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ノート:光復節 (韓国)

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「『併合』だから『植民地』ではない」論について

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・植民地について Iosif氏は植民地の表記にこだわっているように見受けられますが 「併合」とは同意によって成り立ちます。 「併合」と「植民地」はそもそも同時に成り立ちません。 履歴にある「主張にとどまる」とはむしろIosifの「植民地」という表記です。 そもそも、語句の意味として背反する以上、植民地とするなら「併合」の方を削除するべきでは? 現在の文はそれ自体が矛盾していると言えるので修正します。*「頭が腹痛」みたいにね Iosif氏は中立的な視点が抜けているようなので再考願いたいです。--以上の署名の無いコメントは、61.195.6.171会話投稿記録)さんによるものです。2006年8月12日 (土) 01:12 -コメント時刻も左のとおり。署名補填はIosifによる

同じ議論の繰り返しになってしまうので申し訳ありませんが、ノート:韓国併合#日本統治下の朝鮮を植民地と呼ぶかどうかについての論争を参照してください。以下、ちょっと横着ですが、(a)今回の件に即した出典、と、ちょっと横着ですが(b)参照してくださいといった議論の概要を記します。

  1. (a)の部分です。朝鮮史の記述において「併合」の語と「植民地」の語は矛盾なく用いられています。日韓併合については最近では海野福寿氏がいくつもの著作・資料集を出していますが、その前の段階から定番書でありつづけたのは森山茂徳『日韓併合』(日本歴史叢書47、吉川弘文館、1992年)と言っていいと思います(森山氏を左翼と言う人はいまい)。同書では冒頭「はしがき」から「1945年(昭和20年)8月15日、日本の敗戦によって(…中略…)長い日本の植民地統治は今や過去のものとなり(後略)」……という具合に、植民地統治の語も植民地というモデルも使用されています。同時に、併合条約によって行われたことを「併合」とも呼びます。これは、大日本帝国が「併合」と呼んだことにならっているにすぎません。大日本帝国が「併合」と呼んだことが誤魔化しの言い換えなのか、別のモデルが念頭にあったのかについては議論の余地があるのかもしれませんが、これには立ち入りません。話はここでほぼお仕舞いです。「植民地とするならば併合という語を使うべきではない、どちらかでないとおかしい」という議論は61.195.6.171さんが論文を書いて然るべきところに発表するなり(個人サイトでもブログでもいいのかもしれませんが)Wikipediaではない、何らかの方法で提起してください。それによって朝鮮に関する歴史記述の標準が変更を迫られれば、辞典の記述はそれにならうでしょう。しかし、ここで「語義矛盾だ」と叫んでも個人的な見解である以上の扱いはできませんので、撤回なさるか、同じ編集を繰り返さないかしてください。これ以降は余談です。
  2. 私の知る限り朝鮮史においては「植民地」の語を用いるのが標準です。上記ノートを参照してください。私が知らないだけかもしれないので「植民地」の語が適当か否か議論があるというならば、当該歴史事象を把握するうえで不適当であるという学説を紹介してほしいと提起してから丸7ヶ月、様々な議論がありましたが、学説と呼べるものも新たな把握方法の提唱なども、紹介されていません。「歴史事象の把握においてふさわしいか否か」という点では論争実態がありません。「どのような植民地であったか」という論争はあり得ても、です。
  3. 61.195.6.171さんと同じ主張は一度だけ目にしました。ノート:韓国併合で出典を募った際ですが、渡辺昇一氏の意見というものがありました。私の読んだかぎりでは、ですが、61.195.6.171の主張と同じです。しかし、これは「併合と英語でも呼ばれているのだから植民地化ではない」という単なる呼び名をめぐって印象の悪さがケシカランとしているものであって、(渡辺氏も自覚的だと思ういますが)歴史学者による朝鮮史の把握の仕方に改変を迫るものとして発表されてはいません。相手にされていないとかいうよりも、最初から同じ次元で議論をぶつけようとは意図されていない、あくまで世論に訴えた「主張」にとどまっています。また、私の観点から言うとこの主張は、名称を言い換えることで印象を変えるという企図に基づいた政治的主張・政治宣伝である以外には役割を果たしようがない主張だと思います。
  4. 言い換えによって印象を変えようという企図が大日本帝国にあったのか否かは議論の余地があります。日本政府は併合時に日本人に対しても朝鮮人に対してもいろいろと併合が道義的に正当であるとの説明に努力しています。しかしココではその議論に立ち入りませんし、Wikipediaは論争掲示板ではありませんのでそのような議論に立ち入る必要がありません。「併合と植民地の語は併用されてはいけないのだ」という権威ある議論を紹介のうえ、「議論の紹介」「主張の紹介」「学説の紹介」どころか辞典の地の説明文で採用してもかまわないくらい主流になっているかどうかが検証の対象になるはずです。
  5. 「頭が腹痛」という類の語義矛盾であるという61.195.6.171さんの感じ方は理解しました。まあ、語義から言えばそうかもしれない、そうでないかもしれない、という感じです。しかし、61.195.6.171さんによる「『頭が腹痛』と言うようなものだ」という指摘は、実際に大日本帝国が「頭が腹痛」というような矛盾に満ちた言い換えを行ったと指摘しているのと同じだと思います(私は意図的に言いかえを行ったのか、当時には「植民地」という観念がなかっただけなのか、わからないので保留)。
  6. 私はもともと「植民地」と書くことにこだわっておりません(そういう編集が増えたけれども)。項目・韓国併合によって典拠のないまま言い換えが行われていることを知り、同項目のノートのような経緯をたどって「そのような論争の実態はない(らしい)」と知ったので、それ反映しているだけです。
  7. IPユーザーであっても署名・打刻してください。

