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ノート:伊東乾 (作曲家)

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この記事の信憑性について

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松村禎三に師事していたのは事実のようですが、それ以外の

  • 「作曲を松平頼則高橋悠治、指揮をバーンスタイン(PMF)、ピエール・ブーレーズ(ルツェルン・フェスティバル・アカデミー)に指導をうけた」
  • 「ジェルジ・リゲティ、ルチアーノ・ベリオらヨーロッパの前衛作曲家から高い評価を受ける」
  • クセナキスとテレビ番組を制作する」
  • 「松平頼則のオペラ「源氏物語」(1995)では、作曲中のアシスタントから世界初演の指揮・芸術監督、出版校閲補佐まで責任を負った。」

あたりは、本人が自分でそう言っているだけではないのでしょうか。
本当に事実なのか、あるいは事実(の片鱗?)が含まれているとしてもひどく誇張されているのではないか、など気になります。伊東氏に対しては私は中立的な立場ですが、これだけ錚々たる名前が出てくると「嘘だろう」と思うのが自然ではないかと思います。名前の挙がっているそれぞれの人物が全く異なる音楽観の持主であるだけに、一層その疑念は強まります。事実であることをご存知の方がいたら、脚注の形などで根拠となるものを同時に示して頂けたらと思います。そうでないのなら、本当に事実と確認できる部分だけの記述にとどめ、後はコメントアウトするなどの処置が妥当ではないかと思います。CutieNakky 2007年7月21日 (土) 01:21 (UTC)[返信]

