ノート:伊地知幸介/過去ログ1
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小説の内容を記述することについて
評価の説に司馬遼太郎の『坂の上の雲』の記述が書き込まれていますが、非常に不適当な内容と思われます。評価の文章の中に『二百三高地と坂の上の雲で否定的な表現を受けている』旨の記述がありますので、その説明だけで十分かと思われます。暫く様子を見て小説の表現を記述した部分を削除したいと考えますがいかがでしょうか?--男梅 2009年5月21日 (木) 11:29 (UTC)
- (追記です)小説の内容が記述される前と後では、説明文がかなり乱雑になりまとまりが無くなっている印象を受けます。--男梅 2009年5月21日 (木) 11:34 (UTC)
小説の表現を記述した部分を削除することについて賛成いたします。以前の説明文に差し戻すと言われますが、それはそれ以後の編纂を否定することになりませんか?再考願います。--Kokurakinkei 2009年5月24日 (日) 12:40 (UTC)
:(追記)確認したところ、小説の内容が記述されたのは2009年4月のようですが、2008年12月まで遡るべきといわれる根拠は何でしょうか?--Kokurakinkei 2009年5月24日 (日) 12:53 (UTC)
誤解を与える記述をしてしまいました。当該部分は削除します。では小説の部分を削除した上で文章を訂正するという形でいかがでしょうか?--男梅 2009年5月26日 (火) 12:13 (UTC)
小説部分を削除し、文章を訂正することに同意致します。引用資料名の明らかでない部分は再考すべきですね。--Kokurakinkei 2009年5月26日 (火) 14:50 (UTC)
小説の部分を削除し、記述を整理しましたが不十分な部分があるかもしれません。加筆・修正のほどよろしくお願いいたします。--男梅 2009年5月27日 (水) 11:37 (UTC)
かなりすっきりしたと思います。編集技術に長じた方がおられるのはありがたいことです。--Kokurakinkei 2009年5月27日 (水) 14:51 (UTC)
小説家の記述を引用することについて
最近出版された「歴史街道平成23年11月号」をはじめとして、伊地知ら第3軍関係者への評価に対して、従前の一方的な批判とは違った新たな考察が行われつつあります。 しかし、「歴史街道11月号」には「作家」という肩書きにおいて記述された箇所も多く見られます。これをWikiPediaに引用する事は、以前に問題とされた、作家・司馬遼太郎の作品中の記述を引用する事と、まったく同様に問題であると思います。該当部は削除するべきと思いますがいかがでしょうか。 --Kokurakinkei 2011年12月25日 (日) 12:58 (UTC)
小説家が自分が主筆する「小説」の中で描いている内容とこういった雑誌の特集号などで一筆添えて書いている内容は別だと思います。 「小説」はフィクション前提ですが、雑誌の特集号で作家なり評論家なり専門家がそれぞれコーナーを持ち、題材に則って自分の調べたこと、知ってること、思うことを書くのは別物です。 私も歴史街道11月号を読みましたが小説的に描いている内容は見当たりません。 「小説」と「雑誌の論評」は性格の違うものなので削除理由にならないと思います。--114.160.46.2 2012年1月5日 (木) 06:57 (UTC)
ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。 今回の雑誌記事に関しては都合7名の方が執筆されており4名が作家、あと3名は軍事史研究科、歴史研究科、京都大学教授です。 文面を見比べる限り4名の作家と3名の他の方の内容は差異は見受けられません。 個人作品でありフィクション性の高い「小説」という媒体でなく、「検証可能」な記述であるので削除する理由はないと思います。--126.49.129.2 2012年1月5日 (木) 10:03 (UTC)
編集合戦について
Kokurakinkeiさん。あなたは、最初に、「一節内に研究者個人名が二度も用いられるなど、体裁としていかがなものか」という理由で一文全体を削除しようとしました。そこで私は、削除理由となった一節内で個人名が二度登場する箇所を削除しました。あなたが述べた上記修正理由を前提とするならば、この時点で、あなたが問題となっている一文全体を削除する理由は喪失しているはずです。
※註1。なお、一文全体とは「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が長南政義によって紹介されている。」
※註2。なお、削除理由となった一節内で個人名が二度登場する箇所を削除とは、「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が長南政義によって紹介されている。」 ※以上、引用が間違ってたらすみません。
それにもかかわらず、あなたは、今度は理由を変えて、「研究者の著作についてはここまで再三登場しており、重複も甚だしい」という理由で一文全体を削除しようとしました。そこで、私は「同一内容というが、「日清戦争の諜報活動」を評価する部分は本文内不登場で、理由として成立しない。該当箇所は伊地知の「評価」に関する問題として登場しており文脈が異なる」という理由で、削除文章を復活させました。 その後、あなたは、長南氏の文献名が登場する他の箇所もその著書名を削除しました。これは、あなたが修正理由として挙げた「研究者の著作についてはここまで再三登場しており、重複も甚だしい」という理由に矛盾する行動ですね。であるならば、あなたの主張の論理構造からすると、その修正理由をご自身で破った以上、『坂の上の~』の書名を復活させて「研究者の著作について再三登場させて、重複」させても、何ら問題はないはずです(論点1)。
さらにいうならば、あなたは最初に、「研究者の著作についてはここまで再三登場しており、重複も甚だしい」という主張を展開している以上、重複していなければ、文献名を本文内に残しても問題ないはずです。それなのに、あなたはご自身の主張にもかかわらず、文献名を本文内からすべて削除しましたね。これは、自身の主張とは矛盾する行為です。である以上、重複していなければ、文献名を本文内に残しても問題ないし、それに関してあなたが反論したり、私の編集を覆したりする理由はないはずです(論点2)。
また、あなたは、自身が提起した理由に反駁が加えられると、理由を二転三転させ、最後には自身が主張した編集理由に矛盾するような編集の仕方をしています。このようなあなたのご言行をみておりますと、当該箇所に関して、最初から長南氏の著書名を削除することを真の目的とし、その真の意図を隠すために他の理由を挙げ続けたと疑われても仕方がないのではないでしょうか。あなたが長南氏とどのようなトラブルがあったのかは存じ上げませんが、そういう私怨に基づいた編集は厳に慎むべきではないでしょうか。
また、長南氏の著作を読みますと、長南は伊地知が男爵を授与されたことを適切とする論拠として、伊地知の日清戦争期の情報将校としての功績と日露戦争期の功績の2点を挙げて、従来の男爵授与を不適当とする通説を批判しています。であるならば、①日清のみの理由を挙げて日露の理由を挙げないのは、著者の説の紹介の仕方として不適切です。また。②男爵授与を不適切であるとする通説を批判し男爵授与は適切だとするのは長南氏の説(なお、もし、他に、具体的根拠を挙げて男爵授与を適切とする論者が存在した場合は、私の不勉強ですのでお許しください)です。だとするならば、注記の範囲も男爵授与の話の最後までとするのが、適切ですが、あなたの編集はそうなっておりません(論点3)。 この点に関し、さらにいうならば、あなたは、伊地知幸介の項目の編集に際し、理由として「引用は正確にすべきである」を挙げていますが、引用を正確にすべきと述べている以上は、典拠書籍からの筆者の説の紹介も正確に行うべきですよね(論点4)。
しかも、あなたは、「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定されたことの一例なので、部位変更整理した」という理由で、日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65)。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」と編集しなおしてますが、明らかにこの個所の編集時に長南氏の著作を閲覧し、当該箇所に関するページ数まで明記した後に、長南氏著作65頁の「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥のお蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力にだけで伊地知は爵位を授与されたわけではない」という記述を参考に「日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」との編集を行っております。この点、ご自身が、長南氏の文献の頁数を明記したうえで「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定された」と述べている以上は、註釈の位置を変え、きちんと参考文献を明記するような書き方にすべきですね。(論点5)。
論点3の①や②に関していうならば、あなたのような方が、著者の説を勝手に歪めたり、著者の説を独自の見解であるかのように主張をしたりするような、不適切な引用をするからこそ、本文内で研究者名を入れて言及するのが適切だと(勿論この理由に止まらず、下記で述べる理由も含めた他の理由もありますが、すべてをこまごまと列挙すると長くなるので差し控えます)、私は考えるのです(論点6)。
さらにいうならば、本項「伊地知幸介」は歴史的事項の項目ですが、先行研究を重んじる歴史学では、~氏が『 (書名) 』で~と述べたとか、~氏が~と指摘した、などのようなする書き方は妥当とされてます。したがって、そういう書き方をしたからといって何ら問題はないはずです。それに、wikipediaの編集に際し、~氏がと研究者名を挙げる書き方は特段禁止されておらず、wikipediaの他の項目でも見かける書き方です(論点7)。
論点が多岐にわたっておりますが、どれか1つの回答だけですと、その1つの回答から反論再反論が派生して、他の論点に対するあなたの反論が最後までなされないことが予想されますので、以上述べた論点に関し、逐一見解をお伺いしたく存じます。 --Charlus(会話) 2014年11月22日 (土) 15:46 (UTC)
Charlus氏へ
こちらの書いた「一節」を「一文」と見做しているのだと思いますが、こちらとしてはそのような細かい中での重複について問題視しているのではありません。「一節」とは大辞林第三版において「ひとくぎり(一区切り)」とありますように、一つの纏まりの中に、同じ単語が連なるのは文章の体裁としていかがなものか、と言っているのです。
「一節」を「一文」と見做した事自体が、こちらとしては驚きであります。そうであるならば、一文ごとに研究者名やら著作名やらが一度出てもOKということになってしまうではありませんか。そのような文章の集まった全体は、想像するだに恐ろしいレベルに見苦しいものとなってしまうでしょう。
別の場所(旅順攻囲戦のノート)において、2012年3月の書き込みで『研究者について言及するならば、本文中に一度は必要かも知れませんが研究者個人名が度々出るのは編集技量の問題、脚注内であっても簡潔を図るべき』と書いたことがありますが、「一文」というような細かい範囲での重複を問題視しているのではないことをご承知ください。
要するに、今回の「編集内容の要約」において
1:「一節内に研究者個人名が二度も用いられるなど、体裁としていかがなものか」
2:「研究者の著作についてはここまで再三登場しており、重複も甚だしい」
と記したのは、上記の考えに基づいたものであり、『修正理由を破る』といわれるように相互に矛盾するものではありません。
(論点1)『修正理由をご自身で破った以上、『坂の上の~』の書名を復活させて「研究者の著作について再三登場させて、重複」させても、何ら問題はないはず』
(回答1)『修正理由をご自身で破る』といわれますが、上記したように、そもそもが相互に矛盾するものではありません。
(反論1)『重複させても、何ら問題ない』と本当に思っているのですか?相当に読みにくい見苦しい文章になることはご理解されてますでしょうか。
(論点2)『重複していなければ、文献名を本文内に残しても問題ないし、それに関してあなたが反論したり、私の編集を覆したりする理由はないはず』
(反論2)そもそもですが「文献名を本文内に書く」ということがいかがなものでしょうか。それは脚注内において書くべきものでしょう。本文は読みやすく簡潔にするべきと考えます。センスの問題でしょうか。
(脱線1)『理由を二転三転させ、最後には自身が主張した編集理由に矛盾するような編集の仕方をしています』
(対応1)上記のとおり。そもそも矛盾する理由ではありませんので。
(脱線2)『最初から長南氏の著書名を削除することを真の目的』
(対応2)上記のとおり。長南氏のものに限らず、それらは本文中ではなく脚注内に書くべきものと考えております。実例として、2014年7月1日の書き込み、2014年7月15日の書き込みをご覧下さい。本文を簡潔にする目的で、参考文献名・筆者名はともに脚注内に記す形式としております。
(脱線3)『長南氏とどのようなトラブルがあったのかは存じ上げませんが、そういう私怨に基づいた編集は厳に慎むべき』
(対応3)現在の日露戦争研究において、長南氏は第一人者であろうと尊敬しております。しかし上記のとおり、本文は簡潔にするべきと考えておりますので、著者名や文献名などは脚注にとどめるべきと考えております。
(脱線)と書きましたが、実のところ、この辺りを説明するのがあなたの本意に最も近いように思いました。
(論点3.1)『男爵を授与されたことを適切とする論拠として、伊地知の日清戦争期の情報将校としての功績と日露戦争期の功績の2点を挙げて』
(回答3.1)日露戦争での功績によって男爵授与、というのは日露戦後の論功行賞での事なので理解できます。が、それに10年前の日清戦争時の功績も加わっているというのは判断できないでしょう。長南氏著作にも、そのような事は書いておりません。『ところで、伊地知は云々』と、伊地知が日清戦争時にも情報将校として活動していた事を示しているのみです。
(論点3.2)『日清のみの理由を挙げて日露の理由を挙げないのは、著者の説の紹介の仕方として不適切』
(回答3.2)そうですね、併記すべきかも知れませんが、それは他所で示されていることなので重複を避けるべきかとも思います。
(論点3.3)『注記の範囲も男爵授与の話の最後までとするのが、適切ですが、あなたの編集はそうなっておりません』
(回答3.3)上記より続くことですが、どこまで書くべきかというところでしょう。
