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ノート:佐久間ダム

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事業主体

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佐久間ダムの事業主は電源開発だけでは?電源開発と国土交通省中部地方整備局との共同事業主との表記載では誤解を招くのではないかと感じます。少し気になりました。指摘が間違っていたらすみません。--toto-tarou 2006年5月6日 (土) 16:32 (UTC)[返信]

再開発ですね。失礼しました。--toto-tarou 2006年5月10日 (水) 16:09 (UTC)[返信]

脚注追加希望

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良質な記事であれば見逃しましたが、秀逸な記事としてはインラインでの出典記載が不十分なように思います。将来的な維持継続のために、ぜひ補強をお願いします。--4th protocol会話2021年5月24日 (月) 13:12 (UTC)[返信]

戦後日本の回想

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この作品は「戦後日本の回想」(川村一彦,S31年)から大量にコピー&ペーストされています。--JuneAugust会話2022年7月18日 (月) 05:53 (UTC)[返信]

  • 逆かもしれません(ウィキペディアから「戦後日本の回想」へのコピペ)ので決めつけるのは早計です。また、JuneAugustさんの書き方だと昭和31年に刊行された書籍のように見えますが、実際は書籍名が「戦後日本の回想・S31年」なのであり、まだ確定はできていませんが、刊行時期は2020年4月の可能性があります。--150.147.226.70 2022年7月18日 (月) 09:39 (UTC)[返信]

『電発30年史』の参照箇所

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Wikipedia:秀逸な記事の再選考/佐久間ダム 20220718が出されたとき、<ref>が付いている箇所に違和感があったので、『電発30年史』を取り寄せました。ようやく届いたので見たところ、いくつか気になる点がありました。再選考は期間中なのかそうではないのかわかりませんので、ここに書いておきます。

「大ダム構想」には佐久間が着工に至らなかった原因が4点書いてあって、「『電発30年史』p.80」とあります。しかし、80ページを見ると4点は同じですが、投稿された文章の方が詳しくなっています。特に2番(『電発30年史』では1番)はかなり書き足されています。別に調べて書いたのだろうと思いますが、それならばどこから調べたのか示すべきで、これを単に「80ページ」というのは飛躍があるのではないかと思いました。

次に「電源開発への移管」には電源開発促進法の抜粋があって、「『電発30年史』p.472」とあります。しかし、472ページは電源開発促進法自体が書かれているページ(470ページから)の途中です。ここは佐久間が1, 2に該当するから参入したのだと言っている文献を示すのが本筋だと思います。正直、佐久間が1, 2に該当するというのも半信半疑です。このセクションには特に文献が示されておらず、唯一示されているところを見ると法律そのもの、というのはどうなんでしょうか。

また「補償交渉の経過」の冒頭部分、平島敏夫のところに「『電発30年史』p.72」とあります。しかし87ページに「昭和28年の2月16日に佐久間補償推進本部(本部長・平島敏夫理事)を設けた」とあるのですから、このページを文末に示せばよいのでは、と思いました。文献に2月と書いてあるのに「1953年(昭和28年)1月」とあるのも謎です。事前に何か動きがあったのかもしれませんが、『電発30年史』は国際入札が2月8日だったのに16日時点でもう補償推進本部が設けられているのを異例のこととして書いているので、本当に2月なのだと思います。

以上、3点挙げましたが、これで全部ではありません。全体に、よく調べて書いてあるとは思いますが、文献の示し方には課題があると感じます。--西村崇会話2022年9月13日 (火) 15:16 (UTC)[返信]

コメントを頂きありがとうございます。主筆者の河川一等兵です。ご指摘の件ですが仰る通りで、出典の付け方とかについても12年前の選考当時のまま放置していて、現在の基準には当然合致していないと思います。再検証して秀逸な記事に相応しい記事になるよう修正を図りたいと思っておりますので、修正の際には忌憚なきご意見を頂ければ幸いです。何卒宜しくお願い致します。--河川一等兵会話2022年9月16日 (金) 16:54 (UTC)[返信]