私もこの方についてはよくわかりません。とはいえ、「全く異なる音楽観の持主」に「指導をうけた」のも、作曲界の著名人に「高い評価を受ける」のも嘘ではないと思います。「指導をうけた」「高い評価を受け」たのがたった1回なのか、長い間受け続けたのかはわかりませんが、どちらにせよ、そのような書き方は可能なのです。ベリオに関して言えば、彼が審査した武満徹作曲賞で伊東さんは第2位を受賞しており、ベリオのコメントもあります。
なお、「源氏物語」の件ですが、地域創造レター1995年6月号アルク出版企画 コンサートプロデュースのページに「芸術監督」と記されております。それ以上のことは初演時のパンフやチラシなどを持っていない私には述べられません。「作曲中のアシスタント」をしていれば、松平頼則から作曲についての何らかの「指導をうけ」る機会はあったでしょう。--Nattilv1 2007年7月22日 (日) 06:21 (UTC)[返信]
「源氏物語」の件、ありがとうございます。ベリオの講評については以前読んだことがありますが、今読み直してみても、この言葉と「ジェルジ・リゲティ、ルチアーノ・ベリオらヨーロッパの前衛作曲家から高い評価を受ける」という記述から受ける印象(まるで伊東氏がヨーロッパ楽壇において新進気鋭の作曲家として認知された、と言っているかのような感じがします)との間にかなり大きなギャップを感じます。不用意に「ら」などと書いてあるのが一因かとも思いますが。ここは「『ダイナモルフィア』(1998)が1999年度の武満徹作曲賞(審査員ルチアーノ・ベリオ)で第2位に入選」と書かないと、「高い評価」が具体的に何だったのかという大事な事実が抜けてしまいます。この記事の執筆者は1位でなかったことを書かないようにわざとそういう記述にしたのだろうか、と疑ってしまいます。
作曲と指揮に関しても、事情をよく知らない人は、これらの人に数年間程度は師事していただろうという受け取り方をすると思います。伊東氏本人がプロフィールに書く場合と違って、百科事典は公正性・中立性を旨とすべきものだと思いますので、針小棒大と言いますか、その辺はやはり問題があるのではないでしょうか。ここは宣伝の場所ではないのですから。記述の仕方が全体として伊東氏寄りに大きく偏り過ぎているので、中立の位置まで引き戻す作業が必要だと思います。 CutieNakky 2007年7月22日 (日) 08:25 (UTC)[返信]
「高い評価」の中身を具体的にする作業については大歓迎です。バーンスタイン、ブーレーズの横に()がついていますが、括弧内のイベントで指導を受けたということです。[1]にも載っています。
あと一つだけ書いておきたいことがあります。音楽家のプロフィールにおいては、短期間(数日、あるいは数時間)指導を受けた事実を以って「師事した」「教えを受けた」などと書くのは普通に行われています。「師事」という言葉のもつイメージとはかけ離れていると私も思いますが、少なくとも後者の表記では、私としては「針小棒大」とまでは言えないのです(事実としては間違いないのでしょうから)。大勢の著名人に「師事」したとする作曲家は、伊東さんに限ったことではないのです。たとえば、Wikipediaにも項目があるカルロ・フォルリヴェジ。--Nattilv1 2007年7月23日 (月) 12:32 (UTC)[返信]
「指導をうけた」「高い評価を受け」たのがたった1回なのか、長い間受け続けたのかはわかりませんが、どちらにせよ、そのような書き方は可能なのです。 や 短期間(数日、あるいは数時間)指導を受けた事実を以って「師事した」「教えを受けた」などと書くのは普通に行われています。 とありますが、そういう業界の下らない慣習をここに持ち込んでどうしようというのでしょうか。そのような馬鹿げた基準は世間では通用しないでしょう。業界内の閉鎖的なコミュニティでの基準と、Wikipedia のようなオープンなコミュニティでの基準とは峻別すべきです。関係者だけが読むものではないわけですから、そういうことは一切忘れて原点に立ち返って編集し直すべきだと思います。もちろん、伊東さん以外にも問題となる項目は多々あるでしょうから、そういうものも含めて。 CutieNakky 2007年8月5日 (日) 08:56 (UTC)[返信]
もし、CutieNakkyさんが「事情をよく知らない人」の受け取り方に沿って、「数年間程度は師事」していないと、「師事」とみなさないのであれば、武満徹清瀬保二、清瀬保二は山田耕筰に師事しなかったことになります。では数ヶ月ならよいけど、数週間、数日、一日ではダメだ、というような何らかの基準をお持ちなのでしょうか。
「馬鹿げた基準は世間では通用しない」とのことですが、かなり多くの演奏家、作曲家が、短期間「誰それから教えを受けたこと」を自己のプロフィールに書き、あるいは彼らについて記事を書く者も「誰それに学んだ」と書き、それらが著書や雑誌、公式サイトなどを通して「世間に流布されている」という実態があるのです。「下らない慣習」と一蹴されるのはけっこうですが、あなたの考える「師事」「指導を受けた」という基準が客観的なものと判定されない限りは、あなたの「主観」に過ぎないのです。ともあれ、多くの人物を巻き込む話なので、続きはWikipedia:ウィキプロジェクト クラシック音楽で行いましょう。--Nattilv1 2007年8月6日 (月) 16:40 (UTC)[返信]

これはすべて本人が書いたのでしょう。本人しか自分の優れた家系等を言う事はありません。--195.93.60.3 2007年8月13日 (月) 15:44 (UTC)[返信]

