ノート:児玉源太郎
幼年学校との関連
[編集]「後世ナチスドイツによるエリ−ト主義に染まっていき」の部分について具体的にご説明いただければ幸いです。ナチス党が陸軍組織内に容喙しエリート主義を打ち立てたということでしょうか?わがまま小皇帝
幼年学校との関連の項目についてなのですが、何が言いたいのか今一よく分からないのですが。 幼年学校から陸軍にいる将校は、たしかに排他的なエリート思想を持っていたようです。しかしそれは、難関に合格して幼年学校での教育訓練に耐えてきたこと、早くから武人としての精神修養を受けているとの自負があること、士官学校にも無試験で入学が許されたこと、幼年学校を出たものは学術的にも優秀者が多く陸大にも多く入学していること、などによるものなのではないでしょうか。 別に、ナチスとは関係ないと思うんですよね。ナチスと関連させて論じて批判することは不適当なのではないでしょうか?
不要な一文だと考えます。幼年学校出身の軍人が増徴していった事実は疑うべくも無く、後の日本陸軍に於いてマイナスとなっていったのは事実でしょうが、幼年学校設立に児玉将軍が関係した事と、後の陸軍の問題・ましてやナチスと関連させて論ずるのは詭弁の様に思われます。(蛇足ながら、ナチス当時のドイツ国防軍では、ナチス政権に批判的な軍人も多く、決してナチス思想に国防軍が染まっていった訳ではないと思われますが・・・) 削除あるいは修正が必要だと思います。
そもそもナチスの結党自体が第一次世界大戦後であり、それ以前に亡くなった児玉がその存在を知っていた訳がないのだが。--水野白楓 2006年9月29日 (金) 10:39 (UTC)
印刷字体
[編集]本文冒頭の印刷字体・手書き字体云々は常用漢字と旧字体の違いじゃないのかね?--代言人【右】 2007年8月14日 (火) 11:24 (UTC)
註釈の内容についての疑問
[編集]児玉の第三軍指揮権介入に関する記述の註に「通常、軍の特命に関する書類、記録等は一切残されない」云々とありますが、これは根拠のあることでしょうか。 そうでなければ、「記入者の個人的な見解」として削除すべきと思いますが。 --61.192.208.211 2008年3月4日 (火) 21:14 (UTC)
児玉『暗殺説』?
[編集]児玉源太郎が脳溢血で亡くなった原因は、日露戦争の作戦立案の為に心血を注ぎ、(現在で言うところの)『過労死』が理由と一般的な説と言われています。しかしこのページでは何故か(暗殺説あり)と記述されていますが疑問を感じます。児玉の死が暗殺による物とする根拠は何でしょうか?長州閥や薩摩閥からもある程度の距離を置き、元老にもならずに政治的に中立を貫いた児玉が、どの様な理由をもって暗殺されたのでしょう。そもそも暗殺とは字の如く闇から闇へ葬るから暗殺であって、犯人が逮捕され取り調べられているか、あるいは関わった人間がそれを告白した資料が無ければ『暗殺であった』とは証明できません。もし児玉が暗殺されたとされる資料があるのであれば明治期における軍部内の状況を知る重要な資料になります。出展元の明示をお願いします--219.108.181.34 2008年5月31日 (土) 08:33 (UTC)
「出典」として示されている書籍は、片方が小説、片方は作家が書いた「評伝」で書名で検索すると内容への批判が多く出てくるものでした。双方とも信頼性が担保できないため除去した方がよさそうです。--彩華1226 2009年12月3日 (木) 15:56 (UTC)
改名提案
[編集]記事名を現在の『兒玉源太郎』から『児玉源太郎』へ改めることを提案します。理由は以下の通りです。
- 現在、「兒」の字は一般的ではなく常用漢字を使用したほうがわかりやすい。
- 正式の名前・本来の表記の定義があいまい。戸籍上の名前を正式とする例もありますが、登録時に間違って登録されることもあり、あくまで"戸籍上"と位置づけたほうがいいと思う。それに、他人の戸籍を普通は見られない。
- 本人は「児」に似た字体で署名している。([1][2]似てるかどうかは議論があるかもしれないけど、すくなくとも「兒」とは書いていない。ただし、手書きの字体であり、俗字正字の兼ね合いも)
- その当時の他人が書いた公文書では「児」と書いている。[3]もちろん「兒」もある。[4]
- どうせ「兒」とするなら「郞」とすべきなのにこれは制限があるのでできない。ならば統一すべき。
- 「なお、現在では通常児玉 源太郎の表記の方が多い。「兒」は印刷字体、「児」は手書き書体」という説明がある。
