ノート:佐高信
この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
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経済評論家ではないでしょう
[編集]この人の肩書きが「経済評論家」というのは、実情にそぐわないと思いますので、「評論家」に変えました。この人は、政治家や経営者等の人物評論をしてきたのであって、経済についての評論をしてきたわけではないですからね。また、彼の発言からは、マクロ経済学のことなんて、全く理解していないであろう事が窺えます。--WBJ 2008年3月9日 (日) 19:01 (UTC)
佐高信と小林よしのりについて
[編集]- しかし、漫画家の小林よしのり氏には手痛い反撃をくらった。その小林氏の佐高批判は非常に的を射たものであり、佐高自身もふらついた。
上記の記述を(不要な敬称を省いた上)コメントアウトしました。理由は下記の通りです。
- 「手痛い反撃」と言うからには、「佐高が某年某日何かを述べ」「小林が某年某日それに反論を加え」「その反論が佐高にとって『手痛い』と客観的に評価されるものであった」という3つの事実が必要ですが、具体的にいつどの新聞・雑誌等で闘わされた論戦であったか、だれが「佐高にとって手痛い」と論評したかが示されていないこと。
- 第2文「その小林[氏]」以下は第1文と同様のことを述べているように見受けられ、冗長であること。
- 佐高信という人物の概略を紹介すべきこのセクションにおいて、小林との論戦(?, if exists)が唐突に言及されなければならない必然性には乏しいと考えられること。
です。具体的な事実関係がきちんと記載され、後段においてたとえば==小林よしのりとの関係==のような節を別立てして述べることに私は反対するものではないこと、単なるリバートは歓迎されざること、を予め申し述べておきます。--Gloucester 2006年2月17日 (金) 18:31 (UTC)
社民党応援団と記述されていますが、田中秀征や加藤紘一と仲がよく彼らを評価しているので、一概に社民党支持者とも言い切れないのではないでしょうか。--以上の署名のないコメントは、61.203.128.130(会話/Whois)さんが 2006年3月18日 (土) 08:01 (UTC) に投稿したものです。
佐高氏の不倫に関する記述について
[編集]高校教師をやっていたが、同僚と不倫の末、駆け落ち同然に上京 氏が『噂の真相』において連載していた「タレント文化人筆刀両断」中で氏自身が告白していたものです。現在、記載された誌が手元に無いために詳しい号数までは記述できません。 誹謗中傷の目的ではなく、氏の人となり(人間としての一面)を知ってもらうために書き加えたものです。 氏の現在の言論活動等を見るにおいて、中立性を欠くものであればこのまま記述を削除されたままで構わないと考えます。 --以上の署名のないコメントは、220.57.164.10 (会話/Whois)さんが 2006年6月22日 (木) 08:29 に投稿したものです。
- 本人が積極的に公開したプロフィールであれば、Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関しての例外事項「逮捕歴などを本人が積極的に公開し」に該当し、プライバシーという観点による削除対象からは外れるでしょう。しかし、この上京の経緯は佐高の人物像や著名人としての活動にどれだけ影響を与えているのでしょうか。--経済準学士 2006年6月23日 (金) 16:29 (UTC)
「高校教員となるが女生徒とトラブルを起こし辞職、上京。」と一時、表記されていましたが「AERA」「ビッグコミック」などで佐高氏本人が語っていた資料に基づき現在の記述に変更しました。--Gryphon 2007年12月9日 (日) 03:03 (UTC)
佐高信氏は離婚などの私生活を人物論に絡める手法を肯定しています
[編集]佐高氏は自ら 「タレント文化人筆刀両断!!」の中だけでも 枡添要一、宮崎緑、荒俣宏などの離婚歴にふれ、それを批判の対象にしています。
また「大手ジャーナリズムは[上半身](=政策や思想)しか論じない。 「下半身」(私生活)も含めて議論すべきなのだ」と自らのスタンスを語っています。 これで自らの離婚について隠したら言行不一致でしょう。
自らの離婚暦に関しては、執筆は他の人ですが、取材に全面協力したAERA「現代の肖像」 毎日新聞の談話記事などでも触れられています。
佐高氏の離婚は百科事典に載せても問題ない、というのは疑問の余地無しです。
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「枡添要一批判は、やはり、二人の前夫人に、お祝いとお悔やみを同時に言うことからはじめなければならないだろう。マスゾエと結婚してしまったことに対するお悔やみとそれをまもなく解消した賢明さに対するお祝いである」
「美里泰伸は(離婚のとき)しゃべりまくって醜態をさらした」
「(宮崎緑が離婚に際して理由に挙げた)「嘘の多い人」を選んだ愚かさについての自省は全くない。宮崎はだれかに強いられて結婚したわけでは無いだろう」
「オボコ(荒俣宏前夫人・杉浦日向子さんのこと)をだますなんて、荒俣はとんでもない男である」
(すべて、「タレント文化人百人斬り」より)
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↑もし、上の話にご議論がなければ、経歴の一環としての離婚・上京に関する記述をあらためて掲載したいのですがいかがでしょうか
↑ 上の文章は、アカウントを取得する前に書いたもので、私と同一人物の書いたものです(本日の本文編集も)
「現代ビジョン」がどんな性質の雑誌だったかは、佐高氏の主張や経歴を評価するとき欠かせませんよね?--Gryphon