この論点3については、こちらもどのように扱うべきなのかと思案するところです。
(論点4)『引用を正確にすべきと述べている以上は、典拠書籍からの筆者の説の紹介も正確に行うべき』
(回答4)正確にすべきと考えておりますが、冗長になるのは避けなくてはならないと思います。その場合、文意・主張を損ねないように注意して改変することはやむをえないと考えております。
(反論4)『引用』は正確に行い得る作業です。ただ書き写すのみです。しかし、あなたの言われる『筆者の説の紹介』というのは考えてみるとなかなか難しい作業です。しょせんは筆者自身ではない他者が、果たして『筆者の説の紹介』なる作業を正確に行い得るものでしょうか。それが正確であるかどうかを確認する手段は、筆者に直接尋ねるしかないと思いますが、いったいどのような手順で『筆者の説の紹介を正確に行う』ことが出来ると考えておられるのでしょうか。
(論点5.1)『あなたのような方が、著者の説を勝手に歪めたり、著者の説を独自の見解であるかのように主張をしたりするような、不適切な引用をする』
(反論5.1)部位を指摘して下さい。また、「著者の説を勝手に歪めた」「著者の説を独自の見解であるかのように主張をした」とあなたが判断した根拠を記して下さい。
(論点5.2)『本文内で研究者名を入れて言及するのが適切だと(略)、私は考えるのです』
(回答5.2)研究者名・著作名などは、本文にいれるよりも脚注内にて示すのが適切であると、私は考えております。本文が冗長になるからです。
(反論5.2)脚注という便利なものを敢えて利用しないという判断の根拠をお尋ねいたします。
(論点6.1)『先行研究を重んじる歴史学では、~氏が『 (書名) 』で~と述べたとか、~氏が~と指摘した、などのようなする書き方は妥当とされてます。したがって、そういう書き方をしたからといって何ら問題はないはずです』
(回答6.1)研究者の功績に関わる点であり、歴史学などの専門書や研究発表の場においては、その辺りを詳説することは、妥当というよりむしろ必要なことでしょう。
(反論6.1)しかし、ここはそういう場ではありません。フリー百科事典という場であり、そして「伊地知幸介のページ」です。記述の主旨はあくまで「伊地知幸介とは誰なのか。何をしたのか。どう評価されているのか」でありましょう。上記のあなたの書き方は、むしろ「特定研究者は何を発見し発表したのか。どう評価しているか」にあまりに固執していると言わざるを得ません。
何としても「特定研究者は『(書名)』で~と述べた」とか、「特定研究者は~と指摘している」などと、特定の研究者のことを詳説したいのでしたら、その方のページを製作して、そこで行うのがよろしいと思いますが、いかがでしょうか。
(論点6.2)『それに、wikipediaの編集に際し、~氏がと研究者名を挙げる書き方は特段禁止されておらず、wikipediaの他の項目でも見かける書き方です』
(反論6.2)本文文章においては重複を避け簡潔に収めることを重視すべきでしょう。詳説したい時には脚注を使用できるのですから。
論点が多岐にわたっておりますが、どれか1つの回答だけですと、その1つの回答から反論再反論が派生して、他の論点に対するあなたの反論が最後までなされないことが予想されますので、以上述べた論点への反論に関し、逐一見解をお伺い致します。
--Kokurakinkei(会話) 2014年11月22日 (土) 20:55 (UTC)
Kokurakinkei氏へ。
>こちらの書いた「一節」を「一文」と見做しているのだと思いますが、こちらとしてはそのような細かい中での重複について問題視しているのではありません。「一節」とは大辞林第三版において「ひとくぎり(一区切り)」とありますように、一つの纏まりの中に、同じ単語が連なるのは文章の体裁としていかがなものか、と言っているのです。 別の場所(旅順攻囲戦のノート)において、2012年3月の書き込みで『研究者について言及するならば、本文中に一度は必要かも知れませんが研究者個人名が度々出るのは編集技量の問題、脚注内であっても簡潔を図るべき』と書いたことがありますが、「一文」というような細かい範囲での重複を問題視しているのではないことをご承知ください。
1、上記に関して。「一節」とは大辞林第三版において「ひとくぎり(一区切り)」であるとあるのは確かです。大辞林の「ひとくぎり」とは曖昧な定義ですね。そこで、定義を明確にしましょう。『広辞苑 第五版』には、「一節」とは「文章・音楽などの一くぎり」とあり、さらに「くぎり」をひくと「段落」とあります。
あなたが、「一節内に研究者個人名が二度も用いられるなど、体裁としていかがなものか」という理由で修正する前の問題箇所は、
「伊地知の評判が悪かったのは、以下の要因が考えられる。
• 乃木が軍神・聖将として祭り上げられたことから、(以下略)
• 旅順攻撃失敗の原因は弾薬の不足であるとして、(以下略)
• 彼の性情が剛直であったと評されることが多かった(以下略)。
2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が長南政義によって紹介されている。」
とあります。「伊地知の評判が」以下と「2011年に発表された」以下とでは段落が変わり、「2011年に発表された」の一文が一段落となっています(なお、一文が一段落になっていることはよくあることです)。
さらに、最初あなたは「一節内に研究者個人名が二度も用いられるなど、体裁としていかがなものか」という理由で修正したのは、「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が長南政義によって紹介されている。」の箇所のみです。であるならば、当初のあなたの考えていた「一節」とはこの箇所と考えるのが妥当です。いまになって「一節」をその他の箇所もというのは跡付けでありおかしいです。
したがって、あなたが、最初に、「一節内に研究者個人名が二度も用いられるなど、体裁としていかがなものか」という理由で一文全体を削除しようとし、私が、削除理由となった一節内で個人名が二度登場する箇所を削除したことで、「2011年に」以下の部分をそっくりそのまま削除したり修正したりする理由はなくなっているはずです。ゆえに、修正理由がなくなっているにもかかわらず、修正をたびたび繰り返そうというのは、自身の主張と矛盾しているということになります。
※註1。なお、一文全体とは「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が長南政義によって紹介されている。」
※註2。なお、削除理由となった一節内で個人名が二度登場する箇所を削除とは、「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が長南政義によって紹介されている。」
>1:「一節内に研究者個人名が二度も用いられるなど、体裁としていかがなものか」
>2:「研究者の著作についてはここまで再三登場しており、重複も甚だしい」
2、「一節内に研究者個人名が二度も用いられるなど、体裁としていかがなものか」&「研究者の著作についてはここまで再三登場しており、重複も甚だしい」という理由で削除したのであれば、「一節内」に「再三登場しなければ」(換言すると、1節内に1度であれば)書名や人名が登場してもいいことになります。わたしは、あなたが、今になってその前言を翻し、1度も登場させることを許さないと主張なさっていることも含めて(上記1の件も含めて)前後矛盾と言っているのです。
なお、念のため、誤解のないように申し上げておきますが、私は過度にならない範囲で人名・書名を複数回出してもいいと考えております。
>(回答1)『修正理由をご自身で破る』といわれますが、上記したように、そもそもが相互に矛盾するものではありません。それはさておき、『重複させても、何ら問題ない』と本当に思っているのですか?相当に読みにくい見苦しい文章になりますが、それで良しとするのは、なんというかセンスの問題でしょうか。
3、「一節内に研究者個人名が二度も用いられるなど、体裁としていかがなものか」&「研究者の著作についてはここまで再三登場しており、重複も甚だしい」という理由で削除したのであれば、人名・書名各1箇所は残していいはずですが、あなたはすべて削りましたよね。それを私が1か所復活させたら、すべて削除しようとしました。この行為に関しては、自身の主張と矛盾した行動をとると批判されても仕方ないはずです。また、私は人名・書名を複数回出してもいいと考えております(もちろん30回も50度回もという意味ではなく適度にという意味です)。
>(論点2)『重複していなければ、文献名を本文内に残しても問題ないし、それに関してあなたが反論したり、私の編集を覆したりする理由はないはず』
>(回答2)そもそもですが「文献名を本文内に書く」ということがいかがなものでしょうか。それは脚注内において書くべきものでしょう。本文は読みやすく簡潔にするべきと考えます。これもセンスの問題でしょうか。
4、「一節内に研究者個人名が二度も用いられるなど、体裁としていかがなものか」&「研究者の著作についてはここまで再三登場しており、重複も甚だしい」という理由で削除したのであれば、人名・書名各1箇所は残していいはずですが、あなたはすべて削りましたよね。それを私が1か所復活させたら、またもすべて削除しようとしました。この行為に関しては、自身の主張と矛盾した行動をとると批判されても仕方ないはずです。私が論点2(あなたの引用箇所は前部が省略されてますが)で問題にしたのは、あなたが自身の主張と矛盾した行動をとった以上は、あなたが反論したり、私の編集を覆したりする理由はないということですが、あなたが書いた回答2これに対する回答にはなってはいませんね。
「そもそもですが『文献名を本文内』に書くということがいかがなものでしょうか。それは脚注内において書くべきものでしょう。本文は読みやすく簡潔にするべきと考えます。これもセンスの問題でしょうか。」についてですが、伊地知幸介は歴史に関する項目です。歴史学では先行研究を尊重するのが当然です。きちんとそれを示すために本文で明記することは構わないと考えます。あなたのセンス云々という表現を借用するならば、本文で一切そうした記述をしないというあなたの姿勢は歴史に対するセンスの無さをうかがわせますね。
4-2、なお、あなたは、「「文献名を本文内に書く」ということがいかがなものでしょうか。それは脚注内において書くべきものでしょう。」と反論なさいましたが、本文に人名を登場させたり、書名を書いたりということ関して言えば、あなた自身が編集に際し、下記のように書いて書名(この場合は論文タイトル)と人名(秦郁彦・秦と二度)とを登場させていますよね(編集履歴の読み間違えで、違う人の編集だったら謝ります)。さらに言うならば、あなたは、以前の別の項目のノート内で、「本文中に一度は必要かも知れませんが研究者個人名が度々出るのは編集技量の問題」と書きましたが、下記では、「秦郁彦」「秦」と研究者の個人名を続けて二度も登場させてます。
あなたがそういう書き方をなされている以上、文献名や研究者名を本文に書く書き方にあなた自身も賛同したとみなされても仕方ないはずです。
あなた自身がなされたことであれば、わたしがここであなたが削除した人名や書名を復活(復活とは奇妙な表現ですが、それらの箇所を最初に書いたのは私ではないので復活としておきます)させて本文内に残してもよいはずです。
それとも、問題が複雑になった今になって前言を翻しますか?
「(Kokurakinkeiさんの編集履歴の、「2014年7月8日 (火) 16:14 (差分 | 履歴) . . (+648) . . 旅順攻囲戦 (→児玉源太郎: 児玉の関与を重視する意見もある)」をご確認ください。下記のようにございます。
「近年の傾向として、203高地攻めにおける児玉の関与は少なかったという見解が大勢であるが、これに反する意見を秦郁彦が『二〇三高地攻め「乃木・児玉対決シーン」の検証』の中で提示している。この中で、秦は12月5日の突撃計画を「実質的には児玉が指揮した作戦と称してよい」「いかにも彼らしい果敢な着想が折りこまれていた」と延べ、児玉の関与が強かった事を主張している。」
なお、問題が紛糾化した今になって、前言を翻し、前記引用部を修正しても遅いですよ。もし、あなたが秦氏の箇所を修正したとしても、私が復活させます。
>(脱線1)『理由を二転三転させ、最後には自身が主張した編集理由に矛盾するような編集の仕方をしています』
>(対応1)上記のとおり。そもそも矛盾する理由ではありませんので。
5、上記の通り、矛盾しています。
>(脱線2)『最初から長南氏の著書名を削除することを真の目的』
>(対応2)上記のとおり。長南氏のものに限らず、それらは本文中ではなく脚注内に書くべきものと考えております。
6、「長南氏のものに限らず、それらは本文中ではなく脚注内に書くべきものと考えております」とありますが、あなたの最近の編集履歴を見る限りでは最近は長南氏のもの以外は削除してませんね。他の箇所も削除なされてみてはいかがですか。こういった主張をなさるなら、まずは他の箇所も修正してから修正してみてはいかがでしょうか。さらに、上述したように、あなたご自身が、個人研究者名と論文名を挙げる書き方をなされていますよね。あなたが人名や論文名を書いている以上、他の人がそれを行なうことをダメであるとするのはおかしいのではないでしょうか。ちなみに申せば、秦氏の人名や論文名を書いておきながら、長南氏のみのものを削除していくという片寄った編集をなされているからこそ、長南氏の人名や著書名のみを狙い撃ちにして削除して行っているという疑惑がもたれるのではないでしょうか。
付言すれば「長南氏のものに限らず、それらは本文中ではなく脚注内に書くべきものと考えております」といいながら、長南氏以外の秦氏のものは本文中で明記しており、この点からも、あなたの行動は矛盾しており、あなたが秦氏の件で研究者名と論文名を本文内で明記している以上は、伊地知幸介の項目内で、長南氏やその著作名を本文内に残しても別段問題なく、あなたがそれを編集で削除しようとするのはおかしいと言わざるを得ません。
>(脱線3)『長南氏とどのようなトラブルがあったのかは存じ上げませんが、そういう私怨に基づいた編集は厳に慎むべき』
>(脱線3)現在の日露戦争研究において、長南氏は第一人者であろうと尊敬しております。しかし上記のとおり、本文は簡潔にするべきと考えておりますので、著者名や文献名などは脚注にとどめるべきと考えております。
7、既述した通り、伊地知幸介は歴史に関する項目です。歴史学では先行研究を尊重するのが当然です。きちんとそれを示すために本文で明記することは構わないと考えます。
>(論点3.1)『男爵を授与されたことを適切とする論拠として、伊地知の日清戦争期の情報将校としての功績と日露戦争期の功績の2点を挙げて』
>(回答3.1)日露戦争での功績によって男爵授与、というのはわかりますが、授与の理由に10年前の日清戦争時の功績も加わっているというのは言いすぎでしょう。長南氏著作にも、そのような事は書いておりません。『ところで、伊地知は云々』と、伊地知が日清戦争時にも情報将校として活動していた事を示しているのみです。
8