また本人が徒に記事を増やしてますが…。自己宣伝ばかりするのではなくて、もう少し節度を持った編集はできないものですかね。記事全体の削除依頼を出さざるを得ないでしょうか。こんなもの((内容校閲 東京大学大学院情報学環・作曲=指揮/情報詩学研究室 〒113-8656 文京区弥生2-11-16 問い合わせ:メールのみにて受付 itosec@iii.u-tokyo.ac.jp))まで書いて。おい、伊東君、少しは自重し給え。 少しは自重したらいかがでしょうか。 CutieNakky 2007年8月20日 (月) 21:27 (UTC)[返信]
上記のCutieNakkyさん、ご自身の客観的論理的視点の欠如を露呈するためにコメントを繰り返し打ってらしゃいますね。この方(伊東乾氏)の記事の信憑性を議論する以前の問題です。
ページの記載内容についての議論はウィキペディアの質を維持する為に必要ですが、上記のコメント<自己宣伝ばかりするのではなくて><こんなもの~まで書いて><おい、伊東君~給え>という発言は明らかに主観的且つ感情的で「荒らし目的」としか見えないですね。匿名性を利用してのこういう行為は非常に悪質だと思う故、ウィキペディアinfoに連絡をし適切な処置をとってもらった方が良さそうです。この方については連絡先が載っているのですから何もここで、匿名で誹謗中傷する必要もないでしょう。疚しいところが一切無いのであればCutieNakkyさんご自身が実名を名乗った上で直にご連絡してみてはいかがですか? Tirpse 2007年8月21日 (火) 21:02 (UTC)[返信]
  • 新規IDでコメントを投稿されているということは、上のコメントを書いた Tirpse さんが伊東乾さん本人であることを非常に強く示唆していると思います。
  • 「おい…」については、個人的に知っていたのでついそのように書いてしまいましたが、確かにここに書くにはあまりふさわしくはありませんでしたので、穏当な表現に改めました。この点については、お詫び申しあげます。
  • > ご自身の客観的論理的視点の欠如を露呈するためにコメントを繰り返し打ってらしゃいますね。
どの辺りが「客観的論理的視点の欠如」ですか。もう少し具体的に言ってもらわないとわかりません(これは皮肉ではなく本当にわかりませんので、客観的論理的にご教示願いたいです)。この方(伊東乾氏)の記事の信憑性を議論する以前の問題 とまで言うのですから、さぞかし明快に説明していただけるものと期待しております。ついでながら、「…の欠如を露呈するために」の言葉の使い方は通常の日本語としては変ですが、フランス語などの影響なのでしょうか。
  • 私の書いた<自己宣伝ばかりするのではなく><こんなもの~まで書いて>が「明らかに主観的且つ感情的」「『荒らし目的』としか見えない」「誹謗中傷」であるとは、私は全く思いません。ことさら自分の家系の優秀さを書く、師事していない近藤譲のことを(初稿で)「師事した」と書く、自分の研究室の連絡先を書く、などというのは、誇大な自己宣伝と言えませんか? そもそも「メールのみにて受付」とするなら(そんなことをするのもどうかと思います。そういう例は見たことがありません)「東京大学大学院情報学環・作曲=指揮/情報詩学研究室」や東大の住所などを書く必要は全くないはずです。アドレスだけ書けばいいのです。これも、端で見ていると、自分は東大准教授であるということを誇示して、いわば「箔付け」に利用しているようにしか(少なくとも私には)見えないのです。そして何より悪いのは、そうした傾向が記事全体に散見されることで、それはこういう場所においては非常に問題であると言っているのです。注意して頂きたいのは、私は伊東さんの人格を非難したり、伊東さんの作品の悪口を書いたりしているのではないということです。伊東さんの編集の仕方と、それ以前の伊東さん自身が自分の記事を書いてしまうこと(客観性・中立性が保証されない可能性が非常に大きくなること)を問題にしているのです。
CutieNakky 2007年8月21日 (火) 22:04 (UTC)[返信]
まあこの際ですから、ぶっちゃけて言いましょう。解りやすい例を挙げます。例えば 2ch その他に伊東さんについてのスレッドなどが過去にありましたよね(2ch は現在も読めますが)。私自身はああいう所には一つも書き込みはしていませんし、特に 2ch のようなものに書かれている情報は信憑性という点で大いに問題があることはよく承知しています。しかし同時に、その中には表立っては語られない真実が(多少歪められた形ではあるにせよ、そして真実の割合の多寡があるにせよ)含まれているということも同様によく承知しています。その上でああいうものを読むと、この Wikipedia に書かれているようなこととの落差は、信じられないほど、とてつもなく、大きいですね。それはどうしてなんでしょう。2ch から一例を挙げれば、
バーンスタインに師事 → 90年の札幌PMFでゲネプロ会場に潜り込んだだけ
ブレーズに師事 → レポンのゲネプロに潜り込んで会場をウロウロしていただけ
ジョン・ケージ遺作「オーシャン」ってそもそも指揮者不要のチャンス・オペレーションでしょ?
などと書かれているわけです(私はこれが真実だ、と言っている訳ではないですよ。ただ、こういう風に言われているということを示しているだけです)。その場合、真実が奈辺にあるのかは、社会経験を積んだ良識的な大人なら、そして伊東さんと接触を持ったことがある人ならば、いろいろなバイアスを自分の中で修正して、ある程度判断することは可能です。そうして得られた基準によってこの Wikipedia の記事を読むと、上の Tirpse さんを茶化すようで申し訳ないですが、「客観的」でも「論理的」でもなく、ただただ自分を大きく見せようとする所だけが異常に肥大化していることがよくわかるのです。そして(本人はそういう意識は無いかも知れませんが)、結果として Wikipedia が自己宣伝の場と化してしまっているのです。
私は現在、音楽を職業とはしておりませんが、Wikipediaユーザーとして、また音楽を真剣に愛する者として、そういうことがどうしても許せない、ということです。それは止めてほしいのです。
CutieNakky 2007年8月22日 (水) 01:30 (UTC)[返信]



