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ノート:公訴時効/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

公訴時効の本文の記述内容について

本項目は国語力が著しく低い人物に主導されて記述されたためか、意味不明や支離滅裂な箇所が多い。削除して新たに作り直すか、大幅に修正すべきである。--61.205.33.169 2010年8月18日 (水) 05:39 (UTC)

初心者の方でしょうか。「公訴時効制度の本質について」の部分と「公訴時効の停止について」の部分以外は、トークページでの協議対象ではないですから、自由に編集すれば良いと思います。協議対象の部分は、トークページに変更案を示してください。しかし、「履歴表示」を見ればどれだけ多くの人が編集にかかわって来たかが分かると思いますが、「国語力が著しく低い人物に主導されて」とは編集にかかわった人全員が国語力が著しく低いと言いたいのでしょうか。119.173.33.105 2010年8月20日 (金) 17:23 (UTC)
61.205.33.169さんの意見に同感です。履歴をみると、全体的な見直しが必要であるにもかかわらず、一部の人間によって強行的に差し戻されているようです。頁全体の方向性を共有することはノートページの有効利用といえるでしょう。--218.221.129.130 2010年9月20日 (月) 16:48 (UTC)

公訴時効制度の本質について

>(1)実体法説 >時を経るにつれ応報や威嚇・改善の必要性が減少し、

「威嚇・改善」って何でしょうか。意味が分かりません。「社会的影響」の方が説明になっていると思います。

>(3)競合説 >両説に対する批判は、この説についても向けられる。

そうではないでしょう。競合説は「良いとこ取り」ですから、免訴については訴訟法説で説明し、証拠十分な場合については実態法説で説明するため、競合説に対しては、「両説に対する批判」は当てはまりません。

