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ノート:八丈方言

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連用形の幅広い用法

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YakumoRakotoさんによって「文献時代以前の日本語との関係」の項に「形容詞と動詞の連用形の幅広い用法」という下位項が付け足され、「書きかけ」とされました。出典をお教え下されば読んだうえで執筆する意思があります。もしくはYakumoRakotoさんご自身の考えで結構ですのでノートにどういうアイディアなのかを書いてお教え願えませんでしょうか。出典が無くても、正しいアイディアなら執筆する価値はあります。そういう話を講義等で聞いたが内容は忘れてしまったということでしたら誰からどういう経緯で聞いたのかを教えていただくだけでも何とかなるかもしれません。ちなみに、2010年3月20日の第2回危機方言研究会での金田章宏先生の発表稿「八丈方言の諸特徴」にはそのような話題はありませんでした。金田先生も知らないはずです。ひょっとして、「動詞と形容詞の連体形の音形が終止形と異なっている」という点を勘違いしてそのように誰かが書いたのではないでしょうか。私自身の責任で項目は消去しておきますが、何か情報があれば項目を復活させましょう。--Sandy65536 2011年1月10日 (月) 08:17 (UTC)[返信]

金田(2001)pp.243-247に該当の記述がありました。文献時代以前についての証拠にはならないと思いますが本文のほうに追記はしておきます。--Sandy65536 2011年1月13日 (木) 09:35 (UTC)[返信]

出典について

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すみませんが、記事中のキャプション「日本語族の系統樹(試案)」と「八丈方言の系統樹(試案)」について、信頼できる情報源(出典)を示してください。また、本文中でも、参考文献を列挙するだけでなく、学者によって議論になりそうな部分には細かく脚注を付けて出典を付けていただけるとありがたいです。--Henlly2011年1月10日 (月) 08:35 (UTC)[返信]

「日本語族の系統樹(試案)」のほうは服部四郎(1959)『日本語の系統』と服部四郎(1968)と服部四郎(1978-1979)の話を総合するとこういう風になります。学界の常識レベルと思いますが、この絵は私が描いたので、どこかから似た絵を引用したほうがいいかもしれません。ご存知でしたらお教え下さい。「八丈方言の系統樹(試案)」のほうは私の修論の内容が出典になりますが、絵は新規で描きました。修論を出典にしていいのかどうか、初心者のため迷ったので書いていません。私の利用者ページからリンクが張ってあります。八丈方言の研究者なんて現状では金田章宏先生と私ぐらいのもので、金田先生も現在は琉球の八重山のほうに関心を移されているので実質私だけということになります。服部四郎先生は亡くなられて久しいですし…。今や八丈方言は人気が無いのです。私の修論と、国語研での発表稿の2つを出典として明示する用意はあります。出典として明示してよろしいでしょうか?--Sandy65536 2011年1月10日 (月) 08:57 (UTC)[返信]