まず、当方はIPアドレスをご覧いただければ明確ですが、単身赴任で在欧5年の者です。

この伊東乾氏という人物などでは全くありません。

伊東乾氏に関し、CutieNakkyさんの問題提起冒頭で<伊東氏に対しては私は中立的な立場ですが>とありますが、実はご自身が「お知り合い」だ、と上記のコメント中<「おい…」については、個人的に知っていたのでついそのように書いてしまいました>に図らずも書いておられ、大変に驚いています。 つまり、この問題提起自体が全く無意味なものであると、ご自身で証明してらっしゃる。

故、この疑問提示はここでひとまず終了・閉鎖するのが適切、というのが公正な第三者の意見です。

意義のある方はおられますでしょうか? Tirpse 2007年8月22日 (水) 02:21 (UTC)[返信]

異議はありますよ。なぜあなたが「ここでひとまず終了・閉鎖」などと勝手に仕切るのですか。
先ず、私にはあなたのIPアドレスは見えません。それとも、本文を編集しているIPアドレスの人とあなたが同一人物だということですか。その場合は、ある検索サイトではスイスと出ましたが。ちなみに今スイスではルツェルン音楽祭が開かれていますね。しかし、これについての詮索は措くとしましょう。
次に、「上記のCutieNakkyさん、ご自身の客観的論理的視点の欠如を露呈するためにコメントを繰り返し打ってらしゃいますね。この方(伊東乾氏)の記事の信憑性を議論する以前の問題です。」について、どこがそうであるのか具体的に回答して頂きたいですね。解釈の仕方によっては、単なるいいがかり、あるいは侮辱とも取れますから。私は人並以上の客観的論理的視点は持っていると思っています。
3番目として、私が「中立的な立場」と書いているのは、伊東氏を誹謗中傷する意図もないし、伊東氏を礼賛する意図もない、ということですよ。どうしてそれがわからないのか、理解できません。知り合いだったら中立的な立場に立てないとでもいうのですか。
4番目に、知り合いだったらどうして「つまり、この問題提起が全く無意味なものであると、ご自身で証明してらっしゃる」「故、この疑問提示はここでひとまず終了」になるのか全くわかりません。私には、こういう発言こそ論理性を欠いているとしか思えないのですが。
5番目。この記事についてあなたは本当にこれが正確で客観的なものであると思いますか? 最後の、研究室を書いてしまうことについてはどうお考えですか。
伊東の音楽の基礎研究は同時に、マスメディアの発達がファシズムを生み出した経緯、メディアマインドコントロールへの疑問に立脚するものでもある。これらに関しては、養老孟司らを招いて読売日本交響楽団と特徴的なプロジェクト「アート・テクノロジ・ブレイン」などを組織し、ナチス以後の戦後ヨーロッパの音楽、フランスやドイツの哲学やポストモダン思想の延長で、科学技術の倫理、ネットワーク環境やオーディヴィジュアルメディアの情報倫理などにも、各種メディア上で積極的な発言が多い。