>(4)新訴訟法説 >被告人の地位の安定は反射的な利益にすぎない。

これは違いますね。新訴訟法説の田宮博士は「ある個人が一定の期問訴追されていない(刑罰を加えられていないのではない)という事実状態を尊重して、国家がもはやはじめから訴追権そのものを発動しないという制度ではないか。実体法説のいう刑罰を、ここでは訴追というものに置き換えたもので、一般の時効制度と共通の思想によっている。これは訴訟法説ではあるが、証拠散逸説とは根本的に違う。そうすると、公訴時効は、訴追という事実に対する被告人の利益のための制度だということになる」(引用の原田和往論文のP208に引用されています。)と述べていますから、「反射的利益」ではなく「時効制度の目的」ということになります。
また例示を消す必要はないでしょう。218.216.99.67 2010年2月10日 (水) 07:53 (UTC)
(1)「威嚇・改善」とは刑の一般予防効果・特別予防効果を意味する文言です。社会的影響力の存在が刑罰権発動根拠ではない以上、「社会的影響」という記述ではむしろ本質から逸れています。(3)競合説はその名の通り競合させているに過ぎず、一定の補完関係にはあるものの、両説に対する批判を看破しているわけではありません。例えば、証拠が十分にある場合にも免訴判決となる理由を説明できません。(4)については誤った理解がありました。確かに田宮先生の見解に従えば、被告人の地位の安定は時効制度の目的として位置づけられるようです。ご指摘ありがとうございます。例示につきましては、内容が不適当と考え削除しました。本件例示によれば「不安定な状態を永遠に続けないため」の公訴時効制度であると説明していますが、正しくは「永続した事実状態を不安定にしないため」の公訴時効制度であると説明すべきではないでしょうか。--Inuki 2010年2月10日 (水) 17:17 (UTC)
(1)専門書でも「社会的影響」という用語で説明するものがあります。(例として、原田論文P168「社会的影響の微弱化(例えば、社会の遺忘・社会秩序の回復・社会的応報感情の希薄化」)Wikiは百科事典ですので、分かりやすくすべきであり、説明なしで「威嚇・改善」を使うことは反対です。書こうとすれば「威嚇(処罰を行い見せしめとして同様の犯行を思いとどまらせる)、改善(処罰により再教育を行い再犯を防ぐ)」という形だと思います。しかし、「社会的影響」と書くほうがスマートではないでしょうか。
(3)了解しましたが、「両説に対する批判は、この説についても向けられる。」という批判を書くとともに、「しかし、競合説は、実体法説に対する批判には訴訟法説で答え、訴訟法説に対する批判には実体法説で答えることに特徴があり、そのような批判は当たらないという反論がある。」という反論もまた記載すべきだと思います。
(4)「内容が不適当と考え削除しました。」これでは、大人の議論にはなりません。不適当の理由を記載してください。また、「永続した事実状態を不安定にしないため」とありますが、時効には「永続」の必要はありません。「一定期間継続した事実状態を不安定にしないため」であれば田宮博士の引用とも合致すると思います。消滅時効ですから、「事実状態」は安定した状態には限らず、不安定な事実状態が一定期間継続したとしても、その権利が行使されないという事実状態を尊重して、不安定要因を消滅させることもあります。このため、「不安定な状態を永遠に続けないため」というのも時効の説明として問題ないものと思います。218.216.99.67 2010年2月12日 (金) 04:41 (UTC)
(1)についてですが、原田先生の用いる「社会的影響力」という文言は「応報」の必要性が減少している点についての説明ですね。そして、実体法説は前提として相対的応報刑論を採用する以上、「威嚇・改善」という文言・内容は残すべきだと思いです。しかし、分かりやすくすべきというのには賛成です。例えば「時の経過とともに、社会の応報感情が減少し、また刑罰による一般人に対しての威嚇の必要性や、犯人に対する改善の必要性が減少することで国家の刑罰権が消滅する」という表現ではどうでしょうか。
(3)については、一応反論を書くことはかまわないのですが、そのような反論が実際にあるのでしょうか。出典を探したところ、批判について記述した専門書はあったのですが、反論についての記述したものは見当たりませんでした。なお、批判についてはいくつか出典を明記しておきます(※1)
(4)については、蒸し返しとなり申し分けないのですが、同じ田宮先生の見解として「被告人の地位の安定がその反射的利益」だとする出典が存在しました(※2)。提示頂いた論文と矛盾する内容であるとも思えますし、形式的(論理的)目的・実質的目的を区別しているようにも解釈できます。そこで新訴訟法説について記載するにあたっては、読者に理解を委ねるために、出典から忠実に引用するのが妥当と考えます。
例示については、不適当である理由不記載の指摘がありますが、"本件例示によれば「不安定な状態を永遠に続けないため」の公訴時効制度であると説明していますが、正しくは「永続した事実状態を不安定にしないため」の公訴時効制度であると説明すべき"ではないか、という理由を示しています。また、"消滅時効ですから"とおっしゃっていますが、民法上の消滅時効制度と混同した理解ではないでしょうか。ある専門書(※3)には、新訴訟法説について説明する際に「社会的安定を尊重し」という表現があり、不安定な事実を改善する場合も含まれるのか疑問があります。何か出典さえあればこの例示で全く問題ないと思います。なお、法学で「永続」という場合、長期間継続することを意味します。
※1 安富潔 『刑事訴訟法講義』初版 168項 「総合説は実体法説及び訴訟法説のそれぞれ疑問点がいずれも妥当する」、『条解 刑事訴訟法』第3版増補版 弘文堂 452,453項 「競合説(実体法説と訴訟法説を併せた説であるがこれに対しては両説に対する批判があてはまる)」,白取祐司 『刑事訴訟法』 白取祐司 日本評論社 98項 「両方の論拠を挙げるのが③競合説であるが、逆にいうと両説の難点を併有するともいえよう」
※2 田宮 裕 『刑事訴訟法』新版 223項 「一定の期間訴追されていないという事実状態を前提に国が訴追権を発動しないという制度であって、被告人の地位の安定がその反射的利益だと解するのが妥当」,『デバイス12刑事訴訟法』 早稲田経営出版 219項 図参照
※3 石丸俊彦 『刑事訴訟法』初版 224項 「その犯人について社会生存の静的な事実が経過したことにより、(中略)形成された事実の方を尊重する」,松尾浩也 『刑事訴訟法 上』新版 法律学講座双書 弘文堂 154項「時の経過がもたらした社会的安定を尊重し、被疑者を訴追の可能性から解放する」,白取祐司 『刑事訴訟法』 日本評論社 99項 「公訴を許さないのは、一定の期間訴追されていない事実(被告人の地位の安定)を尊重して、国家はもはや訴追権そのものを発動すべきでないという訴追抑制の要請があるからである(田宮祐『日本の刑事訴追』[有斐閣、1998年]200項、216項)」--Inuki 2010年2月12日 (金) 12:07 (UTC) 一部加筆--Inuki 2010年2月12日 (金) 18:31 (UTC)
(1)まだ分かりにくいと思います。「時の経過とともに、社会の復讐感情が減少し、また刑罰により一般人に対しての犯罪を思い止まらせる必要性や、犯人に対する再教育の必要性が減少することで国家の刑罰権が消滅する」ではどうでしょうか。分かりやすさは主観的なものですから他の人の意見も聞きたいところです。
(3)むしろ競合説に実体法説、訴訟法説の批判が当てはまるという論の方が目を疑います。競合説は旧説への批判を解決するために出てきたものですから。引用された本では、具体的にどのように旧説への批判が当たるとしているのでしょうか。原田論文ばかりで恐縮ですが、P207に東大平野教授(学長)の競合説について、旧説への批判が当てはまらないことが書いてあります。「証拠が十分にある場合にも免訴判決となる理由」ですが、無罪判決にすべきだという話でしょうか。競合説では、免訴となる理由は訴追権が消滅したためで、訴追権が失われたのは、社会への影響が十分に衰微したためですから、問題なく説明できています。なお、この点については合意があったので、修正します。
(4)反射的利益とは、広い意味では、名宛人以外に利益が発生すれば反射的利益ですから、「日本国憲法第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」なども、条文の名宛人は国で、拷問を受けない権利は広い意味では反射的利益ですが、「反射的利益」には「固有の権利ではない」というニュアンスがあり、わざわざ誤解を招くような表現は避けるべきだと思います。特に、制度の目的が推定無罪が働く被告人の保護であるとき、国を名宛人として訴追を禁じたとしても、反射的利益という表現は避けるべきだと思います。
「永続」か「一定期間」かですが、もし「永続」であれば、立法府は社会的に「永続」と評価されないような短期間の公訴時効を設定し得ないことになります。しかし、現行の刑事訴訟法は、「拘留又は科料に当たる罪については一年」という公訴時効を設定しており、「一年」は「永続」とは言えません。このため「永続」という表現は正しくありません。
また、公訴時効が「消滅時効」である以上、時効の効果は何かの「消滅」であり、それは不安定の消滅であり、訴追権の消滅ということになります。訴追のない事実状態がどれだけ続いても、いつ訴追が起き、その事実状態が覆っても不思議ではありませんから、訴追権は不安定要因ということになります。訴追が不安定要因で、「一定期間」続いた不安定な「訴追のない事実状態」を考え、時効により不安定を除去しようとする制度である以上、「不安定な状態を永遠に続けないため」というのは、何の問題もないと思います。218.216.99.67 2010年2月15日 (月) 04:14 (UTC)
(1)「威嚇・応報」という文言にこだわるつもりはありません。「時の経過とともに、社会の復讐感情が減少し、また刑罰により一般人に対して犯罪を思い止まらせる必要性や、犯人に対する再教育の必要性が減少することで国家の刑罰権が消滅する」という表記で納得しました。
(3)私が引用した書籍では一行のみ、批判が該当する旨の記述しかありませんでした。反論について出典があるようなので記載していただいて結構です。「証拠が十分にある場合にも免訴判決となる理由」については、そもそも競合説がもとにする訴訟法説で「社会への影響が十分に衰微した」場合に訴追権が消滅するとの理解はなされていません。また「社会への影響が十分に衰微した」ならば刑罰権が消滅しているはずであり(実体法説)、無罪判決が適当となるはずです。ただ、wikipediaでは出典を尊重すべきなので反論記載に問題はありません。
(4)「反射的利益という表現は避けるべき」とおっしゃっていますが、我々の理解で表現を変える方が危険ではないでしょうか。それこそ読者に誤解を与えかねません。この点については、論者である田宮先生が慎重に選んだ言葉を尊重すべきです。
「永続」という文言については、正直なところ民法の論述の癖で使ってしまったものであり、使う場面として適当ではありません。「一定期間」に訂正します。
新訴訟法説の例示については、確かにそのように論じることもできるでしょう。しかし、この説の論者がそれを意図しているかどうか疑問が有ります。上記参考文献にもありますように、事実状態を尊重、「社会的安定を尊重」「被告人の地位の安定を尊重」という文言から、不安定を改善する場合も含むとする理解が導き出されるとは思えません。「それは不安定の消滅であり」とおっしゃっていますが、上記の参考文献に従えば「不安定をもたらす要因の消滅」と理解すべきだと思います。--Inuki 2010年2月15日 (月) 16:22 (UTC)
(4)については、どうしましょうか。平行線のようですね。両論併記でしょうか。218.216.99.67 2010年2月17日 (水) 08:01 (UTC)
(4)と例示については、上記の私の主張に反論していただくか、出典等を示していただかないと、議論が平行線なのか否かも判断できません。--Inuki 2010年2月20日 (土) 18:06 (UTC)
(4)すでに反論はしていると思いますが。その上で平行線では。議論が見えにくくなってきましたので、inukiさんの文案を示していただけますでしょうか。私の文案は現行のままで良いと思います。218.216.99.67 2010年2月22日 (月) 04:05 (UTC)
改めて主張しますと、例示について、意見の分かれる事項の独自解釈を載せるのは危険である(許容性がない)と考えます。したがって、現時点で例示は載せるべきではないと考えます。出典さえ示していただければ何の文句もないのですが。
新訴訟法説の説明については、研究したところ、どうやら論者によって形式的根拠が区々のようです。例えば田宮先生は「事実状態の尊重」のみが根拠であり、被告人の地位安定は「反射的利益に過ぎない」としています。これに対して坂口先生の場合、「被告人の防御権」を形式的根拠としています。原田和往『公訴時効制度の歴史的考察』P209以下にも両者の違いについて詳細な分析が記述されています。したがって、これらを勘案し、「犯人と思われている者が一定期間訴追されていない事実状態を前提に、国が訴追権を発動しないという制度であるとする説である。その形式的根拠についてはさらに学説が分かれ、被告人の防御権にあるとする説、事実状態の尊重にあるとする説がある。」という説明ではいかがでしょうか。--Inuki 2010年2月23日 (火) 12:56 (UTC)
まず、坂口説は(5)ですから、(4)で触れる必要はありません。
田宮説は、「反射的利益に『過ぎない』」とは言っていません。inukiさんの引用だと「被告人の地位の安定がその反射的利益だと解するのが妥当」ですよね。すると、検察が、公訴時効の完成した事件について起訴した場合、被告人は公訴時効が完成したことを主張できないのでしょうか。「反射的利益に過ぎない」のであれば、時効完成を主張できないのでしょうね。一方、田宮博士は「公訴時効は、訴追という事実に対する被告人の利益のための制度だということになる」(田宮裕『日本の刑事訴追』(有斐閣、一九九八))とも言っています。こちらの方が、理にかなっていると思います。
例示ですが、「犯人と思われている者」ですから、「家族や恋人が犯人視される」とか「経理担当者が横領犯視される」という事例を出典としてあげれば良いでしょうか。そのような事例はいくらでもあると思いますが。218.216.99.67 2010年2月24日 (水) 11:51 (UTC)
「坂口博士も、田宮博士も、公訴時効制度の機能に着目する点は共通しており、その点で、両説は新訴訟法説に属しているといえる」原田和往『公訴時効制度の歴史的考察』P209