以上からすると、あなたの読み方は適切な読み方ではないのではないでしょうか。
>(論点3.2)『日清のみの理由を挙げて日露の理由を挙げないのは、著者の説の紹介の仕方として不適切』
>(回答3.2)そうですね、併記すべきかも知れませんが、それは他所で示されていることなので重複を避けるべきかとも思います。
9、上記8で述べたように長南氏は、日清・日露両戦役の活動から、伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥の御蔭だという評価をよく耳にするが、男爵位授与は妥当と、「日清・日露両戦役の活動」を併列的に論じており、さらにあなたご自身も「そうですね、あなたも併記すべきかも知れません」と述べておられるのであれば、併記しても問題ないのではと考えます。また、「他所で示されている」場所は伊地知の「日露戦争時」の章?(あるいは節というのでしょうか?)ですよね。ここは「評価」の章なので、登場する文脈が変化していると共に、「日露戦争時」の章とかなり離れた場所にもあるので、併記した方がいいのではと考えます。Wikipediaの項目が長い場合、必要な箇所のみを拾い読みするのが普通でしょう、『坂の上の雲5つの疑問』長南氏論稿の65頁は、「日清・日露開戦直前期に従事した任務が特別任務であったため、伊地知の功績は後世に伝わらなかったが、鶏林日誌や隔壁聴談といった史料を丹念に読み込めば、伊地知が果たした役割の大きさが見えてくる。伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥の御蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力だけで伊地知は爵位を授与されたのではない」と述べており、要約するならば、長南氏は「日清・日露開戦直前期に従事した任務が特別任務」における伊地知の果たした役割の大きさを評価して、「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥の御蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力だけで伊地知は爵位を授与されたのではない」と述べています。
さらにいえば、「『ところで、伊地知は云々』と、伊地知が日清戦争時にも情報将校として活動していた事を示しているのみです」とありますが、長南氏のこの論稿では、前半では韓国公使館附武官の活動を述べています。長南氏の論稿の論理構造は、前半で伊地知の日露の活動、後半で伊地知の日清の活動を具体的事例とする形で論拠として挙げたうえで(だからこそ長南氏は、考証で使用した史料名を並列させて「鶏林日誌や隔壁聴談といった史料を丹念に読み込めば、伊地知が果たした役割の大きさが見えてくる」と述べているのです)、本論考の締めの部分で、「日清・日露開戦直前期に従事した任務が特別任務」における伊地知の果たした役割を評価して、「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥の御蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力だけで伊地知は爵位を授与されたのではない」と本論稿を纏めています。し、誰もが誰も通読するとは限りませんので、一部をカットすると著者の意図とは違うように読み手に解釈されてしまう可能性もあります。
>(論点3.3)『注記の範囲も男爵授与の話の最後までとするのが、適切ですが、あなたの編集はそうなっておりません』
>(回答3.3)上記より続くことですが、どこまで書くべきかというところでしょう。
10、これは私の説明不足だったかもしれませんが、あなたは編集を行なうに際し、編集理由で「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定されたことの一例なので、部位変更整理した」と述べたうえで、「日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)p65)。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」と編集しています。あなたが、編集に際して『坂の上~』を挙げて、「論拠を以って否定された」と編集している以上は、あなたが挙げた「論拠」とは『坂の上の雲~』のことと推測され、なおかつ、日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰とみなすことは適当ではない、という点は、長南氏が指摘している論点でもあるので、註釈の位置を「日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)p65)。」にするのが妥当では?と提案しただけです。
>(論点4)『引用を正確にすべきと述べている以上は、典拠書籍からの筆者の説の紹介も正確に行うべき』
>(回答4)正確にすべきと考えておりますが、冗長になるのは避けなくてはならないと思います。その場合、文意・主張を損ねないように注意して改変することはやむをえないと考えております。
11、「引用を正確に」とは、先の8~10の点です。
>(論点5.1)『あなたのような方が、著者の説を勝手に歪めたり、著者の説を独自の見解であるかのように主張をしたりするような、不適切な引用をする』
>(回答5.1)部位を指摘して下さい。
12、先の8~10の点で述べたと考えます。なお、「著者の説を独自の見解であるかのように」という部分は註釈の位置を変更すればいいのではと考えます。
(脱線)これは「あなたのような」とあなた個人を批判したような書き方をして誤解を与えた私もよくないです。wikipediaの項目には、註釈のページ数にある出典文献と対比してみると、wikipedia編集者が編集者自身の思い入れのある論に都合のいい部分のみ出典文献から引用して、編集者自身が自身の説に合致するように出典文献の著者の説を歪めている場合が多々見られます。
>(論点5.2)『本文内で研究者名を入れて言及するのが適切だと(略)、私は考えるのです』
>(回答5.2)研究者名・著作名などは、本文にいれるよりも脚注内にて示すのが適切であると、私は考えております。本文が冗長になるからです。
13、上述しましたように、本文に研究者名を登場させたり、著作名を書いたりするということ関して言えば、あなた自身が編集に際し、下記のように書いて著作名(この場合は論文タイトル)と研究者名(秦郁彦・秦と二度)とを登場させていますよね(再度申し上げますが、編集履歴の読み間違えで、違う人の編集だったら謝ります)。 「近年の傾向として、203高地攻めにおける児玉の関与は少なかったという見解が大勢であるが、これに反する意見を秦郁彦が『二〇三高地攻め「乃木・児玉対決シーン」の検証』の中で提示している。この中で、秦は12月5日の突撃計画を「実質的には児玉が指揮した作戦と称してよい」「いかにも彼らしい果敢な着想が折りこまれていた」と延べ、児玉の関与が強かった事を主張している。」
(論点6.1)『先行研究を重んじる歴史学では、~氏が『 (書名) 』で~と述べたとか、~氏が~と指摘した、などのような書き方は妥当とされてます。したがって、そういう書き方をしたからといって何ら問題はないはずです』
(回答6.1)研究者の功績に関わる点なので、歴史学などの専門書や研究発表の場においては、その辺りを詳説することは、妥当というよりむしろ必要なことなのでしょう。しかし、ここはそういう場ではありません。フリー百科事典という場であり、そして「伊地知幸介のページ」です。どうしても研究者のことを詳説したいのでしたら、研究者のページを製作して、そこで行うのがよろしいと思います。
14、あなたは、私が指摘した「『先行研究を重んじる歴史学では、~氏が『 (書名) 』で~と述べたとか、~氏が~と指摘した、などのようなする書き方は妥当とされてます。」を「研究者の功績に関わる点」としていますが、歴史学がそうするのは「研究者の功績」云々とは違う問題ですよ。また、フリー百科事典という場であっても、他の箇所では、個人名を挙げている箇所が存在します。長南氏ばかりにこだわらずに、それらの書き込みを為された方にも「研究者のことを詳説したいのでしたら、研究者のページを製作して、そこで行うのがよろしいと思います。」という理由を示し当該箇所を修正なされてはいかがでしょうか。さらにいうならば、伊地知幸介は歴史人物の項目であり、この点からも歴史学がよくやる書き方をおこなっても可だと考えます。
>(論点6.2)『それに、wikipediaの編集に際し、~氏がと研究者名を挙げる書き方は特段禁止されておらず、wikipediaの他の項目でも見かける書き方です』
>(回答6.2)本文文章においては重複を避け簡潔に収めることを重視すべきでしょう。詳説したい時には脚注を使用できるのですから。
15、私は必要であると考えます。この議論は平行線だと思います。簡潔に重視し脚注にというのであれば、あなたがこだわっていらっしゃる長南氏以外の箇所(山県有朋などに代表される伊地知幸介以外の項目には頻出してます)もそうなされてみてはいかがですか?しかも、上述したように、あなたご自身も過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされてますよね。あなたがそういう書き方をなされている以上、そういう書き方にあなたも賛同したということであり、であるならば、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいですよね。あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記している以上は、そのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足です。
--Charlus(会話) 2014年11月27日 (木) 10:01 (UTC)
Charlus氏へ
1について
「一節」とは「一文」という意味ではないと説明し、「一つの纏まりの中に、同じ単語が連なるのは文章の体裁としていかがなものか」と説明しているのにも関わらず、今度は「一節」を「一段落」と解釈されるわけですか。
以下、再掲。
『研究者について言及するならば、本文中に一度は必要かも知れませんが研究者個人名が度々出るのは編集技量の問題、脚注内であっても簡潔を図るべき』と書いたことがありますように「一文」だの「一段落」だのというような細かい範囲での重複を問題視しているのではないことをご承知ください。要するに、今回の「編集内容の要約」において
・「一節内に研究者個人名が二度も用いられるなど、体裁としていかがなものか」
・「研究者の著作についてはここまで再三登場しており、重複も甚だしい」
と記したのは、上記の考えに基づいたものであり、『修正理由を破る』といわれるように相互に矛盾するものではありません。
2について
>前言を翻し、1度も登場させることを許さないと主張なさっている
そんな主張はしていません。部位を指摘できますか?
>なお、念のため、誤解のないように申し上げておきますが、私は過度にならない範囲で人名・書名を複数回出してもいいと考えております。
そういう重複を避けるよい手段があります。脚注を使用しましょう。
3について
>適度に
過度にとか適度にとか、個々人で解釈が異なる言葉に、何ほどの意味がありましょうか。「脚注にまわしても文意が通るようなら本文内には使わない」「本文中には一度限り」など、明確な基準を作るのなら意味があると思います。
4について
>あなたが自身の主張と矛盾した行動をとった以上は、あなたが反論したり、私の編集を覆したりする理由はないということですが、あなたが書いた回答2これに対する回答にはなってはいませんね。
既に答えておりますので。そもそも相互に矛盾するものではありません、と。
>歴史学では先行研究を尊重するのが当然です
あいまいな言い方をされておりますけども、どういう状況かを想像するに「歴史学者が研究内容を発表する場合は」というあたりでしょうか。そういうケースでは「先行研究を明記」するのは必要でしょうね。しかし、ここはそういう場ではありません。
>あなたがそういう書き方をなされている以上、文献名や研究者名を本文に書く書き方にあなた自身も賛同したとみなされても仕方ないはずです。
先の私自身の言である「編集技量の問題」です。ミスです。見苦しい文章になってしまっているのは申し訳ありません。出来るだけ改めていきます。というわけで、そのような書き方に賛同しているわけではありません。以後誤解なきように願います。
>なお、問題が紛糾化した今になって、前言を翻し、前記引用部を修正しても遅いですよ。もし、あなたが秦氏の箇所を修正したとしても、私が復活させます。
そうですか。なんの意味もない虚しい行為と想像しますが。編集者本人がミスと認めて修正するケースにおいて、他者が復活させると予めと宣言するとは、これはなんとも理解しがたい事ですね。
5について
上記のとおり矛盾するものではありません。
6について
>こういった主張をなさるなら、まずは他の箇所も修正してから修正してみてはいかがでしょうか。
「あっちもスピードオーバーしてるじゃないか」の類の主張ですか、それは何か意味があるのでしょうか。
>付言すれば「長南氏のものに限らず、それらは本文中ではなく脚注内に書くべきものと考えております」といいながら、長南氏以外の秦氏のものは本文中で明記しており、この点からも、あなたの行動は矛盾しており、あなたが秦氏の件で研究者名と論文名を本文内で明記している以上は、伊地知幸介の項目内で、長南氏やその著作名を本文内に残しても別段問題なく、あなたがそれを編集で削除しようとするのはおかしいと言わざるを得ません。
例えば、2014年7月1日 、2014年7月15日の編集において、桐野氏、寺田氏のものを脚注内において記しております。こちらの編集記録をだいぶ遡って頂いたようですが、こちらにはお気づきにならなかったのでしょうか。秦氏の箇所のみを挙げて判断しようとされているようですが、それは何の意図を以ってのことでしょう。
7について
4で答えておりますとおり。
8について
>あなたの読み方は適切な読み方ではないのではないでしょうか
どうでしょうかね。あなたの読み方は適切な読み方なのでしょうか。学研の「日露戦争兵器・人物事典」での記述と混同しておりませんか。
9、10、11について
>男爵位授与は妥当と、「日清・日露両戦役の活動」を併列的に論じており
そのように書くのならば、出典は、学研の「日露戦争兵器・人物事典」にすべきでしょう。引用のみならず、出典の選別も適切にすべきです。
12について
>「あなたのような」とあなた個人を批判したような書き方をして誤解を与えた
いいえ、あなたは、明確に、わたし個人を批判したのです。この点、誤解なきように。
13について
6で答えておりますとおり。
14について
「伊地知のページ」なのですから、「伊地知とは何者なのか、何をしたのか、どう評価されているか」を主旨とすべきなのです。
15について
>長南氏以外の箇所もそうなされてみてはいかがですか?