といった文章は、結局ほとんど中身のない空疎なもの(伊東氏の基礎研究が彼の立脚点とどう関連するのかよくわからない、など)なので、これは「養老孟司」「フランスやドイツの哲学」「ポストモダン思想」「ネットワーク環境」「情報倫理」などの言葉を使ったこけおどしに過ぎないでしょう? この記事全体にそういう傾向があることがあなたには解りませんか? もし解らなければ、この問題について口をはさむ資格はないでしょう。解るのであれば、「ここでひとまず終了・閉鎖」などとは絶対に言わないでしょう。どこが「公正な第三者」だというのでしょうか。
あなたは、疚しいところが一切無いのであればCutieNakkyさんご自身が実名を名乗った上で直にご連絡してみてはいかがですか?(強調は私) とおっしゃいました。「公正な第三者」がわざわざこのような挑発的な言い方をするでしょうか。この発言も含めて、Tirpse さんの書かれた文章は、伊東氏の口調によく似ています。それは偶然かもしれません。しかし、あなたがいかに「この伊東乾氏という人物などでは全くありません。」とおっしゃっても、新規のアカウントで参入してきて、私に「客観的論理的視点が欠如している」と根拠のないいいがかりをつけ、強引に議論を中断させようとする態度を考えると、どうしても 「Tirpse氏=伊東乾氏あるいは関係者」 であるという疑念を払拭することができないのです。
CutieNakky 2007年8月22日 (水) 03:13 (UTC)[返信]


CutieNakkyさん、大いに盛り上がってますね。。
まず最初にきちんと訂正させて欲しいのですが、私は伊東乾氏などではありません。根拠のない言いがかりと見えたところがあれば、誤解であれ失礼しました。伊東氏のことは日経のコラムで読みました。日本人離れした見識を持った人だと思います。私は今年でドイツ生活が5年目になるのですが、コラムの内容は納得の行くことが多く、こういう日本人は珍しいので好感を持っていました。記事を見て気の毒に思い、ちょっと肩入れしてみたくなっただけです。
CutieNakkyさんは20年前からご本人をご存知ということで、大変な思い入れがあるようにお見受けします。2chなどの議論も詳しくフォローしておられました。
そんなに詳しくて、思いもあるのに、「中立」と書いて、この議論の最初では、公開情報のある公演やテレビ番組などまで<本人がそういっているだけではないでしょうか>と書いておられるのが、ちょっと不自然な気がしました。それ以上でも以下でもありません。
連絡先については、企業の観点では通常、責任所在の明確化や内容保障を意味するものですから、疑問があれば連絡してみればどうか、と書きました。挑発とかそういうつもりはありませんので、これは訂正させてください。連絡先の記載がウィキペディアにそぐうのかどうかは私はわかりません。
推定でいろいろ書いておられますが、私に関する部分<ソックパペットであるTirpse を利用して、本人が第三者を装い強引に議論を中断させようとしており、Alles 氏などと同様の悪質さがあると思います。>は、すべて誤りであり、この推定により投稿ブロックをかけられては私が迷惑を蒙りますので、その段は明確に記しておきたく思います。
以上です。Tirpse 2007年8月23日 (木) 02:33 (UTC)[返信]


