ノート:八正道
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正念について
[編集]近年、おそらくスマサラーナ本の影響でしょうが、「念」を「気づき」と訳す人が増えたように思います。 このページでもそれに沿った説明がなされていますが、本当のところ「念」は「気づき」なのでしょうか。 この「気づき」が「はっと気がつく」の意味であれ、「自分の感覚に注意を向けている」の意味であれ、 結局は「見」の範疇に含まれるのではないかと思います。
「念」を「覚えておくこと」と説明している文献も見たことがあります。 うまく説明できませんが、「念」とは、心に留めておくこと、忘れないように心に刻み付けておくこと、 信念、確信といったような心のはたらきのように思います。 それまで積み重ねてきたものをちゃんと自分の血肉にしていることを言っているように思います。 正見から正定までの流れを見たとき、「定」すなわち集中・没頭の前に「気づき」では弱すぎると思うのです。 --Masaj(会話) 2012年10月28日 (日) 02:41 (UTC)
- この節の階層を修正しました。--Leonidjp(会話) 2018年7月23日 (月) 22:03 (UTC)