そして、218.216.99.67 さんは誤解されているようですが、「公訴時効は、訴追という事実に対する被告人の利益のための制度だということになる」(田宮裕『日本の刑事訴追』(有斐閣、一九九八))という文言は、田宮先生が公訴時効の「機能」(つまり実質面)について説明したものです。田宮先生は、公訴時効の「存在理由」(つまり形式面)については、あくまで「事実状態の尊重」にあると説明しています。原田和往『公訴時効制度の歴史的考察』(P208以下)に、田宮先生が根拠と機能を分けて論じている旨の記述があります。したがって、公訴時効制度の存在理由を説明している今回においては、「被告人の利益のための制度」という文言を使用するのは間違っています。なお、公訴時効の成否は訴訟条件であるため、裁判所が職権で判断するものであり(職権調査事項)、被告人が主張・立証する必要はありません。
出典の意味を理解されていないようですが、出典とは情報源を意味します。あなたの「新訴訟法説がいう『社会的安定を尊重』という文言には、安定した状態を不安定にさせないという趣旨のみならず、不安定な状態を永遠に続けさせない趣旨も含む」とする理解が正しい旨の情報源を記載してください。--Inuki 2010年2月24日 (水) 16:24 (UTC)
坂口説を(5)に分類することについては、納得いただけたのでしょうか。原田論文では、坂口説、田原説を新訴訟法説と一くくりにしていますが、別個の説ですから(別個の説だということはinukiさんも同意されると思いますが)、wikipediaでは(4)と(5)に分けて説明すべきでしょう。
『「被告人の利益のための制度」という文言を使用するのは間違っています。』とのことですが、何が間違っているのでしょうか。原田論文やその他の論文も、「機能を論じて理由を論じない」と新訴訟説を論難していますが、新訴訟説が「時効制度は被告人の利益のための制度だ」としていることを否定しているものはないと思います。むしろ、新訴訟説が「時効制度は被告人の利益のための制度だ」としているために、「機能を論じて理由を論じない」と論難されているのではないですか。
inukiさんの説だと、被告人が時効の完成を主張した場合でも、裁判所はそれに対する判断を示さなくても良いということでしょうか。
出典ですが、wikipediaの記事に記載のある事項について出典があれば良いのですから、記事に記載のないことについて出典を要求するのは不当だと思います。218.216.99.67 2010年2月25日 (木) 01:34 (UTC)
「両説は新訴訟法説に属する」とある以上、新訴訟法説の説明のなかで別個の説であると論じるべきであり、新訴訟法説(4)から独立して(5)を設けることは学説のレベル設定において間違っています。
新訴訟法説における田宮説は、存在理由を「事実状態の尊重」、機能を「被告人の利益のため」と説明します。ここまでは争いないですね。とすれば、存在理由に「被告人の利益のため」をあげるのは間違っているということです。
公訴時効の完成の有無が職権調査事項であるということは、法律が予定するものであり学説上争いありません。また被告人が主張したか否かを問わず判断しなければならないという結論になります(LEC東京リーガルマインド柴田孝之 http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~mokio/nyukeiso2k.pdf p88参照)。
218.216.99.67 さんの書いた例示は「wikipediaの記事に記載のある事項」に該当するため出典を示すことが必要です。--Inuki 2010年2月26日 (金) 09:40 (UTC)
inukiさんは、すでに(5)を作成することに同意されています。また、田宮説と坂口説は違うことも自ら指摘しています。であれば、(4)と(5)に分けて記載すべきだという結論になります。
セクションのタイトルは「公訴時効制度の本質」であり、「時効制度の存在理由」ではありません。そもそも機能だ理由だという論争は、「何のための制度か」(機能論)と「なぜ時効は成立するか」(理由論)の違いです。法制度は立法府の政策の表れですから、「なぜ公訴時効はあるか?」「立法府がそう決めたから。」「なぜ立法府はそう決めたか?」「疑われた者を保護するため。」という機能論(政策論)からの説明も「公訴時効制度の本質」の説明としてはアリだと思います。これに対し、実体法説のように、「なぜ公訴時効はあるか?」「処罰感情がうすれるから。」というのは、「空はなぜ青いか?」「青は波長が短いから。」というような自然現象の説明のような感があり、立法府の政策的意志がどこにあるのか不明です。つまり、実体法説には「何のための制度か」という観点がないため、公訴時効の必要性の説明がないのです。この違いは、法学に対する立場の違いで、どちらが良い悪いという物でもありませんから、「機能こそ公訴時効制度の本質である」ということを否定するべきではないと思います。
公訴時効が反射的利益に過ぎないかについては、こう言えば良いでしょうか。もし、裁判所が公訴時効が完成しているにも関わらず、有罪判決を出した場合、被告人はそれを理由に控訴できるでしょうか。もし反射的利益に過ぎないのなら、違法であっても、そのような違法を理由に控訴できないはずです。もし、控訴できるのなら、それは「反射的利益に過ぎない」のではなく、法的に保護される利益ということになります。
inukiさんは、次のように書いています。
>「新訴訟法説がいう『社会的安定を尊重』という文言には、安定した状態を不安定にさせないという趣旨のみならず、不安定な状態を永遠に続けさせない趣旨も含む」とする理解が正しい旨の情報源を記載してください。
しかし、それは記事には表れない文章でしょう。記事に表れている文章のどの部分に出典が必要なのか、記載してください。218.216.99.67 2010年3月1日 (月) 02:05 (UTC)
申し訳有りません、(5)を作成することに同意したのは誤りでした。独立の説として分けて記載するべきだとは思いますが、「両説は新訴訟法説に属する」という文言から新訴訟法説(4)の中で分けて論じるべきです。この文言に対する反論はありませんか。
「公訴時効制度の本質」の節では、続けて「公訴時効制度が設けられている理由について、次のような見解がある」と節の説明がなされています。したがって「理由」について記載する節です。新訴訟法説が「機能」を重視している点は補助的に加筆すれば足りると思います。
例示については議論がかみ合わないですね。改めますと、問題となっているwikpediaの文章は「例えば、殺人事件があった場合に家族や恋人が犯人視されることや、現金がなくなった場合に経理担当者が横領犯視されることがあるが、このような不安定な状態を永遠に続けないために、公訴時効があるとする。 」とする例示についてです。これはつまり、「新訴訟法説がいう『社会的安定を尊重』(松尾浩也『刑事訴訟法 上』154項)という文言には、安定した状態を不安定にさせないという趣旨のみならず、不安定な状態を永遠に続けさせない趣旨も含む」ということになります。しかし、文言上両者は一致しないように思えます。そこで出典を明示していただきたいということです。--Inuki 2010年3月1日 (月) 16:34 (UTC)
原田論文の脚注102と脚注111を見てもらいたいのですが、多くの書籍で田宮説のみを新訴訟法説と定義し、坂口説は新訴訟法説には入らないとする分類がなされていることが紹介されています。これに倣い、田宮説を(4)、坂口説を(5)と記事に記載すれば良いと思います。田宮説を(4)-i、坂口説を(4)-iiとすることは、単に記事を煩雑にさせるだけだと思います。
田宮説も坂口説も「疑われた者の保護が時効制度の本質だ」と言う点に特徴がある訳ですから、それをなぜ「補助的」に書くなどということになるのでしょうか。「理由」と言った場合、「立法府が疑われた者を保護するために政策的に作った」というのも「理由」です。ある種のドグマで「政策的理由」を認めず、自然法的な理由のみを理由という立場からは、新訴訟法説には理由がない、ということになりますが、それは中立的見方ではありません。「時効制度の存在理由は疑われた者の保護にある」という新訴訟法説の立場はストレートに伝えれば良いのであって、別のドグマの枠組みに組替えて紹介する必要はありません。
「社会的安定を尊重」という言葉から「時効完成前の状況が安定している」とinukiさんは言っているようですが、むしろ「社会的安定を尊重」という言葉には「時効完成前の状況が不安定だ」ということを前提としていると言うべきでしょう。時効完成前と時効完成後ではどちらが安定しているか考えれば、良いでしょう。そして、「社会的安定を尊重」して、公訴時効により、不安定な状況を安定な状況に変えるということです。一番上の(4)に田宮博士の引用がありますが、そこでは、「一定の期問訴追されていないという事実状態を尊重」とありますが、「事実状態」であり、「安定した事実状態」とは書いてありません。それで、元に戻りますが、記事のどの部分に出典が必要なのでしょうか。既に繰り返し質問していますが、未だに回答がありませんので、回答がない場合は承認したものとして扱わせていただきます。218.216.99.67 2010年3月2日 (火) 00:23 (UTC)
原田論文の脚注102,111は、「新訴訟法説の定義付けについて争いあること」を指摘するものにとどまり、むしろ「両説を一括り」に扱う点で争いはないと読めます。「多くの書籍で田宮説のみを新訴訟法説と定義」しているとおっしゃっていますが、具体的にあげていただきたいです。
まず、私は政策的理由を書くな、などとは言っていません。両者を混同して書くことが問題だと考えています。実際のところ、原口先生の論文を読むと、論者である田宮先生自身が機能と理由を分けて論じることを容認しています(「理由と機能を分けて考え、今後は後者に重点移して考えていこうといいたかった」)。したがって現状のように両者を混ぜて表現するよりも、分けて書くほうが論者の主張に近づくと考えます。機能面に配慮して改めて提案し直しますと、「犯人と思われている者が一定期間訴追されていない事実状態を前提に、国が訴追権を発動しないという制度であり、被告人の地位の安定をもたらすという機能を重視した説である。…」ではいかがでしょうか。
何度も言わせないでください。出典が必要なのは、「例えば、殺人事件があった場合に家族や恋人が犯人視されることや、現金がなくなった場合に経理担当者が横領犯視されることがあるが、このような不安定な状態を永遠に続けないために、公訴時効があるとする。 」とする例示についてです(以下では単に例示と呼びます)。この点につき、田宮先生は「事実状態の尊重」という文言を用いていますが、他の学者は田宮先生のこの文言について「形成された事実の方を尊重」(石丸俊彦 『刑事訴訟法』初版 224項)という意味と解釈したり、「時の経過がもたらした社会的安定を尊重」(松尾浩也 『刑事訴訟法 上』新版154項)、「一定の期間訴追されていない事実(被告人の地位の安定)を尊重」(白取祐司 『刑事訴訟法』99項)するという意味であると解釈しています。しかし、この文言について、「不安定な状態を永遠に続けないため」という意味であると解釈した文献は見当たりませんでした。そこで、出典が示されませんと、この例示は独自解釈に基づく記載ということになります。したがって、出典が無いかぎり、独自解釈として削除すべきです。--Inuki 2010年3月2日 (火) 08:58 (UTC)
脚注を読まれたのでしょうか。それによれば、三井誠ほか編『刑事法辞典』、阿部純二編『学説判例刑事訴訟法』、鈴木重嗣『刑事訴訟法〔改訂版〕』、藤永幸治ほか編『大コンメンタール刑事訴訟法(第四巻)』、伊藤栄樹ほか編『新版註釈刑事訴訟法(第三巻)』、道谷卓「公訴時効-歴史的考察を中心としてi」関西大学法学論集四十三巻五号では、田宮説にならい「一定期問訴追されていない状態を尊重する考え方を新訴訟法説」と定義しているため、「このように新訴訟法説を定義した場合には、坂口説を含めることはできないと思われる」と結論付けられています。
(4)の第1文については、「犯人と疑われた者が一定期間起訴されなかった場合、その状態を尊重し、国の訴追権が消滅するとする説であり、被告人の地位の安定を目的とするとする説である。」であれば良いと思います。
例示についてですが、Wikipedia:引用のガイドライン#執筆は自分の言葉でというガイドラインを見て下さい。例示の内容は、新訴訟法説と同義ですから、独自研究には該当しません。出典としては、原田論文等で十分です。むしろ、ガイドラインにある通り、「出典の丸写し」的なことはやめるべきだと思います。218.216.99.67 2010年3月4日 (木) 04:24 (UTC)
しかし、その脚注では同じ文中に、それらの文献はすべて「両説を一括りにして扱っている」点について記載があり、これを前提としてます。また、原口先生自身も両説は新訴訟法説に属するとの見解を示しています(206項)。よって、学者間で新訴訟法説に属することに争いはないと思います。脚注はそれらの文献の新訴訟法説の定義付けが間違っている旨を指摘するものに過ぎません(209項参照)。
そして、現在、共に新訴訟法説として一括りにされているということから新訴訟法説の定義は「公訴時効制度の機能に着目した」説と定義されます(原田論文213項)。そこで(4)第一文は機能面に着目したということを述べるべきです。とすれば、「目的」では語弊があり、「機能を重視」という文言にすべきです。また、上記にもあるように、「状態を尊重」することは機能面で論じられていないため、「状態を前提に」とすべきです。そして、論者は訴追権が消滅するとまでは論じていないため、「訴追権を放棄」ないし「抑制」(原田論文207項)の方がしっくりくるように思います。そこで「犯人と疑われた者が一定期間起訴されなかった場合、その状態を前提に、国の訴追権が抑制されるとする説であり、被告人の地位の安定という機能面を重視する説である。」ではいかがでしょうか。
私が疑問なのは「例示の内容は、新訴訟法説と同義」という点です。上記のように文言上相反するものでありながら、この点について、何も根拠や出典を示されていません。また原田先生の論文にはこの点について述べられた箇所は存在しません。むしろ同論文中に記された田宮先生の見解は、「一定期間訴追されていないという事実状態を尊重(括弧書省略)」するものであるとしており、不安定を永遠に続けないという目的が含まれることまで言及されていません。なお、私の主張は文面に対する批判ではなく、内容に対する批判であり「出典の丸写し」の問題とは全く異なる事案です。今後も出典等がなければ内容の間違いとして削除します。もちろん文献収集のために時間をとっていただいても結構です。--Inuki 2010年3月4日 (木) 07:49 (UTC)