以上のとおりです。61.195.6.171さんが新たに出典を紹介されるなどしないかぎり、同じ話は繰り返さない=ぶっきらぼうな対応になってしまうということをご承知おきください。--Iosif 2006年8月12日 (土) 12:46 (UTC)--とんでもない誤記を修正。--Iosif 2006年8月16日 (水) 08:20 (UTC)[返信]

・私が問題としているのは語の意味の矛盾です。 学術的な根拠が何故に求められるのか理解できません。Iosif氏の上げた資料がなんであれ、それに同時に記載されているのであれば、その資料の筆者の誤りでしょう。 朝鮮史において日本の統治がどのようなものであるかを論じるつもりはありません。しかし、言葉として矛盾しているのは正すべきではないでしょうか? 私がIosif氏に求めているのは「併合」と「植民地支配」が矛盾しないという説明だけです。私が辞書にて調べた限りではこの二つは矛盾します。朝鮮史においてのみこの語が矛盾しないというのであれば、この項であつかうべきではないと考えます。 これは歴史の問題ではなく「日本語」の問題です。編集合戦となるのは本意ではないのでとりあえす変更は保留します。 --61.195.6.171 2006年8月12日 (土) 17:21 (UTC)[返信]

私が説明すべきことではありません。朝鮮史学における「日本語」の用法をあなたが全否定しても、私がそれに応じる義務はありません。あなたが辞書を引いて「語義矛盾だから朝鮮史の本はすべて書き換えられるべきだ」と提起なさるのはひょっとすると良いことなのかもしれませんが(私個人は意義を感じませんが)、それとは無関係に、百科辞典は定評ある著作群に準拠して書かれます。基本的な方針の諸文書をご覧ください。▼なお、こういったことは「朝鮮史においてのみ」ではありません(ないはずです)。自称や当時使われた用語が「歴史用語」「歴史的用語」として用いられることはしばしばありますが、それと歴史把握のための概念やモデルとは別です。まあ、同一次元(同一審級?)でとらえてわざとぶつけてみるというのは昔からよくありますけれども。--Iosif 2006年8月12日 (土) 21:56 (UTC)[返信]

「朝鮮史の本はすべて書き換えられるべきだ」とは言ってませんが?ご自身のプロフィールにあるように論点を無意味に拡大させているように私には感じられます。 私の主張はシンプルです。1.「併合」と「植民地」は矛盾する。2.日本は韓国を併合した。1と2から「植民地」という表現は当たらない。以上です。 歴史把握の概念としてかならずしも適当かという意味では、それぞれ論があるのでしょうがそれは「日韓併合」の欄で記載しそちらへのリンクを張ることで解決するべきです。この欄では併合で十分ではないですか? Iosif氏はwikipediaに「併合」と書かれている項すべてに「植民地支配」と併記するつもりでしょうか?違いますよね? 「朝鮮史学における日本言の用法」の問題ではありません。「日本語」の問題です。wikipediaは朝鮮史学のwikiでは無いのですから。 --61.195.6.171 2006年8月13日 (日) 00:25 (UTC)[返信]