Tirpseさんがもし本当に伊東乾さんと無関係であるならば、そのように推断したことについては深くお詫び申し上げます。ソックパペットに関する上記コメントは取り下げました。私は伊東さんに特に深い思い入れがあるわけではありません。しかし、「作曲を近藤譲に師事」と本人がいろいろな所で言っている(この記事では現在は私が削除したあと、誰かが正しい形に修正しています)のは明かなウソだったので、その他の経歴にも同種の誇張があるのではないですか、という注意喚起をしたのです。
記事を見て気の毒に思い、ちょっと肩入れしてみたくなっただけです。  とか この議論の最初では、公開情報のある公演やテレビ番組などまで<本人がそういっているだけではないでしょうか>と書いておられるのが、ちょっと不自然な気がしました。それ以上でも以下でもありません。 と書いておられますが、この程度のことで 上記のCutieNakkyさん、ご自身の客観的論理的視点の欠如を露呈するためにコメントを繰り返し打ってらしゃいますね。この方(伊東乾氏)の記事の信憑性を議論する以前の問題です。 などと書かれてはたまったものではありません。
クセナキスのテレビ番組については、あなたはご覧になっていないのではないですか。私は見ておりますし、録画したビデオがあります。現在の記事では、クセナキスとのテレビ番組制作と作品の放送日本初演(NHK・ETV特集「自由への道 作曲家クセナキスの20世紀」) とありますが、これは不正確で非常に問題のある表現なのです。実情はこうです。
  1. この番組は、1997年11月にクセナキスが第13回京都賞を受賞して来日したことをきっかけに、「NHKが」制作したものです。NHKのクルーがクセナキスの自宅に取材に行ってはいますが、NHKとクセナキスが協力して作ったものではないです。まして、「伊東さんがクセナキスと作った」というようなものでは全くないのです。内容は、一般的なクセナキスの紹介、識者のコメント(湯浅、一柳、浅田彰など)、パリの自宅でのクセナキスの様子、UPICの紹介、ごく部分的な演奏風景(伊東さん、高橋悠治、吉原すみれ)です。伊東さんは「パランプセスト」「アナクトリア」「エシャンジュ」などの各1分程度の東京シティフィルメンバーとの演奏風景(スタジオ録り)の中で、後ろ姿や指揮棒の先が数秒程度映っています(名前のクレジットは計2回出ます)。それ以上のからみはもちろん一切ありませんし、発言なども皆無です。顔は映っておりません。
  2. タイトルが誤っています。正しいタイトルは「自由への闘い~作曲家クセナキスの半世紀~」です。放送日も書いてありませんが、1998年3月5日(木)、45分枠の番組です。
  3. 「作品の放送日本初演」とありますが、前述のように曲の一部の1分程度が流れるだけ、しかもそこにナレーションがかぶってきます。さらに、変な角度での奏者のアップが連続するなど、一般視聴者にクセナキスの前衛性を誇張して描写するための効果映像、といった類のものです。「放送初演」といえるようなものではないです。
このように、この方は自分の経歴について、事実のごく一部だけを取り出して、それを歪めたり誇張したり変えたりしてしまう癖があるのです。「NHKに頼まれてクセナキスを振った映像の一部が、番組内で使われた」と書くべき所を、「クセナキスとテレビ番組を制作する」と書いてしまうのです。読む人が受ける印象は全く違ったものになります。そういうことを知っている人は自分で割り引いて解釈するだろうから良いのですが、中には額面通りに受け取ってしまう人も出てきます。あなたもその中のお一人ではありませんか。
松平の「作曲中のアシスタント」の件については、伊東さんの基準に従うなら、例えば松平さんに頼まれて煙草を買ってきたような場合でも「作曲中のアシスタント」と表記することが可能である、とだけ申しあげておきましょう。 CutieNakky 2007年8月23日 (木) 11:35 (UTC)[返信]

削除依頼を提出

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記事の削除依頼を出しました。削除に関する議論は、このページではなく Wikipedia:削除依頼/伊東乾 で行うようお願い致します。 CutieNakky 2007年8月22日 (水) 14:14 (UTC)[返信]

それよりも誰か客観的に書き直したらどうですか?--195.93.60.3 2007年9月7日 (金) 14:57 (UTC)[返信]