「(4)新訴訟法説」(田宮説)、「(5)誤審防止説」(坂口説)を統合すべきか

  • 新訴訟法説の定義を「一定期問訴追されていない状態を尊重する考え方を新訴訟法説」とするなら、新訴訟法説には田宮説のみが入り、坂口説は入らない
  • 新訴訟法説の定義を「公訴時効制度の機能に着目(原田論文P209)する考えを新訴訟法説」とするなら、田宮説、坂口説ともに新訴訟法説に入る

という点はよろしいでしょうか。inukiさんの発言を見ますと、新訴訟法説の定義を「一定期問訴追されていない状態を尊重する考え方を新訴訟法説」としながら、田宮説、坂口説ともに新訴訟法説に入れているように見えます。新訴訟法説の定義の仕方は2通りあり、どちらを採用するかですが、inukiさんも、田宮説の「一定期問訴追されていない状態を尊重する考え方を新訴訟法説」とするを提案していますので、その定義を採用するなら、坂口説は新訴訟法説には入らないことになります。すると必然的に坂口説は(5)に分けておかないといけないことになります。218.216.99.67 2010年3月5日 (金) 07:27 (UTC)

「定義」と「両説を含めるか否か」という問題が相互に関連するという点に異論はありません。そして、どちらを先決問題とするかによって、結論が変わることになると思います(このため、私は争点整理を見送りました)。私の主張としては、多くの文献では両説を含めて論じられているという点、原田先生も両説を含めること自体に対する批判は論じていないという点から、両説を含めるという前提のもと定義づけをすべきと考えています。--Inuki 2010年3月5日 (金) 14:32 (UTC)

下で新訴訟法説の定義を「犯人と疑われた者が一定期間起訴されなかった場合、被告人の地位の安定という制度の機能面を重視し、国の訴追権が抑制されるとする説」と提案されていますが、これは田宮説の定義であり、これを採用すれば坂口説は別立てにせざるを得ないでしょう。218.216.99.67 2010年3月24日 (水) 00:28 (UTC)

その定義は坂口説も包含します。坂口説を排斥するか否かは「訴追されていない状態を尊重する」という旨の記述があるか否かで異なります。--Inuki 2010年3月24日 (水) 16:10 (UTC)
坂口説は、原田論文でも引用されているように「公訴時効は、処罰されるわれわれの『防御権』を保障する刑事訴訟法上の制度」ですから、「被告人の地位の安定」とは全然違います。
原田論文では「社会的影響が残存していても、また、証拠が散逸していなくても、時効完成により訴追権の行使が抑制されるという公訴時効制度の機能面に着目した見解が、新訴訟法説とよばれている。」(P207)ですから、「被告人の地位の安定」は出てきません。inukiさんの定義では、田宮説しか新訴訟法説に入らないでしょう。218.216.99.67 2010年3月26日 (金) 11:23 (UTC)
確かにかなり御幣がありますね。私としては、田宮説と坂口説が包含されるならば異論はありませんので、「犯人と疑われた者が一定期間起訴されなかった場合、社会的影響や証拠が散逸の有無にかかわらず訴追権の行使が抑制されるという公訴時効制度の機能面を重視する説」といった定義でも問題ありません。218.216.99.67さんは両説を含むという前提のもとで定義づけして問題ないですか。--Inuki 2010年3月26日 (金) 15:23 (UTC)
既に合意があったと思いますが、坂口説を新訴訟法説に含める論者もいれば、含めない論者もいる訳です。
すると、百科事典としての分かり易さ、読み易さの問題になりますが、現状のように「(4)新訴訟法説(田宮説)(5)(坂口説)」と編集した方が良いか、それを変えて「(4)新訴訟法説(4-1)田宮説(4-2)坂口説」と編集した方が良いかの問題ということになります。田宮説と坂口説は相当異なる説ですし、新訴訟法説だけ二階層にするのは不恰好ですから、現状の形で良いと思います。218.216.99.67 2010年3月30日 (火) 03:43 (UTC)
では、両者を区別して記載するとしても、例えば(4)新訴訟法説(田宮説)、(5)新訴訟法説(坂口説・誤審防止説)という表記ではいかがでしょうか。私としては「共に新訴訟法説として一括りにされることが多い」(原田論文209項)という実情を反映させたいところです。これで合意いただければ、定義は現状のままで結構です。--Inuki 2010年3月30日 (火) 17:09 (UTC)
私は現状の「(4)新訴訟法説(5)誤審防止説」の方が分かりやすく良いと思います。2人で話しても平行線でしょうけど。218.216.99.67 2010年3月31日 (水) 09:32 (UTC)
私としてはかなり譲歩したつもりですが。まず、両者を(4)と(5)で区別するのですから見易さは確保できるはずです。また、分かりやすさという観点の指摘ですが、そもそも誤審防止説などとは一般的に呼ばれていませんので、むしろ一般的には新訴訟法説と呼ばれる旨の記述がなければ読者に誤解を招きます。--Inuki 2010年3月31日 (水) 13:22 (UTC)

議論がよくわからないのですが、私も法学を学んでいますが、坂口説は新訴訟法説だと思います。失礼しました。--133.91.127.224 2010年4月10日 (土) 11:41 (UTC)

この節の冒頭を読んでもらいたいのですが、新訴訟法説をどう定義するかで、坂口説は新訴訟法説に入ったり、入らなかったりする、ということです。それで、どちらの定義を採用するか、どちらの定義を採用した方が分かりやすい記事になるか、という議論です。218.216.99.67 2010年4月12日 (月) 03:29 (UTC)

「(4)新訴訟法説」の書き方

  • inukiさんの提案「犯人と疑われた者が一定期間起訴されなかった場合、その状態を前提に、国の訴追権が抑制されるとする説であり、被告人の地位の安定という機能面を重視する説である。」
  • 218.216.99.67の提案「犯人と疑われた者が一定期間起訴されなかった場合、その状態を尊重し、国の訴追権が消滅するとする説であり、被告人の地位の安定を目的とするとする説である。」

まず、「○○の場合、その状態を前提に」という表現は、「馬から落ちて落馬した」と同じ重複表現ですから不適当です。「その状態を前提に」という語句を除いても意味が全く変らないでしょう。そして、「一定期間起訴されなかった場合、(その状態を前提に)、国の訴追権が抑制されるとする説」を読むと、「一定期間起訴されない」ならなぜ「国の訴追権が抑制される」のか関係が不明です。下の提案(「その状態を尊重し」)であれば、関係は明らかです。
inukiさんは、コメントで、新訴訟法説は「公訴時効制度の機能に着目した」説と定義されるとしていますが、提案の文を見てもそうは読めません。普通に読めば、「犯人と疑われた者が一定期間起訴されなかった場合、その状態を前提に、国の訴追権が抑制されるとする説」までが定義で、「被告人の地位の安定という機能面を重視する説」というのが特徴と読めます。「公訴時効制度の機能に着目した」説が新訴訟法の定義というのが真意であれば、それが明瞭になるような文を提案されるべきでしょう。
また、時効が完成した場合、訴追権は消滅するのでしょうか、消滅しないのでしょうか。提案の文では、訴追権は抑制されるだけで、消滅しないように見えます。218.216.99.67 2010年3月5日 (金) 08:41 (UTC)

