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ノート:労働

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集中力テストの「作業テスト」と労働災害を起こしやすい人

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労働災害を起こしやすい人は集中力テストの「作業テスト」で発見可能。入社試験時にこの種の災害予備軍を除去した結果労働災害を激減したり(労働大臣賞受賞)、プログラミングの生産性を倍増したケースなどがある。 詳細:http://www.f6.dion.ne.jp/~iccinc

--以上の署名のないコメントは、210.141.126.52会話/Whois)さんが 2003-12-07 01:04:36 (UTC) に投稿したものです。

労働の説明

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 労働を語るには分業以前の労働として説明すべきで、そのためには食物を自然界から得るという形の労働から説明をしなくてはならない。なぜなら現在の社会において世界的な飢饉がおきて、世界的に食料不足になったとしたら、より多くの金銭を持っている者だけしか生き残ることは出来ない。食物生産に従事している者というだけでは飢える側の者となってしまうというのはベンガル飢饉の状況から明らかである。

 そこからも人としての労働は食物を得るために自然界に働きかけた時から始まるといえる。それは木の実を採取することであり、食べられる野草を摘むことであり、獣の狩りをすることでもある。 時代がさかのぼるつれ丸木舟を操り、海に出て魚を獲るという食物獲得方法も発明されてくる。また男女の分業もすでに始まり、男は危険といわれる獣狩りや、または小さな丸木舟を漕いで海に乗り出し石器をうまく利用した手製の銛で魚を突く。女性はあまり危険の伴わない植物採集に携わる。 これ以前の状態では人間も動物もあまり変わりは無いが、やがて人間が食物を得るための労働といえるものは石器を利用したり、丸木舟で大海に漕ぎ出し食物を得るために体を使ったとき、それは完璧な人間の労働といえる。やがてそれまでの自然状態の中での寝泊りから、自らの力で住居となるものを作り出していく。そのことは立派な人間の労働ということができる。

 では人間と他の動物との違いとは何なのだろうか。同じ食物を得るために体を動かすということは同一だが、ライオン、またはトラや象・キリン・猿等生きるために食物を得ることも彼らなりの努力で体を使い食物を得ている。また小さな生物である蟻やミミズ等も彼らなりのやり方で体を使い食物を得て、その食物によって生きながらえている。そして当然のことだが、その食物を得られたことにより子孫を残していく。彼ら小さな生物や大きな動物が食物を得るためにエネルギーを使うことも人間と同じように労働と見るのだろうか。

 労働と言えるものは道具を使って食物を得ることだといったとしょう。では猿やチンパンジーも道具を使い、ミツバチが蓄えた蜜を木の枝を使い、掬いとって舐める映像を見たことがあるが、そのチンバンジーのやり方をチンパンジーは労働をしているというのだろうか。そのチンパンジーの行動はやはり自己の生存に必要なエネルギー源として、また最高のご馳走として蜂に刺されることを覚悟して小枝を使い蜜を掬う。それをチンパンジーは生きるための労働をしているのかということになるが。おそらくチンパンジーが労働をしているということでは反論が出るのではないかといえる。人間とチンパンジーを同列に語ることは出来ない。そして多くの人がチンパンジーが例え道具を使ったとしてもそれを労働とは言わないだろう。

 ではチンパンジーと人間との差とは何であろうか。同じ道具を使って食物を得ているというのに。 ただここでは食物を得る方法として…

 その前に狩猟採集時代の人間を想像してもらいたい。 食物となる物を得る行動を狩猟採集時代に於いては人間の労働とは言わないとしたなら話しは別だが。チンパンジーは食物を得るための行動であり、人間のそれは食物を得るための労働と言えるものである。ということにして話しを進めていきたい。

 そこで労働とは本来は生命を維持するために食物を得る働き、他の動物との違いは食物を得るために先人の残した技術を使い、それらの積み重ねから新しい技術を作り出していく。

 ここで人間とチンパンジー(猿でも良い)との違いは簡単に述べてみよう。 一言で言うならば、チンパンジーには技術の伝承はあるが、彼らには技術としての積み重ねが無いといえる。例えばミツバチの巣から蜜を小枝を使い掬い取る技術は親チンパージーから子供のチンパンジーに伝わっていくが、その上を行く技術的進歩には進んでいかない。

