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ノート:劇団はぐるま座

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文革日本共産党にかんする記載

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歴史の一部です。消さないでください。--珍文庫会話2012年3月19日 (月) 17:14 (UTC)[返信]

Hoped氏の投稿履歴について

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投稿履歴を見ました。

再度、Hoped氏のご意見について

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さきほどHoped氏と会話させて頂きました[1]。合意に至るまではまだ時間がかかるであろうことはしかたがないと考えております。また、ご意見をお伺いできてうれしく思います。その上で反論やご質問を以下、記します。

  • 同氏は「劇団はぐるま座は2008年に、これまでの路線を清算して再出発しております」と書いておられますが、路線の変更というのは確かにあることでしょう。事実、どういう団体にもありえることですし、路線の変更それ自体が悪いとも思いません。しかし、少なくとも福田正義氏や藤川夏子氏など、はぐるま座運営に直接かかわってきた人物への批判を含むとか、日本共産党(左派)界隈と絶縁するなどといった、ゼロから出発というふうには私には見えません。具体的になにをどう清算なされたのか、ご教示頂けないでしょうか。「文芸戦士」などの出典を挙げて頂けますと非常に助かります。ぜひ、教えてください。お願いします。
  • 「現在の劇団員はほとんど入れ替わり、活動形態、事業内容を一新して、政党政派思想信条に関わらず」とあるように、仰るとおり、世代交代などによるメンバーの入れ替わり、路線の変更というのは、どういう団体にもあることです。しかしそれは「60・70年代の日本共産党と日本共産党左派の対立や中国との関係など、現在の劇団員とはまったく関係ない」と論ずるのは同意しかねます。そもそも「現在の劇団員とはまったく関係ない」のであれば、『私の歩いた道―女優藤川夏子自伝』などという本は出さないはずですし、長周新聞社の公式サイトにもはぐるま座の記事などは載せないはずです。はぐるま座と日本共産党、および文革中国との関係を否定することは、『私の歩いた道―女優藤川夏子自伝』そのものを否定することにもなりかねません。妄りに文革中国との関係を否定なさることは、藤川夏子氏への最大級の冒涜にすら見えますが、いかがお考えでしょうか。
  • 「記載自体が事実であっても膨大な事例の中から何を取り上げるのかには立場があり、それによって読者に与える印象は大きく変わってしまいます」というご発言については、真摯に受け止めます。『私の歩いた道―女優藤川夏子自伝』などの記載を反映させてゆく、というのが自分としてはよりよい方向にいくのではないかと考えますが、いかがでしょうか。
  • 「劇団員、また舞台に共感し各地で公演活動に参加されている地域住民の方々は甚だ迷惑しており、劇団経営においても損害がでております」とのこと、お察し致します。おそらくはこのことが、Hoped氏が編集合戦に参加された最大の動機かと存じます。しかし「迷惑」云々ですが、当方が列挙した出典は日本共産党の出版物と中華人民共和国が出した『人民中国』です。どちらも入手は困難だったりもしますが、アクセスすることは誰でも可能な文献であるうえ、重要な当事者が出した文献であることについては異論がないかと存じます。文革を否定した『人民中国』はともかく、日本共産党は現在も『毛沢東盲従集団―福田一派の虚像と実像』などに記載したことについては、認識を変えていませんし、変えるとも思えません。日本共産党と日本共産党(左派)やはぐるま座との対立関係が修復することはもはやムリかと存じますし、私がWikipediaの編集をやめても、日本共産党が敵対的なコンテンツをばらまき、Wikipediaの編集合戦に加わる可能性は充分にあるでしょう。そうである以上、はぐるま座関係者諸氏がこうむった「迷惑」の根本的な原因は、Wikipediaの当該記事などではなく、日本共産党、および同(左派)を含む、過去のはぐるま座について言及した出版社ではないでしょうか。もしも日本共産党の主張がデマだとすれば、きちんと反論するなど、毅然とした態度をとるというのが何よりも支援者への励ましとなるように見えますが、反論とかはされているのでしょうか。

当方がお伺いしたいことは取り急ぎ、以上です。よろしくお願い申し上げます。--珍ちゃん会話2014年10月24日 (金) 13:42 (UTC)[返信]