上記の提案は田宮先生の 『刑事訴訟法』新版223項に依拠した定義づけでしたが、確かにこの定義だと前段が無意味記載となる、という点で納得しました。この点については修正が必要ですね。「犯人と疑われた者が一定期間起訴されなかった場合、被告人の地位の安定という制度の機能面を重視し、国の訴追権が抑制されるとする説である。」に差し替えさせていただきます。ただ、218.216.99.67さんの提案だと「その状態を尊重し」という文言が坂口説を排斥する点で妥当でないと思います。この点については上の議論に譲ります。そして、田宮先生の文章を注意深く読むと「消滅」という文言は一切使用されていません。そのため消滅はしないように思います。公訴時効を政策的理由に求める故ではないか推測しますが・・・意図は定かではありません。--Inuki 2010年3月5日 (金) 14:32 (UTC)

「抑制」か「消滅」かに拘っているようですが、権利の「消滅」というのは法学的に意味が明確な言葉ですが、権利の「抑制」とは法学的にどのように定義される言葉でしょうか。定義が不明な言葉は使うべきではありません。218.216.99.67 2010年3月24日 (水) 00:21 (UTC)

私もできることなら、「消滅」と書きたいところですが、論者である田宮先生が使っていない言葉を使えば、それは捏造でしかありません。「抑制」という言葉は訴追権はなお存在しながら立法政策的に行使を許さないという意味だと考えます。--Inuki 2010年3月24日 (水) 16:06 (UTC)

「(4)新訴訟法説」の例示について

  • 例えば、殺人事件があった場合に家族や恋人が犯人視されることや、現金がなくなった場合に経理担当者が横領犯視されることがあるが、このような不安定な状態を永遠に続けないために[要出典]、公訴時効があるとする。

田宮説は、「公訴は被告人を危険におくものである。こういう状態におかれなかったという事実ないしはそれに対する一般の感覚を尊重するために設けられた一つの訴訟上のインスティテユーションではないか。ある個人が一定の期問訴追されていない(刑罰を加えられていないのではない)という事実状態を尊重して、国家がもはやはじめから訴追権そのものを発動しないという制度ではないか。実体法説のいう刑罰を、ここでは訴追というものに置き換えたもので、一般の時効制度と共通の思想によっている。これは訴訟法説ではあるが、証拠散逸説とは根本的に違う。そうすると、公訴時効は、訴追という事実に対する被告人の利益のための制度だということになる」(原田論文P208)と言っています。「一定の期問訴追されていないという事実状態を尊重して、国家がもはやはじめから訴追権そのものを発動しない」ということは、国家が訴追権を永久に保持しつづけることは許されないということと同値です。そして、それはなぜかと言えば、「公訴は被告人を危険におくものである」からであり、訴追の危険を個人のために永久に保持し続けることが許されないということです。ですから、「このような不安定な状態を永遠に続けないために」という出典が要求された部分は、田宮説の論じるところであり、田宮説で出典としては十分です。
ところで、田宮説で時効廃止は許されるかを考えた場合、「一定の期問訴追されていないという事実状態を尊重して、国家がもはやはじめから訴追権そのものを発動しないという制度」ですから、時効廃止は許されないということになります。永久に訴追可能な状況は許さないということですから。「不安定な状態を永遠に続けない」ということが、田宮説の意味するところであり、特徴だということがはっきりと分かると思います。218.216.99.67 2010年3月5日 (金) 11:43 (UTC)