自己宣伝の場所だと勘違いしてるようだな。 222.144.10.182 2008年10月5日 (日) 09:48 (UTC)[返信]

すべての履歴が脚色や誇張によっているようです。--79.233.159.27 2009年1月17日 (土) 21:25 (UTC)[返信]

なんで削除しなかったんだ? どこまでが本当のことでどこからウソなのか誰にもわからない(まあほとんどが誇張・歪曲・創作なんだろうけど)から、記事全体が全く信用できない。載せておいても意味がないと思う。 222.144.8.11 2009年3月14日 (土) 14:22 (UTC)[返信]

「複数の問題」テンプレートの除去の提案

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伊東乾の記事には現在、template:複数の問題が貼り付けられており、それによると、記事に下記のような問題があるとのことです。

  • 出典が不足しています。存命人物の記事は特に、検証可能性を満たしている必要があります。(2011年3月)
  • 信頼性について検証が求められています。確認のための情報源が必要です。(2011年3月)
  • 大言壮語的な記述になっています。(2011年3月)
  • 中立的な観点に基づく疑問が提出されています。(2011年3月)
  • 独自研究が含まれているおそれがあります。(2011年3月)
  • 正確性に疑問が呈されています。(2007年7月)
  • 宣伝広告的であり、中立的な観点で書き直す必要があります。(2009年1月)

これらの問題点は、現状ではほぼ解消しているのではないでしょうか。そこで、このtemplateの除去を提案します。一週間以内に反対意見がなければ、除去したいと思います。なお、一部の文に出典がないという問題は残存していますが、当該の文にtemplate:要出典範囲などを付ければ済むと思います。--Leonidjp会話2018年10月23日 (火) 22:14 (UTC)[返信]

条件として、一部に出典を補強するか、その部分を除去するかが必要だと思います。特に気になったのは「伊東の音楽基礎研究は」から「その成果は応用された」の部分ですが、こういった研究者個人の研究史の変遷の考察は、それなりの伝記が出版された人物でないとなかなか書けない、書くべきではないと思います。有り体に言えば、そういった方はほとんどが故人ないし引退者で、分野の偉人として知らぬ者はいない、くらいのレベルです。この記事ではご本人の著書を二冊挙げて伊東氏の音楽基礎研究関連を考察しているようですが、出典ページ番号もなく、これでは不十分と言わざるをえないでしょう。ご本人がご本人の思想について語るという点が、「中立的な観点」「宣伝広告的」に取られやすい面もあるでしょう。「中立的な観点」の問題は「要出典範囲」では対応できません。敢て書くのであれば「伊東は……と自認する」のような書き方にせざるを得ませんが、伊東氏の客観的評価(受賞歴)は作曲家・ノンフィクション作家としてであって、音楽基礎研究者としてではありませんので、ウィキペディア的にはその部分をご本人の主張だけに依拠して書く必要はないのではないでしょうか。もちろん、伊東氏の音楽研究について第三者の専門家が注目し、その起源についての考察をして発表した、ということがあれば、訂正いたしますが。 --2001:240:240A:1CE3:95FE:58F3:6664:CE74 2018年10月23日 (火) 23:35 (UTC)[返信]
コメント これはご尤もなご指摘です。--Leonidjp会話2018年10月24日 (水) 03:23 (UTC)[返信]
報告 提案から7日経ちました。上述のIP利用者さんが「中立的な観点」および「宣伝広告的」という問題点は現在も残っていると指摘しておられるのを容れまして、従来のTemplate:複数の問題のうち「宣伝広告的であり、中立的な観点で書き直す必要があります。」という項目のみを残す意味でtemplate:宣伝に置き換え、その他の項目は除去しました。--Leonidjp会話2018年10月31日 (水) 10:09 (UTC)[返信]

なおしました。--103.102.46.253 2019年11月29日 (金) 19:21 (UTC)[返信]