割り込み失礼致します。はぐるま座公式サイト内の「60周年を経て人民劇団の本史へ」を見ると、「福田正義長周新聞社主幹の導きにより、山口県の青年演劇人有志により創立」「長周新聞社の全面的な支援」「長周路線こそが創作の源」「福田正義さんの創立精神に立って」と、繰り返し福田正義・日本共産党(左派)議長兼長周新聞社主幹の路線に立つという姿勢が繰り返されています。これは2008年よりも後の、2012年に表明されている物です。公式サイトで「福田・長周路線」が強調されているのに、支持者がそれを隠蔽するのは些か不自然な様に見受けられます。 --しょむ研会話2014年10月25日 (土) 14:13 (UTC)[返信]

追記ですが、上記の60周年声明では、はぐるま座が今後展開する活動として「人民教育同盟の教師たちによって切り拓かれてきた教育運動に学んだ新たな教育劇の創作」も挙げられています。人民教育同盟は日本共産党(左派)系列の教職員団体ですが、そことの関係は現在も極めて強いと見受けられます。俗に言う共産趣味界隈では、勤労者芸術会館を巡る路線対立で、はぐるま座は左派党から分離したのではないかという見方もありましたが、長周新聞や左派党機関紙「人民の星」では現在でも相変わらずはぐるま座の動向が詳細に取り上げられ、はぐるま座自身も福田左派党議長と長周新聞の路線を強く打ち出している現状を見るに、はぐるま座と左派党・長周新聞との結び付きは現在も非常に強固であると言えましょう。故に、「はぐるま座と左派党・長周とは全く無関係」と主張して両者に関する記述を全て削除するのは、どうにも不自然なのではないかと思われます。 --しょむ研会話2014年10月25日 (土) 14:39 (UTC)[返信]

割り込み失礼いたします。私はかつて劇団に青春時代をかけた老兵であります。90年代に劇団を辞し現在の劇団を陰ながら応援させていただいている一介の高齢者でありますが、当時の状況を知るものとして筆を執らせていただきました。まず、60年代、70年代当時の日本共産党の文献は、国際共産主義運動の路線を巡る激しい対立のもとで双方の批判の応酬激しい中で書かれたものであり、とくに日本共産党の文献には極度の悪意と事実の歪曲が存在しています。北京空港事件について言えば、そこに私も居合せていましたが、砂間らの荷物の中から宝飾品など高級品が次々と見つかったことから紅衛兵が激高したものであります。しかしそこでは少なくとも命にかかわるような重症を負うような暴力はありませんでした。ましてや劇団員は手をだすようなことはしていません。砂間の北京空港事件に関する記述は、当時対立していた中国共産党のイメージダウンを意図して書かれたもの(砂間の自己弁護でもありましょう)であり、後日読んだときにはあまりもの事実との相違に唖然としたものですが、共産党側はそれをもって劇団を「暴力劇団」と吹聴したものです。また、劇団を除名された共産党の面々は、当時甚だしい劇団活動のサボタージュ、舞台放棄などにおよんだために解雇されたものです(一般社会では常識でしょう)が、それに共産党が入れ知恵をして「争議団」なるものをつくらせ街頭で抗議行動をさせたものです。その事務所を襲撃したなど事実無根、「争議団」の事務所なるものは小郡にあった共産党の事務所そのものであり、そこに劇団員のみならず当時の労組の活動家など多くのものが抗議に出向いたものであります。それをまた「暴力劇団」とでっちあげただけのものであります。むしろ襲撃されたのはこちらの側であり、民青の一軍が釘をうちつけた角材やバットをもって劇団員を襲ってきたことは幾度かありました。当時の左翼運動は、60年安保後の共産党の変質による失望から多くの諸潮流を生み出し、それぞれが正義を主張して混沌とした時代でありました。その中で劇団は愚直に「人民のために」という精神で進んでまいりまいたが、紆余曲折はさけられず、2008年に事実上の破産となりました。その後ひきついでくれた若手のものは当然この時代の事は知らないでしょう。こういう負の面まで引きうけてなお実直に励んでいる者へのせめてもの援護をと思い、また当時の具体的状況を知る一助となればと思い筆を執らせていただきました。。--旭通