6で答えておりますとおり。(「あっちもスピード違反してるじゃないか」の類の主張)
>そういう書き方にあなたも賛同したということ
4で答えておりますとおり。(編集技量の問題、ミスです)
言行不一致として批判点とするのならまだ理解できるのですが、秦氏の箇所のみを見て、桐野・寺田氏の箇所を見ないでこのような判断をされても困りますね。
--Kokurakinkei(会話) 2014年11月27日 (木) 12:29 (UTC)
Kokurakinkei氏へ。
わたしCharlusの投稿記録を確認しましたが、「2014年7月1日 、2014年7月15日の編集において、桐野氏、寺田氏のものを脚注内において記しております」の箇所は確認できませんよ。そもそも、私の投稿記録を確認してみるとわかりますが、2014年7月1日と7月15日には投稿してません。これは、あなたが「2014年7月1日 、2014年7月15日の編集において、桐野氏、寺田氏のものを脚注内において記しております」ということですか?文意からすると、「あなたが」ということでしょうけれども、たまたまこの個所の主語が抜けてますので、念のため確認しておきます。
また、8のように長南氏の著作を明らかに誤読なされている箇所があります(そもそも、最初に長南氏の著作を基に、「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が紹介されている。」と書き込んだ方も、長南氏の著作に関し私と同じような解釈ですよね(といっても、この場は多数決で決める場ではないですが))。
それと、「「あっちもスピード違反してるじゃないか」の類の主張」と出てきますが、私はそんなことを申してませんよね。そもそもスピード違反は法令違反であり処罰される行為です。わたしは法令違反を犯して他の人もスピード違反をやってるから私自身が法規違反を犯しても構わないというようなことを述べたつもりはないです。
いずれによ、何度も申し上げておりますが、いずれにせよ、あなたご自身が秦氏の件で書いているのですから、あなたご自身が過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされている以上、そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実であり、であるならば、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいですよね。あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記している以上は、いまになってそのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足ですし、このまま議論を継続しても平行線のままだと思います。
--Charlus(会話) 2014年11月30日 (日) 12:26 (UTC)
Charlus氏へ
>念のため確認しておきます
もちろん、こちら、私の編集・投稿記録に決まってます。『こちらの編集記録をだいぶ遡って頂いたようですが、こちらにはお気づきにならなかったのでしょうか。』と続けて書いておりますのに。
>そんなことを申してませんよね
「ここを変えるのなら他も変えろ」「他を先に変えろ」という主張をしておられるでしょう。構造として同じことを主張しておられるのです。
>そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実であり
いいえ。秦氏の書き込みについては、こちらの技量不足、ミスであると申しております。よって、以下「であるならば」と続く貴見解は全て間違っております。お手数ですが、以後、修正お願い申し上げます。
--Kokurakinkei(会話) 2014年11月30日 (日) 14:13 (UTC)
Kokurakinkei氏へ
>>そんなことを申してませんよね
>「ここを変えるのなら他も変えろ」「他を先に変えろ」という主張をしておられるでしょう。構造として同じことを主張しておられるのです。
え?「ここを変えるのなら他も変えろ」「他を先に変えろ」という箇所と「「あっちもスピード違反してるじゃないか」の類の主張」とでは(論理)構造は違いますよ。それと、法令違反の話を持ち出すのはいかがなものかと指摘しているのです。
それと繰り返しますが、また、8のように長南氏の著作を明らかに誤読なされている箇所があります(そもそも、最初に長南氏の著作を基に、「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が紹介されている。」と書き込んだ方も、長南氏の著作に関し私と同じような解釈ですよね(といっても、この場は多数決で決める場ではないですが))。
>いいえ。秦氏の書き込みについては、こちらの技量不足、ミスであると申しております。
技量不足をお認めのようですが、そもそもですが、あなたご自身が、私に対する反論として、「センスの問題でしょうか?」だとか「編集技量」の問題だとかを最初に持ち出されて申されてますが、技量不足をお認めならば、それを他人に対してとやかく言えませんよね。
>そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実であり
>いいえ。秦氏の書き込みについては、こちらの技量不足、ミスであると申しております。よって、以下「であるならば」と続く貴見解は全て間違っております。お手数ですが、以後、修正お願い申し上げます.
いえいえ。「「であるならば」と続く貴見解は全て間違っております。」ということは、「そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実」であるという点はお認めになられるんですよね。それと、再度申し上げます。何度も申し上げておりますが、いずれにせよ、あなたご自身が秦氏の件で書いているのですから、あなたご自身が過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされている以上、そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実であり、であるならば、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいですよね。あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記している以上は、いまになってそのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足ですし、このまま議論を継続しても平行線のままだと思います。はっきり申し上げまして、問題になって、以前のご自身の書き込みと矛盾したことをご主張なさるとは、何をいまさらという感じですし、説得力不足です。
--Charlus(会話) 2014年11月30日 (日) 15:30 (UTC)
Charlus氏へ
>(論理)構造
詳説の必要がありましたか、意外でした。「あっちもスピード違反してるじゃないか」の言葉には、「こっちを捕まえる前にあっちを捕まえろ」という不満が続くのです。論理構造については、これでよろしいですね。
>法令違反
法令違反の事例を引いた事が問題であると言われるのならば、「廊下を走るな」「あっちも走っているじゃないか、こっちを注意する前にあっちを注意しろ」という事例に変更いたします。
>書き込んだ方
該当する書き込みの日付を示してください。
>いえいえ
1/こちらの本来の見解は既に申し上げておりますように、『研究者について言及するならば、本文中に一度は必要かも知れませんが研究者個人名が度々出るのは編集技量の問題、脚注内であっても簡潔を図るべき』というものです。
2/実際に、この見解に沿った書き込みを実行しております。(桐野氏、寺田氏に関する件)
3/この見解に反した書き込みについては、技量不足、ミスであると認めております。(秦氏に関する件)
書き込んだ本人が、『技量の問題、ミスである』と認めておりますのに、そのことのみをあげつらって従来の論を続けられておりますが、それこそ説得力不足です。
--Kokurakinkei(会話) 2014年11月30日 (日) 15:58 (UTC)
Kokurakinkei氏へ
>(論理)構造
>詳説の必要がありましたか、意外でした。「あっちもスピード違反してるじゃないか」の言葉には、「こっちを捕まえる前にあっちを捕まえろ」という不満が続くのです。論理構造については、これでよろしいですね。
あとでそう付け足してますが、「「あっちもスピード違反してるじゃないか」の言葉には、「こっちを捕まえる前にあっちを捕まえろ」という不満が続くのです、」という部分はあなただけの考えではないのですか?普通は、「あっちがスピード違反しているからこっちもやっていい」(ちなみに、法規違反の話なので、念を押しておきますが、私がこのように認識しているのではないです)と続きますよ。あなたのもののおっしゃり方を借用するならば、そのように続けるとは「意外」ですね。
>法令違反
>法令違反の事例を引いた事が問題であると言われるのならば、「廊下を走るな」「あっちも走っているじゃないか、こっちを注意する前にあっちを注意しろ」という事例に変更いたします。
相変わらずたとえが悪いですね。その仰り方は、スピード違反の例同様、わたしに対してルールを破ったといっているのに等しいと申し上げているのです。
>書き込んだ本人が、『技量の問題、ミスである』と認めておりますのに
技量不足をお認めのようですが、そもそもですが、あなたご自身が、私に対する反論として、「センスの問題でしょうか?」だとか「編集技量」の問題だとかを最初に持ち出されご主張を展開なされましたが、技量不足をお認めならば、それを他人に対してとやかく言えませんよね。それに、wikipediaの書き方に関し技量不足をお認めになられる方が、研究者名や、著書名を本文より脚注にしたほうがいいと申されても説得力不足です。
>>いえいえ
>1/こちらの本来の見解は既に申し上げておりますように、『研究者について言及するならば、本文中に一度は必要かも知れませんが研究者個人名が度々出るのは編集技量の問題、脚注内であっても簡潔を図るべき』というものです。
>2/実際に、この見解に沿った書き込みを実行しております。(桐野氏、寺田氏に関する件)
>3/この見解に反した書き込みについては、技量不足、ミスであると認めております。(秦氏に関する件)
>書き込んだ本人が、『技量の問題、ミスである』と認めておりますのに、そのことのみをあげつらって従来の論を続けられておりますが、それこそ説得力不足です。
いえいえ。「「であるならば」と続く貴見解は全て間違っております。」ということは、それ以前の「そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実」であるという点はお認めになられているんですよね。また、「実際にこの見解に沿った書き込みを実行~」とありますのは知ってますが、あなた自身、研究者名や著作名を挙げる書き方をしていたのも事実です。それと、何度も申し上げておりますが、いずれにせよ、あなたご自身が秦氏の件で書いているのですから、あなたご自身が過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされている以上、そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実であり、であるならば、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記していた以上は、いまになってそのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足ですし、このまま議論を継続しても平行線のままだと思います。問題になって、以前のご自身の書き込みと矛盾したことをご主張なさるとは、何をいまさらという感じですし、説得力不足です。
また、いまになって立場を変えるようなことをおっしゃられるので、言行不一致・矛盾だといわれるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、技量不足をお認めのようですが、そもそもですが、あなたご自身が、私に対する反論として、「センスの問題でしょうか?」だとか「編集技量」の問題だとかを最初に持ち出されご主張を展開なされましたが、技量不足をお認めならば、それを他人に対してとやかく言えませんよね。それに、本文中で著者名や書名を書くことは、歴史に関するいろいろな項目でもみられますし、私が何度も申しましたように、伊地知幸介が歴史的人物の項目である以上、出典を明記する歴史学に基づいた書き方が妥当だと考えます。wikipediaの書き方に関し技量不足をお認めになられる方が、研究者名や、著書名を本文より脚注にしたほうがいいと申されても説得力不足です。このまま議論を継続しても平行線のままだと思います。
--Charlus(会話) 2014年11月30日 (日) 18:25 (UTC)
Charlus氏へ
>普通は、「あっちがスピード違反しているからこっちもやっていい」と続きますよ。
ほう、そうなんですか。
あなたの言う普通がどの程度普通なのか知りませんが、私はこのような意味で書きました。以後そのようにご承知ください。『あっちもスピード違反してるじゃないか、こっちを捕まえる前にあっちを捕まえろ』
>相変わらずたとえが悪いですね
要するに、あなたが諸所で主張されている「他を変えてからわたしのところを変えろ」というのは、無意味な主張であると申し上げております。
>技量不足をお認めならば、それを他人に対してとやかく言えませんよね
>wikipediaの書き方に関し技量不足をお認めになられる方が、研究者名や、著書名を本文より脚注にしたほうがいいと申されても説得力不足です
技量不足による不具合の点があっても、気づいたらば後に修正していけばよいという考えでおりますので、悪しからず。 ところで、あなたは『wikipediaの書き方に関しての技量』を十分にお持ちであると公言出来るでしょうか?
お答え下さい。Charlus氏、あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか?
>いえいえ
>繰り返しになりますが
まさしく繰り返しですね。なので、返答は上記のままです。悪しからず。
ところで、この点についてのご返答がございませんが?
>そもそも、最初に長南氏の著作を基に、「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が紹介されている。」と書き込んだ方も、長南氏の著作に関し私と同じような解釈ですよね
この書き込みの日付を示して下さい。
--Kokurakinkei(会話) 2014年11月30日 (日) 19:22 (UTC)
Charlus氏へ
>説得力不足です
議論の進行に関して重要な確認事項と思いますので、再度お答えを伺いたく思います。
Charlus氏、あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか?
また、この点についてのご返答も伺いたく。
>そもそも、最初に長南氏の著作を基に、「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が紹介されている。」と書き込んだ方も、長南氏の著作に関し私と同じような解釈ですよね
この書き込みの日付を示して下さい。
日曜日を過ぎるまでにはお答え頂きたくお待ちしております。
--Kokurakinkei(会話) 2014年12月4日 (木) 05:18 (UTC)
1、わたしは、たとえ話という曖昧な形、かつ不適切なたとえ話を使って反論するのは極めて反論として不適切であるし、こじつけになるからやめていただきたいと申し上げているのです。たとえばです、あなたはたとえ話を使い曖昧な形にして、かつ不適切なたとえ話で反論しますので、こちらもたとえ話を使って反論してみると以下のようになりますよね(なお、わたしは、たとえ話で反論することには絶対不賛成です。あなたがたとえ話で反論なさるので、たとえ話で反論することがいかにこじつけになるかを説明・証明するために例として挙げているだけですので、間違っても信義則違反だとか、言行不一致だとかおっしゃらないでください。このことを矛盾だとか下記で述べる信義則違反だとか批判されないようにあらかじめお断りしておきます。また、あなたがそのようなことをおっしゃらない良識をお持ちの方であることを信じております)。では、以下その例。
あなたが仰っていることは、「泥棒が「過ちを犯しましたが(今回の場合はミスをおかしましたが)、盗んだものは返還する(今回の場合はミスだとして秦氏の件で著者名や書名や書いたことを撤回する)からやったことはチャラにしてほしい(今回の場合は秦氏の件で著者名や書名や書いたことを無しにしてほしい)」」と言っているのと同じです。そんなこと誰が許しますか?
また、あなたが、「秦氏のように研究者だけではなく、桐野氏みたいに註釈でも書いている」というご主張の論理構造は、たとえ話なら「間違って物取りという誤りを(間違って研究者名を書くという誤りを)を犯した窃盗犯が、ふだんはお金を払って(普段は研究者名は註釈で書いて)いますから、誤りを取り消してほしい(誤って研究者名を本文で書いた行為を取り消してほしい)」といっていることになります。そんなこと許されますか?
以上、あなたがよくお使いになられるたとえ話を使うと、あなたのご主張(秦氏の件で研究者名と論文名を本文で明記するミスをおかしたが、それを撤回するので、無かったことにしてほしい)は上記のようになります。これで、たとえ話で反論することがいかに変な結果を招くかお分かりいただけましたでしょうか。また、スピード違反云々という犯罪行為をたとえ話の事例に挙げて反論なさることが相手に不快感を与える不適切な行為であるかがご理解いただけたものと拝察いたします。
2、さて、問題の秦氏の件ですが、あなたのやっていることは信義則違反です。信義則の1つに禁反言の法則というものがあります。禁反言の法則とは、ご自身が発言したり行なったりしたことに矛盾する態度をとることは許されないという原則です。あなたは、以前、本文内にて秦氏(研究者名)とその論文名(著書名)を書き込まれましたが、だとしたならば、あなたがそれ(それとは、本文内にて研究者名とその論文名(著書名)を書き込むこと)を禁ずることをご主張なされたり、あなたが他者に対してそのような書き込みを行なうことを禁じることは許されないのです。
これを今回の事例に当てはめましょう。あなたご自身も過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされてますよね。あなたがそういう書き方をなされている以上、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。ゆえに、あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記している以上は、そのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足です。
つまりは、自分が過去にやったことを、自分に都合が悪くなってから簡単にミスだからといって撤回できるものではないんですよ。以上述べたように、私の反論は、我々一般私人を規定する有名な原則(法理)に根拠を置くものです。あなたも「たとえ話」や「あなたの意見」(都合が悪くなったら、どんなミスでも、ミスだといったら撤回が許されるだろう的なご主張はあなたご自身の意見ですよね)ではなく、何らかの法則に根拠をおいてご反論なされてみてはいかがでしょうか。そうでないと議論は平行線ですし、説得力不足です。
3-1、伊地知の男爵授与の典拠について。『坂の上の雲5つの疑問』長南氏論稿の65頁は、「日清・日露開戦直前期に従事した任務が特別任務であったため、伊地知の功績は後世に伝わらなかったが、鶏林日誌や隔壁聴談といった史料を丹念に読み込めば、伊地知が果たした役割の大きさが見えてくる。伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥の御蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力だけで伊地知は爵位を授与されたのではない」と述べており、要約するならば、長南氏は「日清・日露開戦直前期に従事した任務が特別任務」における伊地知の果たした役割の大きさを評価して、「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥の御蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力だけで伊地知は爵位を授与されたのではない」と述べています。
さらにいえば、「『ところで、伊地知は云々』と、伊地知が日清戦争時にも情報将校として活動していた事を示しているのみです」とありますが、長南氏のこの論稿では、前半では韓国公使館附武官の活動を述べています。長南氏の論稿の論理構造は、前半で伊地知の日露の活動、後半で伊地知の日清の活動を具体的事例とする形で論拠として挙げたうえで(だからこそ長南氏は、考証で使用した史料名を並列させて「鶏林日誌や隔壁聴談といった史料を丹念に読み込めば、伊地知が果たした役割の大きさが見えてくる」と述べているのです)、本論考の締めの部分で、「日清・日露開戦直前期に従事した任務が特別任務」における伊地知の果たした役割を評価して、「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥の御蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力だけで伊地知は爵位を授与されたのではない」と本論稿を纏めています。
したがって、あなたの読み方は明らかに誤読です。
3-2、伊地知の男爵授与の典拠について。あなたは編集を行なうに際し、編集理由で「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定されたことの一例なので、部位変更整理した」と述べたうえで、「日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)p65)。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」と編集しています。あなたが、編集に際して『坂の上~』を挙げて、「論拠を以って否定された」と編集している以上は、あなたが挙げた「論拠」とは『坂の上の雲~』のことですよね。
4、改めて申し上げておきますが、2で申し上げた通り、この問題(文献名・研究者名の話)に関してはあなたが一度なされたことです。あなたがなさったことである以上、それを他人に禁止する理由はないのです。あなたが、修正するのを確認した時点で、理由を明記せずに、以後は編集を差し戻します。
--Charlus(会話) 2014年12月27日 (土) 18:17 (UTC)
Charlus氏へ
一ヶ月近く議論を停止しておきながら、突然に伊地知本文への編集を行うとは、なかなか不義理な方ですね。 まずは以下にご回答願いますか。
>説得力不足です
議論の進行に関して重要な確認事項と思いますので、再度お答えを伺いたく思います。--Kokurakinkei(会話) 2014年12月28日 (日) 09:58 (UTC)
Charlus氏、あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか?
