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ノート:公共財

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疑似科学を練りこんではいけない

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>市場メカニズムは公共財を適切な価格で適切な量、提供することが一般にはできない  (←これが事実ではない)
>ものと考えられている。

事実は、公共財は、市場メカニズムでも、政府でも、どちらでも供給できるわけです。最近は、公共財(公共サービス)の多くも、むしろ市場メカニズムを活用して提供したほうがいいケースも多々ある、といった説が結構多いようだ。実際は、ケース・バイ・ケースでしょう。 冒頭の文は、「ものと考えられている」というフレーズを悪用して、つまりWikipedia:言葉を濁さないでも指摘されている手法を悪用して、事実でないことをあたかも事実であるかのように練りこんでいる。仮にどこかの疑似科学者が上記のことを述べていたとしても、また、政府お抱えの研究者が自分の所属する利権(=行政利権)に都合のいいように提灯記事的に同様の疑似科学的言明を述べていたとしても、事実でないことはやはり事実でなく、疑似科学は疑似科学なので、それをあたかも事実と誤解させるような形式でWikipediaに記述してはいけない。せいぜい許されるとしても「学者××は△△と、主張している」と、主張者を明示した上で、間接話法的な形式や引用文で書くことまでだ。

それと私が事例として、わざわざ「書籍」配送サービスと明示して書いたのに、その後中途半端に加筆して、一般の「郵便物」の話を混入させてごちゃまぜにして、文脈や意味を破壊して使いものにならない文にした者がいる。改悪だ。そういうことは止めていただきたい。 

現状は、セクションの冒頭の文に偏りがあってよろしくない。 中立的に書くとしたら、「公共財は、政府でも市場メカニズムでも提供できる。どちらが適切かは、提供する財(サービス)の性質や規模などの諸条件によっており、あくまでケースバイケースである」とでも記述したうえで、市場・企業が提供したほうがうまくゆくケース、政府が提供したほうがうまくゆくケース、それぞれ2例づつ、あるいは3例づつぐらい挙げる、というのが良いのでは?

--Seckel 2007年7月13日 (金) 17:00 (UTC)[返信]