日本語族の系統樹については、文章で書いてあるものを、忠実に図にすることには問題ないと思います。修士論文が出典として認められるかどうかは微妙ですが、出典として何も書かないよりはいいです。出典を書かないと、何が根拠になっているのか分かりませんので。--Henlly2011年1月10日 (月) 09:14 (UTC)[返信]
(追記)現状の図だと、「上代中央方言」が現代方言の直接の祖先ではないように見えるのですが…。それで合っているんですか?--Henlly2011年1月10日 (月) 09:19 (UTC)[返信]
文献による国語学と、現代方言による方言学とは本来、別々のものであり、それらを分けて描きました。上代中央方言はあくまでも一方言であり、現代方言とは「縦の関係」のみならず「横並びの関係」にもあります。つまり現代方言を比較した先が、上代中央方言に収束するとは限らず、少しだけ横にズレるかもしれません。たとえば、上代語の/b/は[mb]であると考えられていますが、上代語の内部に証拠は無く、東北方言の証拠を利用してそのように考えられています。つまり文献の不完全な情報と、方言の完全だが時代の下る情報とを照らし合わせる作業が存在しており、それが/b/[mb]という解釈を生んでいます。しかし本当に上代中央方言の段階でその音声だったのか?ということは分かりません。上代中央方言の段階では既に前鼻音が失われつつあったのかもしれません。要は、前鼻音が存在したと推定される年代には縦の幅があります。このように、方言からの情報を利用して文献を解釈する場合、厳密には「横並びの関係」が存在すると言わざるをえません。--Sandy65536 2011年1月10日 (月) 09:44 (UTC)[返信]
調べ物をする機会があったのでちょっと補足します。1600年頃のキリシタン資料の筆頭である『ロドリゲス日本大文典』を見ると[mb]は無いと考えられます。厳密には「参り候はば」の「は」だけは鼻母音になると書いてありますが、音韻システムに関する証拠能力はありません。前鼻音を保っている現代の奈良県吉野郡十津川方言にもやはり[mb]は無いとか。従って文献や中央方言の証拠は無く、東北方言の証拠を利用するしかない、と思われたのですが…。どうやらキリシタン資料の中には[mb]が有ると記述しているモノもあるらしいという最新の噂を聞きました。なので、国語学のほうで今後どうなるか分かりません。--Sandy65536 2011年1月19日 (水) 11:48 (UTC)[返信]

「価値」という節について

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この加筆についてですが、「記事の主題がどのような価値を有するのか」という命題は読者が各々に判断することであり、とりたてて記事内で明言する必要性はあまりないように感じられます。

本記事を通して、読者は八丈方言の「価値」を見出すことができるかもしれない。

とりわけ上の記述は(一般の読み物に散見されるような修辞の類でしょうか?)、読者をある意味「誘導する」記述であり、百科事典として相応な客観性を十分に担保できているとは言えない印象を受けざるをえません。--Damena 2011年1月20日 (木) 02:50 (UTC)[返信]

Wikipediaがどうかは知りませんが、百科事典ということで言えば序文は普通にあります。序文というのは思い入れを書くものです。また、「価値」それ自体は哲学の問題であり学問的です。しかし一部の人に悪印象を与える記述であるというのなら、確かに悪印象は望むところではありません。Damenaさん以外にも数人文句が出たら誰か消して下さってかまいません。--Sandy65536 2011年1月20日 (木) 07:35 (UTC)[返信]
そのような百科事典もあるのですか……ちょっとウィキペディアの記事としてはあまり見慣れない文体なのでちょっとまごついてしまいましたが、寄稿論文を集めた総説書の文体と考えればさほど不自然ではないかもしれませんね。Sandy65536さんの編集意図は了解いたしました。せっかく加筆いただいたのですから私から敢えて記述を除去するつもりはございませんが、できれば以下の記述の具体的典拠を明示していただければ体裁としてベターでしょう。

言語学もまた社会の一員であり、社会が抱く「価値」への疑問に答える責任を負う。それは医学や工学などの科学技術が負う責任に比べればずっと軽いかもしれないが、人間にじかに接することで成り立つ学問である点はそれらと何も変わらない。「価値」は初めからあるのではなく、見出されるものである。