>「朝鮮史の本はすべて書き換えられるべきだ」とは言ってませんが?
言っていることは同じです。あなたは「韓国併合」によってもたらされたことに対して植民地化・植民地支配という言葉を用いるべきでないと主張しています。それも、あなた個人の語義理解だけに基づいて、それも「併合」の2文字だけの語義理解でしかなく、どのような経緯で発生しどのような文脈で用いられているのかを顧慮しないで。個別の熟語の(辞書に載っている)語義だけで「日本語」論に限定することで意見を押し通せると考えるのはあきらめてください。横着がすぎると思うのみです。--Iosif 2006年8月13日 (日) 13:55 (UTC)[返信]

日本語論に限定せずに記述をすれば混乱を招くだけです。wikipediaは辞典なのですよ?専門書ではありません? 一般的な日本語の解釈よりも朝鮮史における日本語の用法とやらが優先されるのは誤りです。 もしも、そのような記述を行いたいのであればwikipediaの方針にある「専門用語には説明をおこなう」が必要となるのでは? しかし、本項をはじめその他の項でも同様の説明を記載するのは無意味です。ならば「日韓併合」の項に纏めてそこへの リンクをするべきです。以前もそう提案しましたが、どのようにお考えですか? --61.195.6.171 2006年8月13日 (日) 22:24 (UTC)[返信]

追加します。Iosif氏は勘違いしておられますが「朝鮮史の本はすべて書き換えられるべきだ」とは言ってません。朝鮮史における日本語の用法とか言うのは、それはそれとして議論してください。 私が言いたいのは一つの語句に違う意味があるならば一般的な方を採用すると言うことです。 では何をもって一般とするかといえば、朝鮮史の本ではなく国語辞書だと言うことです。 Iosif氏の主張は問題点があります。朝鮮史について明るくない人間が本稿を読んだときに記載されている語句をどのような意味で理解するでしょうか?おそらくはそのまま辞書的な意味で取ります。つまりIosif氏の意図通りに読まれないと言うことです。あなたが行うべきは語句として「併合」と「植民地」が矛盾しないことを証明するか、説明なしの専門用語が一般的な日本語に優先されることを証明するかのいずれかです。 確認なのですが、歴史認識について議論しているわけではないですよね。Iosif氏の変更前は単に「統治下」となっていました。日本統治からの解放で本項では十分だと考えませんか?日本統治については韓国併合の項を参照すればよいのだから。 Iosif氏は自分の知っている知識、情報がwikipedia読者全てに有ることを前提としているわけではないですよね?であれば誤読を招く表記を極力避けるのが中立的だと私は考えます。 --61.195.6.171 2006年8月14日 (月) 01:22 (UTC)[返信]

どのような誤読があると言っているのですか? あなたの語句理解に基づいて「わかりにくい」と決め付けられても、ここまで確認をとったところでは世に出回る教科群すべてを「わかりにくい」と言うつもりであるようなので、あなたがあなたの(勝手な)表記法を提唱していると受け取るしかありません。それが歴史把握(歴史認識という言葉はよくわかりません)とはかかわらないとおっしゃるのも理解できません。--Iosif 2006年8月14日 (月) 02:56 (UTC)[返信]

同意も求めることをせずに変更を行うのは良い気持ちがしませんね。 では纏めてみます。

  1. 辞典において各項で語句の意味が違うべきではないと考えております。
  2. その場合に採用するのは一般的な意味であると考えています。
  3. 「朝鮮史における日本語の用法」とやらは一般的ではないと考えています。

私には「朝鮮史における日本の統治モデルとしての植民地」の意味をwikipedia中の項にある全ての「植民地」という語句に反映させようと見えます。それが誤読という意味です。 本文に変更をなさるのであれば、上記3点についてなんらかの見解を求めます。 --61.195.6.171 2006年8月14日 (月) 12:04 (UTC)[返信]

