ノート:利根川橋梁 (東北本線)
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建設背景の図
[編集]建設背景の図には渡良瀬川も利根川同様に描くべきだと思います。栗橋を通ったのは渡良瀬川と利根川が合流していて架橋1つで事足りたというのもあるでしょう。 乙線は国直轄河川にもなっている大きな川、利根川と渡良瀬川2つ架橋しなくちゃならない。--電波銀座万歳(会話) 2018年9月15日 (土) 09:56 (UTC)
- 取り急ぎ、渡良瀬川を追加してみました。利根川橋梁建設当時はまだ渡良瀬遊水地はなかったはずなので、現在の地図を参考に描くとおかしくなるのかもしれませんが…。--Tam0031(会話) 2018年9月15日 (土) 14:46 (UTC)
- 迅速な対応ありがとうございます。--電波銀座万歳(会話) 2018年9月25日 (火) 12:38 (UTC)
- あ、渡良瀬遊水地はなかったでしょうけど、谷中湖はあったはずですね。谷中湖を拡張して渡良瀬遊水地が出来ましたから。キリがないですけど下流だと当時利根川だった権現堂川と江戸川が分派してこちらも国直轄河川の大河川で架橋2つかけなくちゃいけない。どちらにしろ栗橋を通ると--電波銀座万歳(会話) 2019年4月7日 (日) 21:21 (UTC)
- 谷中湖じゃなくて赤麻沼、石川沼、赤渋沼、前原沼ですね訂正。調べれば分かると思います。特に赤麻沼は日本で三番目に大きい沼だったようです--電波銀座万歳(会話) 2019年6月11日 (火) 07:19 (UTC)
- すみませんが、そのあたりを画像に再現して、利根川橋梁について何がわかりやすくなるのでしょうか。単なる自己満足にしか思えないのですが。ルートの決定に影響はしていないでしょう。私はそこに対応はしかねるので、やりたいのであればそちらにお任せします。--Tam0031(会話) 2021年7月8日 (木) 14:10 (UTC)
- 貴方が「利根川橋梁建設当時はまだ渡良瀬遊水地はなかったはずなので、現在の地図を参考に描くとおかしくなるのかもしれませんが…。」とおっしゃったので言ったまでです。元々何もなかった場所に遊水地が作られた訳ではありません。あと色々と調べてみると沼池を避けて鉄道を敷設した可能性があるからです。根拠は東日本大震災で南栗橋駅西が液状化被害が出た時に、東武の線路や施設、車両基地には何の被害もなく、線形を見ると沼池(現在も存在している高須賀池・内池・雷電池も)を避けて、幸手駅から日光線開業時と同時に開設された栗橋駅まで、日光線が敷設されていたということが分かったからです。本来なら昭和初期は今よりも田園地帯でしたでしょうから幸手から栗橋まで、真っすぐ線路を敷設出来たはずです。液状化被害の南栗橋十二丁目付近は元は水田ではなく沼池だった場所です。南栗橋駅前でも駅開設された当初は国交省の昔の写真を見ると水田がありましたが液状化被害はありませんでした。昔そのことを図入りで分かりやすく書かれていた個人ブログがあったのですが、なくなっていて残念ですね。権現堂川・江戸川の件は、記事本文の「一方乙線は多数の架橋が必要であるため建設に時間がかかるとされた」で分かるでしょう。まあこうやってノートに議論残せただけでも十分です。親切な方が現れることを待ちます。--電波銀座万歳(会話) 2021年7月9日 (金) 11:44 (UTC)
- すみませんが、そのあたりを画像に再現して、利根川橋梁について何がわかりやすくなるのでしょうか。単なる自己満足にしか思えないのですが。ルートの決定に影響はしていないでしょう。私はそこに対応はしかねるので、やりたいのであればそちらにお任せします。--Tam0031(会話) 2021年7月8日 (木) 14:10 (UTC)
- 谷中湖じゃなくて赤麻沼、石川沼、赤渋沼、前原沼ですね訂正。調べれば分かると思います。特に赤麻沼は日本で三番目に大きい沼だったようです--電波銀座万歳(会話) 2019年6月11日 (火) 07:19 (UTC)