また、この点についてのご返答も伺いたく。
>そもそも、最初に長南氏の著作を基に、「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が紹介されている。」と書き込んだ方も、長南氏の著作に関し私と同じような解釈ですよね
この書き込みの日付を示して下さい。
--Kokurakinkei(会話) 2014年12月28日 (日) 09:58 (UTC)
- まず、編集合戦はおやめ下さい。やりすぎますと、双方がブロックされます。両者ともほぼ同等の文意を目指していることはわかりますが、2点ご注意を。まず、本文内での敬称は略して下さい。評価文は、断言する形式世より、評価者・研究者名を付け、主張者をはっきりさせておくことがベターとなります。Wikipedia:中立的な観点やWikipedia:検証可能性を再度ご確認ください。また、「敵のために書く」ことも考慮してみて下さい。よろしくお願いします。--Los688(会話) 2014年12月28日 (日) 10:13 (UTC)
Los688氏へ
・本文内での敬称は略すこと
・評価文章にあたっては、断言する形式は避け、主張者をはっきりさせておくこと
この2点については了解いたしました。
評価者・研究者名を付する際は、本文を簡潔にする目的において、脚注にて明記するように致します。
--Kokurakinkei(会話) 2014年12月28日 (日) 11:12 (UTC)
Kokurakinkei氏へ。
いや、あなたの回答が回答になってないから返答を控えただけです。また、仕事柄長期不在にすることもありますのであしからずご了解ください。
>>そもそも、最初に長南氏の著作を基に、「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が紹介されている。」と書き込んだ方も・・・以下略の件。
そのようなことをせずとも、『坂の上の雲5つの疑問』の長南氏論稿を読めばわかることです。それに後述するように、最初に編集した際に、あなたも註釈に同書を書き込んでいます。
>>Charlus氏、あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか?
わたしの編集技量の問題は、私とあなた以外の第三者が判断すればいいだけです。問題になっているのは、①あなたがご自身で技量不足を認め、かつ②あなたご自身が、私に対する反論として、「センスの問題でしょうか?」だとか「編集技量」の問題だとかを最初に持ち出されご主張を展開なされましたが、技量不足をお認めならば、それを他人に対してとやかく言えませんよねということ、③それに、wikipediaの書き方に関し技量不足をお認めになられる方が、研究者名や、著書名を本文より脚注にしたほうがいいと申されても説得力不足ですということです。
以上回答いたしました。以下ご回答いただくようお願い申し上げます。
1、わたしは、たとえ話という曖昧な形、かつ不適切なたとえ話を使って反論するのは極めて反論として不適切であるし、こじつけになるからやめていただきたいと申し上げているのです。たとえばです、あなたはたとえ話を使い曖昧な形にして、かつ不適切なたとえ話で反論しますので、こちらもたとえ話を使って反論してみると以下のようになりますよね(なお、わたしは、たとえ話で反論することには絶対不賛成です。あなたがたとえ話で反論なさるので、たとえ話で反論することがいかにこじつけになるかを説明・証明するために例として挙げているだけですので、間違っても信義則違反だとか、言行不一致だとかおっしゃらないでください。このことを矛盾だとか下記で述べる信義則違反だとか批判されないようにあらかじめお断りしておきます。また、あなたがそのようなことをおっしゃらない良識をお持ちの方であることを信じております)。では、以下その例。
あなたが仰っていることは、「泥棒が「過ちを犯しましたが(今回の場合はミスをおかしましたが)、盗んだものは返還する(今回の場合はミスだとして秦氏の件で著者名や書名や書いたことを撤回する)からやったことはチャラにしてほしい(今回の場合は秦氏の件で著者名や書名や書いたことを無しにしてほしい)」」と言っているのと同じです。そんなこと誰が許しますか?
また、あなたが、「秦氏のように研究者だけではなく、桐野氏みたいに註釈でも書いている」というご主張の論理構造は、たとえ話なら「間違って物取りという誤りを(間違って研究者名を書くという誤りを)を犯した窃盗犯が、ふだんはお金を払って(普段は研究者名は註釈で書いて)いますから、誤りを取り消してほしい(誤って研究者名を本文で書いた行為を取り消してほしい)」といっていることになります。そんなこと許されますか?
以上、あなたがよくお使いになられるたとえ話を使うと、あなたのご主張(秦氏の件で研究者名と論文名を本文で明記するミスをおかしたが、それを撤回するので、無かったことにしてほしい)は上記のようになります。これで、たとえ話で反論することがいかに変な結果を招くかお分かりいただけましたでしょうか。また、スピード違反云々という犯罪行為をたとえ話の事例に挙げて反論なさることが相手に不快感を与える不適切さな行為であるかがご理解いただけたものと拝察いたします。
2、さて、問題の秦氏の件ですが、あなたのやっていることは信義則違反です。信義則の1つに禁反言の法則というものがあります。禁反言の法則とは、ご自身が発言したり行なったりしたことに矛盾する態度をとることは許されないという原則です。あなたは、以前、本文内にて秦氏(研究者名)とその論文名(著書名)を書き込まれましたが、だとしたならば、あなたがそれ(それとは、本文内にて研究者名とその論文名(著書名)を書き込むこと)を禁ずることをご主張なされたり、あなたが他者に対してそのような書き込みを行なうことを禁じることは許されないのです。
これを今回の事例に当てはめましょう。あなたご自身も過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされてますよね。あなたがそういう書き方をなされている以上、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。ゆえに、あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記している以上は、そのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足です。
つまりは、自分が過去にやったことを、自分に都合が悪くなってから簡単にミスだからといって撤回できるものではないんですよ。以上述べたように、私の反論は、我々一般私人を規定する有名な原則(法理)に根拠を置くものです。あなたも「たとえ話」や「あなたの意見」(都合が悪くなったら、どんなミスでも、ミスだといったら撤回が許されるだろう的なご主張はあなたご自身の意見ですよね)ではなく、何らかの法則に根拠をおいてご反論なされてみてはいかがでしょうか。そうでないと議論は平行線ですし、説得力不足です。
3-1、伊地知の男爵授与の典拠について。『坂の上の雲5つの疑問』長南氏論稿の65頁は、「日清・日露開戦直前期に従事した任務が特別任務であったため、伊地知の功績は後世に伝わらなかったが、鶏林日誌や隔壁聴談といった史料を丹念に読み込めば、伊地知が果たした役割の大きさが見えてくる。伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥の御蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力だけで伊地知は爵位を授与されたのではない」と述べており、要約するならば、長南氏は「日清・日露開戦直前期に従事した任務が特別任務」における伊地知の果たした役割の大きさを評価して、「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥の御蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力だけで伊地知は爵位を授与されたのではない」と述べています。
さらにいえば、「『ところで、伊地知は云々』と、伊地知が日清戦争時にも情報将校として活動していた事を示しているのみです」とありますが、長南氏のこの論稿では、前半では韓国公使館附武官の活動を述べています。長南氏の論稿の論理構造は、前半で伊地知の日露の活動、後半で伊地知の日清の活動を具体的事例とする形で論拠として挙げたうえで(だからこそ長南氏は、考証で使用した史料名を並列させて「鶏林日誌や隔壁聴談といった史料を丹念に読み込めば、伊地知が果たした役割の大きさが見えてくる」と述べているのです)、本論考の締めの部分で、「日清・日露開戦直前期に従事した任務が特別任務」における伊地知の果たした役割を評価して、「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥の御蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力だけで伊地知は爵位を授与されたのではない」と本論稿を纏めています。
したがって、あなたの読み方は明らかに誤読です。
3-2、伊地知の男爵授与の典拠について。あなたは編集を行なうに際し、編集理由で「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定されたことの一例なので、部位変更整理した」と述べたうえで、「日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)p65)。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」と編集しています。あなたが、編集に際して『坂の上~』を挙げて、「論拠を以って否定された」と編集している以上は、あなたが挙げた「論拠」とは『坂の上の雲~』のことですよね。
一度あなた自身が同意して註釈に書き込んだことを、また翻すのですか。かなり不可解と言わざるを得ませんね。
4、改めて申し上げておきますが、2で申し上げた通り、この問題(文献名・研究者名の話)に関してはあなたが一度なされたことです。あなたがなさったことである以上、それを他人に禁止する理由はないのです。あなたが、修正するのを確認した時点で、理由を明記せずに、以後は編集を差し戻します。
5、はっきり申し上げますが、これは私人間の問題ですが、私人間の規則を定めた民法が採用している信義則違反の方とは議論しても始まりません。あなたが、修正するのを確認した時点で、理由を明記せずに、以後は編集を差し戻します。
Los688さんへ
・本文内での敬称は略すこと
・評価文章にあたっては、断言する形式は避け、主張者をはっきりさせておくこと
この2点については了解いたしました。
評価者・研究者名を付する際は、「本文内」にて明記するように致します。
--Charlus(会話) 2014年12月28日 (日) 14:40 (UTC)
Kokurakinkei氏へ。
6、なお、谷寿夫などの研究者名や書名も、登場してます。それ等も編集なされてはいかがですか。それらを編集しないからこそ、あなたは長南氏のみを狙い撃ちしていると批判されるのです。こうした偏向的編集方法には断固たるやり方で対応いたします。
7、さらに申すならば、あなたの注釈のつけ方はかなり不適切です。たとえば、あなたは「評価文章にあたっては、断言する形式は避け、主張者をはっきりさせておくこと。この2点については了解いたしました。」と同意なされてますが、あなたの注釈のつけ方では主張者が不明確です。大学史学部学生レヴェルの、きちんとした註釈のつけ方をご勉強なされてはいかがでしょうか。
以上7点ご回答いただきたく。
なお、①たとえ話を用いた不適切かつ反論になっていないや、②単なる自分の見解にすぎない説得力に欠ける反論に対して、③ならびに注釈のつけ方が不適切な場合は、あなたが、修正するのを確認した時点で、反論をせず、かつ理由を明記せずに、以後は編集を差し戻します。
--Charlus(会話) 2014年12月28日 (日) 14:33 (UTC)
Charlus氏へ
>回答が回答になってない
部位を示して下さい。
>仕事柄長期不在にすることもありますので
今時にネット断絶の環境というのも、なんとも稀有なお仕事環境なんですね。差し戻しのタイミングといい絶妙でした。
>>そもそも~~
>そのようなことをせずとも~~長南氏論稿を読めばわかることです。
意味不明なことを言わないで下さい。こちらの質問を再掲いたします。
『この書き込みの日付を示して下さい』
この期に及んではぐらかそうとするのならば、さらに申し上げます。
『あなたが指摘した書き込みの日付と、それを書き込んだ方のペンネームを示して下さい』
>また、わたしの編集技量の問題は、私とあなた以外の第三者が判断すればいいだけです
意味不明なことを言わないで下さい。こちらの質問を再掲いたします。
『あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか?』
あなたの技量について、あなたの見解をお尋ねしているのですよ。
>以上回答いたしました。
いいえ、上記の如く、あなたは何も答えておりません。まさに回答が回答になっておりません。
再度求めます、お答えください。
『あなたが指摘した書き込みの日付と、それを書き込んだ方のペンネームを示して下さい』
『あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか?』
--Kokurakinkei(会話) 2014年12月28日 (日) 14:46 (UTC)
まず、あなたに私の仕事についてとやかく言われる義理はありません。
いいえ、あなたが上記2点の質問をなさる以前から下記質問に対していままであなたご自身がなされてきた回答が回答になってませんよね。
1、いえいえ。「「であるならば」と続く貴見解は全て間違っております。」ということは、それ以前の「そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実」であるという点はお認めになられているんですよね。また、「実際にこの見解に沿った書き込みを実行~」とありますのは知ってますが、あなた自身、研究者名や著作名を挙げる書き方をしていたのも事実です。それと、何度も申し上げておりますが、いずれにせよ、あなたご自身が秦氏の件で書いているのですから、あなたご自身が過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされている以上、そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実であり、であるならば、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記していた以上は、いまになってそのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足ですし、このまま議論を継続しても平行線のままだと思います。問題になって、以前のご自身の書き込みと矛盾したことをご主張なさるとは、何をいまさらという感じですし、説得力不足です。
また、いまになって立場を変えるようなことをおっしゃられるので、言行不一致・矛盾だといわれるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、技量不足をお認めのようですが、そもそもですが、あなたご自身が、私に対する反論として、「センスの問題でしょうか?」だとか「編集技量」の問題だとかを最初に持ち出されご主張を展開なされましたが、技量不足をお認めならば、それを他人に対してとやかく言えませんよね。それに、本文中で著者名や書名を書くことは、歴史に関するいろいろな項目でもみられますし、私が何度も申しましたように、伊地知幸介が歴史的人物の項目である以上、出典を明記する歴史学に基づいた書き方が妥当だと考えます。wikipediaの書き方に関し技量不足をお認めになられる方が、研究者名や、著書名を本文より脚注にしたほうがいいと申されても説得力不足です。このまま議論を継続しても平行線のままだと思います。
2、また以前から主張しているように、あなたは、「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定されたことの一例なので、部位変更整理した」という理由で、日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65)。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」と編集しなおしてますが、明らかにこの個所の編集時に長南氏の著作を閲覧し、当該箇所に関するページ数まで明記した後に、長南氏著作65頁の「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥のお蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力にだけで伊地知は爵位を授与されたわけではない」という記述を参考に「日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」との編集を行っております。この点、ご自身が、長南氏の文献の頁数を明記したうえで「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定された」と述べている以上は、註釈の位置を変え、きちんと参考文献を明記するような書き方にすべきですね。
あなた自身が当該箇所編集に際して、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65を使用している以上、それを今になって修正するのはおかしいのです。
3、また、「この期に及んではぐらかそうとする」といいますが、たとえ話で反論して何度もはぐらかしているのはあなたご自身ですよ。
4、いいですか、1に関していうならば、あなたが何度も繰り返してる「撤回するといったから許されるんだ」的回答は、自身がやった行為である以上は回答にならないんですよ。あなたは私に対し「この期に及んではぐらかそうとする」といってますが、「この期に及んではぐらかそうと」してるのはあなたご自身です。
--Charlus(会話) 2014年12月28日 (日) 15:16 (UTC)
Charlus氏へ
簡潔に書いて下さい。このように。
『あなたが指摘した書き込みの日付と、それを書き込んだ方のペンネームを示して下さい』
『あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか?』
--Kokurakinkei(会話) 2014年12月28日 (日) 15:20 (UTC)
簡潔云々をあなたに言われる筋はありません。いいですか、「部位を示して下さい」と言われたのはあなたです。
あなたも繰り返しますので、こちらも繰り返しましょう。
あなたが上記2点の質問をなさる以前から下記質問に対していままであなたご自身がなされてきた回答が回答になってませんよね。