おっしゃっていることが微妙に変わっていませんか。
>「併合」とは同意によって成り立ちます。
>「併合」と「植民地」はそもそも同時に成り立ちません。(61.195.6.171さん)
と書いていたはずです。それを読んで「ちゃんと同時に成り立っているよ」と指摘、実例も紹介しました。それらをどう誤読するのかを教えてください。私は、日本が併合と呼んだこともわかりますし、それが植民地として把握されていることもわかります(しかし何を「植民地」と呼ぶのかは無数に考え方がありますが)。それから、「植民地」の語は統治モデルを指しません(この語を嫌う人は、なにかしらの統治モデルをイメージしているのかもしれませんが)し、あなたが植民地の語から想起しているかもしれない統治モデルがあるとしてそれをすべての植民地という語句に反映させるなどということは不可能です。--Iosif 2006年8月14日 (月) 19:20 (UTC)[返信]
上には修正も付加しています。▼タメにする議論をぶつけられているだけだと受け取っていますが、「語の意味の矛盾」しか問題にしていないと書かれたのですから、その立場を堅持していただきたいですね。
▼それから「辞典において各項での語句の意味が違うべきではない」というのはどういう意味でしょうか? 項目によって何か変わっているのでしょうか? 61.195.6.171さんは同一記事内で矛盾している(と61.195.6.171さんが考える)語句を同時に用いるなということしか言っていないと強調していたのではありませんでしたか。もちろん、私はそれを、語句が出てきた時代も、個々の語句が指す時間的・空間的・概念的な範囲も、それらの名称を用いた主体も、なにもかも無視したまま用語統一をはかるという、いったいなにがなにやらわけがわからないこと(暴挙と呼ぶべきなのか何なのか)をやろうというつもりかと混乱していましたが。
▼今回は「朝鮮史における日本の統治モデルとしての植民地」(61.195.6.171さん)を何かイメージなさっているらしい、「wikipedia中の項にある全ての「植民地」という語句に反映させよう(61.195.6.171さん)」という企みがあるのだと考えてそれを問題視しているらしい……と読めます。しかし「私が辞書にて調べた限りではこの二つは矛盾します」「歴史認識について議論しているわけではないですよね」とも61.195.6.171さんは書いていて、朝鮮支配をどのように呼ぶべきかの議論には立ち入らないことを強調しています。どちらが本当ですか? 
▼後者ならばココは「光復節」の項目ですから、「併合」の語を避けることも可能であるというだけだけの理由で、「併合」の語を避ける編集をご自分で行わないのか、とは思いますが。別の語義をもつ語が併存している点をいけないのだと言う61.195.6.171の立場からはむしろ韓国併合で「植民地」の語が用いられているのを問題視すべきなんではないのか?と思わされています。思わされている、というよりも、わざを話を限定して小出しにしているせいでしょう、こういう具合に解釈を加えないと、読み取りようがありません。--Iosif 2006年8月14日 (月) 20:13 (UTC)[返信]

微妙に答えてはいただけないのは残念ですね。説明不足で小出しと思われるのは私の作文能力の不足でしょう。すみません。何故矛盾を感じるかというと、語句としての解釈が辞書通りであるはずだからです。項によって「植民地」の意味が違うなど想像もしてないし。あり得ないはずです。 「植民地」という単語を日本の統治モデルとしてどう呼ぶか私は問題としていないはずですよ。 ですから、それは「韓国併合」の項に書いてリンクを張ったらと再三提案しているのですけど。 「韓国併合」の項で「植民地」という語句に対して私が編集を行わないかどうかは、ここでは関係ないと思いますが? さて、質問に質問で返された形ですが答えました。最初の3点についてどのようにお考えかお聞かせ下さい。 --61.195.6.171 2006年8月14日 (月) 22:11 (UTC)[返信]

読み直すと1つ目については答えられているようです。確認しますが時間的やら概念的やらとかいう理由で辞典の各項で語句の意味が違ってもかまわないと取れます。よろしいですか? wikipediaの項を読んでいてそこの書かれている語句が一般的な意味でないとしたならばどうやって文章を理解するのですか? 文章を理解するためには語句の意味を理解する必要があります。文脈等から読み取ろうにもそもそも文章を理解できません。読めたつもりでも語句の解釈が正しいという保証は有りません。これこそ暴挙では? 経緯を纏めます