なお釈迦に説法のようで恐縮ですが、Wikipediaにおける各種方針WP:NOR#constWP:ASRWP:V#SPにも目を通していただければ幸いです。--Damena 2011年1月20日 (木) 13:28 (UTC)[返信]
ザッと目を通しました。どうやらWikipediaでは出典の記述に関する真偽の判断が禁止されていて、丸写しが推奨されているようです。そして真偽の判断をしようとしたらそのような論を展開している何かを引用しなければならない、と。私の編集した箇所には大なり小なり真偽の判断が含まれていますから、問題があるように思います。そもそも自分の知識の整理の為に始めたので、どうしても諸情報の照合作業が含まれてしまい、除去は困難です。人様のお役に立てないのは残念ですが、そういうことであれば私の行った編集を全て取り消してかまいません(データはバックアップしました)。特に反応が無ければ数日後に自分で全部消します。--Sandy65536 2011年1月20日 (木) 15:00 (UTC)[返信]
そんな哀しいことどうか言わないでください。たしかに原理主義の視点に立てばWikipediaでは出典の記述に関する真偽の判断が禁止されていてというのは否定しませんが、「少しでも疑わしい編集を全て取り消す」というのは、現状の記事の大部分が百科事典の体裁をなしており、なおかつその質も抜群に素晴らしいという点を鑑みると、あまりにも勿体ないと思います。持論ですが良い記事を書くためには「諸情報の照合作業」に関して多少の度外視はされてしかるべきだと考えます。Sandy65536さんが学会の第一人者に近しい専門家であることを公表されているという事実は慎重に斟酌されるべきであり、Sandy65536さんが今後も素晴らしい記事をウィキペディアに提供してくださることをきっと多くの方が歓迎し、それを望んでいるはずです。私の取るに足らないコメントのせいで、この記事の今後の成長が損なわれるようなことがあれば大変遺憾です。「質・量ともに最高の百科事典を創る」というウィキペディアの根本理念であり、私達の共通認識のはずです。可能な限り提供された文章は「包摂」するということは、この理念に矛盾しません(参考:包摂主義)。私のコメントなどは、たかだか「瑣末な流儀」のようなものにすぎません。もしもSandy65536さんが今後の活動を躊躇されるようなことがあれば、それは私の不徳の致すところであり、私は何らかの形で責任を果たすつもりです。--Damena 2011年1月20日 (木) 15:48 (UTC)[返信]
申し訳ありませんがこれから色々と忙しいのでWikipediaの丸写し原則に沿う形で編集し直している時間はありませんし、そもそもそんな文章を書きたいという意志は無く、諸情報を照合する、自分の勉強に役立てるのが目的でした。Wikipediaの丸写し原則の為に生きているわけでもないです。Wikipediaの場をお借りしておきながら無責任ですいませんが、参考文献をご自分で読まれて、問題があると思ったら消去して下さい。そのための出典ですし。「文献一覧」のほうは時間があればまだ手を付けます。あれは単に引用したものを並べ直すだけなので問題ないんじゃないかと思うんですが…。心配ですね。並べ直しも一種の解釈で独自研究なんでしょうか(笑)。様々な目録を照合して真偽を判断してるわけですからね。う~ん。Wikipediaがこんなめんどくさい代物だったとは、読むだけの側からは全然想像もつきませんでした。--Sandy65536 2011年1月20日 (木) 17:07 (UTC)[返信]
