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ノート:内山龍雄

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内山龍雄

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修正しました。 まだダメなら、再度独自研究を貼ってください。

内山龍雄 がこの程度の記事では寂しい。追加で書き込みさせていただきましたが、だれか、書き込みをお願いします。 (うっちゃん)

独自研究タグを貼ったNS5-braneです。出典を提示くださりありがとうございます。出典として挙げられた文献のうち、日本物理学会誌の記事は素粒子の物理 : 先駆と展開の鳥瞰(<シリーズ>「日本の物理学100年とこれから」) これのことでしょうか?
現物を読んでみたのですが、例えば  ①「以後の素粒子論研究の原点であるが、(中略)以後、日本の素粒子論研究は、世界でのリードを失っていく」といった記述は私の見落としでなければどこにも見当たらないのですが、本当にこれが出典なのでしょうか? また、注釈に出典なしで  ②「ゲージ論は飛びぬけて難しいものではなく、周辺の内山龍雄の仕事に対する評価がこの結果を招いたといえる」とありますが、これは誰による評価でしょうか? 編集者による評価であるならば、独自研究ということになります。  ③他にも「湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一、南部陽一郎と並ぶ、大学者である。もちろん、益川敏英や小林誠がいるが」といった、編集者による主観的な評価とおぼしき記述が見られます。もし著名な研究者による評価であるならば、出典を明示すべき(記述も「○○は~と評価している」といった記述が望ましい)ですし、そうでないなら独自研究として削除されるべき記述です。
湯川秀樹朝永振一郎にも独自研究の疑いのある記述(出典に該当する記述の見当たらない情報、評価等)が残っていますので、この項目とともに、再度独自研究タグを貼り付けさせて頂きます。--NS5-brane 2010年12月7日 (火) 12:59 (UTC)[返信]

①おっしゃるとおり、直接には、記述はありません。しかし、日本での研究は、海外に行った南部を除けばゼロです。わずかに、後藤の弦理論があるだけです。世界でのリードを失っていないのでしょうか。 確かに、文献では、内山をあげていませんが、文献で見る限り、それ以後の研究はありません。 実験は別です。金があればできる研究でノーベル賞はもらえるでしょうが。

内山は、ゲージを理解する人間が周辺にいなかったのは、事実でしょうが、出典を明示することはできません。注としてしばらく、置かせてください。

③内山の評価は、上げた文献にはありません。ゲージの創始者、ワイルも大物理学者とされているわけではありません。おっしゃるとおりかもしれませんが、カバーする範囲は、内山以後のすべてに及びます。湯川-素粒子論の創始者、朝永-電磁量子力学の完成者、繰り込みの創始者、坂田-坂田モデル-クオークの原型創始、レプトン-ハドロン分類の創始者、南部-弦理論-超弦理論の原型創始、自発的対称性の破れの創始者と、比べ広大さ、革新性で劣ることはありません。 他には、弦理論の後藤鉄男がいるくらいです。

これを独自研究と言えば言えますが、これだけの独創的で、広大な影響を及ぼした大学者を、日本の生んだ5本の指の一人とするのが独自研究といえるのかと思います。おっしゃるとおりでもあり、判断が難しいところと思っています。

業績を列挙する、書き改めたやり方ならお許しいただけるかと。

湯川、朝永の問題点も指摘していただければ、感謝いたします。

ノート:湯川秀樹にも書きましたが、検証可能性を念頭においた編集を行ってください。(検証した結果、出典にない情報が付け加わっていることが判明するというのも問題ですが……)
「注としてしばらく、置かせてください」ということですが、注であれば出典が無くてもいいということにはなりません。他にも本文の記述が脚注に移動したものがありましたが、「出典が出せないので移動」という意味だったのでしょうか?
あと、独自研究からは離れるのですが、①研究者相互の影響に関する記述が、それぞれの人物の項目でかなり重複しているように思います。②「内山龍雄」という項目の記述に影響元(?)の湯川秀樹だけならともかく、朝永振一郎や坂田昌一を並列に並べて記述する必要があるのでしょうか? 例えば素粒子物理学あたりに「日本における素粒子物理学の展開」のような節を作って、そこにまとめて記述した方がすっきりするように思います。--NS5-brane 2010年12月9日 (木) 09:49 (UTC)[返信]
③「以後の素粒子論研究の原点であるが、(中略)以後、日本の素粒子論研究は、世界でのリードを失っていく」についてですが、南部氏は「素粒子論の発展」p82で「なぜ日本はこうなったのでしょうか. (中略)しかし私は戦後の教育システムもそのことに関係があると思います」と書いていますね。一般ゲージ理論が評価されなかったこととの因果関係には全く触れられていません。リードを失っていったこと自体は私も否定しませんが、その原因の分析は人それぞれでしょう。私が問題にしているのは、繰り返しになりますが「誰による主張なのか」という「出典の明示」が無いことです。記述が「正しいかどうか」ではありません。「一般ゲージ理論が国内で評価されなかったこと」と「日本における素粒子論研究がリードを失ったこと」の間に直接の因果関係があるとするなら、誰がそういう主張をしているのかを出典とともに明記すべきです。記述が正しいという主張をこのノートページに書かれても、出典の無い状態ではWikipediaの基本方針に則っていないことは変わりません。--NS5-brane 2010年12月9日 (木) 10:51 (UTC)[返信]

①重複は認めます。ただ、サーフィンをする人以外の人にとっては、無駄ではない?  書き過ぎを減らしていきます。 ②5指に入るとするのはダメということだったので、事実を並べました。本意ではないが、評価が入るというのでこうしました。  内山の位置を示したいのですが、消すべきでしょうか。 ③全般的指摘に係わりますね。  指摘とは筋がずれますが、1954年で、旧制高校は1950年まで存続しています。内山の周囲の研究者は旧制の教育を受けたものです。  南部の指摘は正しいですが、内山の問題には使えません。  書くとすれば、事実を比較するしかありませんね。五指に入ると同じように。 それより、本を書くか。

あまり杓子行儀にする必要はないと思ったのですが。とにかく簡略化します。(うっちゃん)2010.12.9

もう少し、時間をください。(うっちゃん)2010.12.10

1月中旬まで、用事があり、変更、書き加えしません。

うっちゃん-練馬大根114.164.26.70 2010年12月12日 (日) 02:26 (UTC) [返信]

「弦理論に関して、ゲージ場を扱う」って、何言ってるんですか? 後藤の仕事のどの辺がゲージ場なんですか? まさかworldsheet上のdiffeo? (ゲージ"場"じゃないし)
わかってないことを無理して書かないでください。歴史的なことに関する出典を逸脱した編集も問題ですが、物理そのものに関する正しい知識を欠いたまま編集を行うのは論外です。--NS5-brane 2010年12月12日 (日) 11:32 (UTC)[返信]