  1. 私は辞書的な解釈で「併合」と「植民地」が矛盾していると主張しました
  2. Iosif氏は朝鮮史における日本語の用法では矛盾ではないと主張しました
  3. 私はwikipediaのにおける語句は一意であるべきだと考えて辞書的な解釈を採用するべきだと主張しました

重ねて質問しますが、Iosif氏の主張は「wikipediaにおける語句の意味が一意である必要はない」でいいですか? --61.195.6.171 2006年8月15日 (火) 11:34 (UTC)[返信]

よろしくないですね。なんでそんな「まとめ」になるのかさっぱり理解できない。「wikipediaにおける語句の意味が一意である必要はない」という話もどこから出てくるのかわかりません。解説文中、何がどのように矛盾しているのかがそもそもわかりません。61.195.6.171さんが(私の目からすればまったく恣意的に)2単語取り出しただけですから。--Iosif 2006年8月15日 (火) 18:30 (UTC)--修正付加。--Iosif 2006年8月15日 (火) 19:20 (UTC)[返信]
▼えー、私は答えていますかね? 「よろしいですか?」→「よろしくないです」ということで回答のつもりです。あとは全部、既述です。付け加えて言えることがあるとすれば、どこから話が飛躍したのか読み取れないということでしょうか。▼何かを「韓国併合」の項で説明してリンクしろとおっしゃっておいでですが、そのような「提案」は今回が初めてだと認識しています。読み返せばたしかに「リンクを張ればいい」と以前に書いてはいます。しかし、申し訳ないですけれども話の前提と提案の具体的内容がわからないので(まずは何をリンクするの?というところからわからないので)、提案だと思いませんでした。現時点でも何がどう有用だと考えているのか説明なさっていませんし、現段階では提案として検討しようがありません。あと、何か残ってますでしょうか?。
▼あなたの「まとめ」2番目について言えば(どーしてそういうまとめになるのか!?というのはおいておくことにします)「日韓併合が以降、日本の敗戦まで韓国は植民地支配下にあった(大意)」という説明のどこに「単なる語義上の矛盾」をはらんでいるのか理解できません。▼「朝鮮史における日本語の用法」などという表現を使った覚えはありませんし、まるで異言語で語り合われているかのように扱ってみせるパフォーマンスはおやめいただきたい。
▼で、61.195.6.171さんの言うことを無理クソ理解しようとすると、こうなります。→ 61.195.6.171氏は「併合と呼んでいるかぎりは植民地支配ではないのだから話が矛盾している」と主張しているらしい……。←まあ、再三繰り返しますがこういう理解です。これに対する異論は既述のとおり。ところが、61.195.6.171さんは「歴史認識のことなんかは言っていない、これは日本語の問題だ」と答えて、私が「61.195.6.171テーゼ」を誤解していると言う。この段階で初めて、何が何やらわからなったのかな、と思い出しています。▼余談。私もこれを61.195.6.171さんが「歴史認識の問題」と呼ぶのは、よく使われている用法と大きく違っているという意味でおかしいと思いますが(「把握」ならばわかりますが…)。
▼「一般的な日本語」とだけ繰り返しても詮無いですよ。私は61.195.6.171さんを日本語の権威であると認めたことがなく、また私も日本語を母語としておりますので、「一般的な日本語」と“だけ”繰り返されても平行線です。しかも、本文記事は、あなたが矛盾だと呼んでいる問題(私は矛盾とは思いませんが)さえ解決しています。とりあえず、あなたが繰り返している「辞書」の説明がどういうものなのか引用いただいたほうが良いようです。--Iosif 2006年8月15日 (火) 19:20 (UTC)[返信]


理解できない?

>#「頭が腹痛」という類の語義矛盾であるという61.195.6.171さんの感じ方は理解しました。まあ、語義から言えばそうかもしれない、そうでないかもしれない、という感じです

と書かれているのに?

変更された本文を読みました。なるほど併合の語を削ったのですね。であれば確かに私の主張は意味をなさなくなります。 あと、wikipediaの語句は一意であるべき。これは合意がとれまたしたか?