1、いえいえ。「「であるならば」と続く貴見解は全て間違っております。」ということは、それ以前の「そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実」であるという点はお認めになられているんですよね。また、「実際にこの見解に沿った書き込みを実行~」とありますのは知ってますが、あなた自身、研究者名や著作名を挙げる書き方をしていたのも事実です。それと、何度も申し上げておりますが、いずれにせよ、あなたご自身が秦氏の件で書いているのですから、あなたご自身が過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされている以上、そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実であり、であるならば、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記していた以上は、いまになってそのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足ですし、このまま議論を継続しても平行線のままだと思います。問題になって、以前のご自身の書き込みと矛盾したことをご主張なさるとは、何をいまさらという感じですし、説得力不足です。
また、いまになって立場を変えるようなことをおっしゃられるので、言行不一致・矛盾だといわれるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、技量不足をお認めのようですが、そもそもですが、あなたご自身が、私に対する反論として、「センスの問題でしょうか?」だとか「編集技量」の問題だとかを最初に持ち出されご主張を展開なされましたが、技量不足をお認めならば、それを他人に対してとやかく言えませんよね。それに、本文中で著者名や書名を書くことは、歴史に関するいろいろな項目でもみられますし、私が何度も申しましたように、伊地知幸介が歴史的人物の項目である以上、出典を明記する歴史学に基づいた書き方が妥当だと考えます。wikipediaの書き方に関し技量不足をお認めになられる方が、研究者名や、著書名を本文より脚注にしたほうがいいと申されても説得力不足です。このまま議論を継続しても平行線のままだと思います。
2、また以前から主張しているように、あなたは、「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定されたことの一例なので、部位変更整理した」という理由で、日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65)。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」と編集しなおしてますが、明らかにこの個所の編集時に長南氏の著作を閲覧し、当該箇所に関するページ数まで明記した後に、長南氏著作65頁の「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥のお蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力にだけで伊地知は爵位を授与されたわけではない」という記述を参考に「日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」との編集を行っております。この点、ご自身が、長南氏の文献の頁数を明記したうえで「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定された」と述べている以上は、註釈の位置を変え、きちんと参考文献を明記するような書き方にすべきですね。
あなた自身が当該箇所編集に際して、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65を使用している以上、それを今になって修正するのはおかしいのです。
3、また、「この期に及んではぐらかそうとする」といいますが、たとえ話で反論して何度もはぐらかしているのはあなたご自身ですよ。たとえ話ではぐらかした全箇所について、適切なやり方で御反論ください。
4、いいですか、1に関していうならば、あなたが何度も繰り返してる「撤回するといったから許されるんだ」的回答は、自身がやった行為である以上は回答にならないんですよ。あなたは私に対し「この期に及んではぐらかそうとする」といってますが、「この期に及んではぐらかそうと」してるのはあなたご自身です。
--Charlus(会話) 2014年12月28日 (日) 15:26 (UTC)
Charlus氏へ
繰り返しじゃありませんよ?『簡潔に』と書きましたでしょう。簡潔に書いて下さい。このように。
『あなたが指摘した書き込みの日付と、それを書き込んだ方のペンネームを示して下さい』
『あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか?』
--Kokurakinkei(会話) 2014年12月28日 (日) 15:36 (UTC)
繰り返します。簡潔云々をあなたに言われる筋はありません。いいですか、「部位を示して下さい」と言われたのはあなたです。
あなたが上記2点の質問をなさる以前から下記質問に対していままであなたご自身がなされてきた回答が回答になってませんよね。順序として、他人に回答を求める前に、その前に出された下記の論点に対し、説得力のある回答をなされてみてはいかがですか。
1、いえいえ。「「であるならば」と続く貴見解は全て間違っております。」ということは、それ以前の「そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実」であるという点はお認めになられているんですよね。また、「実際にこの見解に沿った書き込みを実行~」とありますのは知ってますが、あなた自身、研究者名や著作名を挙げる書き方をしていたのも事実です。それと、何度も申し上げておりますが、いずれにせよ、あなたご自身が秦氏の件で書いているのですから、あなたご自身が過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされている以上、そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実であり、であるならば、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記していた以上は、いまになってそのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足ですし、このまま議論を継続しても平行線のままだと思います。問題になって、以前のご自身の書き込みと矛盾したことをご主張なさるとは、何をいまさらという感じですし、説得力不足です。
また、いまになって立場を変えるようなことをおっしゃられるので、言行不一致・矛盾だといわれるのではないでしょうか。
繰り返しになりますが、技量不足をお認めのようですが、そもそもですが、あなたご自身が、私に対する反論として、「センスの問題でしょうか?」だとか「編集技量」の問題だとかを最初に持ち出されご主張を展開なされましたが、技量不足をお認めならば、それを他人に対してとやかく言えませんよね。それに、本文中で著者名や書名を書くことは、歴史に関するいろいろな項目でもみられますし、私が何度も申しましたように、伊地知幸介が歴史的人物の項目である以上、出典を明記する歴史学に基づいた書き方が妥当だと考えます。wikipediaの書き方に関し技量不足をお認めになられる方が、研究者名や、著書名を本文より脚注にしたほうがいいと申されても説得力不足です。このまま議論を継続しても平行線のままだと思います。
2、また以前から主張しているように、あなたは、「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定されたことの一例なので、部位変更整理した」という理由で、日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65)。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」と編集しなおしてますが、明らかにこの個所の編集時に長南氏の著作を閲覧し、当該箇所に関するページ数まで明記した後に、長南氏著作65頁の「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥のお蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力にだけで伊地知は爵位を授与されたわけではない」という記述を参考に「日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」との編集を行っております。この点、ご自身が、長南氏の文献の頁数を明記したうえで「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定された」と述べている以上は、註釈の位置を変え、きちんと参考文献を明記するような書き方にすべきですね。
あなた自身が当該箇所編集に際して、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65を使用している以上、それを今になって修正するのはおかしいのです。
3、また、「この期に及んではぐらかそうとする」といいますが、たとえ話で反論して何度もはぐらかしているのはあなたご自身ですよ。たとえ話ではぐらかした全箇所について、適切なやり方で御反論ください。
4、いいですか、1に関していうならば、あなたが何度も繰り返してる「撤回するといったから許されるんだ」的回答は、自身がやった行為である以上は回答にならないんですよ。あなたは私に対し「この期に及んではぐらかそうとする」といってますが、「この期に及んではぐらかそうと」してるのはあなたご自身です。
--Charlus(会話) 2014年12月28日 (日) 15:40 (UTC)
Charlus氏へ
1:
>説得力不足です
>このまま議論を継続しても平行線のままだと思います
1への回答:そうですか。
2:
>註釈の位置を変え、きちんと参考文献を明記するような書き方にすべきですね。
>それを今になって修正するのはおかしいのです。
2への回答:そうですかね。見解の相違ですかね。
3:
>たとえ話ではぐらかした全箇所について、適切なやり方で御反論ください。
3への回答:要するに「ここを変える前にあっちを変えろ」などの類の主張は無意味であると既に申しております。
4:
>「撤回するといったから許されるんだ」的回答は、自身がやった行為である以上は回答にならない
4への回答:「許される」などと言った覚えはありません。「~的回答」などとごまかしてはいけません。
さて、以上回答いたしました。それではお答えいただきましょう。
簡潔にお答え頂けるように、回答欄を作成いたします。
Q『あなたが指摘した書き込みの日付と、それを書き込んだ方のペンネームを示して下さい』
A『 ----年--月--日 (ー) --:--、書き込んだ方のペンネームは------』
Q『あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか?』
A『はい/いいえ』(どちらかを残してください)
--Kokurakinkei(会話) 2014年12月28日 (日) 16:45 (UTC)
Kokurakinkei氏へ
私が提起した問題に対し、相変わらず、反論にも回答にもなってませんね。
1について、「そうですか」とお答えのようですが、相変わらず答えになってませんね。いいですか、反論とか回答というのは、論拠を示して行うものです。「そうですか」などというはぐらかすようなのは反論とも回答ともいいません。
いいですか、1の点ですがは、あなたが、それ以前の「そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実」であるという点はお認めになられているんですよね。また、「実際にこの見解に沿った書き込みを実行~」とありますのは知ってますが、あなた自身、研究者名や著作名を挙げる書き方をしていたのも事実です。それと、何度も申し上げておりますが、いずれにせよ、あなたご自身が秦氏の件で書いているのですから、あなたご自身が過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされている以上、そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実であり、であるならば、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記していた以上は、いまになってそのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足なんです。
わたしの書いている論理が分かっていないようですので、より具体的に説明をしましょう。問題の秦氏の件ですが、あなたのやっていることは信義則違反です。信義則の1つに禁反言の法則というものがあります。禁反言の法則とは、ご自身が発言したり行なったりしたことに矛盾する態度をとることは許されないという原則です。あなたは、以前、本文内にて秦氏(研究者名)とその論文名(著書名)を書き込まれましたが、だとしたならば、あなたがそれ(それとは、本文内にて研究者名とその論文名(著書名)を書き込むこと)を禁ずることをご主張なされたり、あなたが他者に対してそのような書き込みを行なうことを禁じることは許されないのです。
これを今回の事例に当てはめましょう。あなたご自身も過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされてますよね。あなたがそういう書き方をなされている以上、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。ゆえに、あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記している以上は、そのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足です。
以上説明したように、私が以前から述べている論は、我々一般私人を規定する有名な原則(法理)に根拠を置くものです。いいですか、繰り返しますが、あなたご自身も過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされてますよね。あなたがそういう書き方をなされている以上、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。ゆえに、あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記している以上は、そのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足なのです。あなたが他の箇所で本文中に研究者名と著書名を書いている時点で、この議論(研究者名と著書名を本文内に書くか?註釈で書くか?という問題)は議論終了なんです。
2について、「見解の相違」といってますが、この点も回答になってませんね。
いいですか、あなた自身が、「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定されたことの一例なので、部位変更整理した」という理由で、日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65)。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」と編集しなおしてますが、明らかにこの個所の編集時に長南氏の著作を閲覧し、当該箇所に関するページ数まで明記した後に、長南氏著作65頁の「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥のお蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力にだけで伊地知は爵位を授与されたわけではない」という記述を参考に「日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」との編集を行っております。この点、ご自身が、長南氏の文献の頁数を明記したうえで「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定された」と述べている以上は、註釈の位置を変え、きちんと参考文献を明記するような書き方にすべきなのです。
「見解の相違」もなにも、これも、あなたが、当該箇所編集に際し、「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定されたことの一例なので、部位変更整理した」という理由で、「日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65)。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」と長南氏の著作を典拠として引用しているではないですか。
見解の相違も何も、これは記録に残っている事実です。
つまり、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65と、註釈内の典拠として引用時点で、あなたご自身が、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年65頁で書かれた内容を「日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった」、「日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない」 と理解したことを認めたことになっているんですよ。
あなたがそのように書いた時点(2014年11月22日 (土) 05:29)で、問題になっている長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年の内容をめぐる議論も議論終了なんです。
3、これも反論になってませんね。いいですか、無意味というのはあなたの見解に過ぎません。これに対しては、意味があるとしか言いようがないですね。
以上、1、2に関しては全く回答にはなっておりません。ゆえに、あなたの問いに答える義務はないです。
4、なお、上記で説明した通り、信義則違反が明確な以上、今後は、①反論になっていない場合や、②単なる自分の見解にすぎない説得力に欠ける反論に対しては、反論が反論になっていない以上、以後回答をしません。あなたが、問題になっている案件に関し、修正するのを確認した時点で、反論をせず、かつ理由を明記せずに、以後は編集を差し戻します。
--Charlus(会話) 2014年12月29日 (月) 12:21 (UTC)
みなさまへ、
この問題、2人で話しても解決策を探る方には行っておらず、らちが明かないと思います。仲裁を依頼するか第三者にも混ざっていただいたらいかがでしょうか。
--Charlus(会話) 2014年12月29日 (月) 11:42 (UTC)
Charlus氏へ
>「そうですか」などというはぐらかすようなのは反論とも回答ともいいません。
そんなことはありませんよ。「あなたの考えはそうなのですか、私の考えとは違います」という意味です。「見解の相違です」とも言えますね。「同意しないことを同意した」とも言えるでしょう。これはもちろん回答として成り立ちます。
>無意味というのはあなたの見解に過ぎません。これに対しては、意味があるとしか言いようがないですね。
例えば、2014年11月22日 (土) 14:05 のあなたのコメントですが、(wikipediaの他の項目でもそうしている項目がある。削除したいならほかのものも削除すべし) とあります。これって何の意味があるのですか?
