ノート:全然
用法
[編集]- …先生はさいわい近眼である。のみならず自己の講義のうちにぜんぜん埋没している。…(夏目漱石「三四郎」)
- …「一体生徒が全然悪るいです。どうしても詫まらせなくっちゃ、癖になります。…」(夏目漱石「坊ちゃん」)
…みたいな過去の用例も載せたほうがいいでしょうかね。Fx 10:26 2003年11月7日 (UTC)
内容にちょっと辞書的な感を感じました。とりあえず、現在の版のうち辞書的な部分を取り出し、もうちょっといじってWiktionaryに移植してみました。でもこっちはこっちで日本語の乱れの一例を突き詰めていくのも悪くないかもです。 PiaCarrot 13:53 2004年5月5日 (UTC)
漱石の誤用
[編集]> 漢文に長けた漱石が『全然』を誤用するはずがないからである。
『日本語の乱れ』の記事を編集してからこちらを見ましたが、この記述はどうでしょうね。ときに文豪だって間違うことはありますし、あまり中立的な記述とは思えません。もちろん「『全然』の後に否定を伴わなくても誤りではない」という意見そのものに異を唱えるわけではないんですが、現時点では一方に決めつけないで、あくまで一つの説として提示するに留めるべきでしょう。死郎
ここ↓が参考になります。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/3578/2003/zenzen.htm
中立的であるとは努力目標だと思っています。中立的な記述と取らない方がいることも分かります。あえて固執しません。まあ「現時点では」というよりは、辞書編纂者の説によっては、ということですね。Authority 2004年10月5日 (火) 15:22 (UTC)
お示しのサイト、拝見しました。さらに本文の修正おそれいります。「現時点では」は「学校教育によって『否定を伴わない形は誤り』と信じる人が多い現状では」というつもりでした。「ゴキブリ」も「ごきかぶり」の誤植が教科書に載ったことで広まったものとはいえ、いまさら誤りとも言いきれなくなっていますしね。まあそういう意味も含めての話ですので、ご理解ください。
あ。上は署名忘れてました。失敬。死郎 2004年10月5日 (火) 15:49 (UTC)
> また過去の文学作品についても漱石が「一体生徒が全然悪るいです」と書いているが、送り仮名については現代では「悪い」が正しい表記であり、近代の文学者が用いているからといって現代において正しいとも限らない。
要するに、国が認定したら正しくて、国が認定しなかったら正しくないって話ですかね? 送り仮名のつけ方なんて、近代になって国が勝手に規範を統一した最たるものではないでしょうか。「全然・・・ない」のような社会的に自然に広まっていって定着した規範と、送り仮名のような国が率先して乗り出して決めた規範を同列に論じていいのでしょうか。2011年10月