ここからは余談で、議論を重ねた中ででた疑問です。 Iosif氏が「植民地」とう語句にどうしてこれほどこだわるのか「韓国併合のノート」を読んでも理解できませんでした。短く纏めて披露していただけませんか。前述のノートにある「植民地」が必要な理由が私には理解できませんでした。

「併合」と「植民地」どちらを残すかとしたら、私でしたら「併合」を残します。「併合」より「植民地」を優先したと言うことは、「植民地」という語句にこだわりがあるのだと理解しました。

「植民地支配」->「統治下」に本文を変更してみます。Iosif氏はおそらく「植民地支配」へ変更をかけるのでしょうからその際にノートに理由を書いてください。 --61.195.6.171 2006年8月15日 (火) 22:02 (UTC)[返信]

「日韓併合以降、日本の敗戦まで韓国は植民地支配下にあった(大意)」という説明のどこに「単なる語義上の矛盾」があるのか理解できないので、61.195.6.171氏に同意できる点は何一つ見当たりません(理解できないというか、矛盾しないと言い切りたいところですが)。「wikipediaの語句は一意であるべき。これは合意がとれまたしたか?」などというワンフレーズだけ抜き出されても、物言いをつけているポイントについてわけわからんので答えようがありません。依拠している「辞書」と、その「辞書的解釈」は、結局詳述しないのでしょうか?
>であれば確かに私の主張は意味をなさなくなります。(61.195.6.171)
あなたの主張に照らせばそうでしょうね。私は片方を削るべきだと思いませんが。
>「植民地支配」->「統治下」に本文を変更してみます。(61.195.6.171)
これまで言っていたこととやっていることが違うので、当然戻します。やっぱり単に植民地の語が気に入らんのだという話だったんでしょうか(違うと繰り返していましたが)? 今からでも白状してほしいですね。
>「併合」より「植民地」を優先したと言うことは、「植民地」という語句にこだわりがあるのだと理解しました。(61.195.6.171)
その理解は間違っていますが(=勘ぐりですが)、項目記事に関わらない事柄ですので、メールでもください。私のノートでもいいですが、マニュアルにはメールでやるのがいいよとすすめてありましたし。
私は「ああ、やっぱり単に植民地の語が気に入らんのだという話だったんだな」と理解しています。または「Iosifにこだわりがあるようなので」としてIosifの反応を試さんがために編集しているかのようなことを言っています。「植民地と呼ぶのが気に入らん」と「こだわっているに違いないからしゃべらせよう」、どちらであっても61.195.6.171さんは「議論のために編集する」とでも呼ぶべき(?)ことを繰り返している。こういう不真面目な動機にはおつきあいできませんし、項目保護が適当でしょう。あんまり遊んでいると、その前に、多重アカウント氏がやってくると思いますが。--Iosif 2006年8月16日 (水) 08:20 (UTC)--修正付加。Iosif 2006年8月16日 (水) 08:28 (UTC)[返信]

矛盾の説明については書いたつもりになっていました。では 植民地 併合 「合意」と「武力によって獲得」の箇所が矛盾だと判断しました。

ミスがありました。それぞれの引用されている辞書が違いました。同じ辞書で引き直したところ私の主張に変化はありません。

どうにも、わたしにレッテルを貼りたいようですね。「議論のために編集する」とありますが本文の編集頻度を見てください。さらにノートにも編集合戦は本意でない等そういった誤解を避けるように書きましたが。ただ「反応を試す」ような意図が最後の編集に限って合ったのは確かです。理由は下記のこだわりを感じたためです。「こだわっていない」とかかれていながら「こだわっている」と思いましたのでその点について明らかにしようかと思いました。その点については謝罪します。

2006年8月14日 (月) 20:14版と2006年8月14日 (月) 21:01版で変更がかかっています。あえて「植民地」の語句を用いたのは「こだわっている」と取りました。まして理由が「日和りすぎたか。。。」さっぱり無理クソにも理解できません。 「日韓併合以降、日本の敗戦まで韓国は植民地支配下にあった」から、併合を除いたのは編集意図はなんでしょうか? わたしにはIosif氏が「植民地」の語を併記することも可能であるというだけだけの理由(私は納得しませんが)で、「植民地」という語句を用いているように思えます。

Iosif氏は最初からどうも私に対して攻撃的であるように感じられます。白状しろとか不真面目だとか・・・これも勘ぐり? --61.195.6.171 2006年8月16日 (水) 10:26 (UTC)[返信]