時間に限りがあるのに対して項目はほぼ無限であるわけで、どこを先に削除するのかなどは、個人の自由としかいいようがありません。なので、「削除したいならほかのものも削除すべし」というコメントには、何の意味もありません。
>全く回答にはなっておりません。ゆえに、あなたの問いに答える義務はないです。
というわけで、こちらは回答しております。ゆえに、あなたにはこちらの問いに答えて頂きたく思います。テンプレートまで作ってあるのですから、簡潔にお答えいただけるはずですよ。
--Kokurakinkei(会話) 2014年12月29日 (月) 12:54 (UTC)
Charlus氏へ
>仲裁を依頼するか第三者にも混ざっていただいたらいかがでしょうか。
ご自分で、ノート上部に掲載されている、Step3のコメント依頼を行われたらいかがでしょうか?どのコメント依頼が妥当なのかもご自分で判断頂きたく思います。この議論を開始したのはあなたなのですからなおのことです。
とまれ、このコメントによって、はしなくも
Q『あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか?』
の回答が得られたようですね。なによりです。
--Kokurakinkei(会話) 2014年12月29日 (月) 13:06 (UTC)
Kokurakinkei氏へ
>そんなことはありませんよ。「あなたの考えはそうなのですか、私の考えとは違います」という意味です。「見解の相違です」とも言えますね。「同意しないことを同意した」とも言えるでしょう。これはもちろん回答として成り立ちます。
いえいえ。相変わらず答えになってません。いいですか、反論とか回答というのは、論拠を示して行うものです。論拠を示さずに反対意見だけを述べるようなあなたの回答方法は反論とも回答ともいいません。あなたの反論・回答は個人的意見などというのです。ゆえに、前回の質問を再度繰り返します。
その前に、下記の点について。
>Q『あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか?』の回答が得られたようですね。なによりです。
は?、誰も回答してませんよ。解決策を探るために、「仲裁を依頼するか第三者にも混ざっていただいたらいかがでしょうか」とあなた以外の他の方に提案するのが、いけないわけではないでしょう(なお、提案にとどまっていることを明らかにしておきます)。
それに、ステップ3は「ステップ3: 第三者を交えて議論する」とあります。「第三者を交えて議論する」を「第三者にも混ざっていただいたらいかが」と言い換えただけですが、それが、どういう理屈・根拠で、わたしがwikipediaの書き方に関しての技量を十分に持ってないという結論に至るのか、極めて不可解ですね。
まあ、後文で述べますが、その前に、あなたは編集に際し、著作権侵害を行っているので、編集保護を依頼した方がよさそうですが。
いずれにせよ、これで、どなたが見ても、あなたが、自分の展開する主張の論拠を示さず、強引なやり方で、自分の勝手な意見を結論として相手に押し付けるような論法で議論を進めることがはっきりしましたね。私はこのようなやり方に不同意ですが、あなたがそのようなやり方で来るならば、こちらもあなたに対してはそのようなやり方で応じるしかありませんね。したがって、以後はこちらも、あなたの方式をまねることにしましょう。
それと、これは、皆様に向けてのコメントとして、はっきり申し上げておきます。上記のように、自分の展開する主張の論拠を示さず、強引なやり方で、自分の勝手な意見を結論とする方と議論をしても、合意形成は難しいです。この書き込み以降は、自分の展開する主張の論拠を示さず、強引なやり方で、自分の勝手な意見を結論とする方との議論は時間の無駄でもあり、有効な反論があるなどの例外を除き、Kokurakinkei氏への書き込みはいたしません。
それでは、有効な反論・回答を戴けなかった、前回の質問を再度繰り返します。
1、いいですか、あなた自身、研究者名や著作名を挙げる書き方をしていたのも事実です。それと、何度も申し上げておりますが、いずれにせよ、あなたご自身が秦氏の件で書いているのですから、あなたご自身が過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされている以上、そういう書き方にあなた自身も問題ないという認識であったことは事実であり、であるならば、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記していた以上は、いまになってそのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足なんです。
わたしの書いている論理が分かっていないようですので、より具体的に説明をしましょう。問題の秦氏の件ですが、あなたのやっていることは信義則違反です。信義則の1つに禁反言の法則というものがあります。禁反言の法則とは、ご自身が発言したり行なったりしたことに矛盾する態度をとることは許されないという原則です。あなたは、以前、本文内にて秦氏(研究者名)とその論文名(著書名)を書き込まれましたが、だとしたならば、あなたがそれ(それとは、本文内にて研究者名とその論文名(著書名)を書き込むこと)を禁ずることをご主張なされたり、あなたが他者に対してそのような書き込みを行なうことを禁じることは許されないのです。
これを今回の事例に当てはめましょう。あなたご自身も過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされてますよね。あなたがそういう書き方をなされている以上、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。ゆえに、あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記している以上は、そのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足です。
以上説明したように、私が以前から述べている論は、我々一般私人を規定する有名な原則(法理)に根拠を置くものです。いいですか、繰り返しますが、あなたご自身も過去に、本文内で研究者名と論文名とを明記する書き方をなされてますよね。あなたがそういう書き方をなされている以上、あなたがそのような書き方をやるのはOKで、他の人がやってはダメだというのはおかしいのです。ゆえに、あなたご自身が本文内で研究者名や論文名(書名)を明記している以上は、そのような書き方について文句をつけても論拠として説得力不足なのです。あなたが他の箇所で本文中に研究者名と著書名を書いている時点で、この議論(研究者名と著書名を本文内に書くか?註釈で書くか?という問題)は議論終了なんです。
2について、「見解の相違です」といってますが、この点も回答になってませんね。見解の相違も何も、あなたが、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65と、註釈内の典拠として引用時点で、あなたご自身が、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年65頁で書かれた内容を「日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった」、「日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない」 と理解したことを認めたことになっているんですよ。
いいですか、あなた自身が、「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定されたことの一例なので、部位変更整理した」という理由で、日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65)。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」と編集しなおしてますが、明らかにこの個所の編集時に長南氏の著作を閲覧し、当該箇所に関するページ数まで明記した後に、長南氏著作65頁の「伊地知が男爵の爵位をもらったのは藩閥のお蔭だという評価をよく耳にするが、決して藩閥の力にだけで伊地知は爵位を授与されたわけではない」という記述を参考に「日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」との編集を行っております。この点、ご自身が、長南氏の文献の頁数を明記したうえで「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定された」と述べている以上は、註釈の位置を変え、きちんと参考文献を明記するような書き方にすべきなのです。
「見解の相違」もなにも、これも、あなたが、当該箇所編集に際し、「旧来の批判的意見(男爵は総花的人事)が、論拠を以って否定されたことの一例なので、部位変更整理した」という理由で、「日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった(註釈:長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65)。日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない。」と長南氏の著作を典拠として引用しているではないですか。
見解の相違も何も、これはあなたがそのように編集し、かつ記録に残っている事実です。
つまり、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年、p65と、註釈内の典拠として引用時点で、あなたご自身が、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年65頁で書かれた内容を「日露戦争時のみならず日清戦争時にも情報将校として活動しており、伊地知の報告が開戦への重要な材料となった」、「日露戦争後に男爵を貰ったことを藩閥のお陰、総花的人事とみなすことは適当ではない」 と理解したことを認めたことになっているんですよ。
あなたがそのように書いた時点(2014年11月22日 (土) 05:29)で、問題になっている長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』、並木書房、2011年の内容をめぐる議論も議論終了なんです。
以上。1、2に関して、あなたが以前からたびたび行っている反論・答えは、上記の私の問題提起に対しては、全く効果的な反論・回答にはなっておりません。ゆえに、あなたの問いに答える義務はないです。さらにいえば、1、2に関して、全く効果的に反論ができていない以上、1に関しては、あなたが、本文内で書名と研究者名とを書いた2014年7月8日 (火) 16:14の時点で、2に関しては、上記で説明した2014年11月22日 (土) 05:29で、効果的反論が出来ないことで、議論は終了です。よって、その時間以後になされたあなたの問いに答える義務はないです。
「とまれ、」云々のあなたの論法を借りて言うならば、とまれ、1、2に関し、まったく反論にもまともな回答ともいえない答え方をしたことで、あなたの読解・論理能力の不十分さが判明したようですね。だから、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』の解釈を間違えるのでしょう。こういう論法は使いたくはないですが、上記で述べたように、あなたご自身が使用している以上、わたしもあなたに対してその論法で対応することとします。
※あと、これは傍論ですが、以上説明したように、あなたの問いに答える義務はないですが、これだけは申し上げておきましょう。あなたの問いに対しては、2014年12月28日 (日) 14:40に、既に下記のように回答しています。
>>そもそも、最初に長南氏の著作を基に、「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が紹介されている。」と書き込んだ方も・・・以下略の件。 そのようなことをせずとも、『坂の上の雲5つの疑問』の長南氏論稿を読めばわかることです。それに後述するように、最初に編集した際に、あなたも註釈に同書を書き込んでいます。 >>Charlus氏、あなたはwikipediaの書き方に関しての技量を十分にお持ちですか? わたしの編集技量の問題は、私とあなた以外の第三者が判断すればいいだけです。問題になっているのは、①あなたがご自身で技量不足を認め、かつ②あなたご自身が、私に対する反論として、「センスの問題でしょうか?」だとか「編集技量」の問題だとかを最初に持ち出されご主張を展開なされましたが、技量不足をお認めならば、それを他人に対してとやかく言えませんよねということ、③それに、wikipediaの書き方に関し技量不足をお認めになられる方が、研究者名や、著書名を本文より脚注にしたほうがいいと申されても説得力不足ですということです。
あなたは、これが回答になってないと申しましたが、それこそ「見解の相違」です。いいですか、私はその問いに対して、回答したと考えます。フォーマットに書けと言ってきたのはそれ以降ですが、あなたの回答に答える以前から、フォーマットに書けというべきでしたね。一度、答えた以上、あなたの質問に対し、「答えた」としか言いようがなく、答えてないからフォーマットに書くようにという問いかけに対しては、それこそ「見解の相違」と言わざるを得ませんね。
以上傍論でした。そもそも、上記1、2に関しては、あなたの反論・答えは、全く効果的な反論・回答にはなっておりませんので、あなたの問いに答える義務はないですが、
3、>時間に限りがあるのに対して項目はほぼ無限であるわけで、どこを先に削除するのかなどは、個人の自由としかいいようがありません。
どこを先に削除するのかは個人の自由ですか。物はいいようですね。どこを先に削除するかは個人の自由といいながら、しかも、12月21日に長南氏の箇所を削除して以降、私がアクセスできるようになり当該箇所を復活させるまでの間、他の箇所を修正する時間が約1週間もありましたが、その間1度たりとも長南氏以外の個人名、たとえば、伊地知幸介の本文にある「谷教官」などの個人名をぜんぜん削除してません。だから、あなたは長南氏のみを標的にしているといわれ、問題とされるのです。このことが示している事実はただ1つです。あなたは長南氏のみを標的にしているのです。あ、念のため申し上げておきますが、いままでたっぷり時間はありました。このような批判をされてから既成行為を作為するために削除しても遅いですよ。
4、といっても、議論が延々と続き、編集合戦が繰り返され、編集ロックになったら皆様が困ります。2に関する、解決策模索のため申し上げておきますが、もしも、解決策模索のために、わたしがあなたの出典に同意するとして(同意すると申しているわけではないのでご注意ください。以下では断り書きを省略しますが、ご了承ください)、あなたのいう『日露戦争兵器・人物事典』を出典としても、あなたの注釈のつけ方は、表記の仕方・位置ともに、註釈のスタンダードになっている歴史学の手法からすると、非常におかしいですし、かつ、本文も出典の記事の内容を正確に要約していないので、これはこれで問題が起きて、また、編集合戦になると思います。
