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ノート:共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派

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組織名称

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過去にも未来にも「日本共産主義者同盟」という組織も、その「○○派」という組織も存在しません。共産主義者同盟およびその各派は、「日本」という語は付きません。--219.24.214.21 2006-04-22 07:40:31 UTC --以上の署名のないコメントは、219.24.214.21会話/Whois)さんが 2006年4月22日 (土) 07:40 (UTC) に投稿したものです(124.108.255.70による付記)。[返信]

署名補足しました。--124.108.255.70 2015年10月14日 (水) 17:22 (UTC)[返信]


60年代の時点で「共産主義者同盟・マルクス・レーニン主義(ML派)」はないです。社学同ML派です。文脈ではSFLが「共産主義者同盟・マルクス・レーニン主義(ML派)」の 学生団体であるかのように誤認させられますが、そもそもML派が社学同であり上部の政治組織は共産主義者同盟(ブント)です。独自の政治・学生組織を持つ意味もあり ブントを離れ日本マルクスレ・レーニン主義者同盟(ML同盟)を結成しました。その大学生組織がSFLです。

74に共産主義者同盟・全国委員会が分裂再編し「共産主義者同盟全国委員会(マルクス・レーニン主義)」が結成されますが、翌年にはすぐに再・再編してしまいました。 同75年、共産主義者同盟・赤軍派(プロレタリア革命)が分裂再編を起こし「マルクス・レーニン主義」を名乗りますが、これを 「共産主義者同盟(マルクス・レーニン主義)」と呼ぶのか「共産主義者同盟・赤軍派(マルクスレーニン主義)」とよぶか分かりませんが。

「全共闘用語の基礎知識」よりの引用 「-1968年当時、三派系全学連には、共産同マル戦派、共産同統一派、社学同ML派、社学同、社青同解放派、社青同国際主義派、革共同中核派が属していたがー」 これからも分かるように、「社学同ML派」であって「共産主義者同盟ML派」ではないです。 --以上の署名のないコメントは、122.255.187.205会話/Whois)さんが 2016年12月29日 (木) 12:26 に投稿したものです(Rabit gti会話)による付記)。

コメント信頼できる情報源があれば記事名の改名もできます。「全共闘用語の基礎知識」は個人ブログですが、複数の書籍で「社学同ML派」を使用しており[1][2][3]、「共産主義者同盟ML派」または「共産同ML派」に近い表現も存在するものの「共産同系のML派」的な記述が多い[4][5][6]とは思います。異論が無ければ改名提案しますが、より決定的な出典が無いでしょうか。なおノートでの発言には署名をお願いします。--Rabit gti会話2016年12月30日 (金) 04:29 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。「信頼できる情報源を」とのこと、御意は理解できますが「ある」事を証明できても「ない」事は「証拠がない」ことでしか証明できません。 参考になるのは「リベラシオン社」と言うサイトの資料が参考になります。運営なさっているのは関西ブントの元活動家の方です。詳細はご覧いただくとして、昨日私が指摘した 二つの「共産主義者同盟(ML)」の機関誌の画像を引用いたします。 1)「全国委員会」から分裂したほうの「ブントML」http://www.geocities.jp/liberationsya/ism-ml2.pdf 2)「赤軍派(プロ革)」から分裂した「ブントML」    http://www.geocities.jp/liberationsya/ra-ml1.pdf いずれも75年ごろですから、ML同盟すら存在しない頃です。クロニクルで確認すると以下の様になります。尚、「ML」を名乗るセクトや機関誌は色々あるので、この件に関係のある物だけに絞ります。ブント史1961-1965http://www.geocities.jp/liberationsya/b-rekisi3-a.pdf 63年9月 マルクス・レーニン主義者同盟(共産同再建大会実行委員会)―結成(渚 雪彦、今井 澄、豊浦 清、河北三男・機関誌『マルクス・レーニン主義』)とあります。一次ブント解体以降も社学同は残り続けました。社学同ML派はすでにブントの再建より独自の同盟建設を優先していたのかもしれませんが1986年のML同盟結成の過程とは矛盾します。64年8月「共産主義者同盟」―再建結成(小仏山荘・議長―渚 雪彦・機関紙「赤旗(せっき)・レボルシオン社(SM―青年社の改名)設立 マルクス・レーニン主義者同盟・社会主義青年運動・電通労研)ここでブントは再建されたものと思われます。ここにも「マルクス・レーニン主義者同盟」の名が見えます。ブント史1966-1968 http://www.geocities.jp/liberationsya/b-rekisi4-a.pdf 時代は少し飛んで「1968.10 日本マルクス・レーニン主義者同盟(ML同盟)・学生解放戦線―結成 旧社学同ML派・機関誌・紙『マルクス・レーニン主義』「赤光」 (議長―畠山嘉克、書記長―鈴木迪夫、渚 雪彦・今井 澄・豊浦 清)」と、かかれています。ここだけ読むとこの時に「社学同ML派が日本マルクス・レーニン主義者同盟(ML同盟)となり、学生組織=学生解放戦線(SFL)を結成した。」と読めます。共産同ML派がML同盟を作ったと言う資料は見つけられませんでした。ただし1964年8月2日日韓・改憲阻止・反戦全国労働者学生集会(大手前国民会館) には共産同ML派の名が見えますが、前述の通り、この年の再建ブント結成には「共産同ML派」ではなく「マルクス・レーニン主義者同盟」で参加しています。つい昨日、落札された初期「マルクス・レーニン主義同盟(共産同再建準備)」の機関誌には「共産同ML派」の名はないですね。http://page3.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c583094650 最初に上げた「二つも共産主義者(ML)」は以下の74-75年あたりに記述があります。 http://www.geocities.jp/liberationsya/b-rekisi7.pdf

機関誌から見ると 社学同ML派 機関紙「赤光」第1号~53号 及び「社学同通達」第1号~。このうち「赤光」の54号以降を引き継いだのは1968年結成のML同盟(1968~1971)です。1964年に社学同ML派が結成したという共産同ML派がML派の政治団体になったと言うのは考えづらいです。1964年に結成されたと言うのは「マルクス・レーニン研究会」機関誌『レーニン主義』第1号~4号(マルクス・レーニン研究会1964年9月~65年8月)のことでしょう。


--122.255.187.205 2016年12月30日 (金) 23:52 (UTC)[返信]

コメント多数の出典ありがとうございます。複数の時代で複数の集団が「ML派」との用語を集団名や機関誌名に使用した事はわかりましたが、まずは当記事の改名提案のための出典(つまり、世間一般で「ML派」と呼んだ場合の対象である「社学同ML派」の正式名称、指導者などの出典)はご存じでしょうか(私は見つけられなかったので)。現在、記事の中身がほとんど無いため、まずは「社学同ML派」を最低限記載した後に、「その他」などの形で「類似の名称を使用したその他の団体」として併記すると良いかと思っております。なお「正式名称」にこだわるのは、フロント (社会主義同盟)のように「丸かっこ」か「カギかっこ」かなども後で議論される場合があり、記事改名はリンク元記事の編集も必要なため、できれば1回にしたいためです。ご協力お願いいたします。--Rabit gti会話2017年1月2日 (月) 04:54 (UTC)[返信]