けじめは必要だと思うので、私はこれから全ての記述を私が編集を始める前に戻します。もしも私の記述が必要だと思う人がいるなら、その人の責任で私の記述を復活させて下さい。Damenaさんには申し訳ないのですが、今後の活動は躊躇します。Damenaさんが勝手にルールを解釈するのは自由ですが、ほかの人が別の解釈でまた私に文句を下さらないともかぎりませんし、付き合いきれません。そういう主張はルールを変えてからにして下さい。そして文句は私の記述を復活させた人にどうぞ。もちろん細かい事実の羅列的な情報提供は今後もします。「文献一覧」については考えます。私はWikipediaのルールに精通する時間・意思がないので、分かる人に聞きたいのですが、「文献一覧」で「各種目録」の情報を照合して真偽を判断して新たに目録を作る行為は独自研究ですか?そうでないならそのうち編集したいと思います。--Sandy65536 2011年1月21日 (金) 05:30 (UTC)[返信]
ShikiHでございます。Sandy65536さんに心から同情します。ウィキペディアは時にはとても恐ろしいところです。私は自分の専門分野というか、他人に手を付けられたくないような記事は決して書かないことにしています。ウィキペディアでは「出典の記述に関する真偽の判断が禁止されていて、丸写しが推奨されているよう」だというご指摘もそのとおりです。私の経験した例では、ある著者が学問的良心から、誤りだと思う物も含めて諸説を紹介したところ、そのひとつを出典としてあげて記述した人がいました。それでもなお、ウィキペディアでは、その出典を無効とすることはできません。
Sandyさんにおかれては、このような状況でウィキペディアに執筆し多大な労力を割くよりは、立派な論文をお書きになって、将来、他の誰かがそれを参考にして記事をまとめるのを待つのもよかろうかと思います。自分の著作を出典として自分で書くことも禁じられていますから、誰かを待つしかありません。
ウィキペディア全体をあるレベルに保つために決めたルールによって、いくつかの傑出した記事が日の目を見ないのは残念ですが、はずせないルールのあることをご理解の上、向後のご活躍を期待いたします。--ShikiH 2011年1月21日 (金) 19:24 (UTC)[返信]
レスありがとうございます。版を指定すれば読めるようなので困ってはいません。もう完成したので、必要な時には知り合いに版を指定したURLを教えます。八丈方言関連の文献一覧をいずれ整理したいのですが、そのような行為が過去に非難されたことがあったかどうかどなたか教えていただけませんでしょうか。参考文献の一覧というのを参考に立てた記事です。--Sandy65536 2011年1月22日 (土) 02:36 (UTC)[返信]
特に反応が無いですね。では作業することにします。あと「八丈方言」の記事にリンクを張ります。「参考文献の一覧」の性質上、それが必要かと思われますので。--Sandy65536 2011年1月22日 (土) 16:09 (UTC)[返信]
Damenaさんに朗報です。2011/1/29朝日新聞夕刊10面で金田先生が良いことを言ってます。これを引用すれば「価値」の項はWikipediaのルールを破らずに書けますね。ナイスジョブと言わざるをえません。他にやる人がいなければですが、いつか時間が出来たらこの記事の続きを書かせていただきます。順番としては文献一覧のほうが先ですけど。--Sandy65536 2011年1月29日 (土) 08:02 (UTC)[返信]
これから「価値」の項を(Wikipediaのルールに沿った形で)編集する為に一瞬だけ私の編集を復活させ、編集が終わったらすぐ消します。この行為自体が何かのルールに違反しているという認識はありませんが、もしそうなら後で教えて下さい。--Sandy65536 2011年1月30日 (日) 19:15 (UTC)[返信]