表記の仕方について言えばです、
『日露戦争兵器・人物事典』(学研、2012年)p109
とするのではなく、項目執筆者が判明している以上、
長南政義「伊地知幸介」歴史群像編集部編『日露戦争兵器・人物事典』(学研パブリッシング、2012年)p108―109
とするのが適切です。いいですか、基本的な点として、伊地知に関する項目は、長南氏が書いたのであり、歴史群像編集部が書いたのではないのですよ。本文の筆者が明確な場合、それを明記するのが常識です。この点、同書以外の註釈に関しても、同じようなやり方が目につきます。
さらに、あなたは、Los688氏に対する質問の回答として、
>Los688氏へ ・本文内での敬称は略すこと ・評価文章にあたっては、断言する形式は避け、主張者をはっきりさせておくこと この2点については了解いたしました。 評価者・研究者名を付する際は、本文を簡潔にする目的において、脚注にて明記するように致します。
と書きこんでますが、あなたの註釈のつけかたでは、あなたが「了解」したはずの「主張者をはっきりさせておく」ことが全くなされてませんよね。その点においても、あなたの註釈の表記の方法は不正確です。
また、出典は正確にとおっしゃたのはあなたのはずですが、出版社は「学研」ではなく、「学研パブリッシング」です。
位置に関していえば、あなたは
伊地知は日露戦争時のみならず日清戦争開戦前にも情報将校として活動しており、この時の報告は日清戦争の開戦の決断において重要な材料となった。
の前においてますが、これは後ろに置くのが妥当です。そうでなければ、「伊地知は日露戦争時のみならず日清戦争開戦前にも情報将校として活動しており、この時の報告は日清戦争の開戦の決断において重要な材料となった。」という箇所が、当該箇所が誰の主張・どの本の主張か不明確です。いいですか、あなたが、長南政義「伊地知幸介」歴史群像編集部編『日露戦争兵器・人物事典』を典拠として、この編集をした以上、註釈の範囲に「伊地知は日露戦争時のみならず日清戦争開戦前にも情報将校として活動しており、この時の報告は日清戦争の開戦の決断において重要な材料となった。」を含めないのは、注釈のつけ方として妥当ではありません。しかも、あなたの註釈のつけかたでは、あなたが「了解」したはずの「主張者をはっきりさせておく」ことが全くなされてませんよね。その点においても、あなたの註釈の表記の方法は不正確です。
同じことは、
軍参謀長としての評価であるが、優柔不断として批判されている(註釈:『日露戦争兵器・人物事典』(学研、2012年)p109)。当時の関係者の言によれば「気の長い人で、容易に決定を与えない」(井上幾太郎)「事に躊躇逡巡して決断力に乏しい」(佐藤鋼次郎)「伊地知等が優柔不断の説を講じ」(山縣有朋)などとある。
の箇所についても同様です。
「当時の関係者の言によれば「気の長い人で、容易に決定を与えない」(井上幾太郎)「事に躊躇逡巡して決断力に乏しい」(佐藤鋼次郎)「伊地知等が優柔不断の説を講じ」(山縣有朋)などとある。」
というのは、長南政義「伊地知幸介」歴史群像編集部編『日露戦争兵器・人物事典』からの引用ですよね。であるならば、註釈の位置は、「伊地知等が優柔不断の説を講じ」(山縣有朋)などとある。」の後とするのが妥当です。なぜならば、「当時の関係者の言によれば「気の長い人で、容易に決定を与えない」(井上幾太郎)「事に躊躇逡巡して決断力に乏しい」(佐藤鋼次郎)「伊地知等が優柔不断の説を講じ」(山縣有朋)などとある。」は、これを書き込んだ編集者であるあなたの主張ではなく、事典の執筆者の主張だからです。
また、本文ですが、
伊地知が男爵となったことは、従来知られていなかった開戦前後の情報将校としての活動を考えれば妥当と評価されるべきである
とありますが。「開戦前後」とは何を指すのか不明ですね。長南氏は、伊地知の日清戦争と日露戦争開戦前後の活躍を具体的事実を挙げて紹介したうえで、「男爵授与を非難する声もあるが、日清・日露開戦前夜の活躍を考慮すれば妥当である」としています。したがって、「開戦前後」は「日清・日露開戦前後の」とすべきでしょう。しかも、「情報将校」とありますが、日清戦争時は「朝鮮事情偵知」(=情報将校)ですが、日露開戦時は「特別任務」です。
いいですか、あなたは、出典を正確に要約すべきだと仰ったのはあなたですが、これを読む限り、かなり不正確な要約文です。
もしも、わたしがあなたの出典に同意するとしてもです、あなたは、私が上記で申上げていることを理解できないでしょうし、したがって、こういったまともな指摘に対しても同意してこないと思います。たとえ、もしあなたの出典に同意するとしても、恐らく、またこの点をめぐって、編集合戦が繰り返されることになるでしょう。
いずれにせよ、本文の要約にせよ、著者名や出版社の書き方にせよ、あまりに不正確です。これでは、もし、わたしがあなたの出典に同意するとしても、編集合戦の種が増えるだけですね。
だからこそ、あなたとの合意形成は困難だと申し上げているのです。
ちなみに、
「当時の関係者の言によれば「気の長い人で、容易に決定を与えない」(井上幾太郎)「事に躊躇逡巡して決断力に乏しい」(佐藤鋼次郎)「伊地知等が優柔不断の説を講じ」(山縣有朋)などとある。」
の箇所に註釈の範囲をかけない書き方は、同文章が長南政義「伊地知幸介」歴史群像編集部編『日露戦争兵器・人物事典』からの丸写しである以上は、著作権侵害です。
著作権侵害が明らかな以上、断固たる対応をとるしかないですね。著作権侵害を行なった以上、編集保護を依頼するなどの対応をとることを検討せざるを得ないでしょう。
5、なお、今回は、反論になっていない反論・回答に対してコメントを返しましたが、以下は重要な点なのでお忘れなく。
はっきり申し上げますが、この論争が開始されて以来、こちらが論拠を丁寧に説明しているのにもかかわらず、それに対し、まともな反論・回答を展開できず、かつ、まともな反論・回答を展開できていないことすらわからない方とこれ以上議論しても時間の無駄です。あなたの時間が限られているのと同様、私の時間にも限りがあります。あなたの反論になっていない反論に対しいちいちコメントを返す必要は無いです。
本コメント冒頭で申上げました通り、自分の展開する主張の論拠を示さず、強引なやり方で、自分の勝手な意見を結論として相手に押し付けるような方と議論をしても、合意形成は難しいです。このコメント以降は、自分の展開する主張の論拠を示さず、強引なやり方で、自分の勝手な意見を結論として相手に押し付けるような方との議論は時間の無駄でもあり、有効な反論があるなどの例外を除き、あなたの書き込みに対する書き込みはいたしません。あなたとは合意形成不可能ですね。
上記で説明したように、まともな反論・回答を展開できていない、かつ自分の展開する主張の論拠を示さず、強引なやり方で、自分の勝手な意見を結論として相手に押し付ける議論の進め方をなされた以上、今後は、①反論になっていない場合や、②単なる自分の見解にすぎない説得力に欠ける反論に対しては、反論が反論になっていない以上、以後回答をいたしません。あなたが、伊地知幸介の本文内で問題になっている案件に関し、当該箇所を修正するのを確認した時点で、反論をせず、かつ理由を明記せずに、以後は編集を差し戻します。間違っても、編集を差し戻されて、理由の欄に「ノート参照」だとか、「返答が無かったからお前の負けだ」などの趣旨のような書き込みをなさらないように。
--Charlus(会話) 2014年12月30日 (火) 09:29 (UTC)
皆様へ
これは、皆様に向けてのコメントとして、繰り返して、はっきり申し上げておきます。私は合意形成に努めてまいりましたが、本コメント冒頭で申上げました通り、自分の展開する主張の論拠を示さず、強引なやり方で、自分の勝手な意見を結論として相手に押し付けるような方と議論をしても、合意形成は難しいです。このコメント以降は、自分の展開する主張の論拠を示さず、強引なやり方で、自分の勝手な意見を結論として相手に押し付けるような方との議論は時間の無駄でもあり、有効な反論があるなどの例外を除き、Kokurakinkeiの書き込みに対する書き込みはいたしません。両者間で、合意形成は出来なかったものとお考えください。
また、私の書き込みでご説明いたしましたように、同氏は、2014年12月21日 (日) 16:35時点の編集に際し、明白な著作権侵害を行っております。このことを明確にしておきます。
--Charlus(会話) 2014年12月30日 (火) 09:29 (UTC)
Charlus氏へ、また皆さんへ
「論争の解決」内の、「論争が生じたら、解決を探ろう」のうち、「ステップ2: 論争の相手と話し合う」は為し得ないと判断し、「ステップ3: 第三者を交えて議論する」に移ります。その内の、「利用者の行為についてのコメント」を利用する予定です。
利用において、下記文章を推敲中です、しばらくお待ち下さい。
「利用者の行為についてのコメント」
表題「過去のPelhamなる者と、現在のCharlus自身とが、同一人物であるか否か」
・Charlusは、ノートへ常軌を逸した分量の書き込みを行っており、議論の重大な阻害となっている。贅肉を削ってこの分量になるのならともかく、「いいですか」など不要な言葉が頻出したり、同じ文章が繰り返されるあたり、正直、読ませる目的で書いた文章ではなく、書き殴ったレベルとしか言いようがない。再三簡潔にと注文しているがむしろ増加する一方である。
・Charlusは、こちらの回答には「答えになっていない」「有効な反論・回答ではない」「効果的な反論・回答ではない」などとして頑としてこちらの質問には答えない。回答の内容がなんであれ、このようなことを理由として回答を拒否できるのであれば、議論が進展するはずもない。そもそも、「だと思います」「すべきですね」というように問い掛ける、または同意を求める形式を取っているのならば、「そうですかね」「同意できません」と返されても仕方がないはず。
・Charlusには、こちらの「こちらの書き方の目安」はどんなものかは説明しており、またこちらはそれに則った書き方を従来は行っているのだが、それから図らずも逸脱した書き込みを行ったこともある。彼は、そのいわば「技量不足、ミス」を針小棒大にあげつらい、これを以って彼の主張する書き方にこちらが同意したものであると主張する。否定しても変えず強弁しつづける。
以上の理由で、ステップ2における「同意の形成」は不可能であると判断しました。彼も同様の判断であることをノートに明記しているので、ステップ3へ移行させて頂きます。ステップ3のうち、まず第一に「利用者の行為についてのコメント」を行わせて頂きます。
彼は、2014年11月30日 (日) 12:26 (UTC)において以下のようにノートに記しております。
>そもそも、最初に長南氏の著作を基に、「2011年に発表された、長南政義「坂の雲に描かれなかった謀将 伊地知幸介」ゲームジャーナル編『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)にて、伊地知の日誌などの一次史料や未翻刻史料を基に日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割など彼の功績を評価する研究結果が紹介されている。」と書き込んだ方も、長南氏の著作に関し私と同じような解釈ですよね
上記文章は、現在は数度の編集により改変されているが、その元の書き込みは2011年12月20日 (火) 23:02にPelhamなるハンドルネームの者が書き込んだものである。
>なお、近年、長南政義氏により、日誌などの一次史料を基に、日清戦争の諜報活動及び日露戦争開戦直前・直後期の韓国公使館付時代の伊地知の役割を「謀将」として評価する研究も出されている。同氏によれば、日清戦争や日露戦争開戦直前期の伊地知の活動は、男爵に値する働きであるという。長南政義「坂の上の雲には描かれなかった謀将 伊地知幸介」『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)。
この、Pelhamなるハンドルネームの者の書き込みが、彼と同じような解釈であるとして、自身の解釈に賛同者がいる(いた)、よって妥当性があると述べたいのだと思われる。
しかし、このPelhamなるハンドルネームの者の、編集に関与する記事の範疇や編集行為の特徴、また文章の口調などは、彼Charlus自身と非常に酷似しているのである。
酷似点1
・Pelhamなる者の編集は、2009年2月19日の松川敏胤に始まり、一貫して日露戦争の記事への編集に終始している。2013年2月4日20:38の書き込みを最後に突然に退場した。
・Charlus自身は、2014年1月18日の池田屋事件の編集に始まり多方面の記事に編集を行っているが、2014年11月20日以後は伊地知の記事への編集が殆どとなっている。
酷似点2
・Pelhamなる者も、Charlus自身も、「参考文献欄」への編集が顕著。
酷似点3
・両者共に、編集合戦となった際に、「編集」ではなく「取り消し」を多用する。
酷似点4
・両者共に、「ノート」への長文投稿を厭わない。その分量の甚だしいところは下記に記す。一度に斯様な分量を投稿するというのは珍しい行為と思われる。
Pelham:(+6,093) (+10,047) (+3,374) (+2,935) (+4,855)(+6,117)
Charlus:(+7,051)(+1,577)(+28,104) (+1,435)(+2,992)(+5,837) (+8,769) (+12,178)(+5,310)(+5,977)(+8,517)(+28,364)
酷似点5
・両者共に、日露戦争研究家の長南政義の著作からの引用を多用する。特にPelhamなる者は、初期の編集において、注釈などに不要な解説を書き加えるなど不自然な行動を行っており、並々ならぬ肩入れがあることが伺える。
他にも酷似点は、その口調・語彙などにも見られるのだが、以上で一応切り上げて本題に戻る。
Pelhamなる者と、Charlus自身と、この両者は同一人物ではないのか。
以下は上記推測に基づくものであるが、第三者の立場の方におかれては、上記酷似点より推察頂きたい。また、Pelhamなる者の書き込みについて何度も重ねて質問しても、頑として回答しなかったことも考慮頂きたい。
Pelhamなる者と、Charlus自身と、この両者が同一人物であるのならば、「ノート」において合意を探りつつある過程において、斯様なるPelhamなる者の書き込みを、「長南氏の著作に関し私と同じような解釈ですよね」などと自己の主張に同意する者がいる(いた)かのように書き込む態度は、卑怯な振る舞いであると言わざるを得ない。編集技量云々、編集体裁云々、マナー云々以前の問題である。
両者が同一人物であるか否か、それを確実に確認する手段はあるでしょうか。確認出来ないまでも、上記酷似点より蓋然性は如何ほどのものでしょうか。そして、もしも同一人物であると確認もしくは推察される場合、しかるべき警告並びに処置を行って頂きたく希望致します。
まだこの疑問点一点のみしか書けておりませんし、文章を簡潔にすべく推敲中です。しばらくかかります。