旭通氏のご投稿について

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旭通さん。まずは貴重なご証言ありがとうございます。

「60年代、70年代当時の日本共産党の文献は、国際共産主義運動の路線を巡る激しい対立のもとで双方の批判の応酬激しい中で書かれたもの」「時の左翼運動は、60年安保後の共産党の変質による失望から多くの諸潮流を生み出し、それぞれが正義を主張して混沌とした時代でありました」ことについては、異論ありません。しかし、貴殿の投稿は公正なものであるどころか、これまでのやりとりを蹂躙したものではないでしょうか。

ご存知のように、日本共産党側は詳しく、はぐるま座による(とされる)事件を書きまくっています。はぐるま座が襲撃された事件、および日本共産党が誤った記事をばらまいたというのであれば、「文芸戦士」などの出典を列記して徐々に記してゆく、というのがベストな方法なのではないでしょうか。あいにくwikipediaでは自費出版はマトモな「出典」たりえませんが、後世に伝える意味はあるかもしれません。情報提供はこちらも大歓迎したいところです。是非お願いします。

また、何度でも申しますが「紆余曲折」云々はどこの団体にもあることです。「この後ひきついでくれた若手のものは当然この時代の事は知らない」などということは、当該記述を削除する理由にはなりません。もしも同じリクツを適用するのであれば、日本軍はもちろん、日中友好協会創価学会などの過去の歴史に関する記述を削除することも可能になってしまいます。ましてや「愚直に「人民のために」という精神で」と仰る御仁がやるべきことでないことは言うまでもないでしょう。

そういう次第ですので、貴殿がはぐるま座と文革中国との関係についての記述を削除なさったことを許容する気にはなれません。むしろ文革中国、北京空港事件などについての記述は、またいくらでもいくらでも記載するつもりです。

なお、私は北京空港事件など日中友好運動について言及した中国共産党側の文献を持っており、ともに加筆する用意があります。ともに合意を模索していこうではありませんか。どうぞよろしくお願いします。--珍ちゃん会話2014年11月8日 (土) 13:34 (UTC)[返信]

そういう次第ですので記事のほうを差し戻しました。後生ですので、旭通氏におかれましては、劇団はぐるま座側の主張についてアクセスできるような記載なぞを切に望みます。--珍ちゃん会話2014年11月8日 (土) 13:52 (UTC)[返信]

再度、旭通氏のご投稿について

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再度失礼します。貴殿の文言にある「北京空港事件について言えば、そこに私も居合せていましたが、砂間らの荷物の中から宝飾品など高級品が次々と見つかったことから紅衛兵が激高したものであります。しかしそこでは少なくとも命にかかわるような重症を負うような暴力はありませんでした。ましてや劇団員は手をだすようなことはしていません。」とのことですが、毛研『毛澤東思想研究』に同じような記載がありますね。お読みになられましたでしょうか。

あと、日本共産党側が親中国派にふるった(とされる)ゲバといえば善隣会館事件日中共産党の関係の項目に記載があります。私は日中友好協会『日本と中国』縮刷版なぞは全部目を通しましたが、はぐるま座、日本共産党(左派)などについては、あいにくそこまでは読んでいません。貴殿が経験なさったことはきわめて重要な事件です。どうか検証可能な文献・証言の発掘など、切に申し上げる次第であります。何卒よろしくお願い申し上げます。--珍ちゃん会話2014年11月8日 (土) 14:03 (UTC)[返信]

関連文献などについて

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劇団はぐるま座について言及がある文献の中で、現在wikipediaに記載されていない文献を取り急ぎ列挙しておきます。もちろん、すべて目を通しています。順不同。

  • 『中国覇権主義とのたたかい』新日本出版社
  • 『体験的「日中友好」裏面史』日本機関紙出版センター
  • 『訪中公演と中国の文芸 劇団はぐるま座第二次訪中公演の記録より』劇団はぐるま座
  • 『文化評論』1962/03 所収論文「はぐるま座の十年」
  • 『文化評論』1967/04 所収論文「対外盲従分子とたたかうはぐるま座争議団」
  • 『アジア經濟旬報』(726) 所収論文「はぐるま座の野火を見て」

