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ノート:元勲

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「志士」・「公家」・「疑問」への疑問

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  • 公家出身の人々を「志士」というのは語の慣例に反するように思います。
  • この語が「元老」のような制度に裏づけられた呼び名なのかどうかを冒頭定義で明示する必要があるように思います。
  • 全体にやや、個人の感想に終始しているような気がするのですが、それは私の不勉強でしょうから、もう少し具体的な典拠や資料に基づいて、実際に元勲と呼ばれたことがあるかどうかという観点から人物を列挙したほうがいいように思います。現在では、「疑問がある」などとなって、リストがどのような観点と正当性にもとづいて作成されているのか、記事からは不明です。--Aphaia 2005年10月6日 (木) 00:41 (UTC)[返信]
    • どうにもこうにも、言葉の使い方が・・・。この場合は「疑問がある」と定義されているからこそ、いろんな観点から公正に、かつ、正当性をもって記述されているということになるのではないでしょうか? SeraphGood 2007年9月30日 (日) 08:08 (UTC)[返信]
    • 具体的根拠まったくゼロで、つまり「疑問がある」程度の「個人の感想」で、どうして記事そのものが正確ではないかのようなテンプレが貼ったり保護したりする管理者がいるのでしょうか? SeraphGood 2007年9月30日 (日) 08:08 (UTC)[返信]
    • 公家出身・農民出身・商人出身・えた出身の人々を「志士」(「勤皇の志士」)というのは語の慣例に全く反していないと思います。もともと、武士階級以外の人たちでも「志(こころざし)」ある者(士)すなわち「志士」ということにしてしまったのが幕末・維新の動乱だからです。
    • そういうことで、残念ながら、正確さに問題ありとするこの種の珍妙な問題提起そのものが、他のページの問題同様、その人たちの日本語感性か、あるいは論理性か、あるいは知識そのものがひどく外れ過ぎているだけのような気がします。初代内閣総理大臣の伊藤博文は、実際には貧農出身です。武士に取り立てられてはいますが、禄を与えられる存在である以上、武士には武士専用の戸籍みたいなものがあります。人の口に戸は立てられませんから、長州出身者で、当時、伊藤俊輔が貧農出身であることを知らなかった人はいないでしょう。能力主義だった長州では、彼に武士の体面を与え、あとは、やはり能力主義です。彼に藩の大金をはたいて、イギリスへ秘密留学さえ、させています。維新の三傑を除けば、貧農出身でありながら伯爵(最上位貴族)まで登り詰めた伊藤博文は、明らかに「志士」「元勲」の代表格の一人です。よって、他の「志士」「元勲」たちから同志として扱われていた公家出身者たちも自動的に「志士」「元勲」であることは極めて自明です。したがって、公家出身者が元勲であっても何の問題もないことは極めて明らかだと思われます。逆に、七卿落ちの公卿など漏れている人がいるような気さえします。 SeraphGood 2007年9月30日 (日) 08:08 (UTC)[返信]

「明治の元勲」への移動は

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通常、「元勲」といえば、「明治の元勲」です。それ以外には思い浮かびません。また、一般に、「明治の元勲」以外、「元勲」と呼ばれている人たちは今のところいらっしゃいません。「元勲」という用語は既に歴史的用語として「明治の元勲」たちの専有物として扱われていることも極めて明らかだと思います。ちょうど、「総理」という用語が日本国においては「内閣総理大臣=「首相」」の専有物であるかのように扱われているのと同じです。実際、吉田茂を「昭和の元勲」と言うことも全然なかったし、小泉純一郎を「平成の元勲」などと呼ぶこともさらさら全然ありません。そもそも、明治維新に相当するような事業は、もはやあり得ないと思われます。よって、私自身、記事名を「元勲」から「明治の元勲」へ移動する必要性は極めて乏しいと思います。また、リンクの都合上、極めて有害無益であると思います。しかしながら、言葉としては「明治の元勲」のほうが正確であることは確かです。「明治の元勲」への移動は可としますか? 不可としますか? 御意見をお伺いしたいと思います。(正確さに疑問があるとケチを付けたいのであれば、こういうことを、こういうふうに問題提起すべきではないでしょうか?) SeraphGood 2007年9月30日 (日) 08:08 (UTC)[返信]


