュッセイア』の日本語訳の引用を求む。
- 最古の外科手術については、en:surgeryに詳細あり
- 546節:原文はcases Ebers 546で、「症例546」かとも思われるが、エベルス・パピルスの構成が分からないため暫定訳として無難に「節」をあてた。
- バビロニア医学
- Esagil-kin-apliやその著書Diagnostic Handbookの訳語。それぞれエサギル・キン・アプリ、診断手引書とした。
- アダド・アプラ・イディナ王の治世がバビロニアと異なっているが、ここでは翻訳元をとった。
- 第2パラグラフの文章は構文がかなりややこしくなっているため、精読・確認をお願いしたい。
- ギリシャ・ローマ医学
- ヒポクラテスに関して重複表現が目立つ。整理が必要
- ガレノスとヴェサリウスについても後の節との対照・整理が必要
- great,greatestなどの百科辞典的でない言い回しが気になる。
- アクトゥアリウスの追記が欲しい。なければ削除してもよさそう。
- ロゲリウス・サレルニタヌス(Rogerius Salernitanus):音訳にあまり自信がない。もしくは「サレルノのロゲリウス」とも読めるのかも。
- アーユルヴェーダ医学
- 各用語のサンスクリット語表記の追記があれば望ましい
- historians have been able to demonstrate direct historical connections between early āyurveda and the early literature of the Buddhists and Jains.
- be able to が妙な使われ方をしているのと、完了形になっているのが気になる。
- perineal lithotomyがどういう手術か不明。暫定的に「会陰部切石術」とした。
- 最後の文はThe physicians were also enjoined to gain knowledge of unusual remedies from hillsmen, herdsmen, and forest-dwellers.だが、このhillsmenなどがどういう人々なのか不明。
- ペルシア医学
- ラーズィーの描写が未整理。
- 元記事Medicine in medieval Islamより元テキストを追跡、出典を追加済み
- 中国医学
- 重訳で漢語がややこしくなりそうなので割愛。
- イスラム医学
- dedicated hospitals:専門病院とした。
- De Gradibusの訳語がはっきりしない。平凡社百科事典にはキンディーの代表作として医薬合成階梯が挙げられていたが、De Gradibusと同じものか確信が持てない。en:De Gradibusには別題としてQuia Primosが挙げられていた。どちらもラテン語上の訳語のようだ。
- ラーズィーやイブン・スィーナーが再び出てくる。というか同じ文章が出てくる。ペルシア医学と節を統一したほうがもいいかもしれない。
- Doubts about Galenの訳語が不明。ラーズィーの著書のようだ。
- the contagious nature of phthisis and tuberculosis:結核の感染性質の発見と訳した。pthisisはギリシャ語由来で「結核」を指す言葉。tuberculosisも結核を指す言葉。
- 項目におけるイスラム圏の名前の表記法が不統一。アルをつけたりつけなかったりイブンの後が=だったり・だったり。
- 中世・近代初期ヨーロッパ医学
- 重要人物一覧があったが一覧記事は記事の趣旨と外れるため割愛。
- 近代医学
- 割愛した文・パラグラフあり。記事中にコメントアウト済み
--チャボ 2009年1月14日 (水) 05:47 (UTC)
- Doubts about Galenは、「日本医学史雑誌」で『ガレノスに対する疑念』と訳されていました。また、Rogerius Salernitanusですが、サレルノ医学校に外科部門を創設したルッジェーロ・フルガルド (Ruggero Frugardo) ではないでしょうか。--やまさきなつこ(会話) 2014年11月7日 (金) 11:25 (UTC)
改良した点、改良してゆくべき点など
[編集]- ペルシャ医学とイスラム医学に分けられていて、おまけに位置まで離れていたので、せめて連続するようにくっつけました。en:History of Medicineでもそうだから。そもそも、本当に「ペルシャ医学」と「イスラム医学」と厳密に分けたほうがいいのだろうか?本当に厳密に概念分けができるのか?無段階につながっているのではないか?各医師がペルシャとイスラムに振り分けてあるが、振り分けは正しいのだろうか?
- ギリシャ医学→イスラム医学→中世西洋医学→近代西洋医学 は一連の連続した流れです。この経路で文献が翻訳されたり知識が継承された歴史があります。であるのでできるだけそれが直感的に分かるように配置しました。
- 伝統中国医学の歴史がまったく記述してないが、伝統中国医学のほうを見てみても、そちらでも歴史が記述されていない。とりあえずこの医学史において概略程度は記述したほうがよいのではないか。その場合、へたにen:History of Medicineの該当部分を訳そうとするより、日本語で出版されている伝統中国医療に関する文献を出典にして直接書いたほうが早く簡単にできるだろう。何しろ独特の漢字が多いのだから。--RonHighland 2010年3月1日 (月) 08:36 (UTC)
- ペルシャ医学とイスラム医学の重複部分を整理しました。ペルシャ医学とイスラム医学に分類するというのは見たことがないので、統合した方がいいかもしれません。両者の関係は、ギリシャ医学とローマ医学の関係に近く、連続したものと考えていいと思います。アル・ラージーのようにバグダードとレイ両方で活躍した医師もいて、地理や人種で分けるのは無理でしょう。とりあえず。ペルシャ医学はサーサーン朝ペルシャ、イスラム医学はイスラム台頭後という形にしています。--やまさきなつこ(会話) 2014年11月7日 (金) 11:25 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「医学史」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
- http://www.islamset.com/isc/nafis/drroubi.htmlにアーカイブ(https://web.archive.org/web/20080206072116/http://www.islamset.com/isc/nafis/drroubi.html)を追加
- http://www.islamset.com/isc/nafis/index.htmlにアーカイブ(https://web.archive.org/web/20091023065405/http://www.islamset.com/isc/nafis/index.html)を追加
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月27日 (水) 15:32 (UTC)