上に掲げた書籍や私の恩師に尋ねると、例えば「結婚等により犯人の周りで形成された安定状態が、公訴により不安定状態にすることが許されない(法の目的に反してしまう)」という意味にとどまるという理解ばかりです。田宮先生の「こういう状態におかれなかったという事実」「を尊重」」(原田論文P208)という文言から素直な解釈だと思います。他方で、218.216.99.67さんの解釈は「そのようにも読みうる」にとどまると感じます。そのためなかなか妥協できないです。ですが、218.216.99.67さんがおっしゃっていることはとても良く分かります。218.216.99.67さんはその解釈を何で知ったのでしょうか。どこかしらにこの点に言及した書籍があるとは思うので、私の方からも再度文献を探して再度検証してみたいと思います。--Inuki 2010年3月5日 (金) 14:32 (UTC)
失礼ですが、「結婚等により犯人の周りで形成された安定状態が、公訴により不安定状態にすることが許されない」というのは、新訴訟法説ではなく、実体法説です。この誤解が全ての原因のようですね。原田論文P177では次のように書いています。
「富田博士は、『時の経過に因りて生じたる事実上の状態を尊重し此状態に反し〔犯罪必罰の〕一般原則を適用することを以て却て秩序維持の実際的目的に適合せざる所あるものと為したるものなり』として、時の経過によって生じた事実状態の尊重を公訴時効制度の存在理由としてあげ、実体法説を主張している。」
「豊島博士は、『公訴の時効を設けたるは事実の勢力に重きを置きたるが為なりと信す。……然るに今犯罪を数年の後に至りて罰せん乎却て現在の秩序を躁躍するに止まり犯罪人及び世人に対しては何等の効験なかるべきなり。時効を設けたるは実に犯罪後に生じたる総ての事実と法律の正義と相抵触するに當り法律をして事実に屈従せしめ以て其調和を図るに外ならざるなり』とし、犯罪後に生じた事実状態の尊重が時効制度の存在理由であるとして、実体法説を主張した。」
新訴訟法説は、「犯人」ではなく「犯人と思われたもの(疑われたもの)」に対する時効です。このため、疑われている状況を永遠に続けないことが、実体法説と対比した場合の新訴訟法説の特徴であり違いです。218.216.99.67 2010年3月9日 (火) 07:13 (UTC)
田宮先生のいう「事実状態の尊重」は、「なお従来の時効制度の考え方を踏襲し、一定期間訴追されていないという事実状態の尊重を公訴時効制度の存在理由として」います(原田論文109項)。よって、この点において新訴訟法説(田宮説)と実体法説の差異は存在せず、富田先生と豊島先生の考え方はそのまま新訴訟法説(田宮説)にあてはまります。--Inuki 2010年3月9日 (火) 13:45 (UTC)
少なくとも、実体法説と新訴訟法説の違いは押さえた上で、wikipwdiaの記事についての議論に参加すべきではないでしょうか。実体法説と新訴訟法説の違いが整理できたら、また議論に参加してください。218.216.99.67 2010年3月10日 (水) 05:26 (UTC)
それはこちらの台詞ですね。以降、明確な反論がないようでしたら、議論を放棄したものとみなし、該当箇所は削除します。--Inuki 2010年3月10日 (水) 15:12 (UTC)
なお私の主張を補強する資料を提示しておきます。「田宮説について、一定期間訴追されていない事実状態の尊重を存在理由としている点で、実体法説・競合説と本質的に異なるものではなく、伝統的な時効理論への妥協がみられる」(原田論文212項注釈113後段)、「新訴訟法説の立場は,犯人,いわゆる真犯人であっても一定の長い期間にわたって平穏な生活をしてきたのであれば,それを尊重してやるべきではないかという考え方が確かにあるわけでございます」(『法制審議会刑事法会議議事録』第3回14項参照,部会委員名簿)--Inuki 2010年3月10日 (水) 16:38 (UTC)
既に反論はしています。むしろ、「新訴訟法説と実体法説は違いがない」などというinukiさんの話を押し進めれば、新訴訟法説に1項目を使うこと自体がおかしいという結論になります。しかし、新訴訟法説と実体法説は別の学説であることは、inukiさんを除き誰もが認めるところであり、inukiさんの説こそ独自の見解と言うべきでしょう。
もっとも、晒す意味で、「新訴訟法説と実体法説は違いがないというinuki説も存在する。」とwikiの記事に記載しても、それに対する反論が記事に記載されるのであれば、私は構いませんが。218.216.99.67 2010年3月10日 (水) 23:45 (UTC)
まず、私は「新訴訟法説と実体法説は違いがない」などという発言はしていません。ちゃんと文字を読んでいるのでしょうか。私は上記で、事実状態の尊重という点において差異はないと申し上げました。これは上記の通り、原田先生や坂口先生が認めるところです。機能面の重視という特殊性から独立の説として取り扱われています。逆にいえば、新訴訟法説が実体法説と異なる点は機能面の重視するという点に過ぎません。したがって、事実状態の尊重という文言の意義を考えるうえでは実体法説の考え方があてはまります。反論になっていないうえに、218.216.99.67さんは全く本質を理解していないということが露呈しましたね。--Inuki 2010年3月11日 (木) 04:25 (UTC)
「結婚等により犯人の周りで形成された安定状態が、公訴により不安定状態にすることが許されない」というのは、新訴訟法説ではなく、実体法説です、という点は異議ありませんか?218.216.99.67 2010年3月11日 (木) 06:42 (UTC)
また、inukiさんのご理解では、新訴訟法説と実体法説の違いは、何だと理解されているでしょうか。218.216.99.67 2010年3月11日 (木) 06:54 (UTC)
まず、両説とも同じ意味で事実状態の尊重を用いるため(原田論文109項,212項注釈113後段等参照)、「結婚等により犯人の周りで形成された安定状態が、公訴により不安定状態にすることが許されない」というのは両説にあてはまります。
また、両説は、公訴時効制度の機能面からの説明を含むか否かという点でのみ異なります(原田論文207項第3段落後段,209項)。--Inuki 2010年3月11日 (木) 07:11 (UTC)
違いが「機能面からの説明を含むか否かのみ」だと言うのなら、実体法説の学者に対して、「時効制度の機能(=政策的目的)は何ですか」と質問したらどうなるのでしょうか。質問に答えたら、一瞬にして実体法説から新訴訟法説に変身するのでしょうか。実体法説でも「犯人(およびその周囲の人)の保護」という「機能」があるのですから、inukiさんの分類に従えば、実体法説は全て新訴訟法説になりますね。
既に何度も引用しましたが、田宮説の「ある個人が一定の期間訴追されていない(刑罰を加えられていないのではない)という事実状態を尊重して」という所が実体法説と新訴訟法説(田宮説)の違いを端的に表わしているところで、「ある個人が一定の期間【訴追】されていないという事実状態を尊重して」が新訴訟法説の考え方、「ある個人が一定の期間【刑罰】を加えられていないという事実状態を尊重して」が実体法説の考え方です。実体法説では「刑罰を加えられていない」ですから、時効で消滅するものは「刑罰権」であり、(その結果訴追権も消滅しますが)、時効の利益を受けるのは真犯人です。真犯人以外の人は、そもそも刑罰を受ける対象ではありませんから、本質的には時効になっても利益を受ける訳ではありません。これに対し、新訴訟法説は「訴追されていない」ですから、時効で消滅するものは「訴追権」であり、時効の利益を受けるは被告人(訴追されていないのですから、被疑者というべきですが。)です。
このように、実体法説と新訴訟法説の相違を整理して考えれば、どのような例示が適切か自ずと明らかになるでしょう。「結婚等により犯人の周りで形成された事実状態」は新訴訟法説の例示としては不適切で、「結婚等により犯人と疑われた者の周りで形成された事実状態」ならばOKということになります。218.216.99.67 2010年3月12日 (金) 11:53 (UTC)
「実体法説の学者に質問したら」云々書かれていますが、、私の文脈を理解されていないようなので改めて説明しますと、「機能面からの説明を含むか否か」というのは、つまり機能面の説明を重視するか否かという意味であり、どこに力点をおくかで実体法説と区別されています。田宮先生は、公訴時効制度は基本的には競合的な説明をとらざるをえないことを前提として(田宮裕『刑事訴訟法』新版223項)、「理由と機能を分けて考え、今後は後者に重点を移して問題を考えていこうといいたかった」(原田論文)と述べています。原田先生も「公訴時効制度の機能面に着目した見解が、新訴訟法説とよばれている」と説明しており、新訴訟法説の特色は機能面に着目ないし重視するというウェイトの違いに求められます。
なるほど、やっと主張が見えてきました。確かに、他の論者の主張として聞き覚えがあります(確認します)。ですが、「犯人」と「犯人と疑われた者」とを区別するといった重要な事項について、直接的な説明が一切無いというのも疑問ですし、他の学者は新訴訟法説について「犯人」と「犯人と疑われた者」を厳密に区別していません。例えば、「その犯人について社会生存の静的な事実が経過したことにより、(中略)形成された事実の方を尊重する」(石丸俊彦 『刑事訴訟法』初版 224項),「新訴訟法説の立場は,犯人,いわゆる真犯人であっても一定の長い期間にわたって平穏な生活をしてきたのであれば,それを尊重してやるべきではないかという考え方が確かにある」(『法制審議会刑事法会議議事録』第3回14項参照,部会委員名簿)と説明するものが存在します。これらは私の理解と同一です。そして、仮に218.216.99.67さんの主張が正しかったとしても、「不安定な状態を永遠に続けないために」という理解が含まれるとの帰結を導くものではないと思います。犯人と疑われていた者が、上の例示のように不安定な事実状態であるとは限らないですし(本人が疑われていると知らない場合も有りうる)、「事実状態の尊重」という文言からは、田宮先生は安定状態が形成されていることを想定していると考えるべきではないでしょうか。--Inuki 2010年3月12日 (金) 16:02 (UTC)
反論・異論ないまま、1.1・1.2節について16日間、1.3節について9日間経過しました。議論が放棄されたとみるには十分な期間ですが、なお念のため3月24日まで待ちたいと思います。--Inuki 2010年3月21日 (日) 07:42 (UTC)
inukiさんは、何か勘違いされているようですが、記事の変更は「合意があった場合」に行うことになっていますWP:CON。どのような合意があったと言いたいのでしょうか。問題となっている3点とも、inukiさんが自らの提案の難点を認めている訳ですから、なぜinukiさんの提案で合意ができるでしょうか。Wikipediaは議論の場ではなく「議論を放棄」などと言うのは場違いです。218.216.99.67 2010年3月23日 (火) 01:35 (UTC)
ノートページは議論により合意を形成する場です。そして反論や異論がない場合、一般的に合意があったものとみなされます。このようにしなければ多くの合意形成は困難であるためです。以降は長期間返答を留保するならばその旨記述していただけると幸いです。現在はそれぞれの節について、反論を待っている状態です。--Inuki 2010年3月23日 (火) 07:07 (UTC)
何に対する反論でしょうか。すでに反論はしており、当初のinukiさんの提案は拒絶されていると思いますが。反論を期待するなら、新たな提案をされてはいかがですか。218.216.99.67 2010年3月23日 (火) 07:19 (UTC)
では上記の提案を改めてまとめます。まず、1.1・1.2節については、「多くの文献では両説を含めて論じられているという点、原田先生も両説を含めること自体に対する批判は論じていないという点から、両説を含めるという前提のもと定義づけをすべきと考え」、「犯人と疑われた者が一定期間起訴されなかった場合、被告人の地位の安定という制度の機能面を重視し、国の訴追権が抑制されるとする説」と説明すべきと提案しています。
1.3節(例示)については、「不安定な状態を永遠に続けない」という文言につき出典ない以上削除すべきとするのが私の主張です。218.216.99.67さんは、原田先生の論文が引用する「ある個人が一定の期間訴追されていない(刑罰を加えられていないのではない)という事実状態を尊重して」という一文が出典となる旨主張しています。しかし、①「犯人」と「犯人と疑われた者」とを区別するという理解が疑わしく(厳密に区別しない文献が複数存在する)、また仮にこの理解が正しくとも、②「犯人と疑われた者」が必ずしも不安定な事実状態にあるとは考えられず(当然安定した事実状態にある場合にも時効は進行する)、③そして論者である田宮先生自身「既成事実の尊重という時効一般のねらいにそくして」(『刑事訴訟法』新版 223項)と論じており、本件例示の「不安定な状態を永遠に続けない」という理解を導くものではなく、したがって出典としては不十分だと考えます。--Inuki 2010年3月23日 (火) 15:38 (UTC)
1.1節と1.2節については、当該個所に書きます。
1.3節について、①例示ですから「犯人と疑われた者」で何も問題ありません。むしろ、実体法説との違いを際立たせるためには、適当な例だと考えます。
②例示ですから、「【必ずしも】不安定でない」としても、不安定な例を例示することに何の問題もありません。また、ここで、「不安定」というのは「法的に不安定」と言う意味であり、事実状態を覆す法的権限が存在することを指します。inukiさんは「事実状態が安定か、不安定か」を言っているように見えますが、そもそも事実状態の安定、不安定の定義が不明です。
③おっしゃることが全然分かりませんが、「既成事実の尊重」と「不安定な状態を永遠に続けない」ということとは、何ら矛盾するものではなく、むしろ同じことを言っているものです。既成事実を尊重し、それを覆す法的権限=訴追権を消滅させることにより、法的に安定した状況を作り、不安定な状態が永遠に続くことを防止するのが時効です。もしかして「一定の時間を区切り、法的に不安定な状況を廃し、安定な状況を作る」ということと、「不安定な状況を永遠に続けない」ということが、同じことを言っているというのが分からないのでしょうか。218.216.99.67 2010年3月24日 (水) 00:16 (UTC)
③(②)について、218.216.99.67さんの説明も踏まえて確認しますと、「法的に不安定な状態はつまり事実的に安定状態」であり、田宮先生が「尊重」の客体としているのは「法的に不安定な状態=事実的に安定状態」ということで異論はありませんでしょうか。(なお、法的と事実的の違いを説明するのは難しいのですが、それぞれ抽象的と具体的、将来的と現在的、観念的と現実的と置き換えうるものです)この前提のもとで以下論じます。
この点、本件で問題となっている文章は、具体例として「殺人事件があった場合に家族や恋人が犯人視される」といった事実状態をあげており、これは訴追の危険という法的に不安定な状態を述べたものではなく、まさに事実状態の不安定を述べています。よって本件例示の文章は「このような(事実的に)不安定な状態を永遠に続けないために」という趣旨にあると解されます。
しかし、前述の通り田宮先生は「法的に不安定な状態=事実的に安定状態」を尊重の客体としており、「事実的に不安定な状態」を尊重するものではなく例示は不適当といえます。このため私は本件文章を批判してきました。
そこで本件例示としては「このような(法的に)不安定な状態を永遠に続けないために」という理解の下で示すべきだと考えます。そして、具体例とはつまり事実的な状態を説明しなければならないものです。とすれば法的な不安定状態を事実的な安定状態に引きなおし「結婚等により形成された安定状態が公訴提起より事実的に不安定にすることを防止する」といった例示が適切という帰結にいたります。--Inuki 2010年3月24日 (水) 17:03 (UTC)