八丈方言概説

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さきほど利用者ページのサブページを利用することに思い至り、作り方を調べて「利用者:Sandy65536/八丈方言概説」を作成しました。利用者ページのサブページであれば「独自研究」や「検証可能性」のルールの適用範囲外であろうと考えたからです。私は今後、「八丈方言概説」のほうを継続的に編集し、原則として記事「八丈方言」には触れません。「検証可能性」のルールには可能な限り添いますが、自前の情報源をバンバン使います。学問的に考えれば特に間違ったことではないというか寧ろ当たり前のことですし、研究者が少ないため今後増えて行く情報源は私自身のものばかりのはずですから、自前の情報源を使えない記事に執筆はできません。ちなみに「八丈方言概説」から使えそうなところを選んで「八丈方言」に反映していただくことは大歓迎です。私はその反映作業は一切やりません。恐らく私がやると、Wikipediaの何らかのルールに抵触するのではないかと感じます。「八丈方言関連の文献一覧」には問題が無いようですのでこのまま公共のスペースに置いておきます。--Sandy65536 2011年1月31日 (月) 08:52 (UTC)[返信]

お久しぶりです。Damenaです。私はどうも原理主義に走りすぎて、最近では執筆される方の意欲をそぐような言動が目立っていたこと自覚し、短い間ですが自省期間を設けて少し考えてみました。当該項目に関しては、Sandy65536さんがご自身のサブページに構想をまとめるというかたちで一区切りついて以降、特に目立った進展がないようです。私個人としてはSandy65536さんの御寄稿は、内容として質・量ともに秀逸であり、知的資源としてもっと多くの方の目に留まる場所に本来あるべきものだと考えております。幸い、細かい体裁など多少ウィキペディアになじみにくい箇所を含む記事であっても、その内容が有意義なものであれば、いくつか存在する姉妹プロジェクトの存在をもってサルベージすることが可能です。その中でもウィキブックスやその下位プロジェクトであるウィキバーシティは、記事の題材やその体裁などを大いにその執筆者の裁量に委ねられているプロジェクトであり、かなり融通が利きます。Sandy65536さんの利用者:Sandy65536/八丈方言概説であれば、ほぼそのままの形で移出することが可能だとおもいます(参考:Wikipedia:プロジェクト間の移動)。お時間に余裕があるときで構いません。もしご興味がございましたらご検討いただければ幸いです。--Damena 2011年3月14日 (月) 11:30 (UTC)[返信]
こんばんは。東北大地震の津波の伊豆諸島への影響が気になってます。有意義うんぬんですが、Wikipediaは事実の羅列以上の価値が無いという考え方で落ち着きました。全く知らない分野に踏み出す第一歩の手掛かりといった所でしょうか。例えば現代の人物に関する記事は非常に有用だと思います。それから姉妹プロジェクトですが、特にメリットを感じません。私の目的は、あと約30年で消滅する八丈方言を自発的に調査・録音する意思を持ちうる稀少な人間に呼びかけることです。文献一覧の記事を呼び水として、そこから利用者ページへと辿ってもらえれば見つかると思うので困っていません。新しいことをやれば新しい問題が生じます。そういう面倒事を避けるという意味では現状が最善と言えるでしょう。それよりも、或る記事の体裁だけでなく内容に関わるからには出典について多少の知識は有ってしかるべきと思うのですが、Damenaさんは言語学や八丈方言に関心をお持ちですか?現状の記事には明らかな誤りがあるのですぐにでも訂正すべきと思いますが、あいにく私は編集しないことにしています。良かったら訂正してみて下さい。訂正したところで出典が無いのでどのみちルール違反ですが(笑)。--Sandy65536 2011年3月14日 (月) 13:11 (UTC)[返信]
早速のご返答痛み入ります。Sandy65536さんの顰蹙させてしまい私の方に非があったにもかかわらず譲歩していただいた形になって大変恐縮ですが、Sandy65536さんが現状で納得されているということであれば、それはそれで私としましても僥倖でございます。私自身、過去に言語学・国語学をまとまったかたちで勉強したこともあるのですが、恥ずかしながら学部教養レベルに毛が生えた程度です(私の専門は言語学と全く異なる分野です)。通い先が震災の被害を受けたため、これを機会に提示されている出典について勉強させていただき、微力ながら当該項目をはじめとする言語学領域の記事を、少しでも良いものにしていければと思っています。Sandy65536さんが今後も実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Damena 2011年3月16日 (水) 02:46 (UTC)[返信]

現状の記事に誤りがあるというのは「リエゾンが著しく」という部分でしょうか。それならば「リエゾンがある」という出典はないのでその部分は私が削除しておきます。--Henlly2011年3月20日 (日) 00:02 (UTC)[返信]

リエゾンというのは無いはずの子音が形態素境界に現れる共時的現象で、日本語なら「雨(あめ);小雨(こさめ)」「青(あを);真青(まっさを)」が広義のリエゾンに当たると思います。確認はしてませんが多分これらの語はあるんじゃないかと思います。他方で、連続する母音は融合して地区ごとに音色を変えます。例えば「肌+足」(裸足)がハダーシ(末吉)、ハドーシ(三根など)、ハドアシ(樫立など)となります。連続する母音の融合は語例が豊富ですが、リエゾンは標準語でも八丈方言でも語例は稀少なはずです。なお、母音が連続しても融合しないケースというのもあります。末吉方言でしか確認していませんが、例えば「~も有る」が「~まる」と同じ長さで発音されながら、oaという音色の変化を保っていたりします。時間長としては母音1個分で音色は2種類ということです。もっとも、直接的知識などWikipediaでは何の意味もありません。「リエゾンがある」と書かれた出典も「リエゾンが無い」と書かれた出典も、きっとどこにも見つかりはしないでしょう(笑)。--Sandy65536 2011年3月20日 (日) 15:08 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

八丈方言」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月26日 (火) 12:00 (UTC)[返信]