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ノート:仲代達矢

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3月31日に書き込んでいる分、あまりにも当時の映画事情を知らなすぎ、しかも仲代達矢や舞台俳優に対しての偏見がありすぎる。もう一度関係書物を読んでやり直してこいと言いたい。遅すぎた反論だが。

個人的評論・伝記的な記述は一切不要

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一部に、個人的思い入れを背景にしていると思われるような、評論や伝記と勘違いしておられる記述が目に付きましたので、顕著なその部分をコメントアウト、修正しました。芸能人や著名人の記事にはありがちな傾向ですが、今一度、ウィキペディアは何でないかWikipedia:中立的な観点などをご覧頂き、あくまで、ウィキペディアは客観的に事実や経歴のみを述べる事典ということを認識して頂きたく思います。--Huskys 2007年3月17日 (土) 06:17 (UTC)[返信]

主観を完全に排するとなると「名優」といった表現すら適当でないということになります。削除される場合は、 「著しく事実に反する」 「一面的な意見であり。具体的な異論が存在する」 「こん人物の特性としてまったく重要とは思われない」 などの論拠を示されては如何でしょうか。--以上の署名のないコメントは、219.0.143.17会話/Whois)さんが 2007年4月8日 (日) 08:04‎ (UTC) に投稿したものです。[返信]

長過ぎる概要

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概要の長さは、記事本文の長さに応じて1 - 5段落が目安です(WP:LS)。簡潔に出来ませんか?

同じ監督の指名を受けるケースが多く、小林正樹岡本喜八五社英雄(各11本)、市川崑(6本)、黒澤明(5本)...と各2本に至るまで長々記述しておられますが、「同じ監督の指名を受ける」と紹介すると全て正しいと言えません。映画は監督と主演俳優の二人で作るものではないですし、本来、俳優のキャスティングはプロデューサーの仕事です。近年は監督に俳優のキャスティング権はほとんどないと聞きます(参考:「俳優ありきの...」)。昔はあったのかも知れませんが、例えば『影武者』の勝新太郎の降板で仲代がキャスティングされたのは黒澤の指名かも知れないのでまあよいとして、五社英雄の11本というのは、東宝で撮った『出所祝い』や、東映で撮った『鬼龍院花子の生涯』『北の螢』とかでしょうけど、これらは全部会社のキャスティングで、五社は関係ないです。また、舛田利雄3本のうちの一本は『二百三高地』でしょうけど、これも東映サイドのキャスティングです。元々、舛田監督は大作も手掛ける職人監督なんで、役者のキャスティングには関わらないんじゃないでしょうか。それ以外も監督から実際に指名を受けたのかが分からず。監督から指名をはっきり受けたと出典で明示できるなら、個別の映画記事に記述すればよいことで、根拠不明の監督と主演の組み合わせ数を羅列する意味はないと思います。

このうち10人がキネマ旬報ベストテン入選5回以上の実績を持つ監督である。

  • 仲代とは関係ない記述。

市川とのコンビは48年間、岡本とのコンビは45年間に及んでいる。

  • コンビなのかどうか。早めに監督が亡くなればコンビは短い期間で終わるし、お互い長生きの証明の記述が必要か?

出演映画が米国アカデミー賞世界三大映画祭カンヌヴェネツィアベルリン)の全てで受賞しており、森雅之山形勲と並び四冠を達成している。

  • 役者の受賞として特筆するのは個人賞(主演賞)受賞に限るべきで、作品賞の受賞は役者の功績とは言い切れない。役者の芝居はヘタでも賞を獲ることはある。「森雅之・山形勲と並び四冠を達成している」という記述は信頼できる出典に書かれた記述ですか?。独自研究を広げるべきでないと考えます。

出演作25本のキネマ旬報ベストテン入賞回数は、主演級スターとしては三國連太郎に次ぐ数字で、3位は三船敏郎である。映画会社出身の俳優で映画中心に活動していた他の2人とは異なり、仲代は劇団出身の俳優であり、活動の半分は舞台劇である。

  • これは映画作品スタイルガイドの問題で映画作品スタイルガイドのノートに提出すべきかと思いますが、勿論、キネマ旬報ベストテンが最古の歴史を誇り、権威ある賞と承知はしていますが、近年テレビでは役者の紹介に日本アカデミー賞受賞をテロップで流すことが多いし、どっちが権威があるということではなく、キネマ旬報ベストテンだけを特別扱いするのはどうなのかと思います。今が1960年代ならそれでもいいかも知れないですが、今は色々な映画賞が溢れているし、ここはキネマ旬報のサイトでもないし、中立的な考えを持って編集にあたる方がいいと思います。つまり○○賞を獲得したと書くのは問題ないですが、キネマ旬報ベストテンの入賞回数が何回とかの記録は書くべきでないと考えます。キネマ旬報ベストテンの記事に最多受賞者等を書くのは問題ないと思います。