>物言いをつけているポイント
Iosif氏>朝鮮史の記述において「併合」の語と「植民地」の語は矛盾なく用いられています。
Iosif氏>語義から言えばそうかもしれない、そうでないかもしれない、という感じです。

語義に矛盾が無いと主張されていません。つまり辞書的な意味と朝鮮史において語句の意味が違う場合があると理解しました。

私>辞典において各項で語句の意味が違うべきではないと考えております。
私>その場合に採用するのは一般的な意味であると考えています。
私>「朝鮮史における日本語の用法」とやらは一般的ではないと考えています。

--61.195.6.171 2006年8月16日 (水) 10:57 (UTC)[返信]

Iosif氏の反論もないようですね(本文を変更されているくらいなのでノートを参照していないとは思えない)。 変更を加えました。 --61.195.6.171 2006年8月17日 (木) 12:26 (UTC)[返信]

説明済み。61.195.6.171氏が明らかにしていないことが多すぎます。2単語抜き出し辞書(^^;にはこう書かれているから矛盾をはらむと言っても、文章自体は実際上の(たいへん一般的な)用例です。さらに出典を挙げればいいんでしょうか?。▼61.195.6.171氏が行った「辞書の読解」なぞが文章自体に関する「日本語の一般的な用法」を決定できるわけではありません。▼61.195.6.171氏は「併合か植民地かどちらかを選ばなければならない」というテーゼを打ち出しておりますが、本当に選ばなければいけないのだとすると「朝鮮は合意に基づいて併合されたのであって植民地と呼ぶのは間違いなのか、そうではなく植民地という呼称はなお適当であるのか」という議論にならざるを得ない。この議論を我々が行う材料などない、その材料を持っていると認められている人の見解を持ってくる必要がある、ということを一番最初から書いています。この点を回避できると考えるのはおやめいただきたいですね。--Iosif 2006年8月17日 (木) 13:50 (UTC)--付加。2006年8月17日 (木) 14:03 (UTC)[返信]
Iosifによる追伸:攻撃的と言われると、まあ困りますが、61.195.6.171さんの履歴を見れば、ふくむところがあると思われるのは仕方がないと思っていただきたいです。
▼「呼称の適切さ」にまつわる諸々の問題を避けては、61.195.6.171さんが提起しているような「呼称選び」はできません。「日本語しか問題にしていない」「日本語として一般的」の決まり文句だけで突破しようというのは、何度でも繰り返しますが、無理を通そうとするにもほどがあるというか、大胆すぎます。項目(ここでは光復節について)の編集に資することのない「論争のための議論」をいつまでも続けることがブロック依頼の理由になった前例がありましたが(どうなってもいいと思ってる捨てIPなのでしょうけれども)、これだけたっぷりからんだんだから、そろそろ満足されてはどうでしょうか。
▼61.195.6.171さんが全面的に依拠している『大辞泉』では「国際法上、ある国が他の国の領土の全部または一部を合意によって自国のものとすること」という具合に「国際法上」と限定をつけています。しかし、日韓併合条約が国際法上合法か否か、合意によるものか否かということ自体、当事国(日本・韓国)どうし別の解釈をしているのはご存じのとおりです。強制調印条約は無効であるという立場を打ち出す人も国も(韓国に限らず)出てきています。また、日韓併合にいたるまでの諸条約が強制調印なのか否かについても議論がつづいています。これらの検討を避けたまま記述しようとしても、『大辞泉』の一部を勝手に解釈して書いているというだけのことにしかなりません。しかし肝心の『大辞泉』は日韓併合のことについて書いているとは明言しておらず、一般的に「国際法上(略)合意に基づいて(略)」と書いているだけだということを確認してください。
▼61.195.6.171さんの主張はまったく理解できないと思っていたのですが、なるほど理解できなかったわけだと思っています。実は『大辞泉』の一行を根拠に「日本語として一般的」と言い続けているのだとは思ってもみなかったからです。▼『大辞泉』(小学館)の値打ちをおとしめるような恐ろしい真似をするつもりはありませんが、「国際法上」何を意味するかまで踏み込んでいる辞書は珍しい。『広辞苑』第五版では「いくつかのものを合わせて一つにすること。合併。」とだけ書かれている。マイナーなところ(?)で『日本語大辞典』第二版では「合わせて一つにすること。合併。」とだけある。国際法用語としての説明するということ自体、さほど一般的ではないようです。かと思えば、『大辞泉』も第二義として述べているのでした。
▼まあ……こういう61.195.6.171さんも実は最初からわかっていることを書くのは嫌でしたが、日本語の一般的な感覚で「併合」と言えば「合わせて一つにすること」です。踏み込んだ記述を見つけて、それを無理に援用しようなどと考えていて、双方の用例について精査する意欲がないから、61.195.6.171さんは「併合」について『大辞泉』を引用しつつ、「植民地」について『大辞林』(三省堂)を引用するようなウッカリをやってしまうのでないかと思っています。
▼さらにおかしいのは、61.195.6.171さんが依拠している『大辞泉』でも「植民地」については「(略)その国の新領土となって本国に従属する地域。武力によって獲得された領土についてもいう」とされているだけであることです。「武力によって獲得」が全てのケースを指すという立場は取っておらず、一般的に広く定義しているにすぎない。また、日韓併合は武力に基づいて行われたのだという声も大きい。▼辞書から1センテンスだけをピックアップして、それを日韓併合に当てはめることで、歴史記述そのものに変更を強いることができると考えるというのは、辞書の記述を読む段階であまりにも独創的な解釈を加えているように思います。本気で言っているとすれば、私も含めた素人の引用は怖い、アテにならない、ということの好例ではあっても、それ以上のものではありません。--Iosif 2006年8月17日 (木) 21:45 (UTC)[返信]