「法的に」を入れ、「このような法的に不安定な状態を永遠に続けないために」に変更することは同意します。
しかし、「結婚等により形成された安定状態が」という例示は反対です。なぜ、結婚したら「安定状態」となり、時効が出てくるのでしょうか。独身なら「安定状態」ではないのでしょうか。
事実状態が「安定」しているということは、定義可能でしょうか。可能なら、事実状態の「安定」の定義を示してください。
また、田宮論文では、「事実状態を尊重して」とあるだけで、「安定」とも「不安定」とも言っていません。事実状態が安定しているか否かに関わらず、時効は完成するという趣旨だと思います。
以上の理由で、「結婚等により形成された安定状態が」云々という例示は反対です。218.216.99.67 2010年3月26日 (金) 07:40 (UTC)
具体的例示の内容の妥当性は田宮説の理解を確認してから論じたいと思います。
確かに田宮先生は「事実状態を尊重」としか記述していませんが、文脈上「(不安定な)事実状態を尊重」と読み取るのは不自然であり、「(安定した)事実状態を尊重」と読むのが自然です。他の学者もそのように理解しています(松尾浩也 『刑事訴訟法 上』新版 法律学講座双書 弘文堂 154項「時の経過がもたらした社会的安定を尊重し、被疑者を訴追の可能性から解放する」等)。当然事実状態の安定不安定に関わらず時効は完成するものであり、安定した事実状態を尊重するというのはあくまで擬制にすぎないことは田宮先生も認めるところと思います。
事実状態の安定について定義している論者はいません。その言葉だけで意味が通じるからだと思います。ですが、あえて定義すると、事実状態の安定とは「実際に起こった事柄が継続性のある社会的状態を形成していること」をいうと思います。
田宮先生は「法的に不安定な状態=事実的に安定状態」を尊重の客体としてるということには同意いただけますか。--Inuki 2010年3月26日 (金) 15:09 (UTC)
例えば、住居を転々とし、職を転々とし、結婚と離婚を繰り返した場合、それを安定的事実状態と言うのでしょうか。
田宮説は、そのような場合でも、一定期間の起訴されていないという事実状態のみを見て、公訴時効が成立するとするものです。事実状態を「安定的事実状態」と言い換えることでニュアンスが変り、当然「不安定な事実状態の場合どうなるのか」という疑問が出てきます。「擬制」などと言われますが、そのような「みなし規定」は、どの法にあるでしょうか。安定的という不必要な語を入れることにより、「安定か不安定か」という不毛な議論が起きるのであって、それは田宮説の正しい理解を妨げることになります。
その証拠に、「結婚等により形成された安定状態が」などと公訴時効に何の関係もない「結婚」などが議論に混入し、田宮説の誤った理解がされてしまいます。事実状態が「安定か不安定か」は、田宮説に何の関係もないことを、明確にすべきでしょう。218.216.99.67 2010年3月29日 (月) 00:25 (UTC)
最初に現在の争点を確認したいと思います。まず、「このような法的に不安定な状態を永遠に続けないために」に変更することは同意していただけたようですが、前後の例示内容が不適当であり、変更を要するということで合意できていますか。
また、田宮先生は「法的に不安定な状態=事実的に安定状態」を尊重の客体としてるということには同意いただけますか。
以下は反論です。218.216.99.67さんは「事実状態を尊重」という文言には、安定状態のみならず「(不安定な)事実状態を尊重」も含むという理解のようですね。文脈として私には理解しがたいのですが、それはいかなる状況をいうのでしょうか。また、218.216.99.67さんの独自理解が、学者の見解(松尾浩也 『刑事訴訟法 上』「社会的安定を尊重」新版154項)に優越するとは思えませんがいかがでしょうか。これこそ出典が必要である所以です。
そもそも、不安定な事実状態の改善のみが時効制度の目的であるという例示を擁護しているのは218.216.99.67さんであり、「安定的という不必要な語を入れることにより、「安定か不安定か」という不毛な議論が起きる」などという発言は矛盾しています。
なお、この擬制は明文化されていませんが、「事実状態の尊重という時効制度一般の思考」(田宮裕『刑事訴訟法』新版同199項)に基礎付けられます。
そして、この擬制は妥当だと考えます。なぜなら、住居を転々としたか、職を転々としたか、結婚と離婚を繰り返したか、友人等がいたか否か等を犯人ごとに個別に判断するのは不可能であるため、一律に犠牲するのが適当といえるからです。そして結婚という事例は、社会的安定状態を形成する主要なものであるため例示として適当といえます。--Inuki 2010年3月29日 (月) 07:40 (UTC)
「前後の例示内容」というのが、「殺人事件があった場合に家族や恋人が犯人視されることや、現金がなくなった場合に経理担当者が横領犯視されることがある」を指すのであれば、例示としては不適当とは全く思っていません。inukiさんは、例示として不適当と言う理由さえ立論していないと思います。
【田宮先生は「法的に不安定な状態=事実的に安定状態」を尊重の客体としてる】など、どこから出てくるのでしょうか。イコールの意味にもよりますが、「法的にも事実的にも安定な状態」を否定しているのでしょうか。何度も何度も述べていますが、田宮説は「事実状態が安定か不安定かにかかわらず時効が完成する」というものです。
【「(不安定な)事実状態を尊重」も含むも含むという理解のようですね。】繰り返しになりますが、「安定か不安定かに関わらず一定期間続いた事実状態を尊重する」ということです。
【擬制】事実に一切関係なく絶対的な擬制が働くというのは、無関係ということに他なりません。「現実の事実状態が安定か不安定かに関わらず、事実状態は安定であると絶対的に見做し、不安定という反証は一切許さず、その上で安定な事実状態が一定期間続いた場合、時効が完成する」ということと、「現実の事実状態が安定か不安定かに関わらず、事実状態が一定期間続いた場合、時効が完成する」とでは、何が違うのでしょうか。前者が単に不必要な技巧を凝らしているに過ぎません。ましてや、擬制の明文規定がなく、安定が法律要件でもない場合、何を言っているのかという話です。
さらに、「結婚という事例は、社会的安定状態を形成する主要なもの」というのは何なのでしょうか。以前inukiさんが示した、【事実状態の安定とは「実際に起こった事柄が継続性のある社会的状態を形成していること」】と全然違いますね。独身であっても、独身状態を何年も続ければ「継続性のある社会的状態」ですよね。むしろ結婚することにより「継続性のある社会的状態」が中断されてしまったということになりますね。inukiさんの言う安定状態とは何なのでしょうかね。218.216.99.67 2010年3月30日 (火) 03:16 (UTC)
いたずらに議論を混乱させているようにしか思えませんね。
まず、「法的に不安定な状態=事実的に安定状態」については改めて説明すると、「法的に不安定」とは訴追の危険の有る状態(公訴時効完成前)をいいます。そして、「事実的に安定状態」とは未だ訴追されていない状態をいいます。よって両者は同じ場合を想定した文言です。218.216.99.67さんがおっしゃっている「法的にも事実的にも安定な状態」とは、訴追の危険が一切ない状態ですので、公訴時効制度が特に保護しようとした状態ではありません。そもそも、218.216.99.67さんは以前に、「既成事実を尊重し、それを覆す法的権限=訴追権を消滅させることにより、法的に安定した状況を作り、不安定な状態が永遠に続くことを防止するのが時効です」と認めていらっしゃいますが、これは撤回されるのでしょうか。
また、「安定か不安定かに関わらず公訴時効は完成する」ものであることに異論はありません(擬制による)。ですが、改めてお聞きするのですが、218.216.99.67さんがおっしゃっている「不安定な事実状態を尊重する」とはいかなる場合をいうのでしょうか。お答え願いたい。
そして、「現実の事実状態が安定か不安定かに関わらず、事実状態は安定であると絶対的に見做し、不安定という反証は一切許さず、その上で安定な事実状態が一定期間続いた場合、時効が完成する」ということと、「現実の事実状態が安定か不安定かに関わらず、事実状態が一定期間続いた場合、時効が完成する」とでは公訴時効制度の趣旨に不安定な事実状態を尊重することが含まれるか否かという点で異なります。我々は公訴時効制度の趣旨を議論しているのであり、その指摘の意図が分かりません。また、擬制であるからこそ要件化されていないのです。
そのように書くのであれば「独身状態」を安定状態と評してもよいと思います。また、結婚状態も新たな家庭を形成するという側面から見れば社会的安定状態を形成するものです。このように、何が安定状態であるかはどの側面から捉えるかにより異なる意味をもたらし、一義的ではないからこそ、擬制が必要となるのです。--Inuki 2010年3月30日 (火) 07:30 (UTC)加筆--Inuki 2010年3月30日 (火) 07:39 (UTC)
既に記事本体の2倍以上のノートになって、はたしてこれ以上inukiさんと議論する必要があるか疑問に思うところです。ノートを最初から読み直して欲しいのですが、inukiさんの論は、一貫していないのに対し、私の論は一貫して同じことを言っています。
繰り返しになりますが、「法的に不安定な状態=事実的に安定状態」のイコールとはどういう意味ですか。「法的に不安定な状態というものは、事実的に安定な状態に一致する」ということを言っているのでしょうか。そういう意味でイコールを使っているのなら、「法的に安定かつ事実的に安定」という状態は存在し得ないと言っている訳ですから、同意できる訳がありません。それとも、「法的に不安定な状態かつ事実的に安定な状態」という「かつ」の意味でイコールを使っているのでしょうか。いずれにせよ、「安定不安定に関わらず」一定時間の経過によって時効が完成するというのが田宮説ですから、「事実的に安定な状態」を時効の要件とするようなinukiさんの説は田宮説の正しい理解とはいえません。
【218.216.99.67さんがおっしゃっている「不安定な事実状態を尊重する」とは】いつそんなことを言いました?何回も書いていますが「事実状態を尊重する」のであって、その事実状態が安定か不安定かは時効と無関係だというのが田宮説だと言っているのです。218.216.99.67 2010年3月30日 (火) 09:52 (UTC)
注意していただきたいのですが、例示の是非については私も考えを変えてはいません。議論が膨れ上がったのは218.216.99.67さんが「田宮説は犯人と疑われた者しか含まない」などという的外れな主張をしたためです。
イコールはすなわち「法的に不安定な状態というものは、事実的に安定な状態に一致する」という意味で問題ありません。法的不安定状態は、事実的安定状態を覆す可能性が有る点で問題であり、法的不安定状態を改善するのが公訴時効制度です。「「法的に安定かつ事実的に安定」という状態は存在し得ない」という一文の意味は分からないのですが、存在しうるものの、田宮説が予定する状態ではないと考えます。上にも書きましたが、「事実的に安定な状態」を時効の要件とはしていません。
どうも混同して論じていらっしゃるようですが、問題なのは田宮説がいかなる不都合を想定して公訴時効制度の立法趣旨を構成しているかであり、要件とは全く別の話です。そして、要件論において、「事実状態が安定か不安定かは時効と無関係」という点には同意できますが、田宮説の説明する立法趣旨論としては同意できません。
218.216.99.67さんは、事実状態が安定か不安定かは時効と無関係と主張されていますが、これは要件論ですか、立法趣旨ですか。仮に立法趣旨だと捉えているならば、田宮先生の「事実状態を尊重する」という文言には、安定状態のみならず、不安定状態をも含まれるという理解であり、その意義が問題となるのです。--Inuki 2010年3月30日 (火) 17:00 (UTC)
なお、私は分かりやすい説明のために「安定した事実状態」等の言葉や「結婚」という事例を持ち出しおり、実際の記載においてこの文言に固執するつもりはありません。ここで、私が218.216.99.67さんに提案したいのが「例えば、犯人と疑われている者は家庭や職場での社会生活が常に訴追により乱される危険にさらされているが、このような法的に不安定な状態を永遠に続けないために、公訴時効があるとする。」という説明です。賛否や批判点をお聞かせください。--Inuki 2010年3月30日 (火) 19:20 (UTC)
【「田宮説は犯人と疑われた者しか含まない」などという的外れな主張】田宮説では「被告人/被疑者の利益のための制度」というのは、最も重要な「機能=政策目標」ですが、それを理解されていないのでしょうか。田宮説は機能を重視する説であり、その機能は「被疑者(犯人と疑われた者)の保護」ですから、例示としては、犯人と疑われた者を挙げるべきでしょう。ついでですが、私が「田宮説は犯人と疑われた者しか【何に】含まない」と何時言ったというのでしょうか。
イコールの話ですが、論理学で「A=B」ならば「(not A)かつB」は成り立たない、ということは習いませんでしたか?
提案された例示が、現状より良い点は何かあるのでしょうか。(「法的に」を加える点を除いて。)218.216.99.67 2010年4月1日 (木) 01:04 (UTC)
そもそも、我々はそんなところを争点としていません。したがって的外れな主張であるのです。
そして、その論理式は誤っています。私は、「法的に不安定な状態というものは、事実的に安定な状態に一致する」と述べていますが、これを論理式に引きなおすならば「法的不安定状態⇒事実的に安定状態」は真であることとなります(普通、論理式的な意味で=を厳密に使用しているわけではない)。他方で「¬法的不安定状態∧事実的安定状態」が真であるとしても、「法的不安定状態⇒事実的に安定状態」は「¬(法的不安定状態∧¬事実的安定状態)」と等価であり、この括弧をはずすと「¬法的不安定状態∧事実的安定状態」が導かれるため、論理法則に矛盾は生じていません。これをまさに的外れな主張といいます。
少なくとも、現状の例示である、周囲の人から犯人視されるということが法的な不安定であるとは思えません。公訴時効が完成しても犯人視されることに変わりなく田宮先生がこのような理解をしているとは思えません。例えば、是非はともかく公訴時効完成後のオウムへの容疑なすりつけの警察庁会見がいい例です。
なお、大変申し訳有りませんが、以降は返答が遅れる可能性が有ります。少なくとも一週間以内に確認するよう心がけますのでご了承ください。--Inuki 2010年4月1日 (木) 15:17 (UTC)
「A=B」とは(「A⇒B」かつ「B⇒A」)ですから、「A=B」が真なら「B⇒A」が真であり、「not(Bかつ(not A))」が真になり、「Bかつ(not A)」が偽になり、Aが「法的不安定状態」、Bが「事実的安定状態」なら、「事実的安定状態かつ法的安定状態」は偽、すなわち存在し得ないということになりまね。こういう式の展開をしなくても、そんな状態が存在すれば、「法的に不安定な状態というものは、事実的に安定な状態に一致する」という命題の反例になることは分かると思いますが。
【周囲の人から犯人視されるということが法的な不安定であるとは思えません】二重の勘違いがありますね。「周囲の人」には警察や検察も含まれる、というか念頭にあるのは警察検察な訳で、実際警察や検察から元恋人や経理担当者が犯人としてマークされることは良くあることですし、そういう場合いつ起訴されるかわかりませんから、法的な不安定を大きく増すことになります。勘違いの2点目は「法的不安定が増すから例示している」のではないということで、田宮説が公訴時効は被疑者のための制度だと言っているから、被疑者=犯人と疑われた者を例示として挙げているということです。218.216.99.67 2010年4月2日 (金) 05:47 (UTC)

