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ノート:力信流

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力信流の流祖の名字を「部」と変更する編集が行われましたが、これの典拠はあるのでしょうか?
力信流を伝えている静岡武修館のホームページ[1]綿谷雪 編の『増補大改訂 武芸流派大事典』には「部」と記されております。210.170.214.77 2007年12月26日 (水) 13:59 (UTC)[返信]

 ・両者ともに誤伝です。古い伝書は全部「官部」です。——以上の署名の無いコメントは、124.44.53.237ノート/Whois)さんが 2008年6月24日 (火) 12:08 (UTC) に投稿したものです(三畔 2011年4月26日 (火) 13:55 (UTC)による付記)。[返信]

:言い争いしているわけではなく、wikipediaは誰でも書ける百科事典なので、根拠を書かないとだめなんじゃないですか?と言ってるだけなのですが…。一般的には「宮」の字が出回ってるわけですし。wikipedia上で伝書の写真を公開してもいいじゃないですか。編集するのでしたら、無用な誤解を避けるためにも、一度編集方針を調べられた方が良いかと思います。--Hakusai 2008年6月30日 (月) 00:39 (UTC) 流祖の姓を流儀の伝書と現在伝承されている口伝に基づき、誤りの宮部から官部に訂正しました。江戸中期に流祖の後裔、官部八郎が自筆した伝書も官部となっています。宮部という姓を書き込む場合は流儀の冒涜となりますので、各地の伝承者に許可をとってください。甲州力信流:小佐野記す。[返信]

  • 小佐野先生ご本人でしょうか?wikipediaの方針として"検証可能性"があるので、先生のご著書等に”官部”と書いてあるものがあるようでしたら、参考文献として挙げていただければwikipediaの方針に合致すると思います。僭越ながら意見させていただきました。--Hakusai 2011年6月14日 (火) 13:16 (UTC)[返信]

●『日本古武道振興会創立六十五周年記念大会流儀解説書』に美和靖之師範(我が師)が力信流の解説を載せており、「官部」としています。拙著だと説得力がないので、別の書籍を例示しました。日貿出版社『竹内流』でも「官部」です。甲州力信流:小佐野記す。