一度削除された「現代ビジョンについて」を復活させたいのですが
[編集]◆佐高氏の評論活動を語るとき、その起点となった「現代ビジョン」がどういう性質の雑誌で、その中で佐高氏がどう活動していたかはきわめてっ重要、必須の情報であること
◆書かれていることはどれも引用元まで記載され、信用性が高いこと
などがあるので、以下の「現代ビジョン」のくだりを、大きな異論がなければ復活させたいと思います。
- 「現代ビジョン」について
- 佐高氏は文筆・評論活動のスタート地点となった「現代ビジョン」という雑誌の性質を後に回想し、「はじめにびっくりしたのは、そうした雑誌は、雑誌を売って金をもうけるのでないということです。公称三万部といっても実売は三千もいっていない。九割九分が広告収入なのです。それも一流大企業のです。長い間、不思議でならなかった。あるとき気づいたのは、企業は(雑誌に)広告を出すメリットはないが、スネに傷持つ以上、出さないとデメリットがあるということです」(産経新聞2005年10/24)と告白している。 - - 同誌は、自分のところに広告を出すか、出さないかによって批判記事・賞賛記事のどちらを掲載するかを決める(また、企業の規模にあわせ、同じスペースの広告料でも料金はまるで違っていたという)という性質の雑誌で、佐高氏は最終的にこの雑誌の性格を知りつつ10年近く勤務を続け、最後は編集長に上り詰めた。 - - 最終的には、職場間の人間関係のもつれによって退職。 - -
- また、1993年の「宝島30」9月号ではオバタカズユキのインタビューに答え + 批判の対象である保守系や共産党系の人々でも佐高の企業批判を高く評価する人は少なくない一方で、その言動や姿勢を批判されることも多い。 - 「・・・広告とタイアップした記事はたくさんあるわけで、どこぞの社長の提灯記事書けとかは日常茶飯事だからね。一方で批判記事というのも書いてはいたわな。」 - 「総会屋云々のほうは、そういう雑誌にいたってことを隠してはいない」--Gryphon
バーニングに・・・というのはソースを聞いたことも無い
[編集]>「だがバーニングプロダクション社長の周防郁雄に対しては周防が息子の周防彰悟をバーニングプロの取締役やバーニングパブリッシャーズの代表取締役にしても佐高は周防やバーニンググループを批判しない。それは佐高がバーニングからの資金援助を受けて執筆活動しているというのが言論界においては常識である」
↑という、07年2月19日現在で掲載されている文章ですが、信頼できるソースというかそもそも噂を私はほとんど聞いたことがありません。 どんな資料があるのかを提示したほうがいいと思います。 その資料が無い場合、該当部分の削除もしたほうがいいかと思っています Gryphon 2007年10月11日 (木) 13:54 (UTC)
・・・・・・・・・・以下の文章を一応削除しました。再掲載のために、出典などがあるならどなたかお示しください。Gryphon 2007年10月11日 (木) 13:54 (UTC)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 経営者として本田宗一郎を評価し松下幸之助を批判するのはお約束である。理由は会社創立者一族が会社を世襲することを嫌悪しているため。これを理由にトヨタ自動車なども批判している。だがバーニングプロダクション社長の周防郁雄に対しては周防が息子の周防彰悟をバーニングプロの取締役やバーニングパブリッシャーズの代表取締役にしても佐高は周防やバーニンググループを批判しない。それは佐高がバーニングからの資金援助を受けて執筆活動しているというのが言論界においては常識である{要出典}。
--以上の署名の無いコメントは、Gryphon(会話・投稿記録)さんによるものです。2007年2月27日 (火) 13:17 (UTC)
もう「疑問提出」「議論中」の解除を
[編集]ノートで議論になっている部分で「バーニング」や「小林の批判にふらついた」という箇所は削除されており、また唯一残っている「離婚暦」については、記述すべきか」どうかの議論は彼本人の文章などの資料も出て、再反論も無いことですし「掲載に問題なし」で決着としていいのではないでしょうか。
かなり議論から時間も経過していることだし、そろそろ
「この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。
そのため偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。」
というカテゴリーの解除をお願いいたします。
こういう形での依頼でいいのかな?
--Gryphon 2008年2月2日 (土) 14:41 (UTC)
4月25日「議論中」「雑多な箇条書き」のタグを末尾に移動しました(「議論中」は二月投稿の提案に異論ないため、「箇条書き」は修正したため)
異論が再び無ければ、もうしばらく時機を見て完全に削除したいと思います
--Gryphon 2008年4月25日 (金) 04:16 (UTC)
本日タグを取り除きました--Gryphon 2008年7月13日 (日) 10:39 (UTC)
具体的に
[編集]<<佐高が「小心者」として断罪した石原慎太郎との『週刊金曜日』誌上での対談[9]は、梶村太一郎から「佐高氏とは面識もなく、なんの偏見もないが、この対談だけは、いくらなんでもひどすぎる」、「まるで青大将に睨まれた雨蛙が、捕って喰われるのではないかと脅えながら、相手にすり寄るだけのような体たらく」と対談内容を批判された<<
梶村が批判したのはおそらく佐高先生の側であることは何とか推測できますが、対談がどのような内容であったかを記さないと文意が読み取れません。付加的説明を記してください。--219.35.22.28 2015年8月27日 (木) 08:12 (UTC)