日本での受賞は日本映画製作者協会新人賞(1957年)、毎日映画コンクール男優主演賞(1961年と1980年)、ブルーリボン賞主演男優賞(1962年と1980年)、キネマ旬報主演男優賞(1962年)、ゴールデン・アロー賞大賞(1980年)、毎日芸術賞(1975年)、芸術祭優秀賞(1980年)、芸術祭大賞(2005年)ほか数多いが、2013年には長年にわたる映画界、演劇界での活躍と日本文化への貢献が評価され川喜多賞並びに朝日賞が贈られている。海外での受賞歴は、シシリア・タオルミナ映画祭賞(1971年)、カンヌ国際映画祭グランプリ(1980年)、マニラ映画祭主演男優賞(1982年)、フランス文化省芸術文化勲章シュヴァリエ(1992年)など。1996年紫綬褒章受章、2003年勲四等旭日小綬章受章。2007年に文化功労者、2015年に文化勲章を受けた。大衆芸能分野で文化勲章を受けるのは5人目で、翌年には映画主演をしており、文化勲章を受けた後に映画主演をした俳優は史上初である。

  • この件は仲代個人の主演賞等で、あってもよいと思いますが、下に「受賞・受章」でまとめて書かれているので冒頭に書く必要はないかなという気がします。

--126.147.175.31 2021年3月3日 (水) 03:47 (UTC)[返信]


  • 報告 - 3週間を経過して反対意見もないことからWP:CONと見なし、冒頭文を以下のように修正しました。

劇団俳優座出身で演劇映画テレビドラマで活動を続け、出演作が国内外の多くの映画賞を受賞する日本を代表する名優の一人とされている。

  • 他にどうしても書きたいことがあれば、業績節を設けてまとめて出典を付けて記述して頂きたいと思います。信頼できる出典が付いたものなら問題ないと思います。正しく出典も確認できるものは残すつもりでしたが、ほぼない印象なので残していません。以下も疑問があります。

出演作25本のキネマ旬報ベストテン入賞回数は、主演級スターとしては三國連太郎に次ぐ数字で、3位は三船敏郎である。映画会社出身の俳優で映画中心に活動していた他の2人とは異なり、仲代は劇団出身の俳優であり、活動の半分は舞台劇である。

大衆芸能分野で文化勲章を受けるのは5人目で、翌年には映画主演をしており、文化勲章を受けた後に映画主演をした俳優は史上初である。

  • これも特筆性のあるものなのか分からないので書きませんでした。まず、仲代が三國連太郎や三船敏郎のような映画中心の俳優に比べて、活動の半分が舞台なのに映画で実績を残すのが凄いとする記述ですが、1970年代以降はテレビの影響力が大きくなって映画の影響力が下がり、映画会社専属俳優は、大手芸能事務所に移籍したり、個人事務所を作ったりしていますので、映画の出演に関しては、映画出身者が劇団出身者より優位とはいえないんじゃないですかね。三船や石原裕次郎らが早くに俳優事務所を立ち上げて運営に苦労したのは有名です。1970年代以降に役者として全盛期を迎えたようなスターはみんな苦労していると思います。仲代の後ろ盾である劇団俳優座の佐藤正之は新劇のボスで、映画のキャスティングに影響力のある人なので、仲代はむしろ映画俳優より有利な条件だったのではないですかね。これはあくまで私の印象ですが、新劇の俳優は経済的には恵まれませんし、映画やテレビ、CMに出たがる人も多いし、ギャラも映画俳優より安いんじゃないかなと思ったりします。映画会社からしても映画俳優を使うより、新劇の俳優の方が芝居は上手いししがらみもないのかなと思います。1980年以降は製作委員会なんかで映画作りも増え、映画会社の影響力より複数のスポンサーの意向が優先され、映画俳優出身だからとか、劇団出身だからとかはあまり関係ないんじゃないでしょうか。つまり劇団出身の俳優が映画会社出身の俳優より不利とはいえないと思います。
  • 下の文化勲章を受けた後に映画主演をした俳優は史上初、というのは、文化勲章を受けるような人は現役引退状態の人が多いので、翌年の映画主演をするのが凄いということでしょうか?特筆性がよく分かりません。

--126.51.224.15 2021年3月30日 (火) 09:11 (UTC)[返信]

そうかな?不利だと思うけど--Chima Gomano会話2023年2月19日 (日) 10:34 (UTC)[返信]