ほかにも、はぐるま座自身が出した刊行物は『文芸戦士』の古い号や台本など、複数持ってます。また、2008年の「清算」が記載された号なぞも、実は目を通しております。また、ある程度調べましたが、『人民日報』などにもはぐるま座についての記載はあります。

そうである以上、「清算」の文面がどんなものであれ、また日本共産党がばらまいたコンテンツがどれほどデタラメで悪意に満ちたものであれ、はぐるま座の歴史を語る上で、日本共産党や文革中国との関係を削除すること、および「日本のプロパガンダ」として機能していたことを削除することについては、きわめて強い違和感を感じる次第であります。--珍ちゃん会話2014年11月9日 (日) 14:20 (UTC)[返信]

追記。

まだちゃんと読んではいませんが、下記のような文献があります。ほかにもありますが、まだ自分の中で整理がつきません。

  • 『人民と共に三十六年 一九五二年~一九八八年』劇団はぐるま座、1989
  • 『人民と共に四十年 1952~1992』劇団はぐるま座、1992

いずれも「はぐるま座の十年」同様、当事者自身が出した「正史」ともいえる文献であることについては異論はないでしょう。現在の劇団員の方々も、いずれはこういった書物を上梓する日が来るかもしれません。そのとき、Hopedさんの言辞「現在の劇団員とはまったく関係ない」や旭通さんの言辞「その後ひきついでくれた若手のものは当然この時代の事は知らないでしょう」が通用するとは思えません。この種の文献にアクセスすることは容易です。はぐるま座や日本共産党(左派)を日本共産党が総力を挙げて潰そうとした歴史がある以上、文献がそれなりに残っていることを意味するからです。

重ね重ね申します。はぐるま座のことを語る際に、日中関係、日中共産党および日本共産党(左派)との関係、そして文化大革命やプロパガンダを抜きにして語ることは、絶対に不可能なのではないでしょうか。ご返答を切にお願いする次第です。--珍ちゃん会話2014年11月10日 (月) 11:05 (UTC)[返信]

中立的な観点を保持するために

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少しばかり整理をしたいと思います。私は劇団はぐるま座に対し、悪意を持ってあれこれ書いているわけではありません。

むしろ、はぐるま座の隊列におられたという旭通さんのような方よりコメント頂戴できたこと、心の底から、感謝しております。

特に以下の旭通さんのコメントについては、尊重しなければならない義務があると考えます。

  • 「諸井、日笠の脱退の直接的な原因は劇団内部の作品、演出における意見の相違によるものです」
  • 「当時の日本共産党の文献は劇団に対しての悪意から事実の歪曲が甚だしく、これのみを参考にすると一面的な記述に陥ります」

きわめて興味深いコメントであり、貴重なご指摘です。それゆえ、私は旭通さんに出典や証言の発掘をお願いしたうえ、こちらも旭通さんの思いに答えるべく、容易にアクセスできる文献を少しばかり列挙しました。

しかし、繰り返しになりますが「当時の日本共産党の文献は劇団に対しての悪意から事実の歪曲が甚だしく、これのみを参考にすると一面的な記述に陥」るのは事実だとしても、また日本共産党が出した文献が、仮にデマと悪意にまみれたものであったとしても、一方の当事者が出した第一級の文献であることは否定はできないはずです。むしろ、はぐるま座側自身が出した反駁がどこに書かれているのか、知りたいところです。もしもまだ本として上梓されていないとしたら、ぜひとも出して戴きたいくらいです。

同時に、Hopedさん、旭通さんにおかれましては、まだ信用できかねる部分があります。理由は過日書いたとおりです。

  • 「日本のプロパガンダ」タグ
  • 文革中国が出した文献、およびそれに記載されている事項
  • 日本共産党側の文献、およびそれに記載されている事項

これらが削除されていることについて、です。

ご返答をお待ちしております。--珍ちゃん会話2014年11月11日 (火) 12:27 (UTC)[返信]