平凡社ライブラリー版の伊藤漱平訳「紅楼夢」の人物紹介に、主人公の家を「さる王朝の名門貴族。開国の元勲の末裔に当たる」と表現しています。ただ、仮に中国史上で「開国の元勲」という表現がよくあるとしても、明治の元勲のように歴史的用語にまでなるほどの勢力権力を持った者はいないでしょうから、この項目が「明治の元勲」になっても不自然ではないでしょうし、最初から「明治の元勲」という項目名であればそれはそれで通ったでしょう。問題は、「どっちみち『元勲』から飛んでくるように設定しないといけないので余計な手間がかかる」「そもそも普通元勲といえば明治の元勲なので『明治の元勲』で検索する人がどれぐらいいるか非常に怪しい」という点から、正確になるという以外に移動のメリットが何もないところでしょうか。--210.141.167.222 2009年1月14日 (水) 09:02 (UTC)[返信]

「明治の元勲」という表現は、大正時代以降のものです。明治時代において「明治の元勲」とわざわざ「明治」を付ける必要はないですから。明治時代においていは「維新の元勲」です。--rshiba 2010年4月9日 (金) 03:31 (UTC)[返信]


SeraphGoodさんの最初の方の発言は、「元勲」が何かを理解していないが故の発言でしょう。吉田茂小泉純一郎を引き合いに出している時点でそれが明らかです。吉田茂や小泉純一郎が、革新を起こしたという歴史的事実がない以上、何ら意味がない上に、視野が何故か現代にしか向いていない。革新は「明治維新」より前にも起こっている。それは古代の「大化改新」と中世の「建武新政」です。「明治維新」の際には「明治元勲」がいたように、「建武新政」の時には北畠親房を筆頭とした「建武元勲」がいた。まあ、あえて酷い言い方をすれば、今のような非学術的記述の方がwikipediaらしくていいのかもしれませんが・・・。はっきり言って私はそれが大衆的なwikipediaの個性だと思っているので。--153.133.60.8 2013年3月31日 (日) 02:03 (UTC)[返信]

元勲でない元老はありえない

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「増えすぎ、『維新元勲十傑論』『明治三傑伝』に無い人物を除去。」とのコメントで[1]という編集がありましたが、これは間違いです。この編集をなさった方、こちらで対話をしませんか。--rshiba 2010年5月2日 (日) 16:16 (UTC)[返信]

    • 例えば、『岩波講座日本歴史』(第3次)に掲載の伊藤隆 (歴史学者)福地惇の論考を読んでいますか。--rshiba 2010年5月2日 (日) 16:29 (UTC)[返信]
      • なぜ岩波の個人解説論考を「維新の元勲」として載せなければならないのかが理解に苦しみます。百科事典にふさわしいとは思えず、独自研究の域を出ないため、やはり『維新元勲十傑論』以外の人物の記述は当てはまりません。--61.210.253.175 2010年5月2日 (日) 16:32 (UTC)[返信]
        • 日本近現代史研究の学会の標準的な理解がどうなっているのかを言っているのです。なお、維新当時からどの範囲を「元勲」と呼ぶかは時代を経るに従って変動してきたのは確かです。その辺の検証なしに、特定の時点での特定の著書のみを原典とすること自体独自研究です。--rshiba 2010年5月2日 (日) 16:36 (UTC)[返信]
(↑)意味不明。「明治の元勲」を「維新の元勲」と改名提案し、改名を実施したのはわたくしですが...。--rshiba 2010年5月29日 (土) 05:37 (UTC)[返信]
柴崎氏が改名をされたのはまあ当然の事ですね。そうしなければ定義が無茶苦茶でしょうから。--124.97.63.157 2010年5月29日 (土) 05:52 (UTC)[返信]

陸奥宗光は元勲でしょ

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あちこちで陸奥宗光は「明治の元勲」扱いされているのですが(明治の元勲陸奥宗光伯の邸地であったが - 関東地質調査業協会陸奥宗光講演会金沢文庫と明治の元勲たち 伊藤博文と陸奥宗光、・・・)、そして、このWikipediaでも当初から陸奥宗光が「元勲」扱いされていたことが分かるのですが、陸奥宗光を「元勲」からはじき出しているみなさん方、もし正当な理由があるのでしたら、その理由説明をお願いします。しかしながら、坂本龍馬中岡慎太郎の代わりに生き残ったみたいな人ですし、維新当初から薩長政府に抜擢されていた人であることも明らかですので、正当な理由説明は不可能だと思われます。よって、速断ながら、陸奥宗光を元通り復活させておきたいと思います。 -Onlyonef会話2012年7月11日 (水) 14:25 (UTC)[返信]