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ノート:別所

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項目名について

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項目名は「別所」となっておりますが、2「本村の新田や枝郷とされるもの」、3「仏教寺院の本拠地を離れた所に営まれた宗教施設」の意の「別所」が項目として執筆される場合は、項目名の変更の必要が生ずるかと思います。その場合には変更に異論はありません。(項目作成者)--Memosa 2007年10月15日 (月) 08:28 (UTC)[返信]

というか、「別所」という名詞自体は「地名または地名由来と考えられる日本人の姓の1つ」であって、現在の項目は「別所説」あるいは「別所俘囚起源説」とでもいうべきではないでしょうか?2、3の項目が新設できるほど特筆すべき事項の多い記事になるとはちょっと考えにくいので、本項目を「別所俘囚起源説」などに移動し、「別所」を曖昧さ回避ページに変更した方がすっきりすると思うのですが。文案としては、

別所(べっしょ)

  1. 日本の地名。本村新田枝郷とされた土地に付けられたとする説と、大和王権による俘囚移配地とする説がある。後者については別所俘囚起源説を参照。
  2. 仏教寺院の本拠地を離れた所に営まれた宗教施設。「……別所」、「……院」、「……寺」、「……堂」と呼ばれたもの。
  3. 日本人の姓の1つ。別所氏など。

<曖昧さ回避テンプレ>

という感じではいかがでしょうか?--ろう(Law soma) D C 2007年10月24日 (水) 07:47 (UTC)[返信]


岩波書店版『日本史辞典』には「別所」が「3」の意味で「別所【べっしょ】本寺を離れた所に営まれた宗教施設をさし,何々別所(あるいは院・寺・堂)とよばれた。本寺が延暦寺の黒谷別所・大原別所,東大寺の光明山寺,興福寺の小田原別所など,11世紀前半から中世後期にかけて全国的に出現した。成立の事情や果した宗教的機能はさまざまで,本寺の俗化を嫌った遁世者や聖ひじりの住む所であったばかりでなく,念仏活動や種々の法会を通じて民衆教化や結縁の場ともなり,また重源の建立した播磨国浄土寺,周防国阿弥陀寺,摂津国渡辺別所のように,東大寺再建事業の拠点になったところもあった。」(CD-ROM版、2000年)と解説されています。当方の上記の意図は、この「3」が執筆される可能性を考えてのことでした。あとは当方の主観ですが、「別所俘囚起源説」は今後、有力な学説となっていくと思われます。しかし、現時点で「3」の執筆可能性が皆無であるなら、「別所俘囚起源説」もまだ「定説」とまでは言えないので、移動に反対するものではありません。単なる「地名または地名由来と考えられる日本人の姓の1つ」ではないことだけ、申し述べさせて下さい。--Memosa 2007年10月24日 (水) 15:13 (UTC)[返信]
その事実は知りませんでした。了解です。当面、このままでいきましょうか。また別の方から指摘があったときに、また考えましょう。--ろう(Law soma) D C 2007年10月24日 (水) 23:39 (UTC)[返信]