--代言人(話/歴) 2008年9月17日 (水) 13:49 (UTC)
私は代理人様の御意見に賛成です。『兒玉源太郎』より『児玉源太郎』の方が表記多いですし、書物でも『児玉源太郎』の記述が多いです。一応記事名を『児玉源太郎』とした上で、解説文の中でカッコ等を用い、「(兒玉源太郎)の表記あり」と記述すれば問題はないと考えます。--119.10.167.15 2008年9月24日 (水) 13:05 (UTC)
- (報告)移動しました。内部リンクの修正等、よろしくお願い致します。--Baldanders 2008年12月15日 (月) 10:47 (UTC)
児玉源太郎を『兒玉源太郎』に修正されていましたので、児玉の表記に統一しました。本ページでは『児玉源太郎』と表記する意見で統一されていますので、ノートでの議論無く兒玉の表記に変更するのは控えで頂けたらと考えます。--男梅 2009年8月13日 (木) 02:06 (UTC)
注意を促す記述を書き込みました。--男梅 2009年8月13日 (木) 02:12 (UTC)
既に確定したことですが、この件について、わたくしも同意見です。そもそも戦後の近現代史研究では、「当用漢字→常用漢字がある文字はそれに置き換え」「当用漢字→常用漢字がない文字は、俗字や略字ではなく、正字に置き換えて表記する」のが、慣例というのか、無言のルールとなっていました。ですから、高校の教科書、一般向けの歴史書、研究書、歴史辞典、どれも普通の場合はこの原則に則っています。例外としては、本人や子孫の意向が反映する『議会制度百年史』の議員名鑑、霞会館編『平成新修旧華族家系大成』などは、本来の表記を可能な限り用いようとしています。ここは百科事典ですので、一般向けの表記法に従うのが相応しいと考えます。--rshiba 2009年8月21日 (金) 09:14 (UTC)
親族の項目など
[編集]関連事項:兒玉神社 関連人名:兒玉次郎彦、兒玉久子、兒玉秀雄、兒玉友雄 この辺も、いっせいに変えて置かないと整合性がとれません。--rshiba 2009年8月21日 (金) 09:51 (UTC)
兒玉神社を児玉神社と改名する提案を出しました。ノート:兒玉神社が議論場所です。こちらの児玉源太郎の項目を見ている方々に、コメントしていただきたい。--rshiba 2010年1月17日 (日) 05:05 (UTC)
記事名の制約タグ
[編集]右に表示されているタグを外しませんか。アジア歴史資料センターで閲覧していると、御署名原本に児玉本人が「児玉源太郎」と署名しているなど、署名は「児玉」、存命時代に活字印刷で名が記される際には正字体に統一の慣例により「兒玉」となっていた。どちらの表記も、同等に用いられていたわけです。「本来の表記」という表現は、後の時代から見たあとづけの解釈だと思う。1週間経過して、反対がなければ、外します。--rshiba 2010年3月3日 (水) 04:12 (UTC)
- この編集を実行しました。--rshiba 2010年3月10日 (水) 03:33 (UTC)
『旅順戦にまつわる通説との違い』の記述について
[編集]内容の殆どは日露戦争に関する他のページに記述されていますし、今更ながら『児玉源太郎』のページに細かく記述する内容ではないと感じます。また文章も非常に乱雑で、出展不明な記述や独自研究的な記述が多く、意味不明な部分が多いとも感じますので、記述の信憑性を補填する出展の明記や、文章の内容を整理する必要があるのではないでしょうか?--男梅 2010年10月27日 (水) 12:25 (UTC)
当該項目より前の項目に、『児玉の指揮権介入に対して疑問の意見がある』旨の記述があります。したがって当該項目の記述は必要ないと考えます。暫く様子をみて削除したいと思いますが如何でしょうか?--男梅 2010年10月28日 (木) 22:33 (UTC)
提案から1ヶ月以上立ちましたが、他の皆様方からのご意見がありませんので削除という方向で進めたいと考えていますが如何でしょうか?--男梅 2010年12月15日 (水) 15:31 (UTC)
特に異論も無さそうですので、削除という形で対応させて頂きます。--男梅 2010年12月25日 (土) 06:23 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「児玉源太郎」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月26日 (火) 08:22 (UTC)
Gentaro Kodama 2.jpg