 人間の場合は先人から受け継いだ技術と知恵を使い、当然体も使うが。例えば採集した植物を入れる籠を作ったとしよう。次により籠に適した丈夫な植物を探りだし、作り上げる時間はかかったとしても、すぐ壊れるものでないと気が付けば、たとえより時間がかかっても丈夫な籠を作る。つまりその籠を作るのにかかった時間が人間の労働時間になる。 やがてそこから効率の良い採集方法から効率の良い保存方法へと技術的進化をさせていき、またその上を行く技術として土を捏ね土器を作り出していくことになる。さらにその土器では物の煮炊きが出来ることも、両者を兼ね備える土器を作り出していく。これは立派な労働といえる。 そして現在の労働の原点が先人の残した技術にさらに新しい技術を付け足していくことから始まる。

 などと言って人間を特別視したがるというのが人間の浅ましいところである。無理やり動物との差異を見つけたがる浅ましさ。人間と動物との違いは決して非連続ではなく連続でつながっているのである。人間は動物の部分集合でしかないのである。--以上の署名のないコメントは、58.1.215.4会話/Whois)さんが 2010-10-13 12:57:18 (UTC) に投稿したものです。--以上の署名のないコメントは、211.2.58.183会話/Whois)さんが 2010-12-29 15:33:01 (UTC) に投稿したものです。--以上の署名のないコメントは、60.2.102.146会話/Whois)さんが 2011-01-16 16:01:00 (UTC) に投稿したものです。

 人間労働の本質は、奴隷制なのである。人間の労働でもロビンソンクルーソーの「労働」は労働ではない。近代の賃金奴隷制度が現在の労働の本質なのである。

 労働とは、人間の生産性が2人の生活できる以上の物を生産できるようになったときから始まる。つまり、1人の人間が他の人間を管理して、支配していても2人が生活できる生産物が得られることで奴隷制が成立する。これが労働の原点である。そして、私有財産制や契約などの法律を強制することができる社会制度が整い、暴力を使わずに賃金で人間を拘束することができるようになり、賃金奴隷制が始まるのである。この賃金奴隷制の感覚が薄れ、ついには「労働」と呼ばれるのである。--以上の署名のないコメントは、125.3.107.13会話/Whois)さんが 2010-12-22 15:15:01 (UTC) に投稿したものです。
 つまり、労働というのは近代が生んだ特殊な概念なのである。だから、近代以前では、近代で言う「労働」のない社会が存在していた。現在でも「労働」のない社会はある(南太平洋ニューブリテン島のマエンゲ族など)。--以上の署名のないコメントは、121.52.209.116会話/Whois)さんが 2011-01-16 16:32:39 (UTC) に投稿したものです。

分業形態の労働

 やがて他の動物に見られない人間独特の労働が次の段階では分業形態へと進む。まさに奴隷制のなせる業である。

--以上の署名のないコメントは、222.13.176.31会話/Whois)さんが 2007-02-06 09:45:12 (UTC) に投稿したものです。 --以上の署名のないコメントは、58.1.215.4会話/Whois)さんが 2010-10-13 12:58:38 (UTC) に投稿したものです。 --以上の署名のないコメントは、60.2.102.146会話/Whois)さんが 2011-01-16 16:07:47 (UTC) に投稿したものです。

改善作業

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怪しげな文章に要出典タグをつけてそれと判るようにしました。また、出典のある検証可能な文章を加筆することで、まともな文章の割合を増やしました。数週間程度様子を見て、それでも出典が提示されない箇所は非表示にするとよいでしょう。冒頭のテンプレートを、「独自研究」から、今の段階に合った「出典の明記」に切り替えます。--WaseKoBLEND会話2012年10月9日 (火) 23:14 (UTC)[返信]

↑労働に関する深い知識と能力がない方が編集作業をするのは辞めた方がよいと思います。結構難しい話なので。労働と奴隷が連続であることがサルでもわかりそうなのを参考まで。http://rainbow.gr.jp/ukifune/disposablepeople.html
--以上の署名のないコメントは、60.216.99.210会話/Whois)さんが 2012-11-26 12:01:47 (UTC) に投稿したものです。