2006年8月28日 (月) 12:03(UTC)の版

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218.134.50.50さんが「pov 要出典」と要約欄に書いて編集していました。いろいろ書いたので、どの部分だろう?と思って、お尋ねのためにこのノートに書きはじめたのですが、よく見たら、ここまで戻してありました。荒らしかどうか判別がつかないので困惑していますが、より詳しく根拠を挙げるべき箇所があるかもしれないので具体的にご指摘ください。--Iosif 2006年8月28日 (月) 15:53 (UTC)[返信]

保護の解除の提案

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保護から一年が経過し、編集合戦を起こした問題の当事者は無期限ブロックか活動停止しており、編集合戦はもはや沈静化していると看做せるので、保護の解除を提案します。--あばさー 2007年12月14日 (金) 15:02 (UTC)[返信]

台湾について

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冒頭で台湾に触れているにもかかわらず一切の説明がないのはどういうことなのか--222.147.39.180 2008年1月12日 (土) 06:58 (UTC)[返信]

台湾光復節が別ページにて作成されています。Wikipedia:中立的な観点から、光復節 (韓国)光復節 (台湾)とそれぞれ改名し、光復節は曖昧さ回避のページにすることも考慮したほうが良いかもしれませんね。--KoZ 2008年2月21日 (木) 23:57 (UTC)[返信]

そういや、中国台湾の方にも「光復節」がありますね…ってことで、まず本記事の光復節 (韓国)への改名と、跡地の曖昧さ回避化を提案します。--Tatsujin28 2008年9月14日 (日) 15:35 (UTC) 勘違い。あっちは国慶節を祝いますね。--Tatsujin28 2008年9月23日 (火) 00:34 (UTC)[返信]

処置しておきました。--Tatsujin28 2008年9月23日 (火) 00:34 (UTC)[返信]

解放直後に広まったSS,MM,IIについて

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終戦直後(韓国でいう解放直後)に朝鮮半島の広範囲で広まった言葉に、SS,MM,IIという韻を踏んだ用語があります。最初のSはソビエトで後半のSはソッチマラという韓国語で、意味は騙されるな。次のMMの最初のMは美国(ミグク)で日本で言うところの米国、後半のMはミッチマラで、意味は信じるな。最後のIIの最初のIはイルボンで、日本は再び立ち上がる(後半のIはイロソンダで立ち上がるという意)。この語呂合わせの言葉は日本人にとっては興味深く、日本人にとっては嬉しい言葉です。

  • ソビエトはソッチマラ(ソビエトに騙されるな)
  • ミグクはミッチマラ(アメリカを信じるな)
  • イルボンはイロソンダ(日本は立ち上がる)

--Senkaku Islands会話2018年8月10日 (金) 03:54 (UTC)[返信]