公訴時効の停止について

inukiさんは、公訴時効の停止のセクションから、「被告人行方不明のまま起訴を行って時効を停止させる方法」をはずし、論点のセクションに移しましたが、これでは、(1)「被告人行方不明のまま起訴を行って時効を停止させる方法」が公訴時効の停止のセクションからなくなり、そういう方法で公訴時効を停止できることが読者に分かりにくい、(2)論点と言いながら、対立する説がなく、時効を停止できるとの判例だけである、という2点から不適当だと思います。元に戻すことを提案します。218.216.99.67 2010年3月1日 (月) 07:01 (UTC)

(1)まず、公訴時効の停止の節には「被疑者が所在不明である場合でも、起訴を繰り返すことにより時効の進行を止めることができると考えられている。詳細は、公訴時効#論点の節を参照。なお、被告人に対し2ヶ月以内に起訴状が送達できない場合は裁判所が公訴棄却することになるが、再び起訴することは可能である。 」という文章を残しておきました。これでは不十分でしょうか。
(2)起訴状不送達の場合に関する論点は、対立する説が存在します。起訴状が不送達の場合に公訴時効は停止しないとする学説です。逃亡しているわけではない被告人にとって、不知の間に停止するのは不当であるという点、271条2項の遡及効の存在意義がなくなるという点を理由とします。この学説に関しては手元に資料がないため加筆していませんでした。一応の対立があるため、この記載は妥当だと考えます。--Inuki 2010年3月1日 (月) 16:34 (UTC)
やはり、元に戻すべきでしょう。現状の記事では「論点」になっていないことは、inukiさんも認めていらっしゃるようですし。判例が確立していますから、記載は「公訴時効の停止」のセクションを中心にし、論点部分だけを「論点」のセクションに記載すれば良いと思います。218.216.99.67 2010年3月1日 (月) 23:27 (UTC)
対立説を加筆しました。--Inuki 2010年3月2日 (火) 07:29 (UTC)
やはり、122.215.65.126さんの2010年2月28日 (日) 04:08版[1]の公訴時効の停止のセクションの方が、整理されていて分かり易いと思います。読者は法学者だけではないので、「論点」のセクションを増やしてもしかたがないと思います。繰り返しになりますが、法学論争のある部分だけを論点に持っていけば良いと思います。第三者の意見を求めます。218.216.99.67 2010年3月2日 (火) 09:43 (UTC)
現状のほうが、公訴時効の停止の節と論点の節とで概要記載と詳細記述の書き分けができており、むしろ一般人にとっては分かりやすくなったと思います。また、2010年2月28日 (日) 04:08版は総論立てがなく項目の順序も重要度に応じていないため分かりにくいと考えます。もっとも、第三者の意見を聞くのには賛成です。--Inuki 2010年3月2日 (火) 10:41 (UTC)